騎士物語
「奴隷…か」
予想していなかったと言えば嘘になる。初めにあった時の衰弱した様子と服とも言えない布きれを纏いながら誰かから逃げている様を鑑みれば不思議な事ではない。
「ごめん、行くわ」
話が変わった。先のレイの話に感動してやりたい気分だったがそうも言ってられない。
危険が迫っている。ならこの身を呈してでも守らなければ。
無表情にこちらを見つめているレイの横を通り抜けて階段へと向かう。
そこに金色の髪の少女が不機嫌そうに腕を組んでこちらを睨んでいた。
「レイの話を聞いてなかったのか?」
「…え」
シュッと軽く空気を切る音がしてジェミニの腹に拳が突き込まれた。ボスン、と気の抜けた音がした。
「行くぞ」
え、と間抜けな声を出した瞬間、後頭部にゴツンと堅いものが当たる。
何事かと振り返る前に直ぐに横からフェンがジェミニを一瞥して追い抜いていった。
「フェンちゃん…」
続けてバチンッ!! と聞くだけで痛い音がした。
「いったいわ…」
じんじんと叩かれた背中が痛みを訴える。
「……あいつ等は友達とか仲間とかにちょっと敏感だからさ。察してやってくれ」
「…わかっとるよ」
「因みに儂はそんな青くさい事はせんぞ?」
ひょこっとレイが顔を出してそんなことを言った。それでもまあ、何だかんだで手伝ってくれるのだろう。
「……ありがとね」
「ぬ…ぅ」
「一丁前に照れてんじゃねぇ」
「て、照れとらんわ!!」
常人が食らえば恐らく三日は意識が戻らないであろうという拳を軽く流して、ハルユキが鼻で笑いながら階段を一気に飛び降りて逃げていった。
「あの、クソ餓鬼が…!」
それを額に血管を浮かび上がらせたレイが追う。全く本当に緊張感がない。
苦笑しながらその背中を追った。
◆ ◆ ◆
「おーい、そろそろ起きろよ~」
限界まで擦れた剽軽な声と共に目を覚まして顔を上げた。首に付けられた鎖が同調して重々しい金属音を発する。
目の前であの男が座り込んでいた。
中背の背丈に、上から下まで黒い革の服に身を包み黒い革靴に黒い革手袋。黒いつばが広い帽子。そして狂ったように笑った道化の仮面。何一つ変わってはいない。
「ほらお前の檻だ。自分で歩け。僕は非力なんだ」
そして目の前には小さな檻。人がようやく3人入る程の小さな小さな檻。実感が津波のように意識の中に流れ込んでくる。
ああ、戻ってきてしまった、と。
せっかく、逃げ出したのに。大変だったのになあ、とどこか頭の中の遠いところで何かが呟いた。
でも、どうせたまたまだったのだ。たまたまはぐれてたまたま逃げ果せただけ。
鎖をじゃらつかせながら立ち上がろうとした。それを上から押さえつけられて地面に勢いよく押さえつけられた。むしろ叩き付けられたといった方がいいんだろうか。
「だぁれが、立っていいって言ったよ? ――這いつくばれ」
ああ、そうだったなと、また遠くで何かが呟いた。この住処の中では確か二足歩行を禁じられていた。
申し訳ありません、と言えない代わりにペコリと頭を下げる。
次の瞬間、風を切る音が聞こえたかと思うとガツッと顔面の左半分に衝撃が走った。
為す術なく地面を転がって二回程回転したところで勢いが止まった。
定まらない視界に、先端がほんの少し赤く染まった爪先が見える。
ああ、蹴られたのか。
「――笑えよ」
半分感覚がなくなった顔で表情をつくって額を地面に擦り付けなおした。よし、と男が許しを与えてくれたのを確認して檻に向かう。
檻の堺を超えようとしたところで。
「ああ、待って」
何かおもしろいことを思いついた、とでも言うような声色でシアを制した。
「そこでこっち向いて、"ただいま"だ。口パクでいいよ」
なんてことはない命令だ。
振り向いて、もちろん、笑顔で、"ただいま帰りました"と確かに言った。何所かで何かに罅が入った音がした。
