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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
259/281

夢の後



 貴賓室には、ミコトとヴァスデロスとナミネしか残っていなかった。

 ただ部屋の中が異様に静かなのは、人数が減った事が原因ではない。


「……は、ぁ」


 ナミネはゆっくりと息を吐いた。

 模擬戦とは言え、戦いは戦いだ。

 コロシアムはそう言う場所だと言ってしまえばそれまでだが、知った顔が危険に晒されるのを見ているのは息が詰まる思いだったのだろう。


「……これ程追い詰められたノインを見たのは初めてだな」

「え、ええ……」


 生返事をしながら、ナミネはコロシアムの出入り口の辺りを見つめている。

 速く救護班が入って来ないかと視線を泳がせる。


「お前はどうだ、ヴァスデロス」

「……ふん」

「一度は惚れた女の事だ。よく知ってるだろう」


 サイザキミコトはさる有数の金融組織の子息。

 ヴァスデロスは第五子ながらも鉄国アスタロトの嫡男だ。同じく純正の王族たるノインとも幼い頃より面識はあったはずだろう。

 あれほど美しく凛々しい女性だ。幼心に憧憬を抱くのは不思議ではない。


(……ううん)


 商人だからかは知らないが、ミコトが表情を変えた所をナミネは知らない。

 だからミコトはどうか分からないが、ヴァスデロスは違う。


 握り込んだ拳を更にもう片方の手で握り込んでギチギチと軋ませている。

 ただその表情は水を打った湖面のように静かなもので、ただ何かを見逃さないように視線は舞台上から動かない。


「しかしナミネ王女。アンタの言葉は正しかったな。あれは実際大した魔法使いだ」

「……はい。とても、羨ましい」


 ナミネの言葉と表情にミコトは何か違和感を見る。しかし不可分の領域だろうと、聞かなかった事にした。


「しかし精霊獣とはな。歴史に残るぞ、彼女は」


 精霊獣を使うだけならば、他にも方法はある。

 ただしそれは面倒な儀式が必要な物や、体にとんでもない負担を強いる疑似的な物のみだ。

 個人の手には持て余すし、そうでなくとも力に振り回される。


「真偽は分からなかったが、"異文字"にして"上位文字"を発現したと言うのは本当かもしれないな……」

「そ、そんな事が……?」

「まあ、かなり特殊な状況があってこその事らしいが」


 魔導の極みの到達点で運用して初めてその力は十二分に発揮される。

 純粋に精霊獣を使えるのは、長い有史の中で"魔法使い"だけだったのだ。


 あの場には思い思いの視線が集っている。その最たるものは憧憬なのかもしれない。


 そんな人間達には、爆発のような歓声も遠い。ただじっと一時も見逃さぬように見つめるのみだ。


「賭けをするか」


 ヴァスデロスが沈黙を破ってそう言った。視線は最早戦いとは呼べなくなった一方的な展開を見つめたままだ。


「いえ、しかし……」

「終わったとは思わんな。あの女を少しでも知っている輩ならば、そう思うだろうよ」


 ヴァスデロスは組んでいた拳を離して胡座をかいた膝に頬杖をつく。



「しかし……」



 ノインはまだ立ち上がっていた。

 フェンもまた万が一も起こらぬよう

 身動きを奪おうと魔法を走らせている。


「ノイン様はもう……」

「俺があいつに初めて会ったのはあれが10。俺が22の時だ」

「……はい」

「あの時から数えて、確かにあのような様を目にした事はない」


 ヴァスデロスの心にあるのは憧憬ではない。

 悔しさでもあったし思慕でもあったが、どれも少しずつずれている。


 郷愁だった。

 若い頃、10にも満たない少女に求婚したのは、あれが見たかったのだ。


 嫉妬で、思慕で、やはり郷愁だ。


「ただ同時に、あれほど楽しそうな顔をしたノインは初めて見る」


 そう言って苦笑するヴァスデロスを、ナミネは初めて見た。

 そうだ。ほとんど面識がないナミネですらそうだ。


 第一印象で、言葉の端で、自信に溢れた微笑みでノイン王女は皆に知らしめている。

 このままで終わるはずがないと、心のどこかで思わせる。

 



