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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
252/281

今は結末の後

すいません、今月1話です。



 時は日付が変わる五分前。

 オウズガルの大使館にこそこそと忍び寄る人影があった。 


 言うまでもなく、皆が寝静まったのを見計らって屋敷を抜け出してきたハルユキである。


「何でこんな間男みたいな真似を……」


 ぶつくさ言いながら辺り一帯を歩き回る。

 意外に見張りが少ないのは、ノインが気を回してくれたのか。

 "世界会議"でも最後まで浮動票を貫いたノインにこれと言って敵が少ないせいもあるかもしれない。


「というか、どの部屋にいるのかもわからん……」


 とりあえず黒っぽい外套を頭から被って外壁の周りを一周して侵入のあたりを付けた。

 地を蹴って外壁に足をかけ、もう一度。今度は屋根まで跳躍する。


 勢いを殺しながら着地して、屋根の上を歩きながら少し辺りを見渡した。

 見つかってはいない。が、ヒントになるようなものを用意してくれている訳ではないようだ。


 風が吹くが、もう冷たくはない。夜闇の向こうにごつごつとした雲があった。夏が迫っている。


「……しゃあない」


 小さく息を吸って、感覚を研ぎ澄ませる。

 かなり広大な屋敷だが、使用人の数は十五人ほど。夜勤の防衛兵数人以外は休んでいるか、机に付いて事務仕事を処理しているか。

 さて、さて。どこだ。

 静かにページを捲る音。本を読んでいるのだろう、ただ多分大男。ガララドだろう。

 同じ部屋にもう一人。気配は感じるのにひたすら座って動かない。瞑想でもしているのか。

 確か新婚だったはずだが。ああいや、それは二年前か。

 それにしてももっと夫婦らしいことしろよ。いやされてても困るな。やっぱやめろ。とにかくここじゃない。たぶんもっと──。


『ハル、あと一分』


 耳に入り込んできた声に、びくりとハルユキは体を竦ませた。

 本当に来ているかどうか気付かせたつもりはない。だが明らかにハルユキに向けた言葉だと分かった。来ていない事など、考えてもいない声だ。


「馬鹿じゃねぇの……」


 とりあえず場所は分かった。そう遠くもない。

 その部屋の上まで足を運んで、ナノマシンで部屋に降りた。

 辺りを見渡す。部屋の隅にある小さな灯りが付いているのみで、どこか部屋は薄暗いオレンジ色をしていた。


「あ、駄目よ、もう」

「おわっ」


 背後から声が聞こえて、伸びて来た手がハルユキの目を覆った。


「何で窓から入って来ないの。やり直しよやり直し」

「はあ? そんなもんどっちでも……」

「ほらほら。あと三十秒」

「っ、ああくそ!」


 ハルユキは今通って来た穴を飛び上ると、視線もくれずにそれを元通りにして屋根から飛んだ。

 そのまますぐに体を反転して窓の縁を片手でつかむと、親切に半開きになってた窓から体を滑り込ませた。


──瞬間、嫌な予感が背筋を走り抜けた。


 床に足を付く前に、何か違和感はないかと素早く視線を巡らせ、そして見つけた。

 部屋の中にはノインがいた。

 先程目隠しをした体勢から半身になってこちらを向いている。

 綺麗になっていたし、魅力的な表情をしていた。


──見つけたのは、二年越しでも分かる、良からぬことを考えているその表情だ。


「いらっしゃい」


 地面に足を付いた瞬間、ぷちんと何かがちぎれた音がした。


「は……?」


 ぱしんと輪になったロープがハルユキの足に巻き付き、中々の力で引っ張られた。

 踏ん張ろうとするが、ご丁寧に油まで敷いてあった。ずるんと滑ってぐるんと視界が回る。


 そのまま、真っ白になった思考で数秒、天井からぶら下がったまま過ごした。

 

「あら、夜這いかしら。おあつらえ向きに湯浴みをしたばかりだわ」


 そして、逆さになった世界で、彼女が楽しそうに笑っていた。


「……いいから降ろしなさい。しばき倒しますよ」

「嫌よ。二時間もかかって作ったのよその罠」

「仕事しろよ!」

「私がその気になれば二時間も自由な時間を作れる優秀な人間だって話をね、今はしてるの」

「……ああ、そう」


 綺麗になったな、とか。身長はやっぱり少し伸びてるか、とか。そんな事を思いながらも変わらないなと溜息も出た。


「あのね。ハルは少し仲を深めるとすぐ警戒心を無くすってユキネとフェンが心配してたわよ。昔だけど」

「うるせ」

「もう」

 

