染まる
拳が男の腹部を陥没させ、皮膚、筋肉、骨を破壊していく。
「ごッ…あ……!」
声にならない音を口から漏らし、男が吹き飛んでいった。
30メートル近い距離を地面にぶつかることなく、宙を飛び壁に激突した。
壁から男がはがれ、地面に激突すると、崩れた岩が男の上に降り注いだ。
ハルユキはそれを確認して、尻餅をついた。
「あー……」
疲れからか、思わず間延びした声がでる。
数秒後、ガラガラと岩をどける音がして、男が足を引き摺りながら這い出してきた。
「ふざ、けるな…!」
その声に応えるように腹に空いた傷口がみるみる塞がっていく。
ダメージが残っているうちに追い討ちをかけようと立ち上がった途端。
「ッ……ごぼッ…!」
男が口から鮮血を吐いた。
傷口の再生スピードが目に見えて落ちていく。
封印がそろそろ佳境に入ったのだろう。
「………あ…!?」
そこで男の様子が変わった。
「あ、ぁああああああああああああああああ!!!!」
「なッ……!」
怪我している腹部をそっちのけで頭を押さえてのた打ち回る。
口からは涎が糸を引き、恥も外聞もなく地面に這い蹲る。
そこで気付く。男の顔にへばり付いた陳腐な『神』の文字が。
男の顔の上で暴れていた。
「なん、で……! さっさと、死な、ない…!!」
男が息も絶え絶えに口から音を零す。
「俺は、殺して壊して消して捨てて、まだ、まだ……!!」
見る見るうちに男が弱っていく。突然の豹変に体を固まらせていたハルユキは少しだけ体から力を抜く。
しかし、それと同時に男の目が封印を施している4人をその目に捉えた。
「…………殺す」
狙ったわけではない。ただタイミングが重なっただけ。
「……殺す殺す殺す殺す殺す殺す、殺す!!」
しかし、結果として自体は悪い方向へと転がった。
傷を身体に抱えたまま、男が残った力で跳んだ。
「ッチィ…!」
反応が遅れたハルユキの上を跳び越して、一瞬で祭壇までたどり着く。
ハルユキも行こうとしたところで、目の前で岩が盛り上がり分厚い壁となりハルユキの進行を塞いだ。
殴って吹き飛ばす。
しかし、直ぐ目の前に同じように岩の壁。
それも、ご丁寧に祭壇を囲むように、地面から天井まで余す所なく壁で塞がっている。
「くそッ……!」
こんな壁があっても1分あれば祭壇までたどり着ける。
しかし、その1分は致命的だ。
「持ちこたえろよ…!」
続けざまに壁を叩き壊す。
「さ、て、死んでいただきましょう」
ハルユキが押し始めたところで、いきなり男が消え、見るからに瀕死の状態で一瞬でユキネ達の目の前に現れた。
あっという間に岩の要塞を後ろに作り出して。
「時間がない、ので、手早く、死んでもら、い、ますよ」
傷が深いせいか、最初のような迫力は既に存在しない。
頭を押さえて顔を歪めながら男がそう言った。
戦闘力も相当落ちている事だろうが、それでも決して油断していい相手ではない。
レイは男を向きもせずに、背中を見せたまま詠唱を続けている。
「余所見はあかんちゃうの? 神様さん」
一瞬。
ジェミニが流れるように、男の傍まで移動した。
グルン、と男が回転し背中にから地面に叩きつけられる。
「潰れろ」
男の体が上から何かに押しつぶされたかのように更に地面にめり込んだ。
「ジェミニ。…どいて」
声と同時に地面から木が生えてきて、男の地面に埋まった身体を更に押さえつけた。
間髪いれずにフェンの前で赤と茶が混ざっていく。
あっという間にそれが巨大な鉄球に変わったかと思うと、それが突進し祭壇の前半分ほどと一緒に男を吹き飛ばした。
鉄球は後ろに控えていた壁に当たると勢いが死に、そこで止まる。
「やったか…?」
そう呟いた途端、瓦礫が爆発したかのように弾け跳んで霧散した。
衝撃の余波が地面を削り3人のもとまで届く。
ユキネは咄嗟に剣を地面に突き刺し、耐えしのぶ。
「フェンちゃん…!!」
一際体が小さく、男の一番近くにいたフェンが吹き飛ばされた。
壁に激突しそうな所を間一髪でジェミニがまた風の中を流れるように移動し、受け止めた。
しかし、勢いを殺しきれず背中から壁に激突して、動きが止まった。
私も無傷というわけには行かない。
頬に足に破片が当たって血が吹き出た。
そして、中から怒気をその身に宿した堕神が現れた。
「あー…、もう、いい加減にィ…!」
頭から更に血を流しながらも、致命傷には至っていない。先程吹き飛ばした瓦礫が掲げたその手に凝縮して魔力により増大していく。
推定で半径20メートル程度。
「死ねええぇえええぇえええ!!!」
それを何の躊躇いもなくうち放った。
「避けろォ!!」
真っ直ぐにユキネに向かって飛んで行く。
ジェミニの切羽詰った声が響いた。
避けなければ死ぬ。
咄嗟に横に飛ぼうとしたユキネの視界に我関せずといった風に自分の役割を完遂しようとしている背中が目に入った。
ちょうど岩とユキネの延長線上。
────逃げるな。
「ぁあああああああ!!!」
ユキネがとった行動は、愚策といっても差し付けない行動だった。
ただ、自分の魔法をそれにぶつけようとしただけ。
無意識的に同じ土の魔法で。
全力に相応しく、込めた魔力は今のユキネの実力から考えれば、最高の物。
しかし、大きさはせいぜい男のそれの十分の一程度。結果は目に見えている。
だが避けることはできない。
まだ後ろでユキネを信じている奴がいるのだ。
背中を、預かっているのだ。
(私が背を向けるわけには行かないだろう…!)
