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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
244/281

竦み合い

遅れました。




「び、びっくりしたなぁ……」


 部屋にいるうちの一人は男、確かアラン・クラフトとか言ったか。

 十人並みの反応を見せていたが、こいつが現れた時の皆の反応を思い返すとそれもどこかうすら寒い。


 そして最後に恐らく手紙を渡してきた喪服の女。今もまた黒いチェニックのような物を着ているが顔は隠されていない。

 ギルドの受付で何度も見た顔、ウェスリアだ。静かに彼女は笑みを湛えていた。


「すごいね、こんなに驚いたの何百年ぶりだ。ウィーネさん気付いてたの?」

「全然。さすがにノックも無しにこの部屋に侵入するとは思えないわよ」

   

 皮肉めいた言葉が聞こえるがまあいい。


「それで用件は。脅しかしら、要求かしら。それともまさか殺しに?」

「どうでしょうね」


 女が動いた。あくまで義務的に一瞬で懐に手を伸ばす、がしかしハルユキの姿は視線の先に既にない。


 つむじ風や衣擦れの音すら残さず、その姿はウィーネの目の前に。

 ウェスリアの手には懐から取り出した投刃があったが、すれ違い様にすり取られている。


 ひゅう、とアラン・クラフトが感心したように口笛を吹いた。


「……よくわかったわね、私があの手紙を手配したって」

「あの"猟奇屋"の警戒網を潜りぬけて情報を得られる人物で、スノウ殿下を擁護したい人間。しかし表立っては動き辛い人物となれば当てはまる人間はそう多くないでしょう」

「その筆頭が、母親の私」

「はい」

「皆いろいろ考えてるわよねぇ……」


 へえ、と感心して溜息を吐く姿に肩透かしを食う。

 仕草や言葉が若いのだ。ただそのせいか皇帝の癖に偉ぶった物は感じない。夜郎自大なジョージとは対照的だった。


「さて、それで私としては今日の首尾の良し悪しを聞いておきたいのですが」

「昼間の世界会議イデアルの事? 最っ高よ、笑っちゃうの我慢するのが大変だったんだから。わざわざあんな方法を取ったのはなに? やっぱりギルドに恩を売りたかったから? 全部自分で考えたの?」

「……彼は戦力を必要としていました。それにあのまま殿下が失脚すれば彼女の椅子に一番近くなるのは糞虫ジョージ達になる。それは許さないだろうと、まあ。そんな感じの打算はありました。ちなみに考えたのはほとんど私の自慢のメイドです」


