×印
「ん………」
強い日光を感じて、目を開けると青空が広がっていた。
「……何でやねん」
ああ、そう言えば昨日酔った勢いで大暴れしていた奴らがいたな、とぼんやり思いだした。その若い奴らは揃ってもう復活して部屋にはいなかったが。
名前も知らないオヤジはその息子が引き取りに来て残ったレイだけが日陰のベッドでうんうん唸っている。
ジェミニもレイも確か昨日は床で寝ていたはずなので、たぶんハルユキ辺りがベッドに運んでくれたのだろう。ふと、レイの横から此方に小走りで駆けてくる少女を見つけた。
『大丈夫ですか?』
聞こえた声に耳を疑った。思わず目を見開くと、驚いた顔を期待していたようにシアが優しく微笑んでいるのを見つけた。
『ハルユキさんがこれ、くれたんです』
そう言ってのど元を指差した。その指の先に目を凝らすと小さい小さい鉄のかけらの様なものが付いている。
『これを喉につけると話せるようになりました。びっくりです』
「ホントに何もんやあいつは……」
そんな魔法も技術も聞いた事がない。一体どういう仕組みになっているのか皆目見当もつかない。
『この服もノインさんって人が用意してくれました。ちょっと大きいんですけど』
そう言えば、間に合わせで買った安っぽい服ではなく、今時の若者が着ている様な半袖のワンピースを着ている。確かにちょっと大きすぎて二の腕の半分以上隠してしまっているがあんな粗末な服よりはこちらの方が断然いいだろう。
『昨日はどうかと思いましたが、皆いい人たちですね』
「ワイ以外には基本的には親切な奴らやからね」
『皆さん口ではいろいろ言ってましたけど、ジェミニさんのこともちゃんと大事に思ってくれてると思いますよ?』
「そやろか?」
『そですよ』
どこか無機質な声はやはり不自然さが残るものの、それでもこの機械が喉から手が出るほどほしい人もいるだろう。
『半日で消えてしまうそうですけどね。それでも話が出来るのは嬉しいです』
「何か話してると雰囲気変わってへん?」
『あ、すみません…』
ビクッと肩を揺らしてシアがほんの少し青褪めた。やっぱりあまり変わってはいないようだ。
「いやいや、悪い意味やなくて。そっちの方がええよって言おうとしたんや」
『……声が出ないと、その、色々塞ぎ込みがちになってしまって、自分だけ世界と繋がってないって言うか、分かりにくいでしょうけど…』
「んーん、何となく分かるで」
『そうですか?』
「そうや」
声が出ないから不安。寂しい。
それは確かにあるだろう、しかし最初の怯え様は明らかに度を超えたものだった気がするのはただの気のせいだろうか。…いやおそらく違わない。
「水くれー…」
『あ、今持っていきますね』
ほんの少しの葛藤は酔いどれ具合が残った声に遮られて、霧散した。
「…近年稀にみるお利口さんやわ」
か細いレイの声にパタパタと音を立てながら水差しを持ってシアが駆け寄った。ジェミニもそれに着いていきレイの顔を見ると見るからに眉間にしわを寄せうっすらとくまが出来ている。明らかに二日酔いだ。
「ハルユキと飲み比べたらあかんで? 最近アルコールを体内で分解する方法を覚えたらしいから」
「……どういう生き物だあやつは…」
『冷やしたタオル持ってきました』
「すまんの」
「貸してみ」
シアが水につけたタオルを絞ろうとした所を横からジェミニがそれをさらった。ギュッと一絞りでタオルの水滴を落としきる。
それをシアに渡すと細い腕でパンとタオルを伸ばすとゆっくりレイの額に乗せた。
「…あーー………」
レイの額の皺が緩み、同じく弛緩した声が零れ出た。
「ところでこの宿どうすんの? 昨日止めに来た宿主さんも誰かやっつけてたけど」
「ノインがアホ程金出してからはホクホク顔だったから大丈夫じゃろ…」
金に物を言わせたらしい。昨日はいきなり壁なくすわで色々ぶっ飛んだ人だ。
「それよりほれ、お前らも酔っ払いの世話なんぞしとらんで町にでも出てこい。臨時で収入があったから今日は自由日だそうだ。小僧は暇だから仕事をするそうじゃが」
「んじゃお言葉に甘えて、シアちゃんデートでもしよか」
『…え? あ、いや、でも……!』
案の定ビクッと肩を揺らして目を泳がせる。いつものように笑っておどける様に肩をすくませる。
「冗談や~、そんなビビらんといてぇな」
スッとシアの顔から表情が消えた。続いてグッと唇が噛みしめられる。
『……行きます』
「え?」
『デート行きましょう?』
ニコッと微笑んでそう言った。
「…いや別に無理せんでも」
『無理してません』
「いや……まあ、うん。それなら行こか…?」
扉の近くで振り返ると、レイが仰向けに目ごと額をタオルで被せたままひらひらと手を振っていた。
「さて、何しよか」
自慢じゃないが数限りなくナンパしてきてここまで至ったのは初めてなので右も左もわからない。
『歩きましょう?』
宿の入り口を出た所でぶらぶらしていた手を横からシアに握り取られた。
「そうやね」
やはり少し雰囲気は変わったようだ。こっちの方がいいと言ったのは紛れもない本当の事だが、さすがに少し戸惑ってしまう。
少し前までは自分の方がリードする側だった気がするが。
『ほら、確か今お祭りなんですよね。色々お店に寄ってみませんか?』
「いいともさー」
細い腕を両側とも使ってぐいぐいと引っ張って連れて行かれる。
