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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
269/281

あっちこっち




「……退いてもらうぞ、隻刃」


大階段の前に居座ったリィラは、その声にゆっくりと顔を上げた。

さて、誰だったか。思い出せ。サヤとハルユキに缶詰にされて叩き込まれたはず。


「……すいません、お名前なんでしたっけ?」


リィラは早々に思い出す努力を放棄した。相手は冷めきった表情で剣を抜いている。事前に声を掛けたのは、まあ、情けか義理かな。


「どうぞ」


リィラはそそくさと道を開けた。

呆気に取られる男の向こうには何百人の兵がいる。相手取るのが疲れるというのもあるが、そもそも今日、自分はそういう事はしてはいけない。やるのは階段の破壊までだ。


(ああ……)


先程切り崩した大階段を見上げる。

いくら魔法を使おうと取り除くのには小一時間かかるだろう。兵士達は迅速に瓦礫の撤去に、状況の把握に、簡易なバリケードと基地の制作にと奔走する。


(甘いなぁ……)


人にどうこう言える立場ではないので、こう言い表すのは抵抗があるが、しかしおそらく事実として認識が甘いのだ。


小一時間。必要なのは小一時間である。一時間後に、この場所で無事な人間がいる訳ないのに。

ここは既に神の庭、手の平の上。見えている。聞こえている。捉えられているのだ。


「──おや、いけませんね」


それは雷の様な到来だった。

おおよそ1000人近くの軍を切り裂くように、神は陣形を取った軍を横切った。

いつもの様な移動に関する配慮はほとんどなく、その速度と力に相応しく、空気は鳴き、地は割れ、張られた水は鉄砲水さながらに唸りくねった。


「──神だ! 現れたぞ!」

「殺せ! 所詮は一人──!」

「あの程度の攻撃大した事はない!」


攻撃じゃないんだよなあ、今の。

勇猛果敢に剣を取り、戦意を反響させる兵士達に、神は背中にリィラを庇うようにして振り返った。

ただ悪戯っぽく笑う口の端が仮面の隙間から見えている。瞬間、途轍もない力が神の体から噴き上がった。

──魔力である。今や自分の数倍はあるその魔力は、魔法に疎い人間にすらも恐怖と神威を叩きつける。


「ふふふ」


熱気よりも熱く、冷気よりも寒々しい。空気は陽炎のように歪み、足首まである水はびりびりと波紋を立てている。


「ふふふふふ」


一人の兵士は神が一歩近づいただけで、白目を剥いて倒れ込んだ。

ああ、あの濃度の魔力を受ければ、空気に替わって油が肺に注ぎ込まれたようなものだ。兵達が次第に倒れていく光景は、辺りに不安を伝染させ爆発させた。


一人、勇猛にも神に切りかかった。

この軍の中で屈指の実力を持つ戦士だった。

だからその男が人形のように宙を舞い街の三区画ほど行ったところに突っ込んだ光景は、一瞬で兵士達の希望をへし折った事だろう。


「ふふふふふふふふふ」

「あ、ぅ、あ……」


先程、リィラに退去を命じた隊長格が歯を鳴らしながらそれでも神に相対した。


「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふふ」

「と、止まれ──!」

「ふふふふふふふふふ」


事もあろうに、神はそれから噴出する魔力をさらに倍にした。その圧迫感だけで倒して見せようとばかりに、更に更に魔力を倍加させて発現するのは──。


「ふふふふ」

「こ、この……」

「ふふふふふふふ」

「……ぅ、ぐ、あっ」

「ふーんッ!」

「へぶしっ!?」


あ、違った。普通に殴った。いや魔法は。


「ふはははは! 魔力を上げて物理で殴る!」


うーん、バカなのかな。バカなんだよなぁ。


「ローホラル公国総裁。クウガ・ドドルガリ。討ち取りました」


ぐったりと力を失った体を神は片手で持ち上げると、宙に放り捨てた。

そして待ち兼ねたように地面から鋼の十字架が伸びる。空中で男を捕まえると、そのまま上空に晒すように磔にした。それを皮切りに、軍は決壊した。逃げ惑う様は散らされる蜘蛛の子のそれ。


