王女の憂鬱・下
岩窟から外に出ると、もう完全に日が落ちて夜の帳が下りていた。
「…じゃあ結局今日はこのままこの辺に泊まるのか?」
「ここじゃあの飛竜達がいつ襲ってくるか分からないから移動するわ」
「……背中に乗ってる奴に言われてもな。移動するのは俺だろ」
結局、また動けなくはなったものの、気を失うことは無かった。と言っても動けないのでは対して状況は変わらないので、六体を完全に燃やし尽くした後、またハルユキの背中に頼ることになった。
これから帰ってもいいのだが、いまさらあれに乗って音速を超える体力が無いのと、後もう一つの問題として、後からひょこひょこと付いて来る生き物の存在があった。
「そいつ本当に連れて帰るのか…?」
「駄目なの?」
「駄目じゃないが、パニックにならないか?」
小さい子供の龍。小さいと言っても細長い頭と尻尾までを測れば3メートルはあるだろう。
街中に連れて行けば確かに一悶着あるかもしれないが、あの町なら面白がる人間のほうが多い気がする。
考えている間に、ハルユキが駆け足で岩窟とその周りで屯していた竜たちから離れていた。
この男の駆け足はそもそも馬より大分速いようで、後ろで四苦八苦しながら翼をバタつかせて必死に付いて来る子龍が見える。
それから三十分ほど移動した辺りで、ハルユキが足を止めた。
背の高い草は無くなり、芝生のような短い草の草原の真ん中、ポツンと大きい木が立っている自然の広場みたいな所。
ここなら雨が降ってきてもそう濡れる事は無いだろう。
少しだけ動くようになってきた手足で木まで移動し、寄りかかった。
「飯だな。探してくるからここで待ってろ」
それだけ言うと、ハルユキは音も無く姿を消す。
ふぅ、と短く息をついて全身の力を抜き、更に木に体重を寄せた。
──疲れた…。
声が出るか出ないかというほどの大きさでそう呟いた。
ちょっとした暇つぶしでギルドに行こうと言ったのだが、ここまで大仕事になるとは思わなかった。
あの男が厄介ごとを引き寄せる才能があるせいだ、間違いない。大体そんな才能でもなければ古龍や、まして霊龍になど遭遇するはずも無い。
あの男と一緒に行動するあの五人はさぞ大変だろう。もう慣れているのかもしれないが。
力を抜いてゴツ、と後頭部を木の幹に預けると、視界が広がった。
今もたれ掛かっている木は枝がかなり高い所からしか生えていないので、それはとても広く見えた。
星。
ノインの町は、眠らない町と言われるのに相応しく、明け方になるまで町の何処かは明かりが付いていてほとんど光が耐えることは無い。
町の光は城から見ていて、それこそ星の光のようで綺麗だ。賑やかで騒がしい光はとても温かい。
しかし温かすぎては、明るすぎては見えないものもある。
例えば、この星。
上だけではなく、視線の先にある遠い山の頂上から背中側に遠い山の頂上まで。
星たちが踊っているようで、騒いでいるようで、睦ぎ合っているようだ。
夜の闇が肌に冷たく、遠くはなれた光はささやかな物だが、どこか城から見下ろす町の光と似ている気もする。
「…どこの詩人よ」
勢い余って一句詠みそうになっていた自分を諌める。更に体から力を抜けていき、今度は眠気が襲ってきた。こんな所で寝るのは危険すぎると頭を振って眠気を追い出そうとして、止めた。
直ぐ傍にあいつがいる。気を抜いても大丈夫だろう。
ふとグルル、と聞こえた音の方向に顔を向けると、既に子龍が直ぐ横でウトウトと寝息を立て始めていた。
「こら、なに主より先に寝てるのよ」
ビシっ、と鱗だらけの頭に手刀を振り下ろすと、くぐもった声を出し寝ぼけ眼で顔を上げた。
「そういえば、貴方雄なの?」
言葉は流石に分からないのか、首を傾げて、何を思ったのかこちらに擦り寄ってきた。
「ち、ちょっと……」
別に鱗が硬くて痛いわけでもなく、意外とすべすべしていて、頭の上から体のほうに流れるように生えた毛もふさふさで気持ちいいが、どうにもこう…、くすぐったい。
そしてノインの顔に顔を埋めたまま、再び今度は完全に寝息を立て始めた。
「この私を、振り回すとはいい度胸ね…」
遠くから草を踏む音が聞こえてくる。どうやらあいつが帰ってきたらしい。
苦笑をこぼす、同時にまたしても体から力が抜ける。底抜けに体から力が抜けていく。全くどれだけ強がって。どれだけ力が入っているんだ、私は。
本当は逃げ出したいくらいに一杯一杯なのに。と言うか、このごろは逃げ出しっぱなしだ。
初めて見えた弱さに。弱い自分を見つめる不安に。
「疲れた…」
眠気が首をもたげている事を自覚して目を瞑る。
近付いてくる足音を聞きながら完全に意識を手放した。
◆ ◆ ◆
「……美味しいじゃない」
「当然」
ノインが目を覚ますと既に食事の用意が出来ていた。
月の傾き具合からいって二時間ぐらい寝ていたようだ。
用意された食事は、適当にその辺で捕まえてきた角ウサギを捕まえたもの。
