悪役
くあ、と隠す気もなくミコトは大欠伸をした。
『一つ、ここ水鏡郷は魔法技術の結晶である。破損は日を跨ぐことで修復され──』
かれこれ十五分ほど退屈なルール説明が魔法のアナウンスで続いている。
何とはなしに振り向いた。
ヴァスデロス擁する"鉄国アスタロト"の軍勢と一緒に降りてきた入口からも、大分離れている。
三つある大きな出入り口の一つで、長い階段になっていたがここから見ると空に走った切れ目のようにしか見えない。
「……だから、俺がここにいる意味があるのか……」
「応、あるとも。なあヒル」
思わず零れた呟きを拾った大男をミコトは見ようともしない。
忙しなく兵達は動き回り、戦いが始まる前から準備と情報収集に忙しく、穏やかなのはミコトとその隣に座るヴァスデロスの周辺だけだ。
「小国の兵にはギルドの傭兵も多い。お前が軍を持っているようなものだ」
「俺の部下って訳じゃない。勝手にやるだろ……」
それでもミコトがここに足を運んだのは自分の"四雄"としての役割を理解しているからだ。この演習は民に安心を植え付けるためのものだ。
──"こんなに強いぞ。だから戦争しても勝てるぞ"。
結局、民は力を持たない存在だ。戦争と言う単語に怯え、心の底では反対している人間も多い。しかし金や糧食、軍備は提供させなければならない。演習は不安を払拭する為の儀式でしかない。
「詰まらんなぁ」
「お前はそうだろうな……」
そもそも面白いからここにいるわけではない。全て成り行きだ。
『ではこれより名前を呼ぶ諸兄は、十二分の注意を──』
何となく、それから二人は一瞬だけ口を閉じ、アナウンスだけがその場に響いた。
「随分歳を取った。お互い、出来る事が増えたな。ミコトよ」
「……いや、お前は増えてねえだろ」
「だはははは! そうだな!」
ヴァスデロスはそう言うと立ち上がった。
派手な黒い外套がはためいた。
ヴァスデロス・ロイ・サウバチェスという人間は、知略策謀が得意な人間ではない。特別善人な訳ではなく、もちろん優しい人間などと言おうものなら口が裂ける。
──そして、何より。彼は歴史に残るほど強い戦士ではない。
ミコトは眠たげな瞳でヴァスデロスを見た。こいつは変わらない。
初めてこの大男を見た時の感情がささくれ立った。己とは対極にいるような存在だったからだ。
──だからこそ、今この瞬間、変化したその表情に気づいた。
「──何処だ」
喜色に満ちた声だった。餌の匂いを嗅ぎ取った獣の息のように、静かに興奮に濡れている。
先程まで退屈にどこか眠たげだった空気は消し飛んでいる。
「何がだ?」
眠たげな眼をもう少しだけ薄めて、ミコトは辺りを見渡した。ミコトの目には何も映らない。何も嗅ぎ取れないし、何か聞こえる事もない。
ただどこか──。
どこか、空気が薄くなって息苦しく感じた。まるで空気すらもこの場から逃げ出そうとしているかのように思えたのだ。
『ミコト・サイザキ』
突如、空から降ってきた声にミコトはびくりと顔を上げた。しかしすぐにそれが先程続いていたアナウンスの続きだと気付いて──。
「──いや、待て」
『"戦猛"ヴァスデロス・ロイ・サウバチェス』
「……む?」
何か自分に関係のある事なら、どんな些細な事だろうが絶対に事前報告があるはずだ。
何だ、確か、先程、このアナウンスは。そう、注意しろ、と──。
「……あれ?」
ヴァスデロスも唐突に名を呼ばれて空を見上げ、周りの部下達もアナウンスの声に耳を傾け始めた時、ふとその中に一人が言った。
「城から声飛ばすの俺の知り合いのはずだったんですけど、誰ですかね、これ」
「────……」
やはり、その時のヴァスデロスも獣のようだった。嗅ぎ付け、聞き分け、そして獰猛に牙を剥くように凄惨な笑みを顔中に。
