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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
240/281

対立

次話は明後日の19時に更新します




 月下美人。

 今の彼女を言い表すのにこれほど適した言葉はないだろう。

 靡く金糸の髪も淡い朱色の目も、あまりに完成された美しさだ。でも今にも崩れてしまいそうだとも同時に思った。


「……ああ」


 彼女──ユキネがじっとこちらを見据えているので何かと思ったが、直ぐにその原因に気づく。


「殺していませんよ。引き渡しても?」


 そう言うと、ユキネは漲らせていた敵意をふっと解いた。


「……そうして貰えるのならば助かります」


 そう言ってユキネはハルユキとその背後の龍達を見比べる様に見据えた。

 ハルユキが隆起していた地面を元に戻すと、ユキネは左手を掲げた。

 じゃらりとその腕から蛇のような鎖が伸びて、龍達の体を拘束し地面に引きずり込んでいく。


 さて、困った。

 まるで間が持たない。

 そんなハルユキの思いとは裏腹に、ユキネはまるで集中を途切れさせる事無く龍の収容に意識を傾けていた。

 そしてそれはすぐに終わった。しゅるんと鎖の蛇が再びユキネの左腕に戻る。


「偶々この辺りを歩いていただけですよ。ええ本当です」


 ユキネはこの言葉を信じていない事は明らかだった。

 嘘を吐かれるのは予想していたのか、表情どころか顔色どころか、彼女は瞳を揺るがせることすらしない。


 最初に少しだけ気を張り詰めた事以外、一切感情の揺れが無いように感じる。


(本当に、こいつユキネか……?)


 些細な事に動揺しまくり感激しまくりだった二年前とは違いすぎる。

 冷たい、と言うより距離が遠い。どこか神聖なのだ。本人が狙っているとは思えないが。


「今後」


 ぼそりとユキネが言った。

 顔を向けると、やはり真剣そのものの表情がこちらを向いていた。


「今後、こういった行為は控えて頂きたい」

「散歩ですよ」

「夜に街の外を出歩くのは危険だ」

「でしたら、貴女を誘いましょう」


 冗談を言ったつもりだったが返答はなかった。

 うーむ、取り付く島もない。

 どうにか話を繋げないかと頭の中で奮闘していると、ユキネが背を向けた。


「帰られますか?」

「……失礼します」

「そうですか。では、また」


 半身をこちらに向けたユキネを引き留める事はしなかった。

 "また"と言う言葉にユキネは少し眉根を寄せる。


 少しだけ考える様に目を伏せた後、ややあって小さく息を吐いた。


 背を向けようとした体を戻して、彼女はこちらを向く。


「シン殿。私は友人と言うものを作ろうとは思っていません。貴方の意図がどのような物にしろです」

「……つまり?」

「差し出がましい事を承知して言わせてもらえば、もっと建設的な事に尽力なされては」

「友人を作る事は、建設的ではないでしょうか?」


 そう言うと、ユキネはこちらを見据えたまま言葉を切った。

 怒りも焦りもない。何を考えているかは、分からなかった。


「万人に対して全てがそうあるものなどありません」

「……しかし、貴方にも友人が居るはずだ」


 思わず、少しだけ言葉に険が交じった。ユキネの目がそれに反応して冷たく細められる。


「いませんよ」

「……へえ」

「必要がありませんので」

「そうですか。へえ、そうですか」


 また言葉に険が混じるが、何だか取り繕うのも面倒になってきた。

 仮面の中からジトリと睨みつけているのは、相手も分かっているだろう。


 しかしそこでユキネはさっさと背中を向けて──。



「──帰らないで下さいよ。まだ僕と話してないじゃないですか」



 ぬらりと闇に浮き出て来たリィラの気配に足を止めた。

 

「は……?」


 一瞬時間が止まる。

 ハルユキは呆けて、ユキネは静かに警戒感を滲ませた。構図的には挟み撃ちだ。

 それも夜の、こんな人気のない所で。


(やば……)


 とん、と一瞬でハルユキはリィラの隣に移動した。

 その動きにユキネは目を瞠り、リィラは楽しそうにニコニコとこちらを向いて小首を傾げた。

 