「楽しそうで何よりです、神様」

「ふはは、ここは十字架の森にしてやろう」


そうすると、ふ、と神は目の前から姿を消した。

そして轟音に振り向くと、家の中から路地裏から道の真ん中から、至る所に十字架が乱立していく。


当然のようにそこには血を流して動かない兵士達が磔にされている。

総数で言うと数百だ。凄惨で異様な光景だった。もう誰もいなくなったのだろう。奇妙な静寂が寒々しい。


「やりたい放題だなぁ……」


いつの間にか目の前に戻ってきた神にリィラは声を掛けた。


「スノウ殿下は来なかったんですか?」

「撒いたり追い付かせたりしてるな。あいつは最後」

「でしょうね……」


言いながら、リィラは神の足元から頭の天辺までを眺め見た。傷一つ、汚れ一つ、埃一つ付いていない。

街は既に混乱の只中だ。既に全軍の一割は目の前のこの男によって滅ぼされている。ただまだこの軍の──いや。まだ、人類の主力はそのまま残っている。


「──ん」


気付いたのはほぼ同時だった。

きん、と鈴の様な金属の音。音の方を向けば、根元から斬り倒された十字架が地面に横たわっていくところだった。


そして突如、辺り一帯に夥しい量の人の気配が現れた。

まるで今までは感じれなかった。恐らくは魔法。そして現れた気配の数は、千とちょっと。


「気が触れたか、神よ」


厳かで鋭利で重い声だった。

キンキンキン、と全く同じ音が続いて、それから景色の一部となっていた十字架がゆっくりと傾き出す。一つ二つではない。全てがほぼ同時。そして既に磔にされていた兵達は忽然と消えている。


ずずん、ずずんと、落ちた巨大な十字架が地面を揺らす。


リィラは静かに目だけを動かして、辺りを見渡した。

左、右、と確認した所で、その行為にあまりに意味が無い事に気付いて止めた。


屋根の上、家の間、だだっ広い街路を塞ぐように、大勢の戦士がこちらをいつの間にか取り囲んでいた。


「同盟、とはいかないまでも、我等は同調する関係にあったはずだが、これは一体どういう事か」


低く鉄を擦るような声だった。ぞわりと背筋に鳥肌が広がる。世界一の傭兵軍"ビッグフット"。


(こんなに違うのか……)


