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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
86/281

強さ

「…それは何? いきなり現れて体張ったボケなら本当に恐れいるけさァ…?」

「………」

「無視かい? コメディアンさ…」



 いきなり目の前の男の左頬、といっても仮面の上からだが、そこに体の周りを一回転した踵が突き刺さった。


 男はまるで中身の入っていないマネキンのように空中でくるくると馬鹿みたいに体を回転させながら壁に叩き付けられる。



「立てる? シアちゃん」



 座り込んだままのシアの首の鎖に手をかけ、引き千切った。


 シアの顔を覗き込むと、先程の笑顔はなりを潜め不安そうに眉にしわを寄せていた。



「ほらほら、なんて顔してんの」



 気に入らなかったので、ホッペタを掴んで横に引っ張ってやった。フガフガと慌てる様を見て少しだけ安心すると、頭に手を乗せて頭を撫でた。



「ワイから離れちゃ駄目やで。絶対や」



 キョトンとした後、引っ張ったせいかほんのりと赤い頬のままながら、力強く頷いたのを見て、よし、とジェミニも満足そうな声を出した。


 改めて部屋の中を見渡す。廊下からは想像し辛い無理矢理掘り広げたようなあなぐらに、いくつかの檻が積み重なっていて、所々に人間や、人間だった物が入っている。といっても狭いわけではなく、広さは大体20メートル四方はある。