ナノマシン調味料とやらで適当に味付けしただけらしいが、ハルユキはこのウサギを一度調理したことがあったので、美味しい食べ方はある程度わかっているそうだ。
「ていうか、お前一日以上城空けて大丈夫なのか?」
「別にいいでしょ。多分貴方と一緒だって事は分かってると思うし」
「……帰ったら俺が酷い目に遭いそうに思えるのは気のせいだろうか…?」
「まぁ、私が口添えしなければ拉致容疑で牢獄行きかもね」
「…お願いします」
「いいでしょう」
はぁ、溜め息をつきながらハルユキが苦笑する。
当然半分冗談だし、それはあっちも分かっている。そんな下らない気持ちの一致が少しだけ心地いい。
それを境にお互い手元の肉を口に運ぶのに集中し始めた。何しろハルユキは馬鹿みたいに食べる。出遅れればかなり多めに配分した自分の分を食べ尽くしてこちらの食べ物にまで手を伸ばしてくるかもしれない。
およそ王女とは思えないほどの速さでノインは自分の分を食べ終えた。
さて、手持ち無沙汰だ。
寝てもいいし、滅多に見られないほどの星空を眺めてみるのもいい。何かハルユキをからかって遊ぶのもまた良し。
さて、何しようか。
何をするかも決めないまま、何も考えずに口を開いた。
「そういえば、貴方どんな字なの?」
「字?」
「字、スタンプ、スペル、刻印。色々言い方はあるけど何が言いたいかは分かるでしょう?」
生まれたときに必ずと言っていいほど刻まれている一文字。それは本当に様々な能力があるが、この男の力は身体能力がずば抜けていたり変な道具を使用したりと全く統一性と言うものが見られない。
「て言うか、そもそも魔法なんて俺は使えねぇよ」
「………ま、そんなところだと思ってたけど」
そもそも消えるように移動する時も、何か巨大なものを作り出すときも、魔力の一欠片すらノインは感じなかったのだ。
ノインも、本気でこんな規格外を見定めようとはしていない。
「…──貴方、自分のことが強いって思う?」
途切れた会話を縫って、思ってもいない事が口から飛び出した。訳が分からない事を言ったと取り消そうとして口を開くが、先にハルユキが淀みなく答えを返してきた。
「思うよ」
返ってきた答えは、予想していたような、期待していたような、それでも聞きたくなかったような答えだった。
「……そこは"俺は弱い"って言う所じゃないの?」
歯に衣着せぬ物言いに、溜め息混じりでそう言った。
果たしてそれを聞いていたどうかは定かではないが、肉を口に運ぶ動作を止めないままただ淡々と。
「俺は最強だよ」
そう、言った。
冗談で言っている訳ではないのは、分かる。
先程まで緩やかだった空間が、ほんの少しだけ緊迫感を帯びている。
加えて、先程まで何気ない会話をしていた男が、今は妙な迫力を帯びて見えた。
巷にも自分は強いと豪語する輩は吐いて捨てるほどいる。しかしそれの殆どは驕りか、もしくは自己顕示だ。
しかし、この男はただ自分より強い奴がいないことを淡々と語っているだけ。間違いなく自分が一番だ、と。
──違う。
この男は知らないだけだ。自分より強い人間がいる事を知らないだけ。
ノイン自身がこの男に負かされた様に、自分の中での一番が崩れ去ったように、そういう時をまだ味わっていないだけ。
「……くそ」
分かっている。
この男は恐らく自分とは違う。そんな事は分かっているのに。
最強を自負する人間たちと決闘をしたことがある。それも何度も何度も。当然その度に打ち負かしてきて最強を実感してきた。
お前らもその他大勢でしかないと力で示してきた。
そうだ。
この頃この男に絡んで行ったのも、それに仕事にも身が入らなくなったのも。
強さを無くして、いや強いと思っていたのを覆されて、私の中心から私がいなくなったからだ。
この男には。
私がきっと今まで負かしてきた"その他大勢"としか映っていない。
それが、堪らなく嫌だった。
「……で? 俺は強いが、お前は? 弱いのか?」
「…皮肉を言っているの?」
私を負かしたのは、他ならぬ貴様じゃないか。
ギッと、満足に動けないながらに静かに殺気を向ける。
自分から言い出したことだから文句は言わない。しかし、あの一戦が私にどれだけ影響を与えたと思っているのだ。
──どれだけ私の世界が壊れたと思っているのだ。
「…俺にケンカで負けたから自信なくして自分を卑下してんのか? …はッ、面倒なガキ」
「……殺すぞ」
「無理だよ」
頭が命じるまでもなく横に置いてあった剣を握って抜き放ち、剣先を呑気に肉を食べている馬鹿の喉元に向ける。
「……決闘よ。立ちなさい」
しかし目の前の男は、相変わらず緊張感も持たずこちらに目も向けない。
──私に何の興味もないかのように。
「…っ立ちなさい!!」
「いいぜ、斬れよ」
スッと、そこで初めて視線がノインの方を向いた。しかし視線が合ったのは一瞬。片方が逸らしてしまっているからそれは必然だ。
歯を食いしばり、剣を振り上げる。
ここで、この男を倒してしまえば、殺してしまえば。私はまた強かった自分に、それどころか最強に──…!
