紅蓮に燃ゆる
走る走る走る。
一瞬も止まることなく動き続ける。
目の前に迫る刃を避けざまに、炎圧を加えた拳をたたき込み転がりながらも前に進む。
一瞬だけ減速した所に轟音と共に雷が鳴り響く。
必然的にそこにいた先程の男が黒こげになり動かなくなった。
つんのめりそうになり、そのまま転がりながらも移動する。
一瞬でも動きを止めてしまえば、雨のように後ろで降り注ぐ雷の餌食だ。
出来るだけ人間が密集しているところに突っ込めば、ある程度雷撃の数は減る。
だからある程度人間が密集したところに闇雲に突進する。
一人倒すごとに体に傷が増えていく。
また一人。傷もまた一つ。
倒したのはいったい何人だろうか。
残った体力から考えれば、あと十人ぐらい、であってほしい。そうでありますように。
「くそッ…!」
目の前を見てみればそこだけでも七人ぐらいはルウトを待ち構えている。
ゴゥッと唸りを上げながら、様々な魔法がルウトに向けて殺到する。
出来るだけ引きつけて、足下で一気に魔力を火に変えて爆発させた。
走る勢いを保ったまま放射線状に空を跨ぐ。
飛びながら思い切り息を吸い込む。
自分で考えた、最高の技。
肺にため込んだ空気を吐き出し、それに魔力を乗せる。
猛火となったそれは、以前パージという男がしたように苦し紛れに放たれた魔法を押し潰し、その暴虐の限りを男達にお見舞いした。
同時にくらっとめまいがルウトを襲う。
ぐらっと空中で体勢を崩し、不自然な体勢のまま地面が近づいてくる。
最後の力を振り絞り、火で浮力を作り勢いを殺す。
ぷつん、と頭の中で音が響いた。
地面から一メートルほどで浮力が消え、地面に叩き付けられた。
「ごッ……、はッ…!?」
信じられないほどの衝撃が背中にぶち込まれた。
地面を派手にバウンドし、完全に動きが止まった。
「魔力切れ、ですか」
ざくざくと土を踏む音と一緒にサルドのどこか感心したような声が近づいてきた。
「ひーふーみー…、十六人ですか。ほとんどうちのギルドの人間ではないですが、たいしたものです」
十六人…。
逆算であと二十人以上いる。…ふざけんなくそったれ。
「実にもったいない」
ふぅといつものように溜息をつくと、近づきすぎないところでかがみ込んだ。
「どうです? ここらで一つ大人になってみませんか?」
「……は?」
「まだ、取り返しはありますよ、と言っているんです」
大人になって、また仕事をしろ、と?
大人になって金を稼げと?
汚い大人に染まってしまえと?
……笑わせんな
―――ペッ
返答代わりに唾を吐きかけた。
サルドの靴にも届きはしなかったが、表情は不快に歪んでいた。
ザマァみろ、と小さく呟く。
「……最後に何か言うことは?」
低い声とともに、サルドの右手にバチバチと音を立てながら雷の魔力が集まっていく。
最後?
