夜に灯をともせ
今月はもう一話、明日か明後日にあげます。
→すいません、もう少しお待ちください。
※上げる範囲間違えました。訂正済みです。
のっそりとハルユキは、ベッドから起き上がった。
ぼりぼりと髪が撥ねた頭を掻きながら、くあ、と大きく欠伸をする。
そして、ふと昨日のことを思い出して深く溜息を吐いた。
「殴っちゃったか……」
やべえよ。どう考えてもやべえよ。
いや、まあ十中八九あれでユキネがこちらをどうにかするとは思えないが。
リィラとの合わせて、トモダチ作戦は絶望的。とりあえず、他の奴等には黙っとくか、よし。
「8時か……」
今日は他国との対談や外交相談はない。
その代わりに今後の方針を決定するための内部機密会議がある。
とは言っても現状は完全に手詰まり。ギルドの誘いに乗ると言う消極的な選択肢から逃げることはできない。
「おはようございます」
また歯磨きでしゃこしゃことやりながらボーっと扉を開ける。
結局リィラは帰ってこないし、なぜか不機嫌なフェンが家にいるし、すぐに帰るし。
あと五日で世界会議なのに策はまとまらないし、ギルドの滅茶苦茶な案をどうするかも早急に決める必要もある。
「ハルユキさん、聞いてます?」
「のわっ」
いつの間にか、胸の中にリィラがいた
しっとりと柔らかそうな髪が揺れる。ていうか近い。
「か、帰ってたのか?」
「神様のすぐ後に帰ってたみたいです」
「ああ、そう……」
少し及び腰になりながら、ハルユキはリィラの表情を伺った。
昨日は久しぶりにこいつの情緒が不安定になっていた。最後には落ち着いていたが、今がどうかはわからない。
ラカンとの事は、こいつ以外誰も詳しくは知らないのだ。
しかし、わざわざギドの隣に墓を作った事、ハルユキの傍で泣きじゃくった事。
それらを鑑みると、確かに妙な関係だった事は推し量る事ができる。
二人以外は誰も土足で立ち入れない領域なのだとすら、ハルユキは思っていた。
「あ、そうだ。これ」
「わっぷ」
ぐい、とリィラが何かを顔に押し付けてきた。
お面だった。愛用の神お面。
「付けててください」
「はあ? 嫌だよ、何で部屋の中まで……」
その時、何が聞こえたかは一瞬の事でハルユキでさえ定かではなかった
「──っ!?」
しかし、反射的に仮面を自分の顔に押し付け、弾かれるようにそちらに顔を向けた。
廊下の奥にある階段の下。
今も聞こえる声は知っているもの。間違えはしない筈。しかしだからこそ信じられない。
──その赤い髪が翻る様は、燃え上がる炎に似ている。
「あ、いたわ」
「おう。邪魔しとるでの」
こちん、と全身が硬直した。
驚くと言うかもう訳が分からない。何がどうなったらこんな状況になる。
まさかばらしたのか、とレイに視線を送るが、奴は欠伸するばかりでこちらを見もしない。
「ちょ、リィラ。お前……っ」
「え? な、何ですか……」
ぐいー、とリィラを引き寄せて声が聞こえないように顔を寄せる。
「お前、な、何だよ、あいつら……!」
肩越しにノインとレイを見た。
レイは欠伸を噛み殺しながら、楽しげに話すノインに相槌を打っている。
「僕の……友達です。えへへ」
「……へー」
「あ、あれ……? 神様が抽象画みたいな顔してる……?」
「リィラ様、主様がゲルニカ顔なのはいつもの事です」
「怒り辛い罵倒は止めろ! って言うか! お前はどうにかできただろ!」
「声が大きいですよ、主様」
いつの間にか一緒に顔を寄せていたサヤが、あれるハルユキを窘める。
「あー、あー、あーもう……。立て続けにこの野郎」
「い、いいじゃないですか。別に僕がお泊り会したって……」
「……なんでお前気付いてないんだよ」
こんなに怒られると思っていなかったのか、泣きそうなリィラの頭を軽く叩く。
そのままぐりん、とノインの方を向かせた。
「あいつはオウズガルって国の王女だ。実質的な王で"四雄"と呼ばれる大人物」
「え……?」
「紛れもない世界の頂点の一人だ。この前の世界会議にも居た」
え、ともう一度リィラは呆けた声を出した。同時にこちらの視線に気づいたノインが、こちらを向く。
