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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
280/281

甘えと依存の限りを

3話目です




レイが怪我をした。

翼天の日から半年ほどたった夜の事だった。


遠方の村が首都であるこの街に避難してくる事になっていた。

出発前に襲撃を受けたとの報だった。


その時はまだ、自分が救える範囲と救えない範囲が曖昧で、結局後先考えず飛び出した挙句、救えたのは一家族だけ。

百人ほどは喰い散らかされていて、数十頭の龍も百人ほどの兵士軍も全滅していた。


『気にするなよ。行って来いと尻を叩いたのは儂じゃ』


息も絶え絶えに横たわっているレイを初めて見た。

町を離れている間に、ここ数か月で一番大きい規模の襲撃があったらしかった。


フェンは怪我こそ無いようだったが、魔力を使い果たして眠っていた。シアは手当や食事に奔走しているし、ジェミニはそもそも戦場跡から戻ってきていない。


『おい、ユキネ?』


レイがこちらを見ていた。

自分がどんな顔をしていたのか、どんな感情を持っていたのかは覚えていない。

ただ忘我の中、無我の中だった。


レイが、しばらく血を摂取していないのではないかとは、薄々気づいていた。

私やフェンやシア、ジェミニに血を求めなかったのは、皆が常に体力の限界を越えかけていたからだろう。

街の人間から摂ろうとしなかったのは、きっとただでさえ最低な私の評判に気を遣ったから。


『第二波です! 龍がまた現れましたァッ! 敵影多数! また、おそらく九千年級の古龍を確認──!』


悲鳴染みた声が、病室内に響いた。


『──空が、翼に覆われています!』


どこか遠くでそんな声を聞きながら、窓の外を見た。

嵌め込まれた小さな窓。その中に映る空が全て龍の翼で埋まっている。


"──だって、何もかも足らないのだもの"


聞こえた。同時に意識が戻った。あの恐ろしい牙と爪と鱗の群れが街を蹂躙するのにもう幾ばくも無い。

レイを見下ろしている。

くるりと踵を返して背を向けた。


『……ユキネ?』


誰かの声がした。

しかしもう部屋を出ている。声の主はもう通り過ぎた。


『待て』


肩に手をかけられた。振り向くと、レイが荒く息を吐いたままこちらを見ていた。

綺麗な黒曜の目。

そこに反射している顔と、目が合った。


『ユキネ、お前は──』

『ここに居ろ。レイ』

『なに……?』


肩にかけられた手を退けた。

弾くわけでも、恭しく遠ざけるのでもなく、ただ無感動に掴んで離した。


『足手纏いだ』

『何じゃと……?』

『構えろ』

『お前──ッ』

『構えろ』


反射的にレイは、飛び退いて血の剣を手に持って、それを、巨大化したクレイモアで打ち据えた。

華奢な体は吹き飛んで、壁に激突する。


『ゆ、ユキネ……?』

『出てくるな、フェン=ラーヴェル。命令だ』


騒ぎに驚いて顔を出した顔に付きつけるように言う。びくりと表情を強張らせて、彼女は身を竦めさせる。

廊下で行われた大騒ぎに顔を出したのはフェンだけではない。誰もが何事かとこちらを注視する。


『丁度いい。貴殿等にも伝えておく。君達は戦場に出てくるな』


しん、と辺り一帯が静まり返った。

ただ龍の襲撃も近い。慌てた人間達が次々にやってきて、しかし凍り付いた空気に息を呑んで足を止める。


『不愉快だ。満足気な顔で足を引っ張るな。街を君達の安い血で汚すな。命を張った気になって悲観的な顔で同情を誘うな。不愉快だ』


冷え切った空気にその言葉はよく響いた。


『なあ、君達も、自分があまり大して役に立たない事ぐらい、分かっているんだろう?』


出来るだけ何の感情もわかないように、言葉を吐き出した。無邪気な質問の様に、繰り返した。


『今後は分を弁えてもらえると、ありがたい』


言い終えるが早いか、ユキネは固まった人間達に足を向けた。

ざぁ、と人垣が割れて道が開く。

悔し気に俯く人がいた。怒りに目を血走らせている人がいた。ひどく傷付いた顔をした人がいた。それらを傍目に、城の外へ出る。


──窓から見えた空を覆う影は、外に出てみるとお世辞にも"翼天"と呼ばれる規模のものではなかった。せいぜい空の一部を締めている程度。

まあその中心にいる九千年と何百年かを生きているのであろう一匹の龍の影が、街に巨大な陰りを落としていたりはするが。


"うんざりだ"

