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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
233/281

壁の向こう

明日中にもう一話更新します。

→すいません、一日遅れます

 ジェミニは連絡先を残して帰路につき、フェンは空気を読めない寝惚けた三歳児に捕まった。

 話が終わったとレイに伝えに行くのはハルユキしかいないようだった。


 どことなく億劫な気分でハルユキは部屋を出て、一度恨みがましくこちらを見るフェンの視線に気づかない振りをして部屋を出た。

 廊下を渡り、酒場へと続く階段を下りて行く。

 その先にあるのは一階を丸々使った大きな食事場。この時間になると酒場として機能するらしく、この街にしては珍しく品のない喧騒があった。


 しかしそれもどこかくたびれたものに感じるのは、世の中が疲弊しているからなのだろう。


 積極的攻勢に出ていないと言うだけで、今のこれは戦争だ。

 龍に襲われ、戦いを挑み、そして敗れて滅んだ国の多さが全面戦争を避けさせているのだろう。


 うっすらと気付いているのだろう。

 龍と戦っても人間に勝ち目はない事を。緩やかに人の世界は死に向かっているという事を。

 

(ん……)


 古い割に軋みもしない木の階段を少し降りると、バーカウンターの端っこでポツンと座っている女がいた。


 呑み飽きたのか、くるくるとグラスの中で酒を回している。


 ふと若い男が二人少し離れた机から、一人きりのその女を見て耳打ちしているのを見つけた。

 早足に近づく。


 女の背後に付いた途端、後ろにいた若い男が舌打ちを残して離れていった。

 気づいているだろうにこちらを向かない女をみて、小さく息を吐く。


「終わったぞ」


 そう言って、隣の席に腰を下ろすとレイはちらりと目だけを動かしてこちらを見て、また濁った酒の水面に視線を戻した。口だけを動かす。


「ならば寝ろ。夜更かししては背が伸びんぞ小僧」

「お前が教えろって言ったんだろうが。それに実は若干背は伸びた」

「知らんわ」


 そう言ってレイはグラスに唇をつけた。こくり、と白い喉が鳴る。


「話は聞いた。まだ半分くらいらしいが」

「そうか」

「ああ」


 大変だったな、すまないな、ありがとう。

 その言葉のどれでも良かったはずだが、何故だか自分がレイにそれらを口にする事に違和感を覚える。

 適当に口を開けば、また憎まれ口が出てきそうで。しかしそうすると、話すことが無い。困った。


「……こんな年寄りに構わんでいい。先程のは忘れてくれ」


 そんな言葉がレイがいる方から聞こえて、ハルユキはそちらを見た。

 レイは相変わらず酒を見つめるばかりだったが、どうも本当にレイが言ったようだ。流石に、茶化す気にはなれない。


「酔ってんのか」

「少しの。しかしまあ、判断力を無くしている訳でもない」


 見ればうっすらと頬に朱がさしている。

 和服の襟から見えるうなじも少しだけ上気しているようだ。


「……ああまで取り乱すとは思わなんだ。若いと笑うべきか、幼いと恥じるべきか」


 こくり、こくりと、は小気味良くレイは酒を飲んだ。

 かなり強そうな酒だがレイはハルユキと同じで酔いにくい体のはずだった。


「それで、どこまで聞いたと?」

「レガリアって奴に正体ばらされたとこまでかな」

「ああ、奴か。奴はスノウの妹──ナミネの実の父親じゃ。ウィーネと従妹じゃったかの。後継ぎがいなかったウィーネの養子にしたらしい」

「……そうすると」

「まあ察しの通り、そこで正体を暴露された我等は逃げ道を狭められた。あの馬鹿女も期待されて無下にできる奴ではないしの」


 しかしレガリアと言う男がナミネの父と言うのなら。

 仮にありきたりな世継ぎ政争に当て嵌めるなら、むしろそれを妨害しそうなものだが。


「アレも一物抱え取るわ。女王も、他にブラッドと言う教皇もいれば、無論薬師の奴も何も考えていないわけではない」

「面倒な街だ……」

「国など普通はそんな物じゃろう」


 呑み終わって氷だけが残ったグラスがテーブルの上に置かれた。


「……貴様の正体を、あれには言わんのだろう?」


 国の要人に曲がりなりにもエルゼンの中枢であるハルユキの正体は明かせない。

 ユキネに話した所で不利になる情報をばらすとも思えないが、リィラ達にとっては違う。ただの他人だ、信用などできる訳がない。

 そして一番ばらすなと言い張っているリィラは、きっと──。


「あの子供らもよく、貴様に懐いとるの」

「そうか……?」

「すべてが終わった後、貴様が無事に旅を続けられるようにするためじゃろう?」

「……ああ、たぶん」

「大事にしてやれ」


 小さくうなずいた。


「ただ、俺は──」

「……小僧」


 言おうとした言葉は、レイにやんわりと遮られる。


「貴様は、最後に儂に言った言葉を憶えているか?」


レイの顔が初めてこちらを向いていた。

そしてその質問のその表情で、なぜかふと全てが理解できてしまった。


