飲めや、騒げや
何でもない一日の昼下がり。
コンコン、と控えめにノックをして数秒待った後扉を開ける。事この扉に置いてノックの返事を待つことに意味はない。
扉の向こうではいつもの様にシアが小さい口でちょこちょことパンをついばんでいた。
シア。
声が出ない事を知った後、小さい紙に小さい文字で名前を教えてもらった。
小さい小さいと言うが15歳という年相応の体つきだ。ユキネよりほんの少し小さくフェンよりは確実に背が高い。それでも一向に肉がつかない体はどこか弱々しく感じられた。
「シアちゃん。具合は…良いみたいやな。よかったよかった」
いつもの様に笑顔を張り付けてそう言うと、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げてベッドの座っている位置から少しだけずれた。そしてまたこちらもいつもの様にそのあいた所に座り込んだ。
お互いの名前を交換してから、数日。
「へえ、じゃあ今日で退院できるんやねー」
コクン、と頷く少女からはジェミニに対する警戒はあまり感じられなかった。しかし例によって少女の表情は暗い。
事情なんて結局一言も聞いていないが、何か訳ありだという事ぐらいは察することはできる。声も出ない少女が一人で倒れるまで出歩くなんて状況は明らかに日常的ではない。
(どうしよ…)
選択肢は幾つか。
ある程度路銀を与えて、後は放っておくか。
このまま出て行って関わりを断つか。
それとも。
チラッと横の少女に目をやるとボーっと虚ろな目で斜め下の虚空を見つめている。
力がない。この少女には力がない。単純な腕力ももちろんだが、魔力も気力も。
警戒が抜け落ちた目の中には何も残ってはいなかった。ガリッと一際強く頭のどこかが引っ掻かれる。
「行くで」
シアの腕を掴んで引っ張り上げた。
一瞬ビクリと体が震えるのが伝わってきたが、すぐにそれはなくなって抵抗なくシアを立ち上がらせる。
ガリガリガリと絶えず不快音が続く。
引き上げてから手を放し、不思議そうな顔でこちらを見つめるシアの頭に手を置いた。
ここ数日で湯にでも浸かったのか、ほんの少し艶やかさを取り戻した髪の感触が伝わる。
「子供の面倒を見るのは大人の義務やからな」
どこかのお人好し馬鹿が言いそうな言い訳臭い事を口にしてみる。
もちろんそんな理由で彼女に触れているわけでもないし、どんな理由かも分からないが。
もう少しだけ頭の中で鳴り続ける不快音を聞いていたかった。
◆ ◆ ◆
「……田舎のおっかさんが泣いとるぞ」
「どういう意味!?」
宿のロビーで、どこから買ってきたのか歯応えのありそうな干し肉を貪っていたレイが、シアと一緒のジェミニを見て言った第一声だった。
「なるほど。つまりお前が出頭すればいいんじゃな」
「なるほど。何も聞いてなかったんやね」
場所を変えたジェミニとハルユキの部屋でザッと説明をしてもレイはそんな事を言っていた。
冗談じゃ、と笑ってシアに目を移す。それだけでシアは肩を竦めジェミニの後ろの隠れてしまった。
「……悪い事は言わん。その男に触れるぐらいなら舌を噛み切れ」
「ワイはどんだけ凶悪な存在なんやろか…?」
ケタケタと笑いながらレイがシアに手を伸ばすが、シアはそれを怯えた動作で避ける。
「む……」
しばらくその動作を繰り返した後、禍々しい雰囲気でレイが唇の端を吊り上げた。
「なるほどつまり挑戦されとるわけか。その喧嘩買った」
一際ビクッと体を震わせ、ぶんぶんととれるんじゃないかという程にシアは勢いよく首を横に振る。
「まぁこれも冗談として。つまりこやつは何者なんじゃ」
「シアちゃん」
「……それだけか?」
「残念ながら」
「…また厄介事の匂いがするのう」
レイが何か行動するたびにびくびくとジェミニの後ろで身じろぎするシアを見ながら、レイは干し肉を口に運ぶ。
そこで後ろから扉が開く音がした。
「……ん?」
入ってきたのはユキネ。最初に干し肉を食べているレイを見て、ジェミニを見て見知らぬ少女を見て最後にその少女が怯えながらジェミニと密着"させられている"のを見て。
数秒考えた後、剣を抜き放った。
「ついに非行に走ったか…!」
「一旦落ち着こう!? ね!?」
再び扉が開く音。その向こうにはいつもの無表情をぶら下げたフェン。