彼女の力の使い方は、今までの能力の中で一番馴染んだ。

何をどうすればいいのか、手に取るようにわかる。


『──"さあ、円環を為せ。破天の騎士達"』


その夜、街に辿り着く事も出来ずに龍はその尽くが打ち倒され、一人の少女が鬼と呼ばれるようになった。




   ◆




ちょっと冷静に自己分析をすると。

自分が彼女にとって特別だと思っていたのは、きっと彼女の方が自分にとって特別だったからなのだろう。と、思った。


(無責任な)


自分のどうしようもない馬鹿さ加減に前髪をぐしゃりと握り潰す。

"一人で頑張りすぎるな"。

こっ恥ずかしかったり、ユキネの成長を見るのが楽しくなってしまったりして、どうにも回りくどくなってしまったが、つまるところ言いたいのはそれだけだった。

──全く、どの口が言っているのか。


「そう、か……」


何が世界最強。何が無敵。何が不死身。

どんなに尊大に振る舞っても、実際には全て思い通りに言った事など無い。決して全能ではない。


「……俺の、せいでもあるよな」


表情を隠すように俯いたユキネはこちらを向かない。


「そっか」


それなりに頑張って考えて来た言葉が、全て意味を無くした。


観念するように天を仰いだ。


思えば、灰色の部屋一つ突破できなかったり。

思えば、みっともない感情でフェンと仲たがいしてしまったり。

思えば、アホそうな吸血鬼に浚われたり。

思えば、過保護を拗らせて余計なお世話を焼いてしまったり。

思えば、情けなくも敵の罠にはまった所を助けて貰ったり。

思えば、感情のままに敵を虐殺しようとした所を押しとどめられたり。

思えば、フェンを目の前で浚われてしまったり。

思えば、一人で無理をし過ぎて二年も眠ってしまったり。


(……おいおい)


酷い。とても格好つけれる立場ではない。

それでも見栄を張りたかったのは、特にフェンとユキネに関しては自分が親代わりと言うような感情があったからだろう。


だからユキネが俺を超えるなんて青臭い事を言う時は、あほらしくて笑いながらも、嬉しくも思った。

焚きつけもした。

転ばないように手を引いてやるより、転んだ時の痛みとその時に手を差し伸べて、何度でも立ち上がれるんだと教えるべきだと思った。


(そう、思っていた)


