蒼い髪
この町は非常に賑やかで実によろしいと思う。
「……すいません仕事があるんで」
……これでもうちょっと町人にゆとりがあったらな、とも思う。具体的にいえばもっと開放的な。アバンチュールな。
せかせかと去っていく名前も知らない女の子の背中を見つめてため息をつく。
別に落胆しているわけではない。元々成功するとも思っていないし成功したとしても困るのは自分だとも自覚している。
ならなんで近づいてわざわざ拒絶されに行くのか。
知らない。考えた事もない。
このやり方で人と繋がれない事も知っている。
だからもしかしたら。本当にもしかしたら。
自分は拒絶されたくてピエロを演じているのかもしれない、と。ふとそう思った。
軽く苦笑いして、ヒロイックな考えを振り払った。
「お、かわいいお姉ちゃん発見」
そしてまた適当な人間に声をかける。
何時ものように人の良さそうな笑顔を顔に張り付け、軽い風体を装いながら近寄って行った。
ふと。
目の端に何かが映って消えた。
考える前に振り向く。
消えたといってもすれ違った事で視界から出ただけで振り向いただけで当然それは見つかった。
後ろ姿は、ぼろきれの様な服を頭から被っていて何の特徴も読み取ることはできない。
しかし、視界の端に移ったものが瞼の裏に貼りついて離れない。
渇いた喉を生唾を嚥下してやっとある程度落ち着きを取り戻すと、一息にゆっくりと遠ざかろうとするその背中に追いついた。
一呼吸おいて、無言のまま肩に手を置いた。
少し力を入れただけで、その人間の顔がこちらに向き、振り向いた勢いで頭からフードが外れる。
血が逆流したかのような錯覚を覚えた。
目の前に広がった光景の中で一番に目を引くのは先程眼の端に移った青い髪と眼。
フェンの空の様な淡い青ではなく、深海の様な深い蒼。
そして何かに脅えるようなその眼は昔を思い起こさせられて、頭の中をガリガリと引っ掻かれるような感覚に陥る。
──しかし、違う。
整った顔立ちだが、自分が知っている顔とはほんの僅かに違っている。
だから。
「……一緒にお茶せぇへん?」
何時ものようにその台詞を口にした。
残念なことだがこんな台詞で誰かと繋がれた事はない。
だからこれは逃げ口上。
見ているだけで脳の裏側が引っ掻かれ続けている。正直逃げ出したかったのだ。
「───ッ!」
バシッと息を呑む声と共に肩に置いた手を払われた。
これでいい。
後は勝手に離れていくのを待つだけ。
しかし状況は思いもしない方向に転んだ。
まず最初に不自然さを感じさせられたのはその表情。
ジェミニの顔を確認した瞬間に表情が和らいだ。恐怖の色から明らかな安堵の色に。
加えて言うが目の前の顔に見覚えはない。
だとするならば、恐らく"特定の誰か"ではなかったための安堵感、というのが妥当だろうと目星を付ける。
そこまで思考を巡らせたところで、目の前の少女の目に力がない事に気付いた。
そして気づいた次の瞬間には少女の体が傾きだした。
「は? ちょ…!」
つい。
本当につい。
こちらに向かって倒れこんできたその少女を受け止めてしまった。
胸の中に少女が収まる。
その体は驚くほど細く、残酷なほどに軽かった。
◆ ◆ ◆
「過度の栄養失調、所々に打撲と擦り傷。全くどうしてこんなになるまで放っておいたんだか」
横で静かに寝息を立てる少女を呆れたように見つめながら医者が溜息をついた。
「それで、料金もろともはあんたに請求していいんだな?」
「…それでええです」
それを聞いて満足そうに医者は頷くと部屋を出て行った。
「………」
黙って少女の顔を見つめる。
よく見れば確かにカサカサの肌に所々傷や土がついている。
何となく傍に用意してあった洗面器と布を使って顔を拭いてやることにした。
起こさないようにゆっくりと顔を拭くが、ぐっすりと眠っているようでその心配はないようだった。
綺麗になった顔を改めてよく見ると、やはりよく似ている。
本当に似ているのは青い髪だけなのだが、なまじ顔の造形が整っている分他の部分も知っているそれと遠くはない。
ガリガリガリガ利ガリ我利我利ガリ画リ──…
頭蓋骨の裏側にある脳のさらに裏側のどこか形容しづらいところから引っ掻くような不快な音が続いている。
離れよう。
元々知り合いでもなし、ここまで運んで治療代を工面しただけでも感謝されるほどのものだ。
しかし、気持ちと裏腹に重い腰はどっかりと座りこんだ椅子から離れようとしない。
何とはなしに顔に視線を戻した。
そこで薄らと少女が目を開けている事に気付いた。
「……起きた?」