    ◆




「貴女達がね、大好きなの」


 炎と体の勢いを器用に使って、壁に寄り掛かってからそう言った。

 その声にフェンはひたと眉を潜めた。ふ、とまたもやはりノインは笑う。


「何か聞きたそうだな、と思って」


 ノインは剣を折られて倒れて、しかし次の瞬間には転がるようにして跳ね起きた。

 足が動かないのは変わっていない。

 ただ、この短い間で足を用いずに移動するやり方を把握したらしい。


「……だからね、私は負けないの」


 ぼそりと零した言葉はだいぶ小さな声で、ほとんど譫言だった。

 本当にそう言ったのか確信が持てない。取り消すように、ノインは切り替えて口を開く。


「私ね、よく勘違いされるわ」


 そこで、フェンは追撃を速やかに諦めた。

 ノインはいつの間にかしっかりと地に足を付けて立っている。治ったのではない。むしろ、体が軽くなっているように見えた。


「お酒よりジュースが好きだし、辛い物より甘い物が好き」


 場違いなそんな言葉が、いやに突き刺さるのをフェンは感じた。

 同時にせり上がってくるのはなんだ。


「あ、あと、人のマネが得意ね。羨ましいのはすぐマネしちゃうわ」


 雨も大量に降らせたので、地面を転がりながら戦うノインの服は泥だらけで、髪は血が滲んでいて、顔は擦り傷だらけだ。

 だけど、彼女はまるで色褪せない。


 ──勘違いを、していたのではないか。もっと、彼女の根幹の部分を。

 そんな思いが去来する。


 だって、彼女が彼女たるのはその美麗さではなかった。間違っても気位や気品でもなく、強さですらない。

 だって、今の彼女は泥遊びに夢中になる子供そのもので。


 それは、フェンの中にはなかった彼女の姿で、でも何より彼女らしく思ってしまった。


「それにね、恋も仕事も人生も、追いかける方が好き」


 濡れた瞳は痛みではなく高揚によるものだ。

 荒い息は疲れではなく逸っているだけ。


 気付いていた。彼女の笑みは強がりではない。自分を保っているのでもない。ただ純粋に彼女は楽しかったのだ。


 だから、きっとずっと変化は続いていて。唐突にそれは表層に現れた。

 ばつん、と何かが破裂したような音が皮きりだった。


「──こう、よね?」


 その音の発生源はノインの無造作に伸ばされた左手から。


「……あれ?」


 それは失敗だった。

 ノインの左手に小さな火傷を残したのみで、他にも何も起こらない。

 おかしいなぁと口を尖らせるノインとは対極的に、フェンは愕然として言葉を失っていた。


──ノインが何をしようとしたのかが、分かったからだ。


 突如、這い上がってきていた何かが焦燥だと気が付いた。

 いや違う。うっすらと寒い焦燥は意識外で感じていたのだ。そしてそれが今、形となった。


「うーん? さすがに難しいわね。分かったと思ったんだけど……」


 言いながらノインはまた左手を弾かせて、頭を捻る。

 しかし確信があった。彼女は成功させる。そしてそれは遠い未来などと悠長な物ではない。


「ま、とりあえずね」


 小さく苦笑して、ノインは一歩前に進んだ。

 かくんとその膝が折れる。


「あ、れ」


 倒れはしないが、眩暈を起こしているようで身体がふらつている。


「……"あれは二年前。絶望の底はまだ遠かった"」


