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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
275/281

上がって巡って導いて眩んで、星は落ちた


世界を救う、手を貸せと。ミコト・サイザキは言った。


(は……?)


どういう意味だか噛み砕くのに一瞬の時間を要する。

いや、協力してくれるという事だとは思う。思うがこのサイザキと言う男。これまでどれだけこちらを掻き回した事かと考えると──。


(サヤさーん! サヤさん応答して! 助けて!)


仮面の裏のマイクに必死に救援信号を送る。ちょっとこいつの考えの裏を読み切る自信が無い。


「まあ、警戒するのは分かるが、別に裏はねぇよ。今回の事でこっちに付くべきだと思っただけだ」

「その心は?」


ハルユキでもユキネのものでもない声に、ふいとミコトは視線を向ける。


「誰だ、お前」

「ルス・タナトスと申しま──」

「ああ。おい、鬼女。こいつオーガの回しもんだぞ、首にしとけ」

「うえ!?」

「ああ、知っている」

「知ってんの!?」

「ただ出ていけ。ヒル。扉の外で見張っていろ」


ヒルがルス・タナトスの首根っこを引っ掴んで部屋の外に引きずっていったのを確認して、ミコトは口癖のように溜息を吐きながら、のろのろと歩いてハルユキの対岸の椅子に座った。