漂ってくるのは血の匂い。リィラ・リーカーの本懐はただ生存。生き残る事のみである。

それを駆使し、地獄と鬼を切り殺したリィラの本能が警報を鳴らしていた。包囲に穴が見つからない。

先程と同じ千人程度の軍勢。しかし、その在り方はあまりに先程の男達とは違う。


千人を役割に分けているのではない。千人全てが戦士。それも全てが、歴戦の勇士だ。

驚くべきはそれほどの軍勢で動いているにも拘らず、"街の反対側"からこちらに駆け付ける機動性。そしてそれを悟らせない隠密性。


ありえない。見上げるような大剣を、暗器として持ち歩き短刀として振るような物。

どれだけの経験と鍛錬を互いに交わしたのか。彼等もまた、命と命を擦り合わせるような毎日を生きているのは間違いない。


そして、それを束ね、力のみで統率するのがあの二人──。


「──まあまあ、それはともかく」


──その。精強この上ない軍を作り上げた二人の間に立って、神は親しげに肩を組んだ。


場が戦慄した。

千人が皆注視していた。目を離す訳もない。神は神ゆえに、それをまるで気にも留めずに掻い潜ってのけた。


「何だか、アナタ方は先程の方々とは格が違うと、そう言いたげですね。何だか。見た感じ」


肩に腕を回しているだけで、特に力も入っていない。それなのに、二人はまるで動けない。


「──そんな物は、私とあなた方との隔絶された差と比べれば、実に些細なのに」


その言葉が戦端となった。

ビッグフットの誰かが斬撃の様な攻撃を行い、神を直撃した。その隙にアインとツヴァイは辛くもその拘束を逃れ、改めて神と相対する。

神は笑っている。直撃を受けたにもかかわらず、今まさに千の刃がその身を狙って走り始めたのもまるで気にも留めず。

とりあえずとばかりに、神は地面を踏み抜いた。


「な──ッ!」


地面に敷かれた水が間欠泉のように空を描いた天蓋近くまで舞い上がり、砕けた地面と家の欠片が舞う。

しかし戦士達は驚きも一瞬、それすらも足場に、神に殺到する。


今も、神は笑っている。

すり抜けるように躱し、すれ違うよう度に敵は倒れていく。速過ぎて、強靭過ぎて、魔法よりも神秘的な術に見える。神業だと言ってしまえばそれまでだ。


減っていく。

減っていく。

次々と面白半分に彼等は磔にされ、数を減らしていく。

自尊心、自信、経験。

それら全てを打ち砕かれて、驚いて、困惑して、壊されて、受け入れがたく、泣きそうなほどに歪んでいく彼等の表情を、リィラは見ていた。




     ◆




現実のメロディアの町は半ば半狂乱となっていた。

メロディアがやられた時は突然の事で反応が出来ず、小国がやられたところで実感もわかない。

しかしここに至って"四雄"の一角であるビッグフットが文字通り蹂躙された。


それは、いまこの国に──いや、世界に襲い掛かっている恐怖の大きさを思い知るには十分な出来事。


"ガラスの人形の神"が、こちらでもまた軍を一つ蹂躙している。


「……ふん」


また強くなっている。最後に見たのはビッグフットであの金髪の美丈夫とやり合ったところだったか。あの時からしてもはや怪物も裸足で逃げ出す剛力だったが。


「なあ、これはどうなっているのだ」

「……」

「おい、レイ」

「……黙っとれ」


街角の軽食屋で隅の椅子に腰かけながら、レイはクイーンの問いかけに眩暈を感じてとりあえずそう言った。クイーンの目はきらっきらだが、レイの方はどんよりと曇っている。


「それはたぶん、あれと同じ」


そこに人数分の飲み物を運んできたフェンが現れて、街道に映し出された投影物を指さした。

下の街で起きている事を忠実に再現する半透明な影。遠目から見ればガラスの人形の様なそれが、今も街中を動き回っている。


そして、だいぶスケールは小さくなったがレイとクイーンの前のテーブルにも同じ物。これは血で出来ているので赤いが。


「ほう」

「場所はハル……シンの周り限定にしてあるけど」

「でも、師匠も出来るんだろう?」

「……とても無理。レイの魔術の繊細さは真似できない」

「今はの。儂とお前のは似ておるから、いずれ出来るようになる」

「……色々教えて貰ってる」

「ただのニートではなかったのか……」

「……おい、誰からそんな言葉を教わった」

「こいつ」

「こいつか。だろうな」


クイーンが指差した、ハルユキの投影物をレイは握り潰した。


「……忌々しい小僧だ、全く、相も変わらず」


気だるげにレイが机に肘をつくと同時、血の投影物が崩れ落ちた。それは一筋の血となり、地面に落ちると煉瓦の隙間から地下へと潜り込んで消える。


「そして私は、レイによってこの街が密かに要塞化されてる事を知っている……」

「なんと!」

「やかましい……」

「と言うよりなぜ消す。我はもっと見たい」

「見るまでもない。もうこの後は同じ事の繰り返しだ」


ハルユキとて闇雲に暴れ回った訳ではない。より凄惨に、より圧倒的に映るように演出している。

重要なのは事を終えるまでの迅速さ。その為には一網打尽が求められ、その為には敵を一か所に集める事が肝要。

これにハルユキは敵の斥候・折衝部隊、偵察部隊、先行部隊を狙い、既にこれを全て打ち倒した。


敵部隊は混乱し、そして遁走を始めている。


集まる場所は当然大階段。

そして、そこで水の代わりに血で濡れている街並みや、挽肉になった何かや、磔になった英雄達を見つけるだろう。

そして、言葉を失っている間にその元凶は背後に居る。


「あ……」


街並みのずっと向こう側で、悲鳴のような声が上がった。

頭を抱える人間。不安に怒鳴り散らす人間。平静を保ち、静かに事を観察する人間もいる。そのいずれも目撃するだろう。百数十万の目が、恐怖の目で見るようになる。


「外の世界はひろいばかりで、小物ばかりだな」

「あ?」

「あんな居候ごときにおびえる意味がわからん」

「……口がでかい幼児め」


レイは少しだけ驚いていた。彼女はそういう時、いつも小さく笑って満足そうに悪態を吐く。




     ◆



「お」


何度か往復した道は至るところが血に染まっている。

鼻っ柱を殴られた男が力無く浮かんでいる。じわじわと血と水が混じっていく。ハルユキは無感動に踏み砕いた。

男ではなく地面をだ。ざばざばと水が穴に吸い込まれて、露出した地面に男を転がす。溺れ死なれては困る。


「お、次。見っけ」


大方は潰した。へし折って、引き摺って、握り潰して、踏みにじった。

