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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
229/281

屋根の上

ホントすみません……。二話目です。



「この辺り、だったかも」


 きょろきょろと何歩か先を行く少女が、不安げにこちらを振り返った。


「大丈夫、後ろにいる」

「……さすが、ししょー」


 何が流石なのかと問うのはきっと無駄だろうから、フェンは適当に真顔で頷いた。

 馬車の事故が落ち着いた後、師匠師匠と後をついてくるこの少女。

 名をクイーンといい、現役の迷子である。

 怪我をしていたというのに異様に元気だった少女が、それを思い出してしょげ返るものだから、なし崩し的に少女の宿を一緒に探すという状況に落ち着いてしまった。


「すみません。ご迷惑をおかけします」

「まあ、縁やからね。大事にせんとね。連絡先知っとかんとね」


 にこにこと笑うジェミニの隣を歩くレイが投げやりに口を開いた。


「ジェミニ、貴様の顔は4画ぐらいで描けそうな造りじゃの」

「何で今顔の悪口言ったの?」

「そんな事より良かったな。貴様、今ハーレムじゃぞ」

「……ホントや!」


 この二人と会ったのも、偶然だった。

 ジェミニはレイがこの街に着いたと聞いて迎えに行ったらしいが、フェンはそもそもレイが今日帰ってくることも知らなかった。

 ただ、唐突に与えられた休暇で、ふらりと街に出ただけ。

 今日はとっても天気がよくて、空が高くて、雲が泡立つように大きくて。何もかも忘れられそうで。


「賑やかですね」

「そう」


 その声にフェンは隣を歩く顔を見た。

 そのどうしても目を引く風体に、やはり少しだけ意識がそれる。

 風になびく何も入っていない左の袖。顔の半分を覆い隠すような黒い眼帯。

 隻腕、隻眼。

 半分以上顔が隠れているにもかかわらず、その隙間から端正な作りの顔であるのが伺える。

 そんな見た目が、携えている少し寒気を感じる笑みが、壊れても動き続ける人形を連想させた。


「……たぶん、そう言う探し物が得意な人だから」

「その、”薬師”さんですか? 都会には色んな人がいるんですね」


 その都会の人間も、自分が思わず振り返って目を凝らしてしまうような格好をしている人間に言われたくはないだろう。

 と言うより、正直に言うとこの人が男なのか女なのかも判然としなかった。

 レイとジェミニが街中で暴れているのを見つけて、その傍でぼーっと二人を眺めていたこの人。名前は確か”リィラ・リーカー”。

 ”ああ、クイーン”と自分の傍にいた少女をこの人が見つけなければ、この先言葉を交わす機会もなかったかもしれない。


「ここ」

「ああ、なんというか、それっぽいです」


 今は大理石か煉瓦の家に石膏が流行の中、その庭のない屋敷は古びた木で出来ていた。

 疲れも風化も置き去りにして歳をとった壁は、ただ落ち着いた空気だけを誇っている。


 緑で幕を作ると家の壁は一面の葉で覆われていて、普通の人は気味悪がって近づこうとしない。

 いざ入ってみると、驚くほどに部屋の空気は心地よいのに。


「いらっしゃいませ、フェン・ラーヴェル様。お待ちしておりました」

「……ひみつ基地だ」


 屋敷に現れた客人を迎え入れようと使用人の脇を、足を踏み入れたクイーンがすり抜けて駆け出した。


「クイーン、走り回っちゃ駄目ですよ。えっと……」

「薬師は二階に」

「階段はここですか。ホントに秘密基地みたいだ」


 とんとんとリィラもまた興味深げに二階へと上がっていく。


「あ、待てリィラ。我が先……!」

「やですよ」


少し高い階段をよてよてと上がっていくクイーンに対し、リィラはひょいひょいと一段飛ばしで二階へ上がっていく。


「フェン、儂はここに居る。旅疲れでの」

「ワイも還暦間近のオヤジはノーサンキュー。我がハーレムはまだ終わらんよ」

「そう」


 言い残してフェンは階段に足をかけた。

 階段の意\折り返すところでふと、外の景色が目に入る。



「────……」


 狭く煩い、虫篭のような街だ。


 もっと世界は広くなかったか。最近、そんな事を考える。

 体なんて大きくなってくれないのに。世界だけが小さくなった。


 出来ることは増えたのに。出来ない事がなんなのかは、やる前に分かるようになってきて、それがどれだけ多いのかも分かってしまって。

 大人になったのだ、と人は言うだろうか。


 でも、フェンには理解できない。

 大人と言うのは、もっと楽しいものだと思っていたからだ。

 もっともフェンが連想したその大人は、大人大人と口走るばかりの子供のような人だったが。

 大人げない彼に、しつしつと注意を促すのが──。



「……」



 我に返って、頭に浮かんでいた顔をフェンは頭から振り払った。



「……っ」



 ”忘れてしまえ”。

 一瞬だけ、そんな事を頭の中で誰かが言って、そんな事を思った自分にぞっとした。


 別の事を考えようと、もう一度窓の外を眺める。

 少しだけ日が落ちてきている。ああ、まだ買い物に行っていない。今日の夕食はどうしよう。


 ああ、それより午後からやろうと思っていた隊編成の書類を整理して監修しなければならない。あれは苦手だ。

 ど、と疲れがぶり返してため息を吐いた時、階段が終わった。


 それだけでだいぶ体が楽になり、相変わらず私の体はポンコツだと思い直して、”薬師”の部屋に続く廊下を見た。



「……?」



 ──すると、変な奴がいた。

 白い面に白い外套。


 頭からすっぽりとフードを被っているため、粗末なてるてる坊主がぽっかりと浮かんでいるように見える。

 その変な何かは、自然にリィラとクイーン達の和の中に混じっている。


 しかし、その人は談笑には参加していない。


 じっとこちらを見ていた。

 見えはしないが、仮面の奥で間違いなく。

 もしかして自分にしか見えていないんじゃないか。


 そんな事を思った瞬間。目の前で白い何かがはためいた。


「え……」


 それが急接近した変な人間の外套だと気付いたときには、自分は両脇から抱えあげられていて、あまりの事に体の力が抜けたままで、子供みたいに持ち上げられたまま。

 身体的な予備動作も、魔力の発現も感じられなかった。だから当然抵抗も反応もできず、ただされるがままに。


 ふわりと男のフードが取れた。

 灰色の髪が揺れる。

 思考が消えた。

 目が自然と見開かれて、心臓が大きく跳ねる。



「久しぶり」



 かちり、と時間が止まった。

 いや、もしかしたらそれは、何かが始まった音だったかもしれない。












「フェン……?」


 フェンは瞳を震わせるばかりで、なにも言わない。


(あ、あれ……?)