とん、とん、と軽やかにこちらに歩み寄った。
「おはようリィラ。内緒話は終わった?」
「え、あ、その……」
顔色を真っ白にしてきょどりだしたリィラにくすりと笑ってから、ノインはこちらを向いた。
今度はその笑みを挑発的に変えてみせる。
「後日って言ってたのに、いつまで待っても来ないんだもの」
「……それは失礼致しました」
「いいえ。責めている訳ではないのよ。ただ、そう、ほら」
そして彼女はいつも通り楽しげな顔で、前と変わらぬ横暴さで、分かった上で白々しく。
お腹が空いたわね、と。そう言った。
◆
「えー、ではこれより、エルゼン国内報会議、及び行動指針検討会を始めます」
恐らく本来は来賓室か何かだろう。
そもそも備え付けてあった中で一番広い机があるこの場所がいつの間にか皆が集まる部屋になっていた。
「始めます」
「はい。どうぞ?」
「……始めますので、部外者の方は出て行ってもらえると」
「レイ、言われてるわよ」
「抜かせ」
くあ、と椅子にふんぞり返ったままレイはまた大欠伸をかます。
『状況分かってるだろ。連れて帰れ』と仮面越し視線を送る。そうすると、それに気づいたレイはふふんと鼻を鳴らした。
『昔の女とかち合って焦っているのか、この間男が』そして目線でそう言った。間違いない。
びきりと額に青筋が浮かぶ。
『その欠伸は普段ヒキニートだからか?』
『貴様の顔が塞がった空間が心地よくてな』
『籠ったまま干乾びろヴィンテージ処女が』
『首の上と不潔な下半身を取ってくれば抱かれてやるぞ素人童貞』
『黴くせえからいらねぇよ体液中毒』
『儂とて随分歳下だものなロリコンギネスよ』
『……ギネスと言ったか?』
『おうとも。このロイヤルストレートカスめ』
幾つかおかしい点があった。ぎぎぎ、とサヤの方に顔を向ける。
「サヤさん」
「はい、何でしょう」
「昨晩は楽しかったですか」
「不遜ながら。そちらのレイ様と盛り上がってしまいました」
「……へー」
静かな声でそう締めくくり、そしてハルユキは背中にかいた汗を自覚した。
まずい。
このままサヤとリィラの友人と言う体でノインとレイの席巻を許せば、この国に安息の地は無くなる。
それに加えて、もう既にクイーン達が地下室を盛大に壊したものだから開き直ってこの屋敷には色々仕掛けを施したのだ。
例えば監視カメラだったり洗濯機だったり炊飯器だったり。
羽虫が妙に鬱陶しいから駆除用のナノマシンを散布したりまでした。
一応隠すようにはしているが、そこから正体がばれる可能性も大いにある。
「いつも楽しそうねあの神様」
「それ以外に取り得が無い人です」
人とか言うな、と内心思うが、神様設定を信じてくれている人がどれだけいるだろう。
上等だ畜生、考えるのを止めてやる。
「はい。始めます。始めますからね」
随分緩み切った空気だが、まあこの面子で気を張るのも難しいだろう。
しかし扱いに困るのがノインだ。
全くの考えなしか、それとも何か目的があるのか。どちらも考えられそうな奴だけに分からない。
「ノイン殿」
「はぁい」
「ここでの話、一切の他言無用を誓って貰えるならこれ以上退席を進める事は致しません」
そう言うと、す、とノインの顔から微笑みが消えた。
同時にハルユキはコドラクの方を見た。視線を受けてコドラクは小さく頷く。どうやら同じ考えのようだ。
偶然とはいえ、あのノインと接触できたのは小さくない幸運だ。
また、彼女が何か目的があってこちらに訪れた可能性も捨ててはならない。
「随分な厚遇ね」
「かの"紅蓮姫"をこれ以上袖にする事はしませんよ」
「信頼を預けると?」
「ご想像のままに」
これは選別だ。
流れる様にそこまで話すと、一拍置いてノインが笑みを作る。露骨な意図を理解できない彼女ではない。
くつくつと、ノインは不敵に口の中で笑った。
「不躾な真似をしたわね。ごめんなさい」
「では」
「失礼するわね。後日埋め合わせをさせてもらうわ」
上品に椅子を引いて、ノインは立ち上がった。
そのまま、少しだけ彼女は目だけを動かして辺りを伺った。
(なんだ……?)
