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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
257/281

気付けば世界は

25日に次話更新です。

➡ごめんなさい……。

 年内には、年内には必ず……!



フェンの元から放たれた、氷の鞭がリィラの首飾りを浚っていった。

後退した際に慣性に引かれた首飾りだけが、器用に宙を舞う。

それを足を止めてリィラは眺めた。


「あー……」


『それまで』と大音量で試合終了の声がコロシアム中に響き渡り、一瞬遅れて大歓声が轟いた。


「参りました」

「……そう」


へら、とふやけたような笑みでリィラが口にすると、対峙していたフェンは杖を下ろした。

偶然にもリィラがいる場所は積み上がった瓦礫の上。

闘技場の様子を一望する。とても20分前にいた場所と同じ所だとは思えないほどに荒れ果てている。


ふと、こちらに走ってくる救護班が見えた。

痛いところなど細かに聞かれたが、リィラは四人の中で唯一全くの無傷だ。

対して額に怪我をしているフェンの方には救護班は近寄らない。


そう言うルールだ。

このまま勝者の二人は治療される事無く、一旦退場することも許されない。敗者の二人が退場したその瞬間から、再び戦いが始まるからだ。


「────あ……」


アインが応急処置を施されながら運ばれていく。

リィラより先にフェンはそれを見ていた。しかしすぐに視線を逸らすと、額の上の傷を治していく。


「アインさん、治してあげないんですか」

「どうして?」


アインは強かった。

直接攻撃が得意とは言っても、齢800の老獪だ。他の多様な戦い方も保有していたはず。

ただ、最初の自暴自棄な特攻が悪手に過ぎたのだ。

──故に、そんなアイン相手にフェンが負傷するのはおかしな話だった。おかしな話だったが、しかし、納得できないものでもない。


決死で、痛みを噛み殺して、それでいて今にも蹲って泣いてしまいそうな頼りない表情は、リィラにも強く印象に刻まれている。


「リィラ・リーカー様。一度ご退場ください。精密検査がございます」

「わかりました」


長居は出来ない。

出口に向かいながら、何となく後ろ髪を引かれるようにフェンを見た。

空色の瞳はどこに向け場もないからと、じ、と流れる雲を眺めているようだ。


「フェンさん」


フェンが引けなかったのはきっと、相手に示すためだ。だから許してくれと、請うような行為なのかと。ふと、そんな事が頭に浮かんだ。


──視界の端で動いた何かを目が自然と追った。


観客席の、出入口。胡散臭い神様と偉そうな三歳児の横。

黒い外套が飛び込むように階下に降りるところだった。


「足を止める暇はないんでしょう」


アインたちの様子を湛えたようにも聞こえただろうし、フェンの意思を問うているようにも聞こえたかもしれない。

背を押したようにも聞こえただろうし、突き放したようにも聞こえただろう。


フェンはまるで反応を示さなかった。何かを夢想するように視線は空に消えている。


──眼中に無いと、彼女は言った。


あれはこちらに言ったのではない。

他の物はもう見ないと、覚悟を誓う言葉だったのかもしれない。


視線を少し上げると紅色の少女がその先に。リィラと同じくほぼ無傷。

獰猛な紅い笑みを、透明な遠い視線はまだ見ていない。


リィラが出口から闘技場を去った後、静かに戦いは始まった。





     ◆


    