二年前のあの日。九十九に体を取られる寸前、ハルユキはレイに言った。一言、"頼むぞ"、と。

 ハルユキのいう事を聞くのも、群れるのも、慣れ合うのも、執着するのも。八百年と言う経験の中で、それらを知って、嫌って、遠ざけていたレイに。


「口数が、増えるの。酒は……」


 そのリスクも無様さも知っていて、彼女は選択した。それはきっと、特別だと思っていてくれていたからで。

 だから、だから。

 落胆してしまったのだ。


「……ああ、憶えてるよ」

「・……そうか、……ああ、そうか」


レイが少しだけうつむいた。その拍子にカランと氷がグラスの中で音を立てた。


「……ならばもう、それで良い」


 当たり前のように新しい友人と楽しくやっていたハルユキに失望し無いわけがない。

 しかし己が勝手に執着していただけと知っていたから口には出せず。

 そして今、許したのだろうか。


 すい、と酒瓶に伸びたレイの腕を、思わず捕まえていた。


「……なんじゃ」

「お前は覚えてるか」

「……?」

「ここは俺の驕りだ」

「……ああ、そんな事もあったか。よく律儀に覚えておるの」


 くつくつと呆れたようにレイは笑った。

 ユキネがオウズガルの闘技大会で一旦予選落ちした夜、約束した。この借りは酒を驕って返せと。


「……そうじゃの。ならばまとめて返してもらおうか」

「ぬ……」

「そうじゃのう、そうじゃのぅ。何が良いか、めったにない機会じゃしのぅ。……よぉし決めた」

「お、おい」


 レイが薄く笑う。

 少しばかり軽率な事を言ったかと身構えるハルユキの前に、レイがごとりと酒を置いた。


「ほれ」


 レイがコップを差し出した。

 カランと、その中で氷が踊って涼やかな音がした。


「美味しい酌をしておくれ」

「……おう」


 とくとくと、耳に心地良い音を立てて酒が流れる。

 レイはそれを少しだけ口に運ぶと、ふむ、と唸ってまた酒の水面を見つめた。


「中々にいい酒じゃ。肴がいるの」

「ん? ああ、じゃあなんか──」

「話が良い。聞いていれば良い」


 いつの間にか、レイの表情に真剣みが戻っていた。

 正直ジェミニの話ではまだ現状の事はほとんどわかっていない。話とはおそらくその事だろう。


 こくり、とハルユキは頷いた。


『緊急事態。敵影5、防御態勢A──』


 突如、そんな声が響き渡った。

 店の中ではない。町中で響き渡った声がこちらにまで響いている。


 龍の襲撃だ。

 直感的にそう悟ったハルユキは椅子を蹴って立ち上がる。その音は店の中で空しく響いた。


「な……」


 空しく響いたのは、それ以外に音がしなかったからだ。

 戦慄している訳でもなく、言葉を無くしている訳ではない。


 じっと続く声を待つかのように天井を見上げるもの、さっさと晩酌を再開した者さえいる。


 今店中に、いや町中に広がった静寂には確かに落ち着きが存在していた。


 隣に視線をやるとレイもまた、ただ天井を仰ぎ見ているだけ。その顔には落胆と諦観じみた感情が浮かんでいる。

 ハルユキの視線に気づいて、ポツリと零した。


「たかだか五体じゃの……」

「なに?」

「……場所を変えるか」


 レイが酒瓶とグラスを持って、立ち上がった。踵を返すと、颯爽と長い袖が振れる。


「どこに?」

「付いて来い。顔は隠しておけ」


 先に扉を出た瞬間、レイは空を見上げて何かを目で追った。

 すぐに後に続いたハルユキもつられて空を見るが何もない。まさか、流れ星でも追ったわけでもないだろう。


 二の句も続けさせずに、レイは地面を蹴った。

 一見華奢に見える体が夜の空気を切り裂きながら一気に遠くなる。ハルユキもそれを追った。


 屋根から屋根へ、都合10度ほど跳ぶと、辿り着いたそこは壁の上。

 高所だからかびょうびょうと風が冷たく、街の喧騒も光もどこか遠い。


「おいレ──」


 声をかけようと壁の際に佇んでいてレイへ声を掛けようとして、自然とハルユキは声を詰まらせた。

 また、レイの視線につられるようにして、ふと、見つけてしまう。



「────……」



 ──フェンの時のように駆け出さなかったのは何故だろう。

 ジェミニから聞かされた話のせいだとか、無意識に自分が負い目を感じているとか。今は関係ない。


 ただ、彼女が隔絶していたせいだ。世界からも、人間からも。何ものからも。


 "近づけない"と、どこかで自分が確信していた。


「……ここで貴様に見せるのは、少し性格が悪かったかの」


 レイの言葉を聞いて、またハルユキは彼女を見た。

 変わりすぎている。

 弱々しく、無邪気だった頃の面影はなく、あれだけ記憶にこびりついていた表情豊かだった顔も上塗りされていくようだ。

 頬に血を付けて、龍を見下ろす彼女の顔に全て。


 なのに。


「ユキネ……」


 闇夜に浮くような綺麗な金髪も、強い眼差しも、名前を象ったかのような白い肌も、必死に握り込んだ似合いもしない鉄剣も、彼女を表す記号は残っていて人違いだと思う事などできない。