小さく目を細める彼女の顔は、決して機嫌のいい時の顔ではない。ただ、こちらに不満を感じている訳でもなさそうだ。
「玄関までお送りします」
「ありがとう」
サヤが立ち上がり、先導して扉を開けた。
もはや一瞥もなく部屋を去ろうとしたノインが、足を止めてこちらを向いた。
「期待しているから、お願いね」
「……は?」
「誰が相手か、間違えないように気を付けて」
意味深な言葉を残して、彼女は再び踵を返した。
いや、返すつもりだったのだろう。途中で後ろ髪を引かれるように顔を止めた。
「あ、あの……!」
そして彼女は、何か言いたそうに椅子から腰を浮かしたリィラを見て、愛しげに頬を緩ませた。
「またね、リィラ」
「……はい。またっ」
弾むような声に、ノインもまた弾むような足取りで出て行った。
嵐のような女だ、と改めて思う。
あいつと一緒にいる時に振り回されなかったためしがない。
妙に勘のいい彼女の事だ。ハルユキの正体に気づいているのではないかとすら、途中何度か思った。
深く溜息を吐いて、そして何故か帰っていないもう一人にじとりと視線を向ける。
「……で、お前は帰らないの?」
「遠出から帰ってきたら家が無くなっていての。今日からここに住まわせておくれ」
「はあ!?」
◆
話し合いは結局正午を迎える前には終わってしまった。
そもそも話を詰める段階にある件がほとんどないのだ。
話し合えば話し合うほど、ギルドの誘いに乗るしか選択肢はないという結果が付きつけられるのみ。
退屈で、無為で、怠惰で。何よりつまらないその選択肢。
「あーあ……」
つまらない。本当につまらない。
リィラなどはそれでいいじゃないですかと呑気に言うが、どうしても何か引っかかりがあるのだ。
しかしそれが具体的に分かる訳でもない。
進む事も下がる事も出来ないまま、時間ばかりが経っていくようだった。
「……外の空気吸ってくる」
各々が三々五々に扉から出ていく中、ハルユキは窓の縁に足を掛けた。
「行ってらっしゃいませ。私はレイ様を部屋に案内します」
「すまんの」
サヤにはすでに話を貰っていたのか、くくくと楽しげにレイは喉を鳴らす。
しかしレイは確かに使える奴だ。うちの面子には魔法に詳しい奴が一人もいないからだ。
それにフェンと違って誰かの家に寄生していたとしてもあまり不自然ではない。
(なんて哀しい奴……)
心中で密かにこき下ろしながら、ハルユキはぼりぼりと頭を掻いてため息を吐いた。
「……行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
そう言ってハルユキは窓から飛び出した。
前庭を飛び越えて、直接門の前の街路に着地した。
さて、どうする。
すぐに昼飯だろうし、そんなに長くうろつけない。
ただ今日は良く晴れている。しかも風は涼しく心地いい。
ならば適当に歩くか、とハルユキは近場の散策に出る事にした。
何となく人がいない所を探した。
どこかに人気が無い木陰か何かが無いだろうかと思っていたが、そんな物は都合よくないらしい。
肩を落としながら苦笑していると、ふと気づいた。
「ん……?」
視線を感じたわけでも、気配を感じたわけでもない。
ただふと、そこが気になったのだ。家と家の間に空いた、何の変哲もない路地の裏。
そこに足を踏み入れた理由としてはただ好奇心。
入ってから空を見上げると、路地が狭く暗いからか、日の晴天が際立っていた。
数歩歩くと行き止まり担っている事に気が付く。
また苦笑しながら踵を返す。やはりもう帰る事にした。
小遣いが無いので昼はサヤに何か作ってらう必要がある。
その後に今日は一時間だけ暇が空く。丁度良いのでフェンに会いに行って、ついでにナミネの事も話すか。と。
そんな事を考えていた時だ。
自分が入ってきた路地の入口を塞ぐように、誰かが立っていた。
「ごきげんよう」
顔はベールのように顔に掛けられた黒い布のせいで何も見えない。
ただ、その声から女だと言うのが分かる程度。
しかし得体の知れない気配を感じた。
近づきたくない。
出来ればこちらに伸びる彼女の影にさえ触れたくないと、そう思うほどに。
「……何かご用でしょうか」
「こちらを」
渡された真っ白な封筒を受け取った。
何の文字も装飾も、宛先や送り主の名すら書いていない事をハルユキは確認して、視線を女に戻す。
「中身は?」
「我が主の、期待と苦悩とが」
へぇ、とハルユキは感情をみせない声を出した。
それに何を感じたのか、女は小さく笑って見せた──ような気がした。
「分かっているはずです」