試合開始に合図はなかった。

ただノインが前に一歩足を踏み出して、それだけで先程の戦いの余韻にざわついていた観客は固唾を飲んで押し黙る。


「────……」


剣を構えて、しかし彼女はふと気づいて剣先を少し下げた。

ノインの視線の先にはフェンがいる。

編み上げて研ぎ上げた戦意を解くと、ノインは溜息を吐いて剣を完全におろした。


すたすたすたと軽率な足取りでノインはフェンに歩み寄る。


「ちょっと、貴女ね」


す、と視界にノインが入り込んで、フェンは静かに視線を落とした。


「……ノイン、なに」

「なにじゃないわよ、ルール理解しているの?」

「うん」

「……あー、もう。この子は」

「ノインは、優しい」

「はいはい。仕切り直しよ。もう声かけないからね」


そうしてくるりとノインは踵を返すと、元の位置まで歩いて行った。

フェンはゆっくりと周りの景色を見渡した。観客は何のやり取りだったのかもわからずざわついてしまっている。


ノインまでの距離は10メートルほど。

彼女の背中には巨大な入道雲が立ち上っている。目が眩むような白と青だ。


「……ノイン」

「なによ、今度は」

「手加減しなくても、いい?」


きょとんと、ノインは表情を無くした。

その後、期待していた通り花が咲いたかのように晴れ晴れと笑ってくれて、フェンは少し微笑んだ。


「殺す気で来なさい。ぶっ殺してやるから」

「ノインが変態ちっく」

「ぶっ殺すから」


既に二人の間には巨大な魔力が渦巻いている。

魔力と魔力がせめぎ合う二人の中間では、瓦礫が震え、砂利が行き場を無くして宙に漂い出していた。


「笑った顔初めて見たわ」

「そう」


ノインが走った。

いや、走ると言うよりは飛ぶと言った方が正しい。

魔力を伝いやすい紅の宝剣から炎を噴き上げて一瞬で間合いを詰め、足を止めた瞬間吹き上がる炎は剣自体の推進力に代わり敵を裂く。

愚直ではあれど、強く速い高度な一撃。


残るのは線状の残り火と、敵の亡骸。

"切り捨て残火"と称えられるノインのこの技を防ぐ事が、フェンがノインと渡り合う上で必要不可欠だろう。


ノインの太刀は空を切った。

他者からどういわれようと、ノインにとってはこんな一撃は様子見の小手技でしかない。

しかし、一瞬でノインは敵である少女の認識を改めた。


(見失った……?)


こんな技が通じると思ったわけではない。

ただ、体技に劣るフェン・ラーヴェルが自分の目を振り切って姿を消した事は予想外。



「──"いつも私は嘆いてばかり"」



とん、とノインの背中で声がすると同時、背中に何かが宛がわれた。

ぞわりとそこから寒気が全身に広がる。


地を蹴った。

残火の軌跡が走り、ノインは一息に二十メートルほどを飛び退く。

瓦礫を吹き飛ばしながら、荒々しく態勢を建て直す

敵を視認しようとして、──そして、再度背中に何かが振れる感触。


「──"轍のように泥の跡。身よ穢れ心よ爛れ"」


ノインは巻き上げるように回転しながら背後に剣を振りぬいた。

当たり前のようにそこにフェンはいない。


見れば今度は遠く離れたコロシアムの中心にいる。


避けられた。

受けられた訳ではない。また、ノインの目は"人たる由縁を見る魔眼"となっている。幻影を見たわけではない。

フェンに、"技の発動を見切られて、躱された"のだ。


──それは事実上、彼女が卓越した"目"と"機動力"を有している事になる。

驚くべきはその練度。あのハルユキを相手にした時ですら、姿を完全に見失った事はなかったはずなのに。



──ぼう、とフェンの体の周りに虹色の種が浮いた。

一つ、二つ、三つ、──二十を超えた辺りで未だ増え続けるそれを数えるのを放棄した。


一粒で厄災を咲かせるあれを、まるで無動作で奮う。

二年前と比べて一番著しい変化を遂げたのはきっと彼女なのだろうとノインは思った。


「────あはっ」


──この数時間で、何度彼女の認識を改めただろう。

決して過小評価していなかったノインでこれなのだ。観衆や国の要人などならなおの事だろう。


彼女の小さな姿が、雲を衝く大山と重なって見える。


最初頂上だと思った地点は塔の昔に通り過ぎた。

そしてまた、頂上だと思って見上げた場所は今まさに雲が晴れ、中腹の山肌が見えた所。


頂上はまだ。はるか高み。


──ノインは自然と笑みを作った。


決してフェンを殺したい訳ではない。

ただいつであろうとノインはノイン・マド・トエルウル・オウズガルドでなければならない。


制約ではない、束縛ではない。己で掲げた誓いである。

それ故に、敗北は友を殺す事より許されない。


それでも願いは、誓いとは別の所に息づいている。それ故に──。



「──"貴女はどうか死なないで"」



誓いも願いもその手から零れぬように、彼女は死ぬ間際まで笑うだろう。


彼女達は異質である。

その異質は未だその片鱗を現したのみ。


片や万と折り重ねられてなお透明な叡智の申し子、片や歴史さえ平伏す燃え盛る魂の王である。


「──"幻想郷"」

    

手始めに広がったのは金色の野。戦士が夢見る戦場の果て。

それならば、彼女達に踏み荒らされる舞台として何とか間に合うだろう。




     ◆

   



