黄色
通信魔石の小型化。
数値による魔力量測定。
魔力を与える事で浮力を生み出す汎用術式。
数々のよく分からない説明は、他の面子にはとても魅力的な物だったらしい。ツヴァイなどは目を輝かせて詰め寄る様にナミネに質問をぶつけている。
ノインとコニーはリィラとフェンに説明を求めているようだ。
そして最後にハルユキの視線は棚の陰に身を潜めているウィーネに移った。
「何で隠れているんですか?」
「私がいるとね。多分緊張しちゃうし」
「……何しに来たんですか」
だからと言ってナミネがリラックスしているかと言えば、そうではない。
顔ぶれに慄いているかと言えば、それも少し違う。ちらちら、ちらちらと。彼女の視線は入口の方で突っ立っている姉を追っている。
スノウの方はそれに気づいているのかいないのか。ずっと目を伏せているだけ。
「何しに来たって……」
「え?」
「貴方が言ったんじゃない。ナミネももっと見てやれって」
「ああ。それでどうでした?」
「……そうねぇ」
やがて話は件の"宿り木"に移った。
周りに全員が集まってスノウを気にする余裕は無くなったのか、上ずりそうになる声を必死に落ち着かせて話を続けている。
「──先程説明した魔法の魔力変換回路。魔石の分化が進めば最終的に」
丁寧な説明はどこか危ういが、そのせいか耳が自然に傾く。
ナミネに周りを見る余裕がない事を察しているからか、スノウも静かにナミネを見つめていた。
「嬉しい。嬉しいなぁもう」
「何がでしょう?」
「私ね。誰かを好きになんてなれないと思ってたの」
「は?」
ありがちな事だ。しかしなんでそんな話を。よりによって自分にするのか。
表情は笑っていて、声は真剣みがあって。冗談なのか本気なのか判断がしづらい。
「最初ね。私の旦那を好きになってね。世界が変わった気がしたの」
「……」
「スノウを泣きながら産んでもう一度世界が変わって。まあそれから色々あってナミネを養子にとる事になってね」
「そうですか」
「私がスノウを愛したのはあの人の子供だからって思ってたんだけど、違ってね。自分は意外と簡単な造りをしてるなって思った」
ナミネはウィーネの実子ではない。
その辺りの経緯はよくは知らないが、ウィーネが愛した二人を無くしてそれから"代わり"を用意しろと言われた時の心境は少し理解できた。
「自分の中にね、こんなものあるなんて信じられなかった。分かるでしょう?」
「……つまり?」
「感謝してるの。世界は不安定で。ナミネとスノウはちょっとギクシャクしてるけど。スノウは危なっかしくて気を許してくれないけど。ナミネは何だか遠慮して一緒に居てくれないけどね。とっても幸せになっちゃった」
ウィーネは飛び上る様に立ち上がった。その腰には先日ハルユキが届けた形見が差してある。むん、とウィーネは胸を張った
「大事なの、世界より。ううん私にとってあの子達が世界で未来」
「母ですね」
「そうなのよー」
視界で突然動いたものに反応してナミネはキョトンとこちらを向いていた。そしてハルユキの隣に居るのが誰かを認識して、かくんと顎を落とした。
「ナミネーっ! 頑張れーっ! 愛してるぅうー!」
突如上張り上げられた大声に、皆が一様に振り向いて肩を跳ねさせる。
その様子が可笑しかったからではない。ただ込み上げてくるものを自慢するかのように、ウィーネは一人、子供のように歯を見せて笑っていた。
驚きはするもののそれを笑って流してしまう連中も連中だし、目を輝かせて語気に気合を溢れさせるナミネもナミネだし。
隅っこで寝始めている奴等も二人ほどいるし。
大国との交易を強固にする為の厳かな会だったはずだが、その雰囲気と来たらもはや小学校低学年の授業参観のそれである。
(ん……?)
