桜吹雪
「まだ、朝じゃねぇかよ・・・」
眠そうに目を擦りながら、ハルユキは前を先導して歩くレイに文句をこぼした。
「イサンが起きてからだと面倒じゃろうが。ほれ、黙って歩け」
レイの言葉は至極もっともで、またぶつくさ言いながら薄っすらと緑の草が生えた地面を進んでいく。
家の近くのこの辺りは、ハルユキの血のお陰か弱冠生気が戻ってきている。
「それはともかく、何でお前らまでいるんだよ」
パッと後ろを向くと、近くから数えてジェミニ、ユキネ、フェンがぞろぞろと付いて来ていた。
「ま、またいやらしい事をしないように、み、見張りだ! 悪いか!」
「またってなんだよ。誤解だって言っただろうが」
昨日散々折檻された後、冷静になった二人にレイが冗談だったと説明して誤解は解けていた。
その時にはもうハルユキは虫の息だったが。
「着いたぞ」
やいやいと、文句を言い合いながら進んでいるうちにどうやら到着していたようだ。
「ここは・・・」
もちろん初めて来た場所だ。ハルユキに見覚えなどない。
しかし、どんな所なのかはすぐにわかっていた。
「あの洞窟か・・・・・・」
木々に隠れるようにぽっかりと口をあけている大きな洞窟の入り口がそこにあった。
もし、木が花を咲かせていたり、葉を付けていたりしたならばきっと見つけるのは困難だったはずだ。
そしておそらくここが、レイの話に出てきたたあの洞窟で間違いはないだろう。
「さっさと行くぞ」
ずかずかと洞窟の中に進んでいくレイに四人は続く。
中に入れば入るほど暗闇に支配されていく。
ハルユキや、吸血鬼であるレイならば普通の人間より夜目は利くためさして問題はないが、他の三人はそうもいかず、代表してフェンがボッと手の平の上に炎を灯した。
「なあ、何でこんな所まで来たんだ? 魔力を与えるだけなら別に何処だっていいんだろう?」
横を歩くレイにハルユキが質問をする。
レイは目線は前に向けたまま口だけを動かして答えた。
「ここに魔力が集まるということは、それはつまり広範囲の地域に魔力路が繋がっているというじゃ。そこからのほうが手間が省けるし、それにここは完全に塞がんといかんからの」
塞ぐ。
それはこの洞窟を物理的に塞ぐというわけではなく、魔力の流れてくる路を断つとそう、言っているのだろう。
「まあ、もうここで魔力が取れるなど覚えている奴もおらんと思うがの。念のためじゃ」
確かにまた直ぐに搾り取られる可能性も高い。
塞いでしまったほうが確かに有意義だと言えるだろう。
「しかし、そんな簡単に言ってるけど、要は封印だろ? できんのかお前にそんなこと」
「ふん、伊達に八百年も生きとらんわ。それに、吸血鬼とは魔力のコントロールに長けた生き物じゃ。心配はいらん」
少しだけ得意そうに、そして滅茶苦茶偉そうに、レイはそう答えた。
◆ ◆ ◆
思ったよりも洞窟は広く長くて、奥に辿り着くのにそこそこの時間を要した。
辿り着いたその空間は今度は思っていたより大きくなかった。天井までは2メートルほど。
広さは人30人も入れない程の広さだ。
不思議と空気はよどんでおらず、むしろ通路よりも息苦しくない。
ハルユキ、レイに続いて三人も入ってくると、明かりを更に強くして周りを見渡し始めた。
「ほえー。なんか独特の雰囲気やなあ」
うろうろとジェミニが興味深そうに洞窟内の探索を始めた。
「おい、そこ危ないぞ」
「え?・・・・・・って、うわッ!」