 苦笑してノインはハルユキの顔の前に屈みこむと、その顔に手を伸ばした。

 壊れ物の様に頬に触れ、短い髪に指を通す。

 あまりに優しく触るから、跳ね除けるどころか顔を避ける事も出来なかった。ああ、せっかく伸ばした綺麗な赤毛が、油まみれの床に触れてしまっている。

 彼女はそんな事に目もくれてくれない。目の前の無様な男なんかに気を取られている。


 彼女はハルユキの頬に手を当てて、ほろりと崩れるような笑みを零した。


「ふふふ、ハルユキだ」

「……なんて顔してんだ」


 ノインはそのまま両手で顔を挟み込んで、ぎゅーっとハルユキの頬を潰した。

 ええいと顔を振ってそれを振りほどくと、彼女はまた小さく笑う。

 

「私ね、抵抗できない状態のハルが一番好きよ」

「なんて事言ってんだ! もうロープ切るぞ、切るからな!」

「ダメよ」

「うるせえ」


 念を押してハルユキはロープを切り、地面に降りた。ノインは座ったままこちらを見上げて微笑んでいる。


「ほら、お前も立て。髪汚れてるぞ」

「……立たせて?」

「甘えんな」


 む、とノインの顔が不機嫌そうに唇を尖らせた。


「甘えていいって言ったわ」

「はあ……?」

「言ったわ」

「……あー」


 確かにそんな事も言った。一緒に少しばかり無茶な依頼をこなして、へばったノインを担いで野営して。あの日は星が降るような夏の夜だった。


「二年間頑張ったわ。だから、ご褒美」

「いや、あのな。そう言う意味じゃなくて」

「今日は私、弱い日なの」

「……はいはい」


 しゃがんだままこちらに両手を伸ばして子供のようにねだるノインを正面から抱きかかえた。


「──えい」


 そんな声を出してこちらに跳んだノインは、たぶんハルユキの肩の上で悪戯っぽく笑っていたのだろう。


「ぬお……!」


 背後に危険な物が見えた。やばい、この女すべて計算づくだとそこで初めて気づきながらも、ハルユキの体は傾いでいく。 

 しかし甘い。世界最強を自負する足腰の粘りを──。


──ずるんと。


 人外じみた力で踏ん張ろうとした両足をあざ笑うように油がすくって、ふわりと体が宙に浮いた。

 そして二人して背後のベッドに倒れ込む。


「何やってんの……」

「油断したわね。ふふ、さっき言ったばかりだけど」

「うるさいよ」


 ノインは上に乗っかったまま更に前のめりに体重をかけて来た。

 退いてくれるつもりはないらしい。面倒なのでひっくり返そうと思った矢先、ぱちんと弾けるような音がして部屋の明かりが消え失せた。


「おい、灯り消えたぞ」


 ノインの体がそれに反応してピクリとはねた所を見ると、彼女が仕掛けたものではないらしい。


「ノイン?」


 暗がりの向こうから反応がない。

 目を凝らそうとして、とさりと力なく倒れ込んできた何かを受け止めた。

 言うまでもなくノインの体だったが、それがぐったりと力を無くしている事に気が付いた。


「ノイン、おい、ノイン……?」

「っぷ、く、ふ……」

「……おい」


 一瞬知覚しようがない魔法の攻撃かと思った。

 身体を重ね合わせるようにした体勢から笑みを堪えて肩を震わせるノインの脳天に頭突きをかます。

 む、と怒ったノインが顔を上げた。


「痛いわ」

「どけよ」

「いやよ。今から確かめるの」

「……何を?」

「貴方が、本当にハルユキかどうか」

「……大丈夫だって」

「ダメ」


 二年前のあの日。俺の姿をしたアイツは、ノインをも襲った。疑う必要もあるのだろう。


「捕まえたわ」


 ノインの手が頬に触れたのが分かった。

 つ、と指が流れて顎先に触れて、離れる。耳の後ろと髪先を擽る様に触れては、離れる。

 白魚の指が輪郭をなぞって、一つ一つ確認していく。



 そのまま静かな時間が流れた。



 ふとノインの手がハルユキから離れた。

 そこで初めて、ノインの顔が目と鼻の先に近づいている事に気づく。顔を背ける気にもなれないのは、どういう訳だろう。


「どうだった」

「ふふふ、本当にハルユキだ」


 耳元で聞こえる息遣いのせいか。風呂のせいで火照った彼女の体のせいか。

 濡れた髪のせいか。こちらを向く瞳のせいか。打って変わった様に広がる蕩けるような静寂のせいか。

 密着している体がどうにも熱い。


「……ハル、動いちゃだめ」


 目と鼻の先にある端正な唇からは考えられないほど濡れそぼった声がした。


 甘い毒の様に耳からするすると入り込んで眩暈がする。


 ああ拙い。拙い物が耳を通って背筋を這い上がって、全身を総毛立たせている。

 畳みかけるように彼女はさらに体をこちらに預けて、潤んだ瞳でこちらを覗く。


(……これは、拙い。拙い拙い拙い──)


 奥歯を噛み締めなければ、歯がカチカチと鳴りそうなほどの色香だった。

 勝手に体の至る所に力が入る。抜こうとしてしまえば、どう動いてしまうか分からない。

 その後を想像して、ぶわりと冷や汗が出た。


「……ノイン、まずい。勘弁してくれ」

「ね、もう一回言ってほしい?」


 何を、そう聞くのはすんでの所で踏みとどまった。言われてしまえば決壊しそうな一言が確かにある。


「いいから。ほら、もう退け」


 こっそり食い縛った奥歯の隙間から、獣のような息が漏れない様に必死だった。

 ノインの体がするりと離れた。体の間に入って来た火照っていない空気に、ハルユキは深く息を吐いて脱力する。


「……二年経ってもそうなの?」

「は?」

「私が気持ちを伝えてから、私を避けてるわ」

「いや避けてるわけじゃ……」

「……迷惑?」

「そうじゃない、色々、拙いんだ」


 自分でも抑えきれない類の衝動が、溶岩のような血と共に全身に巡り始める。

 落ち着け、落ち着けと頭の中で言葉を反芻する。


「じゃあ、もう少しだけ……」


 目の前のこいつは分かっている。俺が迷惑だなんて思っていない事も手応えから分かっているはずだ。

 ただ、こちらの反応を楽しんでいるだけだ。九分九厘間違いない。


(でも、人の心を100%信じる事なんてできない)