「……リィラさん? 何してるんですか?」

「やだなあ。僕も友達になろうかなって言ったじゃないですか」


 がしりと頭を掴んで力を込めてみるが、涼しい顔でリィラは言った。丈夫な奴。

 しかしいざユキネと目が会うと、リィラはこちんと表情を固まらせた。


「人見知りの癖に……」

「い、いいじゃないですか。これから直すんです」


 ため息交じりに小声でリィラと話しながら、ちらりとユキネを見た。

 足を止めている。忙しいであろうユキネには申し訳ないが、まあ結果的によしとしよう。


 しかし、どうしよう。

 まずは紹介でもしてみるか。名前も知らないだろうし、ユキネも初対面の人間と親しく話せる人間ではない。


 だから、何とか自分が間に入って、と。


 そんな事を考えながら、もう一度ユキネを見た。そして気付く。


(あ……?)


 漠然とした嫌な予感が背筋を走った。

 違和感。何だ。なにかおかしい。


 ユキネだ。


 じっと、リィラを見ている。

 また本能的にまずいと感じて、ハルユキは何でもいいから声を上げようと、口を開く。


「リィラ・リーカー」


 しかしそれはまるで間に合わず、ユキネが先にその名を呼んだ。

 低い声。敵意はなく、害意もない。

 感情のこもらないその声は、やはりハルユキの知っている物とは違っていた。


「え? は、はい……?」


 本当に何しに来たんだろう、と思うほど怯えた声でリィラは返事をする。


「私も、貴女に話しておきたい事があります」

「え……?」


 おろおろと、リィラは左を見て右を見て。最後に泣きそうな顔でおそるおそるこちらを見た。

 しかし、どうしてかハルユキも動けなかった。


「謝りたいと。そう思っていました」


──その言葉に、リィラは何かを予感してか。


「……へえ」


 一瞬で緊張も強張りも投げ捨ててユキネに振り向いて、す、と目を細めた。




     ◆




 小さな口から漏れた夜気が、連続して背後に流れていた。

 空のような明るい髪がしっとりと湿り気を帯びて揺れる。


 街の路地を駆けて、時に魔法を駆使しながらフェンは移動していた。


 城を横切り、緑の公園を抜け、川を越えて、閑静な住宅街を走り抜ける。

 足を止めたのは住宅街の中にある落ち着いた雰囲気の大屋敷。


「ハルユキっ……」


 不用心にも鍵も閉めていない門を抜けて、前庭を抜けた。


「お止まり下さい」


 そのまま、分厚い木の扉をノックしようとしたところで、静かな声が頭上から聞こえた。

 はっと顔を上げればバルコニーに影があった。

 ふわりと、その人影は質量が無いかのように軽やかに地面に降り立つ。


「頭上からの物言い、どうかご容赦下さい」

「……こちらこそ、無礼、……でした」


 たどたどしい敬語を使いながら、フェンはその顔を盗み見た。

 そのメイド服の女性にフェンは見覚えがある。


 ハルユキの隣に傅いていた女性。恐らく、ハルユキがどこかの旅先で会った女性だろう。

 それを連れてきてしまったのだ。

 どうにもそういう所が、あの人にはあるようだから。


「申し訳ないけど、ハルユキを──」

