月と線と切っ先
「ふむ、当てが外れたか? 意外だな」
"血塗れ金"・ブラッドオーガーは紅茶を淹れながら、ソファに座る来客に言い放った。
来客である男は何も言わず、出された紅茶にも手を付けない。
「君が失敗する事も。彼等が危機を回避した事も」
ただただ、彼は無表情に紅茶の水面を見つめている。
「だが私を唆し、"猟奇屋"を動かせたのだ。収穫なしでは話にならん」
男とブラッド・オーガーの関係は古い。少なくともオーガーと"猟奇屋"よりは、だ。
男の案はブラッド・オーガーを以てしてもよく出来たものだった。同時に益もある。
「しかし、何事も確立の連続だ。此度の事は相手を褒めても良い」
そんな事は言われずともわかっているだろう。
ソファに居丈高に座る男の表情には焦りはない。それならばそれで、他にいくらでもやりようを持っているのだ。
なにより、この腹案にはリスクが無かった。
あると言えばあの新興国家の反感を買う事だが、それも些細な問題だ。
他に幾多もある弱小国家と同じ。ただ偶々良い使い道があったので試しただけ。
「帰るのか。そうだな、明日は早い」
オーガーが時計を見るのに誘われるように男も時刻を確認した。
日付が変わるまであと二刻半と言ったところか。もう件の世界会議まで十二時間を切っている。
部屋を訪ねて少しだけ話した後は微動だにしなかった男は、無造作に机の上に手を伸ばした。
そして冷めた紅茶を手に取ると、一気にそれを飲み干す。
「ではな。また、あの尖塔で」
その後速やかに席を立つと、短くオーガーに返答し男はその部屋を後にした。
そこはオーガーの私室がある城ではない。とある酒場の地下席だ。
入る場所も複数あり、時間をずらせばほぼ誰にも知られず密会が出来る。そんな場所。
よって普通の客もいる。
部屋の外に待たせていた従者は一人のみ。その従者は一瞥もくれない男に影のように追従する。
その男は何事もなく、一般の飲んだくれ共の間を素通りすると出口である寂れた裏通りからそのまま馬車に乗った。
少し足が速いだけの普通の馬車だ。
"影足馬"が引く馬車もあったが、もはや使う必要もないだろう。あれに乗れば、せっかく出ている綺麗な半月が良く見えない。
馬車に揺られておおよそ一刻ほど。
辿り着いたのは、また暗い路地の裏。表の入口は開けるのに手間がいる。それに裏口は私室に直結しているので手間もいらない。
そこで従者と分かれた。
この中に入れば他の護衛がいる。従者は優秀な人間だ、彼もまたベッドを部屋に持ち込まないほどには。
静かな廊下を一人進む。
気配は無い。昼間は壁越しに聞こえる金の亡者どもの熱気も失せている。
そのまま、男は廊下を進む。
曲がり角を曲がって。
更に階段を上って。
廊下を進んで。
そんな事を三回ずつほど繰り返した後。男はやっと自室の前の廊下にたどり着いた。
そして、その扉の横の壁に男が一人寄り掛かっている事に気が付いた。
眠っている。いや、眠るように気を失っている。
気を失った事にも気づかせずに、鮮やかに一瞬で意識を刈り取られているようだった。
僅かに扉が開いている。
男は誘われるように扉を開けた。
窓の向こうに綺麗な半月があった。
それは灯りをつけるまでもなく、淡い光で室内を照らしている、
「こんばんは」
静かに、誰かが言った。
「随分遅かったな、神」
男──サイザキ・ミコトは平然と言葉を返した。
焦りはない、言葉を見失う事も、表情を変える事さえなかった。
ただ月明かりに青白く浮き出た神の仮面が、建物中から熱気が冷めている事が。
彼のギルドの王に背筋に這い上がる恐怖を自覚させた。
◆
「最初におかしいと感じたのは、ブラッド・オーガーから送られてきた書状です」
「龍の情報を開示する事で潔白をっていう手を棄却されたあれか」
「はい」
あまり記憶が定かではないが、何とかその場面を思い出してみる。
特段、変な引っ掛かりは覚えなかったが。
「そういや、他に気になる点があるって言ってたか?」
「はい。その書状に馬鹿正直に名前が書いてある事に違和感を」
「名前?」
ごそごそとハルユキはその書状を引き出しから引っ張り出して眺めてみた。
確かにブラッド・オーガーとそれを示す紋様が蝋印で押されている。