部屋には十三人がいた。
緩んだ空気に肩から力を抜く五人、もう一度眠ろうとする一人、眠気が覚めて胡乱な目で周りを見渡す一人、気合が空回りし始めた一人、それらに隠れるように部屋を去る一人、それを見つけた四人。
それを一番早く追ったのは、一番小さな影だ。
ノインは自分がどういった立場でここに居るのかを知っているために、浮かせた腰を戻した。
ウィーネは、今はもう一人の娘から目を離すべきではないと思い、腰を上げる事をしなかった。
だからフェンだけがスノウを追った。
ハルユキはこの間のフェンの言葉を思い出して、任せてみる事にした。
スノウがそれらの行動をすべて見透かして今行動した事には気付けなかったのだ。
「フェン」
ハルユキが声を掛けると、フェンは膝を抱えた体勢から驚いて顔を上げた。
慌てて立ち上がって周りを見るが、ハルユキの姿はない。ハルユキがいるのは壁を挟んで向こう側。ハルユキもまだ部屋から出る事は出来ない。
「お前な、今一応仕事中だぞ」
「仕方なかった」
「で、どうだった」
「駄目。これで八回目。今度は無視された」
「……へ? 八回目?」
「八回目」
「……タフだなお前」
「へでもない」
「落ち込んでたじゃねぇか」
「気のせい」
「いやいや……」
あからさまに強がるフェンに呆れながらも、ハルユキは笑った。
「なあ、ヴァスデロスが計画してるやつ知ってるか?」
「……個々の御前試合の事? でもあれは」
あの大馬鹿が驚かせようと周りに秘密にし過ぎたせいで、開催自体が危ぶまれているのだ。
ただ国民の前で大々的に発表したせいで期待感は高まっている。
次の日が演習という事もあるので無理も出来ない為、幾らか形式は変わるが催しを用意しようと言う事にはなっているらしい。
「お前出たらどうだ。んで、あの馬鹿倒せよ」
「……ユキネは出ないと思う」
「それは俺が何とかする」
「……なんになるの?」
「いいか? あいつの事だ。どうせ一人で突っ走ってるのは周りに変な気を遣ってるだけだ。傷付くのは私だけでいいとかそんな奴」
「……うーん?」
「そうなの」
「……それで?」
「実力を見せ付ければあっちから謝ってくるね。間違いない。事実俺は共に戦ってほしいって言われたぜ」
「……それはハルユキが別に傷付いてもいいと判断したんじゃ」
沈黙が流れた。
「でも、うん。そうする」
「……どうした急に」
「分からないけど、本気でぶつかった事はなかったなと、思って」
「ふーん」
フェンは壁の向こうで立ち上がった。
「こっちの仕事もやる。元の仕事もやる。修行と研究もする」
「大丈夫かそれ……」
「本気だから。私には必死さが足りなかったように思う」
そんな事はないと思うが。ただやると言うなら止める理由はない。ないが、顔も見えないが何となく思う
「……怒ってる?」
「そんな事はない。私は怒ったりなどしない」
そのように言葉を残して、フェンは静かに離れていった。
今まさに仕事の途中なんだけど、とそんな事を言うとこっちに怒りの矛先が向きそうなので止めておくことにする。
「──神様!」
「ふぉい!」
突然目の前に顔が滑り込んできてハルユキは素っ頓狂な声を出した。
目の前にはやたら整った顔。男か女か判らないから多分リィラか。リィラだ。
「まさか寝てたの?」
「いやまさか。素晴らしかったですよナミネ様」
ノインとナミネから白い目を避けつつ、周りを見渡し見るからに浮き足立っている男がいた。
ハルユキは話題逸らしにその男を選ぶことにした。
「どうでしたか、ツヴァイ殿」
「いや、素晴らしき哉──!」
ツヴァイはノインを押し退けるように前に出ると、手を差し出した。
それを握り返すと、ツヴァイは更にそれをもう一方の手で握り込んで大きく二度力を入れた。