 彼女は──ユキネは丁度、最後の一振りを終えた所だった。

 役目を終えた剣の切っ先が、力なく地面に垂れた。


 ふと、ユキネがこちらを見た。

 すぐに気付く。こちらではない。レイを見ていたのだ。


 驚きもせず、頬の血を拭う仕草に紛れてユキネはすぐに視線を外す。


 そして彼女は拭った服の袖を乱暴に捲し上げた。

 そこに撒かれていたのは黒く錆びたかのような鉄の鎖。


 ハルユキの眼でも暗がりと距離が相まって細かく言い表すことはできない。

 ただ、確かに鎖であるはずのそれが、ユキネの唇の動きに反応して"鎌首をもたげた"。


「何をやってる……?」


 じゃらりと、さながら蛇のように鎖は地面を這い回り、やがて陣のようなものを形作った。

 その陣の中には荒く息を吐く事しかできない、打ちのめされた古龍の体が5つ。


 また、ユキネの唇が無感動に動き、そして蛇が龍に襲い掛かった。


 弱いものを舐るかのように執拗に鎖の蛇は動けない龍の体に巻き付いていく。

 そして、一切の間もあけずにそれが起こった。


 ずぶりと、龍の体が地面に沈む。まるで水の中に引き込まれるように、不自然な波紋を立てて。

 そして、沈み込んだのはユキネも同じ。ずぶりと足元から沈んでいく。


 最後にもう一度こちらを向く、──そんな事もなく彼女は地面の中に消えた。


「龍を囲う鬼の姫子。あやつは今そんな所にいる」


 ぽつりと、レイは言った。酒の肴だと誤魔化すように、グラスを傾けて。


「色んな事があったの。共闘もしたし、決裂もした。儂と奴に至っては決闘じみた事さえの」

「決闘……?」


 あのレイが、と言葉にする事は躊躇われた。

 どうして、とも。なぜお前が、とも。

 推察するべきだ。レイの2年間は、間違いなく一つの事だけに費やされたのだから。


「負けてしもうたがの」

「……いや、それは」


 レイとユキネが闘ったとして、それは多分実力の勝負などにはならない。

 先程のジェミニの言葉が今更、少しだけ理解できた気がした。


「……そうじゃの」


 レイとの間に風が吹き抜けた。

 ああ、とハルユキはまた確信した。レイとの間もまた隔絶しているのだ。


 そんな時だ。

 はるか背後、街の方角。誰かがこちらを見た。夜の中を滑るようにして、こちらに来る。


 レイも一瞬遅れて気付いたのか振り向いた。


「レイ、畳みかけるようで悪いが、俺の話をしよう」

「なに……?」


 だん、とそいつは地面を踏み潰すようにしてハルユキの横に着地した。

 そしてレイの顔を認めると、しばし思考を巡らせたあと深く被ったフードを取り払った。

 ふわりと隠し切れない桜色の魔力が夜の空気に散る。


「貴様──……!」

「あの時の吸血鬼か。お前とも、妙な縁だ」


 霊龍が一柱・桜龍。

 龍と人間が戦争を起こしている最中、こんなところにいていい存在ではない。


「どうだった?」

「駄目だ。この街には古い魔法が多すぎる。そのどれかに隠しているんだろうがな」


 警戒に目を見開くレイを手で制しながら、ハルユキは口を開いた。


「結果から言うと、龍の襲来はこいつ等に意思による物じゃない。王が殺され為り替わられた」

「なに……?」

「そして、為り替わったのは。一連の騒動の黒幕は"あいつ等"。ゾディアックだ」


 一瞬だけ、レイの表情が固まってそのまま表情が愕然と抜け落ちた。