ああ、なるほど確かに死ぬ。
あんなもんが直撃したらそれは死ぬだろう。
「…前から言おうと思ってたけど、そのマント似合ってないからやめたほうがいいよ」
最期の言葉これかよ…。我ながらどうかと思う。
でも、まぁ、一矢報いたと思えるぐらいはサルドがショックを受けているからいいとしよう。
ザリ、と首をサルドの腕が見えるように回しただけでどこからか砂が擦れる音がした。
全身血と砂と埃まみれだ。
あーあ、最期なのに。
かっこ悪…。
すっと一瞬だけ視界が暗くなる。
怖くて目をつぶったわけではない。
ただ目の乾きを感じ少しだけ長めの瞬きをした、その一瞬でサルドが視界から消えていた。
視界の端から先程言ったマントの端が消えていったのに気づいた。
砂をこすらせながら首を回すと無様に地面に突っ伏したサルドが見えた。
視線を戻すと、握り拳を作った右腕が浮いていた。
その先に肩が続くはずの腕は途中で陽炎のように歪んで消えている。
ブワッとそこを中心に熱風が倉庫内に広がった。
そこから現れたのは嫌に見覚えのあるお世辞にも整ったとはいえない顔。
「なかなか格好良かったじゃねぇか、ルウト」
何時ものようにしわしわのシャツ、だぶだぶのズボン。
ぱっとしないその姿はルウトの父親に違いはなかった。
ただ何時もと違うのは、強い臭いの煙草を美味しそうにふかしていた。
◆ ◆ ◆
キィラルが横に腕を振るとルウトの周りに火が走り完全に囲った後、膜のようにルウトを包み込んだ。
「父、さ……ん…?」
「そこにいろ」
ルウトの方を見ずにそういうと、サルドの方に向き直った
「…くっ、はッ、なるほど、消えていた、わけですか。通りで暑いわけです。全く、……子供の窮地に黙って見てるとは大した父親ですね」
「息子が男上げようとしてる時に出て行けるかよ。……出て来たのは」
そこで一旦言葉を切り、ゆっくりと空中に煙草の煙を広げた。
「決着が着いたからだ、当然うちの息子の勝ちで」
「…風穴ですかその目は。何を持ってそこの坊やの勝ちだというのです」
口からあごに走る血を拭いながらサルドが立ち上がる。
「何で?」
ハッと馬鹿にするように笑うキィラルにサルドが不快気にこめかみをピクリと震わせる。
「そんなもん、お前ら全員合わせてもうちの息子の方が格好いいからに気まってんだろ」
対抗するようにサルドも笑う。
「格好いい? ……そんなくだらないものでは金も名誉も手に入りませんよ」
「自分を嫌いにならないで済めば、それでいいんだよ」
キィラルとサルドの視線が重なり、両者の魔力がじわじわと密度を上げていく。
「……!」
しかし戦いの火蓋を切ったのは、キィラルへのその他大勢の攻撃だった。
それをしっかりと目でとらえたキィラルは、それでも動きを見せない。
必然的に土の槍が水の剣が風の刃が火の弾が、キィラルへと直撃した。
「よくやりました、しかし油断は駄目ですよ。何せあれは元"首領"です」
「首領…?」
「ええ。"炎鬼"と呼ばれていた上位文字持ちです」
「上位文字って、あのガララドが持ってるっていう…?」
「私も当時は若かったからよくは知りませんがね。何、この人数で一斉にかかれば恐れることもありませんよ」
ニッと慢心だらけの顔で汚く笑う。
「それとももう倒してしまいまし…」
そこまで口にしたところで、音もなく視界を遮っていた土煙が吹き飛んで霧散した。
その中心には何事もなかったような顔で煙をふかすキィラルの姿。
先程と違うのはキィラルを中心に炎が球状に燃え上がっている。
「……そう簡単にはいきませんか。しかしもう時間の問題ですよ。邪魔はすべて潰して、私はもっと上に行く…!」
その言葉を聞いて反応したのかそれともただの偶然かキィラルは無造作に右腕を横に広げた。
「息子が怪我してるんでな。──全力だ」
空気を根刮ぎ食らうかのような炎の中心で佇むキィラルの腕には、普通の"火"の文字とは全く異質とも言える光を放つ"炎"の文字。
「―――加護付加、"重塊"」
その声に応えるかのようにゴボッと音を立てながら更に発生した炎がキィラルの右腕に纏わり付いていく。
