桜の下
「生き、返った…!?」
「嘘……」
「ホンマかい……!」
三者三様に驚きの言葉を上げる。
確かに、遥か上空ではイサンが息をしていて、レイに支えられているのがわかる。
「……お前が、生き返らせたのか?」
イサンがまた息をしているのは、悪いことではない
しかし、人が生き返るというのは、必ずしも喜ばしいことではない。
「そんな訳ないだろ。生き返らせるなんて俺や神にだって不可能だよ」
腰に手をあて、満足そうに夜空の二人を見上げながら、ロウがそう言った。
「だいたい、そんな事出来たら人間の良さが死んじまうだろうが。
偉そうかも知れねぇけどな。人間は短い時間を精一杯に生きるから凄いんだよ」
「じゃあ、あれは……?」
レイを除いて一番イサンの死を引きずっていたフェンが多少声を荒げながらロウに質問をぶつける。
「ギリギリだったんだぜ? あの吸血鬼が桜の傍まで運んできたから、俺の魔力が届いたんだ。
脳以外は復元も可能だからな。何とか脳だけでも保ってたって訳だ」
確かに、俺がいた世界の医学でさえも脳を復元する技術は存在しなかった。
生々しい話だが、人である限り脳は命の要なのだ。
「俺の魔力が回復してたのもついさっきだったし、本当に偶然に偶然が重なった結果だ。奇跡なんて言葉を使ってもいいくらいなんだぜ?」
空に散らばった桜色の魔力がロウの元にゆっくりと戻っていく。
「それじゃ、俺はやることもやったし、そろそろ行くわ。あの嬢ちゃんに礼を言っといてくれ。あいつには、結局、言えなかったからな」
笑顔の中に少しだけ寂しさを覗かせてそう言った。
「…ああ」
「頼むぜ? 俺とお前ならまた会うこともあるだろうしよ。その時にはお前にも礼でも言ってやるよ」
今言えよ、と突っ込みそうになったが、その前にロウは空に飛び上がった。
今度は一瞬で、龍の姿に変わる。
その姿はやはり神々しさを、感じてしまう。
きらきらと光の粒を零しながら、ロウは夜空に消えていった。
その一瞬の出来事に、思わず目を奪われたのか、レイがイサンを抱えて下に降りてきた。
「あいつは…何だったんだ?」
「ロウっていってな。まあ、…ただのアホだ」
大して興味もなくなったのか、そうか、と言ったきり何も聞いてこなかった。
「イサンは大丈夫なのか?」
「あ、大丈夫です。ん……っと」
イサンの体から離れ、一人で立とうとするが足元が安定せず、ふらついた所をまたレイに支えられる。
「まだ、無理をせんでも良い」
二人の様子に不安はもう感じなかったので、背を向ける。
「……俺はちょっと野暮用に行って来る」
「野暮用?」
「ああ。すぐに終わるよ」
「怪我は? 大丈夫なのか?」
「ああ。この通りだ」
まだ完全に戻ってはいないが、肘までは再生が進んでいる左腕を見せる。
それを見て、イサンは軽く息を呑み、レイは目を見開いた。
「お主も、大概な生き物じゃな…」
ハッハッと笑って返すと、一飛びで森の中に飛び込んだ。
大分前からチラチラと感じる、先日感じた視線と似たような気配を追って。
◆ ◆ ◆
ハルユキが去って行った後、フェン、ジェミニ、ユキネの三人は先に休むと家の中に入って行った。
レイもイサンを担いで、それに付いて行こうとした所で横から止められた。
「どうした?」
イサンは、申し訳なさそうに、後ろを指差しながら言った。
「……あそこに連れて行って欲しいんです。いい?」
「それは構わんが、あそこは……」
「………お願い…」
「……わかった」
ゆっくりとイサンが指を指した所に向かって歩いて行く。
一歩一歩、進んで行くとやがて木も折れ、地面もぐちゃぐちゃに荒れ果てた森の入り口に出た。