 手放しで喜ばれると確信していたわけではなかったが、まさか顔も忘れられているんじゃないかと思い至る。

 2年だ。考えてみれば一緒にいた時間より長い。

 怒られるかもしれないと思ったことですら傲慢だったのか。ゆっくりとハルユキはフェンを地面に下ろす。


 手を離そうとすると、僅かな力が袖を引っ張って、それを止めた。

 はっと顔を上げると、フェンがこちらを見ていた。眺めているのではなく、ハルユキを、確かに。未だ震える瞳で。


「あー、と。フェン、俺の事覚えてるか?」


 かがんで視線を合わせ、問いかけるとまた一度瞳が震える。

 それでもハルユキが待っていると、小さく薄桃色の唇が開いてーー。



──そこでようやく、階段の前に佇むそいつに気づいた。


 気付いた瞬間、その虚ろな存在感に心臓が跳ね上がった。

 薄暗く、肌寒い。

 濡れたように艶やかな黒髪が風もないのに揺れる。夜の色を塗った様な藍色の和服が陰に混じる。


「──おう、久しぶりじゃの」


 しかし、幽霊などではない。

 見開かれた瞳孔から漏れる殺意は。裂けんばかりに吊り上げられた口から覗く鋭い牙は。


 彼女が、鬼である事を示している。



「灯台下暗し、っちゅうやつやねぇ」



 そして、もう一人。

 いつの間に、どうやってそこに現れたのか、ハルユキの背後、リィラ達がいるそのもう少し先にひっそりと立っている。


 ポケットに手を突っ込んで緊張感は欠片もない。

 しかし珍しく見えている目からは当然友好的なものは感じられない。



「……神様、この人達とは」



 妙な状況にリィラがぽつりと漏らした。

 その言葉に集中を途切れさせたつもりはない。


 ただそれでも、二人はハルユキの隣まで流れるように接近された。


「……っ」


 もちろん速かった。しかしそれ以上に巧かった。


 死角を縫ったその歩法は、棒立ちしていた二人がそのまま両隣に瞬間的に移動したかのようだ。


「死」

「ね」


 そしてそれはもちろん、再会を祝して握手を交わしに来たわけではない。

 背後からジェミニの水面蹴りが、そして目の前には雪駄の鼻緒が迫っていた。


 しかし。それを処理するのは難しくは当然ない。


「……まあ、お前らも久しぶり」


 足の裏で蹴りを受け止め鼻緒を手の平で受け止めると、今度は二人が目を見開いた。

 しかし一瞬とも動きを止める事はしない。


 ぎゅん、と音を立てて回転し、前後の次は上下からハルユキを挟み打つ。

 また防ぐために手を離すと、二人はまた消えるように移動し距離を取った。


「……間違いないのぅ」

「うん。レイちゃん、間違いないで」


 二人の表情が凄惨なほどの笑みを作った。

 瞬間、真紅の魔法陣が視界全てを覆う。


「な……」


 壁に床に天井に。

 出鱈目に重なり合い大小も出鱈目なそれはしかし、どこまでも精緻に書き込まれ、その膨大の数だけでも目を奪われるには十分だ。


 適当な窓からハルユキは飛び出した。

 しかし、すぐにその選択を後悔することになる。


 街は真っ赤だった。

 先程までと同じ大小様々な魔方陣が。


「町中に──!」


 そして、ハルユキに比較的近い”数百”が一斉に脈動して煌めいた。

 と言うか間違いない。あのクソ女準備してやがった。


「あっ、のっぉ、野郎……!」


 次から次に地面から突き出てくる杭を避けながら、ハルユキはとんでもない速さで町を横断していく。

 何しろこの杭、精確にハルユキを追ってくるうえに、とんでもない量と速さだ。


 強化繊維で編まれたシーツがすでに穴だらけ。

