境
登場人物紹介を3部の始めに付けました。
まだ太陽が頂点まで上がり切っていない。
それでも白い家に光が反射して、あたりは眩しいほどに明るい。
しばらく行くと、そんな街並みはがらりとその様相を変えた。
「見えました」
サヤに言われて、ハルユキは立ち上がって御者台から顔を出した。
その瞬間、かすかに塩の匂いが鼻をくすぐる。
「河か……」
この街ではある一定の区間から街を横切るように川が流れている。
その川がまた大きい。
河口が近いからか、大きく広がった川幅は向こう岸がかすんで見えるほど。
一つだけという事はないだろうが、橋は今目の前にある巨大なもの以外に見当たらない。
それはきっと停泊している船のせいだろう。
渡し船がいくつも浮かび、漁船や、大型の客船なども浮かんでいる。流石に船の往来に合わせて自動開閉できるわけではないのだ。
「何で、こんなところに街を作ろうと思ったんだか……」
「……不思議」
「城もあんな場所にあるしさ……」
「うん」
考えた事が無かったのか、隣に座ったフェンはことりと首を傾げた。
城はあまりに高いので地面が盛り上がった場所にでも立てたのかと思っていたが、違う。
ただ土台も壁も建物も、全て巨大なのだ。
この広い川も、城と城壁はたやすく跨いで飲み込んでいた。
「しかし、広い街だ」
ゆっくりと馬車は橋を登っていく。
何しろ人が多いのだ。橋はゆっくりとしか進まないため、見下ろせば川べりから渡し船に乗っている奴も多い。
やはり川は交流地点になっているのか人口密度が高い。
川べりに沿って視線を走らせれば、疎密はあれどずーっと先まで人が途切れることはなかった。
特に今は"世界会議"の真っただ中。龍の襲来によって数が減っているとは思えないほど様々な国種であろう人間達がここにはうごめいている。
「空が青いね。お前の髪の色と似てるよな」
「……ハルユキ、あのね」
「ん?」
「時々、恥ずかしい事を言っている自覚がない、と思う」
「……昨日も言われたんだけど、え、それはみんな同じ見解なの? い、今のはそんなでもないよね? マジで?」
「まじ」
「い、いやでもそれは日本人的尺度だからねこう国境を無くして考えてみればね」
ハルユキは今眼鏡をかけて帽子を目深にかぶっている。
引越しをするだけならこれで十分。暑苦しいマントも仮面も必要ない。
「……ハルユキは恥ずかしいのが好き」
「別に好きじゃない。ちょっとだけワールドワイドだったんだ」
「私は」
「ん?」
「恥ずかしいの、好き」
「……そ、そうか、この先大変だな」
「大変」
実もならない話を適当に繋げていると、馬車が橋を越えた。
一風変わった街並みは、先ほどの街並みと比べるとどこか古く、趣がある。
あちらが若者の最先端を作り続ける街ならば、川のこちら側は歴史と伝統を重んじた雰囲気があった。
本来はもっと落ち着いた雰囲気なのだろうが、時勢のせいか僅かに不安を抱いた空気だ。
「しかし、お前が来てよかったのか? 仕事も大変だろうに」
「この任に就いたのは偶然。ただ、私の役割は案内じゃ、ない」
「ああ、監視なのね」
「そう」
フェンはこの国の中でも指折りの実力者だ。
とは言ってもさすがに一人で行けとは言われなかったはずだ。そこはフェンが無理を通してくれたのだろう。
「着いた。あそこ」
フェンが隣に広げていた地図を何度か見比べながら馬車の右斜め前辺りを指した。
城と川からおよそ馬車で十分ほど離れた場所に、その屋敷はあった。
「これは、また……」
自然と口から呆れたような声が漏れた。
言ってしまうと、高そうな石材で組まれた豪邸だった。年季は入っているようだが手入れは行き届いていて、風情だけが濃く香る。