 ノインは震える手を抑え込んで、少しだけ身体と表情を強張らせていた。

 あるいはそれすらもノインは全部分かっていて、計算づくで、駆け引きかもしれない。


──しかし、たぶん演技ではない。彼女は間違いなく怯えて、自分の挙動を見つめている。


「顔を見て、嬉しかったのが私だけでも、泣くんだから」

「……泣いてばっかだな」

「貴方のせいよ、泣き虫なのは、いつも」


 呼吸が止まっていたのがいつからかは分からない。

 息など一日中止められるはずなのに、耐え切れずに吐き出すと獣のような声が漏れた。


 勝手に身体が動く。


 腕を掴んでやんわり引き寄せて、顔を突き合わせる。

 突然の事に驚いたのか強張ったノインの体から、ゆっくりと力が抜けていって最後に小さく微笑んだ。

 燃えるような紅い髪が流れて、ハルユキの頬に頼りなく触れている。


「あの、罠を作ってる時間、とかね? 香油をまくか迷ってた時間も、お風呂に入ってた時も、不安になりながら待ってる時間だって、楽しかった」

「……ああ」

「好きよ。まだ私は、貴方が大好き」


 ノインの手が伸びて、頬を掻いて髪を梳いて唇の端をなぞった。


「ね、ドキドキしてるのは、私だけ……?」


 ず、とノインは子供のように鼻をぐずらせて、潤んだ目で、絞り出すように言った。


「やっぱり、口説いてくれないの……?」


──壊れた。

 壊れて勝手に、ノインの体に手が伸びていた。

 何をしてると、静止する自分を歯牙にもかけず体は動く。


「あ……」

「ノイン」

「は、ハル……?」

「ノイン」


 背中に手を回してノインを強く抱きしめると、ノインの口から絞り出されたような苦しげで切なげな声が漏れた。

 ハルユキは体を入れ替えると、そのまま上から覆いかぶさる。

 顔が近い。

 しかしまだ顔をまともに見れない。

 残る枷が全て壊されて、言葉さえも忘れてしまうそうだ。


「……良い匂いがする」

「甘柚の香油なの、露店で見つけたの」

「もう一回、かいでもいいか?」

「うん」


 ノインの細い肩に顎を乗せて、鼻先を首の後ろにうずめた。

 息を吸い込むたびに、彼女の方は誘うようにびくりと震える。

 獣じみた息が漏れた。

 それはどちらの物だっただろうか、分からない。


「綺麗になったな。見違えた」

「ありが、と」

「だけど見間違えなかったよ。俺が好きだったところはそのままだったから」

「うん、よかった。嬉しい」


 甘い毒が足元から這い上がってきて、舌の根を通って、もう脳髄の半分ほどを溶かし始めている。

 初めてまっすぐに目を見た。ノインの大きな瞳がまっすぐこちらを見ていた。


「……あ」


 唐突に、正気に戻った。

 色々な物が背後にあって、それが体を引っ張った。


「ハル……?」

「……ごめんな」


 潤んだ目でこちらを見上げるノインの前髪を撫でて、唇で額に軽く触れた。

 それを最後に身体を退かしてベッドに座る。


「……へたれ」

「やかましい。今の状況でそんな事できるか」

「へたれへたれへたれへたれ」

「いや、だから、勘弁してくれ……。今は立場があるんだよ……」

「童貞」

「それは違う」

「へたれなのね」

「えー、だからだな……」

「鈍感。はげ。すっとこどっこい」

「いや、その」


 流石に言い訳するのも躊躇われる状況だった。言いごもるだけで、ノインの方に顔を向けるのも今すぐには難しい。

 ノインに──、こんな傾国の美女に迫られて拒むだなんて、本当に馬鹿だと世の男には言われるのだろう。


「バカね。本当にバカなんだから」

「……分かってるよ」

「ううん、分かってないわ」


 するりと背後からノインの腕が伸びて、ハルユキの首にふわりと巻き付いた。柔らかい感触が頬に押し当てられる。

 振り向くと、悪戯っぽく笑うノインが変わらずこちらを見ていた。


「ちゃんと待ってるからね」


 自分でも気づけていなかったその感情の正体を言い当てられて体が硬直した。


「ふふ。下手な言葉で口説いてくれたじゃない。胸を張って」

「……嫌味かよ」

「嬉しかったわ。とっても、とってもよ?」


 そう言うと、ノインはハルユキの隣に座りなおした。大きなベッドがその場所だけ大きく軋んだ。


「ハルにそんなのはあんまり期待してなかったから。びっくりしちゃった」

「失敬だなお前」

「こんなのが撮れるなんて思ってなかったのよ?」


 そんな事を言って、ノインはベッドの脇にあった観葉植物に手を伸ばして何かをつかみ取った。


『俺が好きだったところはそのままだったから』

「ふふ、そうなんだって。ハル、聞いた?」

「ふわあ!?」


 喋った──!? 違う。声はノインの手の中から聞こえた。しかもよく聞いた声で。恥ずかしい台詞を。


「おわあああああああ……!」

「映像を記録する魔石なんですって。前までのは"異文字イビルスペル"を使ってたんだけど、今度のは"四元文字"を使ってるから量産が可能なのね」

「いやいや、そんなんじゃなくて……」

「髪が汚れてるからもう一回お風呂入らなくちゃ。帰っちゃだめよ。ちゃんと待ってなさい」

「おい、それ置いてけ」

「やー」

「やーじゃねぇ!」

「だめよ、家宝にするんだもの」

「お前ん家だと国宝になっちゃうんすけど!?」


 あんなもの後生に残したら最悪だ。

 と言うか今は首脳会議の真っ只中。それもハルユキの立場は、間違っても素顔を晒して王家の娘を夜這っていいものじゃない。


 いやハルユキにも色々申し開きはあるが、押し倒して口説いて抱き締めた。それも最後はへたれている。


(ど、どこにも漏らせねえ……)


