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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
260/281

変化

遅くなってすいません……。



 果物の皮をむく音がする。

 しゃりしゃりと軽快で瑞々しい音が続いていて心地良い。


 夢の続きなのかな、とさえフェンは一瞬思った。


「気分はどうだ、フェン」

「ハルユキ……?」


 思わず名前を呼んでしまって、はっとする。


「大丈夫だよ。知ってる奴しかいないから。シアが居るからジェミニとレイは外だけどな」


 しゃん、とカーテンが開いた。ハルユキが椅子に座って、リンゴを剥いていた。

 器用に皮だけがくるくる回りながら、更に分けられていく。


 それを、フェンはぼーっと眺めていた。


「……──試合」


 そして徐々に起き出した意識が、先程までの記憶を思い出した。

 灼ける様な熱量。瞬く七色。不死鳥。妖精。金色の空。


「試合は──ッ!」

「終わった」


 立ち上がろうとしたフェンを制すようにハルユキは言った。

 上体を起こしただけで、フェンにはひどい眩暈があった。だが両腕で体を支えてハルユキを見た。


 対してハルユキもフェンの求める言葉を察して、一旦手を止めて視線を上げる。



「……頑張ったな」



 曖昧な言葉はそれ以上を語らない。

 でも、ハルユキの少し硬い表情が、何よりも物語っていて。



「──ぁ……」



 呼吸が止まった。

 体温が下がって、ぎゅうっと絞られるように視界が狭くなる。ぐらぐらと視界が揺れて、がらがらと何か大事な物が崩れて消えていく。


──でも、ふと。体温を感じた。

 自分の体に掛かっている毛布の下から、赤い髪の毛が見えている。

 導かれるように手が動いて毛布を捲ると、そこでノインが静かに寝息を立てていた。


「離さねぇから、そいつ」


 ノインは強くフェンの体に腕を回したまま眠っていた。

 そして、フェンの視線はノインの首下に移動する。

 二つ。試合開始時に配られた首飾りが二つ、安らかにそしてどこか誇らしげに眠る顔の下にさげられていた。


「……負けた、の?」


 自然と、フェンはそう零した。


「ああ。ノインの勝ちで、お前の負けだ……」


 よく頑張ったと、ハルユキはもう一度言った。

 もう一度ぐわんと頭の中が揺らいだ。吐きそうになる。


「……私は」


 卑屈に口元が上がった。フェンが初めて浮かべる表情だったが、フェンはそれに気づいていない。

 手の平を見る。小さい手だ。どこにも届かないと、絶望した時から何も変わっていないのに。


「本当に、何も、できないなぁ……」


 言葉の最後が震えそうになって、それも許せなくて、思い切り唇を噛んだ。非力な自分は自分を傷つける事も許してはくれなかったけれど。


「そんな笑い方に慣れなくていい」

「え……?」


 ハルユキがそんな事を言って、初めて自分が笑っている事に気が付いた。


「無理してないか?」

「無理なんて……」


 していない、とそう言おうとして喉でつっかえた。何かが喉と胸の間で引っ掛かっている、そんな気がした。


「失礼します」


 ふと、控えめなノックの後、扉が開かれた。


「いいですか……?」

「ああ、リィラ。どうした?」

「試合が終わりました。勝ち抜けはスノウ王女です」


 その言葉に驚いた。それ程に時間が経っていたのかと。


「なんだと。まだ始まって……」

「はい。あっという間でした」


 スノウの相手はウィーネにアラン、それにタツミだ。一試合目と比べてもまるで遜色がない顔ぶれだったはずだ。


「いえ、とは言っても、アランさんは不戦敗だったんですが」

「不戦敗?」

「はい。時間までに捕まらなかったみたいで。それで三つ巴戦にしたみたいで」

「そうか……」

「それで、すぐに次の試合だそうです。ノインさん」


