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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
227/281

既視感

推敲できていないので、ちょこっとあとで直すかもしれません。



「あ」


 目の前に続く川を見つけて、リィラは思わず声を出した。

 13年間夜なべで龍を狩り続けたせいか、朝はかなり早い。

 まだ朝焼けで草原が染まっている中、獣の一匹でもいないかとここまで来ていたのだ。

 竜が最近まで彷徨いていたせいか、獣は見つからなかったが、川があるなら魚がとれる。都合のいいことに村の近くだからか桟橋もある。


(皆、喜ぶかな……)


 保存食も神様が作るパンもあるにはあるが、やはり現地調達が旅の醍醐味だとかハルユキさんは言っていた。

 あと、てきとうな文化交流だとか偉そうなことも。


──お前は凄いな、リィラ。


 あの時の感触をおもいだすように、リィラは自分の手を頭に持っていき小さく口元を綻ばせた。

 決心するやいなやリィラは靴を脱いでズボンをたくしあげる。

 仕上げに上着を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。

 手始めに川の底から小石を数個拾って、魔法を発動した。


 ぱん、と軽快な音がして、水が川底から反発した。


 跳ね上がった水と石の中に混じった魚が1、2──14匹。十分だ。

 正確に、しかし迅速に右手に持った石を投げつけていく。

 結果──。


「……まあまあかな」


 小さな川だ。対岸にそれぞれ弾き出された魚は合わせて12匹。

 小さな網を取り出して、リィラはそれを拾おうと屈んだ。


(うーん……)