「主は今留守にしております。私でよければご用件をお伺いいたしますが」

「……それは」


 確か、ユキネの話をした時にも彼女は居た。

 だから言伝でも問題はないのだ。でも、フェンにとってはこの問題は何より大事な物で。


 それをハルユキの知り合いとは言え、おいそれと話す事に抵抗があった。

 するとサヤは事情を悟ったかのようにふ、と表情を緩めた。


「では、中でお待ちください。すぐに主も戻るはずです」

「……それは、遠慮す……します」


 これは、急ぎの用だ。

 龍の襲撃があれば伝える様に見張りの人間に含ませていた。

 ところが入った報告は既に戦闘が行われていると言うものだ。


 普段よりもずっと街の遠くで戦いが起こっている。

 それが、どういう理由かは分からないが、どちらにしてもユキネもすぐに気付く。


 どうにかそれまでに、ハルユキと二人で──。


「──もし、貴女様が我が主と共に戦場に赴こうと言うのなら、どうかお考え直し下さい」


──言い当てられて、思わずフェンはサヤの顔を覗き込んだ。


「ご気分を損なわせてしまったのなら申し訳ありません。ですが、我が主は彼女に正体を明かさぬように努めております」

「……あ」


 言われてようやく気が付いた。

 フェンが"シンである"ハルユキと仲良くしているのはおかしい。

 そうなればすぐにユキネはシンの正体に勘付くだろう。


「ご、ごめん、なさい……」

「大丈夫です。我が主は不滅にして無敵にして不死身です。それはフェン様もお分かりの事かと存じます」

「……うん」

「では、立ち話も何です。ゆっくりとお茶でも飲みませんか?」

「……そう、します」


 サヤが玄関の扉を開けて、中に入るように促した。

 入って、フェンは何となく辺りを見渡す。大きい屋敷だが、この二年でこういった建物は見飽きている。

 でも、ハルユキがここで過ごしているのかと思うと、そわそわした。


 連れて行かれたのは、キッチンと食堂だった。

 それも長机が用意された来客用の物ではなく、使用人達が談笑に使うような生活感が滲む部屋。


「堅苦しいのはお嫌いかと思いましたが、よろしかったでしょうか」

「……うん、落ち着く」


 自然と敬語が取れていた。

 怒るどころか気を良くしたように微笑むサヤに、フェンはたじろぎながら促されるまま席に着いた。


 しばらくすると良い香りのするお茶とお茶請けのクッキーが机の上に用意される。

 サヤが着席してもいいかと聞いてきたので、そうして欲しいとフェンは言った。


「上手くやっているでしょうか。主様は時折突飛な事をなされるので」

「……うん」

「何かお聞きになりたい事はありますか? 私達の連絡を密にする事も主様の役に立つかもしれません」

「聞きたい事……」


 たくさんあるはずだったが、咄嗟に出てこない。


「特に、は……?」

「左様ですか」


 微笑むと、そのままサヤはお茶を口に運んだ。

 ゆっくりと時間が流れる。何か話すわけでもなかったが、不思議と沈黙が苦ではなかった。


 元々フェンは話す方ではないから沈黙は嫌いではない。

 だが相手が気まずく身を揺するから。

 その空気が嫌だった。


(大人……)