「失礼。しかしまさか神具に根差したものだったとは。これほど神々しいのも頷けると言うものだ、これを奸策の走狗に例えるなぞあってはならぬ」
「ツヴァイ。それで結局奪う事にしたのか」
なんとはなしに一人目は机に覆いかぶさった格好のままそう口にした。
空気が静かに凍り付いた。
「……ふむ、誤解しないでもらいたいのは」
そんな中をツヴァイは怒るでもなく焦るでもなく涼しげに周りの顔を見渡した。
「貴殿等が仮にこれを利用し、どこぞに悪意の根を伸ばそうとしているのならばこれ幸いと思っただけの話」
「誤解じゃないわよ、それ」
「誤解だとも。某等"ビッグフット"は全面的にエルゼン神国家に全面的な協力を約束しよう」
誰も言葉を返さなかった。
考える。ビッグフットは好意的だ。好意的だが、それならば何故アインに言わせたのか。
簡単だ。彼等は好意的で協力的。ただ、だからと言って慣れ合うつもりはないと言う警告だろう。
「いいでしょ。別に。この人達じゃ、奪う事なんてできませんよ」
もう一人、この空気をものともせずに口を開く奴がいた。
「……ほう。世も知らぬ糞餓鬼が、よく吠える」
彼等はとても礼儀など持ち合わせていない。
そもそも傭兵からの成り上りだ。礼儀なんて間に合わせの鍍金にすぎない。
それが今はぼろりと剥げ落ちて、野犬か群狼さながらの野性味すら滲み出ている。
「確かにエルゼンから出てきてこちら、驚くと言うより呆れるばかりです。未来に来たのかとすら思いました」
「は、だから世間知らずと──」
「貴方達は箱入りです」
「ああ?」
「り、リィラさん……?」
なんでこの子はいきなりケンカを売っているのだろうか。
いやまあ先にあちらからケンカ販売はあったのだが、そんなに怒らなくても。
「アイン」
ツヴァイは声は荒げていたが恐らく終始冷静だった。感情に波が起こったとすれば今。
面白い事を思いついたとばかりに、頭巾の下で口元を捻じ曲げたこの時だ。
「……ああ」
そしてアインは呼ばれて立ち上がった。
笑みはない。それに使うエネルギーすら内に溜め込んで、ただ殺気のみが漏れている。
ツヴァイがアインを呼んだ意味を、阿吽の呼吸であろう二人よりハルユキは一瞬遅れて気付く。
上手く手加減できるように、人差し指の第二関節をこきりと鳴らした。
「待て。今ではない。二週間後だ」
「あ?」
「某は合同演習の準備がある。貴様が出ろ。出て"ビッグフット"の名と世の中の広さを教えてやれ」
「……あ」
ああ、なるほど。これを言いたかったのか。
この間、ヴァスデロスとノインにあからさまに挑発されて、それで考えたのだろう。
出る事こそやはりできないが、やはり何かしらと。
意味を理解してハルユキは笑った。ノインも小さく笑う。ツヴァイも肩から力を抜いた。
「……冗談、ですか」
リィラが冷たい声色のまま言った。
「いや済まない。冗談と言うか、何だ。意趣返しと言うか」
「……いえ。僕も熱くなり過ぎました。すみませんでした」
ぺこりとリィラは深く頭を下げた。
先程から続いての豹変ぶりにツヴァイも鼻白んで、思わず辺りに視線を逃がす。中途半端な空気が一瞬だけ辺りを支配した。
「そう言えば!」
先程まであったせっかくの和やかな雰囲気を引き留めるべく、ハルユキは大きな声を出した。
しかし少しばかりあからさまだったか。周りの視線が白けている気がする。そして咄嗟に話題が出てこない。えー。えーと。そう。
「御前試合と言えば。出来るならばあの方も呼びたいですね。最強と名高い"神の血"を」
結果として場の空気は持ち直すことなくそのまま死んだ。
死んだと言うか、さらに重くなっていく気すらする。
あれだろうか。神と名乗ってるくせに神の血を知らないっておかしいだろって話か。勝手に名乗りやがって不届きな野郎だと言ってやればよかったか。
(あれ……?)