 むくりと、フェンの前でノインが起き上がった。まだ眠たげな顔。顔にも腕にも頭にもまだ包帯が巻かれている。


「……行くわ、ハル」

「ああ、行って来い」

「うん」


 のそりと起き上ると、ノインは部屋の中の誰とも目を合わせないようにして服を直して剣を持った。

 あの紅の剣だ。どういう訳か、もう直っているようだ。


「大丈夫だからね、フェン」


 そこから部屋を出ていくまでノインはあっさりとした物だった。

 ただ最後に残した一言に意識を奪われた。どういう意味なのか、よく分からなくて呆気に取られる。


「え」


 でもリィラもハルユキも苦虫を噛み潰したような顔で、彼女を見送っていた。

 それで"分かっていない"のは自分だけなのかと気付く。


「フェンさん。さっきの試合凄かったです。──本当に」

「え、あ、え……?」

「羨ましくなりました、スノウさんも。……貴女も。フェンさん」


 そのまま戸惑うフェンを待たずに、リィラは部屋を立ち去った。

 取り残されたフェンは、数秒間思考が固まって、二人が出て行った扉を見ていた。


「私が、羨ましい……?」


 疑問だった。何が羨ましいと言うのか、まるで分らなかった。

 こんなに弱い身体の何が良い。何も掴めないこの腕の何が良いと言うのか。


「……リィラには黙っているように俺が言ったんだが」

「え……?」

「ユキネはお前の試合を見てもいない」


 フェンは表情を強張らせた。

 ハルユキはその表情の動向を伺うように、フェンを見ている。フェンはそれに気づかず、また小さくぎこちない笑みを作った。


「そ、う。なら、どちらにしろ……」

「お前は世界一の魔法使いだからと、そう言い残して、見もしなかったそうだ」


 呼吸が止まるかと思った。

 表情が中途半端な所で引き攣って、悲鳴のような笑みが漏れる。



「お前を、待ってたんだと思う」



 意味をすぐに理解できたのは、おそらくどこかでそうであればいいと願っていたからだ。



「……私は、負けたの?」



 その言葉に、ハルユキは眉を顰めた。しかしすぐに覚悟を決めた様にハルユキはまっすぐフェンを見た。

 目は小さく泳いでいて、口元だけが往生際悪く笑みを保っている。


「フェン……?」

「負けたの……?」

「そう言っただろ」

「……うそ」

「負けたんだ、フェン」

「うそ、嘘、うそ……!」


 フェンの聞き慣れない大声が部屋に反響した。

 三度目の言葉をハルユキは返さない。ただ、震える小さな体と瞳を見て、震える声を聞くように努める。


 大きく一度、フェンは嗚咽を漏らした。


「じゃあ、私は……」


 ボロボロと零れる涙と鼻水で不細工な顔がこちらを向く。


「ハルユキが、応援してくれてたのに……」


 非力なはずの彼女が強く強く拳を握って、爪が白い肌に喰いこんだ。


「皆が、見てた、のに……」


 耐えている。全身に力が入って強張って震えて、それでも大粒の涙が毛布を濡らした。

 怒りに、悔しさに彼女は支配される。


「ユキネが、待ってくれていたのに──……?」


 大きくフェンは咳き込んだ。大声で長時間話す事すら、彼女の体は耐えられない。

 咳き込みながら、息も絶え絶えな自分を思ってか、また、もう一度だけ卑屈な笑みを作った。



「──なのに、私は負けたの……?」

「ああ、フェン」



 ハルユキの言葉に一度フェンは大きく目を見開いた。

 顔を崩れそうなほど歪めて。

 もう一度笑顔を保とうとして。

 耐えた分の涙が瞬く間に溢れ出して。

 零れて、流れて、そして歪んで、崩れて、それから耐えて耐えて耐えて、耐えて、でも耐え切れなくて、そして。



「う、ぁ──」



 彼女は決壊した。



「あ、あああああああああ……ッ」



 一度。強く、フェンは自分の腕に拳を打ち付ける。

 どうしても弱々しいその程度の痛みだから、フェンは耐えられなかった。


「あああああああああ、ぁああああああああああッ!」


 二度、三度と泣きながら彼女は非力で小さい腕を自ら打つ。


「……やめろ」

 