 フェンがサヤに抱いた思いはそれだった。

 ハルユキとは全く別の意味でだが、沈黙を楽しめる人だと思った。


 体つきも山あり谷ありで、でも立ち姿から思い浮かぶのは"しなやかさ"であったりで。

 とても、羨ましい。


「……あの」

「何でしょう?」


 お茶が半分ほどなくなる頃、唐突に放ったフェンの言葉にサヤが自然に返した。


「その、ハルユキに私が、頼んでしまったから、」

「はい」

「ハルユキは、優しいから、無理、しても……」

「存じておりますよ」

「……そう」


 居心地の悪さを、フェンは感じていた。

 何故だろう、とこの時はボーっと頭の片隅で考えていた。紅茶が美味しかったので、そっちの方が重要だったのだ。


「──では、こうしましょうか」


 よって、火蓋が切られたのは、ここから。

 何気ないサヤの一言からだった。


「あの人が私に助けを求められたら、フェン様に伝えます。そうしたら──」

「────……」


 ほんの僅か。フェンは目を見開いた。

 その後、ぐ、と奥歯を噛む。惜しむらくはフェンの無表情があまりに顕著で、サヤにすらその機微に気付けなかった事だ。


「……私に言ってくれた時も、伝えて、あげる」

「……? ええ、しかしそれは恐らく考え辛いかと──」


 それは、今現在サヤの方が傍にいるからと。ただそれだけの意味だったが。

 そこで少しだけわかりやすく目の色を変えたフェンに、サヤは自分のささやかな失敗に気が付いた。


「……聞きたい事、一つあった」


 さて、どう宥めようとサヤが思案し始めてすぐにフェンが言った。


「貴女は、ハルユキの何、ですか」

「……そうですね」


 少しだけむくれている彼女は、大変可愛らしかった。

 ならばこれもいいか、とサヤは選択する。何も仲良くするだけが人間関係ではない。


「彼にとっての私は分かりかねます」

「……そう」

「──ですが」


 彼女の敵意に失礼の無いよう、静かに好戦的な笑みをサヤは用意した。


「私にとってのハルユキ様は、私の体の命の魂の。全てです。また彼にとってもそうであると信じています」


 その子供染みた返答が、勝手な先入観を持っていたフェンには意外だったのか。 

 また小さく目を見開いた後。


「──そう」


 むぅ、と今度は分かりやすく頬を膨らませた。




     ◆

   

 



「謝りたい? 心当たりがありませんね」


 先程までとは打って変わって、リィラは滑らかに言葉を吐いた。

 いやそれは吐きつけたと言っていいほど、──言うならば、ケンカ腰だった。


「エルゼンの救出に向かえなかった事。それを知る事すら出来ていなかった事。いずれにしても謝意を表したい」


 しかしリィラのその言動を諌める事は出来なかった。

 リィラはあのエルゼンの住人だ。喧嘩の仕方はよく知っている。売り方も、売られ方もだ。


「沢山の人が死んだと聞いた。一人でも救えれば良かったのだが」


 ユキネの声には一切の抑揚がない。

 言葉の内容からは考えられないほど、その声に同情の色や悲哀の色も存在しなかった。

 それが、引き金。


「ふぅん……」


 リィラの空気が変わった。

 小さく口角が上がり、瞳孔が剥き出しになる。

 それは、陽だまりの中で子供達とほほ笑んでいる時の顔ではなく、昏い地の底で血と泥に塗れていた時のもの。


「────……!」


 それにユキネは僅かに驚きを見せた。しかしゆっくりと、それを無表情に直す。

 示し合わせた様に風が吹いた。

 リィラの腕が通っていない服の袖が揺れ、真っ黒な眼帯が見え隠れする。


「ちょ──、待て、待てって」


 今にも剣を引き抜きそうだったリィラの肩を掴んで振り向かせる。

 じとりと冷たく湿ったような瞳がこちらをむく。これはアカンやつ。


「……何ですか、神様」


 更に冷たさを増したその目に思わずたじろいだ。

 しかしまあここで事を荒立てるのは、エルゼンの立場としても最悪だ。

 ユキネに向き直ろうしているリィラの両肩を掴み直して、無理やりこちらを向かせる。


「な、何ですか……」

「悪い」


 驚いたのか目を丸くして、そしてばつが悪そうに唇を尖らせる。

 別にリィラが悪い訳ではない。ごしりと頭を撫でて後ろに下がらせた。


 ハルユキがリィラの前でユキネに向き直ると、彼女は丁度口を開いていた。



「──聞けば、貴殿は彼の国食み(ラカン)の死体を引き回したのだとか」


 