「一番大きいのは、本当にこれが生存戦争ではなかった事だ」


ミコトはたまたま机に置いてあったチェス盤に適当に駒を並べていく。キングだけは盤の外だ。


「まあ生存戦争とは言うが、実際にはこの大地の支配者を決める戦いでしかない」

「でしょうね」

「実際には敵の戦力を1/3も削れば趨勢は決着するはずだった」


残念ながら龍も人間も理性的な生物だ。利益を見て、苦労を計算する生き物だ。最後の一頭まで殺し尽すなど割に合う事はせず、妥当な所で従属による決着を打診しただろう。


「だが、これが手駒の一つだとすれば話は別だ。龍の軍勢そのものが一個の駒だとするならば、それを使い潰される可能性が出てくる」


少なくとも龍を人知れず掌握できるほどの何かは確実にあるんだろう? と、ミコトはつまらなそうにこちらを見た。首肯する。


「そうなりゃ想定より戦域が広がる。これじゃあ被害が出過ぎる。収支が合わなくなるんだよ。それにこちらが把握しきれていない目的もあるようだしな」

「では、どうすると?」

「簡単だ。今日あの時、広域戦争は相手の庭だと確定した。しかし悲観する事はない。局所戦闘ではこちらが頭抜けている」


チェスの番を弾いて、キングだけを机に置いた。


「お前だ。シン。数人を引き連れて秘密裏にあいつ等を暗殺しろ」


と言うか、抜き過ぎだ。とミコトはこちらをじろりと睨む。


「まさか勝てないとは言わないだろうな」

「いや、それはまあ楽勝なんですけど」

「は、ならむしろ状況は好転したな」

「好転、してますかね?」

「そりゃあ、お前らにしては願ったり叶ったりだろう。否応無しに戦闘被害は少なくなる」


一瞬だけ、ミコトはハルユキの背後に視線をやった。すぐにその視線は戻ってくる。一瞥されたのはスノウだろうが、彼女もまた一切動じる気配を見せていない。


「シン。お前は言ってたな、糸引いてる奴がいると、最初から。まあ牽制の意味が強かったんだろうが」

「ですね」

「んで、俺はアンタも分かってたんじゃないかと思ったんだが、どうなんだ。スノウ殿下」

「え」


思わず振り返ってその顔を見た。眉一つ動かさずスノウはその言葉を受け止めていた。


「いや、知らなかったな」

「……そうか。ならいい」

「シン。その作戦には私も参加できるのか」

「いや、それは……」

「そうしろ。戦いの最中だろうが、この世界で一番安全なのはこの偽神の傍だろう。問題はその間の国の護りだ。シン、例の加護の樹は実用可能か?」

「いいえ。しかし3日後と言うなら、その間戦力をわざわざ小出しにする事は無いのでは」

「国民を怯えさせて殿下を差し出すようにちょっかいを出すぐらいはするかもしれん。しかし大規模ではないだろうな」

「霊龍でもけしかけられない限り、防衛は可能でしょう」

「……そういう訳で、スノウ殿下。あんたに頼みたい事は二つ」


一呼吸おいて、ミコトはスノウの様子を窺う。

ふとハルユキの耳の中に仕込んだ通信機が反応した。サヤだ。その言葉を聞きながら、二人のやり取りを見守る。


「アンタ等二人が不在の三日間この国を守る人間の編成。それと、アンタが捕獲した龍との接触だ」

「……だが」

「──正念場だよ、スノウ殿下」


スノウはこれまで一人でこの街を守ってきた。その無理な行動にどんな意味があったのかは知らないが、譲れるものが確かにあるのだ。

スノウは懊悩するように目を伏せて、数秒の後、ゆっくりと顔を上げた。


「──そうだな。正念場だ」

「……折れちゃいないようで何よりだ」


きょとん、と一瞬だけスノウは呆け顔を晒すと、苦笑した。


「先程も似たような事を言われた。君達二人は意外と似ているのかもしれないな」

「止めろ。吐き気がする」

「今日一のダメージですねぇ」

「折れてはいないよ。君たちのお蔭で光明が見え始めた。ただ、シン。人員の編成は君に任せたい。私はあまり交流している部下は居なくてな」


今度は、ミコトが驚いた顔で目を丸くして、その顔をハルユキに向けた。


「何だ、この鬼女を見事に絆していたのか、シン。案外たらしだなお前」

「……話を続けるぞ。悪いが捕えた龍に会わせる事も出来ない。私しか入れないようになっているし、それを解除するのは三日では足りない」

「何とかしろ。現状、それ以外に奴等の居所の情報は──」

「――いえ、そうでもないようです」


ハルユキは、ミコトとスノウの会話を聞くのと同時に受け続けていたサヤからの報告通信を切った。


「私が彼等を見つける為に空に浮かべていた星が、レオとやらが現れた時間に強力な磁場変動を感知しました」

「磁場変動? 星? 浮かべた? 何言ってんだお前」


奴は重力特異点を作る事で時間やら何やらを操っていたが、それは強い地磁気の変化を起こしてしまう。

"感知したその場所"ではオーロラの出現すら観測していたらしい。


「場所は北の極地。最氷死地です」

「そこに居るのか?」

「恐らくは」

「よしでかした。すぐに人員を編成しろ。一両日中に――」

「いえ。今から向かいます。今夜中に全て片付けてしまいましょう」

「はぁ……!?」

「お二方とも警戒はしてくださいね。どう言う形で抵抗してくるか分かりません」


部屋をズカズカと横切って窓のヘリに足をかける。


「1時間で戻りますから」


そう言い残して夜闇に跳んだ。一歩、二歩、三歩ですでに街の外壁まであと少し。す、と街中から屋根の上に現れハルユキに二つの影が追走する。


「主様」

「サヤ。写真はあるか?」

「一応用意はしましたが、外側から見て分かるようなものでは無いようです」


渡された写真を手に取るが、確かにただ殺風景な氷の世界があるだけだ。


「まさか本当に星を浮かべるとはの。昨日言っていたのはこれの事か」

「ああ」


サヤに計算を任せ、何百回も試行錯誤してようやく12機だけだが、今この星には衛星が回遊している。

ちなみに飛ばすのではなく、ハルユキが熱圏まで移動してから衛星を構築する方法である。

一億年前の人間が聞けばつまらない冗談だと笑うだろう。分かるとも。ハルユキもそうだったからだ。

半泣きだった。

2000℃くらい気温あるらしいし、その割に熱くないし、しかし酸素全くないから頭を茹るように痛いし、肌ピリピリするし。全然成功しないし。思い出したくもない。


「魔法系統、龍術系統ではやはりあちらに分があります。アドバンテージを活かしたまでです」

「予備戦略だったがな」


あくまでロウとユキネが捕えた龍との接触が第一目的だった。相手の出方を待つこの方法はあくまで予備。

一匹でも自我が残された龍がいるなら、何とかできるとロウは言っていた。街の外壁に立ち、はるか向こうを眺める。


「ジェミニにとロウにこういう事もあるとは伝えてる。決行を伝えてくれ。何か動きがあるかも知れん」

「了解致しました」

「行ってくる」


外壁を飛び降りて、空を蹴って跳躍する。一瞬で街がはるか眼下に遠ざかり、雲を突き抜けた。

もう一蹴り。久しぶりの全力はしかし、ナノマシンによって奇妙なほど静かに、ハルユキを最後の地へ運ぶ。




     ◆




「行ったか」


あっという間に出て行った神を見て、ミコトは浮かしかけていた腰を下ろした。


「いやあ、安上がりな奴だ」

「……対価は求めるだろう」

「付けれる適正な値段がそもそもねぇよ。相対価値なら世界中の金を全て積み上げても買えない戦力だ」


確かにそうだろう。納得してしまって返す言葉も無かった。神は彼等を殺すだろう。止める事は出来ないだろう。

"──私は、貴様等を殺さないために命を賭けるぞ"