「何だよ、あれ……!?」
一秒経たずに体とは不釣り合いな巨大な炎の腕が形成される。
「俺は引退したから口も手も出したくなかったけど、…少し寂しいが潰させてもらう」
ぐぐっとゆっくりその巨大な拳が振り上げられる。
異様な光景に固まっていた男達が振り上げられた腕を見てやっと反応した。
膨れ上がり続ける魔力に見違えるように一瞬でサルドの顔色が変わっていく。
──重力を思い出したかのように炎の巨腕が振り下ろされた。
「ッ! 跳べ!」
幾人かはサルドのその声に反応して横に空いた空間へと身を投げるが、数人はその場に留まったまま。
その全員が水の魔法の使い手。相性上の関係がそうさせたのか、驚きはしているもののさして取り乱した風でもなく目の前に厚い水の壁を展開させている。
そしてその障壁と炎の腕が接触する。
それはまるで巨大な鉄の塊と衝突したように。
質量を持たないはずの炎が水を片っ端から吹き飛ばしながらその下の男達を、その巨大さに見合う質量を持って押し潰した。
重々しい音と共に倉庫内が比喩ではなく揺れる。
「炎で、押し潰した…!?」
「"雷鳥"!」
サルドの声と共にその手から巨大な鳥を象った雷が宙を不規則に移動しながらキィラルへと突撃する。
光速にはほど遠いと言えども十分な速さを誇るそれを、事もなさげに炎の腕が掴みそのまま握りつぶした。
「馬鹿、な…!」
続けざまに今度は倉庫内に強風が吹き荒れる。
その全ては激しく燃焼する炎、つまりはキィラルへと集約していく。
「ふ、ふざけるなよ…! いきなり来て何だお前はッ! 親子共々邪魔ばかりしやがって! 何で、何で…!!」
「うちの息子が言っただろうが」
激昂するサルドに眉一つ動かさないままつらつらとキィラルが言葉をつなぐ。
「お前ら、かっこ悪いんだよ」
「ふッ…ざけるなああぁぁぁあ!!!」
サルドの振りあげた右手のそれぞれの指にはめた魔装具が鈍く光りだし、同時に胸の辺りで"雷"の文字が光を放つ。
同時にキィラルも吹き荒れる風に合わせるように思い切り息を吸い込んだ。口に咥えていた煙草が一気に燃え尽きる。
「──"千光招雷"!!」
「――"猛火の咆哮"」
一瞬の静寂のあと、視界を覆い尽くすほどの炎と雷が倉庫内を蹂躙した。
拮抗するかと思われた勝負はあっけなく、その二つがぶつかった瞬間、金色の閃光は紅蓮の炎に押しつぶされて霧散した。
キィラルが使ったその技は奇しくもルウトが切り札として使用している技に酷似している。
しかし、規模が違う。威力が違う。圧力が違う。格が違う。
ルウトのそれが火の柱とするならば、キィラルのそれは炎の壁。
防ぐことも避けることもかわすことも許さずに超重量を持って焼き潰す。
吐き出した炎は放射状に広がり、薬が入った木樽も木箱もその先の壁でさえも轟音と共に粉々に吹き飛ばした。
ぱらぱらと木屑と土煙が舞う。
炎の壁が通った道は黒く焼け焦げていて、所々に男達が倒れている。
その中にただ一人、蹲りながらも気を失っていない男がいた。
「……ぐッ……あ゛ァ…!」
「炎獅子の外套か」
全身の火傷と打撲、更に過度の酸素不足でもう呂律が回っていない。
それでもなお立ち上がるのは、このどうしようもない男にも何か譲れないものがあるのかもしれない。
キィラルは新たに一本煙草を口に咥えて指の先に火を灯して、煙草に火を移しながらサルドが蹲っているところまで移動する。
「くッ…!」
「やめとけ、魔装具ももう壊れてる」
「!――舐めるなぁッ!!」
全ての魔力を解放しようとしたところで、上から巨大な炎の腕に押し潰された。
完全に気を失ったサルドと、次々と燃え広がり倉庫中のメフィストが燃えていくのを確認する。
「おい」
「ひッ…!」
戦いが始まってからずっと隠れていた腹が出た成金のような格好の男を初めとする恐らく戦闘員ではない人間に声をかける。するとそいつらは恥も外聞もなく弱々しい声を発した。
「やめ…、俺は、まだ何も…!」
「こいつら、運び出しとけ」
顎でサルド達を指しながらそれだけ言う。
最期に炎の膜の中で気を失ってしまっていたルウトを見据えて、煙草を無造作に放り捨てた。