ゆっくりと開いていく瞼の奥で眼が辺りを見渡している。
どうやらまだ状況を理解していないらしく、警戒しながらこちらを睨みながら上半身を持ち上げた。
ガクン、とその体を支えていた腕が重さに負け倒れこみそうになる体を反射的に支えた。
「状況を簡単に説明するとやな? 町で倒れた君をこの病院、って言うにはシミッタレとるけどまあここまで運んで来たわけや」
ベッドにゆっくり寝かせつけながら自分の声じゃないほど穏やかな声を出していた。
「……君、お金は?」
質問から数秒経って、相変わらずこちらを怯えるように睨んだまま弱々しく首を横に振った。
「食べ物があるから、食べてな。わいはもう行くから」
ガリガリとガリガリと。騒音が止まらない。
横の台に置かれていたスープとパンを指差した。
それを見て少女は力一杯首を横に振る。食べたくないと、そういう事らしい。
「じゃあわいが食べるわ。ちょうど昼飯時やし」
台を引きよせパンを鷲掴む。そのままためらいなく口に運ぼうとしたところで虫が鳴くような侘びしい音がした。
ふい、と真っ赤な顔でお腹を押さえている少女に目を向ける。
視線があった少女は真っ赤な顔のままで気丈にまた首を横に振った。
「いただきます」
少女が無意識になのだろうが口を開けて今にもよだれでもたらしそうな様相を横目にゆっくりとパンを口に運ぶ。
口まで後10㎝位というところで同時にゆっくりと近づいてきていた少女の口の中に素早くちぎったパンを放り込んだ。
「───!?」
びっくりしている間に手にスプーンと残ったパンを握らせると早足で扉に向かった。
「お金はもうええから、良くなったら帰るんやで」
それだけ言って顔を見ないように早足で病院を出て行った。
◆ ◆ ◆
「…うーん………」
どうしてまたここにいるんだろうか。
気づいたのがここに着いてからだったからどうしようもなかったのだが。
溜息をつきながら古びた病院を見上げた。
思えば何もない時はギルドの仕事を手伝うか何かしていたはずだ。こんなに早くから町をうろつくのもいつも通りではない。
ペースが乱されている。
はっきり言えば気になってしまっているらしい。
思い出すだけでカリカリと脳髄に何かが爪を立てる。
「…ええい!」
それ以上に頭をバリバリと掻き毟ると病院に向き直った。
昨日の様子からするともしかしたら、いやほぼ間違いなく少女は病院を出て行ってしまっているだろう。
それだけ確認して帰ればいい。
「…元気みたいで何よりやけどね」
扉をあけると控えめにパンを口に運んでいる少女と目が合った。
目があった事に気付いた少女はこちらを怯えた目で見つめながらジェミニから離れるようにベッドの端に移動していく。
「何もせぇへんて…」
そんな事を言っても聞き入れるわけもなく相変わらず怯えっぱなしなので少女とは逆のベッドの端に座り込んだ。
少女はとりあえず安全だと認識したのか相変わらずこちらを警戒したままパンをかじり始めた。
少女の方にそっと目をやるだけで少女を肩を跳ねあがらせる。
細い腕。余分な肉どころかほとんど肉付いているところなどなく、思い切り握れば折れてしまいそうだ。
その細い腕で少女が最後のパンのひとかけらをゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。
ああ、そう言えば。
少女がいたときに何をするのか考えていなかった。
「んーと…」
何か言おうとしたところで少女がこちらをちらちらと見ている事に気付いた。
いや、よく見ると視線は少し右にずれている。
「ああこれ。はいどーぞ」
傍の机に置いてあったほとんど具も入っていないスープを少女に手渡した。
少女は差し出されたそれをきょとんとした顔で見つめると、こちらを全力で警戒しながらゆっくりと手を伸ばした。
最後までゆっくりと器を受け取ると、少しだけこちらに会釈をしてスープに手をつけ始めた。
きちんと集中してスプーンを救っているところをみると警戒が先程より減っているようだ。
「わいはジェミニ。君の名前を教えてもらっていいやろか?」
声を出すとまたビクッと肩を震わせた。
ジェミニ。"俺"の大切な大切な名前。返してくれると嬉しいけれど。
少女は飲みかけのスープを膝の上に置くと、困ったように顔をしかめた。
少しの間を挟んで少女が躊躇いがちに口を開いた。
ゆっくりと唇が形を変える。
しかし、それに伴うはずの何かが足りなかった。
「君、声、……出ないんか?」
ジェミニの思い出にわずかに面影を残す蒼い髪をほんの少し揺らして俯くように少女は頷いた。