今となっては懐かしい。あの時に垣間見た自分の理想はまだ見据えたままのつもりだ。


手の届く範囲は全て諦めない。それは強い誓いで、しかし明確な線引きでもある。最初は逡巡したそれも、今は慣れてしまって感情が沸き立つ事も無い。

そして、かれはスノウは引いた線の向こうに軽々と越えて消えた。

"彼等を、それでも殺さないでほしい"。

そう言葉にはできなかった。これまで手が届かないからと見捨てた人間達と同じように、線引きをしていた。


「シキノ、ハルユキ」


耳に入ったその声が、貫く様に心臓を叩いた。


「あれよりも凄かったのか? その男は。親しかったんだろう?」

「……どう、だったかな。ああだが、一度、いや二度か。あのレオとその配下を纏めて叩きのめしていた」

「お、おいおい……」


記憶はどこか遠い。

随分経ったような気もするし、別れてからの時間の方が共に過ごした時間の方より遥かに長いと思うと違和感もある。あまりに、鮮烈な一時だったから。


「てっきり同一人物だと思ったが、世界には少なくともあれと同じような化物がもう一人いんのか。嫌になるぜ……」

「……調べたのか?」

「ああ。世にも珍しい魔力を持たない人間だったらしいな。なんだ? アンタは調べなかったのか?」

「あ、ああ」

「薄情な奴だな。普通勘繰るだろう」


久しぶりに名前を聞いて、ようやくその可能性を考えた。

確かに状況から見て、そう考えてもおかしくはないなとも思う。何故その考えに及ばなかったのか考えて、あっさりとそれに気づいた。


「どうした」

「……何でもない」


あまりに馬鹿らしい理由に呆れて自嘲する。


(きっと、会いに来れるのなら、真っ先に会いに来てくれるはずだ、などと)


そんな事を、どうやら無意識下で思っていたらしい。恋に浮かれた少女の名残が、まだ残っているとは思わなかったが。


(ああ、でも、思い返してみると……)


あの神の言動や、仕草、雰囲気。そのどれもが、奥底に仕舞い込んだ筈の記憶に僅かに触れる。

もしかしたら。──そう思った瞬間、爪を突き立てるような寒気に呼吸を忘れた。


(会えない。会いたくない)


失望される気がした。愛想を尽かされる気がした。

一人で耐えると決意した日からそれは覚悟していたはずなのに、想像するだけで息が出来なくなる。

ああ、でも。もしかしたら、あの人ならば──。全て一笑に付して、嵐のように全てを巻き込んで、吹き飛ばして、何もかも払拭してしまうかもしれない。


(……などと、馬鹿な事を考えてしまう)


彼のギルドの主が調べ上げて解明した事実だ。間違いはないだろう。"彼"は"彼"とは別の人間だ。

考えるな、と。無理矢理思考に蓋をした。


「さて、成功するとも限らんし、一応こっちでも準備を進めておくかね……。アンタも少しは体を休めておけよ。じゃあな」

「……ああ」


気だるげにサイザキミコトは部屋を立ち去った。



  ◆



外套がはためく。漏れる吐息が白くなってきた。

緯度的には旧時代におけるグリーンランドの北端。海を渡る前に一度ハルユキは停止した。

そう言えば北極地帯に入るのは初めてだ。海と永久凍土の境界は中々壮観で見応えがある。


(さて)


重力特異点が観測された場所をもう一度端末で確認する。流石に北極点と言う訳ではないようだ。

と言うよりもうかなり近い。既に周りは人間が住めるような環境ではないが。


(それより、これは……)


