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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
251/281

フードの下の顔

 神の血。

 その男がそう口にした途端、いつの間にか周りに人が増えていた。


 最強の傭兵集団たる"ビッグフット"。

 健在する伝説"魔法使い"。

 世界中に力の根を張っている"塩の王"。

 鉄血をその身に巡らせる"戦猛"。

 世界の中心で金を操る鬼の剣"唯剣"。

 本来こんな場にいる事はあり得ない、名を言う事もはばかられる"猟奇屋"。

 存在からして禁忌であり奇跡である"龍谷人"。

 "世界の中心"たる彼女は言うまでもなく。

 "紅蓮の姫"。

 "鬼の姫"。

 etcetcetcと。そして"神"と。


 集まった面子の数は多いが、有象無象などではない。


 ただそんな連中に雁首並べられて、それでも"神の血"の存在感は薄れない。

 こんな顔ぶれで一人を取り囲んでいるのに、もしかしたら有利でも何でもないのではないかと皆が額に汗をにじませ慎重を期しているほどだ。


 そんな中やはり最初に動いたのはスノウだった。


「シン。少し無茶をする。周りの人間を頼むぞ」


 一応あれは自分の名を騙っている訳で、それにいきなり剣を向けられるのはハルユキも少し複雑に思ったが。とりあえず自分は周辺の人間の避難を担うと決めた。この距離なら助けにも入れる。


 スノウは周りの著名人達に無言で視線を向けた。

 降りかかる火の粉ぐらい自分で払えるだろう、とそう言う意味が込められていた。曲がった信頼である。


 一番近くにいた"魔法使い"の脇を通って、目の前に立つ。

 そして、宣告も無しに剣は振られた。

 

 スノウの刃を潰した剣を"神の血"は寸前で腕を上げて受けた。

 ヴァスデロスの時とは違いその腕には力が込められている。

 スノウの"白"の魔法はあらゆる魔法を消し去る。それはあらゆる存在に有利なものではある。


 だが、あれの正体がハルユキの予想通りなら、その相性は五分と言ったところだろう。


 更に男の口元が上がる。さして力も入れていない風に剣と接した腕を振ると、スノウの華奢な体は吹き飛んだ。


 だがスノウの魔法はもう一つ。

 人に課せられたあらゆる制限を破る"破"の魔法は、重力をその身から解放し、天に地を作り、そして空間を無視して攻撃を届けてみせる。

 距離を取るのも空中戦になるのも男にとっては不利だろう。


 そしてやはりスノウは吹き飛びながら剣を振った。

 そのままなら剣閃の延長線上を尽く破壊する破壊の波となるが、敵と接する一瞬だけ魔法を使用したのだろう。

 破城の一撃は男のみを叩いた。


 が、結果として男を一歩動かす事さえできてはいない。


 目を剥いたスノウは、動きを止めた魔法を解除するのが一瞬遅れた。

 相手に干渉するという事は、相手からの干渉を許すという事でもある。


 "白"の魔法が宿っていない一撃を首筋で受け止めた男は、余裕を保ったままその一撃を首を傾げるだけで押し返してみせた。


「な──」

 