 これは当たったらたぶん結構痛い。


「ぬ──っ!」


 ひゅん、と屋根と屋根の間から人影が飛び出した。

 ぐるん、とその勢いのまま器用に回転するとハルユキの脳天に目掛けて踵を降り下ろす。


「ちぃ……」


 ここに追い込んでおいて直接手を下すつもりだったのか、そいつは忌々しげに舌打ちをする。

 膝下まで垂れた三つ編みの黒髪が揺れる。手入れを怠っていないのか纏った着物は藍色を更に深くした他には変わり無い。


「待て、俺だレイ」


 一応、万が一の可能性を考慮してもう一度面を外した顔を馬鹿女──レイに見せる。

 すると、レイはゆっくりと目を見開いて──。


「知ってるが、それがどうかしたか」

「……いやあ、むしろ安心したかな」


 それはそれは嬉しそうに、口の端を吊り上げた。

 ばさり、とレイの背中から紅色の何かが広がった。片方だけで五メートルはあろうかと言う大翼は辺り一体に影を落とす。


(何だ……?)


 大袈裟な翼、しかし確かに薄ら寒い何かが背中に走る。それが魔力の感触だと気づく、その直前。


「ーーーーッ!」


 ひゅん、と何かが風を切る音がした。

 反射的に左腕を上げて頭を庇う。

 瞬間、岩でも叩きつけられたのかと思うほどの衝撃が左腕に叩きつけられた。


 ぎしりと骨が軋み、僅かに体が傾ぐ。

 振り払うように腕を振ると、その男は軽やかに後ろに跳んで着地した。


「おい、どういう事や。説明しぃや」


 ジェミニは俯き気味で表情は見えない。しかしその口調が、漂う空気が静かな怒りを物語っている。


「……説明はするさ。だから取り合えず落ち着けよ」

「落ち着けやと……? お前、自分が何しくさったか理解しとんのか……?」


 投げ掛けられら言葉にハルユキは返す言葉も持っていなかった。

 口を開かないハルユキに、ジェミニは苛立ちに任せて屋根を踏み砕いた。


「悪かったとは、思って──……」

「僕っ娘にメイドさんやと……?」

「ん?」

「またか! またかお前この野郎! 顔見せたかと思ったら早々にやってくれましたなぁッ! メイドさん!? 僕っ娘!? メイドさん僕っ娘ォおおおおおおおァアアアア! ?  バラエティ豊かすぎるわアホめぇぇえ!」


 ハルユキは首を傾げた。いろいろ食い違っている。違いすぎている。


「いや、おまーー……」

「しかもお前主様だとか神様だとか! 高度すぎる! 高度すぎるわ!」

「だからーー……」

「何をやったァ! 神様主様に付け込んで何をやったァ!  ぜひ教えてくださいお願いしますぅ……!」


 がくりとその場に膝をついて泣き出したジェミニをいったいどうすればいいのだろう。


「──くたばれ」


 ずずん、とジェミニの奇行に気を取られていたハルユキを、レイの怒声とともに血の長槍が襲った。

 長さと大きさは普通のそれと変わらない。だがその貫通力は先に言った通り。


 それが四方八方に、取り囲むように、半球状に、雨霰とばかりに。降り注ぐ。


 轟音。激震。

 しかし、そんなもの程度に呑まれるわけもない。

 文字通り、まるで雨粒かのようにそれを肩に受け、足に跳ねさせ、鬱陶しげに眉根を寄せて、ハルユキはゴキリと首を鳴らした。


「……大体な、お前等に至っちゃ何で俺が責められなくちゃなんねぇの」

「メイドぉおおおおおおお……! あああああああ……」

「……大体な、お前に至っちゃ何で俺が責められなくちゃなんねぇんだ、レイ」


 出来るだけ視線をやらないように膝をついたジェミニをとりあえず屋根の下に蹴り落としてから、ハルユキは不満げに鼻を鳴らした。

 