衛星写真に写らなかった時点で予想はしていたが、本丸はどうやら地下。つまり海中である。

見るからに冷たそうな海水を恨めし気に睨み付けてから、ざぶざぶと入水した。当り前だがまるで明かりはない。生憎曇りなので本当に暗闇のみがどこまでも続いている。


しかし昼間のように物が見えるのは一体何故なのか。自分の体の問題だが、正直把握していない事ばかりだ。


(あれか)


岩礁に張り付くように人工物が視認できた。

水を蹴ってそれに取り付いた。恐ろしく滑らかな材質だ。この時代にはあまり見られない物だから少し驚く。

耳を澄ます。すぐ近くに人の気配は無い。と言うよりは建物全体に人の気配を感じない。


壁をすり抜けて中に侵入した。辺りを一度見渡してから、体中に纏わりついた水分を消し飛ばす。

暗闇は変わらない。夜の海中よりはマシだが、部屋の反対側にある入口の向こうから光が差しているだけ。


部屋の内装は少し予想から外れているようだった。

目に優しい淡い色の壁。絵本に図鑑、積み木。人形なんかも転がっている。手に取ると、ぼろりと崩れた。

ずいぶん昔から動かされていなかったようだ。厚く埃が被っている。


乱雑に置かれた文書があった。

"星降ろし計画"。"双子座による運用"、獅子座による循環"、"水瓶座による転生"。それぐらいしか読み取れなかった。


(今は、急ぐか)


気になる事はあったが、今は先を急ぐべきだ。

先の通路に気配がないことを確認しながら慎重に進んだ。

しかしそう大きい施設ではない。階段を上ると脇の窓から海面が見えた。施設自体は氷の中だが、ひっそりと海上にも伸びているらしい。


階段が終わる。廊下は二手に分かれていた。


人の気配があった。そちらの方に足を向ける。扉があった。両開きの古びた木の扉。躊躇なく取っ手に手をかけ、中に入った。

小さな人影があった。そいつは弾かれるようにこちらを向いた。


「……驚いたな。君、まさかシキノハルユキ君?」


後ろに回って、腕を捻り上げて壁に押し付けた。


「お前は?」

「っぐ、き、キャプリコって言うんだけど。い、痛い、は、放して……」


子供のような体躯だが、言葉には老獪なものを感じさせる。しかし力は子供のものでしかない。

ハルユキの動きにもまるで反応できていないようだった。僅かに手を緩める。


山羊座キャプリコか。奴等の仲間だな。他のは何処だ。案内しろ」

「無理。僕、彼等から離反したから」

「なに……?」

「離反っていうか、僕、契約社員だから、契機切れで更新しなかっただけなんだけど……っ痛いってぇ……」

「ふざけてんのか?」

「ふざけてないって、ほら。もう彼らと霊龍の事は粗方調べられたしさ。もう興味が移っちゃったから」

「興味?」

「君に」

「はあ?」

「ねぇ、ハルユキ君は神様って信じる?」


こんな会話に付き合っていてもしょうがないだろう。返答の代わりに手刀を首に落とす。


「無敵な君の敗因はね、想いの差だよ」


──その直前、キャプリコが言った台詞がハルユキの手を止めた。


「想いの、差……?」


いや、違う。そこではない。こいつは今、"敗因"、と──。


「君は彼らと最後に相対した2年から一体どう過ごしていたのかな。まあそれは分からないけれど、彼等がどう過ごしていたかは分かるよ」


嫌な予感がそっと首筋を撫でた。


「この二年間の停滞はね、元々の彼らの計画にはなかったんだ。でも結果それだけ待つ事になった。なぜだと思う? 君だ。君のせいだ」


手を放して、全力で感覚を研ぎ澄まし辺りを探る。遠くで氷海に雪が一粒溶けた事も分かるのに、人の気配はまるで感じ取れない。


「だから、彼等の二年間はね、世界を容易く滅ぼし得る彼らの二年間は、全て君のために費やされた。君の行動をなぞり直し、君の思想を考え、君の足取りや出生、趣味や好物、足のサイズから髪の伸び方まで調べ上げた」