こちらの町全体に言えることだが、至る所に街路樹が植えてあってその庭にも大きな木が植えてあった。
綺麗な門構え。広い前庭。
あのような無礼極まる行為をした連中に、豪儀な事だ。
「一番乗り──!」
「そりゃ寝言かクイーン?」
飛び出したクイーンとビィトに続いて、ハルユキ達も馬車を下りやれやれと積み上げられた荷物を見上げた。
「そしてサヤ。貴様、なぜその頂上に我が物顔で座っている」
「私はどちらかと言えば荷物なので。いつも鉄屑メイドめと罵るではありませんか」
「神様……」
「おい、その前にこいつが俺をどう言ったか知ってるか? その後に返す刀で切り刻まれたのを知ってるか? 顔面トリプルプレーとか言われるんだぞ?」
「目元、鼻、あと、生え際?」
「生え際はやめろ」
「流石はフェン様。見事な着眼点です」
ふふ、と少しだけフェンは口元を緩めた。
笑えるようになったのかと聞いてはいない。笑みを作る術を覚えたのがこの二年だと考えると、子供じみた感情が胸を焼く。
「じゃあ、ハルユキ」
とん、とフェンも馬車から降りて短くそう言った。
「帰るのか?」
「手伝いは?」
「いらないな。お前ら以外を簡単に入れる訳にもいかん」
「私も、軽々とは、入れない」
フェンの監視の任はここまでと言うことらしい。
リィラやサヤ達はまた何事かを話しながら荷物を運び出し始めている。ハルユキが神の面を取り出すと、フェンは背中を向けた。
「またね」
雑踏ひしめく街中にフェンの小さな背中は消えていく。人の波に大きな街並みに、まるで飲み込まれるように。
「フェン」
呼び止めた。
呼び止めはしたものの、振り返ったフェンの顔を見て言葉を用意していない事に気づく。
しかしこの少女をもっとちゃんと笑わせてやろうと、ふとこんな時にそんな決意をした。
自分が帰ってきたなんて情けない理由でなく、愛想でも、仕事上でもなく。もっとちゃんと彼女が望んでいる形で。
「その、なんだ……」
「うん」
「……ドンバ村でな、あの最初の村。あそこでな色々あったろ」
龍に襲われた事とか、ラストと戦ったこととかではなく、フェンとの間にだ。
そう言うとこくりとフェンは頷いた。何を言っているのか分かってくれているのが分かった。
ぐ、と喉に力を入れた。これから言うのは自他ともに認める恥ずかしさだ。
「あれ以来な、お前には無関心な振りとかはしない事にしてるんだ。だからちゃんと言うな」
「うん」
「だから、ちゃんと約束の意味は分かってるから」
「うん」
「それだけだよ! 恥ずかしくて悪かったな!」
うん、と。そう言ってフェンは笑った。
「でも、ハルユキ。約束して」
「ああ、何だ」
そう言うと、フェンは今行った道をとことこと歩いて、ハルユキを至近距離から見上げた。
「もう無理はしないで」
あまりに近いので一歩たじろぐと、フェンの手が不安そうにハルユキの服を握っていた。
◆
結局引越しは夕方まで終わらなかった。
それもこれも手伝わなかったチビ共や、"会食"の為にリィラ達が衣装を合わせていたせいだ。
つまり、いつもと変わらぬシーツ姿で出席するハルユキだけが荷物を運ぶことになっていた。
手早く準備を終えたサヤが言う。
「結論から言うと、成功とは言い難いです。やはり途中退場になった事が痛かったですね」
「しかし椅子は用意されていなかった」
あれだけのことをやった後で当たり前のように席に着く方が困難だ。
ただ印象だけ。
"警戒心"と"存在感"、それに"期待感"を煽るのが目的だった。ならばあそこで留まるという選択肢はなかったはずだ。
ねだれば、足元を見られ付け込まれる。
「私共の話はその後、ある程度意図的に解釈されました」