 そして、元に戻りかけた空気をまたかき乱した。

 反論しないリィラの代わりに、ハルユキが口を開く。


「……それは違います」

「ええ違う。彼の墓が街を越えた先にあるそうですが。そうすると見えてくる。彼は──」


 捲し立てる様にユキネは言う。

 やはり表情も変えずに、淡白な口調で事務的に。


「リィラ・リーカー。彼は──国食みは貴女の何か掛け替えのない人だったのではないかと」


 とりあえずそこでハルユキが口を開けなかったのは、色々な事に驚いていたからだ。

 かなり正確に言い当てている事も。

 彼女がこんな事までいう事も。他に幾つも。


 だから、決定的な一言を口にするのを許してしまった。


「──そんな彼を貴女に殺させてしまった事が。非常に悔やまれる」


 それをユキネが言い切った瞬間、静けさが戻った。

 バタバタと平原に吹く強い風がハルユキのマントをはためかせる音だけが続いている。


 はっと我に返ったハルユキは、慌ててリィラに振り返った。

 しかしリィラの顔は意外なほど落ち着いていて、ハルユキを一瞥した後、ユキネを向いてゆっくり口を開く。


「貴女がいれば、殺さずにすんだんですか?」

「……いえ。私は神ではない。やってみなければ何も分かりません」


 ユキネはこちらを一瞥もしない。


「ですが、そうしようと願い、行動したでしょう」


 リィラは目にも止まらぬ速さで剣を引き抜き、一閃した。


「そうですか」


 誰を傷つけたわけでもない。ただ、地面に一本の線を引いた。ユキネとの間に、深く鋭い線を。


「神様」


 そして、リィラがこちらを向いた。

 怒っている訳でも、悲しんでいる訳でも、まして悔しがっている訳でもない。

 少しだけばつが悪そうに笑っている。


「僕、この人と友達になるのはちょっと難しそうです」

「……そうか。悪かったな」


 いえ、と小さく返事をすると、リィラはユキネを二度と振り返る事もなく街の方に歩き始めて、やがて闇の中に消えた。

 取り残された二人は、それを見えなくなるまで見届けて。


 ユキネはもう用はないとばかりに、街へと踏み出した。


 予想外の事が起こりすぎてハルユキは固まっている。

 その体の中に、ユキネに対する怒りがあったからだ。


 それは自分の頭の中ではあり得ないと思っていたものだったが、いざ発生してみると意外なほど慣れ親しんだ感情だった。

 ああそうか、とハルユキは納得した。

 そう言えばユキネとの関係もそう行儀のいい物ではなかったなと。


 だから、ハルユキはその背中に向けて言った。


「……嫌われるのが得意なのですね」


 ぴく、とユキネはその言葉に反応した。


「結果的に嫌われただけですよ」


 彼女は微妙なニュアンスの違いに反論した。

 実際に事実は分からない。それ以上言及するのは止めた。


 止めたが、頭の中に苛立ちが残る。間違っていたのだ。優しく諭すなど。

 今のやり取りで、ハルユキもいささか吹っ切れた。


「突然ですが私達は貴女と親しくなった後龍と接触するのが目的ですので」


 こちん、とその場の時が止まった。


 何を言ったのか、瞬時には理解できなかったのだろう。

 一瞬表情が抜け落ちた後、ゆっくりと彼女は目を瞠った。


「──どうして……」

「さあ?」


 手の内を晒した事に困惑するユキネに近寄って手を振り上げた。

 敵意があったわけではない。だから彼女は何となくそれを目で追うだけで。



「自分で考えろ、バァカ」



 ──振り下ろされた拳骨を、甘んじて脳天に受けた。

 そして、頭を押さえて目を白黒させる彼女を見て満足気に鼻を鳴らした後。

 ハルユキはダッシュで逃げた。





    ◆






 ──何でも、やってみなければわからない。

 前に神様も、そう言っていた。あの馬鹿で鳥頭な神様は覚えていないかもしれないけれど。


 彼女も同じことを言った。でも、神様のそれとは意味が違うようにも思う。なんでだろう。


 そんな事をボーっと考えながら、リィラは人混みの中を歩いていた。


「あら」


 その人は、唐突に表れた。

 赤い髪をハーフアップにして後ろに纏め、慎ましい眼鏡をしていたので気が付かなかった。


「え……」

「偶然ね。やっぱりリィラだったの」


 その人はリィラの手を取ると、引っ張って歩き出した。


「一応聞いておくけれど、今時間はある?」

「じ、時間はありますけど……」

「そう。良かった」


 一応、という事は無くても連れて行かれるのだろうか。

 連れて行かれるのだろう。彼女の空気が何となく確信させた。


 綺麗な声。綺麗な体。綺麗な髪。