 良い人材がいるのね、と微笑むウィーネに、本人の前では言いませんがね、と苦笑を返した。


「それでも、彼ならば他の手段もあったはず。あのまま話に乗ってくれるとは限らなかったわ」


 ハルユキが言いづらそうに口ごもると、ウィーネは頬杖をついてこちらを見上げたままにへらと笑った。


「貴方達はいつもそういうやり方なのね。そんな無暗に信じて」

「たまたまです。彼は、善い人に見えたので。勘頼りで申し訳ない」

「そう。なら、そうなのかもね」


 中身は随分とユキネとは違うように見える。

 その素直さは間違いなくナミネの方に濃く受け継がれている。例え血は繋がっていなくともだ。そして。気を抜いて。ふと頬を緩めた時だ。


──瞬間。ちくり、と何かが首筋を刺した気がして振り向いた。


「やめなさい」


 それは、ウィーネが口を開くのと同時だった。


「……ばれちゃったよ、ウェスリア」

「私を共犯のように呼びつけるのはおやめください」

「ちぇー」

「口を尖らせない」

「はーい」


 のどかな会話をハルユキの会話は受け付けない。

 見えている光景がとても似つかわしいものではない。彼の使い古された木の葉色の旅装が内側から膨らんでいた。

 ごりごりと、それは奇妙なほど静かに蠢いてやがて何事もなかったかのように収まる。


 あれは何だ。いや、それより。あれで何をする気だった。


 ふと目が合う。

 深緑の瞳がこちらを認めて、ぎぃと音を立てて笑みの形に歪んだ気がした。


「はい、そこまで。アラン止めないと殺すわよ。あと、貴方も隠れていてもばれてるからさっさと出てきて」


 ウィーネがそう言うと、すっと扉が開いて一人の男が滑り込むように入ってきた。


「レガリア。立ち聞きは良い趣味とは言えないわ」

「ブラッド・オーガー司教より言伝があります」


 会話の噛み合いが少しばかり怪しい。

 ナミネの事がある。この二人の関係もおそらくはあまりいい物ではないのだろう。


「ああ、丁度良い。貴方にも聞いていてほしい」

「……私、でしょうか」

「ええ。ナミネ殿下の実父である貴方にも関係がある事だ」

「何の話?」

「これからの話で、本題です」


 聞かせたいのはナミネの実父であるエイプリル・レガリアにもそうだが、彼の直接の主であるオーガーにもだ。


「私達は今回の件、別段これ以上事を荒げるつもりはありません」


 濡れ衣を着せられたとか、そう言った事は言うつもりはない。


「ですが、これを機会に深められるものもあるでしょう。今回も良い"連携"が出来ていた」

「連携」

「はい」


 苦笑したウィーネは目で続きを促した。


「共同で出資して、龍に対する研究機関兼・対策組織を立ち上げたいと考えています」

「──へえ」

「エルゼンからは龍を寄せ付けぬ魔法の研究材料を、そして"龍谷"のタツミ・コウリュウの参入も取り付けています」

「いいわよ」

「……即断できるような物ではないと思いますが」

「何もしなければ睨みあい竦み合いが続くだけ。思う存分動けて、それでいて今注目を集めやすい貴方達が動けば動くほど状況は動く」

「それは……」

「私も考えてるでしょ? それで、私達はどう噛めばいいのかしら」

「人材をお貸し頂きたい」

「お金は? 入用でしょう?」

「それはこちらでどうとでも」


 金は無いが、欲しいものを用意するのは難しくない。

 そもそも名実ともに結集するってのが一番の目的なわけで。ハルユキはしばし会話を中断して、こりこりと指先で頭を掻いた。


「……どうしたの?」

「いえ、意外とすんなりと話が終わってしまったので。もう話す事がありません」

「何よりじゃない。お茶でも用意する?」

「いえ。遠慮しておきます。書簡は後日送付しますので」

「うーん、でもスノウは私が言ってもあんまり聞いてくれないし」

「あ? ああ、いやいや。すみません。それだ。それを言ってなかった。スノウ殿下だけではありません。私達が欲しているのはナミネ殿下もです」


 父であるレガリアの事でもう言った気になっていた。

 そもそも昼間ユキネも言ってたが、あいつを力づくでいう事を聞かせるのは不可能なのだ。それはそっちには期待してない。


「ナミネを……?」


 思ったより変わった空気に驚いた。

 しかしあちらもたいそう驚いているので対応に困って、またハルユキはこりこりと頭を掻いた。


「それは別に構わないけれど。理由を聞いても?」

「彼女の研究技術と理論が欲しいのです」

「……それは、趣味でやっているのは知っているけど。何度か見せても貰ったし」

「それにナミネ殿下と貴方ではほとんど面識もないはず。連携に不備が出るのでは」

「……いえ。彼女とは偶然仲良くなって」


 ナミネ殿下、とレガリアは言った。

 まあ今はウィーネの子だ。色々事情は複雑だろうし、そこを強くは言えないが。


「彼女は本当に気を置かせない子です。恥ずかしながらこの仮面を付けたまま一番肩の力を抜いて話せるのは彼女の前だ」


 刺激したくはない。頭を指先で掻きながら慎重に言葉を選ぶ。


「加えて直向きな人間だ。今では魔法隊に研究成果を渡しているとも聞きました。頑張っていますよ」

「……うん」

「あー、その。差し出がましいようですが、よく見てあげて下さい。彼女は貴女によく似ています」


 うーん、こんな事を言うつもりはなかったのだが。まあこれもナミネの才能だと思う事にする。


「それでは──」


 ウィーネが目に見えて落ち込み始めたので、重くなった空気から逃げるようにハルユキは背中を向ける。


「あ」


 そして思い出して、すぐにまたウィーネに向き直った。


「何よ」

「あ、いえ。これは本当に偶然なのでただ受け取って貰えたらと思いまして」


 そう言うと、ハルユキは懐からそれを取り出した。

 サヤではない鞘と、それに収まった白銀の剣。すらりと抜いて薄い刀身を両手で持った。


「貴方のご主人と会う機会がありました。その際にこちらを預かりました。誰に、とは明言されなかったのですが──」


──ハルユキは、真横に迫った銀線に気が付いた。

 避ける事は難しくない。ただ、いきなりの事に驚き剣を取り落とした。

 

