長幼の礼
「あれ? シアは一緒じゃないのか?」
受付で貸してもらった毛布で濡れた体を拭きながら部屋に入ると、そんな声が聞こえた。
「違うけど…?」
見ればユキネがジェミニと同じように濡れた髪を拭いていた。拭きながら難しい顔をして考え込んでいる。
「さすがにこの土砂降りなら帰ってくると思ったんだが…」
「他の三人は?」
「ハルユキとレイは知らないがフェンなら多分宿の中にいると思うぞ」
「まぁ、あの二人は放っといても、風邪なんてひかへんやろうけど」
シアの方は恐らくそうはいかないだろう。
しかし、現実的に考えてこのバカ広い街で探すというのも無謀だ。
「…濡れて帰ってくるやろうから、毛布と何か温かい物でも用意しとった方がええか」
そう判断を下してユキネに聞こえるように呟いた。
「……どうしたん?」
それを聞いたユキネが何とも形容しがたい顔で固まっていた。
「ケンカしたんじゃなかったの、か…?」
「ケンカなんてしてへんよ?」
「…いや、まあ、そう…。うん、え…?」
「とりあえずなんかスープでも作ってもらうように頼んでくるから、ユキネちゃんは毛布とか用意してやって」
「あ、ああ、分かった」
◆ ◆ ◆
「……いくら何でも遅すぎないか?」
フェンが部屋に戻ってきて、ハルユキも帰ってきてそれから一時間程経ってからユキネが堪えきれずに言った。
いつもシアが使っているベッドには山のように積まれた毛布の上にユキネが座り、横の机では何回も温め直したスープが細々と湯気を立ち上らせている。
ふわふわと立ち上っては消える湯気を見て思っていた事が意識する前に口に出た。
「もう、帰ってこないかもしれへんよ」
「え…?」
ここに来てからシアは笑うようになった。無理して無理して笑うように。それに加えて昨日のあれだ。もしあの×印にのっぴきならない事情があるとしたら帰ってこないのも頷ける。
いやむしろここまで帰ってこないという事はもう確定的だと考えてもいいだろう。
「ほら、シアちゃんも無理してたんやない? もうどこか行ったんやと思うよ、教会とか」
「何、だと……?」
「いや、だからもうここには……」
「本気で、言ってるのか……!」
「ワイが嫌われてるせいかもしれへんけどね」
それを聞いてユキネは目をほんの少し見開いてぐっと唇をかむ。どこか泣くのを我慢している子供の様な顔だった。
「あいつは、シアは…楽しかったと、言っていたぞ」
ユキネのきつく食いしばった歯の間からそんな言葉が漏れてきた。
「楽しかった…?」
「一緒に街を歩いた、一緒に美味しいものを食べた、劇を見て、少しだけヒロインに憧れた、最後に少し失敗したけど楽しかったって!」
何時もの口調より明らかに声が怒気を纏って厳つくなっていく。仮にも元王女。その眼には覇気すらも感じ取れそうだ。何を言いたいかもどうして言いたいかも嫌でも分かる
それでも。
「また行きたいって、言ってたんだぞ…!」
それでもやっぱりこれ以上無理をさせるわけにもいかない。
「それが嘘やないって証拠はあるんか?」
無理をして無理をして無理して笑って。それが嫌で出て行ったのならもう待っている方が酷なんだ。
「お前……ッ!」
目にも止まらぬ速さでベッドから跳ね上がるように立ち上がり、ジェミニの胸ぐらを掴み込んだ。身長のせいかあまり力は伝わらない、が目に宿る覇気がそれを補ってあまりある程の重圧を与えてきた。
「何?」
平坦なのっぺらとした声が口から飛び出た。笑うときの独特の頬の感触が脳髄まで伝わってくる。
ぐっとユキネの目が限界まで見開き右腕を振り上げたところで、横から来たフェンが杖で思い切りジェミニを殴りつけた。
「もう、いい」
「……そうか」
短くお互い一言だけ言葉を交わすと、フェンはユキネの腕をとって部屋から出て行った。
フェンの力だ。痛くはない。しかしずくずくとした感触がいつまでも残りそうだった。
「おーおー若いのう、お主等」