 拾いにくい。

 こんなところで左腕がないことを再確認しようとは思わなかった。

 不思議と、後ろめたい感情は一切湧かなかったのも、少し意外で、でもどこかで納得もした。

 やれやれ、と何とか五匹目の魚を網の中に入れた時だった。


「こんにちは」


 突如聞こえたその声に、リィラは弾かれるように顔を上げた。

 何の気配も感じなかった。

 その気配の主は当たり前のように背後をとって見せた。


 背中を取らせる事が即ち死につながる世界に生きて生きた。ラカンとの戦いを終えて気を抜いたわけでもない。

 だから背後を取られたその事実は、リィラにとってアイデンティティを揺るがされたと言ってもいい。


「お見事。お顔はそんなに可愛いのに。修験者みたいな事してるのね」


 しかし、振り向いた瞬間に投げ寄こされた魚を思わず袋で受け取り、そして、改めてその声の主を見たとき、リィラはしばらく言葉を失った。

 だって、リィラは綺麗なものに目がない。

 見た目も、立ち振る舞いも、雰囲気も、おそらくその魂でさえも美しいであろう彼女から、目を離せるはずもなかった。


「あ……」


 リィラは気づく。

 彼女は川の桟橋に少女のようにしゃがみ込んでいる。

 その恰好は高貴な雰囲気といい意味で似あっておらず、美しい絵のようだ。しかし──。


「髪が──」


 長い髪の毛の先が、桟橋に落ちてしまっている。

 別に泥まみれというわけではないが、炎の中心のような純粋な色をした髪だ。それは少し勿体ない。


「ああ、ありがとう。でも良いのよ」


 リィラの視線に気づいて、彼女は髪を軽く後ろにまとめた。


「立てばいいじゃないですか……」

「んー、初対面の人と話す時はね、視線は合わせた方が面白いから」

「高貴な生まれの方ですか」

「ふふ、ちょっとだけね」


 敵意はないようだ。

 ただ、その楽しげに笑う目には、妖しく好奇心が光っている。

 リィラは今や隻腕隻眼。その見た目は人目に付くことは分かっていたが、違う。

 彼女は、まるで自分の目でも腕でも、体ですらない何かを見つめているようだった。


「私はノイン。知っているかしら?」

「いえ、すみません」

「ふふ、そう。じゃあ」


 そう言って、彼女は右手を差し出した。

 少しだけ逡巡した後、素直にリィラはその誘いを受けることにする。


「リィラ・リーカーです。そのまま呼んでください」

「ええ。そうするわ。リィラ・リーカーさんね。うん、覚えた」


 差し出された右手は、自分とは比べ物にならないほど綺麗なものだった。

 やはり少しだけ躊躇して、しかし頑なに待ち続ける彼女の右手をリィラはつかんだ。


「リィラ。貴女、昨日少し前の村で死者を埋葬したでしょう?」

「見ていたんですか?」

「いいえ、何となく」


 改めて近づいてい見ると、彼女はほとんど完璧な人間だった。

 美しいのは当然、気品があり、そして。──並々ならぬ戦闘能力を有している。


 彼女の言い分もある程度は納得できる。

 普通の人間は、龍に襲われたばかりの村で暢気に穴掘りはできない。


「僕は教会育ちだったので」

「他の仲間も? 全員?」

「……言いましたっけ?」

「お魚」

「ああ」


 流石にこの量の魚を一人で食べきるというのは、不自然だ。

 加えて、彼女の問いに答えようと頭を捻らせてみるが、神様を説明するのが実に面倒くさい。


「ものは相談なんだけど。私も朝食ご一緒してもいいかしら?」

「え?」

「唐突にごめんね。貴女に興味があるの」


 唐突に言い放ったその言葉に耳を疑うが、彼女の爛々と光る目はそれが冗談ではないことを語っている。


「いや、でも。僕、旅とか慣れてなくて、その、人見知りだし……」

「そうなの?」

「あんまり、旅も乗り気じゃなかったんですけど……」

「でも、旅は慣れていないんでしょう? なら、まだ決めるのは早いわ」

「でも……」


 それに、高貴な位というのなら、お連れの人間もいるだろう。

 抜け出してきたか、はぐれたか。まあ、こちらに損があるわけでもないし、魚も多分余る。


「知ってる? 旅の醍醐味ってね、食材の現地調達と旅先での適当な人間交流にあるらしいわ」


 どこかで聞いたような文句に、リィラはポカンと口を開けた。聞いた話なんだけどね、と彼女は悪戯っぽく笑って見せる。


「……偉そうな事を、言う人ですね」

「そうなのよ。偉そうで、粗暴で、でも命の恩人で」


 思わずリィラは苦笑した。

 すると、彼女はリィラの前に躍り出て、楽しそうに笑った。


「私のね、初恋の人」


 振り向いた彼女の顔は、眩しいほどに少女の顔だった。


「――……」


 先程までとはまるで正反対の美しさに、またリィラは目を見張る。

 こんな人の心を奪ったのは、どんな麗人なのだろう。少なくとも、あんなチンピラのような顔じゃないはずだが。


「それで、私はお邪魔していいのかしら」