「ストーカー共が……!」

「君は知ってるかな? 彼等の総帥はね。"星見"が趣味なんだ」

「──ッ、っクッソがァッ!!!」


キャプリコの首根っこを捕まえて、部屋を飛び出した。北海の夜闇を一筋の光が疾走する。


「っ……偶々だよ」

「黙れ」

「そんな物、罠どころか賭けにすらなっていないと糾弾したほどだ」


風圧は全てナノマシンで弾いている。だが急加速によるGでキャプリコは意識を朦朧とさせながら言葉を紡ぐ。


「偶々、彼は妙な星を見つけた。彼はそれが君の仕業だと言い切った。そして、何か動きを見せれば食いつくと言った。必ずあそこに辿り着くと言い張った。僕以外は彼に賛同したよ」

「うるさい」

「正気を疑ったね。星に干渉する事も、こんな離れた場所を嗅ぎ付ける事も、それから一時間の内に襲撃がある事も、有り得ない事だった。だけど皆は彼を──いや、君を信じた」

「黙れ」

「彼等は皆、君を恐れて、恋焦がれた。彼等はね──」

「──黙っていろ」


頸動脈を締め上げて、意識を落とす。その直前にキャプリコは言った。

彼等は皆、二年間、君の事だけを考えていたと。


  

    ◆



馬車はゆっくりと進んでいた。

夜は更け、すでに日付は変わろうとしているが町はいまだ喧々囂々。無理もない。今日という日はあまりに色々とありすぎた。

サイザキミコトもまた流石に疲れ切って、舟を漕いでいた。


(珍しいな……)


ヒルは対席に座り込んで頬杖を突き、それを眺めていた。

今日の話し合いは、特にこれまでのミコトと変わった所は見られなかった。

相手の戦力規模をそもそも誤解していた事、言葉にすると稚拙極まりないが"最強無敵の局所戦力"が協力する事、"猟奇屋"や諸外国の動き。それを出し抜いて優位に立つ事。


それ等を全て鑑みて、今日の選択に至った事に何ら不自然はない。結果的に世界を救う事になっただけ。即物的な利益が望めない事だけ普段とは違うが、この男は結局儲けに繋げてみせるだろう。


サイザキミコトが父親を弾き落とし"塩の王"と呼ばれるようになった日。

どうやってかは知らないが、"世界中の7割の香辛料を買い占めたあの日"。本当に凄い奴に自分は買われたのだと思った。

通商を牛耳って、冒険者ギルドを買収し、ビッグフットと繋ぎを作り、国交間の間のみに用いられる信頼度の高い通貨を作り、魔法技術にも手を出して利益を生み出した。

──魔法のようだと、思った。


家族を殺されて、奴隷の身に堕とされて、戯れに買い取られて。

確かに憎んでいる。だが、納得もしてしまったのだ。この偉業に繋げる為だったのならばと。

人間的には好きになれなかったし、性根が腐っているし、嫌悪感を覚えた事は一度や二度ではない。

しかし、それがいつどこで感じた物なのかはどうも覚えていない。


30年と言う時間はあまりに長く、感情の居所も曖昧にしてしまった。

さて、自分はあの時、家族の仇の息子に買い取られた時、どう思ったのだったか。憎んだのか、それとも奴隷からの脱却に感謝したのか。


『ただ、あの時、お前を奴隷として買い取った理由な──』


黙ってろ、と反射的に言葉を遮った。

しかし今は聞いてみたいと思っている。なぜ、あの時自分を奴隷から解放したのか。

そうすれば、こいつを憎めばいいのかどうか、その逆の感情を抱けばいいのか、決められる気がした。



──きぃ、と馬車が止まった。

自分も意識が落ちそうだった事に気付いて、ヒルは顔を上げた。


すぐに気付いた。異様に辺りが静かだった。街道が不自然なほどまっすぐ伸びている。それに御者がいない。馬すらいない。

ミコトの方を向くと、ミコトもまたとっくに目を覚まして気付いた様だった。


「ミコト、警戒しろ」

「ああ」


よく耳を澄ませばず、ず、ず、と音がする。


(何の音だ……?)


