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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
232/281

淀んだ朝

二話目です。


「貴女が生まれたのは、この国なの。でも危険を感じ取った私達は貴女が育つまで彼の魔法で隠す事にした」

「危険……?」

「この子の力が少し特殊なのは知っていると思うけど、残念ながら私も詳しくは分からないわ」

「ならばなぜ、危険と分かった」

「狙われたから。何度も、何度も」


 疲れたようにウィーネは笑った。

 ユキネは付いていけていないのか、疲れの残った目を白黒させている。

 それを見て何を思ったのか、またユキネの頬に伸びようとした手を、はっと我に返って引っ込めた。


「例を上げるなら貴方達が今日戦ってきたあの集団。あれが最たる例かしら」

「なに……?」


 ちらりとレイの視線がこちらを向いた。

 小さくジェミニは首を振る。あれと決別したのは、更にもっともっと昔の話だ。

 しかし、そうだ。あいつは昨日、なぜかユキネを殺そうとしていた。


「たぶん今回の龍の騒乱も無関係じゃない。一個人の話じゃないわ、これは多分世界の中枢に関わる問題」


 集中して話を噛み砕く。

 ユキネとフェンは話を聞こうとはしているもののまだ正しい理解を得られるほどの精神状態ではなく、レイとシアは件の"楽園"にいなかった。

 正しく話を理解できる可能性があるのは、自分しかいない。

 ふと、ウィーネがこちらを見ている事に気づいた。


 そしてふと頬を緩ませる。


「貴方達がいてくれて良かった。言い方は悪いけど、本当に、良い拾い物をしたわ」


 移動した彼女の視線を見れば、寄り添うように手を握りあうフェンとユキネがいた。

 少し毒気を抜かれた頭を軽く振って、ジェミニは睨むようにウィーネを見た。


「……二つ、二つ聞かせてくれ」

「ええ、何でも」

「まず、ドンバ村。ユキネちゃんが力を取り戻した村や」

「ええ」

「あそこにおったのは星屑龍。ユキネちゃんの力を預かっとったて聞いたけどそれはおかしい」


 さきほど龍が力を狙ったと言ったはずだ。

 それならば、龍の王たる霊龍の一匹が協力したのは話が違う。


セイは、そうね。彼女は友達だから、としか言えないわ。それに龍は事情を知っていたというだけで狙ってきたわけではないから。どうして龍が今回侵攻してきたのか、想像もできなかったわ」

「……侵攻、してきた……?」


 唐突に聞こえた零された声に、皆の視線が集まった。

 声の主であるユキネは自分で声を出した事にも気づいていない様に、やはり目を白黒させたまま。


「……今日世界中に統率された龍の行軍が確認され、事実、大規模な攻撃が開始されたわ」


 表情を固めるようにして、しかし厳然とした声でウィーネは言った。

 母としてでもなく、少女のようでももちろんないその声が、既に事実を物語っていた。


「各国の主要都市はほとんどが無事。しかし大規模な連絡路。山間の関所、砦。その約八割が壊滅させられた」


 部屋の空気が凍り付いた。

 しかし意外だったわけではない。あの下等な蟲を睥睨するような、侮蔑するような龍の眼。害意。

 