 スノウの体勢が一瞬崩れる。

 その一瞬の内に男はスノウの目の前で拳を振り上げる動作にまで至っている。


 と、そこで上空から飛来した物に男は打たれた。

 流石に空中で踏ん張る術はもっていないようで、為すすべもなく地面に墜落する。


 まるで墓標のように男を地面に縫い付け、そそり立つそれは積み重ねられた石の板──すなわち壁だった。


 その上に立つのは当然"魔壁"のヒル。空に立つスノウと一瞬だけ目を合わせて、──瞬間。立っていた壁の塔が吹き飛んだ。

 壁が紙の様に辺りに舞い、またも爆煙じみた砂塵が立ち上る。


 そしてそこから全員が一斉に動き出した。


 砂塵に隠れようともせずにのしのしと男に歩み寄ったのは当然の様にヴァスデロス・ロイ・サウバチェスだ。


「そぉらァ──!!」


 どん、と彼は思い切り地面を踏みつけた。

 空恐ろしい事にそれで辺り一面の地面が粉砕する。そしてその余波で"神の血"は宙に吹き飛んだ。


「よいしょ、と」


 ヒドラが、背後から彼の首筋にナイフを当てて躊躇なく引いた。

 何の能力かは分からない。

 ただヒドラが地面から吹き飛んだ瓦礫を足場にして、彼に気づかれず背後に接近した事をハルユキは目で追っていた。


 矛盾だが目にも止まらぬ速さだった。

 そして、ナイフから滴る毒々しい色の液体から連想する。その力は毒か、薬か。なんにせよ、"らしい"能力ではあるようだ。


「────……」


 ただ、彼には最悪の相性だと言っていい。

 そもそも金剛のような体は柔らかい首筋であっても刃が喰い込む事を許さなかった。


「ありゃ」


 彼を中心に一陣の風が吹いた。

 それで難なく周りの瓦礫は吹き飛ぶ。そのまま何とはなしに彼は首筋に付いた液体を舐めた。彼は内臓までも金剛で出来ているらしい。


 ヒドラは瓦礫と一緒に遠ざかる事は出来なかった。

 彼の腕がヒドラの腕を掴んでいたからだ。


 ただ、彼が攻撃する事も出来なかった。

 それは瓦礫が吹き飛ぶ一瞬前に、もう一人瓦礫を伝って接近していた人間がいたからだ。


 その"唯剣"たる彼は魔法を用いていなかった。

 用いたのは極限まで絞り鍛えたその体と一振りの刀のみ。


 しかしその一振りは、ヴァスデロスの重撃もスノウの剛撃もヒドラの毒刃にも必要とさせなかった、回避と言う行動に彼を追い詰めた。

 それは事実、彼の頬に一筋の切り傷を残す事に成功している。


 その傷目がけて、ヒドラの手が伸びる。

 そこから滴る水と来たら毒々しいどころか黒々しい。

 ただその傷が冗談のように素早く、みちりと音を立てて塞がって、流石に彼等も一瞬動きを忘れた。


 その一瞬はこの場において、致死の毒よりも危険なものである。


 腕が振られた。


「ぐっ──」


 拳ですらないそれは"唯剣"の腕をかすめ肉を抉り取るとその体を吹き飛ばす。

 続いて二撃目。


「あーらら──」


 相変わらずヒドラは腕を掴まれたまま。その腕は既に握り潰されて不規則に揺れている。


 ヒドラは掴まれた自分の腕をやはりためらいなくナイフで切り落とした。

 そして振るわれた彼の拳をすんでで避け、やはり余波で吹き飛ばされる。


 そこでようやく、宙に浮いていた彼は地面に着地した。

 そしてようやく、辺り一帯が"壁"に覆われている事に彼は気付いた。


「放て」

「撃て」


 辺りには兵士達もいる。

 ミコトが用意した戦士達もいる。

 近付けば奴隷の様に首を垂れるしかないが、遠間からなら攻撃の使用はあった。


 ブラッド・オーガーとサイザキ・ミコトの号令が重なり壁の中が魔方陣の光で真っ赤に染まった。


「ああああああ゛──!」


 ただ、許されたのは魔方陣の起動のみ。

 幾重にも重ねられた壁を揺るがす事もなく、爆炎が立ち上る事も爆風が吹き荒れる事もない。


 轟音の代わりに響いたのは、兵士たちの無残な悲鳴だ。

 見れば誰もが地面にはいつくばり、腕から足から体から血を垂れ流して呻いている。


「な──」


 何が起きたのか。追及する時間など当然ない。

 極大儀式魔法にも耐えうる構造と密度で作られた"壁の窯"が、次の一瞬には吹き飛んでいたからだ。


