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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
230/281

世界の中心の天井の裏の屋根の上

長いので、あとで分割するかもしれません。

──一週間が過ぎた。



 時間は午後の十時を迎える十分ほど前。

 ユキネは一人広い渡り廊下を歩いていた。


 綺麗な青い絨毯の上。見える城下は遥か下。


 当然だ。"世界会議イデアル"は世界の中心の、一番高い場所で行われる。

 具体的には二つある尖塔の内の西側の、頂点に設えられた会議場。


 そこの扉に行き着く前にもう一度開けた壁から城下を見た。あまりの高さに景色は霞んでいて、空の方が近そうだ。


「こっからだと、空の方が近いですね。スノウ皇女殿下」

「……慣れない敬語は止めていいぞ。ルス近衛中等兵」


 ユキネは隣を歩く女兵士を見もせずに言葉を返した。


「それは、親愛の──」

「同じことを言わせるな」


 せっつく様に廊下を進んでいくスノウにルスはわざとらしく口笛を鳴らした。


「……ここまでだ。これより先は教父及び兵長以上または貴賓以外の侵入を認めていない」

「おっと」


 廊下の終わりにある階段。

 そこから先は青に変わって白い絨毯が伸びている。


「そんな怖い顔するなよ。私だって仕事だよ」

「……いや、ご苦労だった。通常の勤務に戻ってくれ」

了解サー


 足を止めてこちらを見届けようとしているルスの視線を首筋に感じながら、スノウは更に上の階へと進んだ。

 1週間前に初めて言葉を交わしてから、ルスは事あるごとにスノウに絡むようになっている。


 友人になりたいと、そう申し出た言葉をスノウは冷静に頭の中で反芻した。



『悪いが、その申し出を受ける訳にはいかない』


 スノウはあの晩、少しばかりの驚きをもたらしたその申し出を一蹴した。


『……理由を聞いても?』


 想定通りの言葉だったのだろう。

 ルスは大した驚きもなく、初めから用意していたかのような質問をした。


 スノウは目を伏せたまま、やはり用意していた言葉を返す。


『単純な事だ。私は今望む望まないにかかわらずこの国を左右する地位にいる』

『高貴な身分だからって?』


 ききき、と唇を曲げるようにルスは笑った。

 スノウは特に否定するわけでもなく、小さく息を吐くと続けた。


『私は友になりたいと歩み寄ってくる人間を、暗殺者ではもしくは間者ではないかと疑わなければならない』

『ああ、そっち』

『そしてそうだな。得てしてそういう人間に貴族は使われないだろう』

『だろうね』


 そう言うとそそくさと踵を返し、後ろ手に手を振ってルスは扉を潜って廊下に出た。

 しかし廊下に出たところで、一瞬だけ立ち止まる。


『昔の友人を遠ざけてるのも、裏切っている可能性があるからか?』


 大きく、書類に向かったままのスノウの目が見開かれる。


『……──』


 しかし顔を上げればルスの姿は既になく、言い放つ筈だった言葉も向け先を失って萎んで消えた。






「──と」





 いつの間にか目の前に迫っていた扉に面喰ってスノウは立ち止まった。


「皇女殿下。いかがなされましたか」


 両脇に控えた兵士がこちらに顔だけ向けて言う。


「何でもない。入室する」

「は。現在来賓の約8割が入室済みでございます」

「ああ」


 大仰な扉がゆっくりと開いた。

 その先にはさらに白を基調とした広い廊下が続き、その奥にある扉は開け放たれている。


 気を引き締めなければならなかった。

 おおよそ、1年と2か月ぶりだ。


 本来なら朝目覚めてから一度たりともこれ以外の事は考えてはいけなかったはずなのだ。



「────……」



 既にスノウに少女の面影はない。

──これより始まる世界会議イデアルに、少女のままでは戦えない。



「遅れました」



 青い絨毯が終わり、かつんと純白の蚕石がスノウの入室を強調した。

 部屋の中で行き交っていた雑談が瞬時に掻き消える。



 部屋の中心に設えられた大きく長い卓。


 その場にあるすべての視線がスノウを突き刺した。

 奇異のもの、嫌悪するもの、一番多いのは物見遊山気取りで物珍しさにつられたもの。


 その数、およそ150対あまり。

 誰より早くはせ参じたもの、静かに誰にも気づかれずに入国したもの、皆の視線と注目を引っ提げて進軍してきたものも。


 そんな多彩で、雑多で、しかし確かに世界の王達の視線の中をスノウは引き裂くように進んでいった。



「……んぁ?」



 そんな中、一人だけ。

 机に突っ伏していた男が一人、今更気だるげに顔を上げた。


「よう、遅かったな。いや、遅い、遅いなコラ」

「……まだ、十分前ですが」

「む、そうか。悪ぃ」


 また力なく机に突っ伏した小さな体の主は、先日も見かけたギルドの王ミコト・サイザキ。

 その背後には背景に溶け込むように佇んだ執事服の男。”王”の為に敵の尽くを押しつぶしてきたこの男の名もまた、余りにも有名だ。


「貴方が早すぎるだけだ」

「五分前行動ができん奴とは俺は仕事はしない」


 いまだだだっ広い議会場の中には数えるほどしか人がいない。

 その広い部屋の真ん中にはこれまた大きい脚が何十本もあるような長机が置かれ、無駄に背もたれの長い椅子が置かれ、巨大な窓が西側に並び、蒼い天幕は白い壁によく映えている。