腹を決めて歯を食いしばり、こちらを冷淡に見上げるハルユキの目を睨みつける。
しかし。
「……なれる訳、ない、か…」
手から剣が滑り落ちカラン、と乾いた音を立てて地面に転がった。響いた音に、子龍が目を覚まして心配そうにノインの方を見つめている。
魔力がまだ回復しきってないのか、かくんと膝が折れ、そのまま元いた木の根元に座り込む。
「…もう、いいわ」
剣を振り下ろしていたとしても、強くなれるわけでもなく、それどころか強さの証明すら出来ない。
この男をどうにかして、この国に呼び込んで、そして国を支えていけばいい。それこそ結婚でも何でもして。
自分で自分も支えきれない弱い人間が、国を支えるなどとおこがましい。もう強がる必要も頑張る必要もない。
楽でいい。
未練なんてものもない。笑顔が出ないのだから嬉しくはないのだろう。涙が出ないのだから哀しくもないのだろう。
なら、もういい。──疲れた。
「お前、今幾つだ?」
唐突に。
空っぽの頭に空気を読もうともしない声が響いた。
「…16」
「何だ。思ったより子供だな」
「………」
こんな奴にいまさら皮肉を返す余裕もなく、唇を結んだまま、どことなく星空を眺める。
広い。
他の物なんて何もかもがちっぽけだ。
それから多分結構な時間が経って、そして何の前触れもなしに、ドサッと草をの上に座る音が聞こえた。
「……まだ、ガキだもんなぁ」
「…貴方もそんなに変わらないじゃない」
「馬鹿野郎。俺は一億歳だ」
「…面白くないわよ」
子ども扱いされたのは何年振りだろうか。
母上は口癖のように子供だねと言ってくれていたが、あれはどうにも悔しかった事を覚えている。その気持ちがじわじわと数年振りに顔を出してきた。
悔しいものはやっぱり悔しい、でも少しだけ感じた懐かしさは嫌なものじゃない。
とん、とノインはハルユキの肩に頭を預けた。
「私は、強い」
消え入るような声ではあるが、はっきりと声に出した。我ながら嘘くさくて吐き気がする。
何を期待して口走ったのかは自分でも定かではないが、その言葉は心の何処にも触れずに通り過ぎて、薄く薄く消え去った。
頭上で葉と葉が擦れる音がうるさい。
しかし実は心臓の音も負けずにうるさかったりもする。先ほど結婚がどうのこうの思っていたせいでやけに頬が熱い。
「話ぐらい聞いてやるぞ?」
遠慮も工夫も欠片も見えないことを言ってくるハルユキを一旦無視する。
妙な火照りを抜く為にも、思考を元の筋道に引き戻した。
弱いとは何かなんて知らないし、強いという事もわからない。更に言えば強い者こそそうは知らない。
だけど、弱い人間なら私は確かに知っている事を思い出した。
幸い聞いてくれる人間も横にいるらしい。
ぽつりぽつり、と勝手に口が動いて語りだした。
少しだけ昔話でもするとしよう。
†
「どうしてお父さんは王様なの?」
それは誰よりも強いからだ。
「どうしてお父さんはそんなに強いの?」
それは強くなければならなかったからだ。
「どうして強くならなければいけなかったの?」
敵がいるからだ。
「どうして敵がいるの?」
戦うためだ。
「どうして戦うの?」
誰よりも強くあるためだ。
「どうして」
「どうしてお父さんはそんなに弱いの?」
†
荒れ果てた街道を痩せ細った馬が荷台を引いていく。
その荷台には大量の荷が載っているにもかかわらず、進行方向は城が鎮座する町の中心部とは逆。
それどころか今は丑三つ時。
人っ子一人見当たらない。
「また亡命者か…」
「増えたな、これで何人目だ?」
「いやまだそんなに多くは無いさ。先代の王にまだ期待している奴らがまだ大勢いる。居心地が良すぎたこの町を忘れられないのさ」
「……それは希望か」
「さぁな、呪縛かもしれん」
その時何処からかザン、ザン、と土を踏む音が近付いてきた。
「飽きもせずに行軍か、しかもこんな夜中まで。攻める国も無いのにな」
言いながら男は傍にあった荷物を抱えあげる。
「俺もしばらくはこの町、いやこの国に行商には来ないつもりだ」
「仕方ないさ。……またな」
「ああ」
行軍する兵士が巻き起こす土煙に隠れるように、また一人この町から人が消えた。
†
父上、国民が高くなった税に笑顔を見せてくれなくなりました。
父上、町に下りた時見える明かりが随分と減りました。
父上、先日父上が反逆の疑いで殺した兵の家族が母上を犯して殺しました。
父上、また徴兵を敷いたのですか。
父上、国庫が無くなり、代々続いてきた誕国祭が中止になりました。
父上、爺が牢から逃げ出しました。
父上、私も十になりました。
父上、貴方が爺から王権を奪って一年経ちました。
父上、国が、人が、死んでいきます。
父上。
貴方は。
──どうやら要らない人間のようだ。
†
「ノイン様ッ!! ……ッ!」
滴る。
真っ赤な血が頬から腕から剣の切っ先から。
「…王は正体不明の暗殺者に殺された。大臣たちを集めて」
「ノイン様ッ!」
「こうなった以上私が国を動かすわ。異論は許さない」
「ノイ、ンッ…!」
「ガララドまだ傷が治っていないでしょう? 寝ていなさい」
「お前が、付けたんだろうが…ッ!」
「悪かったわ」
「そういう事を言ってるんじゃない!!」
「しょうがないじゃない。私が一番強いんだから」
紅い剣が横に振られ、玉座に血が降りかかる。
「大臣たちを。この国を立て直す」
ただの肉の塊となった男に炎と化した魔力を叩きつけて、葬った。