 そして、その中から砂塵を纏って現れるのは、"神の血"。

 最初から何一つ変わらない。傷一つ、土汚れ一つ付けていない、それどころか表情すら変わっていない彼がまた歩みを進めた。


「……困りますねぇ」


 ゆらりと、それは幽鬼のようだった。

 ヒドラは全身の土埃を叩きながら、まるで友人に話しかけるような気軽さで男に歩み寄った。


 ただ、その目に狂気じみたものを見た人間はすぐにその場を飛び退く。


「こんなトコじゃぁ、あれなんですがね。ほらアタシ等ヤクザ者は舐められちゃあ、商売あがったりで──」


 そんな明らかな殺意と濃い狂気に、"神の血"はむしろ吸い寄せられるように顔を向ける。

 視線が交錯して、そして次の一瞬に紫色の魔法陣が広がって、辺り一帯がドドメ色の沼となった。


 半径20mほどが阿鼻叫喚となった。逃げきれなかった人間達がもろともその沼に飲み込まれる。


 ただの泥ではな。ぶすぶすとその沼は肌に喰い込み肉を溶かしていく。

 そんな中、沼の上を波紋を残して歩くヒドラと、そして膝まで深く浸かった"神の血"だけがひどく落ち着いていた。


 "当然、普通の人間すら即死させられない毒が、この男に打撃となる訳がない"。そんな事をヒドラが理解していない訳もない。


「さぁて、お顔拝見──」


 泥を呑気に手で掬っている"神の血"を傍目に沼に手を置き、そしてまた一瞬で魔力を練り上げ──。


──そんなヒドラの背中を沼ごと剣が貫いた。


 一瞬で沼とヒドラの魔力が霧散する。

 ヒドラは胸に剣を刺したまま振り返った。

 魔のみを斬る純白の剣。──スノウが投擲したその魔力の剣は傷一つ残すことなく立ち消える。


「……やってくれますねぇ」

「こちらの台詞だ。巻き込まれた人間の治療をしろ。どうせ貴様にしか出来んのだろう」

「はい、お断りです。ま、死にゃあしませんよ」


 沼から地面に戻ったためか沼に沈んだ人間は、地面に減り込んでいる。

 それは"神の血"も例外ではない。


 ただ一瞬、誰もが動きを止めたのは、"神の血"が初めて攻撃の意思を示した事に気づいたからだ。

 今までのはただ火の粉を払っていただけなのかと言う驚きと、そして伝わる死の気配が戦士達の足を地面に縫い付ける。


 ゆっくりと、彼はここで初めて拳を握って腕を振り上げた。

 その背後に立つ人物がいた。


「凄いなぁ、格好良いなぁ」


 そんなこの場にはそぐわない事を口にしながら、子供のような好奇心で"魔法使い"は振り上げられた拳に手を伸ばした。

 それは致死の手だ。

 いくら無邪気だろうが、どれだけ無造作に伸ばされようが、それは致死の攻撃。

 虫の羽根を毟るような暴虐性が含まれている。


 そして、害意が抜け落ちた手の平は、何の障害もなく"神の血"の拳と重なって、──しかし驚きに目を瞠ったのは"魔法使い"の方だ。


「こりゃ、本当に凄いね」


 やはりそんな呑気な声を出して、"魔法使い"は半身を弾けさせて吹き飛んだ。


「だから、手を出すなと──!」


 スノウは既に駆け出していた。

 あの"魔法使い"ならあるいはとそう考えた事が二の足を踏んでしまった。

 

 それでもその速さは世界でも指折りだ。"魔法使い"の体が地面に付く前に男に攻撃を仕掛けられる。

 そんな彼女を、ヒドラは横から抜き去った。


 やせ細ったその体のどこにそんな力があるのか。

 たった2歩で10数メートルの距離を埋め、その一歩は地面を砕き風を置き去りにする。


 ただそんな物より、それい至るまでの光景を見ていた者の方が恐れおののいていた。

 自ら切断した腕から流れ出る黒い血を、がぶがぶと飲んでいるその光景を。


 ずるりと、ヒドラはどこかからククリ刀を取り出して、打ち据えた。


「ねぇ、もう一回」


 それと、"体を半分崩させたまま"の魔法使いが逆の手で"神の血"の手首をつかむのが同時。

 また、スノウがすべての勢いを乗せて、脇腹に剣を振りぬいたのもまた同時。


 故に、彼等は同時に驚いた。


 何も出来てはいなかったことに。

 自分たちの攻撃は、彼が拳を振り上げて振り下ろす行為の阻害にすらなっていなかった事に。


「ぎ、ぐぁ──」

 