 下りそうになった杖を両手で握り込んだ。


「──"偽・鉄柩リッサ"。"偽・黒腔ガルガンダ"。"偽・虚の森(ウツロノモリ)"」


 地面の砂鉄が持ち上がって闘技場中を影で覆った。

 空間がガバリと開いて巨大な顎となった。

 昏い森と反転した色の空がノインの景色のみを覆い尽くした。


 瞬く間に黒い砂鉄は槍と化した一部を頭上から槍の雨として降り注がせる。

 至る所に開いた黒い口腔はケタケタと薄ら寒い笑みを浮かべる。

 手招きするような不気味な樹の枝は──。


「……素敵ね、フェン」


──幻だろうがお構いなしに、金色の炎の津波に飲み込まれた。

 一度ノインが己の膝を拳で叩いた所だけ、フェンは目視していた。


 鉄の雨を掻い潜りながら、黒い顎を踏み付けながら、ノインはフェンの周りを廻るように駆け抜ける。


「──"偽・波花"」


 見えてはいない。だが遅いフェンがそれを恐れる事はない。

 届かない。だが触れる事をしないフェンがそれを厭う事はない。


──その魔法により、大地は全てフェンにのみ知覚できる水面と化した。


 ノインが走ればその水面から波紋が広がる。

 広がった波紋は至る所で反響し、ノインが激しく動くほど、水面は激しく荒れていく。


「──"偽・弔漠花"」


 一度再現したならば、それはもうフェンの世界の中のもの。何をどう使えばいいかも手に取るように。

 瞬間、フェンが立つ場所以外が全て爆ぜて吹き飛んだ。


 破壊の波は、ただでさえまるで原形をとどめていない闘技場の床を更に粉々に砕いて、その粉塵はコロシアムの頂上さえ超えていく。


「ばあ」


 ノインは砂塵から飛び出ると既に手にあった炎をこちらに撃ちだしていた。


「──"流々流浪の星の神秘を思い出す"」


 フェンの口はゆっくりと動いた。

 そしてそれに従って厳かに金色と白金色の妖精の光が一つになった。


「"混合リガント時凪星海トキナグホシノウミ"」


 ゆっくりと動いているのに、それはノインのあらゆる動きより先に成った。

 ノインにとっては粘土のような空気で動いている感覚。


 手を出すのも引くのも、足が重力に引かれるのすら鈍く遅い。


(時間を──……)


 フェンが掌握した物の正体に行き着いた時、ノインは自分の腕に鉄の紐が絡んでいる事に気付いた。

 ぐん、と体が引っ張られる。


 ぐるりと回って闘技場の地面に打ち付けられる。

 あっという間に地面が目の前。手をかざす。蘇った金の野がふわりとノインを受け止めた。


 しかし、まだ腕に絡まった紐はそのまま。

 今度はすぐ傍にある積み上がった瓦礫の中に突っ込まれた。今度は何も間に合わない。


 すぐに引きずり出されて、宙に持ち上げられた。

 いつの間にかもう片方の手と両足にも鉄の紐が絡んでいる。


 それだけに留まらない。動かなくなった獲物に襲い掛かる獣のように、鉄の紐はノインの腰や胸、太腿にまで巻き付いて締め上げた。


 肺から空気を押し出されたノインが顎を上げて大きく喘いだ。


 瞬間、フェンは最後の一撃を見舞った。

 これまでのなにより速く、そして細い鋼の糸。ノインの首に下がった首飾りを絡めとる。



────目が、合った。



「ねぇ、フェン。貴女、自分が特別だと思ってるでしょう?」

 