しかし今となってはそんな物は雑音でしかなく、男が愉快そうに檻の方を顎でしゃくったのを確認して、もう一度一礼した後、檻に入った。
「ああ、いいぞ。出てこい」
全身が檻に入ると直ぐにぐいっと鎖を引っ張られ、檻を出ろとの命令が下った。何をしたかったのかとも思うが、おそらく知らしめたかったのだろう。今更そんなことする必要などないのに。
何しろたまたまの偶然の出来事だったのだ。外に少し出られただけでも運がいい。だから後悔はない、未練もない。
嘘だ。
自分一人でさえも一瞬たりとも騙せない。
ビシッと更に音がする。
「おい? ボケッとしてるんじゃないよ?」
男が鎖を引っ張ると歩きたくもないのに引き摺られるように足が前に進む。
男が笑えといったら笑う。
男が跪けと言ったら膝も手も額も土に擦りつける。
男が舐めろと命じれば地面にさえ舌を這わせる。
奴隷だから。
私は所有物にしかなれない人の形をした道具だから。主人が求めているのは笑顔。
なら、笑え。それがお前でお前の使命でお前の生き甲斐で運命で罪で罰で、全てだ。
「よしよし、いい感じで元に戻ってきたじゃないかあ。流石だ。躾し直そうと思ってたけど必要ないみたいだ」
ほら、幸運だ。笑っていれば幸せだ。
笑っていればあまり撲たれない。笑っていれば優しく犯される。笑っていれば誰に恨まれることも嫌われることもない。
…いや、そうでもなかったか。
確かこの顔を、私の顔を本気で嫌った人がつい最近いた。
連鎖的に、笑い返してくれた人達を思い出した。
誰かは無邪気に。誰かは無表情に。誰かは性悪そうに。誰かは大らかに。そして誰かは、優しく。
外に出たい。
ユキネさんやフェンさんとまた夜遅くまで話したい。
これは少し不謹慎かもしれないけど、レイさんとハルユキさんが仲良くケンカしているのを見たい。
ジェミニさんに、謝りたい。
ごめんなさい。
汚れた手で触れてしまってごめんなさい。
一緒に街を歩いたりしてごめんなさい。
隠し事をしててごめんなさい。
楽しかったなんて言ってごめんなさい。
酷い顔を見せてしまってごめんなさい。
ずっと何処かで、助けを期待しててごめんなさい。
だってあれが最後なんて思いたくない。思われたくない。嫌われたまま別れたくない。好きな人に嫌われたままなんて嫌だ。
笑って笑って、笑顔で塗りつぶした感情がじわじわと浸食する。
―――ほら、やっぱり。自分でさえも騙せない。
「何だ? シア、お前…?」
振り返った男の顔が不機嫌そうに歪む。おいおいおいおいと声を荒げながらシアの首元の鎖を引っ張り上げるとその文字通り笑顔に塗り固めた仮面を近づけた。
「なぁに、泣いてんだ――…?」
もう、笑えない。
自分を騙せない。
騙すのが下手になったのか、騙されるのが下手になったのか。
たった数日の出来事に、何年も何年もかけて作った仮面は跡形もなく壊れてしまっていた。
「そんな顔、初めて見たで?」
最初は幻聴かな、と自分の耳を疑った。
暗がりから出てくる姿を見て、目を疑った。
何処か信じていた自分を見つけて、それも疑った。
でも、いつも通りの笑顔の仮面で確信した。
あの妙な訛り方をした言葉も、癖がかった茶色の髪も。全て現実だと。
当然、あの表情も。
そして事ここに至って、ようやく気付いた。
あの笑顔。
恐ろしく、不自然なあの笑顔はきっと私のものとは違うのだ、と。
ある時は私を刺激しないために、ある時は誰かを励ますために。そして今は私を安心させるために。
自分のためなんかじゃなくて、たぶんずっと。
とんでもなく不器用だから誤解ばっかり生むだろうけど。
きっとあの人は誰かのために笑ってる、誰かの代わりに古い傷だらけの仮面を、ずっと――…。
理由なんて一欠片も知らないけど。それが大変かは少しは分かる。
知りたい――。
――ジェミニさん。
今すごく、貴方とお話がしたいです。
◆ ◆ ◆
「見つかったか!?」
