8人
「ん?」
「おお」
「こんにちは」
ナミネに呼ばれた席に行ってみれば、ミコトがナミネの隣の席に座っていた。
無骨な石の床だが一応は絨毯が敷かれ、ソファが置いてある。あまり上等ではないようだ。
「お忍びなので」
まあ屋根があるだけで十分すぎるが。と。ハルユキはコロシアムに集ったとんでもない数の民衆を見ながらそう思った。
うようよと虫が蠢いているようにすら見える。
「しかし、これでも見れない人多くありませんか?」
「街の至る所で見れるようにしてる」
「と言うか、何故ここにミコト様が?」
「……ここが設営席だからだ。場違いなのはお前だよ」
ミコトは特に皮肉気に言う訳でもなくただ淡々と説明を終えて、服の襟に顎を埋めるように脱力して大欠伸をした。
「眠い……」
「今日は涼しいですからね。朝は少し寒いほどでした」
「ここに座ってろ」
「おや、意外なお誘い」
「簡単な話だ」
当然ながらハルユキはそれに素早く気が付いた。単純な事だった。理解をしたのでとりあえず用意されていたソファに深々と腰かける。
「マメクソォ──!!」
雷のような怒号と共に巨大な人影が部屋に突入してきた。
扉を押し広げるように部屋に入ってくる男は上背3mはある。室内で見ると改めてその巨躯の異様さが際立っている。
だというのにミコトは眉一つ動かさず、眠たげな顔のまま。入って来たそいつに視線を向ける事すらしない。相変わらず大した肝だ。小さく口だけが動く。
「どうした、人類もどき……」
「これはこれは、ヴァスデロス閣下」
「貴様等! 揃いも揃って騙くらかしおってェッ!」
「何の事でしょう」
「今のは猿語で"こんにちは、ご機嫌いかがですか"と言ったんだ。挨拶しとけ」
「猿語で? 何と言うのでしょうか」
「"臭くて煩くて場所を取る猿に屋根と壁は贅沢だ、速やかに野に帰れ"と言えばいい」
「ま、まあまあ。お三方とも落ち着いてください。どうされたのですか、ヴァスデロス閣下」
ナミネが間に入って暴れ出しそうなヴァスデロスを制した。
「どうしたもこうしたもない」
「参加者の話です、ナミネ様」
「参加者、ですか?」
「はい」
返事をすると同時に、ハルユキは大きな紙を取り出して空中に広げた。
その上に今回の参加者の顔写真をプリントする。
「……おい、何だこりゃ」
「まあこれが何かはいいじゃないですか。とにかくですね、顔ぶれを見てくださいナミネ様」
「……っち」
解説を待たずにヴァスデロスが腹立たしげに出て行った。まあ別に追う事もないだろう。
「あ」
「お気づきですか」
今回出場しているのは、ノイン、フェン、タツミ、ユキネ、アイン、リィラ、アラン、ヴァスデロスである。
女、女、女、女、女、女(に見える)、中性的な男、ゴリラ。
王女、少女、美女、王女、美女、美丈夫、3メートルのオッサンゴリラである。
住む世界が違うと言うか世界観が違うと言うか、画風が違うと言うか。
絵面がやばい。大人げないとしか言いようがない。
ヴァスデロスでなくともおっさんならばこの面子に入るのには抵抗があるだろう。自分だっていやだ。
「順位は?」
「ヴァスデロスが一位だ。あれは民衆に受けがいい」
「お見せ頂いても?」
ミコトは黙って懐から取り出した紙をこちらに寄こした。
「お前の予想は?」
「タッグマッチですので簡単ではありませんが。これは……」
明日に全軍での演習行動を控えて、なるべく短くそれでいて単純でない仕様として提案された試合形式がタッグマッチ。
それに加えて運営主体の簡単な賭け。そのレートに応じてタッグを決める。
賭けの期限が昨日と今日の変わり目なので、必然タッグは先程決定したばかり。賭けの相場は混迷を極めた事だろう。
そしてその結果が──。
一位 "戦猛"ヴァスデロス・ロイ・サウバチェス 230015票
二位 "鬼の仔"スノウ・フィラルド・ボレアン・メリストエニス・ド・メロディア 110997票
三位 "紅蓮姫"ノイン・マド・トエルウル・オウズガルド 100027票
四位 "一人目"アイン・ビッグフット 82240票
五位 "隻刃"リィラ・リーカー 48419票
六位 "虹色"フェン・ラーヴェル 36675票
七位 "龍谷人"タツミ・コウリュウ 8021票
八位 "魔法使い"アラン・クラフト 927票