礼儀正しく女は一礼すると、コツコツとヒールを鳴らしてハルユキに歩み寄る。
そしてそのまま通り過ぎると、行き止まりの筈の路地の奥に消えていた。
静かにその手紙を開封して、中身に目を通した。
簡潔に、そして淡々とした文章でそこには驚くべき事が書かれていたと思う。
ハルユキも驚いてはいた。いたが、それ以上に。
「────……」
これを知らせる事でこちらを意のままに動かそうと言うその魂胆が透けて見えて、ハルユキは手紙を無言で握り潰した。
◆
その日は朝起きて朝食を食べて、その後にナミネに会いに行った。
複製した素材と、エルゼンの大樹についてはまだ返答できないと言う返答を渡しにだ。
報告の度に一喜一憂したナミネを置いて、次は"四雄"ビッグフットや同じく四雄ヴァスデロス・ロイ・サウバチェスを尋ねた。
しかしどちらも留守にしており、アポイントを取るにしても次の世界会議の後になるという事。
ビッグフットの方は本当に政治に駆けずり回っているようだが、ヴァスデロスの方は何と昼間から飲みに行ったらしい。
糞ったれめ羨ましい。
そして、時刻は正午。
真昼間にもかかわらずまた攻めてきた古龍達を瞬殺して、またも荒野の中で強制的な歓談会が開かれていた。
「と、言う事がありまして。いやはや……」
「────……」
「私としてもリィラに友人が増えるのはありがたいのですがね。如何せん世間知らずで」
「……」
そこまで言っても反応を見せない相手に構わず、やれやれとハルユキは夜空を見上げた。
結局、あまり進展は見えていない。
ギルドに借りを作るのは嫌だが、他に手もない。
最終的な目標が対立しているのだ、あちらに悪意があれば貸しを笠に飲み込まれてしまう恐れがある。
「……よく、顔を出せたな」
「散歩ですよ。また龍の襲撃にかち合っただけで。日ごろの行いですかね」
「聞いてもいない内部情報を押し付けるのも止めてくれ」
「独り言です」
明らかにイラついているのが背後からでもよく分かった。
しかしまあ何も言わないだろう。
反論すればそこから口論になる。そんな形でも関わり合いになるのはこちらの思う壺だからだ。
しかし、無視されるのは嫌だ。よって。
頑なに向けられた背中の横。脇腹を軽くつついてみる事にしよう。
「……言っておくが」
突如降ってきた声に、びくりと体を竦ませてハルユキは止まった。
少し顔を上げるととんでもない表情で肩越しにこちらを見下ろすユキネが居た。
「昨夜の暴挙を許したのは貴様にも分があったからだ。その指先が触れるのはメロディアの自治法と条例だと心得ろ」
「……はい」
ただならぬ殺気に押されて、ハルユキは手を引っ込めた。
しかし、昨日のあれをそんな風に思っていたのか。妄想猛々しい奴だ。
「さて、今日来たはちょっと確認したい事がありまして」
「……散歩ではなかったのか」
「え、信じてたんですか?」
「……さっさと話せ」
「先日の私達が乱入した回の世界会議なのですが、その時の取り決めについて」
「書簡を後日送ったはずだが」
「記載外の事です」
「……話せ」
後日送られてきた書類には、ユキネがその潔白を証明すると言うものだった。
短い文。しかし少なくとも今はそれでも武器になる。
「もし、私共が龍と内通していれば、どうなるのでしょう」
「私が直接処断し、捕縛、無いし追放するだろう」
「なるほど」
それだけを確認して、ハルユキは背中を向けた。
「……その書状を使おうと思っているのなら、あまり意味はないと思うが」
「ですかね。やっぱり」
「それほどに──」
ユキネは何かを言いかけて、そして忌々しげに舌を打った。
「何でもない。行ってくれ」
「はい。では」
時間はない。
確かに背後に迫りくる、タイムリミットを感じながらハルユキは街に向かう。
何の進展もないままに、世界会議まで残り三日と迫っていた。
◆
「そうか……」
ロウからの報告を受けて、ハルユキは深く溜息を吐いた。
龍の集合地点でも見つけて、それを報告しようとの企みだったがそれも失敗に終わった。
そもそも、奴等の足取りが全く追えない。
あのオフィウクスとか言う金髪が使っていた空間移動技術を使っているのだろう。
そもそも龍の情報を売ったとしても、それが証拠に繋がるとも思えない。
苦し紛れだ。そしてそれさえも失敗に終わった。
「流石に、もう手は残っていないか……」
「ギルドからの催促の書状も今朝届きました」
「見せてくれ」
サヤから渡された手紙を開けて中身を確認する。
そこには、返事が無ければ不完全なまま稟議書を提出しなければならない事、そして前日までなら返事を待つ事が明記されていた。