「…その鎖は少し魔術的な仕掛けをしてたはずなんだけど? そんな簡単に千切ってくれちゃってまあ…」



 ぎりぎり視界の中に入る位置にケタケタと笑いながら先程吹き飛んだはずの道化が片膝を立てて座り込んでいた。



「それとも仕掛けがあったから千切れたのかな? あひゃはッ! わっかんね!!」



 けたたましく笑いながらその頭がぐるんぐるんと縦横に回る。その音に連動するようにゴクッと喉を鳴らす音が傍らから聞こえた。



「大丈夫」



 またボロ切れのような格好に戻っていたシアにシャツを被せる。その間男から目を離していたつもりはなかった。


――が。いつの間にか忽然とその姿をジェミニの視界の中から消していた。



《惑え惑えて、捕まえて。クライクライ森の底。クライクライ泣き喚け》



 瞬きすらしていない。瞳をほんの少し動かした瞬間に世界が切り替わった。



「…ゴッツイのが出て来よったなぁ」



 目の前に広がるのは漆黒の森。ジトッとした湿気が肌に纏わり付く感触が妙に現実的で気持ちが悪い。


 カタン、と機械仕掛けの絡繰りのような音がして、森の木々の間の闇にスッと道化の仮面が浮かび上がった。



「さてさて、少しお話ししましょーか。貴方は戦る気満満みたいですが、僕ちんからしたら戦うメリットも見当たらないわけでして」



 カタン、カタンと連続して音が鳴る度に新たな仮面が闇の中空に浮かび、リレーのように言葉を繋げていく。



「前のお客さんだったかな? それが目的なのならお金で片が付くかもしれないしィ?」

「………"それ"?」

「ん? 知らないの? そこのそれだよ。…ほら自己紹介しなさい。――早く」



 ビクッとシアが隣で肩を震わせたのが嫌でも伝わってきた。グッとシアの手を握る。



「…大丈夫やから」

「生憎と"それ"は販売対象じゃなくってね。うちの看板なんだよ。だから貸し出しは出来るよ?」



 こちらを挑発しているのかそれとも本気で言っているのか、何処か中身がない空っぽな印象を受ける口調からは伺うことは出来ない。



「もうだいぶ前から使い回してるからどっか壊れてるかもしれないけどさ、評判は良いんだよ? 幸いそれが逃げたせいで少しだけ予約に空きが出来たからさ。金額次第で…」



 顔の真横にケタケタと左右に揺れながら仮面が不快な声を発する。


 人知れず自分から離れようとしていたシアの手を更に強く握りしめて捕まえた。



「…おい」

「ん?」

「お前は、弱いわ」

「……何、いきなり」

「ワイには分かるんや。弱い奴、強い奴ってのが一目でな」


 自分は、と続けようとして口を噤んだ。別に愚痴りたいわけではないんだと自分を戒める。


 こんな事をこんな男に聞いて欲しいわけではない。自分を卑下しすぎている、誤解しすぎている後ろの小さな少女に聞いて欲しい。


「でな、シアちゃんもあんまり強い子やないわ」

「…それが何? 弱いのは弱く産まれて弱く育ったそいつのせいだ。強者に搾取されて使い回されて然るべきなんだよ」


 にへら、と仮面が愉快気に歪んだ。


 その口元は笑っているように、傲慢に歪んでいるように見える。


「――弱さを実感したこともない奴がそんな事を口にするなや」

「…何だと?」

「それを知らんまま強くなった奴は、優しくはなられへん」



 さっきのレイの言葉にあてられたのか、途中から明らかにただの独白になってしまっている。しかし止まらない。止められない。



「シアちゃんは優しい娘や。助けて欲しくてもそれが言えずに笑って笑って我慢してそんな間違った強さまで持った娘ォや」

「おいおいおいおい…、さっきからなぁに調子にのってんだクソ虫ぃ?」

「でもな、やっぱり違ったわ。一人で頑張るのが強さやないって言われた。一人で強がっても自分しか守れるようにしかならん」

「……ッ」



 息をのむ声が横から聞こえる。



「だから、強さは優しさと一緒に、優しさは強さの隣になければならんのや。そういうやつらに心当たりがある。そいつらは笑ってしまうほど楽しそうに生きてたわ」



 ちぐはぐで自分でも何を言いたいのかほとんど解ってなくて、でも新しく生まれたのかそれとも気付いただけなのか分からないこの何かを。


 自分に似た少女に伝えたかった。


 俺は揺るぎない物になりたい。人を強く、人を支えられるものになりたい。


 自分にこの名前をくれた、名前も知らないあの人みたいに。それは決して変わらない。ただもう少し誰かに背中を預けて楽をしようとただそれだけ。


 まだまだぶれまくりで、荒れまくりで脆い人間だけど。まあそこは未来に期待して長い目で見て欲しい。



「強くなるでシアちゃん」



 一緒に、とは流石に恥ずかしくて言えなかったが。


 途中から震えながらも握り替えしてきてくれていたシアの手を更に強く握りしめる。


 すると、がりがりがりと脳髄を削っていた音がほんの少しだけ収まった気がした。



「だからお前みたいな邪魔なゴミは、ワイが掃除したるわ」






◆ ◆ ◆





 シアの手を握っていない方の手で仮面を握りつぶした。恐ろしい程に感触がない。今更そうは驚かないが。


 きつく握っていたシアの手を静かに離す。


 ここからは騎士の見せ場だ。ヒロインには下がって貰う必要がある。



「…はいじゃあ交渉決裂? 営業妨害で、…えーと、よしうん。――"磔"」



 グルンとまた世界が変わる。荒れ地の中に超然とそそり立つ寂れた古城。そこかしこに髑髏を携えた巨大な杭が地面から突き出ている。



「また、趣味悪いな…」


《王様だ~れだ?》



 斜め後ろから空気が切れて流れる気配。掌の形に手を固め、迫り来る杭の力の流れに横からほんの少し力を加える。


 二本三本四本と加速度的に数と速さを増しながら杭が飛来する。



「――"より流麗に"」



 小さく口ずさみ、全身に魔力を満たす。空気の流れ、自分の中の魔力の流れ、相手の魔法の魔力の流れ、自分の中の膂力の流れ脚の動き手の動き等々等々等々等々。


 全てを把握して支配下に。



「こぉりゃあ、驚いた…」



 ケタケタと忙しなく揺れていた仮面が今や針の筵と成り果てた荒野の中心を見てわざとらしく口を開ける。


 無数の杭の中心には台風の目のように杭の暴虐を逃れている場所があり、そこには当然仮面をにらみつけるジェミニがいる。


 一番近くの杭を無造作に掴み取り、投擲の姿勢に入る。



「……当たるわけないでしょ?」



 呆れたような仮面の声を無視してジェミニの手から巨大な杭が投擲される。


 唸りを上げながら槍は明後日の方向に進んでいく。



「何処を狙って……?」



 そろそろ重力に負けて下降を始めるかと思われたところでバキンと杭が破砕音を響かせて"中空"に突き刺さった。続いてバキバキと景色が崩れ始めその向こうにあった薄汚れた部屋が露わになっていく。