「これが……?」
「おかしいのです。もしオーガーと"猟奇屋"のみが繋がっていた場合、名前と蝋印など無い方が良いはずです」
「だが実際に証拠の審議をしたんだろ」
「あれほど影響力があるお二人ならば、名前を借り実態のみを掴む事ができたはずかと」
「……そうか」
俺達が正式な方法を諦めたのは、ブラッド・オーガーの名前があったからだ。
それが無ければ無駄な書状を書き続け、少なくとも時間を無駄に使わせられる。
そもそも、二人が繋がっている事を勘付かれる事すらなかったのだ。
「なら、目的は」
「はい。同じレベルの"権力者"へと逃げ道を誘導するため」
「つまり、"塩の王"」
「その通りです」
そしたらあとはサイザキが口八丁でこちらに歩み寄り話を切り出す。
うますぎる話だと疑わせて、おあつらえ向きに"糞虫"との対立がある訳だ。
自分で見つけた答えは疑い辛い、常識だと言うのにそれでも効果的だし、恐らくそれ自体嘘でもない。
「だからあの野郎、"糞虫"が会食で接触してくることが分かってたのか……!」
「そして、仮に忠告に従い戻っていたとしても、いずれは同じ状況になる事も分かっていたのでしょう」
「その場合、忠告分さらに貸し付けられるって訳か」
考えてみれば、この取引で一方的に得しているのはサイザキだ。
まずは"猟奇屋"の勢いを殺せる事。
そして、サイザキが言っていた通りエルゼンと言う小さくない暴力装置を身内に引き込める。
更にブラッド・オーガーだ。この件で戦争急進派の二人がさらに関係を密にする。
良い意味でも悪い意味でも一蓮托生。一枚岩になってしまえばもう切り崩す方法はない。
結果一石三鳥とは、恐れ入る。
「……ちょっと良いか」
今まで黙って話を聞いていたロウが静かに手を上げた。
他の叩き起こされた奴等も、その言葉に耳を傾けた。
「さっき、一方的な借りにはならないと言っていただろう。それならば此方にそれほどの損害は無いんじゃないのか」
素人意見で済まないが。とロウは最後に付け加えた。
コドラクがふむと唸る。
どう噛み砕いて伝えたものかと悩んでいるのだろう。
ただハルユキは同時にリィラの様子がおかしいのに気付いた。
いや特にどうと言う訳ではなく、何というか言いたいけど間違ってるのが怖くて口に出せないのでもぞもぞしていると言うか。
「リィラ。言いたい事があれば言っていいぞ」
「え……? あ、その……」
知らない人が苦手。大勢で話すのも苦手。
そんな奴だが何となく面倒を見たくなる。いざとなると怖いほど突き進む奴なので、本当に面倒で心配が尽きない。
「で、では……」
決心したのか、足りない言葉を補うようにワキワキと手を動かしながらリィラはロウに向き直った。
「あ、あの、合ってるかどうか分からないんですけど……」
「構わないさ。後学のために是非ご教授願いたい」
「どうでもいいけど手の動きがエロいぞリィラ」
「神様黙ってて!」
「いっぱいいっぱいだなお前……」
そして、ゆっくりとリィラは説明を始めた。
「こう、道があるとしましょう。知らない道、暗がりです」
のっけから不安だった。
救いがあるとすれば、聞き手が人間に対する好奇心が旺盛なロウである事か。
「それを二人で協力して渡ろうと言う話だったわけです」
「ほう」
「そ、そしたらこう、信頼も生まれるかもしれません。人はこれを、吊り橋効果と言います」
「ほうほう」
違うわ。
「しかし、実はこれが相手にとっては知っている道、それもこちらを陥れようと誘導した道だったわけです」
「……なるほど」
「当然その道には罠がいっぱいです。危険です」
「なるほど。リィラは頭が良いな」
「そ、そうですか。敏腕ですか」
「はいはい終わり。ご苦労さん、ボケ担当は下がってくれ」
ぶーぶー文句を垂れる二人を尻目に、ハルユキは話を戻す。
リィラの割には中々に分かりやすい例えだっただろう。
「という事で。まあ特に今すぐやる事は無いかな」
「ほう、ならば貴様。火急でもなしに儂を叩き起こしたと?」
「え? お前何で起きてきたの? 何かやれんの? タダ飯食い潰す以外に?」
「貴様を地獄に落としてみようか」
「やってみろ」
「何で喧嘩してるんですか」
