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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第一部
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雨の音

「お姉ちゃん綺麗やねー」



声をかけたはずの女性は、チラッとこちらを一瞥しただけでジェミニの前を横切って人混みの中に消えていった。


スーッと体を通り抜ける風がどこか冷たい。


上げかけた手を頭に持って行き少しだけ天然の癖が入った茶髪を掻き毟る。ばりばりと頭に響く音が思い出させるので直ぐにやめた。


今日は多分宿にいるはずだ。いや昨日はフェンやユキネ達と話していたから一緒に遊んでいるかもしれない。相変わらず何事もなかったかのように表情を隠して。




――どうして、あんな事を言ったのか。


気持ち悪い、などと。自分の感情を表に出して相手に害を与える言葉を。


苛ついた。


理由としてはただそれだけ。


理由の理由としては不自然な笑顔が不快だっただけ。


理由の理由の理由はもっと簡単で。ただあの目であの風貌で無理しているのを見るのは耐えられない。それは女の子の役目じゃない。



ぽつ、と冷たい水の粒が頬に当たって思考が止まった。下がっていた視線を上げれば周りにもぱらぱらと雨粒が降ってきている。


だんだんと雨足は勢いを増し、人々が逃げ惑うように手近の屋根に走っていく。


ジェミニもその他大勢の多分に漏れず近くの屋根に入り込んだ。


うっすらと見える山の向こうに目を凝らしても晴れ間など垣間もみえず曇天がずっと続いている。


めんどくさそうに溜息をつく。


雨は直ぐに視界を埋めるほどに激しさを増していった。


雨は全く止みそうな気配を見せない。


しばらくここから出られそうにない。所謂、手持ち無沙汰だ。


話し相手でもいればいいのだが。





◆ ◆ ◆




ふらふらと何の目的もなく人の波に揺られている。


目的としては一応ジェミニを探している、という事になっている。




「…ジェミニとケンカしただろ」

『え…?』



話しながらジッとシアの顔をのぞき込んでいたと思ったら、今まで話していた内容など押しのけてユキネがそう言ったのがきっかけだった。



『け、けんか? し、してませんよ、そんな』



本当にケンカなどしていない。顔は笑っていて分からなかったけど多分怒らせてしまっただけ。いやひょっとしたらそんな軽い事ではないかもしれない



『ただ、ちょっと、怒らせてしまっただけで…』



声が少し沈んでしまった事を自覚して、大丈夫だと笑顔を作ってみせる。


それを見てピクッと眉を動かしてユキネが不器用に腕を組んで唸り始めた。



「ジェミニが、怒った? あのいつもへらへらしてる奴が?」

『……珍しいんですか?』

「珍しいって言うよりも初めてだな」



うーん、と唸りながら首を捻る。しばらく考えた後パッと顔を上げてシアの顔を見ながら口を開いた。



「アイツはいつもへらへらしてるから何考えてるか分からないんだ」

「…そう、ですかね」

「ナンパ男だし、時々変態だし結構ろくでもないんだ」



そう、いったところはまだ見た事がないがそう、なのだろうか。



「それに責任感もないし、えーと、ほらすぐどこかに消えるし」



所々つっかえながらジェミニの悪いところを羅列していく。えー、とか、あー、とかが増え始め、変態という単語の3回目が出て来た時。



『ジ、ジェミニさんは…そんなにヒドい人じゃ……』



消え入るような声でシアが異を唱えた。

それを聞いたユキネは疲れたように苦笑して溜息をついた。



「そうだな」

『え…?』

「……変態だけど、いい奴だとは思うんだ。だから嫌わないでいてやってくれ」



思いがけない言葉が自分の口から出て来たときから頭が少し動作不良を起こしている。

どうしよう。

とりあえず、とりあえず。



「よし、じゃあ仲直りだ」



何かする前にユキネが考えなしに口を開いた。



『……はい?』

「ケンカしたんなら仲直りだ」

『いやでも…』

「話せば分かるよ、ちゃんと」



にかっと綺麗な顔を歪めてヤンチャに笑った。眩しい笑顔だった。




かくしてシアは今ここを歩いているわけだ。


手分けをして探すという事で現在一人で探している。



街を一人で歩くのは久しぶりだ。外を歩くときはいつもあの人がいてくれたから。


でも今日は一人。


いつかのように頭からすっぽりと布をかぶり、顔を隠して街を歩いて行く。


視界の上半分を占める空が雲により灰色に染まっている。天気を考えるともう帰った方がいいだろう。でも、


怖い。


あの人が怖い。顔を見るのが怖い。声を聞くのが怖い。笑いかけられるのが怖い。


どうしてあんな顔が出来るのだろう。いやどうしてあんな顔をするようになってしまったのだろう。



あれは、あの顔は、種類こそ違えど表情がない能面のような喜色も悲色も無いアイツと同じ顔。かちかちと歯が鳴り出し、寒くもないのに体が震え出す。

落ち着け。いない。アイツはここにはいない。頭からフードをかぶってさえいれば見つかりようがない。

震える体を無理矢理両手で押さえつけて、ぶつぶつと自分に言い聞かせると乱れた呼吸が少しずつ整ってきて、激しくなってきた雨の音だけが聞こえるようになってきた。

大丈夫。辛くても笑っていれば怖くない。



"笑え"