「──っは」


 対してレイは大きく目を見開いて、そして裂けんばかりに顔全体に笑みを浮かべさせた。

 いまやっと、目の前の男が目的の人物だと認めたかのように。


「俺助けに行ったんだけど。自分を顧みず。偉いね、感謝されてしかるべきだね」

「……なに、勘違いするな。儂とてな、忘恩の愚は犯さぬ。そう、これはむしろ報恩。恩返しじゃよ」

「は?」

「虫じゃぁ」


 ぽかんと、ハルユキは首を傾げる。

 うふふ、と目に殺意を奔らせてレイはゆらりと前傾姿勢をとった。


「お主の肩に止まっている羽虫を取ってやろうと思っての。偉いの、感謝されてしかるべきじゃのぅ」

「いや、虫はいねえよ」

「おるとも。肩に足に目に耳に。頭の中にもうじうじと涌いておる、今弾いてやるからの。うふふふふふ」

「……ああ、まだ操られてんのか可哀想に。またキスしてやろうか、あ?」

「殺す」

「やってみろ」


 ず、とすり足のようにレイが一歩前ににじり出た。


「……っ」


 瞬間、再び背後から何者かの気配。その巨大な殺意に思わずハルユキは振り返った。


「殺ッァああアああああ!!!」

「うえぁ!?」

「レイちゃんにも手ェ出しとったんか、己ァああああああ!!」


 屋根の下に落としたはずなのにどうやって聞き取ったのか、ゆらりと幽鬼のように力なくジェミニが屋根をよじ登っていた。

 というか、実際にさっきより強くなっていそうだから性質が悪い。


「……元気100倍だな」


 ずしり、とレイが踏み出した一歩は姿形に見合わず力強く。

 静かにジェミニが踏み出した一歩は対照的に重さすら感じさせない、


(ちょっとは変わってろよ……)