 気付けば孤立無援。身体に絡みつく無数の糸に気が付いた。

 この女なんと言う計略。なんと言う才媛か。普通のハニトラだと。その通りだよこの野郎。


「要求は何だ、金ならないぞ……!」

「要求? そうね、とりあえずもう少しここにいて。もう少し話をしたいの」

「え、あ、うん」

「あと、もうあと幾つか。要求があるから」


 いそいそとノインは箪笥から幾つか服と下着を取り出し始めた。

 その辺は普通従者がやるものではないのだろうかと。そんな事をのんきに思いながらその動きを目で追った。


「勝手にいなくならないで」


 彼女は物音の中に滑り込ませるように、そう言った。

 声色も変わっていない。顔がこちらを向いてもいないし、もしかしたら気のせいだったかもしれない。ただ、いやにその音は耳に残った。


「じゃあここにいてね」

「ノイン」

「なに?」

「ここにいるからな」


 結局さきほどの言葉の真偽はまるで何も分からなかった。何も分からなかったので、ハルユキはそう言った。

 ノインはいったん動きを止めて、扉の前で立ち止まった。顔はこちらに向いていない。


「……ハル」

「何だよ」

「ばーか」

「何だよ!」


 小さく肩を震わせてから、意を決したようにノインは振り向いた。


「お帰りなさい」


 彼女は泣いたように笑っていて、笑うように泣いていた。





    ◆




 俺が早朝の冷たい玄関先に正座する事になった理由はお分かりになっただろう。

 深刻な顔でハルユキは並んだ二つの顔にそう言った。机の上には適当に遊んだカードや遊戯盤が無造作に放られている。


「それが悩みなんて言うんやったら、お前ホンマぶち殺すからな」


 滅多に見ない目を殺意に濁らせて、ジェミニは言った。


「しかしエルゼンの連中には何でばれたんだ? 理由は分かったが経緯は?」

「いや、機を見て俺が言うからノインには黙っていてくれって言ったんだがな」

「ああ」

「それが気に喰わなかったらしい……」


 何か最初は秘密にしてあげるとかノインは言っていた。

 さすがにそれは出来ないと言ったら、笑顔でならいいと言っていたので問題ないと思っていた。ちょっと笑顔の意味をはき違えていたらしい。

 