†
「軍資金を縮小。これまでの三割でいい」
「そ、それは…! 余りにも…!」
「先ずは国力の底上げが先。どうせ戦争なんて起こらないわ」
「そのような物言いは平和に慣れた者の…!」
「"平和に慣れた"? 今の町を見下ろしてもそう言えるの? 平和だったのは我々だけ。一年戦争だけは起こさぬように他国に諂えばいいだけよ」
僅か十の少女が軍議に集まった文官、武官を見渡す。
「一年で逃げた農民を取り戻し、絶ってしまった商交を取り戻し、国民に生気を取り戻す」
「そんな、無茶苦茶な…」
「元々無理を強いたのは我々だ。相応の無理を今度は我々が行う番だ」
「御恐れながら」
壁に寄りかかるように、佇んでいた兵士隊長が静かに口を開いた。
「王女はまだ国政というものを理解していただけていないのではないかと。そのような事は不可能。絵空事というのです。ここは子供が夢を語る場ではないのですよ」
ざわついていた大人たちの群れの中から、兵士隊長の言葉に賛同する声が瞬く間に大きくなっていく。
勝ち誇ったように兵士長が笑みを浮かべ、同時に声が響いた。
「成程。では貴様等の中で誰でもいい。この私より優れている事を示して見せよ。己の一番得意とする事で構わん」
その言葉に篭っていたのは自信と威厳だけではなく、確かな実績もその重みとして乗っかっていた。
すでに幾度と無く闘技大会で覇を示し、政に口を出してそれがそのまま法になった事も一つや二つではない。
騒がしかった室内の中に大して大きくもない声が不思議な迫力を帯びて轟いていく。
一瞬遅れて波紋のように静寂が広がった。
その不思議な威圧からか、それとも予てから有名だった神童と云われる少女に恐れをなしているのか。
たかだか十の娘の言葉に、我こそがと手を挙げる者はいなかった。
一度、ぐるっと場を見渡して王女は静かに腰を下ろす。
「なに。何も責任を負わないつもりはない。もし一年で良い様に結果が出来なければ、
──この首を刎ねて畜生に喰わせればいい」
誰かが、息を呑んだ。
「一旦議を終える、が最後に」
誰かが口を開くのを待つこともなくただ一方的に王女が言葉を叩きつける。
「絵空事といったな。しかし実際のところ、今まで出来た者がいないという事を言いたいだけだろう?」
どのような事にも反論はある、不満も不安もある。
しかしただ純粋な威厳がそれらを押し流す。
「──貴様等は前例があることにしか可能性を、夢を感じないのか?」
年の頃十の女の子供。
およそ社会において最も弱者と労わられるはずの少女は、場を圧倒して、その小さい肩には大きすぎる豪奢な外套を纏って。
烏合の衆に背を向けた。
一年が経って、王女は王足るべく者としてこの国に変わらず顕在していた。
†
「それから、次の年には浮いた金で誕国祭の復活させて更に国を潤して。国にも人にも力が戻って。私の力について来てくれる人も増えたわ」
そこまで話し終えて、静かにノインは息をついた。
未だに体重はハルユキに預けたまま、ただパチパチと木を爆ぜている炎を見つめてハルユキの言葉を待つ。
火の音以外には風が木を撫でて葉が揺れる音しか聞こえない。改めて二人きりだという事を意識しそうになる。話して少しだけ軽くなった心に、また妙な重圧が圧し掛かっていた。
そんな心情を他所に、ゆっくりとハルユキが口を開いた。
「……説教なんて柄じゃないから思ったことを言っていいか?」
無言でその問いに答える。
よし、とハルユキは小さく呟くと再び口を噤んで、しかし今度は間もなく口を開いた。
「お前、馬ッ鹿だなあ…」
ビシッと額の血管が浮き上がるのが自分でも分かった。衝動に逆らうことなく目の前にあった脇腹を殴り付ける。
くぐもった声を上げるハルユキを憎々しげに睨み上げた。
衝動的に罵倒を繰り出そうとする野蛮な口が、見上げた先にあったハルユキの顔を見て、動きを止めた。
「──俺はな、力っていうのは必ずしも強さに繋がるもんじゃないんだと思う」
静かに、噛みしめるようにハルユキが続ける。
見上げた顔は何処かここからでは望めないほどの遠くの地を見ているかのようだ。
「誰よりも戦う力が強いとしても、それは敵が居ないと発揮できない。所詮敵に依存した力でしかない」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「曖昧なんだ力なんて。そんな物に支えられるほど人間は軽くないよ」
そこまで言うと、ハルユキはガシガシと乱暴にノインの頭を撫でた。
「今お前は、力に溺れてる様に見える」
「……溺、れてる?」
「力がないと不安なんだろ? お前が誅した親父と同じだ」
「…ッ」
あの男は溺れていた。力を求めて力に溺れて、敵を欲していた。目の前の事に目も向けられないほど。自分の力、地位、そんなものにしか自分の価値を見出せていなかったから。
見て、いられなかったのだ。
民の為でももちろんあった。でもそれと同じくらいにもう見ていたくなかったのだ。父の愚かな姿を。だから、殺した。
自分も今、そう映っているのか。
どうも間違いなく血は繋がってしまっているらしい。
「お前が弱さを見つけたんなら、それは悪い事じゃないと思う」
言いたい事を言って、聞いてもらって、大分余裕が出来た頭の中にハルの言葉が染み渡っていく。
「強がって撥ね付けなくていい。幸い、お前は一人じゃないだろ」
一人じゃない…?