御者台への窓からそっと外を窺う。

とっぷりと闇に浸かっていて、視界は悪い。が、見えた。

馬と御者が地面に転がっていてゆっくりと半透明の黒い沼のような物に沈んでいく光景。

そして、ゆっくり下っていく視界そのものが。


「──跳ぶぞ!」


一瞬の間すら置かず"壁"の文字が鈍く輝く。

空中からですら自在に出現する壁はまず馬車の壁と天井をすべて吹き飛ばした。


黒い影に呑まれた街並みだった。どこからでも見えるはずのあの豪奢な城は見えない。空はノーブルに濁った灰色で、そして道の真ん中に黒いドレスの女がいた


どぷりと波を打って黒い汚泥がこちらに迫る。

今度は足元から壁が出現する。襟首を捕まえてミコトを担ぎそれに乗る。

更に三枚。縦に連なるように壁を作って、その勢いを借りて跳躍。近くの建物の屋根に飛び移る。


「やあ」


人影が一つ。白い襤褸のようなローブを身に纏った茶髪の男。子供のような無垢の目が無遠慮にこちらを覗く。


「……アラン・クラフト」

「こんばんは」


マーブルの濁った空に重なって、どういう原理なのか、滴りそうなほど赤い月の下。

隠そうともしない殺意が辺りに満ちていた。


びきり、と何かが割れる音。ヒルとミコトを覆うは大きな影。

それは月を覆うほどの巨大な手。波打つように皮膚が鱗に生え変わり、爪は槍のように切っ先を削り出す。


「──"一枚シングルピース"」


縦280cm、幅140cm。対するヒルの能力はその大きさの壁を生み出すだけ。

それがまず、アラン・クラフトの鼻先三寸に現れる。


鼻白むのも一瞬。アランはそのまま"龍の爪"を振り下ろした。

足場が割れ、目の前の壁も吹き飛んだ。ヒルの姿はない。しかしアランはすぐその姿を見つけた。

瓦礫の一部にうまく身を隠している。しかしその体はいまだ空中。もう一方の手が龍のそれに変化するのに刹那すら時間はいらない。


家を一つ握り潰せそうなそれを今度は横薙ぎに──。


「──"ハノイ"」


ヒルの姿が消える。


「あっは──っ!」


残ったのは"空中から生えた"十二枚の鉄の壁。

ヒルの足場として出現した壁の上にもう一枚、さらに一枚、もう一枚。出現した勢いが無くなる前に重ねた十二連のカタパルトは、捉えられない程の速さでヒルを射出する。


ぐにゃりと景色が曲がる。屋根が地面が壁が、いやそれどころか流れる風や空気までもが、全て鱗を剥き出しに爪をヒルに突き立てようと殺到する。

しかし、それ等がヒルの残像を追い始めた頃には、もう十回ほどカタパルトを駆使し、アランの直上から真下に跳躍し、その背後に立っている。


アランは振り向こうとするがあまりに遅い。暗器の細剣が4本、瞬く間にアランの背中を貫通した。


「ちっ……」


へら、とアランは笑った。何の前触れもなく、暗器の柄が顎を開いてヒルの腕に牙を突き立てようとする。


「……アラン。時間がないんだ」


ばつん、と音がした。それは背後からアランクラフトに呼び掛ける声のすぐ後。

音を立てて千切れたそれは、高く宙を舞って、ぽちゃりと影の水溜まりの中に落ちた。ヒルの右腕だった。


「ごめん、でも、彼すごくない? まあアダムには分からないかな」

「一応今はオフィウクスで通ってるって言っただろ」

「ああ、そうだったそうだった」


親し気に軽口を交わす子供が、アランの隣にいた。

何かをされた。具体的には分からない。ただ右腕は斬り飛ばされてどこかへ消えた。

大量に失血し、衝撃と痛みにヒルはたたらを踏む。倒れ込みそうになる身体を食いしばって押し留め、だん、と思い切り地面を踏み付ける。


「──っ、"迷路箱ソーマ・キューブ"」


足元から壁が生まれた。その壁の頂点から横にもう一枚後ろにまた一枚、出来上がった壁からもまた一枚その上に下に横に奥に、更にもう一枚。

まるで爆発のような速さで、壁は不規則に増殖し家屋も道も巻き込んで巨大な迷宮の箱を作っていく。


「──"救世・鉄の処女"」


その巨大な壁の迷宮を、針と棘と刃で埋め尽くされた黒い鉄の箱が、"ぱくりと飲み込んだ"。

備え付けられた針でさえ家を三軒ほど団子にできる程の大きさで、"中身"をあっという間に咀嚼する。


かつ、と女は空中で軍靴を打った。空中で一人でに彼女に踏まれようと集う鉄の欠片は、一見花弁のようにも見える。


「……っぐ、ぁ」


しかし、煌めく鉄の花弁は血を誘う刃でしかない。

迷宮の箱を目晦ましに女の背後に迫っていた、ヒルを弾き飛ばす。


しかし、ヒルもまた歴戦の勇士である。弾き飛ばされる寸前に放った一蹴が、"鉄の女"の頬に擦り傷を残している。


そして一瞬の合間もなく、彼の姿は掻き消える。体の射出に使われた壁は未だ至る所で増殖し、防御壁や囮に目晦まし、あるいは牽制や攻撃に用いられる。


(4人──!)