ごとりとナノマシン製段ボールを置くと、その上に乗っていたサヤも降りて荷物を置いた。
「あのね……」
「龍と国食みに襲われたのならば疲弊があるはずだと。しかし我らを頼ってきてくれたのだ。手を差し伸べなければならない、彼等は貴重な人材だと」
「ああ、うん……」
またハルユキがいっぺんに持った荷物の上に荷物を持ってサヤは続ける。
「結果、我らが施された形に纏められたようですね」
「まあ、それはしょうがないだろ」
「誘導したのは"塩の王"に"血塗れ金"、それに"二人目"。始めの二人は開戦派の筆頭です」
「……ふむ」
あの場で開戦反対の意は示した。
つまりエルゼンの影響力を弱めようとする国は開戦派。その逆は穏健派だ。
最初の二人はまあ当然だろうが、ツヴァイまでがそんな真似をしてきたか。
奴は義理には厚いが同時に使命感も強い男だ。
世界最大の組織的武力を持つビッグフットとしては今回の戦争を何がなんでも利用したいはず。
率先して開戦を叫ばないだけ、ユキネに対する義理は働いている。
「他には?」
「オウズガル、スノウ第一殿下、ウィーネ陛下いずれも積極的な発言は無く、ただ全体としては"塩の王"に流されて来た連中が相乗りした形でしょうか」
「その連中の顔と名前を教えてくれ」
「仰せのままに」
「どうするんですか? そんなの聞いて」
ふと、リィラが廊下の角から顔を出してそんな事を言った。
女のものではなく男物の礼装だった。
黒と灰色を基調とした質素な作りだったが、その分上等な布を使っているのが分かる。
元が良いうえ、眼帯や隻腕があるので"濃い"リィラには薄めの味付けで実によく似あう。
「今日の会食で話しかける奴は分けとかなきゃいけないだろ」
「へえ、真面目にやってるんですね」
「……言っとくが、お前も出るんだぞ」
「……知ってますよ」
憂鬱なため息が二つ重なった。
そうしていると、その背後からコドラクが出てきた。
リィラを仕立てた張本人だろう。
そう言えば二人で話しているところは見た事が無いが、身に纏った服に気負いも不満も漏らさないリィラからは信頼が感じられた。
「き、緊張してきました……」
しかし緊張はするらしい。
揃ったところでハルユキも片づけを一旦切り上げて表に向かう。
表にはすでに迎えに来た馬車が停まっていた。
「いい加減人見知り直せよ」
「だ、だって……」
馬車は流石の造りで、赤い布が敷かれたソファに座ってみると、ありえない程に尻が沈んだ。
それに広い。四人で座るにはずいぶん隙間が空く。
「大丈夫だよ。みんなお前には興味あるだろうから、あっちから話してくれるさ」
「絶対離れないで下さいよ……!」
「社交目的のお嬢様方も来てるらしいからな。粗相はしょうがないが、手出すなよ」
「出しませんよ……!」
馬車の窓から城が見える。
白い肌の城は夕日を受けて朱に染まっている。
"西の空が茜色に染まる頃"。そう招待状に記してあった。
サヤとコドラクも馬車に乗ると、ゆっくりと馬車が動き出した。
ぼんやりと流れていく茜色の街並みを見る。
「い、行きたくなくなってきました、ハルユキさん……」
途端にリィラが震えだした。
馬車内にいるのは俺とサヤとコドラク、それにリィラの四人。
欠伸交じりにハルユキは溜息を吐いて、馬車の椅子に体重を預けた。
「まあ、こういう酒の席はつまらんよな」
「……そういう事を言ってるんじゃないですけど」
「って言っても、すぐ着くぞ」
「ああもう……!」
場所は城の傍の迎賓館。
時間にして10分もかからないだろう。
他の二人を見渡したかぎり、表情を強張らせているのはリィラだけだ。
それを微笑ましく見守っていたサヤが穏やかに口を開いた。