 最初のように片膝を立てた姿勢のままで男が今度こそ驚愕の意を示している。



「――遅いわ」



 一体どうやったのか、ジェミニが音をも置き去りに男に一気に近づいてまたもや仮面の上から殴り飛ばした。


 吹き飛んで壁にぶつかる、と思った瞬間トンと軽快な音がして、後ろの檻の上に道化が着地する。



「幻影、か。めんどい奴やな…」

「なぁに言ってんのさ。相性は僕っちの方がゲロ悪だぁろ?」



 スッと男が手を翳すと、壁から地面からあるいは中空から、無数の竜の頭が歯を鳴らしながらジェミニに突進する。


 速さ、量共に先程の杭のそれを数段上回っている。



「また…?」



 しかし所詮は幻影。


 それを避けようともせずに道化に突進する。先程の消えたような速さ程ではないものの、滑るように地面を移動していく。


 道化に向かい拳を振り上げたところで。ニッと道化の仮面が歪むように更に笑みを深くした。


 次の瞬間。



「チィ…ッ!?」



 そこから反応できたのはジェミニの経験かはたまた偶然か。半ば脊髄反射とも言える速さで迫る竜を受け流した。


 先程の杭と同様に次々と受け流していくが、所々に傷を負っていく。多少血が流れてはいるものの、思いの外深い傷ではないのが幸いか。



「成る程、これ以上のスピードと量になると捌ききれないんだね、まあ後ろのそれが居なけりゃまだ動けるんだろうけど」



 奔流のような攻撃が終わり、道化の仮面がケラケラとさぞ愉快そうに笑い転げる。



「それとその幻影だけど、食らったと認識すれば程度は落ちるけど多少は傷つくよ? 脳みそが体の中では王様だからねぇ」



 くっくっくと笑みを深くした仮面がまたくるくると回る。



「更に面白いことに、死んだと頭が認識するとホントに死んじゃうから。気をつけて」

「なる、ほどね……勉強になったわ」

「そう、それじゃ、――これでお終い」



 音もなく道化が宙に浮き、スッと温度が下がる。



《迷い迷えて行き着いて。一人ぼっちの王様の、独り善がりの律令を》



 再び広がる荒れ地の古城。


 先程の数倍程の広さに先程の数倍程の密度で拡がる杭の庭。



「――"串刺しの刑"」



 呪詩を皮切りに無数の杭が持ち上がり切っ先を全て同じ位置に向ける。



「ぐッ…ぉおおおッ!!」



 ジェミニが患部を庇いながらも構えようとして立ち上がる、が。


 完全に立ち上がるのを待たないまま、荒れ地を粉々にするような勢いで杭の嵐が殺到した。





◆ ◆ ◆




 杭による砂塵が収まるのを待たずに、荒れ地の世界が崩壊した。



「おしまいっと」



 黒ずくめのピエロが何の色もない声で終幕を告げながら檻から飛び降りる。


 目の前には血だらけで醜態を晒すジェミニと、その横で声にならない声でジェミニの体を揺さぶるシアの姿。


 死んでいないのか、と仮面の下で笑みを深くしながら、懐からナイフを取り出して男の目の前に突き立てた。



「――殺せ、シア」



 ヒューヒュー、と肺に穴が空いたような音を漏らすジェミニが男の方を見上げる。その目には怯え、屈服し、助けを懇願する色がまざまざと浮かんでいる。


 シアも同様にナイフとジェミニを震える瞳で見比べて、ナイフに手を伸ばす。


――嗚呼、堪らない。


 人間が人間じゃなくなる。


 それは死が切っ掛けだったり、裏切りが切っ掛けであったりするが、どちらにしても人が墜ちる様は垂涎ものだ。


 至高だ。最上だ。


 人間が強くなる? そんな馬鹿な事はあり得ない。


 人間はただ堕落するだけ。


 その時の表情が、痴態が、壊れ方が。


 嗚呼、堪らない――…




――瞬間。


 直ぐ後ろでバキン、と何かが割れる音が聞こえた。ぬっと目の前に伸びてきた血が滴る右腕に今度こそ道化の仮面が鷲掴みにされた。


 もう片方の手には先程自分が投擲したはずのナイフが握られ、ピタリと首筋に当てられている。


 目の前には既に我が嗜好の光景は消え失せている。



「――捕まえた」



 妙な訛り方をした言葉が妙な迫力を見せ、道化の冷や汗を誘発する。



「……何で君が幻影なんて使えるのかな?」