「──クロォォォォオオオドォッ!!!」
「何だい、大将」
「進軍する──!」
「あいよ」
副将のクロード・ゾロが何かを言う前にずらりとヴァスデロスの背後に黒馬に乗った戦士が並んだ。
"黒刃戦士団"全64名。一般兵とは違い、ヴァスデロスの手足となる猛者共である。
「どっちに?」
「この地の中心に!」
「敵は」
「自らを神などと名乗る不肖の男よ!」
「どうしてやればいい」
「構わん。殺せ!」
そして、もう一つ。
ヴァスデロスが外套を跳ねのけるように腕を広げると、その影がぐにゃりと曲がった。
身をくねらせるようにしてその底から現れたのは巨大な馬。身長3mヴァスデロスを乗せると、黒馬は大きく嘶いた。
『あっは──っ』
見当違いの外れた声がマイクに乗って町中に広がった。
──後から考えても、自分の体を抱きしめたくなるほど寒々しく、隔絶した声だった。
『あーーーっはっはっはっはっは! ははははははははは! っぶは!』
その場の全員の表情が凍り付いていく。常人ならば自然と忌避し嫌悪する狂気の一部が漏れている。
別人かと疑いそうで、しかし間違いなくあの男だと別の自分は確信している。背中がぐっしょりと濡れている事に、ミコトは気付いた。
『あー……、はい。失礼しました。何か滑稽な会話が聞こえましてね、ええ』
一般兵は辺りを見渡すが、ヴァスデロスを始めとする黒刃戦士団の面々はただ前方を見据えている。
「聞こえているのか、神よ……!」
『もちろん、遍く民の声を聞くのも神の勤めにございますので』
ごほん、と"奴"は放送を通じて一度咳払いをする。
『今名前を挙げた国家元首の皆々様。雁首揃えて今日と言う日を迎えられた事を祝福します。神です。訳あって少々この場を占拠しました』
様子がおかしい。この声を聞いた者は全員そう思っただろう。
『聞こえているますか──? テステス。本日は晴天、床は雲張りの水溜まり。湿度は高め。偉大なる人類の代表の皆々様、改め──』
字面こそいつも通りだが、どことなくいつもの芝居がかった敬語ではない。痺れを切らしていて、苛立っていて、挑発的。
『──愚昧な稚児の群れ達よ』
ざわりと、町中がざわめいた。
その一言は、投じられた一石だ。
本当に熱気が波紋となって見えるようだった。それはここに集う歴戦の勇士達が、とてつもない敵意に充てられて反応した意識の波。
(いや……)
知らず、ミコトの頬に汗が伝う。
波紋どころではない。津波だ。もう逃げる事など叶わない。飲み込まれ巻き込まれ流されていくしかできないと本能が確信して怯えている。
恐らくこの水鏡の街に集まった数万人の人間が、皆一様に言葉を失っていた。
『あなた方はまるで猿だ。どうしようもない愚劣な生き物。嗅げば悪臭、見れば滑稽、聞けば無様。自分の事も取り巻く世界の事も見えやしない傲慢さ。──余りに酷い。耐えられない。何が言いたいかと言うと』
──そんな独壇場で、神はただ一人悠々と好き勝手に謳い続ける。
『お前ら調子に乗りすぎだ。身の程を知れよ』
そう奴が告げた時、一瞬世界が凍り付いた。
この鏡の世界も、そしてこの光景が投影されている上の世界も。何十万人の人間達が耳を疑って足を止めた。
『おっと、失敬。言葉が過ぎましたね。まあ要はね、愛想が尽きた訳です。やり方を変えます。淀んだ上澄みは掬い取って、取り除きましょう』
そして一瞬遅れて轟音が"水鏡郷"の中で響き渡った。
『──これよりあなた方に痛みを与えます。屈辱と土を舐めさせます。尊厳を奪います。その後にもれなく殺します』
何かが崩れ落ちる音と、神の声が重なる。ミコトは振り返った。水のせいで土煙はない。ただ、例の出入り口が崩れ落ちていた。
