世界
────目を覚ました事を自覚しゆっくりと瞼を開けた。
またしても目の前には闇が広がっている。だが、今度の黒色は所々に赤や黄色の光がちりばめられていて輝かしく美しい夜の空。
(星……)
頬を撫でるは風。鼻を擽るは鼻と草の香り。空に散りばめられた宝石はまるで旧友のように俺の体に身を寄せてくれている。
「……………ぁ」
思ったよりも感動が無いなと嘆息していた所に、ぞわりと背中に何かが這い上がった。
それは、余りに濃密で凝縮されてそれでも体から溢れ出しそうな開放感。快感となって体中を走り回り始める。
何の事は無い。感動が無かったのは体が現実に付いて来れなかっただけ。
だって目に映るすべてが。
だって花をくすぐる匂いが。
だって聞こえてくる木々のざわめきが。
まるで自分を歓迎しているように感じるのだ。
「──、ぁあ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアあああああああああああ亜あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
止まらない。止められるわけが無い。
風が欲しかった。匂いが欲しかった。草の湿り気が、星の瞬きが。それが一度に体に降りかかるのだ。それはもう快感が襲い掛かってくるといってもいい程の感情の奔流で、言ってしまえば。
──たまらない。この世界をしゃぶり尽くして咀嚼したいほどに。
(うるせぇよ。キャラ変わってるぞ……)
だから、その咆哮をやめたのは頭の中にその声が響いてからだった。無視してこのまま丸三日は景色を楽しみたい所だったが、こんなでも俺を外に出してくれた恩がある。
「……よお脳内友達」
(九十九だ)
「…つくも?」
(俺のことだ。そう呼べ)
九十九ね。まぁ、大して知りたい情報でも役に立つ情報でもない。なにしろ脳内友達だ。役に立ちそうな要素が皆無である。
(俺は基本寝てる。たまに起きてくるかも知れんが。)
「退屈なんじゃなかったのか?」
(・・・zzz)
脈絡を無視していきなり寝やがった。…まぁいい、それより。
「ここどこだ?」
辺りを見回す。
森だった。紛う事なき、教科書通りの森が周りに広がっている。今いる場所は森が開けたとこにある小さな丘の上のようだ。
今度は自分の格好を見渡す。全裸ではない様で安心した。あの部屋に居たころと変わらない、パーカーに大きめのカーゴパンツ。
比較的動きやすい格好だが、文化も全く変わっているかもしれないので、すぐ着替えることになるかもしれない。
まあとりあえず、人を探すかと思い立ち森に向かう事にする。
もう一度だけ、世界を感じる為に深く深く深呼吸を行ったその後で。
◆ ◆ ◆
「はぁ…っ、はぁ」
少女が、木の間を服を所々引っかけながら走り抜けている。かれこれ一時間近く走り続けているだろうか。もう限界だと少女の足が悲鳴を上げ、もつれ転倒した。
「あっ…!」
転んだ瞬間、殺気が体を貫いた。必死に身をかわすと、先ほどまで少女がいた場所に獣の爪が突き刺さった。
"ワーウルフ”
一般人には倒せないだろうが、傭兵や兵士なら倒すのは難しくないモンスターだ。
だが、少女……フェン・ラーヴェルは典型的な魔法使いであり、魔法媒体がない今、満足に魔法も使えない。つまり逃げるしかないのだ。
動きが一瞬止まったワーウルフの目のあたりを思い切り蹴りつけ、怯んだのを確認しないまま、また走り出す。
元々フェンは体力がある方ではない。もうそろそろ限界だ。仕方なくある程度走ったところで、木の陰に隠れた。
(撒いた……?)