世界会議イデアルだぞ。なぜこんな集まりが悪い……」

「待たせるのは良くても、待つのは嫌いな方々ばかりでしょうからね」


 ユキネが長机の上座に置かれた三つの椅子の左端に腰かけた時、角を挟んで隣に座っていたミコトのさらに二つほど隣りから声がした。

 見れば、緑色のマントとくたびれた三角帽を被った柔和な顔の壮齢の男がこちらに笑みを向けている。


「……主役は遅れて登場ってか? 流石にそんな馬鹿はいねぇよ」

「いやいや、分かりませんよ?」

「ともかく"薬師"さん。あんたの所の薬は飛ぶように売れてる。ありがとうよ」

「時勢でしょう。ミコト殿こそその辣腕、こちらまで噂は届いておりますよ」


 だるそうに机に突っ伏したまま、ミコトはいやらしそうな笑みを浮かべた。

 育ちが知れるぞ豆粒、と背後でぼそりとミコトの従者が言う。


 くすくすと上品に笑う"薬師"は、ユキネの姿を確認するとすぐに席を立って近寄って来た。ユキネもまた立ち上がる。


「"薬師"。タフロ・バファロン殿ですね。此度は急な召喚に応えていただき感謝しています」

「いえ。我等が母国の為です。一線を退いたとはいえ、力を合わせられるならば越したことはない」


 それにしても、と薬師は顔を上げてユキネの顔を覗き込んだ。


「噂以上の見目麗しさだスノウ殿下。宜しければ、持参品を届けさせます」

「いや、こちらこそ。妹が世話になっているようで」

「とても優秀な生徒です。自慢こそすれ、ですよ」


 薬師は慣れた顔つきで笑みを浮かべる。

 ”薬師”。

 この男の名は、今は知られていない。しかし、聞く所によると何よりも誰よりも。昔からの統治者たちはこの名前に顔を顰めるのだという。

 柔和な顔を見上げてみても、一礼して席に戻る動作からもスノウにはその面影すら見つけることはできなかった。


「……あと五分だ」


 ミコトはため息交じりにそう言うが、もうほとんどの席は埋まっていた。

 数えて全部で160人ほどか。収拾がつかないので、ここでの過度の挨拶は禁止している。


 なので埋まっていない席はそれを嫌った人間か、それともただ、人を待たせる事を楽しむ輩か。


「失礼する」


 厳正な声に、ちらほらと飛び交っていた声がまた消えた。

 何十対もの視線が扉から入ってくるその人間達に集中する。


 黒尽くめの二人組だった。

 先に入って来たのは黒いドレスを纏った女。

 何より"レイと同じ"その長い黒髪が特徴的。

 露出が多いその格好は色気を出すというよりは、装飾も少なく動きやすさに特化しているようだ。


 そして半歩後ろに控えて入って来た男もまた黒装束。

 黒い外套、黒いブーツ、黒い戦頭巾。そして、黒塗りの鞘に収まった二振りの直刀。


 二年前の恰好から少しも変わっていない厳粛な佇まいに、部屋の空気が張り詰める。


"ビッグフット"。

 世界最強の武国と名高いその国は、この二人が作ったのだ。

 