「…いや、どこにも見あたらへん」
これでユキネとすれ違うのは2回目。フェンは1回。レイは5回。ハルユキに至っては28回。どれほどのスピードで走り回っているのかと言いたいところだが生憎今はそれどころではない。
これだけ探していなかったのならば、もう何処か室内にいると考えた方がいいだろう。
もう止んでしまっているが雨のせいで人通りはだいぶ減っている。これで探し出せないというのは少し不自然だ。
教会や何処か親切な人に助けてもらっていると信じたいが、それは楽観的すぎるだろう。
「……嫌な予感がするな」
本能的なものなのだろう。しかし恐らくその勘はいいところをついている。
「もう、一周だな」
「ハルユキがいれば大丈夫な気もするけどな」
「馬鹿。お前が、見つけるんだ。それがきっと、一番良い」
言ってそのままジェミニが来た方向へと小走りで走っていた。
その背中を横目で見てから走り出そうとした瞬間、目の端にチカッと何かが映った。
「ユキネちゃん!!」
果たして声が届いたかは不明だが、届いていると信じて先程の方向に駆け寄る。何があるかは分からない。ただ、そう勘だ。
綺麗に整った石畳の上に目を凝らす。
この時代に似つかわしくないそれは直ぐに見つかった。ハルユキが作った発声機。この世に二つはあり得ない。
手に持った瞬間、役目を終えたかのようにサッと静かな音を立てて空気に溶けた。
「どうした、居たのか!?」
先程の声が幸いにも届いていたらしい。すごい勢いで走ってきて。
…滑って転んだ。
「…見てへんで」
「…助かる」
気を取り直して目の前の店を見上げた。大きなガラスを張ったアンティーク家具店。見た限りでは特に変わった様子はない。
「これが、何か…?」
「…ユキネちゃん、皆に知らせてきて」
同じようにガラスを覗き込みながら困惑した様子のユキネに静かに告げた。
「ここ、魔力の流れを感じる」
「魔力…?」
「流れが分かるんや。ユキネちゃんには分からんと思う」
「……知らせるだけで良いのか?」
「…呼んで、きてくれたら助かりますわ」
「よし…!」
バシン、とジェミニの肩を叩くと女の子らしくない逞しい笑顔で笑ってみせると殺気の倍ぐらいの勢いで走っていた。
叩かれた肩をさすりながら苦笑すると、そのままガラスに向き直った。
触れないようにガラスに手を翳して、意識を集中する。
(儀式魔法…。術式を壊すのは複雑すぎて無理。魔力は…基は土か)
原始と魔力の質を辿って大体の流れを把握すれば…。
後は始点にほんの少し力を加えて、その流れを変えるだけ。
グイッと持ち上がるようにガラスが捲れ、その先に空間が広がった。ほんの少しこちらから届く光が照らしている手前の部分の他は闇が広がっている。
ジェミニは一瞬も躊躇わずにその中に飛び込んだ。
踏み込んだ瞬間、両側の壁に炎が走る。一瞬身を強ばらせるがどうやらただの灯りのようだ。
一歩踏み出し、三歩目で加速し、十歩目に入る時には全力で足を動かしていた。
真っ直ぐと松明だけが続く岩壁の横を疾走する。
直ぐに行く先に灯りが見えて、そこに辿り着くのに時間はかからなかった。
そう言えばこの間見た劇にこんな場面があったなと道でも良いことが頭をよぎる。確か、悪い竜から単身で囚われた姫を助けるという、在り来たりな騎士物語――…。
薄暗い廊下から比較的広い開けた場所に出た。
直ぐに目があって、一言苦し紛れに言葉を絞り出して、笑う。
握った拳を隠す。怒りに濁った目を目を細めて潜める。焦りを訴える心臓を押さえつける。
大丈夫。この仮面は無敵だ。
怒るのも戦うのも、俺の役目。
「助けに参りました、姫様」
ただ、今は仲間がいるから。少しだけ演じてみよう、姫を救う騎士様を。
……少しだけ恥ずかしいが。
それでも、姫君が可笑しそうに、はにかむように笑ってくれたから。
まあ、よしとしよう。