 何事もなかったかのように、ノインは地面に着地した。

 何をどうしたかなど、見なくともわかる。黒金の紐が、鋼鉄の糸が炭化するまで焼き焦がされている。


「それどころか自分の存在は奇跡的な物だとか思ってるでしょ。そう言うのどうかと思うわよ?」


 ノインは既に剣を持っていない。

 ただ、人差し指と中指を伸ばして、それを目の前で真横に振った。


 その指の一閃は細い金色の軌跡を残した。

──いや、それは奇跡ではなく切れ目だ。瞬く間にそれはコロシアムの横幅一杯に広がった。

 ノインは一歩前に出て、その切れ目を背後に置く。


──瞬間。


「"彼岸の地平線"」


 その切れ目から、金色の奔流が吹き上がった。

 高く、広く、濃い。空に向けて滝が流れているような圧力が、フェンを一歩後退させる。


「──ああ、こうね」


 そして、フェンは追いつかれた。

 茜色に染まった視界の中で、ノインが無造作に伸ばした左手はまるで暁闇の太陽を思わせる。


「嘘──……」


 燃えていた。

 炎こそ見えなかったが、それはきっと燃えていた。ノインの左手の"煌"の文字が燃えて灰になって風に溶けた。

 そして、"その下の文字"を露出させていく。


「"原初の種火(プロメテウス)"」


 ノインはさらに踏み込んだ。

 それは先程ノイン自身が囚われた時の檻の中。


「"加護付加・万灰"」


 その祝詞に合わせて、地平線で燃えていた炎の一部が彼女の中に潜り込んだ。

 そしてそれは瞬く間に彼女の力となり、外界に顕現する。


──燃えていく。

 重力の檻も、時の泥も、それを構築する魔力さえも、全て灰燼に為さんと炎はけたたましく侵略する。


「"加護付加・重塊"」


 ノインの手に剣が握られていた。

 炎で出来たその剣は驚くほど炎としての形態も性質も存在しない。

 ただ、無造作に振られたそれは、巻き込んだ空気だけで辺りの瓦礫をすべて吹き飛ばした。


「ねぇ、フェン。貴女、自分が特別だと思ってるでしょう? ええもう、本当にそれはどうかと思うわ」


 もう一本。

 無造作にもう一本の剣を左手に。またも、今度は左側の瓦礫が吹き飛ばされる。

 ノインの振り様からは想像できないほどの重量があの剣に宿っているようだ。


「まあ、私もそうなんだけど」


 左手に新たに刻まれた"命"の文字。

 驚きと戸惑いで体中を強張らせるフェンを前に、ノインはどうだ見たかとばかりに。子供のように。笑って見せた。

 そして、ふ、と腕を上げて指をさす。


「……それ、凄いわね」


──"それ、凄いわね"。

──"羨ましいのはすぐマネしちゃうわ"。


 つい先ほどノインが放った言葉が、脳裏によみがえった。


「──羨ましいわ」


 指さした先はフェンの肩に乗る妖精の"精霊獣"。そのあからさまな言葉の意味にフェンは気付いた。


──だから、空を見た。

 少し陽が傾き始めているが、抜けるような青があった。空色が遠く深く広がっている。


 変わっていない。

 二年前、穏やかな気持ちで見上げた空の色から一片たりとも。


 だから大丈夫。

 空から視線を下ろせば、あの頃の景色はもうないけれど。


「……あげない。私のだから」


 杖を構える。きっと、取り戻してみせると誓ったのだ。





    ◆




──私はまた夢を見る。




    ◆




──私は未だ夢を見る。




    ◆




 一方的な展開はそこからはあり得なかった。

 二人共が相当に高次元で拮抗していたからだ。


 ただ、そこから最後まで鳴り響いていた熱狂的な歓声は、よく耳に残っていた。


「──"加護付加・色炎"」


 消えない炎、重い炎、何もかもに燃え移る炎と来て、またも彼女は新たな炎を生み出した。