『是非はない』
瓦礫で塞がれ、そしてその下に人影がある。
恐らくそこだけではない。小さく揺れる足元と反響する轟音は、残る二つの出入り口でも同じ事が起こっている事を知らせている。
つまり、逃げ場は消えた。
『では。神の怒りを』
──そして続けざまにそれは起こった。
◆
放送を乗っ取ったと"彼"が宣言した瞬間、スノウは走り出していた。
殺す、とその言葉を彼が選んだことにどうしてか一抹の絶望を覚える。そんな事を言うなどとは、露とも思っていなかったのだ。そんな自分に驚きを隠せない。
エルゼンの兵二万はいまだ城の門前に整列している。
指揮を執るのは"唯剣"エイプリル・レガリア。
優秀な軍人であるところの彼を以てしても、軍の混乱は免れない。空を蹴り、城の頂上"世界会議"の会場へと向かうスノウの目から見ても、兵達の統率が崩れている。
「いない……」
数人が昏倒されているのみで、スノウの目的の人物の姿はない。
『──これよりあなた方に痛みを与えます。屈辱と土を舐めさせます。尊厳を奪います。その後にもれなく殺します』
「上か……!」
再び窓から飛び出し、宙を蹴った。
瞬間、遠くから地響きのような音がこちらまで波打つように。
何事か、と視線をやれば遠くこの街の出入り口である大階段から煙が上がっている。
地鳴りが続く。ゆっくりと大階段の壁か崩れていくのが分かった。
反響する地鳴りに目を向ければ、全く同じタイミングで他二つの大階段からも煙が上がっている。
まさか無関係な訳もない。奥歯を噛んで、スノウは尖塔の頂点まで駆け上がる。そして、その姿を見つけた。
「シン! 貴様、何を──!」
「ああ、随分速いですね」
その口調の冷たさに、また自分は驚いていた。
中身が違うのではないかとさえ思った。そして顔さえ見えない相手を僅かでも信じていた事にまた困惑もした。
ばたばたとその安っぽい外套が上空の風に煽られてはためいている。
「これでもまだ、真剣味に欠けますか……」
シンは今の放送に戸惑う町中をそぞろ眺めながら、平淡な声で言った。
「本気になってもらわないと困るんですがね」
スノウはその時初めて、本当にこの男が天上の存在なのではないかと思った。
視線だ。仮面で目こそ見えなかったが、男が城下を睥睨しているその視線が今から踏み潰す虫を見ているように思えたからだ。
「という事で、こういうのいかがでしょう?」
シンは多分口の端を上げて屈み、そして手の平をかざした。
「────!」
直感的にスノウは剣を握り、接近し、振りぬいた。ぶん、と剣筋は見当違いな場所を薙ぐ。
いや、と言うより、そもそも──。
「────な」
気付けば、空中に居た。
反射的に魔法を駆使し、空中に踏み止まる。見ればシンの姿は五十メートルほど先にある。移動した──否、移動させられたのだ。もっと言えば投げ飛ばされた。
「っく……!」
再び接近を試みるが、どうしても間に合わない。
『では、神の怒りを』
かざした手を伝い、人間の姿からは考えられないエネルギーが一息で城に注ぎ込まれたのが分かった。
一瞬も耐えられず城は、──"縦に裂けた"。
その衝撃は地面すらも叩き割り、大きく陥没し穴が開く。ごぼごぼと地面に張った水が動き出す。城中に罅が伝い、瞬く間に崩壊が始まった。
「おや」
幸い門前に居た兵士達は散り散りになりながらも逃げおおせている。
倒壊が倒壊を呼び、一個の街程もある巨大な城が崩れていく。そこら中で怒号が上がって、パニックが町中を満たしていく。
「残念、瓦礫に潰される人はいませんでしたか」
未だ崩れ落ちる瓦礫の雪崩を、まるで小雨のような気軽さで眺めてシンは言った。