 そしてその拳はヒドラの腹に喰い込んで貫通させたのち、地面に届いた。


──一瞬、音とあらゆる光景が消えた。

 そして遅れて三度砂塵が巻き起こる。それは今までの比ではない。ただそれは"神の血"の腕の一振りで全て霧散する。


 現れた光景は、沼の跡を根こそぎ抉られた地面と今まさに倒壊していく幾つかの尖塔。


 直撃を受けたヒドラはピクリとも動かないまま、"神の血"が腕を振ると貫通した拳が抜けて背後にうち捨てられた。

 魔法使いに至っては影形すら残っておらず、そしてスノウだけが吹き飛ばされながらも無傷だった。


 スノウを守った精霊獣メサイアがその腕を解いた。


「お前等、面白いなぁ」


 そして、"神の血"の口から零れたその言葉を、スノウだけが聞いていた。


──ヴァスデロスが背後から"神の血"襲い掛かる。

 背後から攻撃をしたくなかったのだろう。肩に手をかけ振り返らせようとする。

 しかし、ヴァスデロスに比べ明らかに小さいその体はピクリとも動かない。


「こっちを向け」


 ぎり、とその指に万力のような力がこもる。


 それは初めて彼の表情を変えた。更に笑みを深い物へと変貌させただけだが。


 ぱしりと手を払えば、ヴァスデロスの指が明後日の方向を向いた。

 振り返って蹴りを放てば、防御したヴァスデロスの両手を拉げさせてその巨体を街中まで吹き飛ばした。


 一同がその光景に仰天している中、彼はゆっくりと歩を進める。


 その間にも各国の戦闘自慢の猛者共が一も二もなく襲い掛かるが、その歩みを狂わせる事すらなく鎧袖一触とばかりに捻じ伏せられ吹き飛ばされる。


 狙いがある。

 ここに踏み込んできたからには当然そうだろう。


 フードに隠れてはいるが誰もが既に気付いている。戦う前から、戦っている最中も。その目はスノウに向いていると。


「助太刀します」

「頼む」


 ハルユキの傍に居たタツミが、スノウの隣に立った。

 この場で唯一彼と正面から渡り合えるのは彼女のみだろう。


 龍の力が顕現する。目が血の色に染まり、尾が地面を叩き翼が広がった。

 獣じみた声を喉から漏らしながらも、その目には理性の色のみが光っている。この体で、人の技を使うのだ。弱い訳がない。


「えーと、こうかな?」


 そのタツミの隣にいつの間にかアラン・クラフトがいた。

 そしてその体からはタツミと同じような尾と翼が生えている。


「な」

「ほら、来るよ」


 驚く暇などない。

 タツミとアランと"神の血"の戦闘が始まった。

 それにスノウが加わり、一度は吹き飛ばされた人間達も立ち上がる。


「あー、しんどい」


 その中に、"猟奇屋"ヒドラ・クレブスも健在していた。

 痣のような黒々とした紋様に眼球の中にまで浸食され、腹の傷も切り落とした腕もじくじくと回復させながらだ。


 まだ戦いは終わらない。


 加熱していく戦闘の中、そこでハルユキはようやく周りの人間達の避難を終えた。






    ◆





「ん……?」


 動けない奴等をさっさと避難させ終えると、ノインの姿がない事に気が付いた。こんなお祭り騒ぎにはこぞって参加したがるような奴のはずだが。

 何だか少し嫌な予感がしたが、とりあえず今はそれどころではない。奥歯を二度噛む。


『サヤ。まずい事になった』


 耳の魔石が起動すると、ざあ、と潮騒のような音がする。


『委細承知しております。情報封鎖を敷きたいところですが、もはやそれも難しいでしょう』

『起きちまった事はしょうがない。対処していなかったこちらのミスだ』

『正体に見当は付いているのですか?』

『十中八九間違いない。顔見知りだ。加えて化物染みた男だ。とりあえず──』

『捕獲します』

『ああ。今から言う条件の場所に──』

『辺りに人がいない穀物倉庫があります。ロウ様に待機をお願いいたしました。180秒で作戦実行可能です』

『……場所を教え──』

『繁華西区299-44です』

『いや、そ──』

『主様は地区名など憶えていらっしゃらないので、そちらに黄色い布を干させておきます』

『……うん』

『はい』

『……ほら、俺も喋ってる途中だからさ』

『……大変申し訳ないのですが、主様と話し過ぎると妊娠させられると皆が怖がっております』

『だ、誰がそんな事を……』

『? 私以外に誰か心当たりが?』

『じゃあなクソ野郎一昨日きやがれ』


 ヴァスデロスとは良い酒が飲めるんじゃないか。そんな事を思いながら天を仰いだ。


 そこではスノウやらタツミやらアランやらヒドラやらが男と鎬を削っている。


 男が剣を打ち払うために無造作に腕を振る。

 それだけで途轍もない力が空中に走り抜け、スノウの体は吹き飛んだ。