リィラは急ぎ足で控室から廊下に出た。


そのままコロシアムの入口で見ていてもよかったが、少し見たい顔があった。


しかしあれだけの人間が集まっていると言うのに、廊下にはまるで人の気配がない。

不思議ではなかった。誰もが集っているのだ。


ともかくだ。

目的の場所は先程確認した。何故だかそばにクイーンもいたが、なぜ負けたと叱られるかもしれない。


などと思って早足で歩いていると、目的の方からやって来た。


「よう、負けたなぁ」

「……何でそんな嬉しそうなんですかね」


白いお面に白い外套を纏ったどう考えても頭がおかしい風貌の男が弾んだ声で話しかけて来た。

じとりと、左目だけでそちらを睨む。


「いやあ、リィラさんには日頃お世話になっているので贈り物もやぶさかではなかったのですが」

「ぶっ飛ばしますよ」

「あれ? クイーン? 今何時?」

「十一時半」

「おやおや? お昼時ですね。ね? リィラさん」

「ぶっ殺しますよ?」


じとじとじとじとときつい視線を向け続けるが、男は気に留めようともしない。


「ちょっとは慰めるとかないんですか?」

「わざと負けた奴にか?」


少しだけどきりとした。ばれてるだろうなとは思っていたので、少しだけだ。


「……はい。ごめんなさい」

「いや、別に怒っちゃいねぇけど。見えてたのか?」


とんとん、とハルユキは右目の上を指で叩いて示した。

別に誰に分かってもらおうとも思わなかったが、どうももう少し自分は意地汚いらしい。へにゃりとリィラは口元を綻ばせた。


「まあ、これが一番良いかなって思っちゃって」

「……ばかたれめ」


横柄な口を追って視線を下げると、クイーンがじろりとこちらを睨んでいた。

予想は当たったらしい。苦笑いしながら、頬を掻いた。


「クイーン、ごめんね?」


ふん、とクイーンが鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「負けではない。エルゼンの民は命ある限り負けはないのだ、ばかもの」