と言うより、何か様子が可笑しい事に気づいた。
いや厳密におかしいのは四人だけ。ウィーネとアインとツヴァイと、そしてノイン。共通点を挙げれば、この中で高い戦闘力を以て四人だ。
「……どうか、しましたか?」
「ううん。私はね。別に名前ぐらいしか知らないからね。でもそっちの三人は」
「そうね。私は知っている方だと思う。アインとツヴァイも会った事あるのよね」
「ああ」
アインは小さく舌打ちをしただけだったが、それでも浅からぬ因縁を感じさせるには十分だった。
「一体どのような方なのでしょう」
「基本的には噂の通りよ。どこに居るのか知っている人間はいない」
ノインの顔には表情と言うものが無かった。
何かしらの感情を外に漏らさないようにしているのか、その美貌と相まって凍てつくほどの無表情。
「……それは、もう一つの噂もですか」
「あれに勝てる人間はいないでしょうね」
「暴力の化身だ、あれは」
待て、いや待て。
最強など言う言葉は武人を表す時にはよく聞くと言ってもいい表現ではあるが、しかし。
──ノインとツヴァイは自分とも会っているはずだ。
(奢っていた訳じゃないが……)
その二人がこう言っているという事は、つまり。
そいつは、神の血とやらは。俺よりも。
◆
「あれ、ハルユキさんどこ行くんですか」
「リィラか。ちょっとな」
龍襲撃対策本部の視察を終えて二時間ほど。
エルゼンの屋敷から出ようとしたところで、リィラと鉢合わせた。
「しかしあれだ。お前何でいきなりあんな怒ったんだよ」
「あー……。すみません。軽々しく奪うなんて言われて頭に血が上ってしまったんだ、と、思うんですけど」
「気にすんな気にすんな」
相手も挑発したんだからそこまで謝る事ではない。それにリィラがそこら辺に敏感になるのも仕方がないと思う。
国食みに全て奪われたから過去があるからではなく、今の毎日にリィラがどれだけ掛け替えのないものを感じているかは知っている。
「それより神様。どこ行くんですか」
「いや。だからちょっと」
「……僕も行きます」
「い、いやいや。どうした急に」
半身引きながら慌ててそう言うと、リィラはジトリと半眼でこちらを睨んだ。
「ハルユキさんは、最近ちょっと昔の知り合いの人達に会いすぎだと思います」
「別にそんな事は……」
「あります。昨日の休日はフェンさんと遊んでたし、その前の日はレイさんとお酒飲んでたじゃないですか」
「い、いや、どっちも飯食ってただけだって……」
言いながら何でこんな間男みたいな言い訳を並べているのか分からなくなった。
「そんな事じゃ、すぐ正体なんてばれちゃうのに」
「いやいや、ばれねぇって」
「……ばれても構わないと思ってるんじゃないですか」
「あ? あー……いや。別に構わないって訳じゃあないが、そうだな──」
現状が停滞している以上、大した意味はないんじゃないかとは思っていた。相手が攻めてくれば、そのまま素ッ首を撥ねてやればいい。
と、ついうっかり、そんな思いをリィラの前で零してしまった。
「……そんなの」
リィラは打ちのめされたように目を見開いてそのまま瞳を震わせた。
(──はァ!? ちょっ、ええ!?)
