帰宅
目を開けると、灰色だった。
世界も灰色、自分も灰色。世界に溶け込んで個を失っている。
ラストを倒して、崩れた洞窟を眺めていると、ふと瞬きした瞬間に、世界が完全に灰色に変わった。
しかし、俺の心はその変化に驚きもしていない。
不意に世界の中心に歪が生まれる。
歪が歪のまま歪として安定すると、相手が生まれたことをきっかけに"俺"も世界から分離する。
──自分でも俺を使えるようになったんなら僥倖だ──
九十九、か。
目の前の歪は世界に溶け込んだまま言葉を発している。
それとも世界が歪みに溶け込んでいるのか。
……それとも、世界と九十九は同一なのか。
──世界はお前だよ──
俺は言葉を発していたのか、俺の思考に九十九が返答する。
いや、唇すら存在しない世界では、話すことなんかそもそもできないのかもしれない。
──お前と俺が混ざっているのは、お前が俺を使ったからだ──
…助かったよ。
お前の力がなかったらもう少し苦戦してた。
──その言い方は正しくねぇな。俺の力じゃなく、お前は俺を使ったんだ。俺は"俺"じゃない。ただの力、だ──
よくわからないぞ。
──俺はお前の一部ってことさ──
ますます意味が分からない。
お前は一体なんなんだ。
お前が俺の一部ってんなら、お前は…
──そう、お前だよ──
……だからわかんねぇって。
何も、分からないんだ。
──俺は正義でも悪の味方でもなく、お前の味方だ。それだけ覚えてろ──
言ったろ。
お前は生理的に信用できないって。
──じゃあ、お前は他の何かを信じてんのか──
俺以外は信じてるさ。
だから俺はお前も信じない。絶対に。
──ふん。…お迎えだ。お前は帰れ──
お迎え?
「……ハル?」
その声をきっかけに灰色の世界は崩れて、また世界が戻った。
しかし、その目に映る景色に相変わらず色彩はない。
◆ ◆ ◆
穴を抜けて元の洞窟に戻ってみると、洞窟の3分の1ほどが崩れ落ちていた。
ドラゴンはその巨大な体を地面に横たわらせて、気絶している。いや死んでいるのかもしれない。
体にはあの何もかもを防いできたであろう鎧は存在しない。
洞窟の崩れた所から射しこむ月の明かりの中にハルユキが全身を真っ赤に染めて立っている。
ユキネとフェンはそれをほぼ同時に見つけると息を呑んで瞬時の後、全力で駆け寄った。
酷い怪我をしている、それももちろんある。
……しかしそれ以上にハルユキに対して感じる印象がどことなく違ったからだ。
ハルユキはいつだって強くて、時々バカをやって、失敗して、でも背中は二人にとって何よりも信じられる。
しかし、今こちらに向けている背中からは、触れれば崩れて壊れてしまいそうな、まるで体温が存在しないような希薄な印象しか伝わってこない。
「……ハル?」
すぐ後ろまで近寄って声をかけると、ハルユキは二人に話かけてきた。
「……よ、無事だったか。悪いな、助けに行けなくて。」
纏う空気は先程と変わらない。まるで中に別の誰かが入っているような気すらしてくる。
「ハル…! その傷……!」
悲痛そうなユキネの声にハルユキが苦笑して、答えた。
「大丈夫だ。まだ痛むけど、傷口自体は……」
そこまで言ってハルユキの体がぐらっと傾いた。
そのまま強かに地面に身体を背中から打ちつけた。
ハルユキが倒れることなど想像もできなかった二人は、それを呆然と見送っていた。
「ハル!」「ハルユキ!」
倒れてしまって動かないハルユキに二人が同時に駆け寄る。
無理やりに再生させた身体には、今はもう力が残っていなかった。
「……悪い悪い。ちょっと体が動かなくてな。」
身体は動かさないまま口だけを動かせて、ハルユキが力ない声で言った。
顔は、顔だけは不器用に笑っている。
「けど、とりあえず戻らないとな。……よっ、と。」
震える手で身体を起き上がらせようとするハルユキの肩をユキネが押さえつけた。
「……無理を、するな」