その中央には黒い血溜りの中に仰向けに転がっている男がいた。
その胸には剣の形に広がった穴。
「……兄さん」
「………!」
途中からイサンに頼まれたのがこの男の事だろうとは察しがついたものの、肉親だったとは想定外でレイは驚きに息を呑んだ。
「……消えなさい。貴女とは会いたくもありません」
「ッ…イサン!」
レイはイサンの腕を引いて距離をとろうとする。
しかし、その前に腕を優しく押さえられた。
「大丈夫。近くまで、連れて行って」
「やめておきなさい。私はまだ動けるかもしれませんよ?」
確かに男の声は不思議なほどにしっかりしている。
ひょっとしたら、本当にまだ力が残っている可能性がある。
「レイ」
しかし、切実なイサンの声が耳に入り、意を決して前に歩を進めた。
数秒後、男の真上へと辿り着く。男は視線を動かしただけで、ピクリとも動かない。いや、やはり動けないのだろう。
無感情な瞳でどこかを見つめている。
「兄さん……だよね」
「貴女を拷問し、30年を奪い、そこの吸血鬼に殺された男でもそう呼べるならそうでしょうね」
男の声に再会の情など感じ取れず、何処までも冷たいままだ。
「なら…」
「違いますよ」
イサンの言葉を許さないとばかりに遮り、男が続ける。
「私はもう人間じゃない。人間らしい死に方も出来ない。だから間違っても貴女の兄なんかではないんです。……ああ、ほら見てみなさい」
男の視線を追うように男の腕の先に目を向けた。
「…ッ!」
「……」
男の腕は指の先のほうから小さい粒のように分解され始めていてどんどん霧散して行っている。
「こうやって跡形もなく私は消えるでしょう。
でも、むしろこれは喜ばしいことだ。こんな腐った世界に従って死ぬなんて真っ平だ。人間として生まれて化け物として死ぬ。これは世界に喧嘩を売っているとは思いませんか?」
本当に嬉しそうに必死に残った力を振り絞って顔を歪に歪ませる。
男はもう、自分のことを神だなどと騙ってはいなかった。
「このまま死ねば、私は………」
「兄さん」
今度はイサンが男の言葉を踏み倒した。
「……ごめんね」
ピクッと男の体が僅かに震えた。
「……なぜ、謝る…?」
「………」
「なぜ謝るのかと聞いているんだ…!」
男が途端に激昂する。
イサンは男を顔を悲しみで歪ませながら見つめるだけで、もう何も言わない。
「……! だから…、だから嫌いなんだ!! この世界も! この森も! 勝手に死んだあの女も!!」
息を荒げながら男は喚き散らす。
イサンはその場に倒れるように座り込み、男の近くによる。
「神になれなかった以上! 私はただの悪党だ! 目的の為に肉親をも利用したただの屑だ! お前に謝ってもらう理由も道理もない!」
男は苦しそうに肩で息をしながら、イサンを睨み付ける。
加速度的に男の体が世界に溶けていく。
この男が許せないのが何か、何に激昂しているのかは傍から見ているレイにはわからなかった。
「……違うよ。兄さんは違う」
「……やめろ。やっぱりもう喋らないで下さい。もう…嫌なんです」
違う? 何が違うというのだろうか。
何も間違ってはいない。
男は思い起こす。
小さい頃、森ばかりにいるのが耐えられずに夜中にこっそり抜け出したことを。
そして、魔物に襲われ、何処からか母が現れ私を庇ったことを。
母を殺したことを。
母を殺したその世界を憎んだことを。
自分を閉じ込めていた森を嫌っていたことを。
母を殺した自分を呪った事を。
そうだ。何も間違えていない。
神となり、世界となり、自分も一緒に全て殺してしまいたかった。ただそれだけ。
だが、だが何で自分はこうも世界が憎いのか?