今にも泣きそうに見えて慌てて近寄るが、どちらかと言うと拗ねていじけている様だった。
とにかく意味が分からなかった。いやきっと、リィラにしか判らない大切な事があるのだろう。ならばとりあえず謝っておくのが吉である。
「悪かったって。別に、そんなお前」
「……なんで怒ってるのか分かってないくせに」
「ご、ご名答で」
「大体ハルユキさんは楽観的すぎます。人を見る目なんてないのに、すぐ人に付いていくし……」
「お、お前俺の事三歳児か何かと思ってないか……」
「……いつか誰かに騙されて、酷い目に合うに決まってるんです」
何でこんな好き放題言われなきゃいかんのかまるで分らない。
心配してくれているのは辛うじてわかるのであまり強くもでれず、困って頭を掻いた。
「……お前はどうなんだよ」
「僕はハルユキさんを騙したりなんかしません」
「そうじゃねぇよ。お前は見る目あんのか。騙されんのか」
「だ、大丈夫ですよ……」
「よし。よし。なら良いじゃねぇか。お前が教えてくれりゃあいいんだから。な」
ぽんぽんと、続く反論を封殺するべくリィラの頭を撫でつけた。リィラはぽかんと一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたむくれた。
「いつも一緒にいる訳じゃないですよ」
「大体一緒だろ。終わったら一緒に旅するんだろ」
「……え、ホントに良いんですか?」
「いやお前が言っただろ」
「だって僕、あのスノウって人と仲良くできませんよ」
「別に俺達も仲良しって訳じゃねぇよ」
と言うかもう俺以外はどいつもこいつもこの国の要職についている訳で、結局は一人旅になる可能性も低くないのだ。
「……本当に、良いんですか?」
「お前が良ければな」
前から言っていたのでハルユキとしては本当に問題が無かった。と言うかあまり深く奸気ていなかった。
そもそもあの6人になったのもほとんど乗合馬車に一緒になったぐらいの気軽さで増えていったからだ。格式もへったくれもない。
「じゃあハルユキさん、最初の忠告です。あのスノウって人とは縁を切りましょう」
「私情入ってるよね?」
話している間に機嫌は良くなったようだった。内心でほっと息をつくと、リィラの頭から手を離した。
「んじゃ、行ってくる」
「あ、やっぱり僕も行きます」
「ギルドのとこだよ。すぐ戻る」
「行きます」
「別にいいけど……」
それから一緒に街を歩く事になった。何だか道中やたら小言を言われたが、まあ多分ご機嫌だったのでよしとする。
「そう言えば」
「ん?」
ギルドまでの道半ばという所で、リィラは思い出したように言った。
「"神の血"って人。本当にいるんですかね」
「んー……」
ノインをして最強と言わしめる誰か。
思い当たるのは今まで拳を合わせた事がある何人か。しかしそれでもノインにあそこまで言い切らせるほどの者ではなかった。
「だって、ノインさんってハルユキさんとも昔会ってるんですよね……? てことは」
「……俺より強い奴か」
どう言っても驕っているようにしか聞こえないだろうが、そんな奴は今まで見た事がない。
――少なくとも、ここ一億年ほどは、だ。
先日あの部屋で思い出させられた一億年前の痕跡が脳裏にちらついた。生きているか死んでいるか分からない、あの男の顔も。
言っていて恥ずかしくなるが、ハルユキの戦闘能力を加味し前提とした上でここまで話は進んでいるのだ。
全てが根底から覆される。
もし、本当にそんな奴がいるのなら。自分も覚悟とやらを持たなければならないのかもしれない。
(……ああ)
知っている顔が無造作に殺されて地面に転がっている光景が脳裏によぎって、拳に力が入る。
分かる。あの部屋のせいでつい最近思い出した感情だ。怯えが足元で首をもたげている。
「……か、神様?」
予想以上に、自分より強い何かの存在とやらが大きかったらしい。
気付けばリィラを初めとする周りの人間がこちらを見ていた。
「っそ、そんなにまずい状況なんですか……?」
「悪い。大丈夫だよ」
不安げな表情をまた頭を撫でて誤魔化そうとするが、今度は通用しなかった。