 明後日の方向にだが確かにこいつらは怒っていて、本気の攻撃が先ほどから襲ってきている。先程から、危機感と敵意がぴりぴりと肌に痛いほど。

 しかし、どうも少しだけ楽しくなってきて。


「──よっしゃ、来い。ボッコボコにしてやる」

「ああ?」

「ああああああああん!?」


 ごきりと、ハルユキは首を鳴らした。

 同時、二人の姿はまたハルユキの隣に。しかし、その動きは一度見た。


 ジェミニの蹴り、レイの拳。

 岩を砕き滝を割りそうなその一撃を、手の平で弾いて軽く打点をずらす。


「──っ!」


 驚愕している二人を、体勢を崩して放り投げるのはそう難しくはない。

 しかし、二人は着地すら待たずに態勢を整え、再び接近する。


 疾いのはレイ。

 右下段。右掌底。そのまま肘鉄。一回転して左浴びせ蹴り。

 流れるようなその動きは全てで一秒と掛からない。


 しかし、ハルユキに有効打を与えるつもりなら、手数をその10倍に増やすか、かかる時間を10分の1にしなければ間違っても成功しない。


「はいレイちゃん、離れて──!」


 代わりに背後から聞こえたのはジェミニの声。


 接近には気づいていた。

 そしてなにをしようとしているかも気付いていたので、ハルユキはハルユキの背中に手の平を押し当てるジェミニを振り返って見下ろし。そして、笑った。



「──”裏当て”」



 ジェミニの足が地面を噛み、体幹が瞬間的に回転し、関節で衝撃が加速する。

 龍ですら一撃で沈めるその一撃に、ハルユキは耐える必要すらない。


「ぐ、──っ?」


 不可解な顔でその場に膝をついたジェミニを、ハルユキは殴り飛ばす。腕でガードさせたものの踏ん張り切れずに屋根の上を転がっていく。


「体術で俺に勝てるつもりか?」


 再び向かってきたレイの攻撃を躱さず受けず、ゆっくりと手を伸ばして捕まえる。

 暢気に伸びてきた腕の一本にレイは拳を叩きこむが、軌道がぶれることすらなく胸倉を捕まえられ、投げ飛ばされた。


「驕ってんのか。それとも馬鹿なのか。どっちだよ。……ああ」


 前後に挟まれた位置関係はそのまま。しかしどうしようもなく力の差はある。



「どっちもか。ハイブリット馬鹿共」



 ──もっとも素手では、だが。


 傍らに血混じりの唾を吐きながら、肩に着いた土ぼこりを鬱陶しげに払いながら。

 そして、暴力的なまでに一方的に空気が変えられた。


「────……」


 魔力と言うものが体に宿り始めて、少しは魔法使いの技量が測れるようになってきた。

 そして、改めて思う。


──この二人は、異常だ。


 その膨大で強大な力。

 魔力は空間を圧迫し充満させていく。壁もないこの場所で、頭の先まで冷たい海水に使っているような気分になる。


 レイの背中に再び翼が現れる。

 魔方陣が町中で復活し、その近い場所から朱色の剣が槍が鉾が斧が続々と顕現していく。


 対してジェミニは見た目は変わりない。

 しかし問題なのはその周り。地面が空気が、空模様までもが、僅かに揺らいで震えている。


 緊張が高まっていく。

 じり、と焦るようにハルユキの足が前ににじり出た、その時。後ろに立つ気配に気づいた。




「──主様。人が集まってきました」


 ひっそりと、後ろに佇んでいたのはサヤ。

 視線はハルユキの背中を超えて、額に血管を浮かべさせる二人を眩しそうに眺めている。


「……神様」

「む」


 そしてもう一人。

 不機嫌そうな顔のリィラが、顎で隣接した大通りを指した。

 忘れそうになるが、ここは木の屋根より少し丈夫なだけの石の屋根の上。促されて大通りを見下ろすと、既に人だかりができ始めている。


「……約束」

「う……」


──”まだ、神様やるんですよね”。

 今朝交わした会話だ。忘れる訳もない。あれが約束かと言われればまた微妙な判定だが。


「…………はぁ」


 一つため息を吐いて、ハルユキはナノマシンを繰った。

 途端にぶわりと辺り一帯を真っ白の煙が覆う。

 その間に神様衣装を纏うと、ハルユキはサヤとリィラを抱え上げた。恐らく慣れない土地でこの二人から逃げ切れるのは容易ではない。

 それは煙幕の向こうで微動だにせずにこちらを見つめる。


「悪いな。また今度」

「……逃がすと思うか」

「ああ。悪いがな」


 ハルユキは地面を蹴った。

 爆発的な推進力を得た体は、一瞬で先ほどの場所から数百メートルの場所に移動する。


 やはり、気配はついてくる。

 しかしこちらの速度には届いていない。


 一度、二度と方向を変えながらハルユキは場所を移動し、やがて大通りから離れた路地裏に着地した。

 裏路地と言うには道幅は広いが、辺りに人はいない。


 そして追ってくる気配もだいぶ遠くなっている。


「……ハルユキさん」


 何となく屋根と屋根の間の空を眺めていると、小脇に抱えられたままのリィラがハルユキの背中に手を伸ばし、指先で触れた。


「なに、──ってあだだだだだだ! 痛い! なにしてんの!」

「何か術式が施されてるので。僕は丁寧に解くとかはできないんですけど」

「痛い! ちょ、痛いって!」


 そのままゆっくりとリィラは手を離していき、やがてぶちりと音を立てて何かが背中から離れた。


「多分追尾用の術式じゃないですか?」

「マジかよ、って、あ。ならコドラクとクイーンを先に……」

「クイーン様とコドラク様は、既に帰宅していただきました」


 小脇に抱えられたまま脱力しているサヤが言う。


「……なら、どうするかな」


 ここなら人気はない。さっきの続きをしても一向に構わないのだが。


