死闘
「あ…………」
轟々と燃え上がる地面を見て、フェンは呆然としていた。
あの人は強かった。たとえ城の剣士10人を相手にしても負けないだろう。
ワーウルフの群れを撃退したことを考えればそれは明白だった。
だがドラゴンは格が違う。一瞬で種族の壁の前にあの人は死んでしまった。そんな事は分かっていたのに、止める事も出来ずに。
死んでしまった。
きっと肌を一瞬で沸騰させて。肉も骨も一瞬で焼き尽くされて。
「わ、たし……?」
最後の炎を食らう少し前、あの人はフェンのことを心配していた。
フェンのために熾してくれたであろう火のそばにいたあの人の前髪は少し焦げていた。
もし、フェンががここにいなかったら隙などできず、あの炎をくらうこともなかったかもしれない。
フェンのために火を熾さなかったら、ドラゴンは私たちに気づかなかったかもしれない。
フェンがちゃんと動けていたら、ここに移動することもなく、そしたらドラゴンにも出会わなかった。
(私の、せい……?)
彼女は人一倍人の死に敏感だった。
いや、恐れていたと言ってもいい。ユキネの使用人達が部屋から居なくなる度に、体調を崩していた。
命が助かった時は安堵で、泣きそうになった。
触れた背中はとても温かかった。
そんな事ばかりが、責め立てる様に彼女の脳裏によみがえる。
(私が足掻いてしまったせい、で……)
ドラゴンはまだ勝利の咆哮をあげている。
真っ赤な血の色を森中に見せつけるかのように、丘の上を飛び回っている。
周りの森から、ドラゴンをたたえるかのように、様々な動物や、魔物の声が聞こえてくる。それに聞き惚れ、さらにそれに応えるように咆吼を飛ばす姿はまさに王、にしか見えなかった。
──シャミラ。この森の王として5000年以上君臨し続けているという古龍。
近隣の町を荒らすことこそ無いが、この森に立ち入ることを極端に難しくしているので、何度も討伐隊が組まれたものの、すべて全滅。
その身体には今まで啜ってきた血と肉の色が染みついている。
いつしか、この森に立ち入る者はいなくなったという、伝説の龍だ。
と言っても、森に入れば必ず見つかるわけでもない。見つかったのは運が悪かったとしか言いようがない。
今隠れたら生き残れるのかもしれないが、ユキネを守れず、あの人も死なせてしまい、もう自分だけが生き残ることには耐えられそうになかった。
罪悪感に絡め取られているフェンにドラゴンが思い出したかのように捕食者の眼を向けた。先程までの歓喜の咆吼とは違う、気合いと殺意のこもった咆吼に森全体が震える。
ものすごい恐怖と威圧感がフェンに襲いかかる。それはワーウルフのそれとは比べものにならないものだった。
今からフェンはほぼ確実に死ぬ。
だがそれでも、もうフェンには死への抵抗は薄くなっていて、迫ってくるドラゴンの牙をフェンは他人事のように見つめていた。
だが次の瞬間、ドラゴンはその巨体を地面にこすりつけながら吹き飛び、頭にはつい最近感じたものと同じ感触。
「大丈夫か?」
2回目の台詞、2回目の感触、既に知っている手のひらの温度。焦げた前髪、煤けた頬。
それでもそれは、前と変わらないか、それ以上の安堵を届けてくれた。
◆
風を追い越し、空気を切り裂きながら、フェンの元まで走り抜ける。
フェンより先にドラゴンにたどり着いたみたいで、ほんの数歩で手の届くところまでドラゴンに迫ってる。が、まだドラゴンは気づいていない。
だから走ってきた勢いのまま──。
「………吹っ飛べ、ヘビ野郎!!」
迷わず右拳を横っ面に叩きつけた。ドラゴンの横顔が歪み、拳を振り切った後に、一瞬遅れて、炸裂音が響き渡る。