「──これは」
「大衆は結局悩んだ末、己の好きな奴に投資したのが大多数だったか。まあ、賭け金も少ない。遊び感覚でっていう狙いが当たったかな……」
日夜、ケンカと酒に明け暮れ街を練り歩いたヴァスデロスが親近票をとったのか。
二位から四位は有名票。
五位のリィラは有名にはなったものの、どうしても半信半疑なのだろう。
六位のフェンは金を賭けるにはどうしてもその見た目がネック。
七位のタツミは龍の血を引く存在だ。"そういう"感情が蔓延している中、よく集まった方だろう。
そして八位にアランに関していえば、一般人には"誰だそれ"という感覚でしかない故に、と言ったところか。
まあつまりチームとしては
"戦猛""魔法使い"チーム。
"鬼""龍"チーム。
"紅蓮""虹色"チーム
"一人目""隻刃"チームになる訳だ。
「予想は付きませんが、それでも優勝候補筆頭がばっくれるはまずいでしょう」
「まあそれは何とかなると思ってるんだが……どうだろうな。まあ全部あのゴリラに押し付けるさ」
「……あの、タッグでの試合となると、優勝者は二人という事になるのでしょうか?」
「いやそうじゃないよナミネ殿下、……ああ、もう始まる。説明があるから聞いていればいい」
そう言うと、顎でしゃくる様にミコトは舞台の方を示した。同時に歓声とどよめきが会場中から沸き上がった。
「っ……」
肌に痛いほどの熱気にハルユキが鼻白む中、それに直接揉まれている彼等は揚々と入場していた。
◆
選手控室はさながら凍土の様に冷え切った空気が沈殿していた。
無表情の者、楽しげに目を輝かせている者、静かに瞑目している者、そわそわと場の空気を感じて落ち着かない者、そもそもやる気無さげに寝息を立てる者。
そのどの様子もが、この場の強張った空気を作る一助となっていた。
「時間で、す」
そこに入室してきた兵士達が、臭気に鼻白むように半身を引いて表情を強張らせた。
「ヴァスデロス殿がまだ参られていないが。やはりお越しにならないのだろうか」
この中は一番年長で落ち着きを保っているタツミが口を開いた。
ようやっと水面に顔を上げたかのような顔で、兵士はタツミの方を向いた。
「まあ、この面子だとね。タッグ戦って聞いていたけど、私が一人をやりましょうか?」
「あ、い、いえ。代役が立てられるとの事なので」
「ああ、そうなのね」
「ヴァスデロス殿と武を競えないのは残念です。彼もまた歴戦の士と聞いておりました」
「あいつのは武なんてものじゃないわよ、タツミさん」
「いえ、何でもよいのです。私が欲すのはただ彼の武名のみですので」
タツミの表情は変わらない。ただ微笑み細めたその瞳の奥には何か老獪な物すら感じさせた。
「……その心は?」
「私に流れる龍の血は否定できるものではなく、それ故に民衆に受け入れられるは難しい。と最近さる方にご相談をしました」
「……?」
「"ならばいっそ悪目立ちをしてやればいい"と。そうする事で危機感を与えてやれと。なるほど確かにそれは私にしかできない事だと納得しました」
気付けば部屋中の視線が語るタツミを向いていた。
勘付いていたからだ。これはただの会話の延長にあるものではなく、もっと明確な敵意を示すものだと。
「答えになってないわ」
「皆さま揃って御覚悟を。先に行っております」
彼女は翼を広げた。
その途端に表情を強張らせた兵士達に拳を合わせて会釈をした後、彼女は前を向いた。
鱗を晒した。尾をぞろりと地面に這わせた。恐らくは本来のままの格好で、彼女はその場を後にした。
「何だか凄い人ね」
対して、ノインはそんな感想だけ残してタツミの背中に続いた。
駆け出すようにしてアラン・クラフトが、欠伸交じりにアイン・ビッグフットが、もう一度だけ残った顔ぶれを見て次にリィラ・リーカーが。
「……」
そして残った二人の内の一人が立ち上がった。
表情は変わらないし、これと言って感情が波打ったわけでもない。二年間も不仲を続ければ、大抵の物は擦り切れる。
彼女達の間にあったものも例外ではなかった。
「……昨日、思い出した」
ぽつりと零した声に返事はない。
ただ、言葉を発した当人もそれを気に留めていないようだった。
「二年前も、私は、ユキネと戦ってみたかった」
