オヤジ
「はーん、で、来月出ることになったのか」
「いや、今すぐ決めろとは言われてないんだけどな」
そこまで言って何やらウイスキーのような味と香りの酒を口に含むほどだけ飲んだ。
あの妙な通告を受けて三日。
今は前金としてもらった多少の金を使って宿を取り、金に困ってはいないもののとりあえず少しずつ仕事をこなして金を貯めている。
しかし、中々クラスは上がらず貰える金も微々たる物だ。
最初のチームを作ろうという提案もいつの間にか自然消滅してしまっていた。
そこで何となく暇を持て余していた時に再会したのが横に座る男。ここに初めて来た日に、初めて話しかけたあの細身のオヤジだ。
名前はキィラルと言って、この3日間ギルドの中に作られた酒場で一緒に飲むことが増えた。
「どう考えてもそりゃ"舞武"のことだよなぁ…」
「"舞武"?」
「お前が出ることになりそうなその武道大会の事だよ。あー…っと、ありゃ確か個人戦とチーム戦があって…、いや男と女だったかな? とにかく凄い規模だぞ。国の外からも色々出てくるし生半可な実力じゃ予選も突破できないぞ」
「…まぁ、何でもいいけどな」
そう言って溜め息をこれでもかと言う程に吐き出した。
とりあえず出るつもりではいる。
優勝すれば金はもっと入ってくるし、断る理由もない。半ば気持ちが決まると結構頭がすっきりしたので残った酒を一気に流し込んだ。
「…あれ、おっちゃん。煙草は?」
ふと横のキィラルの様子が違う事に気づいた。
何時も、と言うよりこの二日はいつでも煙草を咥えていた印象があったが思い返してみたら今日は煙草を吸う事もなく、いつもの様にくたびれたシャツの胸ポケットに入ってもいない。
その事を指摘するとキィラルは苦笑いしながら飲もうとしていた酒の瓶を静かに机の上に置いた。
「……息子になぁ、会うんだよ。煙草臭いって言われたくねぇんだ…」
「………結婚してたの?」
「してるよ、もう38だぞ? 息子ももう12歳だ。……前に会ったのは8年前だけどな」
そう言ってジョッキになみなみと酒を注ぎ込んで一気に喉に流し込み、ドン、と勢い良くジョッキを机に叩きつけ大きく息を吐いた。
「…おっちゃん…」
非難がましい目を向けると、眉間にしわを寄せてキィラルが下を向いて机に顔だけ上げて覆いかぶさった。
「……分かってるよ。一緒にいてやるべきなんだよなぁ。でも仕事を変えてから収入も減っちまって、一緒にいれるようにって思ったから転職したんだけどなぁ」
「…………大変だな」
余程大変だったのだろう。何か話す度に凄い量の酒を呑みこんで行く。
「大変だよ。大人は何時だって大変だ。……でもなぁ、でもやっと今の仕事にも慣れてきてなあ、お得意さんも増えてきて、収入も何とか三人養えるぐらいは増えて。俺の実家に預けてた二人を迎えられるんだ…。胸張ってなあ…」
「…んじゃ。しょうがねぇから奢ってやるか。ほら飲め飲め。祝い酒だ」
「ああ……。ありがたく、もら、う……」
囁く様な小さい声を絞り出した後、ゴトッとカウンターに突っ伏してキィラルは動かなくなった。
「……寝た…」
直ぐに喧しい鼾が聞こえてきた。
よれよれのシャツはずぼらで情けない印象しか伝わってこない。
でも何となく、酒に潰れて、疲れて、痩せてしまった目の前の男の背中は決して小さくは見えなかった。
何となく苦笑いを浮かべながら立ち上がる。
おっちゃんの知り合いにも多少顔は見せているので、探せば見つけられるだろう、とカウンターを立つと。
「おや、見知った顔だ」
後ろで嫌な声が聞こえた。
「焦げた身体は何とか無事でしたか。いや心配していましたよ」
嫌々ながらも振り向くと、芝居がかった手振りでこちらを見下す男の姿があった。
暑苦しい青いマントを羽織り、後ろにぞろぞろと部下らしき人間を数人連れている。
「サルドさん。ここでは……」
部下の一人がサルドに近寄り、耳元に呟いた。
ちらちらと部下が視線を後ろに送っているのに気付いた俺は後ろを振り返った。
飲み潰れているキィラルの他には無言で酒を注ぐマスターぐらいしかいない。
直ぐに視線を戻すと、サルドでさえも苦い顔をしていた。
しかし、俺が見ている事に気づくと直ぐに偉そうな笑顔を顔に貼り付けた。
「私も"舞武"に参加する事にしましてね。あなたも出るらしいですね、ならばまた会う事もあるでしょう。もし貴方に本当に実力があれば、ですが。ふふふ、また黒焦げにならないように祈っていますよ」
清清しいほどに嫌味をたっぷり残して高笑いしながら、俺に背を向け酒場の二階へと上がっていった
追いかけて後頭部思い切り殴りつけてやろうかと思っていると。
「おぉい、俺だけ飲んでもしょうがねぇだろぉがよぉ!」
いつの間にか目を覚ましていたおっさんが後ろからしなだれかかって来た。
「のわッ、酒臭っ! うわ、クソ…! 離れろオヤジコラぁ!!」
「…うっ」
「……………おい」
「……ォロロロロロロ!!」
「ぎゃああぁぁぁぁぁああ!!!」
◆ ◆ ◆
「ノイン様。…例の物が」
「へぇ、早かったわね」
「はい、とある商人が所持しておりまして。譲って頂きました」
特に何をするでもなく、従者に煎れてもらった紅茶を啜りながら上下を見下ろしていた王女にの部屋に先日婚約したミスラが入ってきてそう報告した。
左手の薬指にはシンプルな白金の指輪が大事そうに嵌められている。