 四度目の拳をハルユキは容易く止めた。

 小動物のように唸りながら手を解こうとするフェンの様子をしばらく見て、ハルユキはもう一方の手を伸ばす。


 空色の髪を撫でつけるように、ゆっくりと頭を撫でた。

 びくりと小さな体が揺れる。


「止め、て……!」


 体温を拒絶するように、フェンはそれを押し退けた。

 ただ、ハルユキは逆に今度は体ごと引き寄せて抱きしめた。また、びくりと体が震える。


「やだ、離して……ぇ!」

「やだね」

「う、ぅぅううう、ううううう……!」


 やはり温かさを拒絶するように、フェンは暴れた。ハルユキの胸を押して、背中に爪を立てて、肩を拳で叩いた。

 暴れに暴れたが腕力で敵う訳もなく、やがて抵抗は弱々しくなった。


「ぅ、っあ、……ひっ、ぐ……ぅうううう……」

「頑張ったよ、驚いた。嬉しかった」


 慰めの言葉のつもりはなかった。ただフェンが誤解をしないように願っての言葉だった。

 誰も失望なんてしない。それだけ伝わってくれればよかった。


「……っ、たの」

「うん?」

「負けたく、なかったの……っ」

「……ああ」

「褒めて欲しかった、なんて、思ったから……!」

「違うよ、ばーか。関係ない」

「だって、ま、また、いっぱい、楽しい事したくて……」

「ああ。そうだな」

「諦めたく、ながったがら……!」

「分かってるよ」


 頭と背中をゆっくりと叩くように撫でた。

 体中が強張って、ぶるぶると震えている。それを解すように手を上下させた。


「……お前さ」


 それから五分ほど経ったが、どうにも解せない。

 たぶんこのまま疲れて寝るまで納まらないだろうと、そう思うと言葉は出て来た。


 すると、嗚咽を繰り返しながら、フェンが顔を上げた。


「ぶさいくな顔するようになったなぁ……」


 ぴくりとフェンの表情が動いた。ちょっと怒っているが、それ以上に戸惑っている顔だ。

 ついでに言えば、眉が下がって鼻水と涎と涙で汁まみれ。目元と口元は変な形で震えているブサイクな顔。

 ただ愛おしさだけが増して、抱き留める腕に力がこもった。


「ちょっとは、落ち着いたか」


 そんな言葉にも嗚咽で返す程度のものであったが、身体の強張りはとれてこちらに幾らか体重もかかっている。

 それならば、フェンはきっと見た方が良い。


「試合を見に行ったほうがいい。多分、それで分かる」

「え……」


 涙やらでずるずるになった顔を拭いてやる。少しは他の人間に見せてやってもいい顔になった。

 ずる、とフェンは鼻をすすった。


「……私が、負けた理由?」

「いや、ノインがお前に勝った理由だよ」

「……? 何が違うのか、分からない」

「んじゃ、来い」


 フェンの手を引いて立ち上がらせようとすると、かくんとフェンの膝が落ちた。

 もう一度、しっかりと立とうとするが体を震わせるばかりで立てそうにない。


「いいよ」


 膝の裏に腕を回して抱き上げた。


「これでもいいか」

「……う、うん」

「よし」


 少し恥ずかしいかもしれないが、どうせ知り合い以外はいない。

 それよりも早く行くべきだ。扉を開けて通路に出た。

 冷たい石造りの廊下には誰もいない。喧騒のする方に足を向けた。


 幾つかの階段を上がって、最期に角を曲がると出口があった。舞台へと続く道だ。

 既にノインは舞台に上がったようだ。誰もいない廊下、熱気は少し遠く静かに冷たい。


 ただ遠く、廊下の奥に広がる闘技場の真ん中に、一人立ち尽くす燃え盛るような紅い女が見えた。


「……ハルユキ、下ろして」


 フェンにもきっとそれは見えた。


 いやきっと、彼女にはもっと見えていただろう。ノインが何を思いあの場所に立っているのかも。