「く……」


 スノウは攻撃力こそ高いが、防御力はそれほど高くはない。

 それ故に打倒が不可能な敵は珍しいが、逆に何でもない事で手傷を負う事も多いだろう。


 しかしまあ、あれだけ味方──と言うか敵の敵がいるのだ。そうそうやられる事もないだろう。


 それにしても、集まりに集まったりだ。

 "神の血"の名前は思ったよりも世に浸透していて、思ったよりも価値があるようだ。


 この場には数種類の人間がいる。


 まず、世界最強と謂われるその戦闘力を利用すべく接近を試みる者。

 世界最強を倒して国と自分の名を上げたいと思う者。

 その実力の程を確かめようという酔狂な輩。

 シキノ・ハルユキを長年探していた者達。

 ただ、街の危機に対応しようとするやつ。

 そして、"シキノ・ハルユキ"の所在不明が開戦の邪魔になっている事を知っている人間。──つまり、裏切り者だ。


 あの"神の血"がフードで顔を隠しておいてくれて助かった。

 "神の血"を騙った誰かが世界中で暴れていた事が"奴等"の歯止めになっていたとするならば、あれが実は偽物だったと知れた時どんな状態になるのか分かったものではない。


 色んな濃い顔ぶれと一緒に出て来たからか、"神の血"もハルユキの事には気付いていないようだし、いくらでもやりようはある。


「サヤ、180秒だ」

「はい。準備は終えております」


 ハルユキの背後で影に紛れるように、いつの間にかサヤが立っている。


 そう。だが、まだ間に合う。

 フードを取らせないまま、正体を明かさないまま。彼には再び行方不明になって貰うとしよう。


「"神の血"捕獲作戦開始。総員戦闘配備」





      ◆

  




 動きもしない。

 スノウの"神の血"に対する印象はそれだった。


 剣を向けてみても、魔法を使って吹き飛ばそうとしてみても、まるで地表の一部のように地面に根を張って動かない。


 あれが本物ではない事にはすでに気が付いていた。

 ただこの街を守る役職の人間として、職務を果たす。そう思えば、とりあえず体は動く。


 少しずつ、事態が膠着しだしている。

 あれが手に負えるものではないと感じ出した輩は手を引き始め、負傷した"猟奇屋"や"唯剣"は機を待つ事を選択するだろう。

 手傷と言えばヴァスデロスが一番酷い。強靭さが売りの男でも復帰するのは難しいだろう。


 ただ、姿を眩ましている人間が二人いる。

 それもどちらとも何をしでかすか分からないような──。


「こんにちは」


 空中を蹴って"神の血"から距離をとると隣で唐突に声が聞こえた。

 驚きそちらに首を向けてそのいつもの"白い外套"を認めると、スノウはそれを睨んだ。


 何をしでかすか分からない人間の二人の内の片方。


 今は戦闘中で気を張っていたというのに、気付けばすぐ隣で並走している。


「……シン、避難は」

「終わってますとも。この周辺も」

「ありがたい」

「それで、ここから西に外壁まで無人地帯を続けさせておりますので、ご留意しておいて下さい」

「……誘導しろと?」


 に、と目鼻のない白面の下で不敵に笑う気配がした。


「かの名高い"神の血"です。少しばかり策を弄しました」

「……私を狙っていると言うのは、勘違いではなかったか」


 スノウはとある家の上で立ち止まって"神の血"を見据えた。

 今は立ち止まって周りをキョロキョロと見渡している。


 何かを探している──?


 そうしていると、またわらわらと人が集まってくる。

 そうするとそれに興味が移ったかのようにそちらを向いて笑みを深くし、しかしまたこちらに向き直る。


 ふらふらと移り気に道行く稚児のようだ。

 更に家屋が倒壊する。

 ヒルとタツミとアランとレガリアとヒドラの5人がかりでまだダメージが与えられていない。

 

(それに……)


 戦闘のままにここまで移動してしまったが、出来る限り被害は抑えたい。


「勝算は?」

「策にはめてしまえば九分九厘。はめるまでが勝負です」

「……頭の隅に置いておく」

「十分です。その際はどうか、気取られぬよう」


 そう言って事の詳細を話すと、再びシンは消えた。

 それを確認して、スノウは神の血に向き直る。


 あれは間違いなくこちらを狙っている。

 こちらが止まっていればゆっくりと歩み寄り、こちらが走ればあちらも足を速くする。


 一度走れば雷鳴のごとく。その強靭さは金剛だ。気を抜けば一瞬で懐に入られ首をもがれていたとなっても不思議はない。

 一瞬だけ背後を見て、スノウは数百m先の倉庫街の一角に黄色の布が干されているのを確認した。


(気取られぬように、か……)