 はるか上空にいたとはいえ、それは空気どころか世界さえ変えてしまいそうだった


「死者数は10万人を超えると予想されているわ。同時に国同士が完全に分担された事になる」

「10、万……!」


 その言葉にユキネは目を剥いた。

 しかし、恐らくその胸中はジェミニや、それに眉をひそめるレイとは真逆。

 ──10万人は、少なすぎる。


 あの予想を超えた膨大な数の龍に世界中の人間が襲われたと言うのならば、その五十倍でも不思議はなかったはずだ。

 それほどに、龍と人間の個体差は開ききっている。言ってしまえば、七日で人間の世界を滅ぼせるほどに。


 狙いは宣戦布告か。それとも、示威行為か。

 確かに何か一物ありそうだ。ユキネの能力と関係があるかは分からないが。


 ──ユキネの能力が普通と違うのは明らかだ。

 そもそも"破"と"白"の二つの文字を宿しているのも、魔法を使い始めたのと時を同じくして精霊獣を繰る事ができるのも。

 異様や異端では言葉が足りない。彼女は異常なのだ。


「でも、そうするとおかしい。貴女は龍がこんな行動を起こすとは想像もできなかったと、そう言った」


 ぎ、と目を細めてジェミニは彼女をにらむ。


「ならどうして、このタイミングでユキネちゃんを保護したんや?」


 いつでもそうできるようにしていたのか。

 いや、それは考え辛い。それでは"今まで連れ戻さなかった理由"の方が説明できない。

 龍と繋がっていて、龍を口実にここに連れてきたのではないか。その疑念が消えない。


「……あるじゃろう。もう一つ、昨日と今日で明らかに変わってしまったものが」


 ウィーネを擁護しているのかと思わずレイの顔を睨んだ。

 しかし、一瞬怒りなど忘れるほどにレイは静かに怒気を込めてウィーネを見据えていた。


「あったはずじゃがの。世界にとってはちっぽけだろうが、貴様等には重大すぎる変化が」

「あ」


 ジェミニが気付いた。

 続いてシアが、そして、残る二人が気付く前に、ウィーネが悪びれもせずに言う。


「そうね。あの男が消え次第、ウェスリアに貴方達を保護するように言っていたの」

「ハルユキか……!」

「そう。貴方の二つ目の質問も、彼に関する事でいいわよね」


 こくり、とジェミニは頷いた。

 あいつは一体何者だ。

 

 とにかくウィーネの眼や言葉尻から感じられるのは、少なくとも好意ではない。


「シアちゃんも、レイちゃんもね。結構難儀だったけど、ある程度は出生や経歴は分かったからいいの。でも、あの男は駄目」


 ユキネとフェンも言葉の意味を理解したのか、表情を強張らせる。

 ウィーネはまるでその顔を見ないようにしているかのように視線を固定したまま、続けていく。


「何故か当たり前のように最初から居た。有りえないのよ。あの楽園の中に私が知らない人間がいる訳がないのに」


 ぎ、とウィーネは奥歯を噛み締める。

 憎くて憎くて溜まらないと、額に強く皺が寄った。


「魔力が無い。得体の知れない道具を使う。なのに戦いになれば龍を素手で赤子扱いで、手を焼いていたゾディアックも拳一つで蹴散らして。得体が知れなすぎるでしょう……?」

「それは、もう、うん……」

「出自どころか、人間かどうかも分からない──」

「……違う」


 ポツリと、ユキネが零した。


「違う……!」


 それこそ絞り出すように、声を出す。


「ハルはそんな、得体の知れない人間なんかじゃ、ないです、母様……」


 しかしやはり、消え入るように途中で言葉尻は消えていく。

 それを見てますますウィーネは視線を険しくして、言った。


「……知ってるわよ、それは」

「え……?」

「人となりは優しい人だって、ウェスリアが初めてそんな事言うから、それは、まあ。貴方達を大事に思ってるのも伝わったし」

「えぇ……」

「何よ。それでも影響力がありすぎる人間を経歴も分からないのに国の中心に誘える訳ないじゃない。当時どれだけ混乱してると思ってるのよ……」


 それに、とウィーネはぶすっとした顔のままユキネの表情を盗み見た。

 "貴女がとても懐いているから"と。彼女は続けたかったのだろう。

 それはでも、安心できる材料であると同時に、彼女には腹立たしい事だったらしい。むぅ、と頬を膨らませて眉間に皺を寄せた。


「……話が長くなったわね。部屋を用意しているから好きなだけ休んで」

「待て。まだ、あと一つ」


 話を終わらせようとしたウィーネにレイが言った。


「……なに?」

「まだ聞いとらんぞ。なぜ儂等をこの国に拉致したのか。娘可愛さなら良し、しかしどうも違う。そうじゃの」

「そうね。ご慧眼恐れ入るわ」

「抜かせ。先程言ったの、"国の中心に誘う"、じゃと?」


 本当は一晩休んでもらってから言おうと思っていたんだけど、とウィーネは苦々しく笑みを作って言った。


「ユキネ。貴女にはこの国の皇女として復権して欲しい。他の4人もその補佐をお願いしたいの」


 は、と五人が呆気に取られて口をポカンと開ける中。

 お願いします、とウィーネは深々と腰を折った。




     ◆





 用意された部屋は一つだった。

 しかしその部屋の内装や広さを考えると、歓迎はされているようだ。

 むしろ多少狭くとも今は一緒の方が良いだろうと考えられたのだろう。

 まあ、安宿に六人詰め込まれるように泊まっていた時と比べればだいぶ楽だ。広いし、一人少ない。


「……ごめん」


 皆がとりあえず部屋の中で落ち着く場所を見つけて座り込んで、しばらく沈黙があった後、ぽつりとユキネが言った。

 それは何に対しての謝罪だったのか、ハルユキの事か、それともこの国に無理やり連れてこられたことか。


(ああ……)