うまくタイミングの死角をついたのか気配が近付いてこない。
ふぅと息をつく。
とりあえずここで休憩しようと思ったとき、夜の森に遠吠えが響いた。ここからあまり遠くはないようだ。
体が過剰に反応し肩が跳ね上がる。本能的にここは危険だと判断を下した。
木の陰から出て移動しようとするとまたしても遠吠え。しかも今度は正面から。恐怖からか思わず息をのむ。
(……まさか…)
一呼吸おいて、周りからいっせいに遠吠えが始まる
(囲まれた…)
逃げ場はないと悟ったのに気づいたかのようなタイミングで、がさがさとあちこちからワーウルフが顔を出してきた。
全部で十匹ほどだろうか。目で何か合図しているように見える。
何匹かがじりじりと近寄ってきて、その中の一匹が堰を切らしたかのように飛びかかってきた。
その動作はとてもゆっくりに見えたが体が反応しないので避けようがない。
(ユキネ……)
こんな時なのに、思い出すのは4年前、軟禁部屋で一緒になった友達のこと。
あの人のことだから、自分のことはそっちのけで私の心配をしてくれているだろう。
その心配を無駄にしてしまうのが一番心残りだった。
最期の最後まで、無感動な自分が自分を見下ろしている感覚が消えなかった。
目をつぶって鋭い牙と爪が死を届けるのを待ちかまえる。
しかし、代わりに届いたのは人の声。
「大丈夫か」
それと、頭に乗せられた手のひらの温かさだった。
◆ ◆ ◆
ハルユキは迷っていた。歩けども歩けども、誰にも会わない……のは森なので仕方ないとして。
どこにも行き着けない。ずっと同じような景色を見続けていた。
このままじゃ状況はよくならない。変わらない景色に嫌気がさし、手近な木の下に座り込んだ。
(……どうせなら人のいるところに出してくれ)
まぁそんなことを言っても、どうせ九十九は寝てるので反応すらない。
10分ほど経った後、そろそろ行くかと腰を上げると、視線の先の枝に何か引っかかっているのが目に入った。
(布……いや、服の切れ端か?)
それはまだ新しく、よく見れば何かが通ったようなあとが続いている。
「人だ…!」
服の切れ端を手に取り、通った跡を辿って走ると今度はいやなものを見つけてしまった。誰かが転んだ跡と獣の足跡。
「まずいな……」
ほぼ間違いなく誰かが何かに襲われている。
何か考える前に足が前に出て体を動かしだした。
木を追い越し風を追い付いてひた走る。先程までもかなり速いスピードで走っていたのだが、木が邪魔しなければまだまだ速く走れそうだ。
(……外れたってことか)
確かにそれは人間を外れた動きで、獣でさえもこの森の中をこんな速さでは走り抜けられないだろう。
あっという間に追いついたのか、目の前にゆっくりと何かに近寄るオオカミの様な獣が見えた。
周りにも同じようなのが数匹いて、内一匹は今にも飛びかかろうとしている。
ハルユキは軽く舌打ちをすると、そのオオカミ1匹を見据えて、集中する。
オオカミまでは7~8メートルほど、今の身体能力なら一息で到達できる。
ただその直線上に別のオオカミが3匹。最短距離を走りつつ、邪魔なオオカミを無効化するしかない。
そう一瞬で判断すると同時に、空気を切り裂いて走り出す。
まずは未だ気づいていない1匹の首根っこをひっつかむ。そして目の前の邪魔なオオカミに思い切りたたきつけた。
悲鳴を上げて2匹がはじき飛んでいく。予想以上に力が上がっているようだ。
だが最初のオオカミは、もう襲いかかろうと飛び上がって空中にいる。まっすぐ行けば間に合うだろうが、まだ邪魔な一匹が残っている
残る1匹はこちらに気づいたのか、獣らしい目をハルユキに向けるが、
(遅い)
ショートアッパーで空中に浮かせ、おもいきり前蹴りを放つ。襲いかかっているオオカミに向けて。
蹴られたオオカミが襲おうとしたオオカミを巻き込んで十メートル程先の木の幹にぶつかり、動かなくなった。
(……何とかなったか)
この程度なら、人間の自分でも何とかなっただろうが、それでも、この体の異常具合は計ることができた。
実感できた。人間から離れたことを。
少しさみしい気がするが、自分でも望んだことだ。うじうじはしてられない。
気を取り直し、周りを見るがオオカミたちは逃げ出した後だった。
(えーと……)
少し探すと、木の影で小さい女の子が目をつぶって震えている。
おびえさせないように、ゆっくりと近づく。
短い青い髪の小さい女の子だ。白いシャツにローブを来ている。先程の切れ端はこのローブだろう。
いつまで経ってもこっちを向かないので。ぽんと一番近くにあった頭を叩く。
「大丈夫か?」
そして安心させるためにゆっくりと、声をかけた。