たんぽぽ
ラィブラが影に呑まれた後、遅れて到着したハルユキ達4人に肩を貸されながら宿に戻った。
時間を急流にして動くと、馬鹿みたいに筋肉痛に襲われ丸一日まともに動けないので今日は宿に篭りきりだ。
シアも疲れがドッと襲ってきたのかまだ寝たきりだった。フェンとレイが言うには、今日一日横になっていればすぐ元気になるらしい。
結局、あの後シアは再び話せなくなっていた。
本当の意味でしっかりと眠れていなかったのだろう。しかし今は、同じ部屋でゆっくり休んでくれていると考えれば、少しは体が張った甲斐があるというものだ。
──さて、現実逃避はこれ位にして現状を確認してみようか。
突然だが、ジェミニはいつも仰向けに寝るか、体の左側を下に眠る。
どうしてこんな事を暴露したのかというと、今現在ベッドの上で最も苦手とするうつ伏せになっているからだ。
先に言っておくと、下に美少女がいたりするラッキースケベな展開では決してない。寧ろ危機的な状況と言えるだろう。
何しろ両手両足をやたらと丈夫な鋼鉄の綱で縛られている。
そしてぎりぎりまで曲げた首で見える範囲に、不気味に笑いながら手をワキワキさせながら何かが迫ってきている。
両手両足、拘束筋肉痛により可動不可。
よし、再び現実逃避がてら、どうしてこうなったのか記憶を辿ってみるとしよう。
◆ ◆ ◆
確か何やら作戦会議をするとやらでユキネがジェミニとシアを除いた4人でごそごそやり始めたのが始まりだった。
ジェミニも一応会議に参加する必要があったようだが筋肉痛により首を上げるのも億劫だった為、断りざるを得なかった。
そこまではいい。
それから用を足しに廊下の奥の便所まで鈍痛を訴える体を引きずりながら10分ほどかけて、用を足し部屋の前まで戻ってきて、扉を開けて、目の前が真っ暗になって気付けば縛られてましたとさ。
回想終了。
収穫無し。
見ればシアも二人掛かりで押さえつけられ……てはいないものの、上着を脱ぐように催促されて困っている。
「まぁ、また恒例のお節介だ。付き合ってやろうぜ」
「ワイの目にはハルユキも同じぐらい楽しんでるように見えるんやけど」
「人を見る目を鍛える必要があるな」
この男を相手にしても無為な事この上ないのでシアと若娘2人がくんずほぐれつしているのを眺めることにした。
眼福眼福。
「変態根性は相変わらずだな。あいつ等まだ18にもなってないぞ」
「その事実がワイのこの愛を燃えさせることにまだ気付いてへんのかっ」
「……一億年使ってもその境地には辿りつけなかったよ」
それは残念。
ふと、苦笑いしながらどうしても上着を脱ぎたがらないシアを見つけた。
「あ……」
「大丈夫だ」
ギリッと鉄の綱が悲鳴を上げた瞬間、ハルユキが釘を刺すようにそう言った。
レイは何かに黙々と取り組んでいて、フェンとユキネもふざけている感じで迫ってはいるが、瞳の奥では真剣さが宿っている。
「大丈夫だよ」
「……ああ」
見守ることにした。
その覚悟も視線に気付いたフェンが男二人に一つずつ氷の塊を飛ばすまでの二秒だけだったが。
その上、その直後になんと木の壁が一瞬で空間を分かつというスゴ技で隔離されてしまった。
◆ ◆ ◆
同年代の女の子たちと遊ぶ。
それは檻の中で確かに夢想し、憧れ、出来ればいつの日かと望んでいたことではある。
でもあくまでもそれは想像で。
想像の中の私は今の私ではなかった。
現に私は今それを拒絶してしまっている。
苦笑いしながら手で二人の前進をやんわりと制する。
大丈夫。私はもう大丈夫。昨日我侭を聞いてもらったから。受け止めてもらったから。
でも、もう少しだけ。もう少しだけ夢を見させて欲しい。
我侭ばかりでごめんなさい。
「……あああーーー! もう!!」
びくん、と肩が揺れたのが自分でも分かった。いつの間にか俯いていた顔を上げると、先程までとは全く様子が違う表情のユキネが手を組んで仁王(膝)立ちしていた。
「変態が覗いてるぞ!!」
こんな単純な罠に一瞬でも引っかかったのは多分驚きからで間違いない。
バッと後ろを向くけどそこには当然誰もいない。
そこからは一瞬で、ズボッと上着を脱がされた。
──すっぽんぽん。
「……っ…!」
最初は胸を隠した。まだ自分に女らしさが残っていたことに驚いて、次にユキネとフェンが自分の二の腕に視線を向けていることに気付いた。
──ああ…
もう隠す気にもなれなくて、でも直接目を見る事もできなくて俯いた。
──ギリッ…!