「済まない。こいつが中々着替えなくてな」

「悪いな。俺は何時もの格好で良いっつったが、こいつが着換えろと煩くてな」


 同時に発したその言葉に、二人はピタリと歩みを止めてお互いの顔を睨みつけた。

 少しばかり洒落にならないほどの魔力が渦巻いて弾ける。窓がびりびりと歪み、戦闘に耐性がない者は額に汗を浮かべた。


「ツヴァイ。お前が落ち着いてなきゃどうすんだんよ」


 ミコトの言葉に、二人はピタリと動きを止めて顔を背けた。


「スノウ殿下。此度の償還に応じて参上仕りました。此度こそ二年前の大恩を返したく思います」

「こちらこそ、感謝いたします」

「アーイーンー。手前勝手にギルド解体しやがって、大損だ馬鹿野郎」

「解体してなきゃ更に大損だ。感謝しろ、て言うか手前何だそのかっこ、ぶはは!」

「手前が言うな、じゃじゃ馬が……」


 口論をしながらもアインはミコトの向かいの席に座り、ツヴァイはその後ろに控えた。


 昨日の戦闘のせいか、ユキネの体にはまだ疲れが残っていた。

 少しだけ気疲れを感じて、視線を窓の外に逃がす。するとよく晴れていて、地平線の果てまでよく見えた。

 強い光に目が痛く、視線を戻す。


「ちょ、ちょっと。待ってくださいよアインさん、ツヴァイさん! いやあもう、腕が立つ人には付いていくだけで精いっぱいだ」


 落ち着きがない声がした。

 アインとツヴァイは眉ひとつ動かさずに目を伏せたまま。



「……ち」



──ただふと、隣でミコトが舌打ちをした。

 本人も気づかないうちに出てしまったもののようで、スノウの視線に気づくとぶすりと顔を顰めたまま顎で今部屋に入ってきた人間を指した。



「もう、露骨だなあ」



 今入ってきたのは、細身の男だった。

 短く一直線に切り揃えた金髪に、なぜかやたら露出が多い。


 スノウは初めて見る顔だった。

 しかし対して、その男の顔を認めた人の顔は不快そうに歪められていく。


 ぴたりと、男はそこで足を止め、不快そうな視線を十分堪能するように辺りを見渡しにぃ、と黄ばんだ歯を見せた。

 満を持した、とでも言うように男はバチンと柏手を打った。


「やあやあ! 皆様お揃いで!」

「よう”糞卸くそおろし”」


 ただミコトだけが先に入ってきたその男に対して言葉を向けた。

 ぴたりとその場の空気が止まる。字面の通り、それは″忌み名″だ。


「酷いなぁ、気にしているのに。僕が売っているのは糞じゃあありませんよ?」

「手前が売るから糞になるんだよ」


 ”糞卸屋”ジョージ・ノヴェルツェゲン。


 最近台頭してきた”四雄”に次ぐ第五勢力。

 しかしスノウの記憶の中では、それは今まさに得意げに声を張り上げている男が成し遂げたものではない。


 ミコトもまた、思いを同じにいているのだろう。

 その視線は一度もジョージ・ノヴェルツェゲンには向いていない。


 殺意すら滲むその目は、入口の所でふらふらと揺れる細長い影に向けられていた。


「で、後ろの犬が噂の名犬か?」

「ええ。流石は塩の王、耳が早い! では、紹介いたしましょう──!」


 それは、稀代の無能と称されるジョージの物ではなく、すべてその配下に加えられたという男によるものだと言う。

 ふらりと、その男はようやく部屋に入ってくる。


「知っている方々もいらっしゃるでしょう! 彼こそ”請負人”ヒドラ! ヒドラ・クレブスです!」


 黒髪と、そしてねじ曲がったような猫背と、身に纏った煤けたような色の襤褸のような服が余りにもこの場に浮いている。

片目がないのか粗末な眼帯を顔に敷き、そいつは恍けた顔で頭を掻きながら部屋を見渡して、そして部屋の視線が自分に集まっている事に気づいた。


──気付いて、びくりとその体を跳ねさせた。


「……え、えへええ、旦那。綺麗なトコですねえ」


 その姿に、一瞬部屋中の人間達が肩透かしを食らった。

 顔は青白く、僅かに見えている肌からでもその体が骨と皮しかついていない事が分かる。


 おまけに作り笑いに疲れた様なその顔が、あまりに何の力も感じさせなかった。


「ほら、挨拶をしろ」

「は、はあ、皆さん。では分不相応かと思いますがね。どうぞよろしくお願いします」


 にへら、とそう言って男──ヒドラ・クレブスは笑って見せた。

 へこへこと器用に頭を下げている男を見て、ふと、スノウは気づく。


「い、いやあ、旦那には適いませんやぁ。まさかアタシみたいのがこんな煌びやかな場所に来れるとは」

「そうだろう? 褒美だよ。いつもよくやってくれているからね!」


 気付いたのは、目だ。

 うろうろ、うろうろと。

 男は細まった瞼の奥で、目玉をせわしなく動かしている。

 それはただ落ち着かなく視線をさまよわせているだけに見えたが、どこか──。



「……────」



 ぴたりと、その目がスノウを見て止まった。一瞬だけ硬直した後、にこりとヒドラは笑みを深くして、己の主に向き直る。


「あの野郎で、首輪になんのかね……」


 皆がその頼りなさに肩から力を抜いている中、おそらく唯一スノウと思いを同じくしたミコトが忌々しげに毒づいた。

 スノウは視線をヒドラに向けたまま、口を開く。


「……何だ、あの男は」

「傭兵、卸売、賞金稼ぎ。まあ何でも屋か」

「それで、請負人か」


 スノウの言葉に、ミコトはとてつもなくつまならそうに笑った。


「俺が知ってるかぎりじゃ、奴の看板はそんなもんじゃなかった」

「ならば──」

「"猟奇屋"」


 ミコトの顔から笑みが消える。

 鈍く光る眼のその奥には不快感と、警戒心と、確かな敵意が見えた。


「猟奇、屋……?」

「"非道"と"残酷"を売ってる。意味は分かるか?」

「いや、しかし……」


 へこへこと、挨拶に回るジョージの後ろについて回り、各国の使用人にまで視線を向けながら頭を下げる姿からはそんな言葉は想像できない。


 しかしふと、やはりくるくるとまわるあの目が気になった。

 よく目を凝らそうとスノウが目の奥に力を入れた。



──その瞬間。


 ぐりん、と。

 ヒドラの顔が明後日の方向を向いた。


 未だ得意先であるどこぞの王とジョージが歓談している中、その視線は入口に。


 そして、そのすぐ後に入口を跨いだ女に焦点が合った。


 一見して毒々しいほど鮮烈な青の髪。

 どこか現代に浮いている特殊な民族衣装。武器として携帯している鉄の棍。そして、歩く度にに揺れる白い尾。


 その女が何者なのかに気づいた時、皆の顔に一斉に緊張が走り、対して遅れて振り向いたジョージの顔には満面の喜色が広がった。


「やあ、やあやあやあ! 龍谷の! おひさしぶりですなあ!」


 入ってきた女性は、希薄だった。

 ジョージにふらりと向いた視線も力がない。

 いや、友も何も連れておらず、ただ立っているだけのその姿は、孤独だと言い表した方がいいのかもしれない。


「タツミ・コウリュウ殿。私を覚えておいでですか?」


 龍谷。

 その名がもはやすべてを物語っていると言ってもいい。

 この騒乱で立場を上げたのが”糞卸”なら、その逆に名と力を底の底まで貶められたのが、彼等”龍谷人”だった。


「いやあ、心配していました。この所お噂を聞かないものですから。件の”蛇”の件で何か不幸でもあったのではないかと!」

「……そうですか」


 するりと、彼女は”糞卸ジョージ”の脇を抜けて行った。

 彼女の目に矮小な存在は映らない。いや、そもそももう。何も映っていないのかもしれなかった。


 ふらりふらりと、彼女はただ歩き、ただ動いているだけ。


「おやおや、異文化交流は苦手ですかな? 長い歴史に胡坐をかいてばかりでは進化は望めませんよ?」


 彼女は振り向く事もしない。

 それはきっとそんな余裕もないと言うだけだというのは、顔が見えるスノウには察することができた。


「そんな事では、足元を──」