 何となくジェミニは気づいた。

 誰も言葉を返さないのは、恐らく皆も気づいているからだろう。フェンに対しては少し違うとしても、他は多分みんなにそう。


 ハルユキがいなくなった途端に噛み合わない。今までのユキネとの関係は、ただハルユキと言う共通点があっただけだったかもしれない。


 ふと、レイが閉じていた目を開いた。

 相変わらず壁に寄り掛かって座ろうとしないレイは、今はやたらに存在感があった。それこそ目を開いた仕草だけで、他の全員の注目を集めてしまうほどに。


 ただ、偶々それ以前からその顔を見ていたジェミニだけが気付いていた。


 ほんの少しだけ目を開いて、その瞳に逡巡の色と、屈辱と、嫌悪と、そして定款の色が一瞬だけ垣間見えて、直ぐに消えた事を。

 小さく誰にも聞こえないほどに漏れたため息と、そして決意を固めたその顔に。

 


「──黙れ。貴様が喋ると場が湿気るわ」

「ちょっ……!」



 棘のある言葉に場が凍る。

 ジェミニは一人困って苦笑するが、ユキネもひどく打ちのめされた顔をして黙り込んだ。


 ぎ、とレイは汚いものを見るかのような目で、ユキネを見据えた。

 その視線にユキネは耐えられない。逃げたユキネを見て、またレイは舌を打つ。


「ぎこちないの。小僧一人いなくなったぐらいで、無様な」


 言いながらゆっくりと皆の顔を見渡して溜息を吐いた。

 迷いなく一直線に部屋を横切って、レイはユキネの前に立つ。恐る恐ると言った風にユキネはレイを見上げた。


「あの小僧が貴様等の人格を決めていたわけでもなし。貴様等の想いを決めていた訳でもなかろうに」


 不快気に、舌打ちに混じりに、いつも通りにレイは言葉をつづけた。


「お前には自我がある。強い、しかしあの小僧に隠れていた強い自我が。だから自分で立て」

「────……」

「一番奴と長い貴様がやる事は、一番深く長く気を落とす事か」


 本当に、心の底から、彼女は不快そうで。でも、最後まで言葉を止めなかった。


「儂はてっきりまた、取り戻しに行こうだとか。そんな青臭い事を貴様が言うのかと思っておったわ。一番、早くの」


 そう言って、最後にふんと鼻を鳴らすと、レイはベッドに座ったユキネの一人分離れた場所に座って、足を組み、膝の上に肘を付いた。


「レイちゃんが励ましてる……」

「……貴様等が好みそうな言葉を選んだだけじゃ」


 ユキネは、何も言わない。

 ただ横目で自分を見ていたレイを見つめ返したまま、ぐ、と下唇をかんだ。しかし目は今だ虚ろなまま。

 

 何か声をかけようとジェミニも口を開いた時。



 唐突に、それは来た。



 魔法が得意でないシアでさえ、何かを感じ取り顔を上げる。

 他の五人は呆然と同じ一点に視線を向けた。


 それは窓の外。

 太平の国を形作る外壁の更に外の、少しだけ白み始めた地平線の果てから。

 

 ぽつぽつと、黒い点が地平を侵略している。


 

『緊急事態発生──! 敵襲──!! だ、第二種、あ、いや第一種戦闘態勢──!!』



 けたたましい声が響く。

 その大きさから察するに、その音声はこの部屋だけではなく。それどころか城の中だけではなく、町中に焦りと恐怖と緊張感を振りまいた。


「っちィ……!」


 誰よりも早く、レイが傍の窓を開け放って外に飛び出した。

 体が落下する前にその背に朱色の翼が広がり、レイの体は屋根の上に移動する。


 ジェミニもまた、一瞬遅れて窓の縁を蹴って外に出た。

 そこはもう既に上空。平らな国土の中心に、岩でも突き刺さったかのようにある場所に建てられた城だ。

 しかしお蔭で、暁色の中でも視界は広い。


「糞ったれめ……!」

「レイちゃん!?」


 だん、とレイが屋根を蹴った。

 それは先程の激励に続いて意外な事で、またしてもジェミニは一歩遅れた。


(速っ……!)