 そして、既視感が脳を走る。見覚えがある。何に。顔。剣。違う、その線の走り方にだ。


「クロウ様は私の兄弟子にあたります」

「え……?」


 振りぬいた剣を鞘に納めると、"唯剣"エイプリル・レガリアはハルユキの前で膝をつき首を垂れた。


「ご無礼をお許しください。どんな処遇も受け入れましょう」


 待て待て。状況がいまいち理解し出来ていない。説明、と言うか救いを求めてウィーネの方を見る。

 ウィーネはふらふらと目の前まで歩いてきていた。


 尻もちをつく様に地面にへたり込んで、恐る恐ると言った風に剣に指を這わせる。

 その目は大きく見開いていて、しかし驚くほどに虚ろで、葛藤が渦巻いているのが分かった。


「私共が倣った剣は一閃撃滅。初見で避けれるものではありません」


 レガリアが言う。

 それを言うために剣を振った──、いや命を張ったのか。

 不仲だったはずだがそれは間違いだったのか、それともそれを無視しなければならないほどの何かなのか。


 震えるウィーネの手が、ようやく剣を掴んで、ゆっくりとその胸にかき抱いた。


「彼は、なんと……?」

「……何分会ったのはこの世かどうかも定かではなく、一字一句と言う訳に行きませんが」

「いいわ、お願い……」

「失敗した、済まない。耐えてくれ、それに──」


 夢のような空間だった。

 起きて次の瞬間には夢らしく記憶は遠くぼやけてしまった。しかし、何を一番伝えたかったのか。それだけは強く覚えている。


「何があっても誰が敵でも、僕だけは君の味方だ、と」


 ウィーネは体に力が入って、震えて、刃が指や体に喰い込むのも構わずに剣を強く抱いていた。

 そしていっぱいに見開いた目からボロボロと涙をこぼして泣いているのが、顔を見ずとも伝わった。




  ◆




 ハルユキは静かに玄関の扉から室内に入った。

 毛布にくるまった何かが床に転がっている。


 リィラかと思ったが、どうやら違う。と言うか同じようなのが幾つかある。

 最初に見つけた毛布の中身はビィトだった。

 クイーンもエースも、そしてコドラクですらも椅子に寄り掛かって眠っていた。


「お帰りなさいませ」


 しかしやはりサヤだけは、疲れも睡魔も寄せ付けずに静かにたたずんでいた。


「先程までは起きていらっしゃったのですが」


 そう言ってサヤはソファの上で丸まった毛布に視線を落とした。毛布の隙間からリィラの顔だけが覗いている。


「……まあ、こいつ等は普通の人間だしな」

「ん、む……」


 ぴくりと瞼が揺れてから、リィラの目がゆっくりと開いた。


「……お帰りなさい」

「ただいま」

「て、あれ? 皆いる……」

「寝る所と食う所を選ばないのはお前等のいい所だな」

「えへへ」

「褒めてねぇんだよ」


 酔っているのか、何を言ってもにへにへと笑うリィラの頭をぐりぐりとなでつけた。ぼさぼさになった頭を上げてまたリィラはこちらに嬉しそうな顔を向けた。

 異常なストレスを感じていなければ、こいつは本来こうなのだろう。ラカンを殺して以来、"ああなった"のは一度きり。ほんの数日前の事だ。


「悪いな」


 思わずこぼれてしまった声はリィラには届かなかった。

 いつの間にかまた心地よさそうに眠ったリィラから手を離して立ち上がる。


 エルゼンは大事な時期だ。

 本来ならばそれだけを考えていなければならず、間違っても関係のない人間の思惑を突っ込んでいい時ではない。

 例え許してくれているとはいえ。例え大事な物がかかっているとしても。

 でも、それでも。レイとフェンと、あいつ等の表情を忘れる事も出来はしなかった。


「サヤ」

「はい」

「俺はカスかもしれん」


 部屋の半分を占めるようなどでかいベッドを作って、そこに眠り込んでいる奴等を纏めて乗せた。

 シーツに顔をうずめる様にして、彼等は眠りを深くしていく。


「簡単ですよ 主様。助けてくれとそう言えば彼等は何においても」

「死んでもやだね」

「では、そのように」


 ハルユキは合いの手のように返事をするサヤに顔を顰める。

 全て見透かされているようでむかつくのだこいつは。


「きゃ」


 ひっつかまえてサヤをベッドに放り投げると、ハルユキもまたベッドに寝転がってそのまま目を瞑った。







    ◆







「何はともあれっ」


 ハルユキは昨夜までの事をすべて、記憶の隅に放り捨ててばちんと大きく机をたたいて立ち上がった。


「"龍襲撃対策本部"が結成された。基本的には龍に対する有効な防御策を探っていくのが主な活動ではあるが、まあそんなもんは名分だ。実際にはもっと多岐にわたって活動する」