「うん」

「……師匠が相手ではしょうがない。しょうがないがっ」


ぐすりと、クイーンはこっそりと鼻を啜った。

ハルユキは小さく溜息を吐いて、リィラは少し目を見開く。しかしすぐにしゃがみ込むとクイーンに顔を近づけた。


「……次は本気だぞ」

「うん」

「絶対だぞ」

「うん」

「そうすれば、負けないだろ?」

「うん、負けないよ」


リィラがクイーンの頭を抱き寄せると、もう一度鼻を鳴らして、クイーンはリィラの腕の中に鼻を埋めた。


「……そっちの人がちゃんと応援してくれたら、もっと負けないかな」

「なにぃ?」

「……おーい」


がばりとクイーンが顔を上げる。

突然話をふられたハルユキはばつが悪そうに言葉に詰まり、そして溜息を吐いた。


「悪いが、今日はフェンの応援だ」


予想できていた言葉だったので、特に衝撃もなくリィラにも笑みが浮かぶ。


「いえ。フェンさんの試合が始まってるのに、様子を見に来てくれただけで、嬉しいです」

「……あっそ、なら行くぞ」

「あ、僕も行きます」

「良いのか? あのアイン達には会わなくて」

「うーん、て言うか、その。……始めちゃったので」

「……」

「はじめる? 何をはじめたんだリィラ?」

「……キャベツ畑の種まきだよ」


さておき、さておき。早足で歩くハルユキに続きながら、リィラは口を開いた。


「お昼、何が食べたいですか?」

「お肉を。お肉をお願いします」

「良いですよ。上手く作れるかな……」

「……え? 作る?」

「そりゃ作りますよ。神様の食事一週間分なんて外食じゃ賄いきれる訳ないじゃないですか」

「えー……」

「えーとか、酷いなぁ……」


ぶすり、と唇を尖らせるが、ハルユキはと言えばその表情を覗き込んだ後さらにどんよりと表情を曇らせ、長い長い溜息を吐いた。


「……」


ちょっぴりむかついたので、膝の裏を蹴ってやろうとして、ひょいと避けられた。


「……じゃあ一緒に作るかぁ」

「え?」

「だってお前料理作れないじゃん……」

「スープぐらい作れますよ……」

「エルゼンのあのうっすいのはスープじゃなくてお湯ですー」

「なんて事言うんですか、もう」


ただまあちょっとそれで笑ってしまって、うやむやになった。


「おい! 何してる! 早くしないとししょーがあのクソ女を倒すところを見れないじゃないか!」


いつの間にかダッシュで先に行っていたクイーンが観客席への入口から顔を出してばっさばっさと手招きをしている。


「クソ女って」

「あいつノインに、しこたまイジメられてたからな……。よし」

「え?」

「そうだ! あんな横暴な魔女は打ち倒せ! 行くぞクイーン! 被害者の会を設立する!」

「うおおおおおおお!」

「おらああああああ!」


バカ丸出しで叫び散らしながら客席に突進する二人とは知り合いとは思われないよう、とりあえず足を止めた。


「……さて」


足を止めた理由──と言うよりはここまで足を運んだ理由のもう一つが、向こうからやって来た。

静かに金糸のような髪を揺らしながら、彼女は此方に気付いてふと足を止める。


「こんにちは」

「良い試合だった。リーカー殿」

「嫌味ですかね」


当然、次の試合の選手が控室にやってくる。


「本当は貴女を潰してやろうって言うのも、目標の一つだったんですけどね」

「そうか」


足を止めたのは一瞬だ。

リィラの嫌味など気にも留めないように、彼女は隣をすり抜けようとする。分かりやすい人だと思った。足を止める言葉も簡単に思いついた。


「そう言えば、貴女の友人は強かったですよ」


ほら、ぴたりと足が止まる。顔もこちらを向く。ただ、あざ笑うような表情だけが予想外だった。


「強い?」


彼女──スノウはそう言って小さく鼻で笑った。それが気に入らず、リィラは眉根に皺を寄せる。


「君は分かりやすいな」


もう一度小さくスノウは鼻で笑った。笑ったとは言ってもその表情に笑みがある訳ではない。

ただひどく透明で、何も見えない表情だ。


「弱いよ、あれではな」


ぽつりと零すようにスノウはそう口にした。

客席の方から差し込む光と影の間に立っていて、その表情は隠れている。


「先程の試合で、彼女は間違った認識を持たれただろう」

「え……」

「他の出場者と肩が並んだと。勘違いも甚だしい事にだ」


スノウは途中で言葉を止めた。

ふと、視線を観客席の方に向ける。リィラもすぐに異様な空気に気が付いて、弾かれるように顔を上げた。

観客席が静かになったようだ。また何かに言葉を奪われているのだろうと、察しを付ける。


「……そうか。相手はノインだったな」


静かにスノウはノインの名を口にした。中空を見つめるその顔は、何かを想い起こしているように見えた。


「そうか……。そうか、あの二人か」

「良く知っている二人だそうですが」


一度こちらを見ると、スノウは止めていた足を再び進め始めた。こちらの言う事は無視する事にしたらしい。


「弱いんだ、あれでは」


突如、スノウはもう一度言った。

もどかしさを感じているのか、あるいは観念して零したようにも聞こえる。

明後日の方向に隔てる二つの印象からは、とても後姿のスノウの表情は想像できない。


「……フェンさんじゃあ、手も足も出ないって言うんですか」

「違う。だから、甚だ間違っていると言ったのだ」


──リィラの言葉にスノウが眉を潜めた、その瞬間。とんでもない爆音が響き渡った。

空気の砲弾が直撃したかと思うほどで、比喩ではなく吹き飛ばされそうな。とてつもない轟音だった。


「……見てくればいい。直ぐに分かる」

「え?」

「あんなものじゃない。ノインは紛れもない天才だ。傑物で、怪物だ。だが彼女は、フェン・ラーヴェルは──奇跡だ」


振り返った時には、スノウの背中は更に遠くなっていた。


「そして、世界で一番の魔法使いだよ」


遅れて先程の轟音が数万人の歓声が重なったものだという事に気が付いて、リィラはスノウを追うのを止めた。階段に足を掛ける。