リィラは服の裾を強く握って、ハルユキの歩みを止めた。
「ぼ、僕がいます。僕も戦いますから……」
「馬鹿野郎。俺より強い奴なんていねぇよ。瞬殺だ、瞬殺」
「……もう」
しかし顔も知らない奴に怯えていてもしょうがない。自分が怯えを見せる事がどんな事かはハルユキにも想像が付いていた。
「まぁ、それを確かめに来たわけだ」
「ぼ、僕も行きます……」
「駄目だ、お前は待ってろ」
ギルド開館は当然だが正面玄関から入れば、いつも人がごった返している。
冒険者ギルドは止まっているが、今や商路を確保しているのはギルドくらいなので行商街商問わず入用だし、値段の高騰も抑えられてるとあって町民たちも殺到するのだ。
おまけにまだ各地の特産品まで備えているのは、流石としか言いようがない。
更に演習で使用する武具や、諸国への兵の貸し出しもやっているのだ。一体どれだけの金貨が行き来しているのかを考えると、空恐ろしい。
敵情視察と言う名目で珍しい物に食いつき始めたリィラを置いて、ハルユキは裏手に回った。
「ミコト様はいらっしゃいますか」
「お入りください」
いつもの裏口、取っ手も縁もない壁のような入口が独りでに音もなく開いた。
足を踏み入れる。やはりこっちは静かだ。正面玄関の方に先に行ったからか、改めてそう思った。
「これは、シン様」
「こんにちは」
以前忍び込んだ時の衛兵がミコトの部屋の前に立っていた。
やはりと言うかこちらを見る目が笑顔なのにとても冷たい。逃げるように部屋の扉をノックした。
「入れ」
「失礼します」
ここもまたいつも通りだった。
世界一の長者の部屋とは思えないほど気品はなく、雑多で散乱している。
扉の両脇には巨大な魔力測定器が変わらず埃をかぶっていて、他には幾つかの品が減って、同じだけ増えていた。
「来るのが早ぇんだよ。ヴァスデロスかお前は」
「人名をそのまま悪口に使うのはどうかと……」
「俺が言われたら一番心を抉るだろう言葉だが……」
あの激情家の男に何やらとんでもない言い様だが、しかしこの男なら本人の目の前でも言うだろう。
そしてやはり激情家は激情を発露して、面倒な事になる。是非その場には居たくないものだ。
「それで、どうした」
堅苦しい挨拶も抜きで、ミコトは淡泊に言った。ここにもまた、格式などはないようだ。
「神の血について、ノイン様とツヴァイ様にお伺いを立てた所、興味深い話を聞きまして」
「――――……」
「……? どうかなさいましたか?」
ミコトは何かを意外に思ったらしい。絶えず動いていた手を止めていぶかしげな視線をこちらに向けた。
「……いや。それは知っていた。ノインに関しては直接聞いたからな」
「興味があります。よろしければ――」
「ノインは負けたらしい。手も足も出なかったと」
思わず喉が詰まった。
ノインが負けた。ハルユキが知る中で指五本には入る実力者が、簡単に。
神の血。
想像だけで膨らんだ怪物が、形を為していくようだった。
「……そうでしたか」
どうにかして聞き出そうと思っていたが、思ったより簡単にミコトは言った。
違和感を感じる。こいつは簡単に情報を渡してくるような奴じゃない。
探るような目を向けると、ミコトも同じ様な目をこちらに向けていた。無論仮面のせいでミコトからはこちらの表情は見えていない。
「ツヴァイもそうだ。実際に戦ってはいないそうだが、アレが戦う前に戦意を無くしたそうだ」
「どんな化け物なんでしょうね」
「人の形はしているらしい。そして驚く事にこいつは、一時期うちの冒険者ギルドに登録していた」
「え、なら……」
「ああ、名前は分かってる」
最初からこの情報を盾にして何かを要求するつもりなのだったのだろうか。ただ、ミコトの顔は変わらずこちらを探るような表情をしている。
しこりが残ったまま、ミコトはたたみ掛けるように言葉を続けた。
「そいつ自身はCランク。所属していたチームはBランクまで行ってるな。チームの名前は、……血盟タンポポ団? なんだこりゃ」
――ん?
「ただ記録によると特例でS+の依頼を半日でこなしてるな」
んんん?