 しかし、背中しか見えないジョージには必至の皮肉を躱されたように思ったのかもしれない。

 あからさまに舌打ちを打つと、希薄な存在感の彼女の背中から目をそらした。


 振り向きざまに目があった別の国の使いを見つけ、ジョージはそそくさとそちらに向かう。






「少し、良いですかい? へへ」



 いつの間にかジョージの後ろにいたはずのヒドラが、彼女の前に立ちふさがっていた。

 そして、にこりと笑ってもう一度へこりと頭を下げる。


 しかし少しだけ背筋を伸ばしたヒドラの頭は、タツミの頭の上にある。

 ぐ、と顔を近づけてタツミを正面から見下ろしていた。


「……ヒドラ、何をしている」

「ちょっと、お聞きしたい事がありましてね。ええ」


 ヒドラの言葉はジョージに向かってのものか、それともそんなものは無視してタツミと話しているのか。


 ただ彼女はヒドラの不気味さに足を一瞬止めただけで、直ぐにその脇をすり抜けていった。

 止まらない、なぜなら彼女はここに交流をしに来たわけではないからだ。


 だから、彼女をの足を止めようとするならば、その方法は一つだけ。


「いいでしょう? ほら。龍の事で、少しだけ」


 その言葉が、横を通り抜けた彼女の足をぴたりと止める。


「ほら、”龍と共に生きる”ってのが売りじゃあないですか。そちらさん」


 一瞬だけ逡巡した後、彼女──タツミ・コウリュウは意を決したように振り向いた。



「……何度も申しましたが、私たちは何も知らされていないのです」



 少しだけ疲れが滲んできた顔を二人の方に向けて、彼女は言った。

 何度も何度も言ってきた言葉を。それだけの役目でここにきているかのように。



 ”龍谷人”は、その名の通り龍と懇意に関係を構築し、そして発展を重ねてきた一族だ。

 だからこそ二年前。彼女達に糾弾の矛先は向った。

 そして一番の被害が出た国もまた、彼女たちの国で間違いない。既に滅んでしまった国を除けばだが。



「んんん? ああ、違いますよ」



 ただ、それは結果的に悪手だった。

 二人の、いやヒドラ・クレブスの瞼の下の目は、そんな物を見ていなかったからだ。


 にぃ、とヒドラの目が、いや表情そのものが下卑た物に染まった。

 空気が変わり、ぞわりともう一度スノウの背中を気色の悪い感触が舐めあげる。


 気を抜いていた者もその変わり様に、思わず身を強張らせた。


 笑ったまま、背を曲げたまま、値札を眺めたまま、ヒドラはその口を開く。


「アタシが聞きたいのはね、具合ですよ、具合」

「ぐ、あい……?」

「やだなぁ、こんなところで言うんですか。そうですか仕方ない。ほら、アタシ達今結構手広くやってますでしょう?」


 だからほら、とあくまで自分の口では言いたくないとばかりに、遠回しに、ヒドラは舐る。


「ほら、いる訳でしょう。そちらには。龍とその、ね? 愛し合った人達が」

「な、にを……」

「だからねぇ。ほら、具合ですよ具合。ケモナーの方々がおっしゃるんです。"龍の""牝の""中"はどうなってるのって」


 その声は、部屋中に響き渡って、広がって、静かに消えていった。

 誰もが口を開けて声一つ発せない。この場で、世界の長と法と秩序が揃うはずのこの場で、そんな発言がある訳がないからだ。


 かち、かち、かち、と。

 時計の針が三つ進むまで、誰も言葉を発せなかった。


 ただミコトだけがじっと冷静にヒドラを見つめている事にスノウは気づいた。


「────貴様ぁッ!!」


 タツミは顔を真っ赤に染めて、肩を震わせた。

 それが羞恥と怒りによるものは明らか。それを見て一層”値段”を見比べるヒドラの目は光り、ようやく、その首輪が役目を勤め始めた。


「お、おい。口が過ぎるぞヒドラ」

「あああすみません旦那。仕事の虫がねどうにも。でもほら旦那だって言ってたじゃないですか。あの女鳴かせてや──」

「い、いいから来い!」

「まあまあ」


 〝首輪ジョージ〝はそのまま慌てて一歩下がった。

 その腕をまた、ヒドラはそっとどけてそそくさと背後で肩を震わせる。


「ああ、何なら貴女の物でも。ほら、貴女も雑種ハーフだとか」


 タツミが持つ棍が地面にたたきつけられた。

 それで怒りは発散したのか、彼女の顔から赤みが消え冷たく瞳が光る。


──当然、屈辱と殺意はそのままに。空気を吹き飛ばしてその力が顕現していく。


 腕に頬に鱗が浮き出て、食いしばった歯が瞬く間に牙に代わり、伸びた爪は互いに擦れて鈍い音を鳴らす。

 最後に髪は純白に、瞳は深紅に塗り替わった。


「ひっひ」


 それを見て。

 風圧だけで巨大な机を震わせ床に罅を入れる彼女を見て。ヒドラはそれでこそとばかりに、涼しく笑った。


 そして、それを見てスノウはようやく気付いた。


 あのぐるぐるとよく回る眼は、落ち着きがなかった訳ではない。

 ただ、見ていたのだ。


 一人一人、値段を確認していくように。

 そしてただ彼女だけが──タツミ・コウリュウだけが自分が希望している値段と違っていたから、声をかけその真髄を見ようとした。


 タツミ・コウリュウの持つ価値はそれだけではない。

 雑種強勢。人間と龍の強みだけを受け継いだその体は、いまだ力を秘めたまま。


 だからだ。

 力の暴風を正面から受けてなお、ヒドラの目はくるくると嬉しそうに回っている。


「で、結局どうなんですかね? 使えます? 龍の穴」


 笑ったまま、背を曲げたまま、ヒドラは言う。

 己の主は背後で尻もちをついているにもかかわらず、微塵も気圧されていないその姿にアイアスは思い切り歯噛みした。


 自分の力では、こんな下衆の口に家族を汚される事すら防げないのかと、少し離れた場所にいるスノウにもその心情は痛いほどに伝わってくる。


「私達は互いを必要とし、互いを認め合って婚ぐのだ。そうやって歴史を積み上げてきた。──家を、作ってきたのだ!」


 言葉の端から彼女がどれだけ祖国を想っているのかは伝わってくる。


「これ以上私の家族を値踏みしてみろ。その首、股まで潰してやる……!」


 しかし、余りにも。今彼女のその言葉には意味がなかった。

 滑稽ですらあるその矛盾を、あの卑しい目が見逃すはずもない。


「────……」


 するりと近づいて、ヒドラが彼女の耳元で何を言ったのかは聞こえない。

 ただ、当事者ではないスノウでも分かる。



”でも、あなたの家族はあなたを裏切っただろう”



 そんな言葉だけで、彼女の怒りは理由を無くし、支えなどどこにもない。

 あるのは奇異の目と侮蔑の目と、そして流れる龍の血に対する恐怖だけ。


 友も、親も、隣人も。

 全てを失って、それでもここに来た彼女は強く賢く。しかし間違いなく孤独だった。


「だから、良いじゃありませんか。これは復讐です。皮を剥いで鱗を削いで売りさばいてあげましょう」

「ふ、ざけ……っ」

「どうして? 彼等は殺しました。食らいました。ならば此方も殺し、捕え、その体を持って欲を発散しても許されるはずだ。ねえそうでしょう皆さん?」


 突如大声を張り上げたヒドラに、呆気にとられてそのやり取りを見つめていた人間が残らず体を竦ませた。

 その目も表情も、既に本性を隠そうともしていない。そして、ヒドラがこの場にありえない人種だという事を改めて思い知る。


 ミコトがため息交じりに腰を上げるのと、スノウが無表情で立ち上がったのが同時だった。




「ん?」




──そしてまた、最初に気づいたのも二人同時。



 そしてほぼ同時に誰もが気付く。

 ゆっくりと、そして次々と、二人に注がれていた視線が離れ、一か所に集った。


 そして、再び気づく。

 小さく地面が震えている事に。

 それが入口に現れた巨大な影の。ただの足音だという事に。


 そして一瞬遅れて、ヒドラ・クレブスの足元に巨大な影が差し、彼は弾かれるように笑みを消し振り返った。

  