確かに一緒にいてくれる人間はいる。しかしそれは私の力に惹かれて、憧れてくれた人達だ。
弱い自分など価値がない。
「人間はどうしても常に強くはいられない。お前も俺も皆が皆だ。だから、弱くなってもいい所を見つけるべきだ」
「…そんな場所なんて…」
「……でもまぁ、まだまだガキだからなぁ」
グッと強く頭を抱き寄せられた。
特別な感情がないことは伝わってくる。と言うよりこいつは私が女だと思っていないんじゃないかと思う。
「仕方ないから、お前が弱い時にはお前の分まで俺が強くいてやるよ。お前がそういう場所を見つけるまでな」
少し離れた所から炎の熱がほんの少し伝わってきて、顔を埋めている胸が温かくて、そして何より一番自分の体が熱かった。
一番近い所にあった服を掴んで更に体を寄せる。
そして何となく思う。
こんな話を聞いた所で強さなんて分からないけど、この男は私の知らない強さを持っているようだと。だからこんなに安心するんだと。
だから。
「──うん」
だから少しだけ、この温もりに甘えてしまおう。
それから再び眠りにつくまでどれぐらいの時間が経ったかは覚えていないが、朝起きても距離はこのままで、寒さも不安も感じなかった事は覚えている。
◆ ◆ ◆
「あ゛~~、着いたぁあ!!」
地平線の先にようやくその姿を見せた町を見てハルユキが歓喜の声を出す。
背中に乗ったノインも肩越しにそれを確認して地面に下りた。
「……張り裂けるような足の痛みは何処に?」
「故郷を見れば痛くなくなるなんて不思議。偉大ね故郷って」
「……いいんだけどね、別に」
棒読みのノインに、ぶつくさ言いながらハルユキは町の方に歩き出した。ノインも離れないようにその後に続き、その後にはギィも翼を畳んで大人しく四足でついて来る。
検証の結果、子龍は雄だったようで、名前をつけることにしたのだ。
「ギィ、町の中ではとりあえずは飛んでは駄目よ。パニックになっちゃうから」
果たして理解したのかしてないのか、嬉しそうに喉を鳴らしながらノインに体を擦り付ける姿からは全く察することは出来ない。
しかし、今のところは大人しいしなるようになるだろうと適当に当てをつけた。
それに今のギィを見ても恐ろしいというよりも、美しいという感覚に陥るだろう。
強くなってきた日差しを受けて光沢を示す銀色の鱗に白い羽毛のように柔らかい毛。古龍の子だからか何となく知性を感じさせる視線は間違いなく普通の飛竜の子とは一線を画している。
そんな事を考えていると、ギィがノインの前に立ち塞がって鼻先で自分の背中を指した。
「……乗れって言ってるの?」
ギィは喉を鳴らしてそれに答える。肯定ととっても構わないだろうとノインは恐る恐るながらもギィの背中にまたがった。
ノインが乗ったのを確認した瞬間、一瞬で空に舞い上がった。
ギィは竜と言ってもまだ小さく、大男になら抱えられそうな程の大きさだ。それでも人一人を乗せて軽々と空を昇っていく。
暑くなってきた気温に例の軟膏を使用しようとしていた所だったが、頬を撫で髪を靡かせる風が涼を贈ってくれた。
「おお、すげぇ力だな」
十メートル程下の地面では、こちらに気付いたハルユキが何か話している。
「もう一人、乗せれるかしら?」
自然と試すような口調になってしまったが、ギィは上等だと言わんばかりに雄雄しく号を発する。
空中で流れるように旋回した後、ハルユキに接近し。
そのまま口に咥えた。
「……こいつ、躾けていいか?」
「どうして? 褒める所でしょ?」
「…おい、トカゲ、悪い事は言わんからこの女色には染まるな」
「ギィ、落としていいわよ」
「ちょ、おい…! ……あーあ」
やれやれと意外に余裕たっぷりの声でハルユキが落下して行った。
気付けばもう直ぐそこまで町が迫ってきている。このまま飛んで行ったら大騒ぎになるかもしれない。ノインも打ち落とされるのは遠慮したい所なのでギィに地面に下りる様に指示を出した。
「よいしょ…っと」
降りやすく下げられた体から一息に飛び降りた。
周りは馬小屋。そこにいた少数の人間が下りてきた竜の姿を見て、息を呑んだり、尻餅をついたり様々な反応で驚いている。
「おいおい、大丈夫か…」
「大丈夫でしょ、多分」
その証拠に一旦驚きはしたものの、町人達はギィに害はないと判断したのか、近付こうとはしないながらも自分の仕事に戻り始めている。
さて、それではギルドに向かおうかとしたところで。
甲高い笛の音が響いた。
「王女を発見! シキノ・ハルユキも一緒です」
その笛の音を追うと一人の男が壁に隠れるように立っていて、手に握り締めた交信魔球にありったけの声をぶつけている。
その姿はここからでも十分に確認でき、間違いなくこの国の兵士だ。
こちらを警戒したまま小さく魔球に言葉を送っている。更に笛の音を聞きつけたのか、辺りに他の兵士たちも集まり始めた。
「……口添え頼むぞ」
「ふふふふふ」
「…え? ぇえ!? しろよ?! 口添え!」
言っている間に続々と兵士が周りを取り囲み始め、やがて知っている顔が兵の垣根をかき分け、前に進み出た。
そいつは、何時もの倍くらいの真剣みが混じる近衛兵長のミスラ。一直線にこちらに歩いてくる。
「あ、そう言えば仕事の途中で抜け出したんだった」
「……おい」
それなら益々ハルユキ王女誘拐説が濃くなっていることだろう。
それを色濃く表すかのように、ミスラの顔は感情が篭り過ぎて無表情になってしまっている。
ミスラは、つかつかと無言で二人に歩み寄り。
近付きざまノインの頬を強かに張った。
パァン、と乾いた音が街の入り口に響いた。
「え……」