だけどそれは間違い──とまでは言わないが、少なくとも自分に相応しい物ではなかったのだろう。


「……お前がさ、俺の事を憧れる様な目で見てくれるからさ。つい、格好つけちゃうんだよな」


よっこらせ、とへたり込んだユキネの前に胡坐をかいて座る。


「でもな、俺はそれでも、お前の力になりたいんだ」


自分でも聞いた事が無い声色が出でびっくりした。

目を丸くしていると、同じように驚いて顔を上げて目を丸くしているユキネと目が合って、更に肩の力が抜けた。


「俺の事、だけじゃないだろう? 聞かせてくれよ。力になるから」


だけどユキネは逆に怯えるように身を強張らせた。

優しい言葉や、温かい物が怖いようだった。


「……そんな事、しなくていい」

「頼りないか?」

「違う!」

「じゃあ、どうして?」

「私なんかに、そんな事……」


言葉を詰まらせるように、ユキネは途中で言葉を途切れさせてしまう。


「……お前が、フェン達を遠ざける理由を考えてみた」


怯えるように、ユキネは肩を跳ねさせた。


「最初は、あいつらの身を案じての事かと思った。あいつらもそうじゃないかって言っていた。だけど違う」

「……」

「お前は、フェンの事を世界一の魔法使いだと言った」


"頼りないせい"でユキネが遠くなったのだと考えたフェンは、それはもう異常なほどの成長を見せた。

今や世界で最高の魔法使いと言う肩書に異を唱える者は居ないという程に。それは、ユキネも例外ではない。


「だから俺は、お前が国中から目の敵にされているのが原因だと思った」


ユキネに嫌がらせや苦情、時には刺客や毒を用いた暗殺未遂もあったらしい。

ユキネと同一視されれば、あの4人も国民から敵と見なされかねない。シアはともかく、他の三人は嫌でも目立つだろう。

それを嫌って、遠ざけた。そう思った。だけど──。


そこでいったん言葉を切ると、静かに顔を上げたユキネと目が合った。


「違うんだな、それも」


ややあってこくりとユキネは頷いた。


ならばそれはきっと、何か大きなきっかけがあったわけでは無い。

また、誰かの悪意に騙されたわけでも無い。


どうしようもないほどに、独りよがりで甘ったれた──。


「結局私は、ただ怖かっただけなんだ……」








正しいと思っていた。

口で何と言おうと、自分はきっと正しいと信じてしまうだろう。

けれど、それがこの世界の中では間違っているという事は、この二年で骨身に染みた。


『狂っているのは、お前達じゃないか……ッ!』


翼天の日から約一年が経って、何とか体勢を立て直した国だけで行われた"世界会議イデアル"。

そこで、そんな事を口走った。

その時のおぞましい化物か何かを見るような目は、今でも時々夢に見る。


理由はあった。戦争を止める理由も、それを口にできない理由も。


だけど、そんな物はあまり関係が無かった。

笑っていて欲しい。死なないでいて欲しい。幸せに過ごしてほしい。


凹まされて貶されて折れておれて折れて消え去ったと思っても、そんな思いが必ずどこかに燃え残っている。

善悪もなく、卑賎もない。

綺麗なものだとも、純粋なものだとも思わない。

ただそういう習性の動物だというだけ。


だからまあ、王族だとか為政者だとかなんて言うのは、結局向いていないのだろうけれど。


問題は、そんな感覚頼りの決断を、あの四人にも下してしまった事。


レイに剣を振ったあの時は、みんなの体や立場を気遣う気持ちだけだった。


ある程度脚色して、狂った王女を演じれば、国中の悪意は自分に集中した。

そうすると、4人にはむしろ同情的な目が向けられるようになったし、嫌がらせや直接的な被害もこちらに誘導できた。


正しいとは思わなかったけれど、そうするべきだと思ったし、それでよかったと納得もした。


──だから、気付かなかった。

フェンが闘技大会で自分と戦うために出場している事は、すぐに分かった。

その上で試合を見て、今までにない程勝ちにこだわる彼女を見て、嬉しくなるのでもなく、悲しくなるのでもなく。


ただ焦り、怖くなった自分に疑問が浮かんだ。

丁度、龍がやってきて安堵した自分に気付いた。


そして、どこか事務的に龍を捕縛した後、冷たい風が吹く荒野を眺めながら、ふと悟ってしまった。


きっと、人は嘲笑だろう。

呆れてしまうだろう。別に構わないと思った。それは、嘘ではない。


──だけど、耐えられない場合もある。


嘲笑われれば、それだけで。

呆れられたら、それだけで。


その恐怖はどんどんと膨れ上がって、たったの一年ほどで私の心のほとんどを占めてしまった。


怖かっただけだ。

だから自分から手放しただけ。

あの4人が、私が散々迷惑をかけてその末に、付いていけないと見放されるのが怖かった。

あの優しい人達が、おぞましいものを見るようなあの目を向けるのが。

今でも夢に見る、あの目で私を見るのが。


きっと、怖かっただけだ。







「……そうか」


耳を塞ぎたくなるほど、悲痛な声での独白だった。

空中で無ければ街ごと更地にしていた戦闘をつい先ほどまでしていたとは思えない静寂が戻っている。

一つ、ため息を吐く。


「ばかたれめ」

「ごめん、なさい……」


愚かな事だった。

馬鹿らしい事だった。とても稚拙で、下らない理由だった。


「……ほんっとに、馬鹿だなぁ」


叱り付けるべきなのだろうか、とも思う。

だけど先程自分が親代わりになどなれないと自覚してしまったせいか、どうにもそう言う気分にはなれない。

そもそも、こいつは叱った所で思い詰めるだけだろう。

いやそもそも、元はと言えば──。


(……いや)


思い詰める事に意味があるようには思えなくて、天を仰いで思考を一旦まっさらにした。

ややあって、視線を戻す。ユキネはへたり込んで項垂れたままだ。まるで刑の執行を待つ為に首を伸ばす囚人のようで、胸が痛んだ。


ユキネは生まれてからのほとんどは特殊な隔離された空間で育ち、守ろうとした国からは追い出された。

その後も様々な苦難を傷だらけになりながら切り抜けて、力を付けた。

外の世界に出てから、たった半年しかたっていないのに、この国で今の立場に就いた。

政治の舞台や世襲の王政。

戦場や外交と言ったものが、そんな物は甘えだと鼻で笑われる世界なのは知っている。


(……まだ18才、か)