「大丈夫ですよ。いざとなれば実力行使必勝法を用いれば良いのですから」
「……見も蓋もない言い方だな」
「最終的には力が物を言うものです」
「そうならないようにしてんだろ」
そんな事をすればしがらみは無くなるだろう。良いも悪いも、酸いも甘いも、一切合財が。
「私は、それでもかまいません」
「……ま、いざとなったらな」
「はい」
サヤはあくまで上旬に頷いた。
しかしそれも一瞬、すぐに傅いたその顔を上げる。
「さて、ではおさらいです。主様は会が始まった途中で挨拶の場があるそうです。もう十分目立ったので当たり障りのない事を適当にお願いします」
「あいよ」
「リィラ様は神子という事になっていますので、基本的には外交の窓口に。コドラク様と一緒に行動なさってください」
「はい」
「このコドラクにお任せあれ」
その後は、サヤとハルユキ、リィラとコドラクに分かれて行動する。
とは言っても最初の会食だ。話をして、とりあえず今回の世界会議についてどう思っているのかを聞くだけでいい。
問題は、影響力のある奴等だ。
「"四雄"。特に、彼の王には注意を──」
と。サヤが言った時、ハルユキが気付いた。
馬車の扉を見る。
まさかと思った瞬間。
──トントンと扉がノックされた。
「────ッ!?」
他の三人ともが驚き、扉を見る。
当然だ。
今は、かなりの速さで移動している。
ノックされたのは、"走行中の馬車の扉"。
「邪魔するぞ」
そして、こちらの声も待たずに扉が開いた。
気付けば音もなく馬車が並走していた。馬も車輪も黒い靄のようなもので覆われた馬車だ。
そして一人、その馬車からこちらにやってきた。
「よう。こんな形で悪いな」
入ってきたのは、ギルドの王。
眠たげな顔をした、小柄な男。
"塩の王"サイザキ・ミコトが唐突に乗り込んできた。
「な──っ」
その登場に驚き思わず腰を浮かす三人を傍目に、サイザキ・ミコトはソファに座り込んだ。
やれやれと息を吐く。
「足が棒だ」
「さてはインドア派ですね」
「引きこもってんのはあんたの素顔だろ」
既にハルユキの顔は面で覆われている。それを見て、ミコトは鼻を鳴らした。
「俺が特定の奴に接触してると色々と勘繰る奴が多くてな。これは、そんな感じだから」
ちらりと隣の馬車に目を向ける。
馬車は変わらず隣を奔っているが、時折り対向車が来ると"縦に潰れて"それを回避する。
どうやら、対向車に見えてもいないらしい。
「そう言えば、例の件でご進言頂いたそうで。私達が世界会議に参加できるようにと」
「ああ、気にするな」
揺さぶりをかけてみてもミコトはピクリとも揺らがない。
仮面の下でため息を一つ。話題を変える。
「世間話をしに来たわけではないのでしょうね」
「そりゃな」
「それで、要件は?」
「まあ、要件って訳じゃないが──」
サイザキはゆっくりと周りの顔を見渡してから、最後にハルユキの顔をじっと見た。
仮面越しに表情を読み取られるのではないかと思うほど、その眠たげな目は何か深いところを見ている気がした。
ゆっくりとその口が開く。
「お前らが"国食み"を殺したってのは本当みたいだな」
その名前に反応して、車内に俄かに緊張が走った。あの化物の名はまだ耳に新しい。
「てっきり偶々死んだのを利用してんのかと思っていたが、違うらしいな。そうするとまあ、嫌でもお前らの立場は軽んじれない。あんまり意味がなかったな」
「……ずいぶん、耳が早い」
「そりゃなぁ」
今は冒険者ギルドを解体したとはいえ、あらゆる商路の元締めはミコトだ。
各地に部下もいるだろう。
ただそれでも、半ば鎖国されていたエルゼンから容易く確証を得られるものなのか。
「墓を暴いたから」