 よろけそうになる身体をそっと支える。立っていたいだろうと思った。


「……惜し、かった?」

「ああ。まるで負けてなかった」

「……そう」


 乾いた涙の跡が赤くなっている。厭いもせずに、フェンはじっと闘技場を見つめていた。




『……ハルユキさん』


 耳に埋めた魔石から声が聞こえた。リィラの声だ。


『どうした』

『スノウ王女が……』


 ハルユキは幾つもの事に同時に気が付いた。

 気が付いて、目を見開いて、そして思わず拳を壁に叩きつけた。


「あのバカ野郎……」


 フェンは既に悟っているのか、闘技場に寂しげに立つ少女を、やはり寂しげに見つめている。





    ◆





──私は未だ夢を見る。


 それは暢気な旅の夢。


 気が付けば、気ままに揺れる馬車の上で笑っている。

 きつい礼装など身に着けておらず、動きやすい街娘の格好をしている自分がいるのだ。


 退屈に欠伸をかみ殺したり、誰かが気紛れに提案したゲームに興じたり、ケンカを始めた誰かをなだめてみたり、風が心地良くてまどろんでしまったり。



 そこでは私は驚くほど安眠できる。

 悔しいが、それはきっといつも隣に座っている男のせいだと思う。


 ゆっくりと、傍らで、ぽつぽつと言葉を交換しながら、私は無抵抗を晒す。

 警戒をすべて放り出して、頬で夕刻の太陽を感じながら自分以外の何かに身を委ねる。


 その不確かな安らぎも、私にはとても居心地が良いものだ。


 そこで、眠ってしまうと、大抵が現実に引き戻される。


 確か、夢は願望を表していると城に自分を売り込みに来た占い屋が、そう言っていた。


 彼等を眺めている時の自分の気持ちを今更ごまかす気もない。まあ、泣いて頼まれても行く事は有り得ないけれど。


 それは誓いだ。

 ノイン・マド・トエルウル・オウズガルドの根幹を為すものだ。

 だから本当は、こんな事。外野のお節介だとは分かっている。


『え、えー、会場内の皆様にお伝えします』


 場内アナウンスが告げられた。


 その声は空から降ってきているように思えて、ノインは空を仰いだ。


 茜色の空から、声は降った。


 一つ、古龍が数体街に向かっている事。

 一つ、小規模が予想されるので、非難の必要はない事。

 一つ、そして、スノウ第一殿下が対応に向かった為、決勝戦は中止とする事。


『これにより、ノイン王女殿下の不戦勝と致します』


 一瞬の沈黙を置いて、観客席がざわめきだした。ただ広すぎる闘技場の真ん中からはどこかそれも遠い。


「……でも、貴方達が大好きなのよ」


 ポツリと零した言葉は冷えて来た夕闇の空気に消えた。

 風が出てきた。ばたばたと赤い髪を揺らす様は、蝋燭の炎が揺れている様に似ている。


「だから、大丈夫。私が全部何とかしてあげるから……」


 夢を見る。

 遠い遠い非現実的な夢だけど、確かにその場所は存在していて。


 だから、私は夢を見れる。だから陽だまりに浸れる、一年前、唯一憧れたその場所が、壊れかけている事を知った。


 どれだけ、憧れたと思っている。

 どれだけ、恋しかったと思っている。

 どれだけ、変えられたとおもっている。

 ──頼むから。


「喧嘩なんてしないでよ……」


 零した言葉はやはり空中に溶けて、ノインは視線を落とした。

 二年前のあの日、こことよく似た闘技場で、あの娘が私に伝えてくれたものを、憶えてくれているだろうか。




    ◆




 ハルユキは闘技場を飛び出すと、すぐさま跳躍しだだ広い街並みを一望した。

 感覚器官のアンテナを広げるとすぐそれに気づいた。


 西北西の外壁から遠く離れた荒れ地だ。


 鉄と鉄を打ち合うような音、土が削れる音。剣が奔る音、それに龍の悲鳴。