「神様。行きましょう、早く」

「ん? ああ……」


 リィラの声に反応して、ぼーっと考えたままハルユキは跳んだ。


「主様!」

「ハルユキさん!?」


 そして、路地裏から飛び出そうとした瞬間だ。

 ようやくハルユキは張り巡らされていたそれに気が付いた。



「な──」



 それは蜘蛛の巣か──否。



「──”雪模様アイスノウ”」



 よく似ているがそれは、太陽の陽を反射して、左右対称に広がった氷の結晶だ。

 しかしその特性はほぼ蜘蛛の巣と同じ。

 考えなしに上昇しようとするハルユキの体は柔軟な氷の糸に何重にも絡めとられていく。


辛うじてサヤとリィラを路地裏に放り投げられたはいいが、ハルユキは手も足も身動きできないままに、屋根の上にゴロゴロと転がった。


しかし転がったのは一度か二度。

先程体術がどうの言った手前、直ぐに態勢を立て直し勢いを殺さないまま跳ね上がるように立ち上がると、警戒して腰を落とすと辺りを見渡した。



「……あ」



 少しだけ赤く染まってきた空の下の屋根の上。

 抜けるような空色の髪が、背後にあった。


 振り向けば知った少女がそこにいて、振り向く間もなくその腕がハルユキの体に回る。


「フェ──……」


 その少女の名前を呼ぼうとすると、それを遮るように腰に回った両手に力が入った。

 そうすると辺りは静かになって、ただ少女の嗚咽だけが辺りに木霊する。


 言葉もなく。

 怒りもなく。

 彼女はただハルユキの背中で泣いていた。


 しかし、それもつかの間。意を決したように彼女の両手が離れる。


 少しだけ逡巡して、ハルユキは振り向いた。

 そうすると少女は丁度フードを目深にかぶるところで、その顔は隠されていて見えはしない。


「……言葉には、しないけど」


 彼女にしては、大きな声だった。それが声を震わせないためだと、すぐに気付いた。


「レイはレイで責任を感じてるから、ああいう言い方は、よくない」

「……え?」

「よくない」

「いや、でもな……」

「よくないの」

「そ、そうですね、すいません……」


 思わず謝ると、少女がふ、と笑った気がした。

 顔が見えていないので何となくでしかないが、彼女の笑顔というのは特別だ。何しろ見た事がない。


 少しだけ気分が浮き上がって、裸で踊ってもいいような気分になった。


「あと、女の人にふざけてキスするとかそういうのも、だめ」

「レイだぞ……?」

「だめ」


 今度は自然とハルユキの口元が緩んだ。


「だめだよ」

「分かったよ……」

「それなのに、嬉しそうだった」

「……悪かったって。懐かしかったんだ」

「それ、に……」

「……?」


 そこで、少女は消え入るように話さなくなってしまった。

 小さく口が動いているが、それは逡巡しているだけのように見える。


 もう一度少女の名前を呼ぼうとすると、また。

 彼女の手が伸びて、ハルユキの服を掴んで。それを止めてしまった。


「──それに」


 ただやっぱりしばらくして、意を決したように口を開いた。



「忘れたかなんて、聞いちゃ、だめ」



 思わず、言葉に詰まった。

 やはり彼女の声は大きい。大きくて、でも震えていた。



「ずっと、心配で。でも、ふとした時に顔が思い出せなくなって。必死で……」



 二年。一緒に旅をしていた時期のおおよそ倍の時間。

 忘れてしまったかなんて聞くのは、自分が恥をかかないための予防線でしかない事に、気が付いた。


「それなのに、忘れたかなんて聞くのは、だめ……」

「……悪かった」

「謝るのも、だめ」


 もう声は大きくない。

 嗚咽交じりの声は、どうしようもなく震えている。


「勝手にいなくなるのは、だめ」

「……ああ」

「約束を守らないのも、だめ」

「ごめんな」

「一人にするのも、だめ」

「ごめん」

「……逃げるのも、笑うのも、誰かを盾にするのも、傍にいられないのも、頼り切るのも、全部。全部、だめ」


 謝る事はできなかった。

 いつ頃か。いやそもそもたぶん、彼女はハルユキを責めてなどいない。

 ずっと、おそらくこれまでの2年間と同じように。執拗に。過剰なほどに彼女はただ一人を。


「……ハルユキは、楽しそうな顔も嬉しそうな顔も分かりやすいから」

「フェン」

「ごめん、ごめんね。ごめんなさい、私が我儘ばっかり言ったから。あんな、顔……!」

「人の顔の事やいやい言うなよ」

「そ、そうじゃなくて……」


 伝わっていないのかと、必死な顔を上げた彼女の、その額に。

 びしりと手刀を入れて、思わず動きを止めた彼女のフードを取って、驚いた彼女の体を、もう一度持ち上げた。


「言いたい事は簡潔に。人生の秘訣その2だ」


 ぼろぼろと泣いていた彼女が、きょとんと一瞬表情を忘れた。


「な? だから、頼む」


 また子供のように持ち上げられている事にぶすりと頬を膨らませて。

 そして、何を思ったかしばらくして、クスリと笑った。


 初めて、ハルユキの前でフェンは笑った。



「ごめんなさいハルユキ。お帰り」

「ただいまフェン。ごめんなぁ」



 突如、誰かが背中を蹴った。


「はい、お帰り」


 ジェミニは茶髪の頭をぼりぼりと掻きながら、いつものように笑っていた。


「口から砂糖が出そうじゃ。甘ったるいの……」


 レイは少し離れた場所で額に皺を寄せ、舌打ちしながら腕を組んでふんぞり返る。

 いつも通りで、懐かしく。やっぱりハルユキもいつも通り笑ってしまった。




     