そんなハルユキの疑問を、ミコトはそんな発言で氷解させた。
変わらず眠たげな顔で。
──瞬間。
ハルユキの隣で熱線のような圧力が膨れ上がる。
無理もない。あの場所は、彼女達の育ての親の墓でもあったから。
リィラは剣を抜かない。
リィラは詰め寄る事もしない。
ただ、先ほどまでの緊張など放り出して、小さく首をかしげてじっとミコトを見つめている。
「……そっちもホントか」
ただならぬその様子をミコトは鼻を鳴らして見上げる。
「切り落とした首を町中で引き回すような人間には見えなかったがな」
ミコトは欠伸交じりでぼりぼりと頭を掻く。
その様子は恐怖だとか、そう言った感情が欠如しているようにすら思えた。
「それでまあ、ここから本題だが」
「はい」
「今日は帰れ。俺が口添えはしてやる」
またしてもそんなとんでもない事をすらりとミコトは言った。
車内の緊張感もまた息を吹き返すように張りつめていく。
「噂が広がって、国食みが居なくなった安心感より、それを確かに殺した奴がいる事に気づき始めてる」
「それは……」
「それを加味すると悪目立ちし過ぎだ……」
あくまで不敵にミコトは言葉をつづける。
見た限り大した戦闘力はなさそうだが、目の前で国食みを殺した人間が殺意を漲らせていても動じることはない。
大した胆力だ。
「要するに、邪魔なんでしょう? 僕たちが」
「まあとにかく忠告はした」
そう言ってさっさとミコトは立ち上がった。
慣れているのか揺れる馬車の中、もたつく事もなく扉まで移動する。
窓の外には、だいぶ近づいた城が見えていた。
「貴方が」
別れの言葉もなく扉を開こうとしていたサイザキの手を、ハルユキの声が止めた。
「貴方がこうして現れたという事は、何かこちらに期待している物があるからでしょう」
この男は親切で動く男ではないと、この短いやり取りでもそう断言できる。
ならば何かに期待しているのだ。龍の情報か、偵察の上で見つけた資源か、国食みを殺してのけた武力か。
「ただ本当にアンタらが邪魔なだけかもしれんな」
「同じ事ですよ」
小さく息を吐いて振り返ったサイザキに言った。
「どちらにしろ、私達はそれを武器に戦います」
「そうか」
元々そう言う答えがある事を想定していないわけもない。
ハルユキの言葉は、その眠たげな眼を開かせる事も出来ない。ただ、面倒そうに鼻を鳴らしただけだ。
「じゃあ、あっちでな……」
「はい」
「…………ああ、後な」
扉を開けて、器用に幅寄せした向こうの馬車に足を踏み出す前にもう一度だけ振り返った。
「あんた、その口調慣れてないならやめとけよ。不快だ」
「……検討しておきましょう」
「ああそう……」
そう言い残して、ミコトは扉を閉めた。
窓の外を見るが横にも後ろにも何も走ってはいなかった。
◆
思っていたほどは、悪くなかった。
迎賓館に入った時にそうハルユキは感じた。
「お待ちしておりました」
門からひかれた長い赤絨毯を渡り終えると、扉の傍で控えていた男が一礼した。
黒い礼服を纏っているが、腰には剣を差している。物腰からして手練れだと感じた。
「中々、人材が豊富なようで」
「みたいだな」
長い前庭を渡ると、今度は長い廊下だ。
その奥にある扉の眼でまた、同じような兵士に同じ言葉で歓迎された後、ハルユキ達は会場へと足を踏み入れた。
(天井高いなあ……)
何だか一々豪華さや大きさに驚くのも疲れてきて、ハルユキはまずぼんやりとそんな事を思った。
白い壁は高い場所から吊るされた大小さまざまなシャンデリアに照らされて神々しい。しかしまあ、好みではなかった。
そうしていると、しん、と静けさが広がっていった。