「俺、神様ん時シーツ服着てるじゃんか。んでそこにポケットが一つあるんだけどな……」

「……ああ、何となくわかった」

「そこに例の映像記録する魔石とやらが入っててな……」


 家に帰ったハルユキは当然シーツを消した。

 するとポケットのそれだけが残って床を転がり、なぜか玄関で待っていたリィラの爪先に当たってフィナーレ。

 目下、ハルユキはその辺のカメムシみたいな扱いを受け続けている。実際にはリィラ以外は面白がっているだけだろうが。


「て言うか何、おまえやっぱりリィラちゃんにも手ェ出してんか……!」

「言っとくけどあいつ男だぞ」

「は?」

「何だそれ」

「だから、あいつ男。女じゃないの」

「はああああ!?」

「いやいやいや。嘘だろ……」


 そんな今更な事より、あの魔石はノインの部屋で見たものとは別物だった。

 マッチ箱爆弾より危険密度が高いあの魔石はあと幾つあるのだろう。事態は思ったより深刻だ。次から次に滲む冷たい汗が安眠すら許さない。


「あああああああ! 畜生! 俺を虐げる奴ばっか増えてんじゃねぇか!」

「死ね」

「こいつ俺の娘(タツミ)にも弁当とか作らせてたからな」

「お前ガチでか。またか、なあ、ふざけとんのか、おい」

「お、落ち着け……」

「……つか。わい会った事ないんやけど」

「ふふふ、おい、写真っての出せ」

「……ん」

「馬鹿野郎、俺の分もあわせて二枚だろうが、何してんだ!」

「うるせえ気持ち悪い!」

「おお、メッチャクチャかわええやないか!」

「当たり前だろうが!」

「うるせえ!」

「タツミちゃん、タツミちゃんね。……ふふふ、ははは!」

「懐にしまうな糸目。ハルユキ手前俺の許可なしにこれ作んじゃねぇぞ」

「おい、今日は俺に優しくする日だっつってんだろう」

「ヘタレは口ぃ開くな」

「なくした金玉拾って来い」

「手前らのもいでやろうか」


 最悪だ。ああ本当にこれ以上ないぐらい最悪だ。

 たかが十数年生きたぽっきりの小娘相手に流されて。しかもそれを同居する連中に見られてしまって。至る所からの風当たりがそれはもう半端じゃない。

 昨日から一体何度目になるのか、机に突っ伏してやりきれない声を出した。


「死ぬっきゃない……」

「まあ、俺から見りゃあお前は悪くねぇよ。メスには色々言われるかもしれんがな」

「ノインちゃんの誘いに乗ってもクズ。乗らないでもヘタレ。何が悪いって中途半端や」

「手ェ出そうとした──と言うより気があるような素振りしたなら、何かしら答えるのが義理って奴か。人間大変だな」

「……分かってるよ」

「偉い人がこう言ったそうや。思わせぶりな男は死ねと」

「いやだってもうさぁ、あいつ滅茶苦茶魅力的になってんの……」

「そこんとこ詳しく」

「ふざけろ」


 全容を見られたのはサヤとリィラにだけだ。

 あんなものを残しておくわけにもいかないので、既に粉々に破壊した。

 ただノインの部屋で見たものとは別物だったようなので、あの女の手の内にはあんな危険物があと幾つかあるのだろう。


「……あー、世界滅びろ」

「──そんな貴方に世界征服いかがですか!」


 ばたーん、と扉を蹴り破る勢いで少女が叫びながら入って来た。

 