「すまないが、私はそんな事を思った事がない」
それきりでおおよそ一か月ぶりの会話は終わった。
いつの間にか彼女の背中から気配は消えていて、部屋の中に兵士さえいなかった。
そう言えば兵士が怯えるように催促をして、それに簡単に返事をしたか。待たせているようだ。一人になってから少し時間が経っている。時間の感覚が曖昧だった。
立ち上がる。舞台に続く廊下に目を向けた。
「……一度もないよ」
ゆらりと立ち上がった。何事も垣間見せる事はない。
高々と踵を鳴らしていつものように真っ直ぐに。眉根を寄せたままなのは、向かう先が憎いからか眩しいからか。
表情を強張らせた兵士の前を通って、彼女は衆人環視の中に身を晒した。
熱く燃え滾るような、ぐつぐつと煮え沸くような熱気が背後へと流れている。
『スノウ第一殿下の入場です──』
水を打ったような──と言うよりは。
彼女が現れた途端に広がっていったその畏れと静けさとは、しんしんと降り積もる雪景色が音と熱を吸っている様だった。
あまりに嫌われているので主に城から出るのは夜と龍が襲撃してきた時のみ。
再三の抗議の声にもまるで耳を貸さず、姿を見せない。
そもそも龍の襲撃に合わせて二年前に突然現れた女王の直系で、百の龍を単騎で殲滅する少女で。
あまりに都合の良い存在に、その存在が最初から架空の物ではないのかと、そう言われる事すらあった。
加えて、絵画の様な美しさが遠目からでさえ畏れ深く。それらの全てが相まって、相まって、相まって、相まった先に誰もが言葉を失って、彼女の独壇場は出来上がっていた。
沈黙の雪の上を、彼女は行く。
『──拍手を』
スノウが他の出場者と並んで動きを止めてから、落ち着いたアナウンスが観客に声を掛けた。
びくりと、そこにいた人間のほとんどがその声で我に返った。
ただ、突然の事で拍手はぱらぱらと鳴っただけで尻すぼみに消える。
『では、これで出場者の入場を終わります』
ところがその言葉で静けさは破られた。
観客がざわめき始めた理由は一つ。場にまだヴァスデロスが出て来ていないのにお披露目の終了を告げられたからだ。
ところがアナウンスは観客の動揺などどこ吹く風で説明を述べていく。
『次にルール説明。事前に伝えてあった通り、ここにいる8名でタッグチームを組んで戦うわ。2対2で2試合。勝敗は各人が付けた首飾りの破壊または奪取。殺しは駄目』
スノウの登場の余韻もあって皆は比較的大人しい聴衆を装ってきたが、疑問が伝染するように繋がって囁きはざわめきとなっていく。
それがコロシアムの半数にも至ってしまえば、それは怒号やうねりの様にしか聞こえなくなっていく。
『そして2対2の決着がついた後、勝ったチームの首飾りが2つとも残っていれば、その場で今度はチームお二人で戦ってもらうわ。その後、勝ち残った一人同士で決勝と言う流れ、何だけど、……聞いてる?』
いよいよざわめきがアナウンスの声を通せんぼし始めたので、とりあえずの説明を終えて吐いたため息がアナウンスに乗った。
『──うるさいわよアンタ等。黙って聞きなさい』
不満が一つに集っているのに、その真ん中でそんな言葉が吐き捨てられた。
ひゅっと、とんでもない数の人間が息継ぎをした音がした。そして次の瞬間に轟いたのは、正真正銘の怒号である。
「どうすんだ、これ……。やらないなら帰って寝るぞオレは……」
アインがやる気無さげに欠伸交じりで雨のように降る罵声を見上げるようにした。
主にヴァスデロスに金を賭けた酒臭い男共の声だったので、かなり口汚い言葉が飛び交っている。
「────……」
能面のような顔で、一人の女が客席に向かって歩き出した。
ヴェールで顔を隠した黒子の女だ。
アナウンス用の魔石を放り捨てた所を見ると、それが先程から試合説明をしていた人間だったことが分かる。
会場の何割かがその女の動きを目で追っていたが、次の一瞬には誰もがその姿を見失った。
何十mを移動して、客席の縁に足をかけていたからである。
「五月蠅い」
驚いたのは突然目の前に現れた女に首根っこを摑まえられた観客の一人である。
一際口汚い言葉を吐いていた男だった。
問答無用で舞台に引きずりおろされ、そしてそのまま引きずられていった。
客席が安全圏ではない事をその行動は示していて、勢いと一緒に観客の血の気が引いていく。