その声のおかげで、ぎりぎりジェミニは踏みとどまった。
ぱらぱらと砂利がジェミニの目の前に開いた亀裂の中に吸い込まれていく。
「あそこが、例の?」
「ああ、魔力点じゃ」
ハルユキも亀裂の淵まで歩いて穴の中を覗き込んでみた。
「うっわ。深いなここ」
広げられていても割と小さめな穴だが深さのほうはちょっと視認できないレベルだった。
「さっさとやるぞ。ほれ、しゃがめ」
穴に夢中になっていたハルユキは何も考えずにしゃがみ、
「・・・・・・がぶッ」
噛み付かれた。
「・・・・・・なあ、それは首からじゃなきゃいけないのか?」
「ちゅぱッ・・・ちゅーー・・・ごくごく」
血飲中のレイは聞く耳持たない。
無意識のうちに離れようとしているハルユキの首を手を回して引き寄せた。
後ろではまたプルプルと肩を震わせている人間がいたが、今度はある程度事情を話しているので自制しているようだ。
一分ほど血を吸った後、レイは静かに口を首から話した。
すぐさま手首を噛み切ると、どくどくと出続ける血を亀裂の中に注ぎ込んでいく。
変化は直ぐに現れた。
ぼう、と亀裂の底の底に光が点ったかと思うと、光が一瞬で上ってきて亀裂から噴き出してきた。
思わずしりもちをつきそうになる程の勢いで光が迸る。
「相変わらず、とんでもないのう・・・。100年、血を集めてもこうはいかんぞ」
しばらくそれを見ていると、だんだんと地面に浸透していくかのように光の柱が消失していった。
最終的には亀裂の中がぼんやりと光るぐらいに落ち着くと、それを見たレイが言った。
「よし。封印するぞ。ほれ役立たずは隅に行け」
そう言ってハルユキを端っこまで追いやって、今度は少しずつ血を辺りに振りまくと、一歩だけ前に進んで亀裂に手を翳した。
そのままぶつぶつと詠唱を始める。
すると、詠唱が進むにつれて足元で赤い魔法陣が広がって行った。
「・・・・・・儀式魔法・・・!」
それを見たジェミニが驚きの声を上げた。
「なんだそれ? 儀式魔法?」
ハルユキが小声でジェミニに尋ねた。
「儀陣魔法ってのは、大人数で行う大規模魔法のことなんやけど・・・」
じっと詠唱を続けるレイを額に汗を走らせながら見つめながら続けた。
「普通は魔法使いが10人がかりとかで、長時間掛けて挑む魔法なんや。流石は吸血鬼ってとこやなぁ・・・」
説明を受けている間に魔方陣はいったん広がった後、亀裂の上に球状に凝縮していった。
レイが、パンと手を合わせると、その魔方陣は穴の中に落ちていく。
一瞬だけ唸りをあげて光が強まったかと思うと、すぐさま光がまた弱りだした。
今度は消えるまで光を失っていき、洞窟内を照らすのは最初のようにフェンの魔法だけになった。
「ここは終わりじゃな。あと何箇所かここと同じ様な地点がある。今日はもう一箇所行くぞ」
そう言うと、さっさと洞窟を出て行った。
「体がもたねぇよ。血をとられる身にもなってくれ・・・」
ふらふらと足元も頼りなく、ハルユキとその一行もそれに続いた。
外に出ると、太陽がもう完全に顔を出していて、桜の新芽がその身に纏った露に光を受けて輝いていた。
◆ ◆ ◆
「マクスさん! 桜が! 蕾をつけ始めました!!」
秘書の一人が村長であるマクスの書斎に飛び込んできた。
「わかっています。きっとあの方々がやってくれたのでしょう」
まだ全てではないが、一昨日辺りからそこら中で桜の芽が出てきたことが確認され、同時に死んでいた土も息を吹き返してきた。