舌打ちをしてレイから離れる。だから嫌なんだ。この馬鹿を家に入れるのは。
しかしタツミは帰ってしまっているので、確かに明日説明した方が良かったかもしれない。
「とにかく、次に接触するのはもっと"際の際"だ。それまでこれまで通りの生活を続けてくれ。サヤお前には頼みがある」
なんだよ、と皆が口々に文句を垂れて帰って行く中、サヤとそしてリィラだけが部屋に残っていた。
◆
「大したもんだ」
答え合わせのつもりで推測を全て話し終えると、ミコト・サイザキはそう言って肩を竦めた。
月明かりで十分だったが、彼はいそいそと壁際の燭台に灯を点ける。
「……随分素直に認めるのですね」
「苦しい言い訳わざわざ考えろってのか。面倒だろうが……」
そのままサイザキは来客用のソファに座ると、間延びした声を出して足を机に乗せてソファの背に首を預けた。
部屋の雑然さと相まって相変わらず、品格と言うものがない。
「それなりに気張って騙したつもりだったんだがなぁ……」
「うちには優秀なメイドがいまして」
「あの女か。は、なるほどね……」
言いながら、サイザキはまるで焦りを見せない。
まあ当然か。思い返せばこの男、徹底的にリスクを排除している。
まず何一つとして嘘を吐いていない。そして何より、何も状況は変わっていないのだ。
「それで、どうするつもりだ?」
「そうですね」
「別にばれたからと言って、頼ってくるなら力は貸すが」
「善意ですか?」
「そりゃあ都合が良すぎるだろう……」
「ならば貴方の手の平の上で生きろと?」
「評判はすこぶるいいつもりだがな……」
まるで変わらないやり取りにハルユキも肩の力が抜けた。
分かっているだろう。何の根拠もないだろうが、ハルユキがそう単純な結末を望んでいない事を。
「実はこの後、人に会う予定がありまして」
「大変だな。俺は寝る。さっさと帰れ……」
「なので。これを」
取り出したのは封筒。
中身はサヤに無理を言って一日と半分で調べ、そして作ってもらったものだ。
そして、その手紙自体にはレイが幾重にも術式を施している。
「それを懐に。然るべき時に開封願います」
「拒否していいのか」
「ご随意に。この事に関しては他にあてもあります」
「今開けては駄目なのか」
「いいですが、中に書かれたものはすべて消えます。消えてしまった場合は控えがあるので遠慮なく申し付け下さい」
「……貰っておこう」
そう言うとミコトはソファの後ろから毛布を引っ張り出してくるまった。
破天荒な奴だ。
しかし偶の睡眠を邪魔するのも悪い。
ハルユキは扉から出ると、扉の外で寝ている護衛にも毛布を掛けて外へ出た。
──そして立っているのはまたしても屋根の上。
馬鹿と煙は何とやらとか思われていないだろうか。心配だ。
『えーこちら、E1。つつがなく任務完了。事は無しオーバー』
『了解。こちらはサヤさんが出してくれたクッキーと紅茶が美味しいです。神様』
何の報告してんだ。と言うか名前だすな。
そんな事を思うが別に誰が傍受している訳もないので、広い心で許してやろう。
『という事でM1と所定の位置で合流し、そのまま帰宅する』
『了解』
『M1、応答せよ』
ぴーががが。
と、無線機は電波を受け取ろうと躍起になっているがM1から返信は無い。
まあいい。別にノリで持たせただけだ。
神が口にする台詞じゃないですね、だとか小馬鹿にしてくる無線機を握りつぶして黙らせた。
そのまま大きく息を吐いた。
終わった。
人事は尽くした。あとは天命を待つのみだ。
ここ二、三日は裏付けと仕込みで駆けずり回ったので、明日に備えて少し眠りたい。
そんな時だ。かん、かんと甲高い鐘の音が遠くで聞こえた。
龍の襲撃だった。
一瞬だけ街の空気がざわめき、しかしすぐに薄まって消えていった。
僅か十秒ほどで、不安げに空を見上げる人間すらいなくなる。あの鐘の音は、どこか遠くの世界から聞こえる音なのだ。
そしてその夜の空の中を、彼女は脇目も振らずに走り抜けていった。
夜空に線を引く流れ星のようだ。
そんな事を、ハルユキもまた遠くで思っていた。
「よろしいのですか。行かなくて」
「……何してんだM1」
背後から聞こえたその声に、ハルユキは気づいた。
自分が今、彼女の後を追っていく事に抵抗を覚えている事に。