 ここは、王城の中に存在する無数の尖塔の一つ。その中にある部屋だ。

 特別な鍵でしか開かないと言う素敵仕様。それもそれがすげえ。

 扉もなく尖塔の壁に鍵を入れて回せばかちゃかちゃと施された意匠が一斉に動き出して口を開け扉が姿を現すのだ。。

 しかもハルユキ達に誂えられたのはこの塔全部。

 いや小さい塔だから広くて天井高い部屋が一つあるだけなのだが、とにかく素晴らしい。


「えー、と実は他に何人か勧誘を行うが、どうなるかは分からん」


 今いるのはリィラ、サヤ、コドラクのエルゼンの面々。それに外様として"龍谷"タツミ・コウリュウ。

 "薬師"には表立たない関係としてやって貰う事になっている。


 す、と椅子に座ったタツミが控えめに手を挙げた。


「とは言え著名人ビッグネームがいないと肩書として使い辛いのでは?」

「それは、──ああいや、来たぞ」


 そろりと、扉が開く。そして、恐る恐るといった感じで金髪頭がこちらを覗いた。


「ナミネ」

「は、はい……」

「席そこ。はい座って」

「……まだ、ワタクシは説明を受けておりません」

「まあまあ。話はこれを見てからだ」


 昨日の今日だ。

 説明もろくにされないまま、とりあえずここで人に会えとでも言われたのだろう。

 おどおどと入って来た割に、ハルユキの顔を見た途端むぅと顔を膨らませた事からもそれは分かる。


「一つ目」


 ハルユキは席から離れ机を迂回してナミネに近寄りながら、錬成したそれを投げた。

 携帯無線機だ。ぴたりと慌てて受け取ろうとするナミネの前でそれは止まる。


「これ、え……」

「二つ目」


 どさりと、ハルユキは部屋の隅に積んであった木箱と麻袋をナミネの前に積み上げた。

 中にはハルユキが一っ走りしてかき集めた何やらそれらしい資材がつまっている。もちろん、以前ナミネに依頼されたものだ。


「三つ目。コドラク、頼む」

「こちらに」


 ことりとコドラクが机の上にあらかじめ用意していた物を置いた。

 苗木と、小さな包み。


「中には種子が。お納めください、これはエルゼンの意思です」

「研究結果はまず俺達に納めてもらうようにしてるが、まあそこは許してくれ。独占する気はない」

「う、うそ、でも貴重な物なんじゃ……」

「元々豊穣を効能とする魔術でしたので、差し木をすれば苗木はすぐに。ただやはりそうですね。有象無象にくれてやるつもりはありません」

「無理を言ってすまないな、コドラク爺さん」


 ナミネは研究結果のほとんどを国の魔法機関に提出していたらしい。

 資金もそこから出資させている事もあり、断る事も出来なかったのだとか。


 ずい、とハルユキは覆いかぶさるように真上からナミネを覗き込んだ。


「資金は直接ウィーネから貰った分と、俺等の分がある。好きに使っていいから心躍るやつを頼む」

「む、無理です、いきなりそんな……!」

「四つ目」


 ぽん、とナミネの頭の上にハルユキはそれを乗せた。

 先日ナミネから預かったフェンに渡す手紙だ。忌々しい事にハルユキに向けたものより三倍厚いその手紙。


 渡された意味が分からなかったのか、ナミネは一瞬呆けた顔を見せる。

 しかし背後で例のギミックが音を立てて扉を露出する音──つまり新たな来客の気配に全てを理解して目を見開いた。


「……聞いておりません」

「俺が呼ぶと正体が危ぶまれる可能性かがあるからな。お前の名前を借りた」


 ややあって、こんこんと控えめにノックの音が部屋に響いた。


「どうする?」

「……卑怯です」

「ふはははははは」


 どちらにしてももう逃げられない。かちかちにナミネの緊張感が増していく中、ゆっくりと扉が開いた。

 ひょこりと空色の頭が除く。


「フェン、来たぞ」

「……遅かった」


 お面を半分ずらして顔を出すと、フェンの顔がこちらを向いた。


「とりあえず座ってくれ。利用するような形になって悪いな」


 とは言っても席はそれほど用意していない。

 自然とフェンとナミネは隣り合うように座る事になった。不敬かと気付いたフェンが一礼して席を立とうとしてナミネに慌てて引き留められる。

 首を傾げながらフェンは席に着いた。前途多難そうだがナミネに幸あれ。


「とりあえずはこのメンバーだ。だが正直身内だけで固まった所であんま意味ない」

「では、常に参入国を探し続ける方向で」

「ああ。それでこの組織の方針は、表向きはさっきも言った龍への対策」

「表向き? 裏向きがあるんですか?」

「そりゃあ色んな権限も貰えたし? 立場も出来た、から、えー。暗躍しねぇともったいないと言う訳で。えーと、それで具体的にはだな……あー」

「では、脳細胞を半分ほどどこかに忘れたお馬鹿さんに変わって、ここからは私が」


 唯一席に着かずハルユキの背後に控えていたサヤが一歩前に出た。

 流れるように視線が部屋を一周し、フェンの顔で一瞬だけ止まる。小さく挑戦的に笑い、フェンが反応を示す前に口を開いた。


「先日の議会でヴァスデロス爵下、鉄国アスタロトが開戦を提示。華万、ギルド、ブラッド・オーガーがこれに賛同。得票率が7割を超えたため、次の議会で決選採択されます」

「え、ギルドもですか……?」


 リィラが声を上げたのとほぼ同時、ハルユキはゆっくりと仮面を顔に戻した。


「彼等は既に途轍もない額の資金を投入しています。我等とスノウ殿下と言う戦力を保持したがったのも開戦の為です。不思議ではないでしょう」


 納得したのか、小さく頷リィラを見てサヤは続けた。


「そして事実上、開戦を止めるのは難しくなりました」

「え。大丈夫なんですか、それ? コドラク」

「ええ。ただ、採択されても即時戦闘行為に移る訳でもない。加えてハルユキ殿のスノウ殿下説得も難航しております」

「ぜ、全然余裕なかったんですね、実は」

「ただ打開策と言う訳ではありませんが、一つ疑念があります。先の会議で言っていた"龍の動向"です」

「……まあ、確かに。割と平和ですよね」

「前々回でスノウ殿下が予想していた通り、他国への侵略は皆無と言っていいほどに減りました。メロディアへの攻撃に関しても増えているには増えていますが、威力偵察の域を出ません」