フェンに殴られて床に転んで、まだ立ち上がる前に扉の方から声が偉そうな聞こえた。
◆ ◆ ◆
「立ち聞きは趣味悪いで、レイちゃん」
「儂が途中で入ってきたら御主らの青春っ振りが台無しじゃろうが。と言うよりあの青春空間に儂は入り込みとうない」
人がたまに真面目にすれば、ここぞとばかりに台無しにしてくれた。
苦笑しながら見上げてみれば、相変わらず性の悪そうな顔で笑っている。
「この年で青春なんて言われるとは思ってなかったわ」
「儂から見れば御主ら皆ガキじゃ」
「ハルユキから見れば生まれてもいないやろね」
「あれは精神的には稚児も同然」
「時々妙に達観したようなこと言うけどな、基本的に謎やし」
まるで誘導したかのように、その言葉を聞いた途端ニッと意地の悪い笑顔を深くした。
「そりゃお主もじゃろうが」
「…いやいや」
「儂は"吸血鬼"じゃぞ? その臭いには敏感じゃ、誤魔化そうなどと思うなよ」
言葉と口調に険が混じる。恐らくわざとだろうが。
「……何が言いたいん?」
「鬱陶しい」
「要領を得られへんね」
「お前の気持ちを代弁すると、そちらが本当の自分だから、嘘をついているから、だから好かれるはずがないし、自分は本当に仲間である訳じゃない…と言ったところか? カッ、女々しいわ」
「…それはレイちゃんもやろ」
「なんじゃ。認めるのか」
「……」
「因みに言っておくと儂がそんなめんどくさい事を思うか。去る者追わず、来る者はそいつ次第と言ったところじゃの」
「……そうやろね」
この老獪な生き物に舌戦で勝つのは少し分が悪いようだ。こちらが何を言っても優位も表情も一ミリたりとも崩さない。
「何じゃ。本当にそれが理由なのか?」
「……間違ってはおらへんよ」
「つまらんの。ま、得てして本当の事なんぞつまらん物じゃがの」
「そうやね」
ハッとまた愉快げに笑った後、また口を開いた。
「お主がぐちぐちと拘ってる本当の自分とやらも同様につまらん」
「……中々、きつい事を言うんやね」
「ならば考えてみろ。何じゃ本当の自分とは」
そんなことを考えるのか? この年で?
「そうさな…例えば高尚な僧でも劣情を持たす事もあるじゃろう。一国の王が膝を抱えたい時もあるじゃろう。化物が泣きたい時もあるじゃろう。変わらずにはいられん。特に貴様ら若人は一つの季節が変わる内に何度も変わる事もあるやもしれぬ」
「………」
「お主がフェミニストを気取っているのも、時折の血生臭い雰囲気も、気色悪い笑顔も何一つとして矛盾なんぞしておらん」
「…全部お前自身?」
「そこまでくさい事を言う気はないがの。ただ、そんなあやふやな物に振り回されて周りが見えん一生なんぞ屎じゃ」
とても女子が言う言葉とは思えない。しかしそんな事を気にする様子など微塵も見せず言葉を続けていく。
「実際の所、お前は何も見えておらんよ。まだ頼る事も覚えとらんようやしの」
「…レイちゃんも人を頼るようには見えへんけど」
「年寄りは人を扱き使って利用する事はできるんじゃよ」
「……人から年寄り言われたら怒るくせに」
挑むような目線でこちらを見下ろしてくる。いつの間にかこちらも立ち上がってその目線に目線を合わせていた。
「珍しいのぅ、殺気が漏れてるんじゃないか?」
「……少しだけ、いらいらしてるかもしれへんね」
「はッ、よく言う。笑ってるぞ?お主」
ああそう言えば、とレイが愉快げに告げる。
「あのシアとか言う小娘もそんな剽軽な顔しとったの、伝染ったか? いや伝染したか?」
「……レイちゃん」
「怒ったか? 案外安いのぅ」
ふぅと神経を逆なでするように溜息をつく。
「……いかんいかん、苛めるのが楽しすぎて本題を忘れておったわ」
「本題?」
「このままじゃ後悔するぞ、お主」
散々もったい付けて出て来たのは随分と……。
「何か意外やね。ワイは別にシアちゃんの事で……」
「何を勘違いしているか知らんが、儂はあの小娘の事なぞよう知らんからそこまで口を出す気はない」