伝わる感覚は忙しなく、少しだけくすぐったい。ハルユキがあの二人にひっぱりまわされる時もこんな感じなのだろう。
『次あれ食べてみませんか?』
「…シアちゃん結構食べはるね」
『え? あ、や…や、やっぱりやめま、す』
「駄目やで。一度言った事は貫かんと」
今度は攻守逆転してジェミニが嫌がるシアをからかいながら引っ張っていく。嫌がりながらも笑ってくれているのでまあ失敗はしていないようだ。
それに合わせて笑顔を作ってあげる。
シアと目があって、少しだけシアの笑顔が陰った。抵抗していた力がふっと抜けて目当ての店までたどり着く。
たどり着き次第、繋がれていた手が解けた。
『じ、じゃあ少しだけもらいますね』
「ふっふっ、体は正直みたいやなぁ」
『………』
「ビビらんといて…冗談やから」
全く変わったのか変わってないのか。
その次に行ったのは暗幕でできたテントの中での劇。その中はどうやってか涼しく空気調整がされていて若干歩き疲れていた足腰と体には優しい環境だった。
劇の内容は王女が身分違いの騎士と恋に落ちるというありきたりの筋書き。しかし別名王道と呼ばれるそれはそこそこの余韻を残していった。
ぞろぞろと劇の感想を口にしながら出てくる人に混じって暗幕の途切れをくぐった。
『こういうのは初めて見たんですけど、すごく面白いですね』
「ワイは恋愛ベタベタはちょっとあれやけど、さっきのは割とあっさりしてたから面白かったわ」
『男の人はそうかもしれませんね。でも女の子は少しは憧れますよ? 白馬の騎士様とか。素敵じゃないですか』
「シアちゃんも?」
『柄じゃないのは分かってますけどね』
周りの人間と同じように劇の感想を交換しながら、すっかりオレンジ色に染まった空の下で家路につく。
『あれ…』
ふとシアが足を止めた。視線の先には出店ではなくきちんとした建物の店。
「ん…? ああ花屋やね。うわ、見たことないんがいっぱいや」
「おや、買ってくかい?」
「お勧めは?」
「これはどうだい? 向日葵っていってね、この季節に綺麗に咲くんだ」
「でかいな…」
丈も花も花弁も全てでかい。こういうのは自然に咲いていてこそ美しいんだろう。活けては駄目だ。
『これは…?』
シアが指差したのは花屋の物ではなく道端に咲く黄色い花。
「ん? ああそれはタンポポだよ」
『タンポポ…』
「根無し草な花でね。これから更に暑くなると種を飛ばすんだ。それはもう遠っくまでね。何ににも縛られない、自由な花さ」
そこで、まるで表情を見せないように俯きながら、ぐっとシアが袖を掴んでいる事に気づいた。
「ワイに花は似合わんわ、んじゃね」
「はいよ」
それからしばらく沈黙が続いた後、またシアから劇の話が始まった。劇のネタはそう簡単に尽きる事無く、帰路の半分程まで続いた。
ほんの少しだけ、会話が途切れた所でほんの少しシアの歩が遅れている事に気付いた。
「少し休もか?」
『あ、すみません…』
「ええてええて」
幸い祭りのせいかあちこちに休憩所やベンチが設置されている。軽く見渡すと手近に開いている所を見つけたので、そこに座り込んだ。
『あー…風が気持ちいですねー…』
「そやね」
『あ、喉渇きません?』
「そやねー」
『飲み物買ってきますね。ちょっと待っててください』
「いやええよ、ワイが買ってくるから。お金も持ってへんやろ?」
『さっき食べ物買った時のお釣りがあるんで大丈夫です』
「シアちゃん無理してへん…?」
『……大丈夫ですよ? こうして休ませてもらったし』
そういう事を聞きたかったわけではなかったのだが、どうにも話すタイミングが分からない。悩んでいる間にシアは走って小さい屋台まで走って行ってしまった。
正直何を聞きたいかも何で聞きたいかもはっきりしていないが。考えている間にパタパタと両手に器をもってシアが走り寄って来た。
『はいどうぞ。ジュースですけど』
「ありがと」
受け取ろうと何気なく手を伸ばした。
視線はガラス製の器に。恐らく飲んだ後は返さなければならないだろう。
そしてそれを持つ手。相変わらず小さい。
手首。肘。そして二の腕。ちょうど裾で隠れていたところにそれを見つけた。
「それ……」
「え……? ──ッ!?」
シアが思い切り跳ね上がりながら腕を引いたことで、手からこぼれ落ちたガラスのコップが地面に落ちて派手に破砕音を響かせる。
『あ、あの…えと……!』
「…まだやっぱ腕細いなぁ」
『え……? あ、はい、すみま、せん…』
「謝ることやないよー。それよりしょうもないこと言うてグラス割ってもうたなぁ。謝りに行かんと」
『は、はい。そうですね』
出来るだけ割れたコップを集めて持って行った。
何とか気づいてない振りは出来てはいたが、二の腕に刻まれていた印象的なそれは脳裏に残っている。
うっすらと黒ずんだ×印。
何かを否定する不吉な印。
再び帰路に付くものの、ジトッとした沈黙が重い。チラッと隣に目をやると同じようにこちらを見ていたシアと目があった。
笑う。それを見てシアも慌てて笑う。ガリッと脳髄で音がする。
唐突に、気づいた。
この子はあいつに似ている。しかしこのガリガリとした引っ掻くような痛みは、郷愁や後悔とはまるで別物だった。
つまりあいつより、あいつよりもっと。
―――この子は、俺に似ている。