ドラゴンが錐もみしながら、地面に身体をこすりつけ森まで吹っ飛んでいく。
「おお、すげえ……」
拳がブレーキ代わりになったのかフェンのすぐそばで勢いはなくなっていた。
ぼけっとしているフェンの頭をはたいて、声を掛ける。
「大丈夫か?」
「……大、丈夫」
「なんちゅう顔してんだ」
怖かったのだろう。まだ呆然としていて表情に色んな感情がわかり辛く混じっていて……なんとなくその顔が気に障った。
「よし」
「え……?」
「待ってろ。 悪いドラゴンは俺が退治してやる」
まあ、これはあのヘビにぶつけてやろう。
言うが早いかドラゴンに先程と同等のスピードで突っ込む。
このスピードならばドラゴンには捉えられないはずだ。
──が、体勢を崩したままのドラゴンにあと2~3メートルまで近づいたとき死角からドラゴンの尻尾がうなりを上げて襲ってきた。
「ちぃっ……!」
何とか上体を反らしてそれを避ける。
しかし、尻尾の次は爪また尻尾と次々とハルユキを襲ってくる。それを紙一重でかわしながらバク転で距離をとる。
(誘い込まれたか……)
スピードについてこれないと思っていたが1度目は火炎で視界が狭まり、2度目は意識の外だったから気づかなかっただけらしい。
そうでなければ、誘い込むなどという真似はできないだろう。
ならば両者ともうかつに飛び込むことはできない。
自ずとじりじりと牽制しあう。
すると、虚をついてドラゴンが翼を広げた。飛ぶ気だ。
(やばい……ッ!!)
空に飛ばれてしまえば、一方的に炎で攻撃されることになる。
ドラゴンを地面に縫いつけるために、再び突っ込む。その神速ともいえるスピードにしっかりと反応したドラゴンは、翼を素早くたたみ応戦してくる。
爪を振り上げ、同時に尻尾を叩きつけてくる。
そのスピードもまた神速。
しかし、強化されたハルユキの動体視力は、一度見たこともあってか、それをしのぎながら、さらに前へ。
地面に刺さり、一瞬だけ動きが止まった腕に足を運び、それを足場に前宙転返り。
そしてその勢いのまま、まずは飛行能力を奪おうと、羽の付け根へと、踵をたたき落とした。
「なにっ……!?」
しかし、驚愕の声を上げたのはハルユキの方。目の前には口の中に炎をため込んだドラゴンの顎。視界の端には、引きずられた足。
(飛ぼうとした振り……だ!?)
あの足では飛び立つことはできないだろう。つまりまた誘い込まれたのだ。
「────ッらああッ!!」
ドラゴンの顔が本当に近くにあったのが幸いで右拳を握りしめ、足場のない状態から、右拳を顎にたたき込んで反動で炎の軌道から外れる。
しかし、完全には防ぎきれなかった。
左腕に、炎が、掠った。それだけだ。たったそれだけで、着火地点が一瞬で肘まで広がり、しかも、その周辺が爆発した。
「ゴァッ……!!」
「あ──ぎッ!!」
両者共にうめき声を上げ、ドラゴンはのけぞり、ハルユキは吹っ飛んだ。
状況確認よりも、とりあえず、ハルユキは距離を取った。あの炎は強化された体でも危険すぎる。
10メートル程離れたところで、左腕の状態を確認する。強化されているおかげか、焼けこげてはいるが、死んではいないようだ。
―――そして再びの均衡状態。
こちらが飛び込もうとすれば、小さな火球を無数に飛ばして、こちらの出だしをくじいてくる。着弾しても爆発しないのを見る限り、先程とは違う種類の炎だろう。
しかし小さいと言っても直径50㎝程だ。あたれば軽くないダメージを負うだろう。
こちらがダメージを与えるには近づかなければならないが、気づかれては先程の二の舞だ。
(もう一度、あいつの意識から出られれば……)
にらみ合うこと数十秒、ドラゴンが動いた。