雨宿りしないとせっかく与えてもらった服が汚れてしまう。周りを見渡して近くにあった店へ避難した。


大きいショーウィンドウがあって中にはアンティークな家具が並んでいる。


中の様子に気を取られていた間に、どんどん人が屋根の下に入ってきて密集してきた。


幸い最初の方に入ってきたせいで雨に当たることはなさそうだ。


聞こえてくるのは激しい雨音といきなりの雨を呪う声。



――ザワザワ


――バシャバシャ



その音だけに神経を集中すると何だか恐怖が洗い流されていくようで気持ちいい。いつの間にか震えも止まっている。


止むことなく心地いい音が情報となって一方的に耳の中に入り込んでくる。しかしその中にシアの音はない。


せっかく今は話せるのに。首筋に腫れ物にでも触るようにそっと手を触れる。首と手から伝わる堅い金属の感触。でもそれが今は嬉しい。



誰かと話したいな、と思った。



示し合わせたかのように、視界の中に見つけた。


後に来たせいか少しだけ癖が入った茶色の前髪を濡らしながら雨宿りしている顔見知りを。


慌ててショーウィンドウの方に顔を向けて顔を俯かせる。しかし逃げるような行動とは真逆に妙な気持ちがわき上がってきていた。



話したいな。



昨日のような表情はまだ怖い。


だけどあの人はやっぱりいい人だから。私は嫌な物を重ねて逃げ出してしまったけど。


今は話せるじゃないか。逃げなくても。


聞きたいことは聞いて。相談して、そして話も聞ける。


あの人のことを聞いて、そしてやっぱり少し怖いけど自分のことも話してみよう。


そして、私の笑顔に本当に笑ってもらって言葉を交わせるようになったら。最終的に私のことを嫌いじゃなくなってくれたら。



――話せば分かるよ、ちゃんと。


 先程言ってもらった言葉も背中を優しく押してくれる。



話してみよう。


そう決心してグッと唇を結び、ぐっと顔を上げた。





そしてショーウィンドウに映る自分の首に、黒い革の手袋を付けた手が副えてあることに気づいた。




「見ィつけた――」




嫌でも死んでも忘れられはしない擦れた声が耳に届いて。

副えられた手が首を包むようにゆっくり閉じられてシアの首を圧迫していく。



「ヒハッ、お痛するようなタイプじゃないと思って油断したよ――」



けたたましく鳴る歯の音が雨の音も人々が話す声も覆い隠して塗りつぶしていく。



「何を怯えているんだシア、教えただろ――?」



グッと手に更に力が入り呼吸を邪魔する。



「――――笑えよ」



容赦なく叩き付けられる恐怖に表情が歪む。


歪んで歪んで、気味が悪いほど自然に笑顔に行き着いた。



悟る。


こんな顔をしていたのか、と。

こんな顔で笑っていたのか、と。



気持ち悪い。




恐怖が握られた首元と擦れた声を受け取る耳からじくじくと浸食するように体に広がる。


体の奥から同時に諦観も浸透していくそんな時。



再び見つけた。

 

ショーウィンドウに映っている。背中が映っている。見慣れた茶髪が映っている。


助けを求めたい。


助けて欲しい。


手は届かないし、汚い私に触って欲しくもないけど、今なら声だけは届くから。



ガラスに映った顔が泣きそうに整う。


震える喉で思い切り息を吸い込んむ。どこから伸びてきているか分からない手の先で少しだけ驚く気配がする。



―――助けて…!



しかし、出たのは空気だけ。


気付けば喉にあの金属の感触がない。



「――もしかして助けでも呼ぼうと? バぁカな子だなぁ。声はもう出ないだろうが」



 擦れた声が耳元で聞こえるが、頭の仲間では入ってこなかった。


 何で、声が…、とその事で頭が一杯で、考える間に世界が狭くなっていくような感覚に襲われる。


 

 ああ、何だ。


 簡単なことだった。




 私は助けてもらえる資格がないんだ。




「何とか間に合いそうだ」



世界から切り離される。


唐突に、意識が途切れた。






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