夜の訪問者
カラカラと、馬車の車輪が回る音でハルユキは目が覚めた。
傾いた日が横から照り付けてくる。
もう太陽は半分山に隠れている。
喉の渇きを感じ、寝癖の付いた頭を掻きながら身体を起こそうとすると、服に抵抗を感じた。
いつの間にか横で眠っていたフェンが両手で服のすそを握っている。
勢いで起きてしまったのか、しょぼしょぼした目でハルユキを見ている。
「ん……おはよ…」
「ああ、起こしたか?」
「…………ハルユキが起きるなら、起きる」
「あーあ、お前髪ぐちゃぐちゃじゃねえか」
ハルユキはそう言いながら座ったままフェンの頭の後ろに手をやり、後ろ髪を撫で付ける。
「えっ……? あっ……!」
「こら暴れんな」
胸の中でじたばたするフェンを押さえつける。
しばらくすると、大人しくなったので乱れた髪を整え始める。
「ハルユキ……ちょっと、汗臭い」
…この野郎。
「……夜になったら、水浴びするから我慢しなさい」
「……うん」
フェンは両手でハルユキの服のすそをまた握り締めている。ちょっとだけフェンの重心がハルユキのほうによったがハルユキは気づきやしない。
「お前、髪ぐらい気にしないと嫁の貰い手がないぞ?」
ため息をつきながらハルユキが言った。
「……ハルユキは、恋人がいるの?」
「………すいません。独り身が調子に乗りました…」
「……恋人、いないんだ…」
フェンがつぶやいた少しだけ喜色が混じった声を聞くことなく、白い土の塊が跳んできてハルユキは吹っ飛んだ。
顔を真っ赤にしたユキネがハルユキに向かって手をかざしていた。
「お、お前、私が寝てる間に……」
「ま、待て…! 俺はフェンの寝癖を直してただけで……」
「うるさい! 死ね!!」
また、ユキネの手に魔力が集まっていく。
「それは、洒落にならんって……!」
そう言うと、ハルユキは馬車を飛び降り逃げていく。
「おのれ……! 猿みたいな奴め…」
俺を追おうと馬車の縁に足をかけたユキネが、まだ少し赤みが残った顔でフェンの方に向き直った。
「ふ、フェンはやっぱり、……その、なんだ。ハルが…………」
スポン! とユキネの額に矢が突き刺さってユキネの言葉を邪魔した。先は吸盤だが。
独特のエンジン音を立てながら、ハルユキが手に小さい弓を持ってオートバイに乗って馬車を抜き去っていった。
「ふはははははははははは!!!……って、ぎゃあああ!!」
即席で作ったためか、一分も持たずにオートバイが消えて、ハルユキは人身事故を起こし地面を転がっていく。
「はっはっは……馬鹿だなあ。あいつは。さぁ、教育教育」
血管が浮かんだひたいの吸盤を取りながら、手に剣を持ちハルユキの所へ向かう。
「……ワイ、影薄いわあ」
◆ ◆ ◆
「夕飯の準備、終わりましたあ」
干し肉とライ麦パンに薄いスープ。
それだけの食事だが空腹ならばおいしく感じるものだ。
今、俺は何とか夕飯の準備をやることでユキネに許してもらうことになっていたのだが、ユキネはそんなこと忘れてパンを既に頬張っている。
俺たちの前には森が広がっている。
暗くなってから森に入るのは危険だということでここに野宿することになった。
別に獣ぐらい物の数ではないのだが、この森は見るからに異様だったからだ。
木が所狭しと並んでいるだけで、獰猛な獣の気配が満ち溢れているわけでもない。
ただ、端が見えないほど続く森に花も葉も存在せず、全て枯れ果てて生気を失ってしまっていた。
この森の境界線までは、草が青に緑にと生い茂っているのに、森の中になるといきなり地面と枯れ木のくすんだ茶色が支配してしまっている。
「なんだろうな、この森」
「不気味だな」
「でも、馬車道はこん中に続いてるんやから、通るしかないしなあ」
心なしか冷たい空気がこちらに流れ込んできている気すらする。
「ま、飯食ったらさっさと寝て、早めに出ようぜ。とりあえず村まで行けば飯も寝床もあるだろ。見張りはまた俺がするから。昼寝てたし」
「いや、私も寝てたから…」
「こういうのは男の仕事だよ。ほら、さっさと寝ろ」
既に少ない食事を平らげてしまっていたユキネとフェンを馬車へと促す。
「ジェミニも…っていないし」
「ハルユキー、あとよろしくなー」
そう言って、もはやジェミニの特等席となった御者台に潜り込んでいた。
それから何時間か。
少しずつ火に薪をくべながらデカデカと空に鎮座する月を見ながらドンバ村から少しだけ持ってきた酒をちょびちょびと飲んでいい気分に浸っていると、火が弱くなってきていることに気づいた。
慌てて薪を足す。
しかし上手く火は燃え移らずどんどん火が小さくなっていく。
このままでは消えてしまうのでちょっと思いついたことをやってみた。
火に手をかざし、ナノマシンに意識を集中する。
パチッと木が爆ぜ一気に燃え上がった。
「……やってみるもんだな」
『酸素を集めろ』そうナノマシンに命じただけで、木の周りに酸素が集中し、一気に燃え上がったのだ。
目に見えるものは今までも操れたが、空気とか地面とか集合体の物質にはなんとなく効かないかと思っていたのだ。
だが考えてみれば、壁やドアも原子の集合体だ。それができて他ができない理屈もない。
試しに、そこらの地面にナノマシンを潜り込ませて操ってみると、簡単に土が盛り上がった。
そのまま、なんとなく何処かで見たような石造を作ってみる。
操れないのは原則生き物だけ、というより別に意思を持った命令系統を持っているものにはナノマシンは効かないということだ。
「"高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない"か。ホントだなぁ」
思ったよりもかなり強かった酒の残りを芸術を肴に一気に飲み干して、酒瓶を横に置きまた火に薪をくべた。
「……出て来い」
そして先程から、気配を消してこちらを伺いながら近づいてきている何かに声をかけた。
「ほう…、気づいておったか。気配は完全に消したつもりだったんじゃがな」
焚き火の火が届かない暗闇の所から、そいつが姿を現す。
その予想外の姿に目を見張った。
ユキネよりちょっと高いくらいの身長に豊かではないが、均整のとれた体。
その話し方とは似つかわしくない若く整った顔立ちに、膝ほどまである長い黒の後ろ髪を緩い三つ編みで一本にして後ろに垂らしている。
そして一番気を引くのが、着ている物。
闇に溶け込んだ様な深い藍色の服に、黒い帯。
着物。
いや、振袖だろうか。袖は長く振られているものの、振袖ほどまで重々しくはなさそうだ。
「……いきなりじゃが、少し血をもらうぞ。人間」
────ただ、人形のようだ。と、そう思った。
しかし、それとこれとは話は別だ。
「血?……嫌に決まってんだろ」
「なら、奪うまでじゃの」
ニッと、不敵に笑った口からは普通のそれより明らかに長い犬歯。
「吸血鬼って訳か?」
「ほう、驚かんのか?」
「ドラゴンもいるんだ。吸血鬼ぐらい、居てもおかしくないだろ」
女は俺の言葉にほう、と驚いたかのような声を出した。
「面白い小僧じゃな」
「生意気な小娘だな」
齢一億の俺を小僧扱いとは笑わせる。