「さて……」
静かに、ハルユキは手紙をしまって机の上に放った。
そして机の周りに集まった面々を見据えて、低い声で言った。
「残念ながら時間切れだ。劇的な変化を迎える事もなく三日後には世界会議が行われる」
執務室にいるのは、サヤ、コドラク、タツミ、ロウ、レイの五人。
リィラに至ってはまだ、ハルユキが頼んだ仕事をほとんど休まずに行っている。
その誰もが顔に隠し切れない疲れを見せ、落胆から表情に影を落としていた。
この二日はほとんど寝ずに駆けずり回ったのだ。無理もない。
「スノウ第一皇女の証明書が一応武器にはなるかもしれんが、これは弱い」
あいつだって龍との内通を噂されている人間の一人だ。あまりその保証書に意味があるとは言えない。
「よってギルドの要求を飲み、一時的にその保護下に入る事が一番現実的だ」
ハルユキのその言葉に返ってきたのは否定の言葉ですらなく、ただただ疲れた表情のみだ。
いくら走れど手を伸ばせど反撃の手応えすらない。
そしておあつらえ向きに、そう悪くない選択肢がギルドから提示されている。これ以上無理をする気力もそがれると言うものだ。
「大丈夫なのか。そんな大きい借りを作って」
「良くはない。が、ギルドとしても俺達の協力で得られるメリットがある。そう大きな損にはならないだろ」
ぎしり、とハルユキは背もたれに体重を預けた。
「じゃあ明日。ギルドに申し入れに行く。解散」
静かに事は終わった。
ソファに座っていた奴等も席を立って、扉から自室へと戻っていく。
そして、部屋の中にはハルユキだけが残った。
「さて、では」
そして、最初から微動だにせず目を伏せていたサヤが初めて声を出した。
「気付いてるか?」
「はい。幾つか」
「そうか」
ハルユキはそのまま目を瞑った。
そのまましばらく、二人は無言でその場に居た。
沈黙を破ったのは、ハルユキが机に置いた無線機の音。
発信元は仕事を頼んでいたリィラだ。息も絶え絶えに、予想通りの答えが返ってきた。
労いの言葉を送ってから、無線を切る。
そして、深く息を吐いてからサヤに向けて口を開いた。
「俺達の現状ってのは、何だ」
「各国からの我々ならば、単なる駒としてしか映っていないかと」
その言葉に小さくハルユキは頷いた。
例えばエルゼンを使って何を狙わせるか。エルゼンを使って誰をどうさせるか。エルゼンを盾にして何を守らせるか。
使い捨てにして構わないあの国を、どう使ってやろうかと。
「ああ苛つく。久しぶりだ」
手段として見ているだけ。敵としてすら俺達は見られていない。
「主様も気付いておられるようで」
「……ああ。お前は、よく気付けたな」
ハルユキが気付いたきっかけはあの手紙。
イラついていた原因も、踏ん切りがつかなかった要因もすべてあれが氷解させてしまった。
その事もまた、笑えるほどにムカついている。
「こうも飄々と無礼を働くとは。それもあのような若僧に」
「全くだ」
しかし、分かったとはいえどうする事ができる訳でもない。
だからこそ、先ほどまでサヤは黙っていた訳で、ハルユキとしても打つ手がある訳でもない。
「そもそも、そもそもだ」
「ええ」
ハルユキが自嘲気味に呟く。
そうするとサヤも同じように笑った。不甲斐ない自分への愚痴だ、意味はない。
『ど目こ的までが敵なそのもそかも分からない』
──はずだった。
鼓膜を揺らした意味不明な音に、揃って一瞬固まった。
「え」
「は?」
少しの間をおいて、音の正体に気づく。
声をそろえて同じ言葉が重なるはずだったものが、そうではなく。結果変に混ざっておかしな言葉として鼓膜を揺らしたのだ。
「主様、今何と?」
「お前は?」
「どこまでが敵なのか分からない、と」
「俺は、目的が分からない、て」
一瞬お互いの顔を見比べて、そして同時に傾げた。
「いや、敵は一つ──って言うか一国だけだろ」
「目的はそもそも隠されてもいない筈ですが」
またしても、齟齬が二人の表情に困惑をもたらした。
先に理解をしたのはハルユキだ。一瞬で、電撃のように理解した。全てを牛耳れる勝利が、手の中に転がっている事を。
いや、仮説だ。
何の根拠もない。ただそうであれば辻褄が合うという、ただそれだけ。
「サヤ」
「はい」
「正直まだ、苛つくことばっかだが」
「はい」
「ちょっとだけ、面白くなりそうだ」
「はい」
「よし」
サヤの顔を確認して、ハルユキも薄く笑った。
「全員叩き起こせ。悪だくみだ」
日付が変わり、世界会議まで残り二日と22時間。
静かな夜の中、反撃の狼煙に火が点った。