「少し騒がしいですけど、それでよかったら」

「ううん。私騒がしいの好きよ」


 この人を疑うのも何か見当違いな気がして、リィラはその願いを了承した。


「あ……」


 しかし、その言葉を聞いて喜んだのも束の間。

 がさりと、川の向こうでまた茂みが揺れた。


「……あーあ、見つかっちゃった」

「抜かせ。朝早くから扱き使われる儂の身にもなってみろ」


 現れたのは、黒髪の珍しい格好をした女性。

 ひどく落ち着いた色合いの染め物は、朝焼けの光に浮いている。


「ごめんなさい、お願いしておいてなんだけど、食事はまたの機会に」

「あ、はい……」


 黒髪の女性もまた別世界の住人のような雰囲気で、思わず見とれてしまう。

 唇とか二の腕とかすごく柔らかそう。

 その割にスレンダーな体は抱きつくと強く反発してきて、すごく抱きがいがありそうだ。


「……はっ」


 リィラが我に返ったときには、すでに二人の姿は消えていた。


「いたよ。なにやってんだリィラ」

「ハルユキさん?」


 ガサガサとまた茂みが揺れて見慣れた灰色の頭が飛び出してきた。


「さっきまで、すごい美人の二人がいましたよ。妖精かと思いました」

「……顔よく洗ったか?」

「寝惚けてませんよ」


 よくわからん、とハルユキは首を捻ってリィラが持った魚を見つめた。


「……それ、朝飯?」

「ハルユキさんの分もありますよ」

「おお……! でかした……!」


 鼻唄混じりでハルユキはリィラの頭をグリグリと撫でると、元来た道を戻っていく。

 何だか期待していた反応と少し違う。


「リィラ。お前ホイル焼きって知ってる? 川魚って臭みが強いからな、酒か塩でなーー……」

「ハルユキさん」

「ん?」

「……いえ、何でもないです」


 空も高く、雲も緩やか。

 穏やかそうな空模様は、順調に旅が続いてしまうことを示していて、やはりリィラはため息をついた。






    ◆






「お、おおお……」


 その町の異様さは遠目からでも一目瞭然だった。

 つまり近づいた今では、それはさらに歴然と目の前にあった。


「でかい……」


 それは壁だった。

 巨大な、そして分厚い石の壁。

 目を凝らしてみればその壁には薄い紋様が続いていて、何らかの魔法の効果があることが見てとれた。

 戦争がないこの時代に城壁だけではなく外壁まで設けているのは、意識の違いと言うところか。

 ゆっくりと口を開けるように開いた鉄の門を阿呆のように口を開けたままハルユキは通過した。

 ひょいとサヤがハルユキの口の前に顔を覗かせた。その手にはクイーンが抱かれていて、それがハルユキの目前に運ばれた。


「やっておしまい」

「えいやっ」

「へあッ!?」


 クイーンはサヤの合図で徐にその手をハルユキの口の中に突っ込んだ。


「っえ…? な、何してんの、お前ら……?」

「申し訳ありません。つい」

「ついで人の喉に指突っ込むな!」

「またまた、主様が常日頃から幼女の指をなめ回したいと思っていること。──存じておりますとも」

「こっそり言うな! 本当みたいだろうが!」

「大丈夫です。クイーン様には聞こえるほどの大きさに絞りました。私だからこそ出来た妙技です」

「なに胸張ってんの、ねえ……?」

「ああっ、クイーン様が怯えていますっ。お労しい、おのれロリコンっ」

「とかい、だな……」

「こっち見てもいないんだが」


 騒いでいる間に何メートルもある門を抜けた。

 そしてまたその町並みに呆気にとられた。

 近代的だ。とは言ってもビル群が並んでいる訳ではない。しかしエルゼンのようにむき出しの石のような壁ではない。


 あるのは煉瓦か、若しくは大理石でできた壁。

 完璧に舗装された道は霞むほど先まで伸びているのに、一切歪むことなく延びている。

 オウズガルほど人通りは多くなく、露店も少ない。しかしその分専門的に店を構えている家が多いようだ。


「さて、いきなり訪ねましたからな。知人の宿がまだやっておると良いのですが」


 この街を初めて訪れて、揃って言葉をなくすハルユキ達の中で唯一コドラクだけが落ち着いて馬に鞭を振るった。

 一旦停車し、簡単な関所を抜けた後、馬車ごと街中に入る。


 何しろこの街は広い。

 道路は馬車が十台横に並んでも余裕があるし、宿らしき建物の一軒一軒に馬小屋が設けられているようだ。


「僕、エルゼンって大きい街だと思ってました……」


 ポツリとリィラが言う。

 その言葉も当たり前だ。外壁に囲まれたこの首都の敷地はざっと見渡しただけでエルゼンの十倍の広さはあるだろう。


「そうですとも。ただ、この街が大きすぎるのです」


 ハルユキはざっと町を見渡した。



「……?」



 広い道には等間隔に街灯まで設置されていて、魔法だけではなくある程度の技術も普及しているようだ。


(既視感……?)