何かを擦り合わせたかのような音がした。
この音は何の音だろう。そう思った瞬間視界の中に金色の髪が飛び込んできた。
なされるがままにベッドにうつ伏せに押さえつけられた。
「レイ! プランAだ!!」
「…はいはい…年長者をこき使いおって…全く」
上半身の和服を脱いで下に卸し、三つ編みに結った髪を後頭部にまとめたレイが、フェンが作った壁の影から出て来た。
押さえ付けられたシアの傍まで寄ると、ジッと×の烙印を観察し始めた。
僅か一秒足らずで観察を終えると、噛んでいろと分厚い布を口に挟まれる。元々話せるわけではないがここまで行動を縛られるのは、やっぱり、少し怖い。
「……少し痛むぞ」
心なしか素っ気無く告げられた言葉。
それを聞いた次の瞬間にはそれの意味するところが分かった。
──激痛。
歯が布に思い切り喰いこみ、口の中に唾液に濡れた布の味が染み渡っていく。
痛みに目を見開いて、気を失いそうになって、痛みが気付けになってまた意識が覚醒する。
弄ぶ様に痛みの波が的確に襲い掛かってくる。
まるでこれまでの時間がぶり返してくる様に、痛くて、辛くて、寂しくて、切ない。…でも。
──舐めるな。
こんなもの慣れている。痛みになど慣れている。辛さなど知っている。寂しさなどこびり付いている。切なさなど染み付いている。
そして、つい最近のことだけど、温かさも足りている。
スッと痛みが引いた。
布が口から零れ落ち、汗が額を走り落ちる。
「…焼印じゃな。やはりちと痕が残るぞ」
「よし、それじゃそのままプランBに移行だ」
「…了解」
心底めんどくさそうに呟くと、手に何か書いたかと思うとシアの二の腕に翳した。
反射的に肩が跳ねる。
でも伝わってきたのは焼けるような熱さでもなく、張り裂けるような痛みでもなく。ただ、温かい──。
「んじゃ、結成だ。チーム名──…」
木の壁を紙屑の様にぐしゃぐしゃにしながらハルユキが姿を現す。その手には見覚えのない一枚の紙。よく見ればそこにはここにいる皆の名前が書いてある。
「ダンデライオン」
◆ ◆ ◆
「で? 何だ作戦会議って」
「…シアの腕の印の事」
「…………あれは消せない、そうだ」
ジェミニが言うには特殊なやり方で刻まれているらしく、方法を知る人間には逃げられてしまったらしい。
「そう、なのか…」
落胆して早々に作戦会議を終えようとした時、どこから持ってきたのか血の様な赤ワインを片手に、レイが事も無げに口を開いた。
「消せるぞ?」
「…は?」
「あのような稚拙な術式なんぞ3分じゃの」
フフン、と自慢げにグラスの中でワインを回す。
「…すごい」
とフェン。
「…マジか」
とハルユキ。
「マジじゃ」
と偉そうにレイ。
ガタン、と音がしたのを横目で追うと、ユキネが身を乗り出していた。
「…ホントか」
「嘘ついてどうする」
「そ…うか、そっかぁ…!」
「…アホな奴」
ぐりぐりと頭を撫でながら、席にねじ戻した。取り乱したことに少し赤面しながら大人しく席について大人しくなった。
「…で、どうしたいんだ?」
「どう…?」
知ることを知って、どうすべきかも知って、何が出来るかも知って、そしてやっぱり一番。どうしたいかを知ることが重要だ。
「──友達に」
グッと前を向いてしっかりと足を前に進める。
「シアと、友達になりたい、ホントの意味で」
「……っぷ」
「…若いのう」
「…可愛い」
「笑うなぁッ!!」
蹴りを避けながらまだ笑っていると、向かいのベッドの下に見覚えのある紙が目に入った。
「よし、なら演出がいるな」
「演出?」
「よし、もっと本格的に作戦たてるぞ。最終的にはだな…」
全く何時もながら自分勝手だとは自覚しているが。悪だくみと言うのは、いくつになっても面白いものだ。
◆ ◆ ◆
したり顔をしていたハルユキさんの顔に目掛けて枕が飛んだ。
「何じゃその名前は! 儂の考えたものとそう変わらんだろうが! 大体意味が判らんわ!!」
ダンデ、ライオン…? だったか。
確かに私も聞いたことがない。どこか遠い国の言葉だろうか。
「バカヤロウ、ちゃんと意味はある。
別名、獣王の牙。別名タンポポ。俺の国に咲いていた根無し草だ。ああいやタンポポは今もあるんだったか? ま、何にしてもフラフラと旅してる俺達には丁度良いだろ?」
タンポポ、それなら聞いたことがある。