「古龍100頭で……?」

「ロウ」


 ハルユキが声を掛けると、部屋の隅の空気が揺れた。


「いいのか」

「フェンにはレイが言ってる。ナミネには適当にごまかす」

「わかった」


 ハルユキの傍でロウは何らかの術式を解いた。

 外套を頭から被ったロウは陽炎の中から炙り出されるように姿を現した。


「古龍の総数がおよそ20万。その下に連なる飛龍の数は500万だ。世界中に散らばってはいるがな」

「え」


 時間ごと硬直したように感じた。

 その馬鹿げた数は想像する事も難しく、恐怖すらもどこか遠い。


 考えてみれば当たり前なのだ。

 老衰では一万年以上死なず、霊龍の元に統一され、まともな天敵すらいない龍が衰退している訳もない。

 魔法があり、土地があり、水があり、魔物エサも豊富な。この優しい世界で。


「人類の数がおよそ15億。冒険者も合わせて100人に1人が剣を振れると考えても、戦士の数は1500万だ」

「……それじゃあ」

「単純計算だと、大体三人に一人で龍を倒さなければならんだろう。無理だ。まだ霊龍もいるのだから」


 リィラは落ち着きを保っていた。

 危機感に対する嗅覚は人一倍にある。スイッチが入れば驚くほど冷静に頭が回る人種だった。


「なら、何故攻めてこないんでしょうか」

「それは恐らく主様が」

「え、神様?」


 サヤはそこで口元を隠して咳ばらいをした。


「えー、その自ら神と名乗る男はオウズガルで彼等と接触。数人がかりの敵を一人でボコボコにしますが逃亡され、その週の内に居場所を突き止めカチコミを掛けた挙句やはり居城が半壊するほどに暴れ回り、幹部数人と敵頭目を半殺しにしたと自供しています」

「言い方ァ!」

「と言うか全壊、だった……」

「それも逃走されたのも第三者に不意打ち気味に一撃貰った間に遁走されたもので、一週間後のカチコミ時現場であったビッグフットの傭兵集団5000人を相手取って伸しています」