昨日までは村の中でも半信半疑だったものの、今日の朝村のすぐ外にある桜も芽吹いたことで村人全員がそれを見に行き村が沸いた。
そのせいか、昨日までとはうって変わった雰囲気が村中を包んでいる。
「ほら、外で人手を求めていますよ。ここはもういいですから行ってあげて下さい」
「はい!」
満面の笑顔で返事をすると、バタバタと外へ出て行った。
「まったく、何もわかってない馬鹿共が」
間違いなく秘書が外に行ったのを確認すると、マクスは書斎の棚から何かを持ち出して、それを机の上においた。
それは、交信魔球と言う任意の相手と連絡を取り合うという魔具の改良版で、より遠くの物とも通信ができるというものだった。
どう考えても、こんな寂れた町に必要なものでもないし、手に入るものでもない。
「起動」
その言葉に答えるようにぼうっと淡い光が中に点った。
「レオ様。マクスにございます」
そう言ってしばらくすると、人影がマクスが持った玉から浮き上がった。
『マクス、どうしたんだい? 随分久しぶりだけど?』
そう答えた声も玉に浮かび上がった姿もどう見ても子供だが、玉越しに伝わる雰囲気は老獪なものだ。
鉄のような冷たさがにじみ出ている。
「はい。桜が、咲きました」
『桜? ・・・・・・ああ。随分前に君が枯らしてしまった、あの桜?』
嫌味が入ったその言葉にマクスは思わず苦い顔をする。
「その件に関しては謝る他ありません。しかし、もうあと少しです。もう一度完全に魔力を抽出できれば、完成します」
『それはとんだ僥倖だ。
・・・・・・それにしても、よく復活させたね。かなり深刻な状況だったと記憶してるけど』
「ええ、いい獲物が村に迷い込んできましてね。いつもの様に吸血鬼の元に向かわせました。
おそらく血を絞り取られたのでしょう。只者ではなかったようなので、いい魔力になったのではないかと」
『へぇ、計算どおりってわけだ。やるねえ、マクス』
その言葉にマクスは光栄ですと、短く返すと通信をきるために言葉を続けようとした。
『でも、今度失敗したら殺すから。心してよ? それじゃ・・・』
軽い言葉からは想像できない殺気の篭り方に、呼吸までもが止まってしまった。
ブツンッと、一方的に通信が切れる音がして、マクスは漸く呼吸の仕方を思い出すと、ぶはっと息を吐いた。
途端にマクスは体から力が抜け、背凭れに寄りかかる。
「くそっ、あの化け物が・・・!!」
そう言いながら、乱暴に引き出しの取っ手を掴み、今度は中から一冊の本を取り出した。
その本には鎖が無数に絡みついており、とても本としての本分を果たそうとはしていない。
それを眺めながら、マクスは先程とはうって変わった汚らしい笑顔をその顔に表した。
「もうすぐ、だ・・・」
その声に反応するように、ドクンと本が鼓動した。
◆ ◆ ◆
「あー、いい天気だ」
一昨日の夜から厚い雲が空を覆い、月も星も太陽も隠してしまっていたから余計に太陽が眩しく感じる。
「今夜の満月にあわせて、魔力を撒いていたからの。晴れてよかったわ」
朝から外に出て、太陽の光を全身に受けて気分をリフレッシュしていた所に、レイが現れた。
「今日、後二箇所行って最後だったか?」
「ああ、それで最後のはずじゃ」
そう言ってずかずかと気持ちよさそうに光を受けながら歩いていった。