 ふと、視界の端に動く何かを見つけた。

 思わずびくりと肩を跳ねさせる。

 子供だ。3歳かそこらの子供がふらふらと歩いていた。


「何が避難は終えただ、あの男──!」


 "神の血"は自分に付いてくる。離れれば──。

 瞬間、爆発音が響き渡った。タツミが何かしたらしい。その攻撃は家を三軒ほど吹き飛ばし、その余波が風となってスノウを強く叩く。


 一瞬で判断してスノウは宙を蹴った。

 遅れて、背後で"神の血"が加速してこちらに接近する気配も感じ取る。


「来い──!」


 減速しないままにその子供を抱え上げると、そのまま再び宙を蹴って上空に戻りつつ器用に背後を振り向いた。

 "神の血"が振り下ろした蹴りが、髪先を掠めた──。


 地面に蹴りは減り込み、また暴風を撒き散らす。その風に逆らわず、スノウはもう一度宙を蹴って屋根に着地した。


「大丈夫か?」


 もうもうと立ち上る土煙の中で"神の血"が平然と立ち上がっている様子から目を離さずにスノウは小脇に抱えた子供に言った。


「我は問題ない」


 変な言葉遣いだ、と思いはしたが"神の血"から目を離す程の事でもなかった。


「怪我をしているぞ」


 ただ、その子供が魔力を纏った手で体に触れた事。加えて──。


「エルゼンの者だ。名はクイーンと言う。我を抱えて行けば怪しまれないだろう」


 そんな事を言ったものだから、思わず抱えた子供の顔を見た。

 間違いなく子供だった。聡明そうには見えたが、背の小さいだけの大人ではない。


「前だ! 来るぞ!」


 子供──クイーンの声にはっとスノウは顔を上げた。

 接近する"神の血"の姿にスノウは三度背後に跳ぶ。また街の一部が容易く破壊され、倒壊していく。


 それを憎々しげに見つめながら、スノウは声だけをクイーンに向けた。


「貴様等は、子供まで使うのか」

「ばか者め。あやつの指示だけがすべてではないわ。ふふふ、……ぜったい後でおこられる」


 両手で顔を覆ってしくしくと泣きだしたクイーンに困惑する暇もない。

 一度速度を上げてしまえば、あちらも上がる。あちらが上げるならこちらも減速出来ない。これから先、余裕は一瞬すらないだろう。


「という事でこんなトコで降ろされたら我は死ぬ」

「──逞しい奴らめ」

「無人地帯にリィラが待っている。そこまではこぶえいよを与えてやろう」

「もう黙っていろ、舌を噛むぞ」


 意識の半分を自分の中に集中させる。水を手で掬って、握り込むイメージだ。


「──来い"メサイア"」


 スノウの背後に騎士の"精霊獣"が出現した。

 今の状態でメサイアを戦わせ続けるのは辛いが、指定された場所は既に近い。連れて行くだけなら子供を抱えていてもまるで難しくはない。もはや、その選択肢しか選べない状況だった。