この時点でヒルが逃走する方針を決めた。

なにせ刺客は4人。

"黒い影のドレスを纏った女"に"魔法使い"、"子供"、"鉄の女"。どいつも嫌になるぐらいの練兵である事は明らかだった。

影の水溜まりに触れぬように、壁を精製してひた走る。

壁の生成に紛らわせて隠したミコトを回収して──。


「──ああ、素晴らしいな。稀有な才も、それに溺れぬ思考と工夫。いつの間にやら主も逃がしているな。感動すら覚える、嘘ではない」


空気が竦み上がった。空中を滑空していたはずの体は辺りの空気ごと、その動きを鈍く滞らせていた。


時の進みが遅い。

それなのに、どこからか聞こえてくる冷たい熱を帯びたような声だけが、するりと耳に入ってくる。

その声の元に向ける視線すら鈍い。


「しかし、弱くて惨めな我等にはあまりにも時間がない。無作法だが、終わりを」


男は座っていた。神々しいまでの見た目や声とは対照的に、屋根の縁に膝を立てて座っている。

それを見上げて、ふと、ヒルは自分の人生の終わりを悟った。


こいつらはどうにも周到だった。一人一人が英傑のような力を持った集団の癖に、一切の油断や手抜かりもなかったようだ。

辺りは強固で難解そうな結界に、"魔法使い"クラスの魔術師が二人、街を影で浸す女に、灼けた鉄を飲んで生きているような武人の女、それに煌めく星の獅子。

ここまで全力で大人げなく潰しに掛かられると、むしろ光栄ですらあった。


(ふー……)


だから諦めて、足を止めて目を瞑った。


とてつもない衝撃と熱が胸を撃つ。


目の前が暗くなった。


「あ……?」


しかし、意識が途切れたのは一瞬だった。

体中が痛い。吹き飛ばされ、余波で半壊した家屋の瓦礫の中に居た。胸には巨大な隕鉄の槍が突き刺さっている。出血は激しく右肺は潰れている。助からないだろう。


(しっかり狙えよ。無駄に痛──)


そこで、自分に折り重なるようにして倒れているミコトを見つけた。

驚いて一瞬だけ目を瞠って、小さく溜息を吐いて、顔を顰めた。


「ミコト、お前馬鹿か……」


ミコトもまた、仲良くヒルと一緒に串刺しにされている。


「お前が俺を守れる訳ねぇだろうが」

「……ああ。まあ、そうだな」


二人して、忌々しそうに溜息を吐いた。




      ◆





まあどっちにしても、生還は難しかっただろう。

ヒルが死ねばミコト一人で逃げる事は出来なかったし、ヒルもミコトを庇いながらでは敵わない。


(ああ、ここか。ここが終わりか)


ヒルも逃げようとこちらに向かってきてはいたが、あの金髪の美丈夫の登場で観念した様だった。

生の終わりが決まって、ただ今一瞬だけ幾許かの行動選択の自由があって、どの選択肢を選んでも大して何か変わるとも思えなかった。


だからまあ、少し珍しい事でもしてみるか、と。ヒルを庇うようにして飛び込んだのは、本当にその程度の理由だった。


(しかし、大した攻撃だ。魔剣も弾く自慢のコートだったが)