「主様。エゼ様が見えられました」


 サヤの声にまるで動じない視線が三つ、その少女──エゼに向けられて、溜息と共に逸らされた。


「もっと食いつけよ!」

「世界征服は六歳の頃にやったからもういいです」

「適当な嘘つくな!」

「うちの娘ってやっぱり美人だよなぁ」

「……? っ回りくどい悪口言うなよぉ!」

「エゼちゃん。相手して欲しかったら三年後にまた来てな」

「手前なんか願い下げだ」

「ワイだけトーンが低い!?」

「ああもう、うるさいうるさいうるさい!」


 だんだんとエゼはその場で地団太を踏む。

 自分より馬鹿な奴を見るとこんなに気が落ち着くものなのかと、湖の水面の様に平静になる自分の心を感じながら思う。


「良い奴だな、お前……」

「え、そ、そう? えへへ」

「ああ、その能天気な所とか。何も考えてない所とか。」

「ふふ、そんなに褒めなくてもいいわ」

「いや馬鹿にしてるんだけど」

「この野郎ォっ!」


 がんがんと何の躊躇もなく銃を取り出して乱射しだしたあたり、こいつも頭おかしい。

 まあ今となってはまるで効かないので、ここらで本題に移る事にする。

 息を切らして銃を構える会座に向き直る。ここに来ている時点で、引き渡しに応じてくれるという事なのだろう。


「ていうかお前はさ、あいつの手綱握っとけよ」

「ふふふ、私は人を縛るほど狭量ではないわ間抜けぇ! くず! ヘタレ!」

「……ほう縛られるのがお好みと。ではそのように」

「ぎゃー!」


 蛇のように自在に動くロープに拘束されて、エゼはよたよたとその場でふらついている。

 とりあえず逃げない様にロープの端を握ってから今度はジェミニたち二人の方を向いた。


「思ったより早く来ちまったから悪いけど行くわ」

「水臭いやないか。お前の不幸を聞くためならいくらでも時間作るで……」

「二度と呼ばねぇ」

「ねぇ。早くしなさいよ」


 相変わらずへらへらと笑うジェミニにそう吐き捨てると、さっきから先に廊下に出てロープを引っ張るエゼの後を追った。






──それを見送って、階段を下りていく音を確かめてから、ジェミニは息を吐く。


「……相変わらず似合わん爺気取りやなぁ、昔からそうやったん?」


 エゼを案内してそのまま部屋に残っていたサヤに、ジェミニは問いを向けた。

 流石にその質問が来ることを予想していた訳ではなかっただろう。しかしそれでもサヤは驚く事なく、静かに目を伏せた。


「主様はもう自分の生を──いえ、物語を終えたつもりのようで」

「物語……?」

「そういう事を以前エルゼンで口にしました。主様は困ったように笑われたのみでしたが」

「何があったんだ?」

「申し訳ありません。それなりの事があって、それなりに終結致しました。とだけ」


 言外に自分の口からは言えないというサヤの意思を、ジェミニは悟ってもう一度息を吐いた。


「ただ、主様はある方に様々な物を残されました。主様の行動理由にはその方の影響が多分にあるのでしょう」

「ふーん……。あいつのね。最初からあんなかと思ってたんやけど。ま、んな訳ないやね」

「1歳5か月から戦場にいらっしゃいましたので、色々な事がございました」

「はい?」

「その頃にはもう今とほとんど変わらない外見でしたが」

「あっはははは。その辺は変わらんなぁ」


 変わらず化物や、とジェミニは言った。

 サヤは何も言葉を返さず笑うのみだ。ジェミニの言葉には親しみが滲んでいる事をくみ取れないほど彼女は無能ではない。


「では私はこれで失礼致します。御用の際はお言いつけ下さい」

「はーい。サヤちゃんみたいなメイドさんいて、ハルユキは幸せやなぁ」