「───"霰"」
「問答無用!?」
理不尽の末の断末魔が響いた。
「野郎どもー。臨時収入と飯だぞ…ってなんだこの惨状は」
「正義故、だ」
「……なんじゃそら」
◆ ◆ ◆
「いやてっきり拉致して悪行の限りを尽くすのかと。…すまなかった」
「…ごめん」
「もう慣れてきた自分が少し怖いわ…」
「それにしてもシア、だったか?」
部屋の人間のほとんどの視線がジェミニの後ろに隠れているシアに移る。ますます縮こまるシア。
「シアちゃん。基本的に気の良い人ばっかやから大丈夫。……でもそこの男には気をつけてな。趣味が女を泣かせる事やから」
「なんで何の根拠もない嘘をつく!?」
「この前、受付のお姉ちゃんとよろしくやいよったやんけ! ワイはしっかり見た」
「……失望したぞ、ハル」
「…最低」
「待てお前ら。さっきの失敗から何か学ばなかったのか早とちり…俺の背中は剣が収納できるようには出来てないぞユキネー」
「いい気味や。爽快そうか、ぎゃああぁあああ!!」
「アイアン・クローって知ってるか?」
「割れる割れる! 何か出るぅぅぉおお!!」
「……ちゅー…ッ」
「………どさくさに紛れて何吸ってんだコラ」
「やはり儂には酒と血じゃのう。どれ酒の方は。お、中々年季が入ってそうな……」
口に付いた血を拭いながら、持ってきた酒を眺め始め、その中の一つを手に取った。
それを横から奪い去る。
「ニートにそんな高いもん飲む資格はない」
「ニート?」
「N(ネーミングセンスが)E(エグイ)E(偉ぶった)T(使えない奴)って意味だ」
「せい!」
「ガード!」
「ゴフッ!?」
ジェミニの頬にレイの踵が突き刺さる。
「……ストップ」
いつものけんかになりそうな所でいち早く冷静に戻ったフェンが割って入った。
「…怯えてる」
そして部屋の隅でぶるぶると体を縮こまらせているシアを指差した。
それを見かねたジェミニがちょっと落ち着いて自己紹介でもしようかと提案して、他の4人もとりあえずそれに従った。
「俺はハルユキ」
「ユキネだ」
「…フェン」
「レイじゃ」
「こっちはシアちゃん」
改めて紹介されて、おずおずとシアが頭を下げた。ジェミニの説明ではあと声が出ない事しか分からないだろう。
「声が出ないって、そりゃまた大変ね」
そして自己紹介の途中で窓からいきなり乱入してきたノインが呑気に感想を述べた。
「……何で当然の様にまたここにいるんだお前は」
「用があるのはあっち」
ベッドに座ったまま興味なさげに半開きになっているなっている扉を指差した。
一瞬の間の後、どかどかと階段を荒々しく上る音が連続して聞こえた後、扉が勢いよく開け放たれた。
「ここか、クソガキィ!!」
「げッ、キィラル…!」
「あの後、また城に来ちゃってね。私はもう知らないから直接本人に話付けてって言ったら飛び出して行っちゃってね面白そうだから私も付いて来たの」
「……今お前がつまみ気分で口にしたのは俺の今日のメインディッシュな事について何かあるか?」
「もっといいもの食べれないの?」
「帰れ!」
「そんな事より無視されて怒ってるわよ、あちら」
ハルユキがノインから視線を戻すと鼻息荒くキィラルがゆっくり迫ってきていた。
「説明すればいいんじゃない?」
「…俺がするのは何か違わないか?」
「私がするのも違うでしょ」
「はっはっはっはっ! お前はいい奴だなぁ!」
グビグビグビといつもの様にペース配分も何もなしにハルユキに肩に手を回すキィラルは相変わらず暑苦しかった。
結局嫌々ながらもハルユキが説明すると見る見る間に態度を豹変させ、酒の蓋を開け始めた。
だかだかだかとまた階段を連続でたたく音がして扉が開いた。
「ノイン様! やはりここでしたか…!」
「どうしたのミスラ。そんなに慌てて」
「許可なくうろつくのはやめてくださいと言っていたでしょう…! この頃は減っていたのに…」
「おお、ノイン居たか…って、うげッキィラルさん!」
ミスラの肩越しからひょいと部屋の中に顔を覗かせたガララドの表情が固まった。
「ガララド! お前結婚すんだってなぁ!! よし祝い酒だ飲むぞぉ!」
「えぇ…。この前散々飲まされたからもういいですよ」
「馬鹿野郎! 俺の時なんざ三日ぐらい飲み明かしたもんだって言うかてめぇ帰って来た時、目合わせないようにしてただろ!」
