寂寥
「じゃあ、メニューのここからここまで」
「え…?」
「を二つずつ」
「ええ!?」
素っ頓狂な声で仰天する店員が恐る恐る注文を持って行き、その十分後には全てではないが料理が運ばれてきた。
それだけでテーブルは埋まってしまった。
「…多い」
「馬鹿、お前そんな事言ってるから大きくなれないんだよ」
「………なってる」
言いながらフェンはさりげなく目を逸らす。
「いやそれにしても多いやろ、これ」
「今日でCクラスに上がったからな。景気付けだ」
「シア、塩をくれるかの」
シアは手元の塩をレイに渡すと、自分も料理を眺め始めた。
「はよ食べんとなくなるで?」
あっという間に机の上の食べ物が無くなっていく。量も早さもダントツでハルユキが食べまくるので、周りのテーブルで呆気に取られている人間もいる。
その食べっぷりをじっと見ている人間が同じ机の中にもいた。
コトン、と箸を持ってもいないユキネの前に、シアが適当に取り分けた料理を置いた。
「あ、ああごめん、シア」
言葉の変わりに小さく笑うと、シアも自分の皿の前に座りなおした。
ユキネは皿の上の料理をゆっくりと口に運びながら、何時も通り凄いスピードで食べ物を口に運ぶハルユキをそっと盗む見る。
美味しそうに大量の料理を頬張り、レイと喧嘩し、フェンに呆れられ、ジェミニとシアに笑われながら。
いつも通り。
そう。
いつも通りだった。
「ご馳走様。」
気付けば、机の上に料理は無くなり、残るのは各自が皿に避難させた料理だけになっていた。
味はあまりしなかったが、何となく残った料理を口に運ぶ。
「さて、と」
「……どうしたの?」
「さすがに食べ過ぎた。腹ごなしに散歩してくる」
あれだけの量の料理を含んでいるとは思えない、ほんの少しだけ膨れた腹をさすりながらハルユキが立ち上がった。
思うようには食べれなかったのかレイに何かつまみになる物と、ジェミニに酒をお使いされ、渋々ながらそれを受け、店を出て行った。
「──さて」
先程まで緩かった雰囲気がレイの声で一変した。
「…何か、あったの?」
フェンも何か思う所があったらしくレイの言葉に割り込んで口を開いた。
「…別に、何もないよ」
「どうせまたハルユキの事なんやろ? さっさと行ってき」
「…うん、ありがとう。でも本当に、私は何でもないんだ」
そう言って席を立ちぎこちなく笑うと席を立つ。
「私も腹ごなしに行って来る」
そのまま、ユキネはその場を後にした。
「"私は"、ね…」
ユキネが姿を消した後、溜め息混じりにレイが呟いた。
「やはりおかしいのは、もう一方か…」
意味がよく分からなかったのかシアが首を傾げた。
それは多分意味が分からないという事を示していたが、レイがほぼ同時に自分の疑問を口に出していた。
「そう言えば、シアはもうあの鉄片はつけんのか?」
「道具に頼っとたら何時までも声は出らんから、やて」
「案外根性据わっとるのー…」
そう言って、レイが食後に運ばれてきたお茶を一口啜っている間に、ジェミニが軽い口調でシアの無言の問いに答えた。
「別に理由がある訳じゃあらへんよ。ワイやフェンちゃんはもう結構一緒におるから、何か変やなって分かるだけや」
「…何となく」
「そうそう」
「儂は勘じゃがな。と言うかそんなにお主等は長い旅をしておったのか?」
「いや、時間はそれ程やけどね、密度が半端無かったわ…」
「……厄介事、ばっかり」
「あー…、心中お察しする」
レイが珍しく同情の意を表し、シアも苦笑いしている。
ユキネの町から始まり、ドンバ村、セシ村の桜の森、この町に着いてからは麻薬騒ぎや奴隷問題。
「ま、あれは放っておいても自分で解決するじゃろ」
ずず、と音を立ててレイはお茶をもう一口、口に含む。
「私は、様子見てくる」
自分が食べた分の皿を重ねて一つに纏めてから、フェンも席を立つ。
一度外に出てから少し周りを見渡して、ユキネの後を追っていった。
「若い奴らは勢いがあっていいのぅ…」
「いや、全く」