 そこにあるのは、圧倒だ。

 圧倒的に巨大で、圧倒的に強大で、圧倒的に横暴で、ひたすらに無差別な。



「おう、退けィ」



 丸太のような巨大な腕が伸び、呆然と見上げた目を見開くばかりの二人──ヒドラとその横に尻もちをついているジョージを横から”むんずと捕まえた”。



「な──」

「扉の前で、立ち止まるな」



 ひょいと二人を持ち上げると、そのまま強張った二人の表情など介さずに筋肉の腕は二人を脇に放り投げた。


 それぞれ部屋の壁まで投げ飛ばされ転がっていく様を見もせずに、また地面を震わせ部屋に入る。

 縁に手をかけ、背中を曲げて扉を潜りぬけて。




「……でけえ」




 でかい。

 初めてこの男を見て目を奪われない人間はいないだろう。

 誰かが思わず零したその言葉を、口にせずにはいられないだろう。

 身の丈三メートルを越えている。

 その体を支えるために必要なのか、それとも彼が生き、進んできた道がそれを削り出したのか。


 その体に一切の脂肪はなく、ただあるのは数多の戦傷と、分厚い筋肉の流れ。




「──おう、揃っているな、下々ォ!!」




 びりびりと、今度はそいつは空気を震わせた。

 ”戦猛”、時に”震源天”と呼ばれるその男はその場の視線と音を独り占めにする。



「おせぇんだよ、ゴリラ。十五分遅刻だ」



 ぶすりとミコトだけが眉ひとつ動かさず、と言うより部屋の角をぼーっと見上げながら口だけを動かしていた。



「ゴリラ。てめえ15分だ。俺の15分にどれだけ価値があるか知ってるか、あ?」

「何故遅れたかと? 俺は待つのは性に合わんのでなぁ。それ故よ」



 のしのしとその巨躯を躍動させて"戦猛"ヴァスデロス・ロイ・サウバチェスは現れた。

 その巨躯の影に隠れるように、一人の文官が付き添っているが、ヴァスデロスの存在感の前では気づける人間すら皆無に近い。



「何より、主役というのは遅れて登場する物だ! そうだろう皆の衆!」



 動けば地面を、口を開けば空気を揺るがせる。

 その迫力にこの場にいるほぼ全員が身を強張らせる中、ミコトは呆れてため息を吐いた。


「……おい薬師。どうにかあいつの馬鹿に付ける薬が無いか」

「薬師永遠の命題ですねぇ……」


 はは、と薬師も乾いた笑みを浮かべた。

 小さくため息を吐くと、やれやれと首を振る。しかしくたびれた様な振る舞いとは裏腹にその目にはスノウたちにはない老獪さが鈍く光っている。


 しかし、ここに集まったほとんどの人間も同様に。

 誰もが何がしかの、意思と魂胆を静かに己の内に飼っているのだ。


「……待てよッ!」


 その、僅かながらにいる意思の薄い人間のうちの一人が叫んだ。

 驚きに驚きを重ねられた人達は、半ば惰性のようにその声のする方を見る。


 そこには、ヴァスデロスに投げ飛ばされ、壁に引っかかるようにもたれかかる”糞卸屋”がいた。


「貴様、私が誰だか分かっての愚弄かァ……ッ」


 十メートルほども地面を転がれば、視界もまともではないのだろう。

 唾を飛ばし喚き散らすその声に、ヴァスデロスはその太い首を回して”糞卸屋”を見た。


「おう、ジョージ! 何だやはり貴様か!」

「あ……、え、あ。ヴァ、ヴァスデロス殿、でしたか……」

「おう、俺だ。貴様になァ、この俺は言いたい事があるのだ」


 のしりと、熊よりでかいその体が座り込んだジョージに近づいて、悠々と見下ろした。

 やはり巨大な影が自分の体を包んでいくたびに、ジョージの顔は引き攣っていく。


「貴様の所から買った、娼婦共な、中々に具合が良い。今後も良しなにな」

「……え、あ、ああ。も、勿論ですとも。アスタロトは我が国にとって貴重な交易──」

「しかし、しかしな。一つだけ。何故俺が貴様のモノの粗末さや、腰使いの貧弱さを枕元で聞かされねばならんのだ」


 ぴしり、とまたしても空気が凍った。

 そこにまるで悪意はない。ただ往々にして、そちらの方が性質が悪い。


「あと貴様のねじ曲がった性癖にも興味がないわ。口に戸ぐらい立てとけよ」

「な、あ──っ」


 にひひ、と悪気もなく笑うヴァスデロスの顔をジョージはパクパクと口を開け閉めしながらも、何も言えない。

 ヴァスデロスにしては小声で言ったつもりなのだろうが、彼の声はそれでようやく常人並みで、機密性はまるでない。

 かあ、と顔が耳まで赤くしたジョージの心中は、怒りと羞恥とあとはスノウには分からない。


「んん? おう、龍谷の。相変わらず綺麗な脚だ」

「は、はあ……」


 まだ僅かばかりに朱が残った彼女の頬を、手応えだとでも感じたのか、楽しげにもう一度一笑いしてヴァスデロスはスノウとミコトの方に向き直った。


「おう、あと、猟奇屋よ!」


 頼むから空気を呼んでくれと、周りの人間は頭を抱えるがヴァスデロスはそんな事に気づくこともない男だ。

 唇を切ったのか、手の甲で唇を拭うヒドラに向かって、続いて声を張り上げる。


「貴様いつになったら俺の所へ来る! いい加減に少しは靡け不細工の癖に勿体ぶるな!」

「……あなたは、嫌いなんですよ」

「気が合うな! 俺も貴様の性根が糞ほど嫌いだ!」


 のしのしのしのし。

 冗談ではなくそんな音を立てながら、我が物顔でヴァスデロスは部屋を横切る。


 何が楽しいのか、満面の笑みだったヴァスデロスの表情が掻き消えたのは、長卓にある程度近づいてからだ。


「…………んぁ?」


 視線は未だ座り主が訪れていない空席に。

 がらりと変わったヴァスデロスの表情を見て、察したミコトが額に先に青筋を浮かべた。


 ぐるりとマントを翻し、ヴァスデロスは再び扉に向かって歩き出した。


「……出直す。十分後にまた来るから」


 びきりと、ミコトが額に青筋をもう一つ。


「ヒル。あいつ縛り付けてそこらに転がせ!」

「面倒だ」

「ヴァスデロス、良いから座れや!」

「や。俺待つの嫌いだから」


 ヴァスデロスは扉の前で立ち止まると、、心底げんなりした顔をミコトの方に向けてそう言った。


「手前、いい加減にしとけよ……」

「なぜ儂が人を待たねばならんのだ! 嫌だね、絶対嫌だね!」

「──ねぇ、退いてくれる?」

「引かん。待たん。退かん。俺はその為に体がでかいのだ!」

「訳わかんねえんだよ……」

「どいてって、言っているのだけれど」


 瞬間、扉に背を向けてミコトと言い争っているヴァスデロス以外が気付いた。


「あ……」


 その巨躯の後ろに、綺麗な紅色の髪が揺れている事に。

 そして。”彼女”が二倍ほどある背丈のヴァスデロスに向かって、鬱陶しげな目を向けた事に。


「扉の前で立ち止まるなと、貴方の大きい声が廊下まで響いていたけど」

「ぬ? ぁあ――!?」

「だから、ごめんなさいね。邪魔。退けすっとこどっこい」


 瞬間、ヴァスデロスの巨体が吹き飛んだ。

 3メートルを超える巨躯がふわりと宙に浮く。


「な──」


 宙に浮いた巨体はそのまま床を転がって部屋を横切って行った。

 信じられない思いでそれを目で追った部屋中の人間たちは、しかし次の瞬間には別の物に目を奪われる。


「ごめんなさい。遅れたわ」


 紅くて長い、綺麗な髪。

 一歩踏み出すごとにそれは靡いて、きらきらと光を受けていた。


「……」


 変わらない顔があった。

 いやもちろん大人びて更に綺麗になった。綺麗な髪は更に伸びて膝の裏まで伸びている。

 でも、自信に満ちたその表情も、強気な目も、気品が溢れる声もそのままに。


「……ノ、ノイン。貴様」


 むくりと、壁の向こうで巨体が起き上がった。

 また幾つかの視線がそちらに移動する。いや、面倒になって突っ伏した男も、そもそもまだ口げんかを続けている二人組もいたが。


 しかし、ヴァスデロスに戻った視線は半分ほど。

 その小さな体で、しかし綺麗な髪で、美しい髪でそれ以上の存在感を纏った彼女は、目を釘付けにして離さない。

 その彼女が妖しく笑ったとなれば、ヴァスデロスの事を忘れた輩さえ居ただろう。


「なぁに? また泣かされたいの、ヴァスデロス」

「き、貴様、昔の事をいつまでも……!」