やったことはただ火球を吐き出しただけだ。
数はあろうが、難なく避けることはできるし、当たっても死ぬことはない。
ハルユキならば、だが。
ドラゴンが吐き出した火球は真っ直ぐに、…フェンに向かっていった。
「ちぃッ……!」
フェンは突然のことに驚いて硬直しているようだ。
急いで走ろうとするが、間に合わない。フェンに目をやるが先程の位置から動いていない。
ただ、その時だ。
だが、口だけがせわしなく動いたかと思うと、決して大きくないが不思議とよく響く声で言い放った。
「――――"氷欠泉"」
瞬間、フェンの前に地面から氷柱が突き出た。俺の身長を優に超える長さをほこるその氷柱はさほど大きくない火球などものともせずに防ぎきる。
「は……?」
それだけにとどまらず、丘のあちこちから氷柱がつきだしていく。
ハルユキの思考がまた吹き飛んだ。驚きで言えばドラゴンが出現した時以来。
だってそれは、科学技術ではありえず。自然現象でもない。
「魔、法……?」
思わず口に出た単語が、あまりに目の前の光景に馴染んでいて、ハルユキは溜まらず笑った。
「……ははっ。すっげぇ……!」
そして、それに注意を奪われたのはハルユキだけではなかった。ドラゴンも至る所から出てくる氷柱に警戒をあらわにしている。
そうハルユキを意識から追い出して。
それに気づいたハルユキはとっさに氷の陰に身を隠した。
(どうする…。見つかっていない今なら気づかれずに接近できる。けど…)
氷柱は未だ新しい場所から突き出で続けている。
このまま突進すれば氷柱が邪魔になるかもしれない。
(……よし、あれだ)
思いつくが早いかハルユキはおもいきり垂直に飛び上がった。
地上20メートル付近で体の上昇が止まる。
「はっ…!」
そしてその場でライターもとい、火炎放射器を精製する。
体内でナノマシンが増殖を繰り返しているのでそれをありったけだ。
総計300個ほどそれを作り上げるとライターの中に走る疑似神経に命令を下し、すべてを一カ所に集める。
総重量は一トンを軽く超えているだろう。これならきっちりと足場になる。
その鉄の塊となったものを、思い切り蹴りつけた。
その脚力に鉄塊はあさっての方向に飛んでいくが、ハルユキは地上での踏切と変わらない速度でドラゴンに接近した。
重力も合わさって、ドラゴンまで40メートル程の距離をゼロコンマ何秒かでつぶす。
「そらっ!!!」
近づきざまブレーキ代わりにと右前蹴りをたたき込んだ。
だが、正面からの接近だったため気づかれはしたのか、今度は足を踏ん張って吹き飛ばない。
それに、ドラゴンの硬い鱗の前には"打撃"では致命傷を与えられない。ドラゴンはダメージにひるみながらも爪を振り下ろしてくる。避けなければ致命傷だ。
だが、
(ここで離れたら勝てるモンもかてないか…!)
ハルユキはあろう事か焼けただれた左腕でそれを受け止めた。踏ん張った足が地面に沈み、左腕が皮膚が裂け肉がえぐれ骨が悲鳴を上げる。
「がッ……!?」
想像以上の圧力と痛みにハルユキの顔が歪む。しかし、受け止めた次の瞬間には、ハルユキはもう既に次の攻撃に移っていた。
右の手のひらを軽く相手に付け、先程のドラゴンの攻撃の圧力も合わせて沈み込んだ足を引き抜きさらに地面に叩きつける。
と 、同時に体を螺旋状にねじり力を右の手のひらに集中させる。
そこでドラゴンは仕留めきれなかったと悟ったのか今度はその牙でハルユキの頭を噛み砕こうとする。
が、それはもう遅すぎた。
―――"裏当て"
瞬間、音もなくドラゴンの体内を、内蔵を、その細胞一つ一つを、バラバラになりそうな"衝撃"が襲った。
一億年研ぎ続けた牙は、容易く敵の命を奪って見せる。