続いてまた後ろから、今度は大人しくトコトコと言う足音が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・ハルユキ」
「フェンか。どうした?」
「・・・・・・イサンは、どうしたの」
イサン、か。
初日、一度家に帰った後初めてイサンに会わせて、その日は俺とジェミニ、レイと3人だけで行ったため、フェンとユキネの二人はイサンのそばに一日いたのだろう。
そして今日起きて、イサンは二人のことを忘れていたはずだ。
戸惑うなと言うほうがおかしい。
「あいつが桜を復活させようとしてるのは、イサンの病気を治すためなんだとさ」
吸血鬼のくせに、すっかり草原になった地面に寝っ転がって日光浴をしているレイを指差して言った。
「家族だから、だとさ」
「・・・・・・家族・・・・・・・・・」
ぼーっとフェンもレイを見つめる。その顔には少しだけ陰がおちているように見える
「ユキネも戸惑ってるだろうから、教えてやってくれ」
どこか遠い目をしているフェンにそう言った。
「・・・・・・家族、か」
既にフェンは家に戻る路についていて、俺がこぼした言葉は誰にも届くことはなかった。
◆ ◆ ◆
パン、と手を叩く音と共に魔法陣が圧縮してできた赤い玉が、亀裂の中に落ちていく。
これまでと同じように一瞬だけ光が増すとだんだんと勢いを失っていき、最後には完全に光が消えた。
「・・・・終わり、か」
俺がそう言うと、レイは複雑な表情でこちらは振り向いた。
「行くぞ。もう日が落ちるまで2時間もないだろう」
その顔に映っているのはなんだろうか。
不安もあった。期待もあった。達成感も、寂寥も、喜びだってあった。
だが、その顔は決して明るいとはいえなかった。
「これで駄目ならどうするんだ?」
「・・・お主、よくそう、ズバッと聞けるのう、そういうことを。空気ぐらい読めとか言われんか?」
うるせぇよ、大きなお世話だ。
「喜んでいいのか不安でいいのかも自分でもわかっていない奴に、気ぃ使ってもしょうがないだろ」
フン、とレイは鼻で笑った。
俺の言葉に笑ったのではなく、自嘲であったことは見れば分かった。
「先の事も考えられなくて、どうしていいかもわからないなら、ただ成功を信じてりゃいいだろ。他にすることも、もう無いしな」
「・・・・・・アホが一丁前に意見をするな」
そう言って今度は俺に向かって不敵に笑って見せた。
まだ背中には不安が見え隠れしているが、見せた笑顔は少しは明るくなっていたので良しとしよう。
「お、そうだ。花見しようぜ、どうせだからな」
「花見? 儂は別に構わんが・・・」
「よし決まりだ。材料とかは大丈夫か?」
「材料はあったが、水が少なくなっとたから川に汲みに行かんといかんな」
「あん? どっかに井戸かなんかなかったか?」
「あれは儂が来る前から水が出ん。水汲みは川じゃ」
あそこか?
この三日で何度か見かけた小さな水流。
とても川と呼べるものじゃなかったが。
「ああ、いやフェンに出してもらえばいいか」
安心して、川のほうには行かずまっすぐに家がある方向を向く。
──刹那、ピリっと首筋に視線を感じた。
バッと後ろを向く。
だが、後ろには桜の蕾が芽吹いた木が乱立しているだけだ。
ぐっと目に力を入れて周りを探ってみるが、もう暗くなり始めているためたいして遠くまでは探れない。
もう既に視線は感じない。
(気のせいだったか・・・?)