「……何の妖怪だお前は」

「……何で責められてんの俺は」

「責めてない。嬉しかった。ありがとう」

「あ、うん……」

「しかも、この時町中に言い放った台詞がですね。ぶふふぅっ」

「止めろ。それは止めろ」

「……そこのメイド、さん。何が可笑しいのか判らない。ハルユ──、シンも恥ずかしがる必要はない」

「ええ!?」

「言ってやるべき」

「ま、マジでか」

「まじで」

「はいはい。このコドラクが話を元に戻させてもらいますよ」


 空気が読めるコドラクにこっそりサムズアップ。微笑み返す彼は何てイケメンな爺なのか。


「つまり、結果的にシン殿が潜伏してる形になってるわけですね。だから彼等は大きく動けない」

「人類を軽く滅ぼせる龍を手玉に取っている組織を止めているのが、コレだと思うと緊張感なくなりますね」

「リィラさん? ケンカ? ケンカする?」

「良い意味でですよ?」

「俺ほどのポジティブイヤーてもそうは聞こえません表でろ」

「はい、とにかく」


 コドラク爺さんがまた良いタイミングで話の流れを変える。最近彼がなくてはならない存在になりつつあった。


「シン殿がますます正体を明かせない理由と、二年間の停滞の訳は分かったかと」

「……はい。皆さん仲がよろしいですね」


 動じない様子でナミネが笑った。先程までガチガチだったはずだが、やはり中々の大物らしい。


「しかし龍がいつでも人間を攻撃できる。と言った状況は問題だ。緩やかに死ぬより変化を求めたのが開戦派の奴等」


 再びお鉢がハルユキに巡ってきた。

 改めて話を進める。もうそれほど難しい話は残っていないので、たぶん大丈夫。


「その中、とは言わないが。全部で190ヶ国ほどもある参加国だ。必ずいる」


 奴等は"四雄"の一角であるビッグフットさえ人知れず支配してしまったのだ。

 雑多でしかない小国が百以上ある中で、潜伏していない理由がない。


「加えて、そう言うのが得意そうな奴が敵にはいる。フェンもよく知ってる奴だ」

「……うん」


 フェンの声から悟ったのか、皆が一様に真剣な顔になったのを見てハルユキは言い放った。


「内通してる人間を炙り出す。必ずいるはずだ」




   ◆




「うーん、必ずいるはずなんだけどなぁ」


 そう言って少年は光りが消え始めた魔石を歩きながら懐にしまった。

 そのままひっそりとした空気が溜まった廊下を一人歩く。


 T字路に差し掛かったところで、左から人影が見えた。


「あれ、レオ。何してるの?」

「んー。古い友人に色々探って貰ってるんだけど中々尻尾がつかめなくてねぇ。キャプリコ。それに僕はもうオフィウクスに戻ったよ」

「ややこしい事をやらないでくれよ。面倒だから」

「でも僕が"獅子レオ"ってのも似合わなかっただろう?」

「まあ、そうかもしれないけど」


 そのまま二人は連れ添うようにして同じ廊下を進んだ。嵐が舞う窓の外など一瞥もせず階段を上がり、廊下を渡る。


「また彼を探していたのかい?」

「そうだよ。美しい我等が獅子の君は、彼の鬼神に恋焦がれている」

「それは、君もだろう?」

「僕のは憎悪だよ。純然たる憎しみって奴さ」

「ふーん。そうかい? 君等二人がそれほど執心するんだ。大したタマなのだろうと思うけれど」

「不自然かな? 停滞してるこの状況が」

「そうだね」

「そうすると、やはり君はまだ分かっていない。僕達はねこの窓のすぐ外に彼が潜んでいるのではないかと怯えているんだ」


 "君以外。レオもスコーピオもアリエルもキャンサーも。全員だ"

 そう子供の姿をしたそれが言うと、キャプリコは小さく溜息を吐いた。


「今挙げた名前の中で何かに怯えている様子を見た人間はいないけれど」

「それ程だよ。二年前も彼は突如空から現れて数時間で全てを壊してしまった」

「ふーん。そうかい」


 先程と同じ言葉。

 しかし彼女の声にはもう会話を続けようとする気が感じられなかった。

 オフィウクスは肩を竦め、隠そうともしていなかったキャプリコは反応を見せず、ただ立ち止まった。


 そこは階段と横にそれる廊下に分かれる二手道。


「一緒に行かないのかい?