意外だったとも。

こんなちっぽけな悩みでこんな事になっているとは思わなかった。

こいつはへっぽこな力で何度もハルユキを助けて来たから、どこか、この少女を特別視していた所があったのだろう。


ちっぽけな悩みだったからこそ、失望されるのが怖い。

きっと少し勇気を出して打ち明ければなんて事も無く解決した問題だ。

しかしそれは時間が経てば経つほど、言い出せなくなるものだ。

それはきっと、一人にさせたせいだ。決して自惚れではなく、頼る存在であった自分が、身勝手にいなくなったせいだ。失ってしまう恐怖をユキネに刻み込んだせいだ。


まだ、成人もしていない少女なのだ。

人の悪意に晒されて、嫌われるのが怖くなったことを、誰がどうして責められる。


「……ユキネ」


少なくとも自分はそんな役、御免こうむる。ユキネの頭に手を置いて、優しく撫でた。


「じゃあ、今度は俺の話するか」

「え?」

「俺にもあるよ。勘違いしていた、最低の話」


何を言っていいのか分からず困惑するユキネの頭から手を離す。


「お前らの親代わりのつもりだったんだ。別に意識してた訳じゃなかったけどな」


ユキネの表情から察するに、ハルユキにそういう感情があった事には気づいていたのだろう。


「だけど、そんな大層なもんじゃなかった。なんたって俺はな、本当は、お前に、強くなんてなって欲しくなかったからだ」

「……え」

「お前が、本当は俺なんて必要じゃないと、思いたくなかった」


自分で言っておいて、その気色の悪さに眩暈を覚えた。流石に一億年の生涯でも新鮮な感覚だ。

ただ言い訳ぐらいはさせて欲しい。

この感情の元は、きっとあの一億年の孤独。ハルユキの障害できっと唯一癒える事のない傷を塞いでくれているものなのだ。

きっとこの先、拭い去る事は出来ないだろう。


ユキネの顔を見ると、それはもう驚いて戸惑っているようだった。ふ、と何だか可笑しくなって小さく笑う。


「……ユキネ、お前はやっぱり、一人で何でもできる様な人間になりたいか?」

「……それは、だって」


気まずそうに、ユキネは言葉を濁らせる。


「駄目か? 一人じゃ何もできない人間は」

「駄目だよ。それじゃあ、駄目なんだ。誰かに支えられてないと立てない人間なんて」

「みっともない?」

「……ああ」

「いいよ、お前は。みっともなくても」

「ダメだ……!」

「誰かが死んでも、眉一つ動かさない。それが出来るか?」


その光景を想像したのだろう。ユキネは表情を硬くする。


「無理だね」

「っ……」

「お前は、誰かが死ぬ事に怯えて、1人で空回りして、嫌われるのが怖くて、大切なものを無くしたら、立ち止まって泣いてしまうような奴だけど、そっちの方がいい」

「いい訳無いだろう……!」

「いいんだよ」

「どこが……っ」


ユキネにとってハルユキの言葉は、振り上げられた刃に等しかったのかもしれない。悲痛な面持ちで顔を歪ませて──。


「お前は、守るべき誰かがいれば、支えてくれる誰かがいれば、何だってできちまう奴だ」


──打ち抜かれたように、ユキネは目を見開いた。


「それじゃあ、駄目か?」


一人立ちをしなければならない。ずっと一緒にいれるとは限らない。頼りきりではいけない。

当り前の事。人間として正しい事だろう。


「そんなの、また、依存してしまうだけだよ……」

「まあ結局俺もお前に依存しちゃってる訳だけどさ。……でも俺は胸を張れるつもりだよ」

「何、で?」

「俺はただ、掛け替えの無いものを持っているだけだ。なあ、ユキネ、あのな」


ハルユキはユキネの手を引いた。ふらりと倒れこむように、ユキネはハルユキの胸に顔を埋める。


「自分の命より大切なものを持ってるってのは、すごく、幸せな事なんだよ」


強く抱きしめる。

ああでもお陰で寒風吹きさらす荒野の中、ユキネは湯たんぽのように優しく暖かい。

身を任せたのは一瞬だけだ。すぐにユキネは腕を突っ張って体を離そうとする。

逃がさないと意思表明するように、腕に力を入れる。

すると、それからもう少しだけ抵抗してから、ゆっくりとユキネの体から力が抜けていく。


「……て」

「ん?」

「……何、で、何で……っ」


ユキネはその後の言葉を続けない。