──その言葉を聞いて、スノウはあらゆる感情が鉄のように冷たく硬くなった。警告も無しに全力で剣を振り抜いた。
『では、会場に雁首揃えた無能な猿の皆様』
何事もなかったかのようにシンの言葉がまた放送に乗って、スノウは初めて攻撃を止められたことに気付いた。
何の衝撃もなかった。初めから動いていなかったかのように、剣に込めた力は消え失せている。
「────!」
親指と人差し指でつままれている剣はピクリとも動かない。同時、崩れ続けていた城も静かに停止していた。
恐ろしい。まるで時間ごと止められているかのようだ。そして止まった時間の中で、神はもう一方の手に魔石を遊ばせる。
『──間違っても神に祈らぬように』
神はそう言い終えて、魔石を握り潰した。
同時、静止していた崩壊は再開し、轟音と瓦礫の雨が降り注ぎ、剣は離され、スノウは弾かれるように距離を取った。
体勢を立て直し、スノウは歯を食いしばりながら顔を上げる。
──神が、こちらを見ていた。
仮面がある。目は合わない。
崩壊の音がうるさく、言葉はない。
殺意どころか、敵意さえ感じない。
それなのに、崩れ落ちてしまいそうなほどの恐怖を感じて悲鳴を上げそうになる。
敵として相対している。それだけの事で、押し潰されそうになっていた。
「貴女は、もう少し後です」
「な……!」
とん、と神は浮き上がった。
小さく首を回すと、神はそれを選んだらしい。
戸惑い、パニックに陥るメロディアの兵二万を見て、小さく笑みを浮かべた。
演習が始まり次第、各地に散る予定なのだろうが、今はまだ都合よく固まっている。
ふわりと綺麗に放物線を描いて、神は地に降りていく。
音もなく、神は降り立った。
この戦場の最大戦力である大群の中心に。
音を立てるはずの水面の床は、一滴の水が滴っただけのように静かに波紋を広げる。ざわつく。ぽっかりと人垣に穴が開き、一瞬後に一斉にこちらに刃が剥いたのは流石。
しかし、どうしてもその顔には未知に対する恐怖に歪んでいる。
「さあ、死んでください」
神の一部が世界に混じる。
自らの細胞のように、世界を操り。空気は罅割れ、地面は波打ち渦を巻く。手始めに、神はメロディア軍二万へと手を伸ばした。
彼は神ではない。
故にここは天上ではない。
広がるのは阿鼻叫喚の地獄絵図。
◆
カレッド・オベルゲンは準備に準備を重ねていた。
彼は人一倍慎重だったし、それは彼の人生で良く機能していた。
そして今回もまたよく準備をし、小国ながらもこの演習で台風の目たる動きを出来るはずだった。
国威を見せつけるにこれ程の機会はない。建国して間もない故国を売りつける為、今までは敢えて身を潜めこの日を待った。
そんな彼は今も崩れゆく城を見つめていた。全軍3千人の全てが言葉を失って、立ち尽くしている。
いち早く危機を感じ、我を取り戻した彼はやはり類い稀な人材だった。
「──各隊から報告を回せ!」
自らの陣営の天幕に戻り、声を張り上げた。
カレッドはヴァスデロス側の陣営だ。迅速にメロディアを側撃。致命打は与えられずとも余力を削り、かの鬼の姫に挑み打ち破る自信はあった。
どうする──。
おそらく混乱の最中にあるメロディアをまだ狙うのか、それともその混乱をもたらした脅威に備えるのか。
「入りました! 伝令です!」
「よし、どこだ」
「天のゼロ地点。水鏡郷中央、王城の傍です」
「貸してくれ」
カレッドは魔石を受け取り、気を落ち着かせるように口を開いた。
「メロディアの兵の動向を教えてくれ。出来れば城で何が起こったのかもだ」
『か、カレッド様……! メロディアは、メロディアが……!』
「どうした」
『総勢二万のメロディア軍、その全てが、ほ、ほぼ、全滅しました……ッ!』
カレッドは小さく舌打ちをした。