ノインが突然のことに呆然としている所にドズン、と重々しい音。
「ガララ、ド…」
何処からか跳んできたのはガララド。
ミスラと同じような表情で近付きながら篭手を外し、ゴツンとノインの頭に拳骨を落とした。
「ッ…!」
「飛竜の討伐に行っていたらしいですね」
本当に滅多に見ることの出来ない、目を白黒させたノインを構いもせず、冷淡にそう言った。
普段は騒がしいはずの街がこれ以上ない程静まりかえっていく様に感じる。
「飛竜討伐。ランクはOVER.S。国が軍を動かしてもおかしくないものです、それはお分かりでしたね」
「………実際に私とその男で力不足ではなかった。むしろ十分すぎたわ。間違った判断ではないはずよ」
頭を押さえていた手を離して、挑戦的に少しだけ背が高いミスラを挑戦的に睨み上げた。
「それに国にも委託されていた依頼だったから、私が請け負ったのもあながち的外れじゃないわ。あの内容じゃ私か、近衛隊編成の3個中隊ぐらいじゃないと…」
どのような反論にも答えてやろうと、強情な表情をノインは顔に浮かべる。
確かに正しい行動だったし、ちゃんとそのつもりで行動した。王家として正しい対応をしただけの事だと。
そして。
数秒間無表情でノインの眼を見つめていたミスラの表情が、ほんの少しだけ崩れた。
「──どうして」
それはほんの少しだけ泣きそうに眉を寄せたけ。
しかしノインの理屈に適っていて力が篭っている声に対して、搾り出したかのような掠れた声がその表情と相乗するかのように重みを増す。
「どうして、貴女はいつもそうなんですか…!!」
悔しそうに呟く声は、ギリギリでノインの耳に届くような声だったが、それでもノインが言葉を失うには十分だった。
「存じております…! 誰かが犠牲になるかもしれない大多数の部隊よりも、ハルユキ殿がこの街にいる内にけしかけて極少数精鋭で討伐を行った方が確実だから無理をしてでも行ったのでしょう? 分かりますよそれぐらい!」
ノインに発言することを許さないとでも言うかのように、徐々に強くなっていく言葉をたたみ掛ける。
「私は貴女の近衛隊長ですよ…? どうして頼ってくれないんですか! 貴女が一人で辛いことをする度に! 私がどれだけ心配なのか、貴女なら分かるでしょう!?」
「心配…?」
「貴女が私たちのことを心配してくれるぐらいには、私たちも貴女が心配なんですよ!」
「でも…」
「そんなに私共は頼りないですか…? 今回のことだって一言言ってくれれば私とガララドぐらいはお供することが出来ました! …それなのに」
益々勢いを増していくミスラに、ノインは完全に沈黙してしまった。沈痛で必死な面持ちのミスラに比べて、ノインの顔は完全に困惑一色に染まってしまっている。
「どうして、全部一人で背負おうとするのですか…!!」
「…違う、それは…」
「違いません! 先代の王の事も今回の事も! 何時も、そうではありませんか!」
「ミスラ」
天井知らずに勘定を昂ぶらせていくミスラを、ガララドがやんわりと制止した。
「──ノイン、お前はまだ子供なんだよ」
ミスラが落ち着いたのを確認すると、ノインに振り返って穏やかに言葉を受け継いだ。
「…でも、私はッ!」
「少しは俺等を頼ってくれよ。国を支えていきたい思いがあるなら、お前を支えてやりたい奴の気持ちも解ってやってくれ。後の奴らも城の奴らも。みんなそうなんだ」
「──ッ」
な? とそこでようやく、くしゃッとした笑顔を見せると、まるで父親か何かのように優しくノインの頭に手を乗せた。
ノインの肩が少しだけ震えて、そのまま俯いた。
そして何を思ったのか、ハルユキの後ろに回り込むと、顔を背中に押し付けた。
「……じっとしてなさい。振り向いたら殺すわよ」
「…鼻水つけんなよ」
ごすっとハルユキの背中に拳が突き刺さる。
「皆待ってるぞ」
「……ちょっと、待って」
そう言いはするものの、背中の服を握り締めた手から力は抜けていかない。いつまで経っても動かないノインにハルユキが溜め息と共に口を開いた。
「なあ、もう強がんなよ」
ビクンと背中でノインの体が震えて、万力ばりにきつく握り締められた服に更に力が加わっていく。
十歳からの六年間。強くなろう強くなろう、誰よりも強く在ろうとした意気はそう簡単に抜けはしない。
「弱いお前を見たところでこいつ等はお前と一緒にいていくれる」
「……うるさい」
後ろから聞こえた声は湿って震えている。
先程まで高慢だった態度も声もそこにはなく、後ろにいるのは別人ではないかと思うほど。
「最初は似てないって思ったんだけどな…」
小さく、どこか面白そうにそう零した。
「ッ……?」
先ほどの言葉は独り言だったらしく、直ぐにその表情の余韻を消して口を開いた。
「悪い事したらごめんなさい、嬉しかったらありがとう。人生の基本だ」
「…うるさい、偉そうに語るな」
顔が熱い。瞼も頬も頭の中も。この状況でそんな事いわれても分かるわけがない。
「………しょうがねぇなぁ」
溜め息混じりにそんな声が聞こえた。
ノインがえ、と声を漏らしたのはその声が余りに殺気に濡れていたから。強く握り締めていたはずの両手はいつのまにか離れ、凄い力で体をハルユキの前に持っていかれた。
「はい、全員動くな」
同時に首筋に当てられたのは冷たい刃の感触。ハルユキの手には何処からか精製した一振りのナイフが握られていた。
「……何をしているのですか、ハルユキ殿」
「いや、慌てさせようかと思って」
「…何をしようとしているのかは知りませんが、悪ふざけは止めて下さい」
確かにある程度離れた兵士達はざわつき始めていて、殺気立つ者も見られるが、ミスラとガララドを始め何人かの兵士は呆れながら溜め息をついている。