「……ふん」
別にそれはなんて事のない感情だ。
おそらく、期待していたのだと思う。
彼女が自分の事を大切に思っていてくれている事は知っていた。
だから期待した。彼女の中に自分の影が少しでも残っている事を。
そしてふと、何にも目をくれず進む彼女が既に遠くにいるように感じて、何だか自分がやっている事が見当違いに思えた。
つまり、会いたいと思ってくれていると思っていたのだ。少なくとも自分がそう思っているほどには。
「大丈夫です。主様を忘れるなど考えられません」
「サヤ、お前……」
「何しろ顔が……、おっと」
「サヤ、お前この野郎……」
溜息を吐く。
少し集中すると、龍の気配は十数頭ある事が分かる。
まあ、彼女なら怪我一つ負わない程度のものだ。とりあえずは、肩の力を抜いた。
「レイ様に相談してはいかがでしょう」
「は?」
「主様と彼女は、よく似ておられます」
「冗談じゃない。偶々だ」
言われなくても気付いている。これは、あの吸血女が酒場で零した感傷と同じものだ。
「帰る。寝る」
「よろしいのですか?」
「あんな嫌な女の顔は見たくないね」
「どちらの方のお話でしょう」
「どっちもだ」
関係が無いし、気張りすぎても仕方がない。
いくら遠く思えようとどちらにしろ彼女の面影が付いている限り、見捨てるのは難しい。
どうやら本当に自分は過保護のようだと、ハルユキは初めて思った。
◆
確か、ゴシック様式とでもいうのだったかな。
そんな事を漠然と思いながら、ハルユキは王城を登っていた。
とは言っても門を馬車で潜り、十数分そのまま運ばれた後よく分からない魔方陣の上に乗せられて、そこから初めての徒歩だ。
城に入っての時間はまだ数分の事。
「そうですね。ただやはり多少の変遷は見られますが」
まず、施された意匠の数が膨大だ。
外から見れば黒い城だと思うほど。そして近づけばその穢れの無さと意匠の細かさに驚く。
形としては城門の中にいくつもの尖塔が乱立している形だ。
幾つも、幾つも。途中で繋がっている物もあれば、門になっている物もある。
それはおおよそ数百の数におよび、中心にいけばいくほど高く聳えている。
そして、その頂点は密接して天を衝く二棟。
その内の一つにハルユキはいる。
この間は半ば勢いで屋根を吹き飛ばしたのは悪い事をしたな、と思いながら、教父と隊長格以外は普段立ち入る事も出来ない階に到達する。
更に廊下の中に設けられた扉を通った。
ふと気づく。
もうあともう一つ扉を潜れば世界会議の会場だった。
「待たせた」
「いえ」
会場に続く廊下に人影が一つ。
タツミ・コウリュウは壁に付けていた背中を浮かせた。そのままハルユキの背後に追随する。
それを見てハルユキは立ち止まる。奇しくもそこは、扉の数歩前。
「共に行くと言った」
「はい」
隣に並んだタツミに合わせるように、ハルユキは扉を潜った。
白い壁。高い天井。群青の垂れ幕。綺麗で巨大な長机。おおきくなるざわめき。そして、一身に向けられる王達の視線。
一週間前に乱入してきた無法者がここにいられる事に改めて驚いているのか。
それともタツミ・コウリュウと肩を並べている事にだろうか。
とにかく不躾に寄せられるその視線には、成り上がりに向けられる侮蔑と嫉妬が込められている。
「────……」
言葉は発さない。
ただ背筋を伸ばし、静かに視線の中を突き進む。
もうほとんどの席は埋まっている。
扉から一番近い席には、あのヴァスデロスもすでに座っていた。机に覆いかぶさって寝息を立てていたが。
ノインもいる。ひらひらと手を振る彼女に小さく頭を下げた。
「よう」
兵士に席を誘導された先で声を掛けられた。
小さな体で眠たげな半眼ボサボサの頭。今日は前回のような礼服さえ着ていない。
みすぼらしい民の王がそこにいた。
「席、ここらしいぞ……」
無気力な声と指が自分の隣の席を指した。
彼のギルドの王の隣席とはなかなか荷が重い。実際、鋭い視線を向けてくる連中もいた。
「なあ」
ミコトの声に、顔を向ける。
「例の手紙開けちまったからもう一通分けてくれ」
「? どうぞ」
「……冗談だ」
遅れて気付く。
本当に出せるかどうかで、中身の見当をつけようとしたらしい。