 しかし、違う。

 新しい街への興奮と期待の中に紛れ込む違和感は、そんなものが原因ではない。


(気のせいか……)


 町並みを見た事があるわけではない。

 ただ、ただ何かの名残が頭をかすめる。


「──神様、神様!」

「え、あ……?」


 耳元で叫ばれた声にハルユキは我に返った。


「なんでそのお面してるんですか。今はまだしてなくてもいいですよ」

「いや、万が一にでも見つかるとやばい奴らが……」

「でも、その人たちに会いに来たんでしょう……?」

「い、いやそうなんだがな」


 ごとごとと馬車は進んでいく。

 皆が楽しげに外を眺める中、ふと、リィラがもう一度ハルユキの耳元に顔を寄せた。


「じゃあもう、会わなくてもいいじゃないですか」


 リィラの声には少しだけ緊張が混じっていたがハルユキはそれに気づかない。

 頭を掻きながら、ハルユキは苦笑する。


「んー……、そういう訳には、いかないかな」


 ぴくん、とリィラの肩と表情が揺れる。


「まあ怒られるのはいいんだけどよ。出来るだけ穏便なタイミングと言うか。と言うより、まずはどれだけ怒っているかを確かめつつ……」

「……へたれ」

「うるせえな」

「どちらにしても、まだ神様やるんですよね」

「まあ、当分はなぁ。仮面常時着用の方向で」


 そんな事を話していた間に、馬車がゆっくりと停車した。

 どうやら目的地に到着したらしく、馬が馬車ごと馬小屋の日かげに避難した後に、ハルユキ達は馬車から外へ出た。


「はー……」


 視線を下げてみれば、一層とその町の巨大さは目に沁みた。

 通る馬車の一つ一つが豪奢な作りで、住人達は歩き方一つに気品を思わせる。


 華やかな都会の町。

 そう言い表すのが最も適当だろうか。


 空は高く、それを追うように空へ延びる高い壁はまだ近くに見えた。


「さて、こちらですな」

「大丈夫でしょうか。ずいぶん立派な宿ですが」

「ええ。彼女は商才溢れる女性でしたが、まさかここまで店を大きくしているとは、いやはや驚きの至り」

「いいから早く入ろうぜ。楽しみだ」


 両開きの扉を入り、ハルユキ達は店の中に踏み込んだ。

 涼しい。

 なんだと天井を見上げてみれば、天井いっぱいに広がるファンがゆったりと回転している。

 天井と、そしてそのファンには薄く魔術の術式が彫られているようだ。


 物珍しさに目を奪われるハルユキの目の前にひょこりと現れたサヤの頭をハルユキがすかさず引っ叩いてる間に、コドラクがさらに一歩踏み出た。


「久しぶりですな。飴色のマティーニを貰えますか」

「はあ? うちはそんな御行儀の良いもんは扱って──」


 そこで初めて、一行はその存在に気づいた。

 存在感が薄いわけでは決してない。ただこの建物と、内装と、空気と。その他のすべてのものに馴染みすぎていて、風景に溶けていたのだ。

 その誰かが、こちらを振り向いた。





「……は?」





 ハルユキは脳裡を焼くような既視感の中で、思い出した。



「モガル……?」



 一番最初の国で出会ったやたら暴力的な女店主。

 そして何より鮮明に蘇ったのは、一億年ぶりに口にした貝のリゾットと、特製野菜スープの味──。









「……あん?」


 女主人が"会ったこともない"妙な男に名前を呼ばれて戸惑っている時、一歩離れた場所でそれを眺めていたロウだけが気づいた。

 