地形も変わった。

メロディアの所は、地面が逆さに渦巻いたように地面が天蓋まで盛り上がって兵士達が突き刺さっているし、ビッグフットと戦った場所はクレーターしか残っていない。

地面に張っていた水は、割れた地面に吸い込まれて、久々に乾いた肌を見せていた。


「どうもー」


見つけたのはどこぞの国の小部隊。

流石に人が固まっている所を叩けたのは最初の数国だけだった。

事態を察知した軍人どもは、部隊を散らせるか、それか待ち伏せして罠を張った。どちらもあまり意味はなかったが、面倒なので散らせるのは止めて欲しい。


「神──!」


相手がこちらを見つけた。警戒心を高め、武器を構える。それを確認してからハルユキは移動して、手を伸ばして、攻撃した。


「さて、と」


地面に転がった最後の偵察部隊を跨ぎながら、ハルユキは一息ついた。ここまで20分ほど。かなり予定より早い。


「弱い」


思わず零れた言葉。それに反応したかのように、視界の端で鈍く白い剣閃が奔った。


歩んでいた足を止めると、それは下から薙ぎ上げるようにこちらに迫った。

知っている魔法だ。どういう理屈かは知らないが、あの剣は走らせた延長線上になら景色の続く限り干渉できる。


そしてつまり、一瞬だけならこちらからも触れられるという事でもある。


ぱしん、と抉るように下からハルユキの顎を狙う不可視の剣先を手の平で捕まえた。続いてもう片方の手で、剣の中腹を上から叩く。

梃子の原理で、持ち手の方にまで力が伝わった感触があった。

遠くで地面に叩きつけられた馬鹿を放って、再度歩みを進める。


今度は少しだけ速く。

屋根に足をかけて、跳んだ。数歩で地平線に霞むこの街並みを横断できた。


まだまだまだまだ強くなる。

膨れ上がる魔力に引きずられてか、特に何をするでもなく体が強く変化していく。進化している。進化する速度すらも進化している。

最近は朝起きる度に、生まれ変わったような気になった。


──そう言えば、最初は世界を一周するのが目的だったっけ。

今、世界を一周するのにどれだけの時間が使えるだろう。ああ、随分世界は狭くなったものだ。


「ん?」


降り立ったのは、サヤがいる大階段に続く大通りに繋がる路地裏。そこに意外な人物を見つけたからだ。


「よう」

「ミコト様」


いつもの様に彼は手に持った書類に目を走らせながら、顔も上げずに言った。

昨夜の事など無かったかのように、その様子は平時の通りだ。それならばまあ、こちらも忘れるのが義理というものか。


「恐怖は、無いみたいですね」

「俺の命を奪うなら小振りのナイフがあればいい。地を割らずとも、天を裂かずとも。すれ違う子供も、俺は怖いよ」

「なるほど」

「まあ、今日の相手は殺す気もないらしいが……」


全て目を通したのか、ミコトは座った木箱に書類を放ると深く息を吐いてコキコキと肩と首を鳴らした。


「町は血塗れですよ?」

「無抵抗が一番困るからだろう」

「原形を留めていない物も転がっています」

「相手の死力を引き出すには演出がいるらしい。あれは家畜の血と肉か? いや、エルゼンが食料を無駄にはしないか。何にしろよく出来ている」


──相変わらず会話しようとしねぇなこの野郎。面倒になってハルユキは小さく溜息をつく。


「すぐ俺はオウズガルに連絡を入れた。殺す気は無いから抵抗をするなと伝えた」

「どうでした?」

「知ってるわ、だと。あの女、そもそもオウズガルの兵を入れてやがらねぇんだ。何故か今更その報告が入りやがった。中々入念な手回しだ。褒めてやる」

「へへへへ」

「当然ヴァスデロスは止まらん。ビッグフットもメロディアもやられて、俺だけ動かん訳にももう行かん。──ヒル」


殺されろ、とミコトは命じた。背後の影となっていた"魔壁"が凄惨な表情でこちらに迫り、そして容易く意識を奪われ昏倒した。

ハルユキはそれを受け止め地面に寝かせ、そちらに視線すら向けないミコトに向き直る。


「それで。何故ミコト様はこんな所に?」

「うるさいのは嫌いでな」


街角でたまたま会って言葉を交わしているような緊張感の中でミコトに致死の手が触れ──ようとして。ぴたりとその手が止まった。


「……貴方は、あえて何もしませんが」

「意地汚い野郎だ」


オウズガル同様、この出来事で被害が無かった国は"こちら側"だと勘繰られるだろう。いっぱい非難されると良いと思う、うん。


「あ、確かに、喧騒が聞こえますね」


そう言って、ハルユキはミコトに背を向けた。もちろん気付いている。ミコトも大概だが、あの馬鹿はもう三つほどネジが飛んでいる。


「では、後ほど」


そう言葉を残し、怪訝そうな顔のミコトを置いて路地を出た。

その瞬間、わああああ、と歓声が上がる。歓声だ。悲鳴ではない。立ち上るのは酒気の香り。かき鳴らされる雅楽の重ね。


「なーにやってんだ、あのゴリラは……」


事もあろうに、そこでは宴が催されていた。だだっ広い通路に水溜りなど気にもせず、座り込んで酒を飲みかわし騒ぎ回っている。


あまりに警戒されていなかったので、普通にその輪の中に入った。

ヴァスデロスの軍はメロディアに次ぐ規模だ。その数は一万を超えている。故にメロディアの大街道であろうが、人で埋め尽くされていた。

かき分けより分け、人垣の中を歩いていく。やんややんやとこちらには冷やかしの言葉が飛び、道中で酒やら食べ物やらを押し付けられて数十メートル。


「どうも。お楽しみですか」

「応。今日は無礼講よ。神の頭に酒を注げる良き宴だ」


その大きな体は、最初から見失いようがない。


「しかし、中々面白い催しだなぁ、神よ」

「いや……、面白いのは貴方でしょう。この宴は……、ミコト様から聞いて?」

「んんん? ああ、別にこれは無抵抗を晒そうなどという事ではない。出口を狙う輩を、貴様は優先して狙うだろうと思ってな」

「……ああ」

「途中で抜けられては興ざめだろうが。待っていた」


ボウルの様な巨大な盃の中身を一息に流し込むと、それを放り捨てた。


「──さて、もう他は片付いたのだろう?」


この地と戦と鉄の匂いの中、この男が酒だけで満足する訳がない。

ただでさえ熱気が籠ったこの場で、さらに空気が歪むほどの熱気を感じる。


「まだ、もう少し残っていますが」

「良い。待つのも飽いた」


ず、とヴァスデロスは傍らに置いていた武器を持ち上げた。左手にはいつもの大剣。そして、もう片方には巨大な突撃槍。


(おいおい……)