広間にはすでに多くの人間達が屯っている。そのほぼ全てがこちらを見て言葉を失っていた。
この場には似つかわしくない緊張感が満ちている。
拒絶や畏怖の視線に敏感なのか、背後でリィラが表情を強張らせていて、それで考えを改める。
思ったより、厄介な状況のようだ。
「……確かに少し、想像とは違うな」
薬師から退出した後の"世界会議"の顛末は聞いている。
ならばその後に何かがあったのか。いや、それにしても薬師から何の連絡もない。
「ここでしたか……!」
背後から聞こえた声に振り返れば、僅かに息を切らした"薬師"がこちらに走り寄ってきていた。
荒れた息を飲み込むと、薬師は顔を上げる。
まだ館内の人間には見えない位置。
"薬師"とエルゼンが繋がっているとはまだ知られていない。
だからただ静かに、そこですれ違ったような仕草で、"薬師"はハルユキ達の前を通り過ぎて──。
「お気を付けください」
ぼそりと、ハルユキにだけ聞こえるような声を残していった。
思わずその姿を振り返って目で追った。
しかし、館内に進んだ薬師とまたすれ違うように歩み寄ってきていた男が、ハルユキの視線を塞いだ。
「やあ、これはこれは、シン殿。でしたよね?」
目の前に現れたのはやせ細った中背の男。
確か名前は──。
「ジョージ・ノヴェルツェゲン──……」
「はい、私です」
気付けば誰もがハルユキ達がいる入口を見つめていた。
警戒と恐れが混じった目線。
"国食み"を殺したから──?
いや、ならば目の前のこの男の喜悦交じりの表情は何だ。
仮面の隙間からサヤを見る。
サヤもまた訝しげな表情でこちらを見ていた。小さく目配せされたのを確認して、ジョージに声を掛けた。
「ジョージ殿。お噂は……」
「ああ、良いんです。そんな事態ではないのですよ。お判りいただけていないようだ」
とことん癪に障る言い方で目の前の気取った男はハルユキの言葉を遮って、そのまま器用にこちらを非難して見せた。
仮面の下に浮かんだ青筋をとりあえずは無視して、ハルユキは顔を上げる。
「さて、思い当たりませんね。何か事件でも?」
「己を省みて欲しいものですが、良いでしょう。私も彼らの代表としてこうして勇を振り絞っている訳ですから」
言って、一見わからない様にジョージは顔の喜悦を深めた。
これ以上上がらないと言いたげに、口角がぴくぴくと痙攣している。
「皆が怖がっておられる。"国食み"を殺してのけたのは紛れもない本当だと」
「それは、そう言ったはずですが」
確信は得てなかったとはいえ、その場はそれで済んだはずだ。
「ええ。とびきりの登場でした。おかげで少々冷静さを失っていたようで。我に返った時、思ったのです」
「何を──」
「聞けば! ……霊龍と同時に攻められたのだとか。あるいは! 龍を一人で退けただとか! そんな事をね、本当にできるのかと」
「紛れもない本当だと、今おっしゃったではありませんか」
「ええ。国食みを殺したのは、ね。しかし、それ以外の事を見た人間はいなかった」
そこで、ハルユキはようやく視線の正体に気づいた。
ますます、ジョージは喜悦を濃く、口元の痙攣を悪化させていく。
「まさか、まさかとは思います。ですが勇気を出して声を上げましょう。返答によっては貴殿等の議会への参加を白紙に戻すべく動かねばなりません」
恐れの視線はリィラだけにではない。その半分ほどがハルユキにも向かっていた。
「龍と結託して"国食み"を討ったのではないか、と!」
高らかにジョージは言った。
何が狙いなのか、その表情から読み取れない。ただわかったのは──。
「あなた方は、本当に人間ですか?」
──自分達には思ったより敵が多く、余裕もないという事だ。
すみません今月は一話です。