憎くて憎くて時間もそれを癒してくれなくて、気が付いたら妹にまで手をかけて。
母が死んだから? 自分を憎んだのはその時だ。その時から母も世界も恨んでいたのか? いや、そもそも…
駄目だ…分からない。もう、思考がほとんど働かなくなっている。
「私は、…もう死ぬ。死ねばそれまでだ。私が何だったかなんて私には、関係、…なくなります」
「兄さん……ごめんね…」
イサンは思い起こす。
母が死んでしまってから、兄の人が変わってしまった事。
元々強い人間ではなかった兄が母の死を受け止め切れなかった事。
その兄が何処か恐ろしくて、近づけなかった事。
やがて、何も言わずに出て行ってしまった事。
帰って来た兄が、思いつめた顔で私に心当たりがないことを聞いてきた事。
何も知らないと首を横に振り、母の味を思い出しながら作ったスープを一緒に食べようと言おうとした事。
兄が、いきなり血相を変えて何かに怯えるように、襲って来た事。
自分よりもよっぽど痛そうに辛そうに、私を痛めつけた事。
だから、兄を許す事で、兄の力になれなかった、兄をこんな風にしてしまった自分を許したい。
ただ、それだけの身勝手で自分勝手な我侭。ただそれだけ。
またそれですか、と男は溜め息をついた。
「私はね、あなた、も嫌い、…ですよ。世界の次くらいにね……」
世界が一番嫌いな男がそう言った。
「……うん」
「……知って、いますか? 全てが嫌いなら、死ぬのは全く苦痛じゃないんです。心残りなんてものも、もう…欠片もない」
でも、と男は言葉を続ける。
消える範囲が胴に移ってからは全体がどんどん薄くなってきている。
足はなくなり、手も残っていない。
今なら、謝れそうな気がした、が、そんな事は許されない。謝って死ぬのは、余りに卑怯に過ぎる。
そんな男が思い起こすのは、我が家の恒例だった突発的な花見。
聞けば、これも先祖代々な物らしい。
なんのこっちゃ、と首を捻っていたことを覚えている。
「…この景色は」
男の今にも消えそうな視界には、端から端まで埋め尽くされた光の粒。
星の間に桜が。桜の間に星が。と、余すことなく煌いている。
「少しだけ、懐かしい……」
桜の花びらがひらひらと。
男が"いた"場所に舞い落ちた。
◆ ◆ ◆
「実はまた実験したんだけど、やっぱり定着まではいかなかったよ。オフィウクス」
子供の姿の何かが、木々を飛び渡りながら移動して行く。
『媒体はどう準備したのか聞いても構わないか?』
手に持った魔球から重々しい声が聞こえてくる。
「どうやってって、僕が写本を回したんだよ。遠まわしにね。僕が関わってないって思わせるのは大変だったよ」
そこで、一つトーンを、と言うよりテンションごと下がったようでやれやれと首を横に振りながら続けた。
「ただねぇ、今回の『嘘』は結構深刻でね。精神汚染に加えて自己陶酔、自意識の崩壊に記憶の混濁とかかなぁ。僕がちょっと頭弄ったとしても、あれだけ精神面で壊れちゃうのも珍しいんだよね。
まあ、どこかかなり根っこの部分が『嘘』だったんだろうね。あ~あ、かわいそ」
ある程度監視していた丘から離れた所で地面に下り、軽く息をついた。
そこで少しだけ辺りを見回すと、再び手の中の交信魔球を見つめる。
その顔に先程の感情など微塵も残っておらず、嬉々として口を開く。
「いやまあそれでも、今回は本当に面白かったよ。珍しいものが、そりゃもう見れた見れた。低能な男だったけど、マクスにもそこだけは感謝してもいいかな」
楽しそうに恍惚とした表情で、そう言った。
この子供が見ていたのは、事が地上に移ってからだ。
その中でお気に召した物が多かったらしい。
「まずは、霊龍だ。凄いのがいたよ。マクスはあの魔力を使ったからだろうね。他の失敗作とは、同じ失敗でも規模も質も違ったよ。でもやっぱり"神"と"人間"じゃあ適合するのは無理みたいだね」
『ほう、霊龍が……、しかし定着できないことはもう分かっていたはずだ。…他にも、まだ何かあるんだろう?』
クックッと口の中で笑いながら、少年が続ける。
「そうだね。あったよ。というか、居た。何人か傍に人が居たんだけど。……その中に双子がね」
「ジェミニ…? サジタリウスもか?」
「ああ、違う違う。"そっち"じゃないよ」
一瞬だけ間が空いて、まさか、と声が聞こえた。
魔球の奥で確かに男が息を呑む。
珍しい。