もはやそれは破城槌だ。荷車を使い十数人がかりで漸く使用するそれが、あろう事か軽々と片手で持ち上げられて、肩に担がれた。


「貴様が"これ"にて言いたい事はミコトから聞いた。だが我等にはまるで関係がない。そうだろう?」


その通りだ。今日こうしてこんな事をしてはいるが、この男にだけは意味が無い。唯一、古龍数百体を率いた霊龍を撃退して退けたこの男だけは。

霊龍に襲撃されたアスタロト。

筆頭戦力は為す術もなく潰され、首脳は食われ。街中を龍が我が物顔で歩くような状況をそこから、この男は跳ね除け奪い返したのだ。


「俺達は一人でも戦う。率いてやろうと勇んで来てみたが、鬱屈と嫌気も差している」


この男は声がでかい。動作が大きく、目を引く。だから、周りの人間が皆立ち上がっている事に気付くのが遅れた。喧騒が嘘のように消え失せている。


「ともあれどうあろうと、我等は止まらない」


そして視線を戻すと、今まで見た事がない表情をしたヴァスデロスがいた。


「許さないのではない。許せないのだ。神のようにはなれん」


ヴァスデロスは立ち上がった。

両手に武器を持ったまま、背中を向けて数歩下がる。その歩に合わせるように、周りで屹立していた兵達は動いた。行軍のように規則正しく、足音は全て重なっている。


重く、重く、その音は低く響く。その顔は先程までの宴からは想像できないほどの無表情。

暗く沈んで、殺意と怒りが燻っている。


「────……」


少し誤解をしていたのだと知る。ヴァスデロスが擁するアスタロトは恐らくかなり困窮している。それだけの破壊と殺戮があったのだろう。


「と言う訳で、俺と戦っても意味はない!」


どん、ヴァスデロスが"攻城槍"の柄で地面を叩いた。


「それじゃ、どうします?」

「これは宴だ、神よ。我らの怒りも、貴様の目論見もここでは忘れていけ」

「それで?」


がつん、ともう一度地面に柄を叩きつける。どん、どん、どん、と応えるように周りの兵達が地面を踏み鳴らす。

いつの間にか出来上がったのは円状の決闘場。それを為すは人の壁。


「──そりゃあ、謳って踊るどんちゃん騒ぎよ」


ぴくり、とハルユキは眉を揺らし、ニィ、とヴァスデロスは笑った。


一瞬で巨体が目の前。速い。既に振り下ろされた破城槍がもう髪に触れそうだ。

それを抑えて、更に驚愕する。咄嗟にナノマシンの調整が間に合わなかった。踏ん張った足元が大きく砕け、地面が崩壊する。


(なんだあ……?)


恐らく先日腕相撲に興じた時の数十倍の力を持っている。

調子がどうと言うレベルではない。更に第二撃が地面に減り込んだハルユキに振り下ろされる。また地面が砕け、今度は道に大きな裂け目が出来上がった。


(────……っ)


第三撃。もう一度敢えて受け止めた。

ナノマシンの制御を捨てると、踏ん張った足元が砕けそのまま十メートルほど地面を削りながら後退させられる。


「あの夜の続きをやろう。すっかりあの興奮の虜だ」

「……ほう」

「ただ、まるで同じでは芸がない。サシでなくて悪いがな。これもまた"戦猛"の形よ」


いつの間にか、ヴァスデロスの背後にずらりと戦士が立ち並んでいた。


「良いだろ神様。俺達も暇してんだ」

「いいに決まってる。神様の懐舐めんなよ」

「それに、なあ?」

「ああ、今日は無礼講だ」

「そりゃあいいねぇ。最高だ」


黒い装具に、黒い刃。

どれも二メートルを越えようかと言う大男の集団。

握り込んだ拳がモチーフになったエンブレムを旗として掲げている。


──"黒刃戦士団"。高質な戦士を多く集めたのが"ビッグフット"。それより更に質を求めたものがこの戦士団と言われる。

精鋭からなる64名。


「──さあ、我等の剣を知っていけ」


ざわ、と首筋を寒気が撫でた。


地面が砕ける音。

全64名。そいつらが地面を蹴っただけで、ヴァスデロスの背後が爆発を起こしたように爆風が巻き起こった。


(なんだと──……?)


既に28人が後方、及び頭上から接近し武器を振っている。

接近してきた槍の刃を掴み、背後からの攻撃を受ける。

槍手の腹部に膝、首筋に肘。地面に円を描くように、足を振れば水飛沫が壁のように巻き上がった。一瞬姿を晦ませた隙に、16連撃。



「────っ!」



狙ったのは脛、太腿、足の甲、足の指先。近かった四人のそれぞれに蹴りを放ったが、返って来たのはこちらの足の甘い痺れと鉄の感触。


(防がれた……?)