 知らない人に付いていくのはダメだと知っていたが、何だかそんな物に気を惹かれて足がつられる。


「何してたの?」

「あ、ちょっと用事の、帰りです……」

「用事? ああひょっとしてユキネの事かしら」


 どきりとした。

 ここまで来ると、流石にただ者とは思えない。思わず目の前の彼女の顔を覗き込んだ時──。


 すとん、と二人の隣に人影が降り立った。


「おい。貴様、儂の事を便利屋か何かと思っていないか」

「万屋でしょう? はい御代」

「……む。そう言えばそうじゃったの」


 銀貨を一枚、その人影は受け取った。

 藍色の和服、綺麗に結った長い黒髪の三つ編み。会うのはこれで三度目だ。


「レイさん」

「ん? おお、また会ったの」


 さばさばとした口調で、レイが言った。

 そこでだ。ようやく、このメガネの人が誰なのか気が付いた。


「……ノインさん」

「はい。久しぶり」


 あの池であった、赤い髪の妖精さんがそこにいた。

 気付いていない事が分かっていたのか、彼女は悪戯っぽく笑った。






   ◆




 ばたん、と自分で閉めた扉の音で我に返った。


「っ……」


 そうすると、頭頂部が鈍い痛みを主張した。

 驚いて声も出なかった。

 敵意など込められていなかったのだ。そんな物があったのなら、ユキネはシンの腕を打ち払っていたはずだ。


「こんばんは、皇女殿下」

「……タナトスか」


 立ちつくしていた所に、背後から声がした。

 振り返れば、ノックもせずに扉を開けて半身だけ覗かせているタナトスがいる。

 そのまま彼女は開いていない方の扉に背を預けると、馬鹿にしたように笑った。


「あんまり怪我してないな。竜の数が少なかったか?」

「悪いが、お前と話したい気分じゃないんだ」


 嫌味ったらしい声に乗るつもりはない。

 出来ればすぐに収容した龍達の様子を見に行きたかった。


 しかし突き放したつもりの言葉に、タナトスは何かを感じ取ったらしい。

 一瞬だけ訝しげに眉をひそめた後、直ぐにそれを解いて楽しげに口の端を歪めた。


「……あいつかぁ。あの友人希望の」


 図らずも会話が続いた。

 小さくユキネはため息を吐くと、まずは途中だった書類の決裁を済ませようと机に付いた。

 目を通しながら、適当に言葉を選ぶ。


「彼等は友人になりたい訳ではなく、他に目的があっての事だ」

「まぁたアンタは。直接言われたわけでもあるまいし……」


 ユキネはそれに返事をせずペンを取って紙に走らせ始めた。

 しかし本当に目ざとくタナトスは何かを感じ取ったのか、ゆっくりと目を瞠る。


「まさか言ったのか、本当に」

「特段驚く事でもないだろう」

「信頼してもらうためにって事か……? それにしてもリスクを考えれば……」


 私に近づくものは皆そうだ、と少し皮肉を口にしたが、タナトスはまだ驚いたままだ。


「……何で、そいつはそんなにアンタの事信じてんだ?」

「そうではない」


 タナトスの言葉に、ユキネは驚かない。

 彼は目的を晒け出す事でこちらを信頼していると示した。その驚きは数分前に経験している。


「そう思わせる事が、目的なのかもしれない。それが虚偽ではない根拠もない」

「……ああ、そうか。そう言う考え方もあるのか」


 タナトスはそう言うと、僅かに強張っていた表情を緩めた。

 あの自称神がそう考えていると誤解する事は、半ば当然だ。状況を考えればそれしかありえない。


 しかし彼の狙いがそんな遠回しなものではない事を、ユキネは知っている。

 では、タナトスが最初言ったように曝け出す事でただ純粋に信頼を分かち合おうとしたのか。──いや。


(それも、違う……)


 例えば、ルス・タナトスは知らない。

 彼等が今、龍との内通を疑われて立場を危ぶめている事を。


 それは、各国のある程度高い地位にいる人間ならば簡単に知り得る事だ。


 しかし、彼等もまた知らない事がある。

 今夜、彼が龍との接触こそが目的だと言い放ったことを。


 だから、預けられたのは、信頼などと生易しいものではない。


 ユキネの立場で彼等がそう発言した事を公表すれば、彼等は終わりだ。その言葉が嘘だろうとだ。

 故に、押し付けられたのは彼等の生殺与奪。

 手の中に彼等の命綱がある事を、世界でユキネだけが知っている。


(どういうつもりだ……)


 何が意図があるはずだと、ユキネは更に深く思考を行う。

 ただそうするとそれを咎める様に、殴られた頭頂部が痛んだ。


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