「だって、僕たち二人が一緒にいるとまたキャンサーに文句を言われる。背格好も喋り方も似ていて面倒だと」

「うーん、キャプリコは僕と違って大人びてるし女性らしいと思うけどなぁ」

「あはは」


 面白い言葉を聞いたとばかりに、キャプリコは笑ってオフィウクスに背を向けた。


「酷い嘘だよ。この嘘吐きめ」


 そして嬉しそうにそう零して、彼女は廊下の奥に消えた。

 目に残像のように残った彼女の白衣が消えるまで、オフィウクスは見送った後、ゆっくりと階段に足を掛けた。


 彼女だけは彼を知らない。

 だから嘘吐きなどと言うのだろうか。否、彼女も分かっているだろう。共感は出来ないながらもだ。


 怯えているのだ。

 もし、彼が今我等を見つめていて、少しだけ戦力が不利だから様子を見ているとしたら。

 とても戦力を分かつ事などできはしない。


 強烈な、──いや横暴なほどの個の力。

 一刻を滅ぼせる割に、個であるが故に軽く速く薄れやすい存在。それのなんと厄介な事か。


 それも、ただ消えているのならばいいのだ。それならば。


「入るよ」


 小さくノックをして、オフィウクスはさっさと入室した。

 金獅子の彼はいなかった。代わりに玉座を守る様に座っているのは二つの影。


ヨウセツ。彼は?」

「また星見だって」

「好きだねぇ。こんな嵐の中」

「嵐?」


 ヨウの声に外を見れば、いつの間にか嵐が止んでいた。

 いや夜の空に雲一つ見えない。掻き消えたと言った方が表現には近いだろうか。

 ならばこの地には草木も生物もない。ただ静かなだけの夜にオフィウクスも少し惹かれた。


「恐ろしい、恐ろしい。そんな人ばっかだなぁ」

「オフィウクス様」

「セツ。君がエルゼンで会ったシキノ・ハルユキもさ」

「う、嘘などついておりません」

「そうだろうね。君は弱い人だし、彼には嘘も付けないし」


 オフィウクスの言葉に、雪龍はぐ、と唇を噛んだ。


「でもねぇ、"この二年の間に時々シキノ・ハルユキは何度も出現した"。破壊の跡を残して、でも哨戒を送れば忽然と姿はない」


 本物か偽物かもわからない。

 仮に本物だったとしても、そんな物誘い水としか思えない。失敗するわけにはいかないのだ。

 彼に攻めさせては終わりだ。こちらが勝利を見出すならば、彼を防手に置いてなければ微塵の可能性も見いだせない。


「でも、ちょっと違うね。今度は」


 エルゼンの神を名乗る人物。

 現在、雪龍と戦った人間と同一人物かどうかも判然としないが、これ見よがしに怪しいのは確か。そして何より、姿を消していない。

 ただやはり、打つ手はない。


「やはり誘いにしか見えない。罠を張る? 見張りを付ける? 馬鹿な彼の感覚網を侮って僕は死にかけた。耳も目も鼻も街一個を網羅していると考えた方が良い。掴まえられて何らかの方法で情報を取られれば終わりだ。やはりあいつに自然な体で監視をさせ見張るしかないあいつの目の前で仮面を取るその瞬間を──」

「ちょ、ちょっと……」

「え? ああごめんね」


 耽っていた思考を打ち消して顔を上げた。

 すると二人の美姫の顔が恐怖に引き攣っていた。