 レイの背中に生えた四枚の羽根はあっという間にレイを外壁まで運んでいく。

 落下するよりも速い速度だ。一体、どう羽根を使えばあれほど見事に風を捕まえられるのか。


 目下では半狂乱になりながら、住民たちが移動していた。

 それを見ないようにして、ジェミニはレイを追って屋根を蹴る。


 結果、街を横断するのに掛かったのは十五分程か。

 むしろあの速さで進んだにもかかわらず、これほどの時間がかかった街の広さの方に呆れてしまう。




退けッ──!」



 レイは外壁のすぐ外に着地次第、そこに居た兵士を横に別けて歩き出した。

 少し遅れて到着したジェミニもその背を追う。


 行き着いたのは、小さなテントの下にいる指揮官らしき男の元。


「どうなっている!」

「え、あ……!」


 その男はどもるばかりで意味のある言葉は返さない。

 顔も知らないレイが突如怒鳴り込んできたからか、──否。この時代で防衛に関しては何の経験も今まで得られなかったのだ。


 今の時代、小さいながらも戦闘があるとすれば街の外。

 壁の内側を守る彼等には、既に平和と言う毒が回りきっている。


「先遣隊は帰りません。ただ"目の者"からの報告によると、彼らの体は既に血に濡れていると」

「……貴様は」


 す、とレイの前に姿を現したのは上背の高い男。引き締まった体は、歴戦の兵を思わせた。


「レイ様ですね。私はエイプリル・レガリア。全兵士の指揮を預かっています」

「血に濡れているとはどういう事だ」

「彼らの数は僅か五十と言うところですが、……その全てが古龍のようです」


 ぎしり、と目に見えない硬い緊張感が辺りの人間を手あたり次第に襲った。

 表情を強張らせるもの、顔を蒼白に染め上げるもの。とてもではないが、戦えるような人間達ではない。


「考えたくはありませんが、彼らが通ってきたであろう道筋の上に、幾つかの町村があります。彼らの血肉でしょう」


 昨日の今日だ。避難が住んでいる訳もない。


「……各国からの報告によれば、彼等は捨て身です。最後の一体になるまで暴れて死ぬそうです」

「厄介じゃの……」


 一定以上の攻撃力を持った人間にしか殺せない以上、龍は、特に古龍ならば一体で数万の人間を殺せるだろう。

 しかし捨て身とならばその何倍もの人間を殺してのけるはずだ。

 それが五十。

 もちろん戦える人間がいない想定ではあるが、一国を滅ぼして余りある戦力である事である事は間違いない。


 ジェミニはもう一度地平線の向こうを見た。

 もう大分近づいている。景色も龍も大きすぎて遠近感が狂っているが、もう五分も猶予はない。



「あ、ぎィあああああああああああああああッ!!?」



 そんな考えの裏をつく様に、陣営の端の方で絶叫が轟いた。

 いや、背筋をうすら寒くさせるその金切声はもはや断末魔だ。


 一斉に辺りにいた人間の視線が集中する。

 その先にはその声の主が、龍の大きな咢に体を挟まれている。手足と体が長く、鱗に両眼が埋もれたミミズか土竜のような龍だった。 



 時間そのものが硬直したかように誰も動けなかった。


 そんな中、龍の牙だけがぐずりと兵士の肉に喰い込んで、引き裂いて──。



「──放せ」



 しかし、止まった時間など気にも止めぬ誰かが、横から龍の頭を攻撃した。

 いや、それどころではない。その一撃はふわりと龍の体を浮かせて穴から半身を引っこ抜き、数メートルを吹き飛ばした。


 それでもまだ足りない。

 まるで天から大きな手が力任せに線を引いたかのように、龍の背後で破壊の波が広がっていく、


(……ハルユキ──?)