ノインやタツミぐらいしか防げないほどの一撃だったはずだが。

16人がヴァスデロスの背後から遠距離武器を構え、12人は等間隔に此方を囲んで魔力を練り、四人は姿が見えない。間髪入れずに飛来するのは、矢に礫、色とりどりの殺傷魔法。


ありえない。矢も礫も景色一杯になるほど無数、魔法は天蓋に届きそうな巨大で膨大。

視界が八方全て奴等の敵意に満たされる。一瞬後、ハルユキが立っていた場所は破壊の波に埋め尽くされた。


「──はっはァ!!」


畳みかけるは巨人の一撃。

巻き上がった大粉塵を根こそぎ切り裂くように投擲されたのは巨大な攻城槍。超重量の高速弾は恐らくどんな城壁だろうが粉砕するだろう。


「へぇ」


受け止めて弾き飛ばす。

しかしまたも、足元の地面を砕き無理やり後退させられる。そして下がったそこに巨大な魔方陣。


『──"64角式儀式魔法・鋼魔縛々縄"』


64角式。

本来64人で行うような魔法を起動したのは、おそらく姿の見えない四人の技量に他ならない。


顕現したのは鉄の紐。浮かび上がるように、ハルユキの両手足と首に鉄の紐が巻かれた。

一体それは一つ何百キロの重しなのか、その瞬間足元の地面が陥没する。

前衛28人がやはり既に刃を走らせていた。心臓に首に脇に内腿に。全て丁寧に殺意が練り込まれて迷いはない。


──なるほど、とハルユキはそれを見てヴァスデロスの魔法に当たりを付けた。


するりと攻撃を仕掛けてくる男達を通り抜けた。"ゆっくりと"こちらに迫る槍の穂先を手の平で退かしながら、一番後ろに居た男の首を引っ掴む。

それからすり抜けてきた男達の方に向き直る。


「なるほど、なるほど──」


そう口にしてやっと、男達はハルユキが刃の先にいない事に気付いた。

こちらを見て、目を剥くようにして言葉を無くす。


ぎちぎちと捕まえた一人の首にゆっくりと力を入れていく。呻き声が悲鳴に変わり、武器が手から離れて地面に──。


「へぇ」


未だ重しの役割を果たす鉄の紐が、何十にも増えてハルユキを拘束する。

またも滑るように近接部隊がハルユキを狙う。八方から足を腕を首を腹を脇を。


──しかし、彼等の手に残るはずだった肉の感触はするりと消えた。


「──まあ、要は」


背後からの声に一斉に振り向く。ハルユキが右腕に掴んでいた兵は泡を吹いて気を失った。それを興味が失せた様にハルユキは未だ人垣の壁を作っている一般兵の方に放り捨てた。