前に向き直るとレイが此方を怪訝そうに見ていた。
「なんじゃ。どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。行こうぜ。腹減っちまった」
◆ ◆ ◆
「へえ、なかなか面白そうな人が居るなぁ」
ハルユキの後方、約3000メートル地点にそれは居た。
一羽の烏。
その目に生き物としての輝きはない。所謂使い魔というものだ。
その主人は、自分の部屋で柔らかいソファでくつろぎながら、ハルユキの様子を観察していた。
「マクスの予想はてんで的外れだったわけだけど・・・」
この使い魔の目には細工をしていて、ある程度の障害物なら通り抜けて対象のみをのぞき見ることができるという代物だ。
あちらからは木に邪魔されてこの使い魔のことなど見えはしないはず。
それなのに、あの反応。
おそらく、これ以上近づいたのなら途端に見つかるだろう。
「随分と、面白いことになってるみたいだね。捨てた玩具には興味はないんだけど…」
おもむろにソファから立ち上がると、同時に遠く離れた森の中で使い魔が散り去った。
そのまま、まっすぐに部屋を出て"城"の外延部に向かう。
しばらく歩くと、家畜場に出た。飼っているのは決して牛や馬などのそれではない。
「ソドムを使うよ」
家畜上の入り口に控えていた兵士にそう告げると、家畜上の中でも一番の巨躯を誇っている"飛竜"に乗り込んだ。
「レ、レオ様!? ど、どちらに?」
兵がいきなりの展開にやっと追いついて、龍にまたがる少年に問う。
「んー、ちょっと遊びにね」
無垢に不敵にそして不気味に口元をゆがめると、ものすごいスピードで竜と少年は夕闇の中に消えていった。
◆ ◆ ◆
「おーい、どんどん料理持ってけー」
イサンと、ハルが作った料理がどんどんと机に並んでいく。
どうせ桜が咲くなら花見をしようということで、夕方頃に帰って来たハルユキがイサンと一緒に料理を始めたのだ。
材料はどうするんだ? と聞くと、ここに材料やら日用雑貨などを何処にでも運んでくれる特殊な業者に定期的に持ってきた材料がまだ結構残っているのでそれを使うらしい。
それにしても、イサンはともかくハルが料理ができるとは思わなかった。
本人が言うには、覚える必要があったから簡単に覚えただけらしいが、少なくとも私よりもできることに違いはない。
「私も、覚えるべきだろうか・・・?」
自分の手をまじまじと見つめる。
所々に剣ダコができていて、とても年頃の乙女の手とは思えない。
「・・・・・・どうしたの?」
自分の手を見つめて落ち込むのを一旦中断して、後ろを振り向いた。
そこには両手に料理がのった皿を持ったフェンが立っていた。
手がプルプルして危なかったので一つ代わりに持ってやる。
「フェンは料理できるか?」
そう聞くと、フェンは一旦料理を見て、空いた自分の手を見て、それから私を見てふるふると首を横に振った。
「そうか。フェンもできないのか」
ほんの少しホッとしたのは内緒だ。
しかし、何も作れないというのはどうなのだろうか。
今までは王族として育ってきたからそんなものは必要なかったが、もう私は普通の人だ。
普通に結婚することもあるだろう。
(結婚かぁ・・・・・・)
私もこれで女だ。結婚に憧れがないわけではない。
自然とウェディングドレスを着た自分を想像した。
しかしイメージは浮かんでこない。
──ただ、代わりに相手のイメージが出来上がっていることにふと気づいた。
タキシードから覗くその顔は・・・・・・そこで料理を作っているあいつだった。
「あっ・・・・・・う、あ・・・」
顔にひとりでに血が上がっていくのが自分でわかった。
な、何でここでハルなんだ!?
べ、別にあいつは友達で、仲間で、そんな風に思ったことなんか・・・・・・!
・・・・・・ない、のか? 本当に?
「・・・・・・ユキネ?」
「ひゃうッ!!」
後ろから肩を叩かれ跳び上がってしまった。
料理がこぼれてしまいそうになるのをどうにか堪えて、ほっと息をつく。
「・・・・・・どうしたの?」
不思議そうにこちらを覗き込むフェン。
ふと、思った。
「フェンは、恋愛とか、わかるか?」
そういえば、最近似たような質問をしたような気がする。その時は有耶無耶になったはずだ。
フェンは私の質問の意味を噛み砕くのに手こずっているようだ。