 靴がナノマシンの足場を思い切り蹴り抜いた。

 勢いに任せたせいか、衝撃波の制御に綻びが出る。それだけで町中を辻風が舐め上げた。


 数千軒の屋根を越え、外壁を越え、そして今まさに打ち合おうとしていた龍と剣の間をハルユキは一息に飛び越えた。


 一瞬遅れて風が吹きあれ、龍と剣士が後ずさった。


 そして剣士──スノウは剣を下ろし、龍は驚いた表情のままぐらりと体を傾かせた。


「……随分派手だな、シン殿」


 スノウがそう言うと同時、龍は倒れて地面を揺らした。

 ハルユキが辺りを見渡すと、他にも倒れ伏した龍が数体地面に転がっている。


 スノウには傷一つない。

 見てはいないが、タツミとウィーネを瞬く間に制した実力は本物らしい。


「戻ってください。ここは私がやります」


 横目で一瞬だけ、スノウはこちらを見た。


「大会は既に辞退した。もう民にも知らされているだろう」


 そう言うと、スノウは剣を消し例の龍を捕縛する鎖の魔具を取り出した。あっという間に龍は鎖に巻き付かれ、地面に沈んでいく。

 その鎖を、ハルユキは横から掴んで止めた。


 龍の巨大な体が引き上げられ、スノウの目がハルユキを見咎める。


「……こんな事は、貴女じゃなくても良い」

「私の仕事だよ」

「私に頼んでもいいはずだ」

「何を、他国の人間に自国の防衛を任せていい訳がないだろう」

「協力体制として認可されていますが」

「体面の話だ」

「体面と言うのなら、貴女はあの場で勝つ事が求められる」

「一回戦で十分に示したつもりだが。それに所詮は遊びだ。業務に支障を来たしてまで加わるものではない」


 あらかじめ用意していた言葉がただ目の前に放られている様だった。

 舌先で右に左にと遊ばれていた少女はもういないのだと、今更ながらに実感する。


「……貴女でなければならなかった事が、他にあったはずだ」

「ないよ、そんな物は」


 面倒そうに、目の前の女はそう吐き捨てた。

 その端とした言葉を聞いた瞬間、二人の顔が脳裏をよぎった。視界がジワリと赤くなる。ぎ、と歯が割れそうなほどに噛み締めた。


「……知っているはずだ。気付かない訳がない」


 スノウは地下に引きずり込まれていく龍達を見つめている。未だ牙を剥き、唸り猛る龍達は油断ならないのは確かだ。


「まだ、ノインは待っています」

「馬鹿な事を言う。既に会場も引き払われ始めているはずだ」

「それでも、待ってる」

「彼女はそんな愚かな女性ではないよ」


 目は合っているのに、こちらを見ている気がしない。

 こうして対面しているのに、話しているのは彼女の皮を被った人形のように思える。


「フェンは、貴女に──」

「ああ、彼女は私と戦いたかったと言っていたな」


 その言葉に、ハルユキは眉を潜めた。


「……知って、いたのですか」

「ああ。ああもあからさまに敵意を向けられてはな」


 そして、その自分とは見えていたものの違いに愕然とした。


「敵、意……?」


 そんな風に感じるのは、スノウが実際には試合を見ていなかったからか。馬鹿な、だからと言って。彼女はユキネのはずなのだ。



「本気で、言ってるのか──」



 仮面を通じた声は変声されている。

 声を変えるなんて技術など想像もできないこんな時代では、それだけで正体はほとんど隠し通せる。

 ただ、素の"言葉"が出た事にスノウが驚いていて、一瞬しまったとハルユキも体が固まった。


 ふ、と、口の端を歪めるようにスノウは笑った。


 まっすぐこちらに歩いてくる──。


「──仮に、本気で言っていなかったとして」


 ぱた、と首筋に冷たい何かが当たった。

 ぽつぽつと空から雨が降り始める。