「待てハル。さっきはチームタンポポだったじゃないか。そっちがいい」
「いやお前それじゃ締まらないだろ、なんか」
「言っとくけど、ハルユキが考えた名前もダッサイで? まだタンポポの方がいいわ」
「何ィ!?」
「極血…」
「レイ、お前この期に及んで空気読めないギャグはやめとけよ…?」
「儂に対して絶対服従の刻印を捺してやろう」
「残像!!」
「それはもう見切ったわ、アホめ!!」
ハルユキさんは左の手のひら、ユキネさんは右の手のひら、レイさんは素っ気無く左の腰の辺りに。
直径三センチ位の黒い丸。いや多分あれは…。
「タンポポ…」
そう横から声がして、グイっと目の前にタンポポの入れ墨が立ちはだかった。視界を広げてみるとそれが描かれているのは、フェンさんの小さな右の手のひらだった。
そのままフラフラと目の前を揺れた後、スッと私の右腕を掴んだ。それを目で追って、気付いた。
消えている。
あの忌々しい×印が消えている。
でもその驚きは一瞬で、瞬く間に別の驚きが舞い込んできた。
他の皆のそれとは少しだけ大ぶりな花の入れ墨。
ボスン、となんだか気の抜けた音がした。
見れば、ハルユキさんとレイさんが人外魔境な取っ組み合いをしている中、私を挟むようにフェンさんの反対側の隣にユキネさんが笑顔で座り込んでいた。
そのままバッと右手を開いて見せてくれた。
「友達の証で、仲間の絆だ。な?」
「青臭いの」
「ああ、全く」
「…あんたら喧嘩してたんちゃうの…? っていうかさぁ! なんでワイのだけこんな際どい所に捺してあるの?!」
いつの間にか事が終わって、またはしゃぎだして。
自分勝手、と言うより、本当に変わった人達だ。それでも全然嫌にならないのが少し嬉しい。
二の腕が温かくて無意識に手を遣った。
忌々しくて忌々しくて、この箇所をズタズタになるまで掻き毟った事もあったのに。今は心臓と同じくらい温かくて有り難い。
たんぽぽから、人の体温のような心地よさが深く深く浸透していく。それはちょっと変わった種の形をしていて、何年も何年もかけて穢れて汚された場所を、一秒にも満たない時間でどんどんと追い越していく。
そして多分一番深い、今までそんな所があったのかという所まで深く深く飛んでいって、底の底に、根付いた。
ぽかぽかと。体温が、熱いほどに上昇していく。
「…シアがいるのにお前はまたナンパしようとするだろ」
熱はどんどん胸と、あとは目頭に集中していって。
「………いやね? ワイとシアちゃんは別にそんな感じでは」
泣くな、というのが無理な話だった。
「え? あれ?」
ジェミニさんの戸惑う声が聞こえてくる。
申し訳なかったから、必死に涙を止めようと目蓋と体と膝に作った拳に力を入れる。でもただ震えが増すだけで、止まるわけもなく。
昨日の滝のように流した涙とは違い、ぽろぽろとゆっくり体温を移し取りながら頬を伝っていく。
「……っ…っぅ…」
「シ、シア、泣かない、で…?」
「お前ぇ…!」
「え? ワイのせい?!」
「当たり前だ!」
ぶんぶんと首を横に振って否定するが、もはや誰も見てはいない。フェンさんは実は年上と言うこともあってか小さい手で背中をさすってくれる。
笑っていたい。嬉しいのに、身が裂けるほどに嬉しいのに。泣いているのは勿体ないから。
「……シア」
ジェミニさんの胸倉を掴んで拳を振り上げた格好でユキネさんがこちらを見て拳を止めた。
ポン、と軽くジェミニさんが優しく私の頭に手を置いた。
「泣くのはこれが最後やな、シアちゃん」
気付いてくれたかは分からないけど、涙を隠すために俯いた頭を少しだけ下に動かした。
「ああ、小僧。そう言えばお前のだけ儂に血が送られる様になっとるからの。魔力変換効率は落ちるが」
「……それはいい。いや良くはないがそれにしても何でお前こんなタイミングで言うんだよ…」
「儂とお前だけ蚊帳の外じゃないか」
「一緒にすんな」
「ああもうほら、喧嘩したらあかんで」
「全く、子供だな」
「……幼い」
「お前が言うなロリっ娘」
眩しいものを見るかのように目を細める。
まだ涙は止まらないけど、もう、力を入れすぎるのは止めてみよう。
何かを見るのに、無理して目を見開く必要はない。
ただ一つだけ、一番大切なものを一つだけ。凝らす目を細めて。
──同時に少しだけ唇から余計な力を抜くだけ。
嬉しい時の、笑顔の、コツ。