この男が息を呑んで驚くのがどれだけ珍しいのかわかる少年は、思わず笑ってしまう。
『やはり生きていたか、ジェミニ。……ああ、何か久しぶりにはいに空気を送り込んだ気分だよ。礼を言おう』
ありがたき幸せ、とその場でおどけた様に少年が一礼する。
「………もう一つ懐かしい顔があったけど、まあこれはいいや。僕のモノだしね」
『……まあ、無理に話せとは言わんさ。好きにすると良い』
大丈夫、大丈夫。と言いながら、ケラケラと少年は嗤う。
「最後にね。後二人ぐらい居たんだけど、どっちも凄いよ。特にその男の方が……」
「それは、俺のことか?」
後ろからいきなり聞こえた男の声に、少年は口を閉ざし、体を固まらせた。
そして、頬に伝う冷や汗を感じながら、最後に交信魔球に呟き、振り返った。
「…化け物なんだ」
◆ ◆ ◆
森の上から、森を見下ろす。
幸い、ロウが去っても桜自体はもう独立したのか、光るその花は健在だ。
そのお陰で、この高さから見下ろせば、かなりの広範囲を捕捉することが出来る。
そして。
「…見つけたぁ…!」
空を蹴りつけ、その人影に一気に接近した。
さすがに反応も満足に出来なかったのか、目的の子供は固まったままだ。
その子供から10メートル付近の地面に着地して、声をかけた。
その声に身体を硬直させ、すぐに此方に振り向いた。
体は確かに子供だが、それが普通の無邪気な子供ではないということだけはわかった。
銃を向けてもいいが、銃が何かわからないこの世界では脅しにはならないだろう。
仕方なく出来るだけ殺気をぶつけるようにして、再び口を開いた。
「……お前、さっきの男の仲間か?」
「まあ、そうなるだろうね」
そう言いながら、その子供はこちらを振り返った。
その顔は普通の子供といっても差し支えないあどけない物だったが、纏う雰囲気はとても子供のものじゃない。
老獪な雰囲気が漂っている。
今やここは、魔法が溢れた世界だ。俺の常識が通じない可能性は高い。
「30年前にあの男の手助けをしたのも、…お前か?」
ピクッと道化のような気色悪い笑みがほんの少しだけ揺れた。
「……どうして、そう思うの?」
一瞬でその乱れはなりを潜め、道化のような能面のような顔に戻る。
「……ちょっと考えれば、協力者がいることは分かったよ」
イサンを拷問した後、井戸を見つけたのならば、別の所でレイが魔力を取られているのを発見した時そこに男が居た可能性は低い。
なら、別の誰かがそこにいた可能性が高い。
そして、男が最終的に暴走してああなった以上、黒幕が別に居ると考えた方が無難だった。
子供の姿から考えると、30年前というのはあり得ないかも知れないが、何故がその姿が疑いに拍車をかけていた。
「ああそう言えば、ついでに魔力の採集を別の人に頼んだような気もするな」
俺の簡単な仮説を聞いた子供はそう言った。
その顔は今話した内容に欠片の関心も寄せていないことが丸分かりで、少しイラついた。
「まあ、どっちにしろ、お前はここでお縄だ。抵抗すんなよ」
「へぇ、僕を捕まえるの? その腕で?」
ジリッと右足で後ずさりながら、逃げるタイミングを計っている。
「出来ないと思うか?」
俺もそれを追うようにジリッと足を前に出した瞬間。
「ソドム!」
夜空の間を縫って何処からかドラゴンが突っ込んできた。
「時間を稼げ!」
そう言うなり、子供は背中を向けた。
「はッ!!」
突っ込んできたドラゴンを横から殴りつけた。
急に力の方向を変えられたにもかかわらず、ドラゴンは木々を圧し折って、地面に叩きつけられ一発で動かなくなった。
「…冗談でしょ…!」
それを肩越しに見ていた子供の歩みが止まる。
先程は驚いて逃がしてしまったが、今度はドラゴンを殴った勢いのまま、子供に迫り、その首根っこを掴み取った。
しかし、手応えはなく、伸ばした右手は空を切った。
確かに今そこにいたはずだ。
しかし、今は影も形もない。
「何ッ…!!」
「ふー、危ない危ない」
近くから木霊するように声が聞こえてきた。
気配はまだしっかり感じる。しかし、動けない。
気配が軽く"300はある"からだ。
「…まぁた、妙な魔法使いやがって」
前の時代では触れなかった魔法という戦闘技術は厄介極まりない。
「流石に捕まりたくはないから。じゃあね、また会うこともあると思うよ。その時までさよならだ」
そう言って何百もの気配は夜の闇に消え去った。