轟音は未だ鳴りやまない。自分の足音すら耳に届かない。

それなのに、リィラの耳がスノウの声を拾った気がした。もう一度振り返る。スノウの姿は見えなくなっていた。


観客席に辿り着くと、総立ちで歓声を届けようとする数万人が躍動していた。


入口から少し言ったところに、神様と肩車されているクイーンがいた。


「……分かりやすいのは、どっちだ」


周りの人間達と同じように、驚く事すら忘れてリィラはその光景を見た。





    ◆





ぶわりと、黄金の野が広がった。


狐が、鳥が、蛇が、草葉の陰から顔を出している。

こちらを覗く目に宿っているのは好奇心だ。黄金郷に迷い込んだ間抜けを物珍しそうに見つめている。

魂の原風景に似ているのだろう。郷愁の思いがこみ上げて、一瞬言葉を忘れてしまいそうになった。


──いや、ことフェン・ラーヴェルに限って言えば、それはもっと現実的な物だ。


二年前、オウズガルの闘技場で同じ物を見た。

安全な観客席でこの野を走る二人の友人を覚えている。胸に去来した思いも、握りしめた杖の感触もまるで色褪せていない。


同じ場所に立っている。

それだけで満足してしまいそうになる自分を確かに感じている。


邪魔なこの感情をそっと放ったまま、フェンは前を向いた。



羨むだけでは届かない。好きになるだけでは届かない。

届かない、届かない、届かない、届かない。これまで自分は何一つ。自分で何かを勝ち取った事がない。


──挑戦が必要だ。

彼女達に声と手が届くその場所まで、息を止めてこれより走る。


「……今から、行く」


聞こえてはいなくてもいい。待ってくれていなくてもいい。


「"戦陣戦端"」


展開したのは鉄の紐とそれに繋がる錘。


「──"神縛り(グレイプニル)"」


先程の鉄の鎖に比べると、細く頼りない。ただ、その数は鎖の十倍。精緻さは比べるべくもない。

先程のが群狼だとすると、早く多いこの鉄の紐は群虫だ。


──走れ。

わざわざそう口に出すまでもなく、それは一斉に動いた。間欠泉のように一度上空に伸びてから金の野に。

金の野に潜り込み、あるいは蛇のように、鳥のように、獣のように。


「──46」


至る所で金の獣たちと鉄縄がぶつかり合った。

100の内46が打ち負けている。が、まずは上々、問題ない。


目を向ける事はしない。

こちらをひたすらに見つめ続ける情熱的な視線に応え続けている。

胸の丈ほどの金の葉が揺れる場で、まるで身を隠そうともせず歩み寄る女がいた。


「────……」


言葉はない。ただ猟的な好奇心に満ちた笑みを浮かべている。

知っている表情だ。その笑みが自分に向けられている事が少しだけ誇らしい。


──一瞬。

ノインの姿がフェンの目の前に移動した。

先程より数段速い。それもそうだろう。いまこの黄昏の世界は全て彼女の味方だ。


しかし、驚いたのはノインの方。

目前まで迫られたフェンが、ノインを目で捉えたうえで後退しなかったからだ。


ただし剣は淀みなく走った。響いたのは金属音。驚いて、理解して、そして再びノインは笑う。


「この、ぐーたら娘……」

「うるさい」


ひゅ、とノインが息を吸って、止めた。

1、2、3、4、56789、101112、13141516171819202122232425262728。


──都合28連撃。

タイミングを変え、緩急を織り交ぜ、炎で無理やり軌道を変えた。

技術と発想と魔法をも織り交ぜた至高の連撃。──それすらも、フェンの体には届かない。


「──"穿て、裂け"」


フェンには細剣を持ち上げる腕すらない。しかし、魔法があった。

歩き続ける足もない。しかし、魔法があった。

10秒間走り続ける心肺能力もない。しかし、魔法があった。



「──"血喰いダーインスレイヴ"」


それは剣と言うにはあまりにシンプルな鉄の棒。

静かに規則的に廻っていたそれが、フェンに命じられて剣となる。


同じく28連撃。3メートルはあるそれが互いに一切ぶつからずに器用に廻り、ノインを打った。


「────っ」


ノインの体が弾き飛ばされる。

一度地面に強く背中を打つが、金の野が衝撃を和らげ一瞬で体勢を立て直した。

ただ、その頬には大きな擦過傷が走っている。


「……冗談でしょ」


傷が問題ではない。

如何なノインと言えど、遠距離の魔法の身でフェンを打倒するのは難しい。

故に近距離。近距離が弱いからこそフェンは弱くみられていた。




「──"移動ルート"」




それなのに、彼女はむしろ自分から渦中にその小さな体を投げ打ってくる。

忽然と消えたその体はノインの背後に。

反撃は届かない。それどころか振り返る事すらままならない。


直感で背中に回した剣の腹ごと叩く衝撃が叩き込まれた。今度こそ無様にノインは吹き飛ばされる。



「……ノイン?」



仮に近距離をノイン以上に戦えるのなら、おおよそ彼女に敵はいない。

弾き飛ばされたノインを、フェンが戸惑ったような表情で見つめていた。


「そんな目で、見るんじゃないわよ……」


ノインは剣を持ち上げて、フェンを見た。

こうして対峙してみるとよく分かる。小さな体など今や見えない。


魔力は血。空気に流せば肺に。地面に流せば足に。雷は神経で、水は腕で火は息で。

そして、フェン・ラーヴェルが心臓に位置する。そんな巨大な化物を幻視した。

その小さな体に入っていたとは信じがたい膨大な魔力は、隠れる事無く現れて世界を侵している。


「ああ……」


──この数時間で、何度彼女の認識を改めただろう

──こうして対峙してみるとよく分かる。彼女は──。


「……私より、強いのね」


雷も雨も、剣も鎧も、空気も海も、時間も世界も。全て魔法で出来ている。

剣を振るより、歩くより、呼吸するより。己は魔法が得意なのだと気付いた時、世界はフェンの手の平の中に収まっていた。


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