────立ち向かえ 其れは最早お前の物だ
しかしまた、それは恐らく無意識的な確信。
自分は今こうするのがベストだと。
差し迫った死の実感が教えてくれているような感覚。
小さい白と、巨大な茶色が接触する。
そして、ユキネの小さい魔法は、理ごと神すらも吹き飛ばした。
◆ ◆ ◆
何枚、壁を壊しただろうか。
恐らくそろそろ50に届く数の壁を殴り壊したとき、視界の内包物が壁ではなく空間に変わった。
と、同時に巨大な土の塊が飛んで来た。
「おわっ!!」
咄嗟に横に飛んで避ける。
俺が、たった今壊してきた壁をぶち抜いた後、もはや山のようにでかくなった薄らと白い岩の砲弾は動きを止めた。
「なんだ、ありゃ?」
もうもうと土煙が上がる中でそれに注目する。
色からして恐らくユキネの魔法だろうか。
「ハル……!」
「これ、お前が?」
駆け寄ってくるユキネに声をかけると、ユキネは傍まで来て軽く首を傾げて言った。
「よく、わからないが、多分そうだと思う。何しろ咄嗟だったんだ」
「……ま、何にしろよくやった」
ぐりぐりと頭を撫でてやると、短く息を呑んで俯いてしまった。
「こ、子ども扱いするな…!」
その手を力なく掃うと、レイの所へ戻って言った。
しばらくその背中を見つめていると、今度はジェミニがこちらに歩いてきた。
「大丈夫か?」
「ああ、何とか…、あつつ」
背中を押さえながら、苦笑いを浮かべつつジェミニが小声で俺の耳元で言った。
「あのユキネちゃんの魔法やけどな。
……なんて言うんやろ。なんか、侵食して増えたみたいな感じやったで」
俺がユキネの事を気にしていることを察したのか、ユキネには聞こえないように。
俺に魔法のことはよく分からないが、普通に起こることではないだろう。
つまり、ユキネの能力の一つなのだろう。
「貴、様らあぁ…!!」
ズズッと瓦礫の中から身体を引き摺りながら、神だった男が現れた。
いや、今にも消えそうでもまだ頬に文字が残っている以上、未だに神なのか。
……それとも、最初から神などではなかったのか。
少なくとも、地を這って少しでも前に進もうとする姿は人間にしか見えなかった。
「まだ、まだだ! 私はこんな所で……!!」
瞬間、すっと洞窟内が暗くなった。
何か不吉なことが起こったということではない。
「終わり、じゃ…」
パン、と、もはや恒例となった両の手を合わせる音が、暗くなった地下に響いた。
すっと音もなく男の頬から完全に光が消え、辞世の句を残すこともなく、その場に崩れ落ちた。
一応、首筋に手を当て生死を確認する。
「死んでる」
何の感情もなくそう告げる。
ジェミニはよく知らないが、ユキネもフェンも人の死ぐらいは知っている。
俺の無感情の宣告を、無感動に受け止めていた。
もう冷たくなり始めている男は神どころか、人間ですらもなくなってしまった。
「……帰るぞ」
死んでしまった男を如何こうする気もないらしく、レイがいち早くそう提案した。
俺達は、どこか後味の悪い気持ちを感じたまま、出口へと向かった。
「なあハル。あれで、よかったのかな」
ユキネがすっと俺の隣に並んで小さい声で呟いた。
あれとは聞くまでもないだろう。
神に成り損ない、結局は物言わぬ死体になってしまった男のこと。
後ろにある扉の向こうで眠っている人間だった男のこと。
「さぁな。それはわかんねぇよ」
もっといい方法もあったかもしれない。けどそれもわかるわけない。俺にも、多分、神にも。
そうか、と俯いてしまったユキネを横目で見た後、続けた。
その後は階段を上り、井戸のそこに戻るまで無言だった。
何か言う前に、レイは壁を蹴りつけながら乱暴に上っていった。
「ああ、ワイは大丈夫や。一人で行けるで」
そう言うと、大して力も入れていないように見えるのに、レイよりも軽やかに壁を上っていった。
改めて、出口の下に立ち出口を見上げる。
推定4、50メートルぐらいか。
「ちょっと、触るぞ」
残ったフェンとユキネを抱き寄せる。
「なッ!?」
「ッ……!」
二人して息を呑み、同時に左右から殴られた。
いや、殴られている。何度も。現在進行形で。
「止めろこら。殴るなつねるな引っ掻くな。お前らじゃ登れねぇだろうからやってんだろうが」
ピタッと攻撃が止まって、その後にもう一発殴られた。
「もっとちゃんと言え!」
めんどくせぇなぁ…。
………まあ、俺も悪いか。
「よし、しっかり掴まれよ。じゃないと落ちるからな」
一瞬だけ間が空いた。
(自分で上れないことも…)
(ない……けど…)
ギュッと首にしっかり二人の腕が回ったことを確認して、一息に出口を跳び越した。
弱々しい桜の光が俺達を出迎えた。
◆ ◆ ◆
────ドクン
汚らしい苔以外光るものがない薄暗い空間で。
生き物らしい生き物がいない空間で。
音が消えてしまった空間で。
もはや死んでしまった空間で。
脈動する。
それは血か。
それは心臓か。
それは生命か。
それともただの残響か。
────ドクン、ドクン
鼓動する。
それは人間か。
それは神か。
それは獣か。
それともただの肉塊だろうか。
────■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!!!!!!
狂気の咆哮が。
死んだ空間に木霊する。