「そうね。”いつか負かしてやる”って言って7年経つわね」

「っこ……! だ、大体貴様、世界会議イデアルに遅刻するなぞ何を考えてる!」

「てめえが言うな、ゴリラマント……」


 ふと、ノインは辺りを見渡した。

 周りの人間もまた、遅刻の理由を知りたがっている事を察して、溜息混じりに口を開く。


「産気づいた妊婦を病院まで連れて行ったの」

「嘘つけ!」

「本当よ。もう座っていいかしら。皆を待たせてしまって心が痛いの。ほら、私恥を知ってるから」

「嘘つけェ!!」

「もう、面倒ね。いいじゃない、だって」


 ゆっくりとアインの隣に腰を下ろして、ノインは挑発的に笑った。


「主役は、遅れてくるものでしょ?」


 びきりと、ヴァスデロスの表情が固まった。

 しかしそれも一瞬だけ、顔じゅうに血管を浮かばせて、ぶるぶると震えだす。


「貴様ァ……」

「……ノイン、遅れたのだから」


 ひょっとしたら、聞こえなかったかなと。

 それぐらいの声でスノウは言った。しかし、ノインはその綺麗な髪を靡かせてくるりとこちらを向く。


「あら。でも妊婦の件は本当なのよユキネ。メイドさんに居るでしょう? 少しふっくらした」

「……ああ、いるがノイン。頼むから」


 言って、スノウは辺りを見渡した。

 ヴァスデロスやミコトと言った去年もいた顔ぶれはともかく、それ以外の顔が困惑している。


 スノウは二年前に突如現れた”直系”だ。

 明らかに出自は正常なものではなく、基本的には他国に情報は渡っていない。

 だから、まるで友人のように接する二人は異様に見えるし、そもそもユキネって誰だよと言う話になる訳で。


「スノウと呼んでくれるか」

「そんな馬鹿な女、私の友達にはいないわね」


 悪戯っぽくノインは笑う。

 それ以上彼女に何を言っても──と言うよりそもそも彼女が思い通りに動かせるとは思えなくて、スノウは口を噤んだ。


「待てノイン貴様ァ! まだ話は終わっとらんぞォ!」

「何よ。煩いしでかいし暑苦しいし厳ついヴァスデロス・また泣くの?」

「貴様なんぞ今なら一蹴だ! いや、あの時のあれもマグレだ! いや、そもそも負けてないわ!」

「なら何故、二年前ウチでやった”舞武”に来なかったの? 爺やは招待状送ったって言ってたけれど」

「き、貴様と結婚なぞしたくないからだ……!」

「ツヴァイは来てくれたけど」

「な、何だとツヴァイ貴様ァ──!」


 ヴァスデロスの大声に、アインとのケンカを終えて静かに目を瞑っていたツヴァイが息を吐いた。

 息を吐いて、そしてやはり世の事などすべて雑音だとばかりに目を伏せる。


 よし喧嘩だ、とヴァスデロスが立ち上がった。


 その時、誰の意識にも捉えられずにガチャリと扉を開ける音がした。そしてやはり、誰にも気付かれないままその男は口を開く。



「――いいから座れ。馬鹿者共が」



 その声は、再び起こり始めていたざわつきを鎮めた。しかしそれは、その声だけが原因ではない。


 ひっそりと、この部屋のもう一つの入口に佇んでいたのは”ブラッド・オーガー”。

 この国の執政長官である彼は目立つ事を嫌う。


 しかし彼の存在感が薄れてしまったのは、彼がそう意図したからというだけではない。



 喧騒の中に混じっていた、コツコツと踵を鳴らす音。

 開け放たれた扉から堂々と響いてくる音は、微塵も後ろめたさを感じさせない。


 ヴァスデロスも、舌打ちを残しながらも口を閉じると静かに己の席に戻る。


 そのすぐ後、かつん、とやはり堂々と鳴らされた音と共にその人はやってきた。



「やっほ。ごめんね、遅れちゃった」



 悪びれもせずそう言い切るその人は、誰にも視線をやらないまま部屋を横切り、ユキネの横。つまり長机の一番上座の、真ん中に腰を下ろした。

 "帝天女"。"豪女傑"。彼女を呼ぶ名は数あれど、最も有名なのは"聖教王猊下″。


 ″聖猊”ウィーネ・アムリゴーシュ・ナイチンゲイル・ド・メロディア。


 それほど注目されている彼女は、困った事にそんな視線を蔑ろにして自分の娘に子供のように駆け寄るのだ。

 

「スノウ、久しぶり。会いたかったのに、なんでいつも逃げるのよー……」

「すみません。何分忙しくさせて頂いているので――」

「かーたーいー! もう、お父さん似なんだから」


 似てないと口を合わせて言われるし、まるで二つか三つ年上なだけに見えるが。

 れっきとしたユキネの母親だ。


 軽い口調とは裏腹に、その佇まいはやはり長年王族の椅子に座ってきただけの事はある。

 ユキネでもやはり、僅かに背中が強張ってしまうのが自分で分かった。


「ウィーネ猊下殿。ちょっといいか」

「ん? なぁに?」


 声を上げたのはヴァスデロス。

 ヴァスデロスの声にまるで緊張が見られないのはその図太さのお陰か、それとも"当然のようにウィーネの後ろについて部屋に入ってきた"その男の方に気を取られているからなのか。


「そいつは、誰だ?」


 浮浪者然としたボロボロのローブに、キョロキョロと部屋中を見渡してる様子は小動物が紛れ込んできたかのようにも思える。

 髪はボサボサで、表情は無いというよりは、無垢というか、何というか。

 しかし、ふとその男がこちらを見ると、その瞳の色の深さに驚く。


 ユキネを見ていたその目は、ヴァスデロスが声を出した瞬間にヴァスデロスに焦点を合わせた。

 そして、す、と人差し指の先をヴァスデロスに向ける。





    ◆




 そいつに気づいた途端、そいつから目が離せなくなるようだった。

 四雄も、誰もかれも、顔もほとんど見えていないその男から、目が離せない。


 指を指されたヴァスデロスは、その得体の知れない雰囲気に、じわりと戦意さえ滲ませている。


 そして、ヴァスデロスのその顔を見て、そいつはにこりと笑った。


「"戦猛"」

「あ……?」

 

 ヴァスデロスを指していた指が、今度はノインに移動した。


「"紅蓮姫"」


 次は、ミコトに。


「"塩の王"」


 次にその向かいへ。


「"ビッグフット"」


 ゆっくりと確認するように何人かの顔を指さした後最後に、あの深い緑色の瞳と一緒に指先がユキネを向いた。


「"鬼の子"」

「……」

「ちょっと、それ私が鬼みたいじゃない」


 最後に緑色の目が、こちらを覗きこむ。

 ユキネは目を逸らさない。そうしていると緑色の目がゆっくりと細まった。そしてそれが優しく笑っているのだという事にようやく気付く。


 その眼の色はやはり深く、そこに込められた感情は全く読みとれない。


「ほら、止めなさい、アラン」

「あいて」


 ばちんと、その手をウィーネがはたき落とした。


 その乾いた音で、声も発さずにその男に注目していた人間達がはっと我に返る。

 なぜこれだけのめり込んでいたのだと、ただでさえ呆気にとられていた面々が更に困惑の色を濃くしていく。


「アラン……?」


 ただその中でミコトだけが、がたんと椅子を蹴って立ち上がった。

 その音に皆が弾かれるようにそちらを向き、そしていつもは眠たげなミコトの目が見開かれている事に気づいた。


 そんな事に気づいていもいないように、ミコトは一度ごくりと喉を鳴らして、口を開く。


「"魔法使い"アラン・クラフトか……!」

「な――っ!」


 一瞬で会議場がざわめいた。

 何人かは立ち上がり、その顔を呆気にとられて見つめている。

 ユキネもまた、隣に立っている緊張感のない男に意識を奪われていた。


「静かに」


 そして、それを律するは魔女であり女傑であり女帝である彼女。

 それでもまだざわつく議会内に、ウィーネは言葉を続けた。


「アラン。自己紹介を」

「アランです。みんなが言っているアランでいいと思う。よろしくね」

「彼には主に街の防衛力の強化。一般兵士の戦闘力の強化についてお願いするつもり」


 誰かが息をのんだ。

 当然だ。"魔法使い"など伝説上の話に近い。


 "精霊獣の初めての発現者"

 "千五百年前の古書に、その姿が描かれている"。

 "一であり、全である"