 それは水の炎だった。水のような、ではない。波打って柔らかく流れた。

 それは風の炎だった。風のような、ではない。透明で軽やかに踊った。

 それは土の炎だった。土のような、ではない。微動だにせず、焦土を広げる。


 そして変わらずそれは消えず、重く、蝕む炎である。


「"混合・止界"」


 対して、フェンが綴った文字は"流"と"操"。

 無生物の全ての動きを封じる魔法。分子の振動まで止められた全ては凍てついて脆く崩れ去る。


 ここに来て、闘技場の地面は完全に崩落した。

 闘技場は一欠けらもなく、仄暗い穴の底がぽっかりと開いているだけ。


「"幻想郷"」


 ただもはや彼女の世界は、この世の一切を必要とはしていなかった。

 空中に広がった地面も草も、全て彼女の炎で作って余りある。


 そして、それはもはや風で避けれるものではない。真空で黙らせられる物でもない。

 波紋のように広がったその世界が、フェンの足元まで至った時。

 フェンは杖を構えていた。


「"理想郷"」


 それはノインの情熱的な世界に比べると、ひどく静かで何もなかった。

 あるのは二色。

 ずっと広がる新緑色の草原と、競い合うように広がる濃い空の色。

 ただ、静かにそれはノインの世界を押し返す。


 中央で二分された世界の境に、二人は歩み寄った。


 遠く離れていては埒が明かない。

 近付いて、触れ合えるほど近い場所で、勝負を決しようと。




    ◆





 どれ程、魔法を交換しただろう。

 どれ程、奇跡を繰り返しただろう。


 ただ一つ、思った事がある。


 ノイン・マド・トエルウル・オウズガルドは無敵で奇跡で最強で。何よりとても美しい。



「──"来なさい"」



 一瞬、意識が飛んでいた。

 攻撃が当たった訳ではない。彼女が新たに生み出したただ只管に高温な炎のせいだ。

 魔法で緩和してはいたが、それでも空気が焼け肺が焼け、頭が朦朧とする。



「"火ノ鳥(フェニキアクス)"」



 それは、最早当然のように発現した。

 未だ闘技場に広がったままの金色の切れ目が、更に大きく燃え上がったかと思うとそれは大きな翼となっていく。


 彼女の精霊獣は巨大な不死鳥だった。


 歓声が更に熱を増す。

 巨大な翼を広げるとすっぽりと闘技場は覆われた。


 抜け落ちた金の羽が、金の野に落ちた。

 そしてまた彼等は王の身許に黄泉帰る。



「────ッ!」



 フェンは呼吸よりも優先して、鉄の魔法を走らせた。

 鉄紐が、鉄鎖が、砂鉄の槍が空を裂いて走る。

 それぞれ千を越える鉄の従属は、穿ち切り裂き薙ぎ払う。


 しかし雨霰と降り注ぐその暴虐は彼らに触れることすら叶わず、叩き伏せられた。


 先程までの容易く御せた彼等とはまるでその"濃さ"が違う。

 魔法も技量も経験も、そして恐らく自我すらもその表情から伺える。



「──"戦刃万化"」



 それ等が全て、溶けて消えた。

 残ったのはノインの変わらぬ楽しくてたまらないと輝く笑み。第三者の介入を嫌ったのか、──いや。


 百数十人の英雄たちが経っていた場所には、それぞれの武器があった。


 槍であったり剣であったり、鎧であったりはたまた本であったりも旗などもあった。

 それら全てに"濃さ"は残って保たれている。


──"消えない炎は厄介ではあるが対処に困るものではない"。


 当然だった。

 あの炎は、彼女の本質の氷山の一角でしかなかったのだから。


 金色の剣と槍をノインは手に取った。それだけで、彼女の存在感は十倍にも二十倍にもなった。


 じわりじわりとフェンの理想郷は炎に浸食されていく。



(ああ──……)