 それは不思議な事ではない。彼等龍は人に比べて感情がどこか薄い。突き動かされるような、沁み付いて飲み込まれてしまうような感情を知らないのだ。


「貴方、化物に恋でもしているの……?」

「違うよ。ただ、怖いだけ」


 ゆっくりとオフィウクスは部屋を横切って部屋の奥の方に設けられた階段に向かった。

 その先で屋根の上に出て、彼と、恐怖を楽しく分かち合おう。





   ◆





 死んでいた。

 沢山死んでいた。


 樹は命だけを抜かれた様に薄らと色を褪せさせ、空気は地面に重く倒れ伏せ、転がった馬は既に息をしていない。

 そして、その周囲に広がった龍達も一撃の下に脳髄を破壊されて死んでいる。


「ひっ、ぃいい……!」


 生きているのは数人の人間だけ。

 その内の一人はその内のもう一人に首根っこを掴まれ、持ち上げられていた。


「や、やめ、助け……!」


 彼は盗賊だった。

 いや火事場泥棒と言った方が良いか。村や小さな町が放棄されていく中魔物と共に急激に数を増やした人種だ。


 今日も楽な仕事の帰り。何を肴にしようかと考えていた時、龍が襲ってきた。

 古龍と飛龍が数頭ずつ。一匹でも敵う訳がない。逃げ出して、追いつかれて取り囲まれて。狂乱した仲間が仲間を突き落したあたりだ。


 そいつの接近にも出現にさえも、彼は気づけなかった。


 気付けば何かの金切り声が聞こえた。

 それがまさか龍の悲鳴ではないかと思い背後を振り返った時には全て終わっていた。

 背後を向くと、背後の龍は死んでいた。

 慌てて仲間を見ると、仲間も死んでいた。

 馬を走らせようとすると、馬は地面で冷たくなっていた。

 慌てて、外に逃げ出すと、初めて彼はそこで男を見た。


 手が伸びて、微動だに出来ず、今に至っている。


「ひ、ぁあああ……!」


 男の手に付いた血と油の匂いのする何かが、彼の思考を尽く吹き飛ばした。

 残った本能がただ命を請いて、恐怖に慄く。


 深く被った外套からは何も外見的特徴は見受けられない。

 月に当たってその髪は白く見えているのか、それともその陰で黒く見えているのか。それすらも判断できない。


 ああ、それとも灰色なのだろうか、と男が自暴自棄な思考をようやく手に入れた時、ふと男の体が重力に引っ張られた。

 どすんと尻もちをついてから、手を離された事を知る。


「げほっ、あ、えほッ……!」


 喉を抑えてえずいているうちに、男は外套を翻した。

 思考はやはり廻らない。廻らないが、不自然さだけは辛うじて感じ取れていた。自分だけが見逃して貰える理由に、心当たりもない。


「あんた、何なんだよぉ……ッ」


 馬もない。仲間も死んだ。この荒野でただ一人。見逃されたと言っても、たぶん生き残れる可能性は低い。

 その事実が、彼を自暴自棄にして男の背中に呪詛を吐かせた。


 にぃ、と男の口元が上がる。


「神の血」


 そして一言だけ男は告げて、瞬きをした瞬間に立ち消えた。







ハルユキは雪龍になのった事を覚えていません。脳筋なので

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