その腕で、その心で
「目的は何だ? お前は…」
相手は敵意がないと言い切り、此方もそんなものは感じないので、とりあえず言葉を交わしてみることにした。
──ああ、待て待て。この姿じゃちょっと厳つ過ぎて話し辛いだろ──
なんでもないように言いながら、またもや風を吹き荒らしながら自らの姿形を変形させていく。
ぼこぼこと不器用に体を圧縮しながら、形を整えていく。
やがて、爪が腕になり角が引っ込み人の形に収まった。
「おお、できたできた。久しぶりだったから、ちょっと不安だったんだ」
細身だが割とガッチリとした身体。
茶色がかった髪に所々桜色の髪が混じっている。
年齢は30歳ほどに見え、見た目だけで言えばただのおっさんにしか見えず、とても龍が姿を変えているとは思えないだろう。
「あぁ、風が気持ちいいよなぁ……本当に」
風をより多くその肌で感じようと、両手を広げ目を瞑った。
「お前らみたいな生き物が羨ましいよ。お前らと同じ目線で見てみると世界はこんなに広くて、充実してる」
本当に羨ましそうに、目を細めて何処か遠くを眺めながらそう言った。
「俺はもう50万年以上生きてるけど、いや、生きているからかな。お前らよりも、時間の価値を理解し切れてない自信がある」
「……霊、龍?」
その時の姿は長い時間を感じさせる物だったからか、フェンがポツリ、と呟いた。
「せ~いか~い。霊龍の一柱の桜龍だ。ロウって呼んでくれ」
えらく人間臭いそいつに多少面食らい、黙っていたがそろそろ話を進めることにした。
「おい、質問してんだよ。…目的は何だ? 糞"ガキ"」
そう、ロウの背中に言葉をぶつけると、ピクッと肩を揺らして此方を睨み付けた。
「……お前は、人間か?」
龍のときから変わらないその金色の眼は先程までの軽い雰囲気と違い、刺す様な鋭いものだった。
「神にでも見えるか?」
「人間よりゃあな」
ピシッと何処か音がしたかのように両者の間に緊張が走った。
お互いに殺気をぶつけ合い、空気の温度が下がっていく。
「……と、まあ、こんな意地の張り合いは置いといて、だ。俺の目的だったな」
肩透かしを食らったように、相手の殺気が立ち消える。
俺もほぼ同時に敵意を引っ込めさせる。背中には冷や汗が伝っていた。
「ったく、冷や汗かいちまったぜ。冗談抜きで人間離れしたやつだな、お前」
相手もそれは同じだったらしく、肩をゴキゴキやらせながらその場に座り込んだ。
「まあ、俺が出てきた目的は"アレ"だ。もう終わったし特にやることもない」
斜め後ろ後方で渦巻く魔力の塊を親指で後手に指差しながら言った。
桜色の魔力の玉。心なしかどんどんと小さくなってきている。
「俺が聞きたいのは、アレを作ることでお前が何をしたいのかってことだ」
破壊活動やらの物騒な目的がないとは言えない。
男はそれを聞くと、ニッと悪戯を考えているような子供のような表情で笑った。
「……まあ、あれだ。恩返しってやつだよ」
「恩返し?」
ああ、と小さく応えてその場に寝っ転がった。
腕を頭に持っていき、枕にすると嬉しそうに話し出した。
「五百年前だ。よく覚えてるよ。ちょっと色んな事があって怪我しちまってなあ。まあ死ぬのを覚悟したりしたんだよ。それでも十分生きたかなって思ってたもんだから、そんなに悲しくもなかった。でもそこで馬鹿な奴がやってきてな」
話すうちに上半身を起き上がらせ、身を乗り出してくる。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに身振り手振りを交えながら熱心に話を続ける。
その時人間の姿をしていたからか、助けられたロウは数ヶ月だけ人間と一緒に暮らしたらしい。
「そん時に食べたスープがまた温かくて美味いんだよ。凄いぜアレは…」
ただその後、どうしても簡単に治らない傷があったこと。
それを治す為にまだ小さかったこの森に眠ることになったこと。
森に桜を咲かせて、魔力を吸収する仕組みを作ったこと。
それを見た人間が花見を強行させたこと。
いざ、森に眠ろうとしたら、人間が俺が守ってやると言い出したこと。
何でそんな事をお前がしなきゃならないのか問いただしたこと。
「そしたら、そいつがなぁ。当たり前のような顔して言うんだよ。…俺達もう家族だろって」
ありえねぇよなぁ、と苦笑しながら呟いた。
「たった数ヶ月だ。俺みたいな生き物にはハナクソ程の時間だ。それだけで家族だとよ。思っちまった、人間ってスゲェなって」
そんな、つい最近もどこかで聞いたものと同じような、馬鹿な話。
「人間だって皆が皆そうじゃない。そいつが珍しいくらいアホなんだ」
ああ、そうだろうな。と、ロウはそう言って、また笑った。
「だからこそ、似た様な奴等はほっとけねぇんだよ」
「……どういうことだ?」
俺が解かっていないのが予想外だったのか、キョトンとした後、また悪戯好きの子供のような顔になった。
「まぁ、見てろ。そろそろだ」
ロウが目線を上げたのに倣う様に、俺も夜空を見上げた。
◆ ◆ ◆
「くッ……!」
また振り下ろした剣が砕け散った。
外と完全に遮断されているのか、少なくとも此方側からでは何も状況がわからない。
合計8本、全て全力で練成し、全力で切りかかっても傷一つ付かなかった。
力押しでは無理だ。
考えろ。
しばし、焦る気持ちを抑えながら必死に考えをめぐらせる。
考え付いた結果は何とも無茶なものだった。
眼を瞑り、魔力の檻に手を付ける。
(これが唯の魔力ならば…!)