「いえ。私などに勿体なく存じます」


 そう言って笑って見せるサヤの仕草に、ジェミニは困ったように頬をかいた。


「心配?」

「……はい」

「大丈夫やで。親友のワイがついとるからね!」

「はい。あのような主ではありますが、どうか、どうか助けてやってください──」


 そのまま深々とサヤは腰を折った。

 その過剰なまでの仕草に、ジェミニは一瞬きょとんと表情を無くすが、すぐに自然に零れるように微笑んだ。


「サヤちゃん。ワイな、今日一番アイツが羨ましいと思ったよ、今な」

「……そう、でしょうか」

「大丈夫や。あいつはホント、羨ましいぐらい良い奴ばっかに囲まれてるから。すぐに分かるで」


 サヤは顔を上げて、ジェミニの顔を見た。

 その表情に何を見たのか。何にしろ、柔らかく微笑したその顔には不安はほとんどみえない。


「そのようです。ジェミニ様も主様から聞いていたお人柄より遥かに善き男性に思いました」

「お? あれ? 脈あり?」

「申し訳ありません。私の身も心も魂すらも、全て主様の物ですので」

「ごめん。やっぱあいつわいが殺すわ」

「はいはい。おいサヤさん、仕事あんだろ。もう行ってくれていいぞ」


 もう一度微笑んで、そしてもう一度深く腰を折ってから、サヤは扉に手をかけた。


「──ねえサヤちゃん、最後にええかな」


 ジェミニは変わらず優しい声色で口を開いた。

 しかし、続く言葉がどうしても緊張を伴ってしまう事をサヤは悟って、笑みを一旦隠して振り向いた。


「ハルユキの、その物話はハッピーエンドやったの?」


 静かに緊張が走った。強張ると言うよりはしっとりと湿るような緊張感。サヤは少しだけ考えて、答えた。


「……少なくとも、意味は無かったのかもしれません」

「どうして?」

「……一億年が経って全て無くなってしまいました。あまりに当たり前の話ですが」


──消せないはずのものも、残したかったものも。全て。

 そう言って、静かにサヤは扉を閉めて去って行った。

 静寂が部屋の中を通り過ぎた。ジェミニが立ち上がって椅子を蹴った音が、それを破る。


「……あーあ、じゃあわいも帰ろっかな」

「駄目だよ。俺がお前に話がある」


 またも部屋の中の空気が固まった。それは緊張と言うより困惑だ。


「……え? アンタが、わいに?」

「ああそうだよ。霊龍の俺がお前にだ。元"十三星座ゾディアック"のジェミニ。お前の物語を聞かせろよ」

「……あー、なるほどねー。そんな感じかー」


 ジェミニは静かに浮かしかけた腰を椅子に戻した。ロウも静かに目を伏せて背もたれに体重を預ける。


「そんな感じだ」


 なるほど、とジェミニは平静なままお茶を啜った。

 霊龍たる彼が自分に興味を持たない筈がない。意外どころか考えてみれば当たり前だった。


「うん、知ってる事は言うで」

「あいつ等は知ってるのか? てっきり一緒に聞くものだと思っていたが」

「そりゃあ話してる。分かる事なんてなんもないけどな」

「……そうなのか?」

「最終的な目標は変わってないと思うわ。けど、それで何でこんな事になってんのかはよく分からん。変わったんやろ、色々な」


 つい最近までこの騒動に〈十三星座ゾディアック〉が関わっている事など知らなかったので話したのはこの間だが。


「……どこから話そかなぁ」

「最終的な目標だけでもいい」

「そらありきたりな話や」


 そうしてジェミニは天井を仰いで、遠い過去に思いを馳せた。


「二人に、もう一度会うために」


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