「全滅か……。それが狙いで城を壊したな……!」
『違います! 奴が、地面に降りた瞬間──、あ、ああっ! 嘘だろ!』
「どうした!」
『……"唯剣"も、やられた……。地面に呑み込まれて、死体の確認は、できませんが、間違いなく──!』
天幕内が困惑と息をのむ声でいっぱいになった。
カレッドさえも目を見開き、数秒言葉と思考を失っていた。
「……落ち着け!」
その一声で、天幕内の音は掻き消された。
メロディアの惨劇をその怒号で上塗りされ、一瞬で兵達は表情を取り戻した。
その様子を見て小さく頷くと、カレッドは再び魔石を口元に当てる。
「"スノウ殿下"と"神"の動向は判るか?」
優先的に何を聞くべきか迷った。
メロディアの全軍が壊滅したなどとは信じ難いが、おそらく事実。
ならばそれを為した神と、そして間違いなく接触し現在戦闘を行っている可能性が高い姫殿下の動向が肝要だ。
姫殿下が劣勢ならばその時間でどう軍を動かすか、既に亡き者となっているのなら──。
「……どうした、なぜ何も言わな──」
瞬間、ぞぞぞと背筋を寒気が這い回った。魔石から反応がない。光が消え失せ、魔力も感じない。対となる魔石が破壊された時の反応だった。
そして、もう一つ。
──外からの気配の一切が消え失せている事に気付いた。
「────……ッ!」
緊張して、言葉を出す事が出来ない。代わりに体が動いた。天幕を弾いて、外に出る。
そして、広がっている現状に呆然と立ち尽くし、カレッドは今度こそ、呼吸が止まる思いをした。
何もなかった。装備を整え、地理を把握させ、5秒で陣形を整え戦闘を行える精鋭3000人が忽然と消えていた。
「っぐ……!」
まだだ、まだ終わった訳ではない。国の発起から付いてきてくれた3000人の友だ。逃げ帰る事などできない。まずは残った人間とこの場を離れ──。
「──は……?」
振り返ると先程まで入っていた天幕も消えていた。中の人間も消えている。音もなく、忽然とだ。
カレッドだけが、道半ばにポツンと──。
「──カレッド・オベルゲン氏とお見受けします」
──いいや、もう一人。白い能面で表情を隠し。白い安いシーツを風に揺らして。
「あ、ああ、あああ──……」
神の形をした理不尽が、背後に立っていた。
一剣士としても名高いカレッドで、だらりと両手を脱力させて、その能面を眺めることしか出来ない。
ただ、口だけが動いて──。
「ああ、ああ、神よ──」
「──だから、祈るなよ。うるせぇな」
ぬるりとした動きで、神の手がこちらに伸びてくる。人の手の形をしたそれが、いっぱいに開かれた獣の大顎に見えた。
──瞬間、視界に白い何かが横切った。
「──逃げろ!」
「おやぁ、今度は速かったですね。殿下」
神の手の平は、純白の大剣に阻まれていた。刃が潰されているのか、神の手に喰いこみはしない。
ただ、目の前で神に立ちはだかっているのは少女で、神はカレッドよりも頭一つ背が高い大柄だ。
弄ばれるように剣は押し込まれ、少女を間に挟んだまま、神は首を伸ばしてその面をカレッドに近づけていく。
鼻先までその面が迫った時、カレッドの完全に思考が潰えた。
「逃げろ──っ!」
「邪魔ですよ」
少女が建物の屋根の上まで吹き飛ばされた。
ふらふらとそれを視線が追って、弄ばれていた少女が昨日闘技場で準優勝し、世界中で畏怖されている鬼姫だと分かった。
神もまたその少女を目で追っていて、そしてゆっくりとこちらに向き直った。白い能面の下で、神が自分を──。
「ほら、こっちを向け」
遠くから逃げろと叫ぶ少女の声が聞こえる。駆け付けようとしてくれている気配も感じる。ただ、神の手がこちらに届くまでに間に合いそうにはない。
もう一話いきます