「そんな冗談をやっても我々は慌てませんよ…?」
「いやいや、慌てるさ」
極めてにこやかにそう言うと、手に持ったナイフをノインの胸に振り下ろした。
ドス、と鈍い音がしてナイフの刀身が胸の真ん中に埋まる。次の瞬間ナイフはノインの胸を離れ、夥しい量の鮮血が街の床石に飛び散った。
「──え?」
気の抜けたような声は、誰の声だったか。それは恐らく何人もの声が重なり合ったものだと思う。
カクン、と糸が切れた人形のようにノインの体がハルユキの腕の中で崩れ落ちた。
一瞬の、嫌になるほどの沈黙。
「え、あ……」
膝から崩れ落ちそうになっているミスラの口から、感情だけで意味を持たない言葉が零れる。
「やり過ぎたな。こりゃ死んだか」
「──き、貴様…、貴様ァッ!!!」
なんでもない風に言うハルユキの手に握られたナイフにはべっとりと赤い液体がこびり付いていて、ノインはピクリとも動かない。
ぶらん、と力がない手が空に揺れる。
「よ、くも…! よくもよくもよくもぉッ!!」
怒号と共に迫ってくる刃を避け、バックステップ。
歯を怒りで噛み締めながら怖いほどの沈黙で、怒号の変わりに鬼のような表情で振り下ろされた篭手の一撃を百メートルほど一気に跳び下がって避ける。
篭手の着弾地点は、粉々に粉砕していた。
「ギィ、乗せろ」
暴れていない事で現状を察していると判断して、いつの間にかそこに居たギィに意思を伝える。ギィは低く唸って、素直に背中を差し出した。
百メートルの距離を数秒で接近してくる二人とその後ろから同じように怒りに染まって迫ってくる兵士達を嘲笑うかのように空中に躍り出る。
王女を人質に取っているこの状態で空中というのはもう殆ど絶対安全地帯となっていた。
それを確認して、ハルユキはぐったりしているノインに向き直った。
◆ ◆ ◆
「おい、起きろ」
肩を揺らされ、聞き覚えのある声に誘われて目を開ける。
そこが空中だったことには驚いたが、後からハルユキが支えてくれていたのでバランスを崩すことはなかった。
「……あれ、私、刺されて…」
腹に手を当てると、確かに赤い血がべっとりとこびり付いているが、傷らしい傷は何処にも見当たらない。
不思議そうな顔をハルユキに向けると、ハルユキは小さく笑いながら手に持ったナイフを自分の手に垂直に押し付けた。
小さく、へこっと馬鹿にしたような音がして刃が柄に沈み、刃からほんの僅かに残った血糊のような物がピュッと飛び出した。
馬鹿じゃないのかこの男は。
「まぁこんな玩具はどうでもいいとしてだ。見てみろ」
嫌に面白そうな目につられて、視界を下に落とす。そこでは集まりに集まった兵士達が右往左往していた。
「…あらあら」
思わず呆れたような声が出たのは仕方がない。
下では何とかこちらの高さに対抗しようと様々なやり方で兵士達が自滅していた。慣れない飛行法を編み出して、明後日の方向に飛んで行った者もいる。
「まぁ、今お前はほぼ瀕死だと思われてるからな。ああなるだろうな」
少し心配になってきたところに、ハルユキが後で口を開いた。
「今お前は超弱者、何しろ瀕死だからな。でも躍起になって助けようとしてくれてる。お前の力が好きな様な奴等はあんな馬鹿なことしない」
むしろあの中の誰よりもぴんぴんしているのだが、それはあちらには分かりようもない。
皆馬鹿みたいに必死な顔をして、恐ろしい声を上げて。
「なぁ、そろそろ気付けよ。お前を見てくれる奴なんて探すまでも無いんだよ」
「……生意気よ。馬鹿のくせに」
この期に及んでそんなことを言って貰わなくても、あれだけお膳立てされていれば、馬鹿じゃないんだから。
ああ分かっているとも。
私はどうやら、幸せ者だったらしい。
「弱いなら弱くていいんだ。でもそれを受け止めるのは、力は伴わないがやっぱり強さだと思うぜ?」
軽くなった心の中に偉そうな言葉が染み渡っていく。
「……そう、かな」
「そうだよ」
何の疑いもなく確信に満ちたその声はやっぱり力強かった。
「ま、結論は、だ」
グリッと力強く後から頭を撫でられた。
「お前頑張りすぎ。もっと力抜け」
「…適当ね」
「いいんだよ、それぐらいで」
ポン、と軽く頭を叩いて体を離すと、ギィから身を乗り出して殺気だった兵士達が蠢く地上を見下ろした。
「さて、こっからどうすればいいかな…?」
「お縄につきなさい」
「これ下りたら斬り殺されないか? 俺」
「悪いことしたらごめんなさい、でしょ?」
そんな玩具まで使って、悪ふざけをするからだ。
まぁでもそれは私のためにやってくれた事だけど。
困りきっている顔を楽しみながら、頑張ってくれているギィの鬣を優しく撫でた。
「ギィ…!?」
その表情を見てやばいと思ったときにはもう遅かった。
どうやら長時間二人を乗せているのは流石にまだ厳しかったらしく、ギィが小さく呻き声を上げバランスを崩した。
「あ…」
グルン、と世界が回って体が無重力の中に放り出される。
落ちていると気付いた時には地面まであと十五メートル。拙い、と炎を展開させるが、体が安定しないため、上手く停止が出来ない。
ぶれる視界にこちらに手を伸ばすミスラとガララドが見える。しかし変に炎を展開したためか、落下地点がずれ、とてもじゃないが追いつけないだろう。
あっという間に、あと地面まで2メートル。
「ノイン!!」
聞こえたのは、言い慣れていない名前を呼ぶ声。
ああ、そう言えば。
あいつが私の名前を呼ぶのはこれが初めてだなあ、などと気の抜けた事が頭に過ぎった。続いて何かが爆発したような音が聞こえた。