「それだけじゃない。オウズガルの武舞では事実上の優勝。街を襲った精霊獣を単独で撃破。その後何故かビッグフットに渡り五千人余りの戦闘員を戦闘不能にし、アインを盾に取っていた盗賊を揃ってタコ殴りにしたと記述されてる」
想像の中の化け物が、どんどん加速度的に形を為していく。と言うか、何かメチャクチャ見覚えある顔に変わっていく。
「ノインだけじゃない。流星や虹色を町中で手玉に取った所を見た連中も居るらしい」
言い終えて、ミコトはそれが書かれて居るであろう書類を机に上に放った。
ノインとツヴァイがよく知っていて。最強なんて言われてて。舞武に出てて。ビッグフットで大暴れして。
そんな奴を何か最近聞いたような。と言うか笑われたような。
「……どうした?」
「あ、ああ、いえあの。流石の情報網だと」
「……まあ、苦労の割にはこの程度だ。そもそも二年前のビッグフットとオウズガルの事件に関しては情報封鎖がきつくてな。まあいい話を戻すぞ」
「えー……、まだ何か?」
「こっから本題だ」
とにかく、とにかく冷静になれと深く息を吐いた。混乱している。頭が空回りをしているのが自分でも分かる。
「それでここからは俺の意見」
しかしそれを許さないとばかりにミコトは言葉を続ける。
ここに来て初めて、ミコトが何かを企んでいるのではないかとハルユキは気付いた。
ただそれもまた無駄に負荷を掛ける情報で、ますますハルユキは混乱していく。
「俺の知っている限りで、流星と虹色を手玉に取った人間をもう一人知っている。ただこれだけじゃ決め手に欠ける。それで少し準備をした」
「ちょ、ちょっと……」
「そいつは。"神の血"は。世にも珍しい"魔力を持たない人間"らしい」
ばちん、と両脇で何かが弾けるような音がした。
その音の源にあるのは扉の両脇に置かれたオブジェのような何かの機械。確か――魔力測定器。
「最初にここに来た時は警戒感が強かったから様子を見た。2度目が予想外だったが。3度目はお前の任意の時間で来させて更に警戒を解いた」
ミコトはゆっくりと近付くと、魔力測定器に近付いた。
まずい。破壊するか、いや。そんなもの認めているようなものだ。
「成功だ。ようやくこの馬鹿でかいゴミを処分できる。なあ、"神の血"シキノ・ハルユキ」
そして結局ハルユキは一歩も動けないまま、ミコトは装置の根本を開いて何かを取り上げた。
魔力球だ。魔力を測定する時に用いるいつものあれ。
「……なんてシナリオだったんだがな。世界は広いらしい。強い奴なんて山ほどいる」
そしてつまらなそうにミコトは鼻を鳴らして、その魔力球をハルユキに放った。
「て言うか、お前魔力少ないな……」
「あ……」
手の中のそれを見て、ハルユキはようやく思い出した。今微量ながら自分も魔力を持っている事にだ。
「ま、さっきも言ったが違うとは思ってたよ。どうにもこいつ、その後各地で暴れてるらしくてな」
ぴくりと、ハルユキは体を硬直させた。
(九十九。てめえまさか俺に前科付かせてねぇだろうな……)
(んぁ? 知らん。起こすな)
ぶつん、と一方的に繋がりっぽい奴が切断された。びしりと血管を浮かべてもう一度引き摺り出そうとしていると、こちらを見ているミコトに気が付いた。
「……えー、それで彼は今どこに?」
「さあな。つい三日ほど前には北方の国で行商人と竜をぶち殺してたって情報があるが、どうも錯綜してるな」
「――三日前?」
ハルユキは思わず聞き返していた。
この一週間は少なくともこの街の周辺から離れていないはずだ。
「まあ、そういう訳だ。俺の知ってる情報もそれぐらいだ。追うなら勝手に追え」
「……そうします」
「じゃ帰れ。俺も凝りが取れて有意義だった」
「あ」
蹴り出されるように、ハルユキは部屋の外に出た。
そしてまた衛兵の人に嫌悪感丸出しの笑みを向けられたので、とりあえず早足で建物から出た。
門番の人に一礼して、ハルユキはその人が見えなくなるまで歩いて、壁に背をつけた。
幾つかおかしい事がある。それは今考えて謎が解けるような事ではなかったが、少し時間を必要とした。
まず、恐らく神の血を騙っている人間の事。その狙い。そして少なくとも"騙れるだけの実力"を持っているであろうその正体。
そして二つ目。それは握った魔力球の中にあった。
確か魔力の少ない順から確かオレンジ、黄色、緑、青、紫、赤、白で表される。
この国に来る移動の時に教えてもらったのでまだ覚えている。その時はほんの薄らオレンジ色が見えていた程度だった。
それなのに今は手の中で煌々と黄色が光っている。
思わず空を見上げた。雲一つない晴れ空で、少し道を進めば当たり前に賑やかな賑わいがある。
ハルユキは急速に増え始めた不穏の影を振り切る様にそちらに足を向けた。
明々後日にもう一話上げたい。
→すんません、間に合わないでした。