「だってキィラルさん。雰囲気とか読めないから…」
「読まん!」
「あ、でもマスターにはしましたよ、報告」
「なら許す!! いいから飲め!」
「分かりましたよ。いただきます…」
キィラルの横にガララドが座った途端、体ごとからみに行ったのでその隙にハルユキはベッドに避難した。
ベッドに座り、一息つこうとしたところで第二の刺客。
「ハルぅ!!」
「クロスチョップ!?」
顔を真っ赤にしたユキネが胸に顔を押し付けてくる。その顔からはほんの少し酒の香り。
「……誰だ。また未成年に酒を…」
顔をあげた瞬間に目に飛び込んできた光景に言葉を失った。
逆さになった一升瓶並の大きさの酒の瓶。その首の先には小さい口。
言ってしまえばフェンが酒を豪快に直飲みしていた。直ぐにゴトン、と重い音を立てて空になった瓶が床に転がる。
ユラリ、とフェンが立ち上がってハルユキに向かって歩いてくる。ビシ、と乾いた音がして同時にユキネが目を回して動かなくなる。
その小さい腕からは考えられない膂力でユキネを隣のベッドに投げ捨てた。
あっという間にハルユキの上に四つん這いになると、酔いのせいで若干潤んだ目でジッとハルユキの目を覗きこんできた。
「あのー…、フェンさん?」
パタン、と腕から力が抜けハルユキの胸の上に倒れこんだ。どこかホッとして天井を仰ぐと、一升瓶を片手にワクワク顔で二人を覗きこんでいるレイと目があった。その手には先程の一升瓶。
「…いやまさかこんなに面白い事になるとはの」
「やっぱりお前かくそニート…!」
「無防備な寝顔……。行ってきまっす!」
「逝ってらっしゃい!」
エセ関西弁撃破。
「この部屋狭っ苦しいわね。ミスラ、そこの壁斬り払って」
「御意に」
ズバンと壁が斬れ、バタンと壁が丸ごと倒れ、プツンと頭のどこかで音がした。
「……お前ら纏めて再教育してやろう」
物凄い擬音を噴出しながらハルユキを中心に怒気が巻きあがった。
「ヤバいわね…。総員戦闘態勢! 迎撃するわよ!」
王女がさすがの統率を見せ、復活した三人と他の全員もハルユキの乱心ぶりを見て戦闘態勢に入る。
はた迷惑な騒音と共に馬鹿な夜が始まった。
◆ ◆ ◆
「あたたたた…」
しこたまぶつけた後頭部を押さえながら、ジェミニはシアの横に座り込んだ。
おろおろとこちらを心配するシアに軽く笑って無事を知らせる。
とっくに男陣は壊滅し、キィラルもガララドもそこらへんでノビている。ミスラは気絶したガララドの傍で具合を見ていて、他の逞しい4人の女性陣は壁とついでに天井も無くなって随分と広くなった部屋でまだ暴れている。
下の街道では酒が回った野次馬たちが大声で笑い叫びながら一緒に夜を楽しんでいた。
「今日の宿に部屋を貸す気やったけど、無くなってしもたなぁ」
怯えを通り過ぎ、どこかボーっとしていたシアがその言葉でやっとジェミニに気づいたようにハッと肩を揺らして首を横にぶんぶんと振った。
「うーん、でも女の子を屋根のないところで眠らすわけにもいかんしなぁ」
正直首を振った意味は何通りもありすぎて分からなかったがどうせ考えても分からないので勝手に解釈することにした。
「まぁこんな部屋でもいいッちゅうんなら…ハルユキー! シアちゃんしばらく泊めてもええ?」
「許す」
「お前が許すな駄王女!」
案の定まともな返答は返ってこなかった、が。
「ま、別にええやろ。風通しはいいし星が見れるし」
呆れて笑いながらジェミニが顔を横に向けると、シアが控えめに口に手を当ててくすくすと笑っていた。
「笑った顔は初めて見たで?」
そう言うと、シアは自分でもびっくりして、その後また優しく微笑んだ。何かを思いついたのか、奇跡的に無事だった机の上で何かを書くと書いた紙をジェミニに手渡した。
『ジェミニさんが笑った顔も初めてみましたよ?』
一言だけ、ただそう書かれていた。
「………どうやろなぁ」
いつも自分は仮面を替えているつもりだ。表情の作り方はまだ自然にはできないから。
でもこういう時。
ああいう馬鹿でお人好しな奴らと、気ままに行動していると分からなくなる。ちょっと自分への扱いが酷い気もするが。
果たして仮面を替えているのか、ただ自然に表情を変えているのか。
ただその感覚は決して嫌なものではない。ガリガリと脳髄を引っ掻き続けるこの音と同じで。