「あなた方ごと強化される訳だ」


恐らく配下の人数に応じてヴァスデロスは強くなり、そしてその恩恵は見ている人間も受ける。

なるほど、黒刃戦士団はもとより周りの一兵卒一万人すべて超人と化しているようだ。


答えはない。代わりに視界のあちこちで刃の光が翻る。


彼等はまるで何にも動揺しない。心までが鋼で出来た屈強な戦士だ。また神速でハルユキを狙い、穿ち、斬り、討たんとする。──ただ、鋼程度では少々脆すぎる。


「ならば、もう少し速く動いて、強く打てますね」


ぐしゃりと嫌な音が兵の鼓膜を叩く。

ハルユキを囲うように攻撃を仕掛けた25人が、拉げた自分の武器と手指を見た。意思とは反してその場に崩れ落ちる己の体に、顎先を的確に打ち抜かれた事にも遅れて気付く。


「はい。蹴りますよ」


その尽くが隕石の様な蹴りを鳩尾に撃ち込まれ、吹き飛ばされた。


「──"128角式儀式魔法・神羅"」


やはり彼等は動じない。既に残る全員が、遠方からこちらに殺意を降らせる。見上げれば、魔法と矢と礫で世界が出来ていた。


「これならどうします?」


対して、ハルユキは"地面を折りたたんだ"。

ナノマシンで地面ごと街並みを持ち上げて、兵も戦士団も魔法も矢も礫も、全て挟みこむように二つ折りに──。


「そぉらァッ──!!」


厚さ十メートルほどのそれがぴたりと閉じる直前。

その中心から鋭い銀色。


槍だ。巨大な攻城槍が、ハルユキの心臓を狙って飛来する。


受け止めた。しかし不運にも地面を使ったせいでこちらの足は宙に浮いている。


受け止めた瞬間、景色がすべて吹き飛んだ。

10、20、──50メートルほどを吹き飛ばされたところで、僅かに勢いが死に地面に足が噛みついた。激しく地面を削りながら、やがて足が止まる。


今度はハルユキが槍の柄を握りしめた。

ぐん、と槍を振りかぶる。ぎ、と引き絞られた背筋と肩の筋肉が軋む。



「──総員、防御態勢! 急げ死ぬぞォ!!」



ヴァスデロスの怒号が飛ぶ。声を受けた者共の動きは早い。各自あらゆる防御手段を講じ、嵐に備える。

そんな中、ヴァスデロスだけが諸手を挙げて、破顔している。に、とハルユキの口角も上がる。


「そら、死ぬなよ──」


そして、槍は再びハルユキの手から放たれた。


今来た軌跡をそのまま辿って、しかしその速度はヴァスデロスのそれの数倍だ。

容易く音の壁を越えたそれは衝撃波を撒き散らしながら突き進む。地面は抉れ、家は地から剥がされ、兵は吹き飛び、持ち上げられた地面は粉々に砕けていく。


その刃先は針の穴を通すように、ヴァスデロスに向かった。


「っはッはァ──!!」


そしてまた、槍は受け止められる。

ヴァスデロスの巨大な腕と手が、音速で突き進むそれを横から捕まえた。


当然勢いはその程度で死にはしない。先程の数倍激しく地面を抉りながら、ヴァスデロスは押し込まれる。


ハルユキと違い後ろは大階段。すぐに壁に到達し、しかしまだ勢いは死なない。

壁に突っ込み、それでもまだ死なない。漸く勢いが死んだとき、視界に見える壁は全て崩れて瓦礫に変わってしまっていた。


「ぬぅんッ──!!」


しかし、それでも槍はヴァスデロスに届かなかった。

ハルユキの膂力を全て受け止め、再び攻城槍はヴァスデロスの手に握られた。瞬間彼を埋める瓦礫の山が一瞬で吹き飛ばされて狂気じみた破顔が再び露わになる。


それを見て、ハルユキは笑った。地を蹴る。先程の槍と同等の速度で、ハルユキはヴァスデロスに突進した。

それを見て、ヴァスデロスも笑う。既に目の前で拳を振り上げるハルユキに、槍を構えて突きだした。


「────ッ……!」


槍は、拳を受けて粉々に砕けた。拳はそのままヴァスデロスの鳩尾に突き刺さる。


「見事」


ぐらりと傾いだヴァスデロスにハルユキは言った。


「──ぬぅッ!」


倒れる寸前、ヴァスデロスは拳を振る。それを容易く受け止められて、ヴァスデロスは苦笑しながら舌打ちした。


「また、俺の勝ちだな」

「……くそったれめ」


ヴァスデロス・ロイ・サウバチェスはそのまま倒れて気を失った。

三度、衝撃波が行き来して、立っている者は一人もいない。





    ◆





ヒドラ・クレブスの顔は凍り付いていた。

彼を知る男がその表情を見ていたならば、そちらの表情こそ驚きに凍り付くであろう程だ。


「ああ、化物だぁ……」


ヒドラに斥候部隊は必要ない。

無論カモフラージュの為に用意をしてはいるが、それを潰されたとて彼の情報収集能力は消えはしない。

彼の手足で、耳で、目である"それ"──いや"それ等"は正しく町中の情報をヒドラに伝えてくれる。


故に、瞬く間に壊滅させられたメロディア、ビッグフット、アスタロトの軍勢を全て見ていた。


幾つ潰された──?


軍の数で言えば恐らく100以上。人数で言えばもう最初の10分の1も残っていない。みるみる静かになる街中を気ままに闊歩する白い化物に改めて戦慄する。


(これは、流石に……)


強い。強過ぎる。イかれている。

個の力が戦況を左右する時代と言えど、普通はやりようもある。ただ、これは度が過ぎている。こちらは盤の上で必死に動いているのに、吐息一つで盤ごと吹き飛ばしてしまうようなものだ。

後ろで安楽椅子に座っていたジョージが、不思議そうな顔をして口を開いた。


「ヒドラ、例の軍を使うのではなかったのか……?」

「そのつもり、だったんですがね」


舌打ちをする。

入念に用意をした。これが切り札だと言ってよかった。だがあれの善き所は量産性だ。あの化物とは相性が悪い。それをこの戦には従属している国の軍に組み込んでいた。


「どうも、考えていた事が被っていたようで……」


ただお互いの手札に力の差がありすぎて何のお披露目も出来ていない。少々非人道的であるために、結果から先に見せる必要があった。それだけに"例の軍隊"は強力で、敵軍を蹂躙するはずだった。この街に黙示録を敷いて、この街を──いや、この国を、世界を沈黙させる。