なぜ、放っておいてくれないのか。なぜ、見切りをつけてしまわないのか。なぜ、諦めてくれないのか。

彼女の言葉は想像できた。それを口にできないのは、彼女の弱さで甘えだけど。

ただ一人ぐらい。世界に一人ぐらいは、そんな所を許してやる人間が居てもいい。


「ユキネ。俺は一億年以上この姿で生きてる」

「……聞いた」

「そうか」

「うん」

「だからまあ100年やそこらぐらい、鼻クソみたいなもんだ」

「う、うん……」

「だから、俺の100年。お前にやるよ」


ばっと、すごい力でユキネがハルユキから体を離した。あわあわと口を動かすが声は付いてきていない。


「……何だよ」

「お、重い! そんなの!」

「お・ま・え・が・言・う・ん・じゃ・ね・え・よ……ッ!」


とんでもない屈辱を受けた。

顔を掴んで頬を潰してぐりぐりと頭を振り乱す。ユキネはモガモガ言いながらそれを何とか振り解く。


「ハルユキっ。お、お前は、お前はホントに……!」


ここまで一連の事でユキネの丁寧に整えられた髪は乱れて、息を荒げ、顔はほんのりと上気している。

うむ。中々好みの表情になってきた。


「言っとくがお前、めっちゃお買い得だぞ? 富も名声も思うがままだぞ? 世界の半分をくれてやるぞ?」

「そんな物はいらない!」

「それなのに、こっちが望むのは一つだけだぞ?」

「な、なに……?」

「お前さぁ──」


がしりとユキネの両肩を持った。砕けそうなほどか細い腕だ。力は込めないようにしたが、力がこもりそうになった事にユキネは気付いたのだろう。すこしだけ顔色を変えてこちらを窺う。


「ちゃんと、幸せになろうと思ってくれよ。頼むから……」


ユキネは小さく悲鳴のような声を漏らして、息を呑んだ。くしゃりと表情が崩れる。


「俺はもう勝手にいなくなったりしない。絶対だ」

「……っ」

「だから失ったら何が出来なくなるかなんて事より、明日、一緒に何をするか考えようぜ」

「うん……」

「その為ならまあ、どんな我儘でも聞いてやるし、甘やかしてやるから。あー、もう、めんどくさいからさっさと折れろ。俺は折れねぇからな、知ってるだろ」


こくりと、小さくユキネは喉を鳴らす。


「じゃ、じゃあ……」

「ああ」

「い、一緒に、謝って、くれる……?」

「ああ、いいよ」

「ゆ、許してもらえなかったら、多分、泣くし……」

「あー……、泣きやむまで隣に居ればいいか?」

「また、綺麗事ばっかり言って、厄介ごと呼び込むかも……」

「慣れた慣れた」

「で、でも、でも……っ」

「何だよ」

「駄目だよ、やっぱりそんなの……っ」

「良いんだよ」

「でも……!」

「良いって」

「でもぉ……っ」

「良いから、な?」

「私なんかが……っ」

「確かにまあ、お前は疎まれやすい奴だし、面倒だし、重苦しいし大げさな、ただのクソガキだけど」

「……っ」

「良いだろ。そんな奴を気に入ってる奴が、世界に一人ぐらい居たって」

「ぅ、あ……」

「お、泣いた」

「うるさ、ぃ……」

「よしよし、俺の手中に堕ちたって事でいいな?」

「うるさい……っ」

「謝りに行こうな。お前みたいな馬鹿な奴を気に入ってる奴が、まああと4人ぐらいは居そうだからよ」

「……良い、のかな。私ばっかり」

「何が?」

「皆、世界中で、今にも死にゆく人もいるというのに、私を取り巻く世界ばかりが、こんなに優しい」

「良いんだよ。だからお前は、守ろうと躍起になるんだろ?」

「……優しい世界が好き」

「ああ」

「どの街でも色んな人がいて、その国や、町や村や、家の歴史が見えて、酸いも甘いもあって、その末で今を生きている誰かが好き」

「まあ、分らんでもない」

「それを眺めてるのが好きだよ」

「うん」

「だから、ごめんなさい。本当に、勝手で、恥知らずだけど」


ユキネは、その言葉を最後にハルユキから身を離して、立ち上がった。

それを視線で追うと、彼女の背後に爛々と光る星空が見えた。


「手伝って、下、さい」

「あいよ」


こちらにおずおすと伸ばされた手を見て、小さく笑ってから、ユキネが涙目になるくらい力強くそれを握った。



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