いつもの私はこんなことを言わないから変に思う気持ちもわかるが、別に深い意味はない。そのままの意味だ。
そのことをなんとなく察すると、フェンは考えながら周りをゆっくり見渡し始めた。
まず、イサンとイサンが作った料理のつまみ食いをしているレイを見て、家の中から酒を運び出しているジェミニを見て。
そして、最後に小皿で料理の味見を確かめているハルユキを見て、視線を動かさないまま、答えた。
「・・・・・・・・・よく、わからない」
「・・・・・・私もだ」
二人でため息をついた。
出来上がった料理を置く机とキッチンを往復しているハルユキ。
エプロンつけておたま片手に忙しなく動いている姿は、とても古龍を圧倒したり、城を吹き飛ばしたりした人間だとは思えない。
いきなり、ハルユキが視線に気が付いてこちらを向いた。
ぱっと反射的に目を逸らす。
気付いたらずっと目で追っておいたらしい。途端に恥ずかしくなって、また顔に血が集まってきた。
目を逸らした先には同じようにこちらを向いたフェンの顔があった。
フェンの心の中が手にとるように。顔がほんのりと赤いから。
「・・・・・・おい。全然料理が運ばれてないんだが?」
その声は最後まで聞かなかった。
こめかみに血管を浮かばせているハルユキから逃げるように、少しだけ冷めてしまった料理を片手に、もう片方でフェンの腕を掴んで外へ出た。
そのまま外に設置されたテーブルまで走った。
何で逃げ出したかわからない。
自分の気持ちもわからない。
フェンも同じように分かっていないことは分かる。
それ以外は何もわからなかった。
頭上で桜が、花を咲かせる時を今か今かと待っている。
◆ ◆ ◆
夕刻。
既に太陽の一部が遠い山に隠れ始めている。
もう後数分もすれば、舞台は夜空に、主役は太陽から月へと替わるだろう。
「まあ、とりあえず飯と酒、だ」
乾杯しようと酒をコップに注ごうとすると、横からコップを掠め取られた。
俺の見た目は18歳位で成長が止まっている。
それで、お酒は二十歳になってからの精神にのっとられたイサンが、酒瓶を奪い去っていったのだ
「小僧はお預けじゃなあ」
クックッと笑いながら酒を口に運ぼうとするレイの後ろにもイサンの影が出現して、酒を掻っ攫っていった。
二人とも未成年じゃないと主張してはみたが、既に酒が入っているのかイサンは聞く耳を持たなかった。
「かんぱーい!」
そして、何故かハイテンションのイサンがさっさと一人で音頭をとってしまった。
結局、二人してフェンとユキネのために作った蜂蜜とオレンジに似た果物の果汁を混ぜたジュースを飲むことになった。
「ん・・・・・・?」
「お・・・・・・」
だが、これが結構美味い。
酔いはまわらないものの、そこそこ良い気分で日が沈むのを待つことにした。
「イサンさんは、もうちょっと若かったらなあ。こんなベッピンさん、ほっとかへんのに」
「イサンさんなんて畏まった呼び方しなくてもいいですよぉ。それにねぇ、まだ私は現役ですよ? っていうかイサンさんて語呂悪すぎますよねー。誰がつけたんでしょう、全く」
ジェミニはいつもの事だからともかく、イサンは既にべろんべろんに酔っ払っている。
ユキネとフェンは机の端で熱心に何かを話し合い、俺はとりあえず目の前の飯を食べることに集中していた。
あっという間に太陽が落ち込んでいく。
だんだんと太陽が下がって来るたびに、柄にもなく緊張してきているのがわかった。
もう見えているのは頭頂部だけだ。
目をやると、レイも黙って肘を突き、どこか力なく太陽を見つめている。
・・・そして。
完全に太陽が沈み、空に夜の戸張が下りた。
────同時に何処かでパチッと花が開く音が聞こえた気がした。
光の大元を失ったはずの空が再び明かりを取り戻していく。
一つが光を吸収して魔力に変え、隣り合ったいくつかに魔力をその魔力を与える。
それが連鎖して、下りたばかりの戸張が上がっていく。
不意に、ひとひらの光の欠片がひらりとレイが持ったコップの中に舞い落ちた。
それを待っていたかのように何処からか一陣の風が吹きぬけた。
それは屋根の上をかすり、俺達を通り過ぎ、森の中を駆け抜けていく。
一気に光の欠片達が空へ舞い上がった。
「すごい・・・」
感嘆の声は誰のものだったか。
太陽が沈んで僅か10秒足らず。
桜が、咲き誇る。