  

「神様」


 神様、とリィラはその名前でハルユキを呼んだ。

 ハルユキが振り返ると、リィラとサヤが屋根に上がってきていた。


 サヤは相変わらず微笑んでいて、リィラは仏頂面。


「結局、すぐに会えたのですね」


 サヤはハルユキの周りの面々を見渡してから、観念するように目をつぶると小さくうなずいた。


「ハルユキ。どこに泊まるの」

「あー、と。どこだっけ」

「”女傑亭”と呼ばれる宿に滞在する予定でございます」


 相変わらずハルユキ以外には丁寧な口調で、サヤが伝えた。

 そうすると、少しだけフェンの顔が曇る。すぐにモガルの事についてだろうと察しが付いた。


 聞きたい事が、幾つかある。


「フェン、モガルに似た奴がいたんだが……」

「うん。色々、伝えることがある。……ハルユキ」


 フェンは少しだけ緊張を混じらせた顔で、ハルユキの顔を見た。

 ジェミニもまた笑みを引っ込め、レイは何を思うのか目をつむって顔を伏せている。


「私達が会った町の名前を、憶えている?」


 フェンが言っているのは最初の町の事だろう。

 近くの森で目覚めて、フェンと一緒に初めてこの時代で関わった小さい国の首都。


 しばらく考えて、ハルユキは首を横に振った。


「いや。そもそもあまり長く居なかったしな」

「……そう」


 少しだけ気まずい沈黙が、あたり一帯に広まった。

 その流れにハルユキは頭の中に疑問符を浮かべながら、今度はこちらから話を切り出した。


「まあ、そんな事より、だ。二人いないな。シアと、あと──」


 とたん、また雰囲気が変わったような気がした。

 一瞬言葉を詰まらせながらも、ハルユキは続けて口を開く。



「ユキネのやつは? いないのか?」



 そう口にした後変わった雰囲気は、あまりにも顕著だった。

 フェンは表情に影を落とし、ジェミニは気まずそうに頬を掻き、レイは静かに目を伏せている。


「……ユキネは、あそこ」


 フェンは指さした。

 その先はこの辺りで一番高い屋根であるこの場所からさらに上を指している。


 その先にあるのは茜色に染まり始めた空と、薄く伸びた雲と。その間にある、遠近感が狂ってしまいそうなほど大きな城。


「どういう事だ……?」


 考えられることはいくつかあるが、そのどれもが確証を得られるほどの根拠がない。

 先程のフェンの発言も相まって、疑惑は混迷を極めていく。


「あのね」


 フェンはやはり振り絞るように声を出す。


「あのね、ハルユキ」


 ゆっくりと、意を決して、悔しげに、それでも息をのむほど切実な表情で、フェンは首を垂れて、言った。





 ──そして。



「……嘘つき」



 フェンの言葉に耳を傾けるハルユキに、リィラが零した言葉は届かなかった。




      ◆





 ごん、ごんとどことなく無遠慮な響きのノックがユキネの顔を上げさせた。

 ふと窓の外に視線をやると、だいぶ夜の帳が下りていた。


 だとするならば、やって来たのは約束していた人物だろう。


「どうぞ。開いている」


 言いながらユキネは書類に目を通しながら、手も止めない。

 切羽詰っている訳ではないがいつ怪我をして動けなるか知れないので、できるだけ前倒しで業務を行わなければならない。


 人員整理に、避難民の仮設住宅の設置及び区画整理、それに世界会議イデアルに提出する研究資料も纏めなければならない。


 近衛新兵の面通しなど省いてしまいたいのが正直なところだろう。


「じゃあ、邪魔するぜ」


 ただ、ノックと同じように無遠慮な声が聞こえたと同時。ものすごい勢いで扉が開き、無理やり集中力は分断された。


「な……」


 扉が壁にぶつかって物凄い音を立てたので、思わずユキネは手を止めて顔を上げる。

 調度品も無駄な家具も置いていないせいか、扉はそのまま壁にぶつかり穴を開けたようだ。


 ゆっくりとユキネはそれを確認して、その行為に及んだ来訪者に視線を移した。


 適当に伸ばしたダークブラウンの髪を後ろで一つに纏めた女性。

 恐らく、今日から配属される約束の人物で間違いない。


 呆気にとられてその女性を見つめていると、その人はつかつかと部屋の中に入り込んできた。


 それもユキネには目をくれず、眉に皺を寄せて自らが開けた扉の向こうを覗き込む。

 そして、ほぼ間違いなく穴が開いているだろう壁を確認すると、一度こちらを見て、そして困ったようにぼりぼりと頭を掻いた。