難なく貫いて、どうも内臓の一部をズタズタにしているようだ。

だが、ほんの少し、隕鉄の槍に服が抵抗した一瞬で、少し切先が滑る程度の事は起こったのだろう。ヒルの方は、まだ死ぬまでに時間がありそうだ。


「行け。お前は生還して、俺を殺した人間を間違いなく伝えろ」

「……出来れば、安らかに逝きたいんだが」

「仕事だ、行け」


返事の代わりにヒルは溜息を吐いて、一瞬だけ空中をぼーっと眺めていた。

そして、意を決して体に突き刺さったままの隕鉄の槍を引っ掴んだ。


流石に顔は苦悶の表情だったが、声も漏らさずそれを引き抜く。余った団子のように引っ付いているミコトごと、ヒルはそれを地面に放った。

弾みで槍が外れる。どろりと血が地面に零れ出したのが分かった。

咳き込むと血の味。視界が狭くなっていく。


「……おい」


視線を向ける。ヒルがまだそこにいた。


「何か言い残す事はあるか」


そんな事より早く行けと、口にした。耳が聞こえないので正しく伝わったかは分からないが。


「……ああ」


そう言えば、一つあった。先程は遮られて言わなかった事。聞かせたいというよりは、気持ちが悪いので吐き出しておきたいと言った風だけれど。


「ヒル、お前を奴隷として買った理由な。それは覚えてない、んだが……」


子供らしい小奇麗な理由だったような気もするし、それを理由に周りの印象を操作しようとした小賢しさだったような気もする。

よくは覚えていない。だけど。


「……お前の、馬鹿みたいに腹空かせた顔は覚えてるんだよな」


辺りから気配が消えていた。

ヒルは聞いただろうか。どちらでもいいけれど。


意識を失っては目覚めているような感覚だった。ほんの少しの瞬きの度に、長い時間が経ったような。


「こうなっては惨めですねぇ、塩の王」


聞き覚えのある嫌な声だった。声を出すのも億劫で、とりあえず声の主を確認する。相変わらずみすぼらしい恰好の"猟奇屋"がいた。予想を外さな過ぎてつまらないので溜息を吐く。


「どう思います? ねえ、あなたにまで出張って来て貰って呆気無いと思いません?」


ただ、その隣の顔には、流石に目を瞠った。


「あ、んた……。嘘だろ、なら──」


どす、と心臓に何かが突き刺さった。ごぷ、と傷付いた肺から血がせり上がって口から漏れる。それ以上喋るなと言われたかのようだ。

その不格好を嘲笑うようにヒドラが近づいてきて、屈みこんだ。


「ああ、貴方は非常に厄介極まりなかった。色んな妨害をしてくれましたね。しかしこうなっては。ここに至りましては! どうして貴方を警戒していたのかも分かりませんね」


勝ち誇った笑みでこちらを見下ろすヒドラをぼんやりと眺める。こんな奴の為に最後の力を使うのは癪だが、まあ最後の台詞が皮肉と言うのも自分らしい。


「……"塩の王(おれ)"を警戒していた理由か……? そりゃあお前の性根がナメクジみたいだからだろ……」


すっとヒドラの顔から笑みが消えた。小気味いい。

愉快な人、とその横にいる人物は悲しそうに笑った。


やさしく本を閉じるように、胸に刺さった物が引き抜かれた。血が噴き出す。命が零れる。サイザキミコトが終わる。

ヒルはまあ、おそらく逃げられないだろう。いろいろ面倒な事になるだろうが、神はまあ、何とかするだろう。鬼の姫は心配だ。あの生き方は危うすぎる。

シアは、──あの優しい振りをする少女との約束は、果たせなくて少し残念だ。


(ああ、なんだ……)


力無く空を見上げる。

崩れかけた家の中は真っ暗で肌寒い。


(ちゃんと、死にたくねぇんだな、俺も)


目を瞑って、暖かい闇の中にミコトは消えた。



 




正味、一時間も離れていなかったはずだ。

分厚い雲も爆散させながら、ハルユキは全力で駆け戻っていた。


引っ掴んでいるだけのキャプリコは既に気を失っている。山も湖も海ですら一瞬で過ぎ去って背後に吹き飛んでいく。


「見えた……っ」


地平線の先に城壁の一端が現れてから、次の一瞬にはそこまで移動する。

城壁の前にサヤがいる。

街中に飛び込んでいきそうな体を無理矢理その前に着地させる。


「サヤ、罠だ――」

「はい」


何かがあった。

サヤの言葉と表情は、そう確信するには十分なものだった。


「申し訳ございません。主様の留守を穢させ――」

「サヤ。そんな事はいい。話してくれ」


今は恐らく夜中の三時ほど。

あんな事があった夜だ。街が眠りを忘れても不思議ではない。だが、違う。不安で震えているのではない。もっと、どこか吹き溜まったような敵意と隔絶の気配だ。


「……サイザキミコト様が、死体で発見されました」


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