 リィラをはじめとした教会のチビ共が全員消えていた。





    ◆




「うーん……」


 エースとビィトがいない事に気づいたのは、町に入ってすぐの事だ。

 すぐ近くにいると思って少しだけ離れてみれば、ものの五分で元の場所さえ分からなくなった。


 ずっと生まれた場所から離れなかったせいで分からなかったが、迷子というのは本当に起こりうるものらしい。


「広いですって……」


 目的の宿は辿り着けばわかると思う。

 迷子になって十秒後に、二人の捜索から宿への帰還に優先順位を入れ替えた。


 エルゼンでも生き残れる二人だ。

 こんな”温い街”ならば心配など微塵もいらないだろう。むしろ妙な問題を起こさないかどうかの方が問題だ。


 あの宿は外壁から近い場所にあった。

 なのでとりあえずこの町の入口まで戻るかと、リィラは壁に向かって進む方向を変えた。


「……うーん」


 また面倒そうにリィラは唸った。

 人とすれ違うたびに、チラチラと視線がリィラの体をまとわりついた。


 中に腕が通っていない服の袖。顔の半分ほどを覆う大きい眼帯。その癖に両腰に二本ずつ差した四本の細剣はどうしても目を引くようだ。


「ねえ君、この街初めてだよね」


 それでもこの手の輩が声をかけてくるのは、一重にリィラの端正な顔立ちと、後は、流行というものを全く考慮していない田舎者の格好と。

 そして剣を差して剣呑な空気を醸す獲物に、ナンパ師共が挑戦心を抱くからだった。


「あの、僕、男なので……」


 しかし当然、エルゼンでは恐れられ遠ざけられていたリィラにはそんな事は分からない。

 遠巻きに見られているのになぜこんなに声をかけられるのかと不思議に思いながら、リィラは丁重に誘いを断りながら壁へと進む。



「あ、可愛え子発見」



 壁までたどり着いて、さて今度は入口を探して宿までも道を辿ろうとした時、また軽薄な声が背後から聞こえた。

 自分ではない事を祈りつつ、リィラは一歩前に踏み出すが、ひょいとその男は肩越しに顔を覗かせた。

 