先程とは打って変わって呆れたような表情で腕を組んだ。
「儂が言いたいのはの。お主はあやつ等3人にも距離をとっとるみたいじゃろ? それがどういう理由かは知らんが程々にしないとまずいということじゃ」
「まずい…?」
「お主あの稚児どもが距離を感じて万一にでもそれを縮めようとした時、上手く避けられるか?」
「……は?」
「あちらから距離を詰められる前に自分から近づいておけ」
正直、拍子抜けした。
何を言うかと思ったらそんな事を本気で切羽詰まった顔で。
「アホやね…」
「いやいやお主様よ。侮る事なかれ、そんな事を言っていてはアホな目に合うのは…」
「お前だ、小娘」
後ろに立っていたハルユキが、いかにハルユキがアホかと言う事を高説しているレイの後頭部を思い切り鷲掴んだ。
途中から分かってはいたが、何となく言わなかったのは多少気を晴らしたかったからだろうか。レイの額に珍しく冷や汗が流れる。
「……よし、今から説教するからな。しかと聞けよ」
「そ、その状況で?」
年長者組恐るべし。疲れたように笑いながら、ジェミニには出来ないやり方で笑いながら。
言葉を繋げた。
「お主の周りはアホばかりじゃから、困ったら自分から言え。あちらから気付いて来ようもんなら勢いが強すぎてとてもじゃないが避けきれんぞ。だからまだ歳食って距離感が分かるお前から歩み寄ってみろ。
それと、結局本当の自分なんて死ぬ時にしか分からんから、やりたい事をやれ。それで浮き出てくるのを拾い集めて自分を作れ。お前はまだ一欠片も集まってはおらん。
自分を作って何が悪い。好きな自分をつくってみろ、若人なんぞ悩んでなんぼ。走り回って苦労してなんぼじゃ。
――それに、今なら何とお主と一緒に頭を抱えてくれる仲間がいるぞ」
長々と本当に長々と説教を承った。頭を掴まれて宙に浮いてなければ格好もついたのだろうが。全く、笑ってしまう。正直言ってることも要領得ないし。言った本人が少し照れてるし。
「それはちょっと我侭過ぎへん…?」
吹き出しそうになるのを我慢しながら、いやもう半分爆笑しながら相槌を打った。本当はもう何も言う必要もなかったのだが。
「馬鹿もん。大人が我が儘じゃないと子供が大人になりたいと思わんじゃろうが」
本気の目である。それを貫き通すとこういう風になるのだろうか。でもまあいつの間にか話半分でも聞き入っていた自分がいたのは否めなかった。
「…今日は随分としゃべってくれるんやね」
「年寄りのご高説じゃ。ありがたく受け取れ」
「ホントに、みんな規格外過ぎて馬鹿らしくなってくるわ」
レイがニッと悪戯大好きと言ったように歯を見せた。それを見て、また笑った。全く大したツンデレさんだ。
「…お話は終わりましたか?」
そこで、血管を二、三本浮き上がらせながらハルユキがやっと二言目を口にした。
「…ところでハルユキはどうしたん?」
あの手に捕まれることの恐怖は知っていたので助け船を出すと、ハルユキは血管は浮き上がらせたまま口を開いた。
「いやあの×印の事なんだが聞いて回っても分からなくてな。まぁまだノインとかマスターには聞いてないから何とも言えんが…」
「待て、×印…? 何の話じゃ」
「話を逸らそうとしてんのか? ん?」
大して力を加えた風でもないのに、簡単にぶらんと更にレイが持ち上がった。
「ええいッ、放せ!」
ハルユキも流石に本気ではなかったのか顎に迫るレイの踵を避けながら手を放した。
「言え、×印とは何の話じゃ…?」
「いやシアちゃんの腕についとった印なんやけど…」
それを聞いたレイが珍しく驚いた表情を見せた。チッと小さく舌打ちする様もまた珍しい。
「あの娘の体にその印があったのか? 間違いないな…?」
「そう、やけど…?」
「……その印はの、人ではないと印されたものでの」
レイがもう一度息をついて、続ける。
「――つまりは、奴隷の証の烙印なんじゃ」