和み始めた二人にどう対応していいか分からなかったのか、空になっていたレイの湯呑みにお茶のおかわりを注ぐ。
「……この気遣い上手を嫁にしたいんだがどうじゃろうか?」
「お父さんは許しませんよー」
◆ ◆ ◆
気が付くとまたここに来ていた。
目の前には舞武の優勝者に贈られる副賞が展示された壇。
最初の2、3日こそ、人の海が出来るほど人間で溢れていたが、今となっては立ち止まってまで眺めている人間は数えるほどしかいない。
ハルユキも同じように壇の目の前で足を止めて壇上に視線を送った。
そしてそれが視界に入ると、それ以外の全てが視界から薄らいで消えた。
展示している壇も、その上に乗って警護していたはずの兵士も壇の周りの道行く人間も、全て意識の外。
このまま、走ってあれを奪ってどこか遠くまで逃げてしまえないだろうか。
そんな考えが幾度と無く頭に浮かび、次の瞬間には宿に居るだろう5人の顔とここで知り合った奴らの顔が浮かんできて、少しだけ壇上から視線を逸らしてその考えを振り払う。
そんな事を延々と繰り返している。
何をする訳でもなく、何か違う事を考えるわけでもなく、ただ目の届く所に居続ける。
そうしていると、嫌でも思い出すものがあった。
それを腰に携えていた時の事と共に、芋蔓式に埃を被っていた記憶がその薄いベールを脱いでいく。
正直辛いことばかりだったし、戦場を駆けた事も一度や二度ではない。
でも大切だった筈のものも確かにあった。
記憶が埃を脱ぐ度に、ほんの少しだけ香ってくる昔の空気が懐かしすぎて、少しだけ恋しくて。
気が狂いそうだった。
(…懐かしいか)
「……九十九か。そういえばいたんだったなお前。幾らなんでも寝過ぎだろ」
(殆んど起きてたさ。ただ俺は寡黙なんでね)
「そうかよ」
こいつからも昔の匂いはする。
しかしどちらかと言えば硝煙や爆薬の匂いで不快感しか得られない。
春雪自身、と自分で言うだけの事はあるだろう。
(まぁどっちにしろあと数日で手に入るんだろ?)
「明日、武道会に参加登録して、その数日後に優勝出来ればな」
(……ほぼ確定じゃねぇか)
「もしそうじゃなかったら、手に入れるために動いてるさ」
それきり会話は無くなった。
今度は本当に寝てしまったのか、それとも本当に寡黙なのか九十九の方から言葉は返ってこなかった。
ふと、コツコツンと左右の足音が微妙に違う奇妙な足音が近付いて来ていることに気づいた。
「何じゃ坊主。お主も舞武に出るのかいな?」
その足音はハルユキの真横で止まると、年老いた口調でそう声をかけてきた。
その風体は声の通りかなりの老いを感じさせる。杖を突いていて、片足を半ば引き摺るように歩いてきたのが見て取れた。
「どうしてそう思うんだ?」
「あれは確か舞武の粗品じゃろう? そのように穴が開くほどに見つめていればそう思いもする」
「ま、当たりだけどな」
「優勝する気かの?」
「そりゃなあ」
「ふむ、気概は買うが今回はタイミングが悪かったな」
ぶつぶつと一人で喋り始めた爺から、壇上に視線を戻した。
するとどうも、今日は展示を止めるらしい。もうあまり見ている人間もいないのでひょっとするともう展示されない可能性もある。
次に見るときは手にする時だと、しっかりと見ておこうとして目を凝らす。
「ハル?」
その時また背中から、今度は声が聞こえた。
◆ ◆ ◆
「おお、ノインじゃないか。久方振りじゃのぅ」
「……爺? …やっと帰ったのね」
「そんな事よりほれ。良さ気な若者がいるぞ。兵士にすれば中々のものになるぞぃ」
ノインはその言葉を聞いて、キョトンとした顔を見せた後どういう事? と目線だけで聞いてきた。
そんな事を聞かれてもハルユキにも分かるわけはなく、肩をすくめて意思を示した。
「時にノインよ。お主そろそろ身を固めよ」
「またその話…」
「馬鹿者。王家たる者子孫を残さずしてどうする。いい男を選んできたからの。明日にでも顔を合わせたらいい」
それもまたいつもの事なのか、溜め息混じりに頷くと不意にこちらを見て、ニッと嫌な笑顔を見せた。