 神の血が振るった拳を、メサイアが両手の剣を重ねて受け止めた。

 常人の三倍の大きさはあるメサイアを仰け反らせる。とんでもない膂力だが、相手は空中押し返せない事はない。


 弾き飛ばして、そのまま背後に移動していく。


 そのまま倉庫街に付くまで三度接触があったが、逃げに徹していればそう遅れは取らない。

 また、子供を抱えているのでそうなっても不自然ではない。

 動きが加速したせいか、他の連中とも距離が開いたようだった。


「何も──ない……?」


 大きく男を弾き飛ばしてから、例の黄色い布の近くでスノウは辺りを見渡した。

 戦士が大量に待ち伏せているわけでもない。魔術師が大規模な術式を用意している訳でもない。

 ただ無人なだけの倉庫街の屋根の上だ。


 まさか来るのが早すぎたのかと、そんな考えに至った時。四度目になる接近の気配がした。

 "神の血"はスノウから少し離れた場所に降り立つと、こちらが動きを止めたからか、また勿体ぶる様にゆっくりと接近し──瞬間。


 "神の血"の周り一帯の屋根が忽然と消失した。


 両者の表情が消え、"神の血"の姿が屋根の下に消え、そして蓋をするように屋根は元に戻った。


 同じような物を最近見たと、スノウは呆然となる頭の裏で思った。

 そうだ、あのシンが最初に世界会議イデアルに乱入した時に用いた屋根けしとまるで同じだと、気付いた瞬間だ。


「跳んでください!」


 隣のそのまた隣に屋根にいたリィラ・リーカーの声に反射的に屋根を蹴る。

 そして、今日一番の轟音が響いた。


 建物の半分が吹き飛び、爆炎を撒き散らし、地面を抉って川を断ち切り、無人地帯を舐めるように破壊の波は街を貫いた。


「何だ、これは……」


 十メートルほどの幅の破壊の跡が真っ直ぐに壁まで続いている。

 その途中で、倒れている"神の血"を見つけた。腕から血を流し、その足取りもどこか怪しい。


「あれに痛手を与えるとは、一体どんな魔法だ……」


 "魔壁"のヒルが隣に降り立ち、出来上がった破壊の跡を見るとそう言った。


「しかし、まずいですね。逃げますよ」

「追いましょう」

「早く早く」


 ヒドラ、タツミ、レガリア、アランの四人が壁に向かって逃走を始めた"神の血"を追う。

 手傷を負った事を確認した他の戦士達も続々とその後を追っていくのをスノウは見つめていた。


「クイーン、おいで」


 気付けば、リィラが隣に立っていた。

 飛びついたクイーンを抱えると、リィラは決してスノウの方を見ない様にして口を開く。


「追わないんですか」

「……追うさ。だが」


 スノウは何となく辺りを見渡した。

 当然だが人が通り過ぎた倉庫街には相変わらず人の気配は無い。


「……何でもない」


 感じた違和感を振り切って、スノウも"神の血"の跡を追った。




    ◆




 男は建物やらなんやらと一緒に破壊され宙に巻き上げられた小麦粉の中で天井を見上げた。

 気配の動きがおかしかった。

 次々と人間達がこの場所を通り過ぎていく。


 屋根からここに落とされた時すでにここは小麦粉が大量に舞って視界が悪かった。

 いったい何があるのかと思って身構えて、すぐに轟音と衝撃が体を叩いたのだ。


 いや、叩いた──というには語弊がある。

 その正体は目を凝らせば見える巨大で長い筒が何かを射出した影響なのだろうが、それは男の脇を通って壁と屋根と街だけを破壊したのだ。


 外したのか。いや──。


 とにかく男は腕を振って、鬱陶しい小麦粉の粉塵を払おうとした。


(……?)


 しかし小麦粉は一層激しく舞っただけで一向に晴れない。

 何故かと考えて、すぐに分かった。

 密閉されている。建物にではなく、透明で薄く、それでいて強靭な何かに。


 知った事か、それごと壊せと、一歩進んだ瞬間。


──人影が見えた。正面。恐らく透明な壁の向こう。目を凝らすまでもない。あれはメイドだ。


 何故ここにいるかは──。


「何だ、やっぱお前かラスト」


 ひょい、と何人たりとも触らせなかったフードが背後から取られた。

 驚きに振り向く。そしてそこにあった顔に"神の血"──ラストは一瞬表情を作るのを忘れた。


「ハルユ──!」

「悪いな、ラスト。一応声も空気の動きも殺してるが、早くここを離れる必要がある」

「ああああ?」


 どくり、どくりと、いままで半分しか動いていなかったのではないかと思うほど、高く強く拍動する心臓を感じながらラストゆっくりと、ハルユキが構えを取るのを見た。


「あ……?」

「だから悪いな。悪いがラスト──」


 構えなど知らなかった。この男はただ拳を振るうそれだけで最強だったのだ。


「──すぐ死ね」


 知った事か。高ぶりは抑えられない。

 この二年で一番固く拳を握り、この二年で一番筋肉に血を巡らせて、この二年で一番相手を見て拳を振った。


 しかしやはり届かない。


 右拳は腕ごと、ハルユキの腕と脇に絡めとられ、その関節を極められた状態からハルユキはぐるりと回転した。


「──"獅子廻ししかい"」


 どんな強敵に囲まれても薄皮に掠り傷程度しか負わなかった体が痛みに悲鳴を上げた。

 肩と肘と手首がそれぞれ明後日の方向を向いている。


 そしてハルユキは回った勢いもそのままにぐるりと回転して軽く跳躍し、膝と肘でラストの頭を挟み打った。


 攻防は一秒足らず。

 ラストの意識は容易く闇に消えた。



     ◆



「死んだんじゃないですか?」

「死なん死なん。こいつ死ぬほど頑丈だから」


 ラストの四肢の関節を出来るだけ外しながら、ハルユキはリィラとサヤに顔を向けた。


「酷い事をなさいますね。主様」

「いや、こいつ普通に縛ってたらもっと酷い事になるから。大丈夫だってすぐ直るだろ、たぶん」


 そして外したままに四肢を固定して縛り上げると、その辺の木箱に詰めた。


「タツミとお前とサヤの中から二人以上で監視してくれ。あとエース達にこいつを探させてくれ。多分いるはずだ」


 そしてハルユキは神様の格好に戻りながら、ナノマシンで作成した顔写真をリィラに渡した。


「……誰ですか、これ。可愛いですね」

「名前はエゼだったかな。多分抑え役になると思うんだが」

「畏まりました」

「んじゃよろしく。俺はスノウのとこに戻る」


 ラストを乗せた木箱と一緒に、急遽作成した地下通路に二人が消えるのを確認して、大きく息を付いた。


(何とかなったか……)