俯いて顔が見えないユキネに笑いかけながら、ハルユキは言いかえした。
「大丈夫だって。俺は体が丈夫だから……」
「じっとしていろ!!」
シン、と元から静かだった洞窟がさらに静かになった気がするほどに音が消えた。
「無理をするなって、お前が言ったんだろう……?」
ユキネの目に怒りが宿る。怒っているのは何に対してなのかは、少なくともこの場の3人には分からない。
「一人じゃないなら無理をするなって、お前が…! 私に言ってくれたじゃないか……!」
その目にたまった、しかしそれでも零れそうにないのはユキネが少しは強くなった証なのだろうか。
いつの間にか、世界に色が戻っていることにハルユキは気づいた。
「私のせいでハルが無理したのも分かってる。でも、ただの我侭だけど、お前だけが我慢しているのは、嫌なんだ。だから……」
血だらけのシャツを握り締めて、言葉を搾り出した。
「だから、……無理、しないで……!」
ちょっと驚いた顔で、次に少しだけ苦笑してハルユキは体から力を抜いた。
「わかったよ……」
ゴツンと頭を地面につけた音がしてから、答えた。
ただ硬いだけだった地面が、ひんやりと気持ちいいのはハルユキに体温がしっかりと戻ってきている証拠で。
下がった頭の横に今度はフェンがちょこんと座っていた。
「……お疲れ様。」
「お互いにな」
「……私は、そこまで疲れてない。」
「なら、明日。ちゃんと4人で依頼に行くからな。忘れるなよ?」
「…………うん。無理は、しないで」
「Gクラスだから大丈夫だよ」
フェンとの、いつも通りに短い会話が終わる。
今はほとんど動きもしない身体で明日依頼に行くってのも変な話だと自分で思いながら、天井に視線を戻した。
「あー、手遅れやったか」
そこで4人目が洞窟中に入ってきて、こちらに近づいてきた。
「ジェミニ…? 来てたのか」
「ハルユキはひょっとして動かれへんの? ……ふーん、なら」
ハルユキの声を無視してどんどんと近づいてくる。
フェンとユキネを素通りして、ハルユキへと手を伸ばす。
……その手からほんの微かに血の匂いがしていることは、弱ったハルユキも、フェンもユキネも気づかない。
そしてそのまま……、
「よっと。…んじゃ、みんなで帰るで?」
ハルユキを肩に担ぎ上げた。
「聞こえたで? 明日はやっと四人で依頼に行くんやろ? なら、はよ帰ってしっかり休まんとなあ」
「ああ、行くらしいぞ。なあ、ユキネ。」
「Gクラスだけどな。」
「………ジェミニも、来るの?」
「…こんな大の大人を泣かして、楽しい?」
「「「わりと」」」
賑やかに山を下る人影、4つ。
◆ ◆ ◆
山を下りている途中で、ダイノジのおっちゃんとBLUETAILのメンバーが、全員ガチガチに武装して山を登ってきているのを見つけた。
俺たちの姿を見つけると、イシルが杖を放り出してフェンに抱きつき、大声で泣き出した。
「ごめんね……。私たちなんにもできなくて…。フェンちゃんが生きててホントに良かった…」
「おい。気持ちは分かるがまだ大声出すな。古龍が追ってきたらどうするんだ……!」
「それは、大丈夫。倒したから」
何気なく言ったフェンの一言に、その場が凍りついた。
「……倒したって、え? 古龍を? たった4人で?」
「違う」
そうフェンが答えると、その場の雰囲気が元に戻った。
左腕に包帯を巻いたリーダーの男が笑いながら言った。
「そりゃ、そうだろ。4人で古龍を討伐なんて前代未聞にもほどがある。ん? じゃ何を倒したってんだ?」
「倒したのは、古龍で間違いない。違うのは4人で倒したってところ。戦ったのはハルユキ一人だけ」
一気に言った後、いつものようにふうと息を吐いた。
空気が凍って、きっちり10秒後、
「「「「「「えーーーーーーーーーー!!!!?」」」」」」
「ホントかよ……!」
「はっはっは! ハルユキなら不思議じゃないだろ」
様々な大声が森中に響き渡った。