地面が迫って迫って迫って、地面からほんの一メートルないというほどの所で、体が何かに捕らえられた。視界が何かに覆われ、次の瞬間にはどんと強い衝撃。
その後も何度か衝撃が続いた後に動きが止まり。
そこでようやく自分がハルユキの腕の中にいることに気付いた。
「ハル…?」
地面を何度もバウンドしながらようやく勢いが死んだ所で、体の下のハルユキにノインが話しかけた。
しかし、目を瞑ったままピクリとも動かない。
「お、起きなさい…!」
あの爆発した音は何だったのか分からないが、恐らく加速をした時の音。先に落ちた自分を追い抜くほどのスピードで地面に激突したのだ。
見れば、初めに衝突した所の石畳が粉々に粉砕されていた。
普通の人間ならぐしゃぐしゃになっている。
それを証明するかのように、ドロッと、ハルユキの頭の下から赤い液体が流れてきた。
「あ、貴方が死ぬわけないでしょう…? ねぇ早く、起きなさいよ…!」
助かる訳がない。ほんの僅かに残った冷静な部分が助かる訳がないと心に囁いてくる。
「起きなさいよ…っ!」
「……頭痛いんだから、耳元で喚くな…」
うっすらと目を開けたハルユキが、安心させるように私の頭を撫でる。
ノインは安心しすぎたのか体の力までもが抜けてしまって、意図せずハルユキの体の上に崩れ落ちた。
「痛いんだが…」
「うるさい。こっちは寿命が縮んだわ」
そう言いながらもノインは体を起こさない。心臓が間違いなく動いているのが頬から伝わってくる。温かい体温が生きていることを教えてくれる。
「ねぇ」
別にこのタイミングに意味があるわけじゃなく、ただ、今言いたかった。
ん? と怖々とした表情の間々こちらに向き直ったのを確認して、
「ありがと」
色々と自分なりに気持ちを込めてその言葉を送った。
「…ん、お、おお」
言われ慣れていないのか、いやと言うより私が言った事が予想に反したのか、照れ臭そうに頬をかきながら私から目を逸らした。
全く子供なのか大人なのか分からない人だ。
「あっちの奴らに言ってやれよ。喜ぶぞ」
「言うわよ。でも今は貴方に言うべきでしょう?」
「……あっそ」
素っ気無く答えて逸らす顔が、たかがこんな事にこそばゆそうな顔で、その顔をもっと、私の事でもっと照れさせてやろう、と。
そう思ってしまったのがきっと駄目だったのだ。
「──ねぇ、…私が、あなたのことを好きだって言ったら、どうする?」
口走ってしまってから正気に戻り、慌てて口を噤むが当然間に合うわけもなく。
大人しく腹を決めて返ってくる言葉を待った、…それなのに。
「この状況でそんなことを言う裏を考えざるを得ない。そしてとりあえず印鑑隠す」
冗談だと受け取られたらしく、苦笑しながらそう言い返してきた。これまでの関係を考えれば何も間違ってはいない。
しかし今はそれが、心をささくれ立たせる。非常に我侭なことだと思うが。
ささくれの影響を受けて、多分生来のものだと思われる負けず嫌いと悪戯心が、むくむくと膨らんでいくのが自分でわかった。
ハルユキの頬に手を添えて、やんわりと此方を向かせた。
頬についた血が手を濡らす。
近付くハルユキの目の中に私の目が映っていて、ハルユキがしっかりと私を見ていてくれている事を確認して。
そのまま唇を重ねた。
「……っん…」
数秒唇を合わせた後、ゆっくりと離して、
「──貴方のことを、お慕いしております」
しっかりと、目を逸らさずにそう言った。
ここまで懇切丁寧に言って伝わらなければ殺してやろうとも思ったが、どうやら流石に伝わったらしい。ハルユキの顔が馬鹿みたいに驚いていたのが面白かった。
「これで、どうかしら…?」
「お、おま、え? あ、…え?」
「…そ、そんなに照れないでよ」
「あ、ああ、すまん」
自分でやった事だが、ハルユキが固まって何だか気恥ずかしさを見せ始めたのがどうにも拙かった。
この男が慌てふためいているのは、自分のした事がとんでもなく恥ずかしい事のような気にさせる。しょうがないので、以前のように思い切りハルユキを睨み付けてお茶を濁した。
「…じゃあね、あれよ。結局依頼の飛竜じゃなかったから十六戦目は実質引き分けよね?」
「あ、ああ」
「でも私は貴方の言うことを聞いて、洞窟に入ったわよね?」
「そうだ、な…?」
ハルユキが戸惑っている間にどんどんと話を進めていった。そうしないと恥ずかしくて死にそうだった。
「だから私の言うことも一つだけ聞くべきだと思わない?」
最早ハルユキの返事を待たずに言葉を繋げていく。
「だからね」
だから…? だから、だから? だから。
別に好きだからといってこれまでと何も変わらないし、私は王女としてこの町にいなければならないし。
これ以上、何も言うことはない。見切り発車で口を開いていたことをいまさら自覚する。
しかし、結果として私は、一瞬間を空けただけでとんでもない事を口走っていた。
「だから貴方、私の夫になりなさい」
ハルユキの顔も戸惑いで一色だったが、私の顔も多分真っ赤に染まっていた。
「ノ、ノイン様……?」
そして一部始終を見ていたミスラを始めとした城の人間達の存在に気が付いた。
それから三日ほど、王女の私を遠まわしにからかい続けたのはまた別の話。
周りには兵士達。下にはハルユキがいて、割と正気に戻った私の精神ではその辺りに視線を送ることは出来なくて、そうしたらもう目を瞑るか、空を見上げるしかなかった。
見上げた空では楽しい夏が始まるとでも言いたいのか、入道雲がむくむくとふくらんでいた。
因みにハルユキはその後流石にお咎め無しにはならず、反省を促すために丸一日牢に入れられていたそうだ。