しかし残念ながら用意したのも考えたのも俺じゃない。揺さぶりにはあまり意味がない。
「さっさと座れ、疫病神が」
「すみませんが、私清貧と寛容と破邪を司っているので」
「抜かせ」
がたがたとそこに座る。
隣にいる薬師とも目礼して、時が経つのを待った。
ぽつり、ぽつりと空いていた席が埋まりだす。
「今日は主役の皆さんも早いですね」
「あの"戦猛"は一番なら何でもいいらしい」
一番遅いのが駄目ならば一番早い登場でどうだ、という事を考えての事らしい。
などと、そんな事を話していた時だ。
一回目とは打って変わって静かに、"糞虫"と"猟奇屋"が現れた。
ハルユキの時とは対照的。
一瞬だけ完全な沈黙が下り、そして震えるように誰もが視線を逸らし出す。
彼等の席は離れた位置だ。
あそこからでは声は届かない。
ジョージは怯えた王達に気を良くしながら席に付き、ヒドラは確かに一瞬立ち止まってこちらを見て薄く笑っていた。
しかしそれも長くは続かない。
背後から最後の三人が現れたからだ。
"聖猊"ウィーネ・アムリゴーシュ・ナイチンゲイル・ド・メロディア。
"血塗り金"ブラッド・オーガー。
そしてスノウ・フィラルド・ボレアン・メリストエニス・ド・メロディア。
彼女達を見た人間が喉を鳴らす。
緊張感が広がり、場の空気が世界の中心たるべきものに塗り替わっていくのがよく分かった。
「では。皆席に」
ずらりとそうそうたる顔ぶれが並んだ。
号令を出したオーガーが着席し部屋中から音が消えると、ウィーネの言葉に自然と誰もが意識を集中した。
「では、これより──」
「──あー、すみませんね。聖猊下。ちょっとよろしいです?」
そんな彼女の声を、下卑た声が遮った。
ひょろりとした長身がジョージの背後から一歩進み出る。
ヒドラは申し訳なさそうな声をだし、愛想笑いを浮かべ、へこへこと低頭しながらあたりを見渡す。
この男のこういう仕草が、相手を恐れている為の物ではない事はもはや疑うべくもない。
そして、この男が今回声を上げる事は誰もが知っていた。
だからただ驚きはなく、緊張感だけが引き絞られる。
隣の席で、ミコトが集中に目を細めたのが分かった。
「ちょっと、この神聖な議会に不相応な輩がいるらしくて。あ。アタシ以外。アタシ以外でですよ。へへ」
「……そう言う声を上げると言うのは事前に聞いているわ。続けて」
「はいはいそれでは」
ゆっくりと、ヒドラは机の前まで歩を進めると、またゆっくりと辺りの顔を値踏みする。
そして隣に座っている"糞虫"を見下ろして、小さくうなずいた。
その視線を受けたジョージが揚々と頷いて立ち上がる。
「どうやらその人間、龍と内通しているらしい。私は許せない、故に今回立ち上がったわけだ」
言い終わってから、ジョージは喜々として辺りを見渡した。
中途半端に生やした髭を撫でながら、満足そうにうなずく。
「ヒドラ。進行を」
「はいはいただいま」
ばさりと、ヒドラが懐から紙の束を取り出して机の上に置いた。
結構な重量に、ばさりと大きな音が鳴る。
「──ここに103名の署名があります」
大きくどよめきが起こった。数が多い。そう加盟数はエルゼンを合わせると190ヶ国。
103と言う数は過半数を大きく超えているからだ。
「各国の王の名が連ねられた由緒あるものです。これを以て我々は要求します」
そのざわめきを上から押し付けるように、ヒドラは言葉をつづけた。
誰もがやはり怯えるように口を噤んだ。
しかし、対してミコトは静かに時を待つ。
後出しをするのならば、当然それより強い手が必要だ。103と言う数は、彼の想定を越えなかったのだろう。
「────……」
ゆっくりと、ヒドラ・クレブスは口角を上げた。
そのジトリとした視線がこちらを射抜く。
そしてその細くて節くれだった指の先が、こちらを向く。
更にゆっくりこちらを向いて。
瞬間。
ヒドラの笑みが、更に濃く。
──凄惨なほどに、歪められた。
そのまま、指先はハルユキを通り過ぎ、隣に座るミコト。
──すらも、通り過ぎて。
「スノウ第一皇女殿下。貴女の議会からの除名と、禁固・尋問を求めるものとする」
それは悪意と殺意が相まって、剣先のように鋭く彼女を刺した。