「俺達はあいつ等の行方を追ってる」

「どういう……」

桜龍ロウと協力してな」

「……これが既に敵の手に堕ちていた場合はどうするつもりだ」


 確かにその可能性は捨てきれない。

 魔法の世界だ。最悪の場合、無自覚の内に敵に情報を流すことになっていてもおかしくはない。


「その時はこいつが俺を捻じ伏せて情報を取り出す。そういう契約だ」


 まるでその言葉を用意しておいたかのように、ロウは笑って言った。

 少しだけレイは驚いて、そして息を吐いた。


「ジェミニとフェンには」

「言いそびれた。お前から言ってもいいし、いずれにしても明日にでも俺が言う」

「ならば儂から話そう。貴様はやる事があるだろう」

「やる事ね……」


 まあ、ある。山になって崩れて端から腐るほどある。

 先ずは諸国にエルゼンの復権を伝えなければならないし、国交を正常化することも考えなければならない。

 龍の問題もある。

 疲弊したエルゼンは戦争には耐えきれないので開戦は避けなければならない。

 エルゼンの顔として会食に参加し、人脈を作る必要もある。

 世界会議の後で個別に合う約束も取り次がねばならないだろう。

 そしてもちろんゾディアックの動向を探る事も忘れてはいけない。

 それがメインだと言ってもいい。何とか糸口を探して、手繰り寄せ大本を叩くことを約束している。


「多いのぅ」

「多いなぁ」


 おまけに人間関係も面倒だ。

 不機嫌なリィラの機嫌を取って。サヤのちょっかいにうてあって。

 エースとビィトの鍛錬に付き合って。クイーンの馬鹿をからかって。

 ジェミニの話を聞いて。フェンに会いに行って。レイに酌をして。


「……あとはまあ、ユキネの奴と会ってみるよ」

「ああ、頼りにしている」


 自分が言った言葉より、今日はやたら素直にうなずくレイにハルユキは面を食らう。

 そんな感情がドン引きしているしかめっ面に表れまくっていたか、レイがそれを見てかかか、と笑う。


「言っとくが、あいつを元に戻そうなんて思ってないぞ」

「ああ」

「正体もばらせんし」

「ああ」

「……ならまあ、いい案がある」

「案?」


 エルゼンの為に開戦を回避しつつ、ゾディアックの動向を探りつつ、エルゼンの復活を大々的に知らせつつ、ロウに協力しつつ、ユキネと接触する。

 そんな妙案──、などとは決して言えない力技かもしれないが。


「先ずはどうする?」

「友達にでもなるさ。どうせなら、楽しくな」

「……は?」


 自分の草案だけでは粗が目立つので、次の世界会議イデアルまでの一週間で、サヤとリィラと話し合って詰めていこう。

 あーあ、と今だけは肩の力を抜きつつ、ハルユキは壁の上から地平まで続く街並みを見渡した。


 そして、自然と小さく笑う。


「レイ」

「何じゃ」

「俺な、ちょっと──」


 何故だろう。こんな大きな国とまだ見ぬ国の要人と龍と世界の敵と。

 そんなものを一度に相手にするのに、やはり負ける気がしない。


「楽しくなってきた」

「……貴様だけじゃ、間抜け」





 ──そして一週間が過ぎて、ハルユキは世界の中心に飛び込んだ。


 未だ各国の王達に刃と敵意を向けられたまま、彼女の目前に立つ。


ちょっと少ないですね

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