「使えるかそんなもん。お前が使った魔術の流れに紛れて乗っかっただけや。幸い干渉しやすい種類の魔法やったからな」

「…まぁ、確かに魔法の中に閉じ込めるようなもんだけどさ。そんな事普通出来ひんよ。って、あ、感染った」

「身代わり残して隠れるのが精一杯やったけど…これで終いや」



 さて、どうするか。流石に今の道化は幻ではない。


 更に信じられないことにこの男は数段自分より強い上に場数を踏んでいる。そこで男の影に隠れるように何かが潜んでいることに気付いた。


 ああそうだ。適わないのなら、自分の土俵に行ってみるか。





◆ ◆ ◆




「――随分と余裕やな」



 鷲掴みにした道化も今度は消える気配を見せない。間違いなく本物だ。


 しかしこの道化もこの状況で決して余裕の態度を崩さない。綽々と未だ笑顔を振りまいている。



――殺すか。


 いや、まだ直ぐ後ろにシアが居る。ここで殺すのは避けたい。


 チラッと横目でシアの様子を探る。


 そこで初めてシアの様子がおかしいことに気付いた。青ざめた顔で二の腕を押さえて…。いや二の腕ではない、恐らくそこに刻まれた…。



「隙有りィッァ!!」



 一瞬気を取られた隙に右の太股に激痛が走った。


 見れば先程と同じナイフが根本まで突き込まれている。道化は馬鹿みたいに踊りながら悠々とジェミニから距離を取った。



「あっハッ八!! 最後まですばらしい働きだったぞ、シアァ!!」

「お前……。何を…!!」



 ジェミニと一緒にシアも倒れ込みシアの方は息を荒げ起き上がろうともしない。



「別に特別なことをした訳じゃあないさ。奴隷には備え付きの機能を使っただけぇ。心身共に苦痛と負荷を与えて躾するっていうね。誰が考えたんだろうね尊敬しちゃう」

「シアちゃん…! シアちゃん!」

「あー…。もう流石にこの街からは撤退するからさ。別に死んでも良い、って言いたいことだけど、それじゃ死なないようになってんの」



 男の言葉が切っ掛けだったかどうかは知らないが、小さく痙攣していたシアの体から完全に力が抜けた。息はまだ荒いが命は残っている。


 人一人を簡単に見限る。道具のように使い捨てた。


 ああ吐き気がする。沸騰したかのように熱い血が随分と馴染みがあるどす黒い何かを胸に込み上げさせる。



「お兄さんすっごく強いからさ。切り札使っちゃう」



 そう言いながら道化が懐から取り出したのは、血の色に染まった紅い珠。


 信じられないことにそれには見覚えがあった。


 しかし小指の爪程であった筈のそれは今や拳大にまで大きさを増している。



《我が正義故に真実。我は天秤ラィブラ。正義の傾きは我が立つその場所に》



 届いた声に耳が凍りついた気がした。


 ラィブラ。またの名を天秤座。



――黄道十二門の一つ。




 考える前に体が自然に動いていた。


 動かしたのは間違いなく、紛れもなく、純然たる殺意だった。


 ただその殺意が、シアの事での怒りからの方が大きかったのが少しだけ驚きだった。



「―――"Αστρα(アストライ)…ッ!」

「お姫様は、攫っていくで」



 消えた。


 道化からしてみればそうとしか思えなかっただろう。


 思えば疑問があった。


 ジェミニの腕には竜の牙による傷がある。とすれば幻術に紛れたのは何時だろうか。考えられるのは杭を打ち放った後の砂塵の中。


 しかしそれではジェミニは怒濤の杭の嵐を捌ききったことになる。竜の牙の時は全力ではなかったのか? …いや、確かにそれも考えられるが、それより有力な説が消えるように道化の目の前に移動したジェミニの様子から伺えた。


 恐らく、全力の上があるのだ。


 それを誇示するかのように首筋で煌々と光る"流"の文字。


 自身の身体能力を強化したわけではない。これは恐らく――。



「…時間の、流れを…!」

「――"流々舞"」



 攻撃を行った時間はちょうど2秒。


 その間に数えるのも馬鹿らしい程の数の拳撃が道化の体中にたたき込まれた。





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