 伝説を上げればきりがない。

 目の前にいる男がそうだとはとても信じられない。

 とても信じられないが、しかし。それでも絶対にそうではないと言い切る事は出来ない何かが彼にはあった。


 とても深い色をした瞳や、年の割に無垢なその雰囲気や、滲んでいる深く透明な魔力が、真実を告げている。



世界会議イデアルを始める。席に着きなさい」



 凛とした声に、議内が引き締まった。

 不意を突かれた人物の登場に気を取られたいる暇はない。


 ここに集まったのは各国の要人ばかり。気を抜いていれば、それがそのまま自分の国を滅ぼす事に繋がりかねないのだろう。


「今回の議題は他でもない。龍の襲撃について──」

「あれエルゼンは?」


 "魔法使い"──アランが事もなげに放ったその言葉は、また議会内が一瞬で凍りつかせた。

 ある者は顔を引き攣らせ、ある者は青ざめた顔を晒し、ある者は不快気に眉根に皺を寄せる。


 それを楽しげに眺めて、アランはもう一度言った。


「ウィーネさん"国食み"は、来ないの?」

「おいおい……」


 その途端、凍りついていた議会内が、息を吹き返したかのように騒がしくなった。

 どういう事だと慌てる声、やれやれと頭を振る声、呆れたように吐かれた息。


 ただユキネだけが、聞いた事がない言葉が並んだ事に首をかしげた。


「……まぁ、まだ二年しか王族にいないあんたは知らないだろうが」


 ぽつりと、困惑するユキネにミコトが国食みの事を簡単に説明した。

 人一人で国を滅ぼしている男がいる事。その男が今、中堅クラスの国であるエルゼンを占拠し、支配している事。

 なぜか一年も経たずに移動する国食みが、その国に十年以上滞在している事が周りの国にとっては嬉しい誤算である事を。


「救護は……?」

「あれは凶暴すぎる。ヴァスデロスやビッグフットが行っても、被害は避けられない。行ったとしても、あそこは不毛の土地だ。利が薄い」


 相応の利益か、莫大な損失が見込まれなければ軍は動かせない。

 大義名分ももちろん必要だが、それは往々にして手段とはなれど目的となる事はほとんどない。


 それはユキネも分かっているのだろう。


「利、か……」


 それでも、がたり膝の裏で椅子を蹴ってユキネは立ち上がった。

 目立つ行為だ。一瞬で議会内は音を失い、部屋中の視線がユキネに集まる。


「スノウ」


 しかし出てくるはずだったユキネの言葉を、隣の席から聞こえた声が先んじて抑えた。


「座りなさい」

「……申し訳ありません。座りません」


 ユキネはゆっくりと議会を見渡すと、用意しておいた紙の束を取り出す。

 ちらりとミコトがこちらを見て、そして小さく息を吐くのが分かった。


 今年初めて参加した人間達がスノウの行動に戸惑う中、ある人間は冷たい無表情でこちらを見据え、ある人間は仕事を増やすなとばかりに顔を顰める。


「こうして新たな顔も集まった。どうかもう一度、龍との開戦について考え直してもらいたくて、ここに来た」


 届かない。

 スノウは少女だ。少女であってはいけないと。肩肘を張ることが、既に少女の行いだった。


 大人ぶると言うのは子供のための言葉で、大抵の場合、大人はそれを知っている。


「戦争など止めておけ。死ぬだけだぞ間抜け共」


 少女の言葉は、空しく部屋の空気にだけ響き続けるしか能がない。

 静まり返った議会を見渡してから、ユキネは紙面に視線を戻した。その静けさが、何を意味しているのかは見る必要がない。





「そもそもまず、彼らは戦意表明すらしていない。これでは本来戦争にもならない」


 その言葉を皮切りに、ユキネは話し出した。

 ミコトを、ノインを、ヴァスデロスを、アインを。

 並んだ顔を見比べながら、力強く続ける。


「彼らが何故いきなり敵対したのか。分かっている人間が一人もいない。話にならないだろう」

「だったらどうする」


 平淡な声で、ミコトが言った。

 ユキネが声の方に顔を向けたのに対して、ミコトは眠たげに視線を遠くへ投げたまま。


「ゆっくりと滅ぼされるか? これは生存戦争だと定義されただろう」

「そんな馬鹿なものを止めろと言っているんだ。私達も龍もこの世界の生態系の頂点だ。滅ぼせば滅ぼした方もただでは済まない。見てくれ」


 そう言ってユキネは束ねた紙を取り出して、机に叩きつけた。


「龍が人里に下りてきたせいか、魔物の数が増えている。それも爆発的にだ。彼らの繁殖力は尋常じゃない。均衡を保つには龍の存在が不可欠である事が分かるはずだ」


 控えていた兵士がテキパキと用紙を配っていく。

 ”生存戦争だ”と押し退けられたのは一年前。二度と同じ轍を踏む気はないのだろう。


「龍を滅ぼす事は本末転倒だ。当然、人が滅ぶ事も同じ結果を呼ぶだろう。よってこの戦争は回避しなければならない」


 少しだけ手ごたえがあったようだ。

 興味本位から何人かが紙面を捲って、その中身を確認している。


「用紙の三枚目を見て欲しい。そこに──」


 しかし、その勢いのままにユキネが続けた言葉を、ぽん、と机の上に投げ出された何かが遮った。

 それは小さく丸められた紙の玉。

 ユキネが用意した紙の束が、くしゃくしゃになってそこにあった。


「俺はいつまで、貴様の自己満足ナニに付き合わねばならんのだ」


 紙を投げた腕をそのままヴァスデロスは机に下ろした。

 大きい腕のせいかそれだけで机は大きな音を立て、余計に部屋中の静けさを強調する。


「俺は、龍を殺すためにここにいるのだ」

「私は落とされる命を無くすためにここいる」


 しかし、スノウにとってこのぶつかり合いも初めてではない。

 一瞬の躊躇もなく、殺気立つヴァスデロスに冷静に言葉を返す。


「戦争をしない事で、失われる命もあるぞ。スノウ第一殿下」


 ぼそりとミコトが言う。

 ユキネに返す言葉はない。もう既に、おそらく今もまさに人と龍は食い殺し合って、死んでいる。


「……確かに、手が届かず死なせてしまっている。世界は私が思っているより広かった」

「別にそれを責めちゃいないさ。アンタはここで死人を出してないだけよくやってる。皆そうさ、誰もが全員何かを捨ててる」


 柔和な言葉に、ミコトは小さく微笑んでいる。

 しかし"開戦派筆頭"の男の口ぶりに友好的なものなど一切なく、それを知っているユキネも冷酷にミコトを見下ろしている。


「だが救えなかったからと言って、次の命を見捨てる理由には決してならない」

「──ここに正義を持ち出すから、無駄に人が死ぬんだよ小娘が」


 途端にむき出しになった敵意は、空気と雰囲気を軋ませる。


「戦っても同じだ、大勢無駄死にが出る。信念や誇りなどと詰まらない事言うなよ」

「その分敵が殺せるさ。人死にが嫌だと? 周りでだれも死んでねえお前が言っちゃいけねえよ」

「私は敵を殺すつもりもない」

「敵は殺せ。それだけはまるで理解できねえよ」

「彼らは理性ある種族だ」


 もう一度、強く机が揺れた。

 今度は偶発的なものではない。拳は減り込み、大理石の机の一部が粉々に吹き飛んだ。


「それで、敵を生かしたせいで俺の部下が死ぬのなら、俺が貴様を殺すぞ女」

「……そうだねえ」


 ポツリと、誰かが口を開いた。

 気がささくれ立っている奴らの視線が一直線に向いた先は、”糞卸屋”ジョージ・ノヴェルツェゲンの席。


「ぼ、僕達にそんな用意はない。言葉も話せない獣を捕虜にするのに徒に兵を使えるものか」


 一斉に向けられた強い視線に戸惑いながらもジョージはそう言い切った。

 それはほとんど──特に今年から"世界会議イデアル"に参加した国の要人達も同様の考えだったようで、頷くか、もしくは不安そうに落ち着かない様子でユキネの言葉を待つ。


「ああ、違う。そうじゃない、勘違いさせて済まないな」

「は……?」