再び女が元の位置に戻った時には怒号の一切は消えていた。
『何か言いたい事があるなら、言いなさい』
『ヴぁ、ヴァスデロス様はどうした、……の、ですか?』
『ああ、貴方、あの人に賭けたのね』
『は、はい……』
男は風体から見ても先程口走っていた暴言を見てもとても人を敬うような人間ではなかったが、明らかな恐怖がそうさせる。
『は、8人いなければ、先程の試合は成立しないのでは……』
『いるじゃない。1、2、3、4、5、6、7……』
その指は順に参加者を指していって、観客の視線もそれを追って移動していく。
『8』
そして女が自分を指すと同時に、にぃ、と口元を曲げた。ヴェールを取り去り、その正体を白日の下に晒す。
「ほら、ね、8人」
──ウィーネ・アムリゴーシュ・ナイチンゲイル・ド・メロディア聖猊下がひょっこりと顔を出した。
歓声が畏れと沈黙に、それから囁きに、そしてざわめきになって、怒号へと変わっていった観客の声が、再び歓声となって轟いた。
◆
地鳴りのように鳴り響く歓声に耳を塞ぎながら、ハルユキはなるほどと呟いた。
「うまく煙に撒けそうですね」
「まあ、腐っても自国民だ。信頼もかなりあるからな、文句はないだろう」
"神の血"などと言う名が台頭してきて、忘れかけられていたが彼女もまた"最強"と囁かれる一角である。
表立った露出は減って、"魔女"という端的な異名が老い始めていようが、観客を盛り上げるには十分過ぎるようだった。
『じゃあ後は実行委員のサイザキミコト氏に受け継ぐからー』
演出からすべて打ち合わせ済みだったのだろう、ほぼ同時にミコトがそそくさと立ち上がった。
『では第一試合、フェン・ラーヴェル、ノイン王女殿下、リィラ・リーカー氏、アイン・ビッグフット女史の4名は試合の準備を。他4名は控室に戻ってくれ。直ぐに試合を始める』
つつがなく進行は続いていくようだ。ならば試合まではあと5分ほどだろう。
(それにしても……)
中々濃い面子だが、フェンは大丈夫だろうか。
リィラやノインが心配じゃないと言う訳じゃないが、やはり一番この試合に入れ込んでいるのは彼女だ。
確かに魔法技術は屈指のものだが──。
「死ぬんじゃないのか、あの身の程知らずのちっこいのは」
先程からどかりと地べたに座り込んでいるヴァスデロスが、ぼりぼりと籠一杯のスペアリブを骨ごと齧りながら詰まらなそうに言った。
選手の入場の際に戻って来たヴァスデロスは、そのままここに居座っていた。
そのでかい両手に大量の酒樽と肴を抱えてだ。
「……しかし、フェンさんには魔法があります」
「んなもんは4人ともあるんだ。ナミネ様よ」
フェン大好きっ子のナミネがすかさず否定したが、それもすぐに否定し返された。
「んで、あのちみっ子には"体"がない。仮に"技"があり"心"があったとしても取り返せる次元ではないわなぁ」
ほいほいと大きな口の中にスペアリブをそのまま2~3本放り込まれた。
「どう見る、ヒルよ」
ヴァスデロスは手は食事、視線はつぶさに闘技場を眺めながら背後の入口横に立つ男に水を向けた。
目を伏せていたヒルはゆっくりと顔を上げると、ミコトの方を見た。ミコトは今にも寝入ってしまいそうな顔のまま微動だにしない。
それをどう受け取ったのか、ヒルは再び目を伏せてから口を開いた。
「お前の言う通りだろう。ただ、危険はむしろ無い」
「……ああ、まあそうかもしれんなぁ」
ヴァスデロスに賛同するようなヒルの意見に、ナミネが悔しそうな顔をこちらに向けた。
何か反論してくれとばかりの顔だったが、"シン"としてあまり肩を持つのもよろしくない。
(……まあ、確かに)
フェンは強い。素人目にもあの魔法は本当に大したものだ。
ただ一つの武器だけでは限界がどうしても出てくるし、今回の闘技試合はオウズガルのものと違ってかなり高水準である。
比喩ではなく瞬き一つが命取りになるやり取りの中で、フェンは明らかに劣っている。
目を細めてフェンの様子を観察する。
ただあの無表情の機微を遠目から判断するのは少し難しい。
「……何にしても、すぐに分かりますよ」
ハルユキは深く椅子に腰を落ち着かせた。眼下の舞台では4人が所定の位置に付いた。
ちょっと最後を変えました