幸い、ここ数日で封印してきた物と同じものだ。
自分の魔力ほど自在ではないとはいえ、多少は融通も利く。
全神経を魔力を伝う右手に集中させる。
イメージは侵入、侵食、支配。
少しずつ、桜色の檻が血の様な赤に染まっていく。
それが人一人ほどの大きさまで広がった、その瞬間。
「…はッ!!」
檻に触れていた右手をそのまま握り締め、振り抜いた。
大した抵抗もなく右手が檻を貫通し、それに伴って檻中に罅が広がり、砕け散った。
目の前には、桜の龍は存在しない。
代わりに桜の花びらが密集している直径2メートルほどの玉。
「おいおい、あれをよく自分一人で突破できたな」
見知らぬ声に下を見ると、姿もまた知らない男の姿。
「その中だ。後はお前がやれ」
何がとは言わなかったが、大体の察しがついて、桜の玉の中に飛び込んだ。
思ったよりも硬い。
相当な量の魔力が圧縮されているのか、突っ込んだ右手がビリビリと圧迫される。
「ぐッ…おぉッ……!!」
構わずに肘も入り、続いて顔も身体も魔力の中に侵入する。
遠い。
たった数センチ進むのに気が遠くなるほどの労力がいる。
軋む体、折れそうな心をそっちのけで突き進む。
そしてやがて、右手の指の先に何かが触れた。
直ぐに今度は掌で触れる。確信し、そのまま掴んだ。
「ぉおおおおッ!!」
気合と共に一気にイサンを夜空の元へと引っ張り上げた。
イサンと一緒に自分も落ちそうになるのを翼を生成し、バランスをとる。
イサンは力なく腕の中だ。それもそう。もうイサンは死んでいる。
では何故こんな無理をしてまで取り戻したのか。…決まっている。
知るか。そんなこと。
考えてやった行動ではない。やりたいことをやっただけだ。
そこで、異変に気付いた。
イサンの腕に、顔に、身体に。
30年の年月の老いがない。つるやかな腕と足。そこから伝わる、温かくて心地いい体温。
思わず、イサンの顔を覗き込む。
人の気も知らずに寝息を掻いている。
「……イ、サン…?」
しばらく時間がたった後で漸く出た声は擦れていて、ほとんど言葉にもなっていなかった。
それでも、その声に反応したかのように。
ピクッとイサンの目蓋が反応した。
緩々と目蓋が開いていく。
「あれ…? レイ…? どうし、て……?」
目の前の光景が頭にうまく事実として入ってこず、開いた口からは何も出てこない。
「…夢、かな。……わからないけど」
両腕を首に回され、引き寄せられた。
密着したせいで頬と頬がくっついた。
「まあ、いいや」
やっぱりレイは温かいね、と続いてイサンが小さく呟いた。
温かいから夢じゃないのかな、と続けてイサンだけが話し続ける。
伝わってくる体温が嘘にはとても思えず、いや思えないからか、レイの体は反応できず固まったままだ。
「……レイ」
問いかけるように、レイにまた声がかかる。
しかし、現実についていけないレイは頑なに沈黙している。
しかし、そこで頬に何か伝うものを感じ、それで現実に引き戻された。
「死ぬのは、……怖いよ」
「……イサン?」
それは人間として、命ある者として当たり前のことだが、何時も自分の身を省みないイサンがそれを言うとは思えず、レイは思わず、そう聞き返した。
「死ぬのは、痛くて、…怖い」
「………ああ」
「死ぬのは、冷たくて、…怖い」
「………そうじゃな」
「死ぬのは、暗くて、…怖い」
「ああ」
そこで、首に回った腕が痛いほど絡まってきた。でもそれは決して嫌なものじゃない。
「死ぬのは、独りで、寂しくて、……怖いよ…!」
「ああ……」
気の利いた慰めの言葉なんて、何も思いつかない。
だから役に立たない頭なんて使わずに、怯えるように凍えているように震えるイサンの身体を思い切り締め付けるように抱きしめた。
桜の森の上。
肌寒い星夜の下。
イサンの体は、確かに温かかった。