まさか、そんな馬鹿な事を考えているのが、他に居たとは思わなかったが。


「またあの男か……」


深く息を吐いて、ヒドラは呟いたあれがおかしい。あれだけが明らかにおかしい。邪魔だ。あれが内包する想定外の事柄が多すぎて、全てが狂わされている。


「ぐ、げほ、ごほッ……!」

「おっと」


咳き込んだジョージを見て、ヒドラは口元に手をやる。殺意が零れ、息に"混ざってしまった"らしい。


「いやあ、苛つきますねぇ──」


ゴシゴシと目元を擦るようにして、ヒドラは表情を隠す。

ただ、まるで変わらない声色とは裏腹に、顔は一切笑っておらず、"混じって"こそいないものの殺意にぬらぬらと濡れている。


「ヒド、ラ……」

「欲しいなぁ、あの人の死体が欲しい。あれ程生に溢れた命を摘み取って、踏み躙ってやれればどれほど」

「ヒドラ……っ」

「ねぇ、旦那。やっぱりここは最低で、しかし最高の宝石箱だ……」

「ヒドラ、"後ろ"……!」

「は?」

「──悪巧みですかぁ、ヒドラ殿」


振り向くより先に、ぬ、と顔の横に白い能面が伸びてきた。


「────な、っ」


悲鳴を上げそうなほど驚愕する。それを飲み込んで思い切り喉が鳴り、ドッと全身から汗が噴き出て止まらない。


「私の目的は、聡い貴方なら承知の事でしょう。場を混乱させうやむやにしようと言う兵を散見しました。貴方ですね?」

「……っは」


動揺などもはや隠しようもないと悟り、震える声のままヒドラはとにかく口を開いた。


どうしてここが分かっただとか。

先程の場所から十数kmは離れている筈だとか。そもそも室内で扉も使わずどう侵入しただとか。

様々な言葉が頭の中を巡っている。その中から一番的確で、情報量を引き出せる言葉を探そうとして──。


「──この、化物め」


吐き捨てるような言葉が、知れずヒドラから絞り出された。そして吐露されたのはそれだけではない。

薄い紫色の魔力。吐く、と言う言葉では到底足りない。体中から噴出したそれは瞬く間に部屋の空気を圧迫し、致死を満たした。

ジョージはとうに卒倒し──。


「では、殴りますよ。貴方は丈夫そうなので、少し強めに」


しかし、神はそよ風ほどにもそれを気に留めず、拳を握った。


「──シャァッ!」


ヒドラは下から抉るように手刀を神の喉に突き出した。いつの間にその指の先には十センチばかりの鋭利な爪が突き出し、半透明の液体を滴らせている。

──それが、ヒドラ自身の目の前で、拳と正面から衝突し、手としての原形を無くす。


「あ──?」


それでもまだ、神の拳は満足しない。

弾き飛ばされた腕はみしみしと骨を軋ませながら下方に吹き飛ぼうとする。それを何とか抑えようと歯噛んでいる間に、もう一度それは振り上げられた。


視界が吹き飛ぶ。


頬骨、及び眼下底骨の破砕。四階建ての床と天井を全て突き抜けて、ヒドラは一階の床に叩きつけられた。


「が──っ」


ゴム毬のように体が地面から跳ね返って浮かび上がり。

──そして視界の端で、三度振り上げられた神の拳を見た。


ああ、理不尽だと。そんな事を思いながら拳を受けた。






「軽いねぇ」


視界の向こうまで吹き飛んだヒドラを見て、少し面倒になりながらハルユキは言った。


「お?」


ただならぬ気配に気が付いた。

殺意や敵意はもちろん、只ならぬのはそのおどろおどろしい魔力の塊。


同時にビキビキと建物が悲鳴を上げ、そこら中に罅が広がっていく。倒壊する、そう思ったところで、それが部屋の壁を突き破ってきた。


「なんだぁ?」


その人の頭ほどある握り拳を受け止めて、ハルユキは思わずつぶやいた。

全身が盛り上がった筋肉のような化物だった。背の丈はヴァスデロスに迫らんほどの巨体で、全身が黒金色である。

一番人間離れしているのは、僧帽筋と大胸筋の間に埋まったその顔。どう考えても正気を失っている。


「────……」


握った腕をそのまま振って、ぐるりと巨体を振り回した。

倒壊していた建物の破片が吹き飛び、視界が広がる。


そして、現れた光景を右から左にゆっくりと見渡した。


十、二十、──百ぐらいは居るだろう。黒金色の化け物が、大通りに地面に屋根に壁に張り付くようにうじゃうじゃと。


「何ですか、これ」

「ひひ、さてね。アンタを踏み潰す物ってのでどうです?」


そして大通りを挟んで向かいの家の前に、ヒドラが居た。

紫色の斑模様が全身に浮かび上がり、裂けた傷がミチミチと音を立てて塞がっていく。気色の悪い力だ。


「踏み潰すって、これが? 私を? 本気で言ってます?」


ずる、と既に戦闘不能にされた化物を持ち上げてみせる。ぎ、とヒドラの奥歯がこっそりと軋む音。


それが合図だった訳もないが、一斉に化物がこちらに殺到した。突進する者や上から飛び掛かる者とそれぞれ居たが、お互いの怪我を心配する気配もない。


その巨体から、まるで八方から肉の壁が迫ってくるようだ。


迫って、迫って、迫り切って。視界の全てをその肉が埋めたとき、ハルユキは動いた。


まず肉共を一度ずつ打った。

中心で爆発でも起こったのかと見紛うほどの勢いで化物共は吹き飛び、その間にハルユキはヒドラの背後に回った。


「──っシィァッ!」

「悪くないですね。なるほど。その実力なら、貴方の態度も頷けます」


肩に手を置く寸前に、振り返りざまヒドラはこちらに爪を振るった。それを受け止めて圧し折りながらハルユキは続ける。


「なのでその高い鼻──」


恐ろしい事に、折った腕はポロリと取れた。そして何らかの行動を取るつもりだったのだろうが、鈍間すぎて待ってはいられない。

顔面を掴み、吊し上げた。


「──念入りに折ってさしあげましょう」


くぐもったような悲鳴が、ハルユキの手の中で聞こえた。


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