「会うのはいいけれど。そこの男より弱かったら話にならないわよ。爺」
「…何じゃと?」
訝しげにこちらを睨みつけると、何を思ったのか笑い出した。
「ふざけておるのか? 確かに雰囲気だけは一流だが魔力の欠片も感じんぞこやつ。とてもじゃないがこのままじゃあ…」
「その男に勝った人間となら結婚するって言ってるの」
「……何と?」
「その男は、今の所私の夫第一候補って事」
基本的に無視して、壇が城の中に消えていくのを見守っていたのだが、ここまで話が進めば流石に黙っていることも出来なくなった。
「おいその話は断っただろ。俺は王になんかなりたくねぇよ」
「…旅を続けたいからでしょう? 満足したら帰って来て」
「……のう、お主」
おもむろに爺がハルユキの右腕を取った。
視線が交錯し、しばしそのまま硬直する。
不意に右手を伝わるように波紋のようにハルユキの体に何かが伝わった。
「合気、いや柔、か」
「ほっ、成程。こりゃとんでもないのがいたの」
騒ぐ騒ぐ、と笑いながらハルユキを見上げる。
「ノイン、今年もお前参加するのかの?」
「そのつもりよ。借りを返さないといけない人間が居るし」
成程成程、と小さく笑いながら爺は二人に背を向けた。
「爺。また城には泊まらないの?」
「連れを待たせておるし、──儂はあそこに足を踏み入れる資格が無いよ」
少しだけ曲がった腰で、まだまだ賑やかな人ごみの中に消えていった。
「…お前何でこんなとこに居るんだよ。また俺が牢に入れられるだろうが」
「今日であの剣の展示は終わりだから様子を見に来たのよ。貴方がいるとは思わなかったけど」
「まぁ、いいや。あいつら待たせてるから俺はもう行くぞ」
「ええ。私も仕事が溜まってるわ」
「程々にな」
「……"舞武"では覚悟してなさい。油断してるとぶっ飛ばすから」
「はいはい」
相変わらず勝負は続くらしい。何かよく分からない視線を背中に感じながら、ハルユキも元来た道を戻っていった。
◆ ◆ ◆
「ユキネ、知ってたの?」
「…結婚の事か? 知っていたがそれはいいんだ。い、いや良くは無いけど、気になってたのは……って、フェン。何時から居たんだ」
決してハルユキを追って来た訳ではない。
しかしたまたまハルユキの跡を辿る形になってしまったのか、ハルユキとノインが談笑している場面にたどり着いてしまっていた。
我慢できずに立ち聞きしていたユキネの背後にいつの間にかフェンが立っていた。
「結婚のことは、私も前から知ってた。ここに来たのはさっき」
簡潔に短く答えると、視線は去っていくハルユキとノインに向けたままユキネの横まで移動した。
「……この前ガララドって人が言ってた奴もあの娘だよな」
「そう、だね」
視線の先ではノインが兵士に一言声をかけてからさらにフードを深く被って人ごみに紛れていく。
その後先に口を開いたのは、普段無口なフェンの方だった。
「…私も闘技大会、出ようと思う」
「え…?」
そのままフェンはまた黙り込んでしまった。
闘技大会。
フェンは元々どうしてこんな所で燻っているのかと言うほどの逸材だ。
自分の力を試したいと言うのは決しておかしい事ではない。
しかし多分そんな好奇心から来る言葉ではないことが何となくユキネには分かっていた。
そもそもこうやって自分の意思を分かりやすく言葉にすることだって昔のフェンから考えれば珍しいなんてものではない。
フェンとは長い。仕草も声も表情も、全て見慣れたもの。
「……変わったな、フェン。いや、悪い意味じゃなくて」
「そう、かな…」
それは多分、どちらかといえば成長したと言うのだろう。
昔は今より更に無口で、最初の頃はそれこそ人形のように静かで、いつもユキネの後を何も考えずに付いて来るような時間を送っていたのに。
いつの間にか、ユキネの前を歩くほど大きくなった。
「私は…」
それが何処か寂しくて、それでも嬉しくて、そして。
不思議ととても悔しかった。
「私"も"闘技大会、出てみようかな…」
体の中に自分を動かすものが見当たらなくて。
何かに引きずられる様に、そう零していた。