狂宴
謎の男が乱入してきてさらに状況は混乱を極めた。
男は突然現れると、ハルユキに殴りかかった。たまたま一直線上に存在していた燕尾服の男の命を邪魔な小石をどけるかのような手軽さで摘み取って。
死んでしまった男の仲間だった子供は男の死体を確認すると、闇にまぎれるように消えていった。
残されたのは、私とハルユキ、鎧龍に、謎の男。
混乱の中心にいる男は未だハルユキに拳を突き出したまま不気味に嗤っている。
余りに簡単に、死を迎えた男から目が離れない。初めて見る死体だからか、自然と息が上がり心臓の音が頭に響いて集中力を消していく。
「フェン! ユキネを頼む!」
ハルユキが険しい顔をしたまま私に向かって叫んだ。そこで、一気に正気に戻る。
「………分かってる」
分かる。私ではおそらくあの男には太刀打ちできない。鎧龍もそうだが、危険度だけで言えばやはりあの男。あれは危険すぎる。
燕尾服の命を一瞬で奪った戦闘力も、未だ陽炎のように漏れ出している空気を歪めるほどの強大で凶暴な魔力もそうだが、男の危険度を表しているのはそれらのことではない。
強いて言うなら雰囲気。狂気にまみれた空気を身体に纏っている気がする。
さらに、ここからではわかるはずもない吐き気がするほどの血の匂いを感じる。……どれほど人を殺したんだろうか。
……本当に、吐き気がする。
場が完全に緊張してしまい、誰も動かない。動けばその瞬間に殺される。そんな空気が場に満ちている。
でも、大丈夫。
一歩踏み出す。
途端に2つの殺気が私を突き刺した。
後ろから男が横から鎧龍が迫ってきているだろう。しかし私は止まらない。振り返る必要すらない。
「行け!」
すぐ後ろにはハルユキがいる。私がここを突破するまでの時間稼ぎをしてくれるなら心配も要らない。
背中から連続して轟音が聞こえてくる。
私はまだ肩を並べては戦えない。だから……出来ることくらいやらないと。
背中を信じてただ走る。
◆ ◆ ◆
フェンが奥に行ってしまってから短くも激しい戦闘は静まり、再び場は膠着していた。
瞬く間に再び緊張が満ちていく。
すると、男の様子がおかしくなり始めた。
「ふはッ。はははッ! あっはははっはっはっはっははっはははははははっはははははははっはははっはははっははははっははははあ!!」
声を裏返しながら腹を抱えて笑い続ける。しかしこちらに向けた、いや洞窟中に満ちた殺気は以前と変わらないまま。
今何かを仕掛けようとしても何事もなかったように迎撃されるのが想像できる。
「最っ高だよ、お前ぇ……。初めてだよ! やっと見つけたよ! 俺の相手はァ!」
誰かと話しているわけではない。一人で陶酔しながら言葉を零してしまっている。そんな感じだ。
「俺が殺そうと思っても死なない! 睨んでも震えない! 千切ろうとしても、裂こうとしても、潰そうとしても! 全ッ部防ぎやがった!
おまけに見ろよ! ………血だ!! 俺のォ!」
俺が先程殴り飛ばした口元が切れて、出ていた血を手でぬぐって俺に見せ付けてくる。
「……おい、そこのハイテンション。」
男は俺に目の焦点を合わせると、うって変わったような低い声で答えた。
「ラスト、だ。そう呼んでくれ。お前は?」
意外とめんどくさい奴だな。しかし、名乗られたら名乗り返す主義だ。
「ハルユキだ。それで、」
その場に残像を残すようなスピードで男の背後に回る。男は反応できていない。背中を向けたままだ。
「急いでるんでな。……消えろ。」
しかし、俺の拳は空を切る。
同時に横からそれだけで人が殺せてしまいそうな絶大な殺気。
「楽しいおしゃべりの途中だろォ?」
右足が唸りをあげて俺の顔へと迫る。
「楽しくねえから、お開きだよ!」
それに拳を叩きつけて軌道を変え、逆に俺の右足でラストを蹴り飛ばした。
岩壁にまで吹き飛んでいったラストを追おうとするが、今度は後ろから野生の殺気。
「そういや、お前もいたんだったな!」
空気を切り裂きながら迫る鉄の爪を身体をかがめてかわし、そのまま身体をひねりあびせ蹴りを側頭部に叩き込む。
頭のほうは装甲が薄いのか、ぐらつきながら後退する。
「はっはははははっははははは!!」
視線を元に戻すと、頭から血を流しラストが不気味に破顔しながら迫ってきていた。
横から飛んできた拳をかわし、腹を下から殴りつける。派手に天井に打ちあがるが、その割には手ごたえが軽い。
(自分から跳んだか……)
ダンと短い音がして、ラストが天井をけり接近してくる。最小限でよけて反撃しようとしたが、背中に悪寒が走った。
「アアアアあァぁァああァァァアああアああ!!」
裏返った叫び声をあげながら、ラストが迫る。
握りこんだ拳を解き全力で後ろに跳ぶ。一瞬遅れてラストの拳が地面に突き刺さった。
もの凄い轟音と共に地面が割れ、衝撃が周りを襲った。着弾地点から半径5メートルほどが陥没しクレーターのようになっている。
その中心からは白い靄が立ち上っている。