「今のは全て私がやる事だ。君達には関係ないし、必要に迫られて敵を殺したとしても責めはしない。私の手の届く場所では二度とさせないがな」

「何、を……?」

「全てだよ。私がやる」


 言ってユキネは持っていた紙の束を机の上に放り棄てた。

 一足先に言葉の意味を理解したミコトとヴァスデロスは憤りも通り越して、ユキネを呆然と眺めたまま表情を凍らせている。


「君たちがこの会議にこぞって参加してくれて助かった。出来れば国民全員で来てほしかったが」


 ユキネはただ無表情で言葉をつづける。

 次々と言葉の意味を理解し始め、そして表情を凍り付かせていく王達になど視線もむけずに。


「図らずもこの国は世界の中心と化し、お蔭で他所に襲撃する龍の数は激減し、私の手の届く範囲に。去年と同じだ」


 ゆらりとヴァスデロスが立ち上がった。

 その顔にもまた表情はない。ただ静かにユキネの最後の言葉を待っている。


「全て私が守ろう。世界会議イデアルの期間は最短4週間、最長で三か月出来れば殺さず、出来れば死なないでくれ」


 遂に議会全体がそれを理解して、すべてが凍り付く。

 それを一度見渡して、ユキネは言った。旧知の友に、部下に、兵に言ってきた言葉を、各国の王達の眼前で。


「君達の仕事は、剣を抜かない事だ。ここで会議を続けて終わったら帰ってくれ」



愕然と、ミコトがユキネを見上げる。


「狂ってんのか、手前は──」

「私にとって狂ってるのは、世界の方だよ」


それを見つめ返して。ユキネは言う。

恐ろしいほど透明な目で、自分にしか見えない所を見ながら。



「その頃には、すべて元通りにして見せるから」

















 ──その一部始終を屋根の上で聞き終えた俺は、深く深くため息を吐いた。



「何てアホなんだ、あいつは……」



 本当に頭を抱えてしまう。

 いや以前からその傾向は見え隠れしていたが、何をどう拗らせ返しまくればあんなところに着地するのか。


「いやあ、凄い人ですね。部屋中の人間から嫌われてますよ」

「だなぁ……」


 ぽろりと隠しカメラを後ろから眺めていたリィラが言った。

 改めてため息を吐いていると、ひょい、と反対側から別の顔が出てくる。


「時間ですね」

「……おい。ホントにやるのか」

「しょうがないでしょう。それしかないんだから」

「まあ、皆の意見を平等に取り入れた折衷案としては、まずまずではないかと」

「いやはや、それにしても皇女殿下は傑物ですな」


 もう一度、脇に控えたサヤとリィラとついでにコドラクに確認を取る。

 

「……じゃあ、はじめまーす。オペレーション名」

「人身御供」

「コミュ障トライアル」

「ともだち100人出来るかな」

「ろくなのがない」


 言って、俺は息を吐く。

 ため息ではない。少しだけ集中を研ぐための儀式である。



「──跳べ」



 俺の合図に合わせて、三人が跳んだ。

 大したジャンプではない。ただ、"今から影も残さず分解消滅する屋根に"立っていなければいいのだ。


 蒼い空の色に溶け込むような見事な屋根が、ナノマシンによって光の塵と消えていく。

 続いて屋根裏が、屋根裏の床が、そして、世界会議イデアルの会場である議会の──世界の中心の屋根が消えるまで、僅か一秒の十分の一。


 突然降り注ぐ日光に議会上のだれもが弾かれるように上を向き、そして同時にその光の強さに顔を手で庇う。

 余りの出来事に、誰もが呆気にとられている顔が面白い。


 そして、その隙にひらりひらりと”神様”は地上に降り立たれるのだ。



「……さて」



 そこは議会の机の上。

 大仰に作った椅子を机の上に設置し、座り込んでいる。


 周りには眠たげな顔のリィラと、薄く笑ったサヤとコドラク。



「遅れてすみません。エルゼンから来ました」



 声は響くだけで一切が届いていないだろう。

 何しろ周りには、刃が揃って引き抜かれ切っ先をこちらに向けている。


 ギルドの懐刀の短剣が、紅蓮の姫の赤い刃が、戦好きの巨大な剣が、世界一の武力の筆頭である斧と直刀の先が。


 その全てが無言で問うてくる。

 貴様はいったい何者だ、と。


「……"国食み"か」


 ポツリと言ったのは、四雄の中で唯一席を立ってもいないギルドの王──ミコト・サイザキ。

 さて、どう答えたものか。


 事前の打ち合わせでサヤが求めたのは、派手で不気味でそして──悪役ヒールであること。

 ならば、と俺は小さく仮面の下で笑った。


「違いますよ、私の事はただ神と」


 ぴくりと、ミコトの表情が震えた。

 怒ってはいない。おそらくただただ平淡に感情を均して、的確に目の前の自称神の実態を捉えようとしているのだろう。


「ですがほら、もっと分かりやすい言い方もありますよ」

「……へえ、教えてくれよ」

「ほら、遅れてきたんですから」


 言うと、一瞬だけポカンとミコトは口を開けた後、びきりと額に青筋を浮かび上がらせた。


「私が主役ヒーローでしょう? 役者不足かもしれませんが、仕方ない」


──瞬間、ぶん、と盛大に風邪を切る音がした。

 見上げれば振ってきたのは身の丈を超える巨大な豪剣。ひらりとそれを躱すと、巨大な剣は大理石の机ごと床を叩き割った。


 机の横幅より大きな剣は、その巨大さを感じさせず砂利を引いて、またヴァスデロスの方の上に持ち上がる。


「さて、私達がここに来た目的は三つです。先ずはこのような礼を持たない登場をしてしまったお詫びを」


 そう言いながら、さっきと同じ机の上にさっきと同じ椅子に座る。

 床と机を全くの元通りに戻すのにもやはり一秒の十分の一。


 沈黙が支配する議会の中で、誰もが息をのみ、目を見開いた。


「一つ、国食みあ死に、我がエルゼンは独立しました」

「君が?」

「ん?」

「君が殺したって? あれを?」


 ぽつりと放たれた言葉の元を追うと、そこに深緑色の瞳があった。

 老齢と幼少が入り混じった瞳。その深さに思わず僅かに目を見張る。


「いえ。彼を誅したのは彼です」


 言ってリィラを指さすと、また議会がざわついた。

 あらゆる軍が、数多の人材を食い荒らしてきた"国食み"。それが、こんな女か男かも分からないような人間に敗けるはずがない、とそう声が聞こえるようだ。


 しかし、そのリィラの出で立ちは目を凝らしてしまえばその異様さに目を奪われる。


「へえ、凄いね」

「そうでしょう?」


 かつん、と器用に机の上で椅子を回しながら今度はその横に。



「あ。ようやくこちらを向いてくれた」



 聖猊。

 ウィーネ・アムリゴーシュ・ナイチンゲイル・ド・メロディア。

 彼女もまた、深く落ち着いた色を瞳の奥に持っていた。


「二つ目は?」

「二つ目、私共は開戦に賛成できません。やはり"国食み"、激闘の被害は今だ復興しきっておりません」

「そう。そうなの。よろしければ救援を?」

「いえ、及びません」

「そう」


 そして最後に、もう二つ。

 椅子をずらすと、彼女がいた。


 二年経ったのならば、おそらく今は18か。

 思えば誕生日も聞いていなかったな、などと考えつつ、椅子を立ち机の上を横切っていく。


 ぐ、と彼女の表情に緊張が混じる。

 それはそうだ。こんな得体の知れないやつ。気丈の仮面も外れそうになる。


 その下にやはり昔の顔がのぞいていて、少しだけ呆れて、少しだけ安心し。

 机を降り、彼女の前に立ち、膝を折って、手を取った。



「三つ目の目的ですが」



 奇行を続ける存在に誰もが、言葉を失っていた。



「私と友人になっていただけませんか? スノウ第一殿下」



 だからただ、独壇場の上で主役は言葉を語る。

 


 まあこんな事になったあらましは、一週間前にさかのぼる。






二話分という事で、どうか一つ……。

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