 ラストを捉える事には成功した。


 この倉庫に誘導し、ラストをこの中に入れると同時に備えてあった電磁砲を発射。

 そして"神の血"に扮したロウを代わりに逃げさせて囮にし、こちらで本物──"本物の偽物の神の血"を捕獲する。


 中々危ない橋だったが、幸運な結果に終わったと言っていいだろう。

 だが、だからと言って目的を果たしたかと言えば微妙な所だ。

 "神の血"が戦争の抑止力になっているのならこの場に表れるだけで拙いし、演出上手傷を負ったように見せかけた。


 どう影響するだろうか。

 あの程度で手傷を負うなら、警戒するまでもないと映るか。それとも何らかの魔法で捕捉される事はないか。


 "世界会議"を事実上掌握するまであと一週間。

 それまでは騒ぎが起こってくれなければいいが。


「なんにしても、だ」


 ハルユキはしっかりと神の面をつけなおした。

 一層正体が露見しない様に努めないといけない。


 ラストを逃がしてしまう可能性もあったので、"シン"=ハルユキだと悟られないようにハルユキとしての格好をしたが今後はずっと──いや少なくともあと一週間はこの格好で過ごした方が良いのかもしれない。


 慎重に慎重を期して、石橋をたたく。その上で渡る。

 それぐらいの気概でいけば、ばれる事などない。


 ただ、この面があると食事がとりにくい。何とか改良するか、いやまあ一週間ぐらいなら我慢しよう。

 ただそう。明日からだ。明日からにしよう。

 今日はサヤにご褒美をねだってたらふくご馳走を食べ、寝て、そして明日から頑張ろう。


 さてでは何を食べよう──、と。


 そんな事を考えている場合でない事にハルユキは気付かない。

 一つだけ、失念している事に気付かない。


 雑念だらけのままガラスの囲いを消すと、小麦粉の粉じんがあっという間に散って行く。


 すると目の前に誰かが立っていた。


「────……」


 ただ、それで不意を付かれるほど腑抜けてはいなかった。

 なぜ接近に気付かなかったのか、これは何者か、フードで顔は見えない。


 そのような考えよりも、それどころか驚くよりも先に、ハルユキは反射的に拳をそいつの下顎に向けて奔らせていた。


 だからその後だ。


「は……?」


 何故かそいつの顔の寸前で拳を止めてしまった自分に驚いて、体を硬直させてしまったのは。

 そいつはくすりと笑ってから、手にしていた短刀を振り上げた。


──かつーん、と間抜けな音が倉庫内に響く。


 弾かれたのは神の面だ。それは天井付近まで登って、落ちてきて、そして目の前のそいつの手の中に収まった。


「ふーん、そう」


 ハルユキは素顔をさらしたまま阿呆のように動けない。

 と言うかもう、動く意味もない。


 なぜなら彼女もまたフードが取れて、素顔が見えていて、おまけにさっきからずっと目が合っている。

 身を寄せるように彼女がこちらに近づくと、その燃えるような髪が揺れた。


 ぐ、とそいつは──"紅蓮の姫"ノインはハルユキの胸倉を掴むと、鼻が付きそうな位置まで顔を引き寄せた。柑橘系の甘酸っぱい匂いがした。


「久しぶりね、ハル」

「…………はい」

「今日の24時きっかり。誰にも見つからない様に私の部屋まで来る事。良いわね」

「え、えーと……」

「走ってで来なさい。良いわね」

「い、いや早めに出れば……」

「全速力で来ないと怒るわ。遅れたら承知しないわ。見つかったりしたら蹴るわ。良いわね」


 自惚れかもしれないが、ここ3週間ほどで見たノインのどんな表情より嬉しそうな表情でハルユキを責め立てている気がした。

 現状を認めたくないとばかりに、ハルユキは引き攣った笑いを浮かべる


「……えー、と。もし、来なかったら?」

「泣いちゃうわ」


 ただだからと言って、彼女の心情をくみ取れなかった事を、後でハルユキは後悔した。


「ホントに、泣いちゃうから」


 後ろを向いてしまったノインは顔だけをこちらに向けた。その顔は笑っているように見えている。


「……ダッシュで行くよ」


 自然とそう口にしていた。するとノインは少しだけ驚いて、そして柔らかく微笑んだ。


「そう。なら、待ってる」


 そう言って、彼女はまたフードを被った。





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