土煙ではない。先程までは陽炎のようにラストの体から出て空気を歪めていただけの何かが、今は色づいて明らかな異様を周りに放っている。
「……あれで、本気じゃなかったってか? ふざけてんなあ、おい。」
ラストは立ち上がり俺を見て楽しそうに口をいびつに歪めて笑っている。
俺しか視界に入っていないと思ったのか、後ろから鎧龍がラストの首元に爪を振り下ろす。
まだラストは反応しない。
首筋まであと、30センチ。
そこでいきなり鎧龍が後方へと吹き飛んだ。
ラストは相変わらずこちらを見て不敵に笑っている。
鎧龍が吹き飛んだ原因はラストの何の種もないただの後ろ回し蹴りだ。ただ、俺の視力でも霞むほどの速さの、だが。
それも残り30センチで爪があたる位置から爪が自分に届くよりも速く直撃するほどの速さ。
「……化け物だな…こいつも」
ラストのはるか後方でドラゴンが怒りの声を上げながら立ち上がった。
蹴りがあたった場所は運悪く、村で俺が痛めさせていた場所だったのかその周りだけひびが入り、中心には穴が開いている。
もはやあいつの戦闘力は半減してしまったと言ってもいいだろう。ダメージ事態はさほどないようだが、鎧のないところを狙えるならもう鎧にほとんど意味はない。
それにいくら動きが速いといっても、俺とラストに届くほどではない。
それをラストも感じ取ったのか、視線をよりはっきりと俺に合わせてきた。
飛び込んでくるであろうラストに、俺も前屈姿勢で身構える。
数秒にらみ合った後、ほぼ同時に動いた。
床を踏み砕き、空気が切り裂かれる音を耳に感じながら接近する。
近づきざま、両者二人とも右拳を振り抜いた。両者の身体に触れる前に、拳同士が衝突してその場が爆発したような轟音が広がった。
衝撃で再び地面が割れ、爆風が巻き起こる。
「………らあっ!!」
「………ひゃはっ!!」
しかしその力も俺にはまだ届かない。
異様な力が発生させた斥力に弾き飛ばされ、ラストは地面をバウンドしながら向かいのの岩壁に派手に激突した。
……しかし次の瞬間、俺に向けて龍の逆襲が襲ってきた。視界の端から空気を切り裂きながら尻尾が迫ってきている。
全力で拳を振るった後で満足に動けず、脇腹に吸い込まれるように直撃した。
「ぐっ……!」
派手に吹き飛ばされ、俺も岩壁に叩きつけられる。しかし、ほんの少しであったが、自分で跳んで威力を殺したためダメージは深刻ではない。
反撃に出ようと顔を上げる。
………しかし。
予想していたものとはまったく異なる光景がそこにあった。
目の前で鎧龍が爪を振りかぶっていた。いくらなんでも速すぎる。明らかに今迄通りのスピードではない。
避ける間もなく、腹部に鋭利な爪が突き刺さり、腹に4つの風穴が開いた。
「がッ……!!」
(いつの、間に……!?)
激痛に霞む目で視界を広げると、龍を今まで守っていた鎧がその身体に纏われていない。
遠く離れた地面に分厚い鉄板が転がっている。おそらく500~600キロはありそうな分厚さと大きさだ。
それを脱ぎ捨て捨て身の攻撃を俺にぶつけてきた、ということだろう。
鎧を取り去った龍は劇的にスピードが上がっていた。俺に気づかれる前に近づけるほどのスピードだから相当なものだ。
その隙にも連続して、今度は逆の腕を振り上げている。
(しまッ……!!)
再び、無防備な腹に爪が突き刺さった。
「………ッ!!」
口から血が吹き出るが、今度は悲鳴も上げず腹に突き刺さったままの腕を両手で、掴みとる。
「らあッ!!!」
それを力づくで引き抜き、振り回すようにドラゴンの身体を地面にたたきつけた。
ドラゴンは地面に叩きつけられ、力なく真上に3メートルほどバウンドする。
一瞬で身体をひねり力を溜める。鎧はもうないものの、まだ岩のような鱗が身体を覆っている。拳では足りない。
失血でふらつく足を踏ん張り、落ちてくるドラゴンに狙いをつける。
俺の横まで落ちてきた所に、ぶちかます。
────裏当て。
ゴバッ!と弾けるような音が響き、ドラゴンがそのまま背中から激突し、動かなくなった。
しかし、怪我で踏ん張りが足らなかったのかまだ生きているようだ。
それでも意識はないようなのでそのまま踏み越え前に一歩進む。
途端に腹から激痛が伝わってきた。
ゴボッと驚くほどの血が口から零れ落ちる。いくら回復が早いといってもこれほどの傷を治すのは今すぐには無理だ。腕にもまだ痺れが残っている
それよりもまずいのが、血が流れすぎていることだ。死にはしないだろうが足もとが落ち着かない上に、視界が霞んでいる。
思わずその場に膝を突く。
と、同時に前方から土を踏む音。
顔を上げると、擦れた視界に狂気と愉悦を笑みに変え唇を歪にゆがめて不気味に破顔しているラストがこちらに歩いてくるのが映った。
「くそ……っ…たれ」
次の瞬間ラストが消えるように俺の目の前まで移動し、首筋に首がもげるんじゃないかというほどの衝撃が直撃して、俺はまたもや端の岩壁まで吹き飛んで背中から叩きつけられた。