 スノウは気にも留めずこちらに歩み寄ってくる。その度に雨は強くなって視界が悪くなる。



「もしそうだとして、そうしたら、どうする?」

「え……」



 近付いてくるのに、強くなる雨がスノウの表情を頑なに隠す。



「もしフェンが、私に向けていたのが敵意などではなかったとして……」



 通り雨だ。大きな雲が流れ、雨の向こうで晴れ間が顔を出し、迫ってきている。



「ノインが、まだ待っているとして。全部分かっているとして、気付いているとしてだ」



 光から隠れていなければ、雨で常に溶かして置かなければならないのなら──。



「それから私が逃げて、ここにいるのと言うのなら、だ」



 雨が切れて、光が落ちてくる。

 その一瞬の間に、彼女はハルユキの脇をすり抜けて、頑なに表情を隠した。



「──貴方はまた、私を殴ってくれるか?」



 一瞬だけ言葉の意味を判断しかねた。

 それでも、すぐに振り向いた。しかし既に雨は上がっていて、彼女は一瞬で街中まで戻っていた。


 スノウの言葉が頭に反響して、ハルユキはただ立ち尽くした。





    ◆




 リィラは闘技場内を歩いていた。

 ハルユキから先に帰っていてくれと連絡あったからだが、クイーンとまたはぐれてしまったのだ。


 少しならいいだろうと、リィラは眼帯を外した。


「あっちか……」


 そのまますぐに眼帯を戻した。

 歩きながら思う。フェンはハルユキがサヤに預けて自宅に戻したが、ノインはまだ控室にいる。

 疲れているからとりあえずここで眠ると言っているらしいが。


(ん……?)


 ふと、話し声がリィラの鼓膜を揺らした。

 少し行った場所にある柱の影。そこで誰かが話している様だった。


「──うん。でも僕が一番すごいと思ったのはその子かなぁ。相手の紅蓮姫も……ってそんな怒んないでよ」


 いや、影にはいたが特別隠れている訳ではないようだ。

 こちらに気づくと、にっこりと笑って手を振ってきた。


 今までどこにいたのか。男は──"魔法使い"アラン・クラフトは魔石をポケットにしまうと人懐こそうに走り寄って来た。

 

「"隻刃"! "隻刃"だよね。さっきの凄かったよ! 君もちょっと不思議な魔法使うよね!」

「あ、ああ。どうも……」


 興奮冷めやらぬと言った風にアランは言葉を捲し立てた。

 とりあえず人見知りを発動させながら、リィラは適当な言葉を選ぶ。


「あ、あの。通信相手の方はよろしいんですか」

「ああ、いいよいいよ。腐れ縁の友人だから」

「……腐れ縁?」


 その言葉に違和感を覚えた。

 この人は"1500年前"の文献に登場しているような人物だ。そんな人間の腐れ縁と言うのなら、それは──。


──ぞ、と。

 悪寒を感じて、リィラは顔を跳ねあげた。


 笑みがあった。先程と何も変わらないアランの笑み。

 ただ何か嫌な視線だ。戯れに投げた餌に上手く飛びついた魚か何かを見るような。


「そうだね。まあちょっと調べれば簡単に分かるんだけど。色々間違いがあるんだ」

「間違い……?」

「僕の渾名。"魔法使い"の他にね」

「……確か"一にして全"とか」

「ぶー。僕は"全にして一の魔法使い"」


 どっちでも大した違いがあるのかとリィラは眉を潜めた。


「"一にして全の魔法使い"は別にいるんだ」

「……え、それって」

「うん。忘れられがちだけど。"魔法使い"って呼ばれた人間は二人いるんだ」

「二人……」

「うん一人は僕、アラン・クラフト」


 アランは言いながら懐から先程の通信用の魔石を取り出した。


「そしてもう一人が、さっき話してた奴。僕の親友で腐れ縁で、一にして全」


 に、とアランは笑みを深めた。


「"魔法使い"アダム・ミストガルナ」



 