「……弁償?」


 その言葉が自分に向けられている事に気づいて、ユキネははっと我に返った。


「……今回は良い。次からはもっと静かに入室してくれ」

了解サー


 良い具合に肩から力が抜けたとばかりに彼女は辺りを見渡す。

 繰り返すが、ユキネの部屋に調度品の類が一切ない。もとは応接間だったというが、応接間としても質素に過ぎる。

 見ても面白くないだろうに、とユキネは思う。


 おまけにユキネにも全く色気がない。

 何と言っても群青色の戦衣のままだ。まあそれが似合っていないかと言われれば、当人以外は首を横に振るだろうが。


 とにかく、ユキネには書類に視線を戻すタイミングを見失ってしまったのが痛手だった。


「……済まないが、本題に入っていいだろうか」

「ああ。悪い。別に畏まらなくてもいいよな。年下に敬語は慣れてない」

「ああ、構わないよ」


 最初、そう一番最初は周りの人間にユキネはそう言っていた。

 それは年上に畏まられると緊張してしまうというのが理由だったが、もう久しく言っていない。

 言っても当然誰もそうしないし、そうしてもらう理由すらなくなったからだ。


「じゃあ、自己紹介。あたしはルス・タナトス。あんたの近衛新兵だ」

「よろしく。スノウだ」

「まあいきなりで戸惑うかもしれんが、よろしく」

「こちらこそ。城下保安局との繋がりを密にして欲しい」


 ユキネがそう言うと、彼女は一瞬だけキョトンと表情を無くして、唇を曲げるように薄ら笑った。


「──で? 足手纏いだから大人しくしてろって」

「そうだな。説明が省けてよかった」


 平然とユキネは言葉を返した。

 皮肉を言われることに慣れている、と言うより、自分への嫌悪感を相手の中に前提としている。残念ながら、本人も気づかぬうちに。


 その言葉にぴくりとルス・タナトスは眉を揺らすと、ゆっくりとまた唇を捻じ曲げるように笑った。


「……へえ、ほとんどタダ飯って訳かい。いいねえ」


 ひひひ、とルスは笑う。

 対してユキネは、早くこのやり取りを終えられないか頭の中で検討していた。


「私一人で足りているのでな。現状では無駄に人員を割く必要はない。それだけだ」

「ふーん、格好いいねえ」


 もう一度、ユキネはルスの顔を見た。

 ルスは変わらず口元を捻じ曲げて笑っているようだ。とりあえず拳で口元を隠してはいるが、口端が隠れていない。


 不意に眩暈が視界を暗くして、ユキネは顔をしかめた。


「……ん、ああ、すまない」


 ルスがこちらの顔を見ている事に気づいて、ユキネは視線を上げた。

 笑みを一旦隠してじっとこちらを見る目に、なぜかぞくりとユキネは背筋に冷たいものを感じて、とたんに意識が鮮明になる。


「……済まないが仕事が立て込んでいる。今日の所は──」

「あんたさぁ、勘違いしてるよ」

「……ああ、よく言われる」

「私が何でこう、遠慮なしにしゃべるか分かるか?」


 少しだけ、ユキネは息を詰まらせるようにして返答をした。

 叩きつけられる悪意と嫌悪感にぐらりと世界が傾き、眩暈は腹が捻じれるような鈍い吐き気をもたらす。


 慣れたと思ったが、まだまだ根を上げる部分が生きている。

 どうしても死なないその部分を踏み潰すように、ぐ、とユキネは脚に力を入れて強く硬い、冷ややかな目を作った。


「あたしはさ、正義の味方ってのが嫌いでさ」

「そうか」

「自己満足で正義振りかざしてさ、世界の裏では人が死んでんのに、助けて解決ってのがね。最低だ、反吐が出る」

「……済まないが、用がそれだけなら」

「あんたの事は、好きなんだよ」


 もう無視して書類に走らせていた目がぴたりと止まった。


「……は?」

「だからさ。自己満足で正義振りかざして、最低なあんたの事が好きだからさ」


 だから、馴れ馴れしい言葉遣いで喋ってるんだと、ルスは真顔で言った。


「友達になってくれよ。スノウ殿下」


 ひひ、とルスは唇を捻じ曲げるように笑った。

 その顔は中に何を隠しているのかと言うより、隠しているかどうかもユキネには判断が付かなくて。


「……扉は?」

「緊張してたンだ」


 ただ残った仕事も忘れるほどに、思い付きの言葉を知らず口にしていた。




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