その手で此方に差し出してきたのは、幾重もの布で包まれた棒状の物体。
先端の布だけ引き剥がし、中身を確認する。
「これが…。流石に年月を感じさせるわね」
「しかし魔力はほとんど検知されませんでした。本当にそのようなものを…?」
「問題なのは歴史的価値よ。それに舞武で得られるのは名誉であって利益ではないわ。さる英雄が使っていた物らしいし、副賞としては丁度いいでしょ?」
「……そう、ですね」
「でも流石にボロボロね。ある程度綺麗にしてから町の方に何日か展示するわ。用意を」
横に控えていた老獪な従者にそれを渡すと、従者は一礼して部屋を出て行った。
「それとノイン様。例の薬ですが…」
「ああ、何だったかしら。…ああ、確かメフィスト」
「はい。メフィストの流通が尋常じゃないほどの速度で上がっています。以前検挙した商人も詳しいことは知らなかったようです。恐らく何人も経由させて出所を誤魔化しているのでしょう」
「…厄介ね。今メフィストについて導入している人員数は?」
「大よそ30人ほどです」
「120に増やしなさい」
「120……ですか?」
一介の事件に使うにはかなり多い人数だ。それでも全兵士の1%にも満たないがそこまで大仰にすることだろうかとミスラは考えた。
それを表情から察したのかノインが珍しく真剣な顔で口を開いた。
「確か、メフィストの効果は過度の快感作用と魔力の増幅に、意識の錯乱、だったわよね」
「はい」
「恐らく直に一般市民にも被害が出始めるわ。錯乱した服用者に襲われることも増えるでしょうね。そうなったら被害は更に爆発的に増える。そんな事を私の国で起こさせる訳には行かないわ。
だから120人よ、全力で探し出して私の前に引きずり出してきなさい」
「……はッ!」
力強く返事をすると、騎士の外套を翻しミスラは部屋を出て行った。
◆ ◆ ◆
「で? 何で俺までここにいるんだ?」
キィラルにおぞましい物をかけられたその数日後、とある食事店の一席で疲れたように呟いた。
食事店少しだけ寂れた感じがいい雰囲気を生み出していて、上を向くとあの扇風機みたいなあれがくるくると回っている。
そこのカウンター側の席にに俺とキィラルは陣取っていた。
「良いだろうが、別に。他の奴はお前みたいに暇じゃないんだよ」
何か物申そうとした口を開きかけて、閉じた。
確かに暇と言えば暇なのだ。
何か良い仕事が入っているわけでもなく王女に呼び出されていくわけでもない。
おそらく今日は他の四人もゆっくり町見物でもしている筈だ。
「かみさんが引越しの準備とかで来れなくなったから二人きりで会えって言うんだよ…」
「会えばいいだろ」
「会えるかボケェ! お前っ、ホントに! 俺が今どれだけいっぱいいっぱいか知らねぇのか!?」
「知らんわ」
「なら帰れ!」
「帰る」
「まぁ待て。落ち着け」
帰ろうとした俺の肩を帰らせようとしたキィラルの手ががっしりと捕まえた。
振り返ると、キィラルが俺を睨みつけるように下から目で頼み込んでいた。
しかし一人で自分の息子に会うのが心細いって……。父親としてどうなんだろうか。
「……俺にどうしろってんだよ」
「そこだ。そこで見ててくれてたらそれで良いから! もう大丈夫だって思ったら帰ってくれてもいいから…!」
キィラルが指したのは俺たちがいるその後ろの席。
何となく勢いに押し切られ、そこに座ってしまった。
座ったのを確認するとキィラルは元の席に戻ってしまったので、反論する事もできずに結局親と子の再会を見守る事になってしまった。
と言っても暇なので何か頼もうと、机の隅に置いてあったメニューを手にとってみる。
「………読めない」
英語でもない日本語でもないそれは俺には難解すぎた。
メニューを放り出し、この時代にしては珍しい近代的で大きく透明な窓の向こうの街道に目を移した。
大街道の一つ外側に面するこの道も、他の街の物と比べれば十分に広く人通りも多い。
狭い分此方の方が密度的には高いぐらいだ。
「おっ……」
そこで通行人の一人と目が合った。
そいつは横にいたもう一人の裾を引っ張り此方を指差すと、人混みを避けながら此方まで近づいてくる。目の前にガラスがあるのを確認すると、回り込んで入り口から入ってきた。
ガランガラン、と来客を知らせる小さい鐘の音が響く。
入ってきたそいつ等はキョロキョロと部屋を見渡して俺を見つけると小走りで駆け寄ってきた。
「何してるの? ハルユキ」
そう言いながらフェンは向かいの席に座った。
隣にいたユキネももその隣に。
「あのおっちゃんのお守りだ」
「お守り?」
顎で軽くキィラルがいる方向を指した。そこではキィラルが落ち着かなそうに身体をひたすらに揺らしている。
「ああ、そうだフェン。これなんて読むんだ?」
先程放り出したメニューを手元に引っ張り出し、適当な所を開いて一番長いミミズののったくりを指差した。
それは名前に比例してその横の文字、おそらく値段だと思われるそれが他の料理より桁が1つ多い。これは食べてみるしかないだろう。
「これは…」
「あ、待て。すいません、注文を…」
結局、長すぎて覚えづらかったので店員を呼ぼうと手をあげた。
ガランガラン───…
そこで再び来客を告げる小鐘が体を揺らして、涼しい音を発した。
上げていた手を下ろし、フェンの肩越しに入り口を覗き込むと、そこにはフェンほどの背丈の子供が憮然とした顔で店内を見渡していた。