    ◆




 レイがその姿を見つけて、壁外に出た時には空は薄暗くなっていた。


「おい」


 近寄っても何も反応を示さなかったので後ろから尻を蹴りあげた。恐ろしく硬かった。蹴ったレイの方が痛みに顔を顰める。


「……俺のケツに何か用か」

「喜ぶかと思ってな」

「くたばれ」

「死ね」

「消し飛べ」

「土に還れ」

「星になれ」


 何だこいつ。いや何だこいつマジで。何しに来たんだ帰れこの野郎。

 互いに舌打ちして額に血管を浮かばせる。何でこんなのと縁が出来たんだ。


「で、どう思った」

「あ?」


 思わず低い声を出る。やんのかこの野郎。

 じ、とレイはこちらを見据えた。あっちは別にケンカを売ってる訳じゃないらしい。


「俺まで暗くなってもしょうがないだろ。別にやる事もあんま変わらんし」

「……そうか」


 長く、レイは息を吐いた。その胸の内にどんな思いがあるのかは分からない。が文句はないらしい。


「……貴様、本当にあれをやるつもりか」

「別に俺が考えた訳じゃないけどな」

「……ならばそれはいい。しかしならば奴等の居場所も掴めねば」

「何なのお前」

「察せ」


 表情一つ変えないこの女の心情を考えてみる。分からん。

 ただまあ、こいつも今日はコロシアムに来ていて、一部始終を見ているのだったと思い出した。

 ふん、と鼻を鳴らした。


「……あいつ等の居場所は暇見つけて嗅ぎ回ってるがてんで駄目だな。世界10周ぐらいしたわ」

「それで?」

「魔法使って隠れてるなら、俺の目には届きにくい。がやりようはある。ちょっと時間がかかったが今は軌道に乗った。文字通りな」


 そう言ってハルユキは視線を上げた。

 つられてレイも顔を上げるが、夜空に星が並べられているばかりで何も見つけられない。


「……放って置くのが、正しい形の様な気がする時もある」


 零すようにハルユキは言った。


「馬鹿たれ」


 対してレイは、その言葉に一考の余地すらないとばかりに言葉を返した。


「元の鞘に、と言っている訳ではない。再会した時に酒も酌み交わせんようでは出会った意味が無いじゃろうに」

「……お前が酒代たかってる絵しか想像できないんだけど」

「当然じゃの。労ってくれんと年寄りなぞやっとられんわ」


 は、とレイは少しだけ上機嫌に笑う。ただ、口の端を上げたまま、少しだけ息を吐いた。


「……しかし確かにあやつ等は、瞬く間に変わっていくの」

「俺にとっては、お前だってそうだけどな」

「なにぃ……?」


 心底驚いたとばかりに、レイはまん丸くした目でハルユキを見た。

 ハルユキはそれを見返す事もしなかったが、ふざけて言っている訳ではない事を悟って、レイは更に目を丸くした。


「ふむ。貴様はまるで変っとらんがの」

「そうかよ」

「おう。儂が嫌いな男のままじゃ」


 かかか、とわざとらしくレイは笑うと、くるりと踵を返した。


「貴様は変わるな。儂が心置きなく嫌えるように」

「なんじゃそりゃ……」


 ハルユキの言葉に応えようとせず、ひらひらと手を振ってレイは去っていく。


「のう、ハルユキ」

「あ?」

「思う存分やれよ」

「……おう、ようやくだ」


 それを聞いて満足したように、レイの気配が背後から消えていった。


「……ようやくだ」


 明日は、全軍合同の大演習。通称"一界軍遊祭ウォーライ"。

 拳を握る。

 ユキネの事も、フェンの事も、ノインの事も、十三星座ゾディアックの事も、龍の事も。何も関係ない。

 この拳を振るうのは、己がこの現状を一番気に入っていないという自負があるからだ。


「しこたま、ぶん殴ってやるよ」


 ただただ気に入らない全てを破壊してやると、握られたその拳はもう止められない。


──事実、今より明日を、"神の怒りの日"として歴史は呼ぶ事になる。





さて、ここから物語は急速に展開します。

なのでエルゼン編の時のように少しばかり書き溜めて放出する仕様に戻したいと思います。

おそらく半年ほどになると思います。

毎度お待たせして申し訳ありません。今年中に完結できるよう頑張りたいと思いますのでご理解の程お願いいたします。


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