 その出鱈目さに、ジェミニはそれを連想する。

 しかし振り向いた先にいた"彼女"は、彼ではなかった。


 それも、遠い。

 外壁の内側の、ジェミニとレイが十五分かけて通った街並みの先にある城の、部屋の一室の屋根の上で、彼女は剣を振っていた。



「ジェミニ、レイ。ちょっと待ってて」



 しかし、彼女はここにも居た。

 どういう事だと目を丸くするうちに、屋根の上にいた彼女は消えている。

 しかしそれを確認した隙に目の前の彼女もまた消えていて、今度は先程いた龍の鼻先に触れていた。


「──"白衝"」


 ずん、と空気が一度揺れて、吹き飛ばされながらも首をもたげていた龍があっさりと地に堕ちた。


「────……」


 彼女は無感動に龍から離れて、こちらに歩いてきた。

 レイが静かに目を細めて、その姿を見つめている。



──大幅な変化をしたのは、フェンだけではない。



 彼女についていえば、変化したという事においてのみ言うならば初めてではない。

 最初は星屑龍がいたあの村で。

 そして、ノインとの戦いの後。

 二度とも思わず目を見張ってしまうほどの変化があった。


 しかし、変化の度合いで言えば、今回のものは別物だった。

 過去二度の前進が凄かったせいもあって、もうそれほど急激な伸びはないだろうと思っていた。


 人のみには限界があるのだ。熟練すれば当然最初の頃ほどの成長の伸びは無くなるのが世の常。


 しかし彼女の場合。今までのものが前進だとすれば、今回のは飛躍。

 彼女の進化もまた、桁が違う。



「……どっちにしようか?」



 いつの間にか傍まで来ていたユキネの声に、はっとジェミニは顔を上げた。


「どっち……?」


 困惑するようジェミニを他所にレイは自嘲気味に笑みを作っていて、ユキネもそれに苦笑を返している。


「もう一度儂に臭い台詞なんぞ吐かせてみろ。蹴り飛ばすからの……」

「うん」

「いや、だからどっちって……?」

「追いかけて背を蹴り飛ばすか、帰ってきたその頬を引っ叩くか、だ」


 きょとん、と今度は表情を無くしてしまうが、今度は意味が分からなかったわけではない。


「……ハルユキを?」

「うん」


 しかし、あのハルユキを捉えることは難しい。

 しかし、彼は一億年単位で生きている。次の目覚めが、自分たちが生きていける数十年にある方が不自然なのだ。

 しかし、しかし。彼が、あの彼が、別離の言葉を述べたのだ。

 あの声が、言葉が、あの男が。諦めを滲ませていたのだ。


「あ……」


 彼女は未だ世界の終わりを見ているようだった。

 何かを諦めないだとか、そういったものではない。ただ、ほとんど望めない希望に縋っているだけ。


 それも分かっていて、彼女は足掻く事を選択しているようだった。


「…………!」


 ふと、視線がこちらに集まっている事に気が付いた。

 奇異の、そして畏怖の眼だ。その内の数人かは、こちらに剣の刃を向けていた。


「待て。彼女達は味方。いやあの方こそ」


 そんな中で、兵を手で制しながら兵の長──エイプリル・レガリアが一歩前に進み出た。


「このメロディアの正統な御世継ぎにして、第一皇女殿下、スノウ様だ」


 剣を下ろせ、とレガリアは言う。

 瞠目し言葉を無くす兵士達を見て、今もまさに迫ってきている龍を遠目に見て。


 そして、静かにレガリアを見据えるジェミニたちを見て薄く笑い、小さく一礼した。





     ◆





「と、ここまでかな」

「は……?」


 ジェミニはそこで言葉を切った。


「いや、これだけか」

「ちゃうわい。でも、あとはワイにも何がどうなってそうなったのかわからへんから」


 ジェミニはそこでまた言葉を切った。

 静寂がまた部屋の中に満ちる。サヤもコドラクもリィラも言葉を発さない。

 子供たちは壁の向こうで眠っているのか。それはそうだ。もう陽はとっぷりと落ち込んでいる。


「……ユキネちゃんとは、今、ほとんど接触してない」


 接触、と。ジェミニの選んだ言葉の冷たさに、ハルユキは一人静かに驚いた。


「最初は一緒にこの街を守っとったんやけど、今はもう……」

「そうか……」


 フェンが。ずっと隣で黙ったまま話を聞いていたフェンが、沈み込んでいた。


「ごめんな……」


 ぶんぶんとフェンは頭を振った。

 本当に、彼女達にも分からないのだろう。


「ユキネちゃんは元気やで。笑うし、強いし、負けないし、でも一人や」


 ふらりとジェミニは立ち上がった。そのまま扉に向かう。明日も仕事やからと、ジェミニは笑った。


「二つだけ。一つはお前の事や。お前が、あんな言い方で別れを告げるから。お前が帰ってきた実感がわかへんわ」

「……そうか」


 ジェミニはドアノブを引いたところで止まって、振り向いて笑った。

 責めている訳ではないと言外に伝えたかったのだろうか。いや、実感が得られない自分に自嘲しているようにも見えた。


「最後の一つ。レイちゃんが、さっき出てったやろ。年甲斐もなく、ムキになって」

「歳の事言うと怒るぞ……」


 ムキになった、と言うよりはどこか、何というか、そう。

 何かに裏切られたかのような、寂しさと徒労感が滲んでいたようにハルユキには見えていた。


 それが何を意味するのか予想することは難しくない。

 ただ、それがあのレイだと言うだけで、信憑性に自身が無かった。


「一番、二年前の生活が好きやったのは、たぶんレイちゃんやで」


 それを許さない様に核心じみた言葉を残して、静かにジェミニはメロディアの街並みに帰っていった。




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