 そんな中で、フェンは空を仰いだ。

 すぐに魔法で対応しなければならない所だったが、どうしても必要な事だったと後から思い返しても、そう思う。


 す、と少しだけ冷たい空気が体を巡った。


 思っているほどノインの反撃は驚かなかった。最初はノインの方がずっと強いと思っていたからだ。


 だから傷付いたノインが、こちらを見上げる様は思ったより応えた。

 それでも、続けた。止めなかった。もしかすれば死んでしまうような攻撃を何度も、何度も。



「──"さあ、千の杖に"」



 ノインは笑ってくれる。

 もしかしたら、その笑みはこちらのこういった心情ものを考えての──、いや考えすぎか。



「──"究極魔法アルテマアート"」



 対して、ユキネとはケンカした事がなかった。


 だからと言って仮初の関係だったとは思わないけれど。

 でも、それじゃ手に入らない物もあった。


 ユキネの後ろに付いて回っていた。自分は自己主張が苦手だったからだ。

 好きな所ばかり見ていたのは、きっと壊れるのが怖かったからだ。



虹色万華鏡カレイドスコープ"──!」



 言ってやるのだ。。

 今のユキネは大嫌いだと。


 自分の都合が悪くなったら嫌いだと言うのは、ひどく自己嫌悪に陥るけれど、本音だから。

 今まで手を引いていた人間が、我がままを押し付ければ嫌われるかもしれないけど。


 背後に帰る場所がないのなら、壊した向こうに行くしかないじゃないか。

 そしたらいつか、嫌いだと言った100倍好きだと言おう。ずっとずっと隣で好きだと言えればとても素敵だと思うから。


──世界が、ステンドガラスで彩られる。


 それ等は全て、更なる奇跡の予兆。

 反響して、散乱して、反射して、虹色の光は巡り回って形を変えていく。




「え────……」




 金色が虹色で埋め尽くされていく中、フェンは見た。

 笑みを無くして悲しそうに剣を構えるノインと、その左手を。


 左手にあった"命"の文字。

 "煌"から高位に移り変わったその文字が、"燃えている"。


 燃えて、灰になって、空気に溶けていく。


 見た事がある。つい先ほどだ。"煌"の文字から"命"の文字に変わったその時に。


 まさか、と思った時にはノインの進化は終わっていた。

 

 2度目の変化を遂げた"魂"の文字が、ノインの左手で厳かに光っている。



「──"流魂の彼方"」



 ノインが笑みを無くした顔のまま、ポツリと言った。

 世界が、金色の穂波に染まる。





   ◆




──私はまた夢を見る。


 いや、それは夢と言うよりは妄想と言うか。

 眠る前、まどろみながら色々想像して、そのまま夢に落ちる。


 最近まで見ていた昔の夢ではない。

 今の姿の皆がいて、でもやっぱりそこは馬車の中か、狭い宿の中。


 ぎゅうぎゅうに詰め込むように座っているものだから、体温が伝わって少し暑い。


 "フェンがいてくれて良かった"。


 そんな事を、私は言われる。

 申し訳なさそうに苦笑しながら、心から笑いながら、軽い調子で冗談交じりに、お酒臭い息でごまかしながら、優しく頭を撫でながら。

 夢の中の彼等はそう言ってくれる。


 私はあまり喋らない。明るくもないし、きっと何を考えているかも分からない。


 だから、そんな自分が頑張って頑張って頑張って。

 そしてまた、皆をつなぐ事が出来たなら、きっと喜んでくれる。



──分かっている。



 それは、皆が自分と同じことを望んでいる前提のものだし、何をどう頑張ればいいかも分かっていない。

 きっと口下手で鈍くさい自分は上手く何かを伝える事も出来ないだろう。


 だからこれは恥ずべき夢。

 自分の都合の悪い物を忘れ、良い物だけで作った愚かな幻だ。


 でも、最近何食わぬ顔でひょっこり帰って来た一人が、恥ずかしげもなく恥ずかしい事を言うものだから。

 恥ずかしいけど、舞い上がるように嬉しい言葉をくれるから。


 出来るんじゃないかと、欲張りになる。

 恥ずかしい夢だと思うのに、毎日毎日見てしまう。微睡む前に想像してにやけてしまう。


 少し前までは、元に戻るだけでいいと思っていたのに。それすら敵わないと諦めていたのに。


 近頃は、自分が皆を繋げられたらどんなにいいだろうと考えている。

 褒めてくれるだろうか。見直してくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。


 本当にそんな馬鹿な事ばかり。


 おバカが感染った。ワガママが刺激された。バカで幼稚で夢見がちな事だと分かっているのに。


 ああ、ああ、ああ、もう。本当に。

 貴方のせいだ。

 貴方がいつも、私を欲張りにさせる。


 


「────あ……」



 ふと、フェンはベットで目を覚ました。







急ぎ足過ぎたかなぁ……。

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