「あんまし見ぃひん顔やね。この街の娘やないやろ」



 ぺらぺらと捲し立てる男は、当たり前のようにリィラに並んで歩きだした。

 茶髪の癖っ気に、高い上背。特徴的なのはどこの国の物かもわからない酷い訛りと、常に笑っているかのような糸目。



「ワイはジェミニ。ねぇ、名前聞いてもいい?」

「リィラ、です。あの僕はこう見えてもおと──」

「──あぶなーい」



 瞬間、隣で歩いていたジェミニというらしい茶髪の男が吹き飛んだ。

 リィラの鍛え上げた目は顔面が拉げるほどに減り込んだ拳も捉えてしまっている。


 あと気づいたことと言えば、危ないと叫んだ声が驚くほど間延びしていて緊張感がなかったことぐらいか。



「あ……」



 吹き飛んだナンパ男と入れ違いに目の前に現れたのは、知っている顔だった。


「危なかったの、娘。あやつはこの辺りでは名うての女衒でな。女を食い物にする下衆じゃからの」

「はあ……」


 ほけっとリィラは呟く。

 特徴的な着物を着こなし、涼やかな結った黒髪と目元は見ているだけで温度を忘れそうになる。

 その人の方は、今朝会った事を覚えていないようだが、こちらが忘れるはずもない。


「ふむ、怪我はないようじゃの」

「え?」

「あの男の手口はの。嫋やかな女の体を思う存分むさぼった後どこぞの娼館か変態貴族に売り払う。そしてその末は病気に塗れた骨と皮の塊。やれ恐ろしい事じゃ」


 そのような事がエルゼン以外でも行われているのか。

 文化的な街だと思って油断していた事は否めない。

 打ち所が悪かったのか、吹き飛ばされた後道路に転がったまま痙攣をする男がそれほどに凶悪だとは思えないが。


「それじゃあの。もう悪い男には引っかかるなよ」


 そう言って女性は立ち去ろうとするが、ふと何かを思いついたように懐から何かを取り出した。


「そうじゃ。困った時にはここに来い。相談に乗ろう」


 差し出されたのは名刺だった。

 そこには達筆で”万屋”と書かれていて、その下には名前も記してあった。


「レイ、さん」

「応。ではの」

「あの、少しですけど……」


 そういう商売をしているのならと、リィラはポケットから小金を取り出した。


「ああ、いらんいらん」

「じゃあいいで──……」

「ふむ、ならそうじゃの。まだこの町に来て日が浅いと言っておったな。ならば、良い店を知っておる。そこで昼食を共にする。それでどうかの」


 そう言って彼女は朗らかに笑った。

 美人だ。妖精さんだ。一も二もなく着いて行こうとリィラが決心した時だ。


「騙されちゃあかんよ、リィラちゃん……っ!」

「ち……」


 声にする方に振り向けば先ほどのナンパ男が震える足で立ち上がっていた。


「その会社、架空会社やから……! 昼食代を浮かせたい一心で一芝居打ってるだけやから……!」

「そうなんですか?」

「馬鹿な。何を言う」

「その人、還暦過ぎた婆みたいな方法でしこしこ金貯めてるからね! 碌に働きもせず! ええ歳こいて! いい加減定職に就いた方がええと思います!」

「よし殺す」


 ごきりとレイさんが拳を鳴らし、立ち上がった。

 妙な事になったと、リィラは困ったように空を仰ぎ見た。

 




    ◆





「大した事ねぇな……」


 転がしたチンピラの上に座り家の壁で狭くなっている空を仰いで、ビィトは大きく息を吐いた。


 大通りを少し行った裏路地。

 ビィト達は臭いを嗅ぎ付けるように後ろ暗い道を選んで、チンピラの溜まり場を見つけてはなぎ倒していた。


 ここ一時間で五十人ほど。

 これほど発展した都市でも、やはり道を外れてしまう者はいるのだ。


 それをわざと絡まれに行ってぶっ飛ばす彼らも当然なかなかに踏み外している。


「どうしようか、ビィト」

「力試しにもならないな。今日は帰るか」


 やれやれとビィトは立ち上がる。

 その時だ。椅子にしていたチンピラのボスがくつくつと笑い出した。


「馬鹿共が。お前らもう、終わったぜ……」


 苦しげに笑うその顔に、二人は静かに視線を集めた。

 その視線に男ははびくりと、身を竦ませるが、直ぐに無理な笑みを取り戻した。


「もうすぐ、”蛇”の兄貴が来るからな」


 そう男が口にした瞬間だった。

 路地裏の入口に、ふらりと人影が現れた。


 子供の姿ではない。その身長はビィトの1.5倍はありそうだ。

 それは幽鬼のようにふらりと一歩前に出て──。



「は、こいつ等がお前の部下だ? 何で皆くたばってんだ」



 そのままずしゃりと、その場に膝をついた。

 一瞬後に”その背後にいる誰か”に蹴飛ばされて、ゴロゴロとビィトの目の前まで男は転がってきた。



「あ、兄貴……!」



 よく見れば首のあたりに下手くそな蛇の刺青が入っている。

 ならば、このチンピラが言っていた”蛇の兄貴”はのびているこいつの事で間違いない。



「あ? 残党か。おいルウト。どうする?」



 そいつの声は幼い。が、身長はビィトより少し低いぐらいで、細いが引き締まっているようだ。



「あっちから絡んできたのに報復されちゃ面倒だし、殲滅しようか。アキラ」



 そして脇から出てきた青年も、同じぐらいの背格好だ。

 エースはその姿をじっと見据える。もう一人の青年と比べれば体はできていないが、研ぎ澄まされた魔力の気配を感じる。


 にぃ、とエースは笑って口を開く。



「よくも蛇の兄貴を……。やってしまおうビィト」



 ぽかんと口を開けたのは、ビィトと這いつくばったチンピラ二人。

 エースは速やかにチンピラを蹴り飛ばして、気絶させると、一瞬で魔力を練り上げた。


 ああなるほど、とビィトも口角を釣り上げる。



「ああ、兄貴。仇はとってやる」



 言って、ビィトもまた魔力を爆発させた。

 余裕交じりに話していた青年二人の顔色が変わる。



「おい、ルウト」

「そうだね。ちょっと面白くなってきた」



 二人もそれに対抗し、誇示するように魔力を練り上げ、放出させた。






    ◆





「ふぐっ……ぅ」



 クイーンは泣きじゃくりながら、ふらふらと広い道を歩いていた。

 大声で喚き散らかさないのと、立ち止まらないことがせめてもの意地のつもりで歩き続けているが、まああまり意味はない。


 迷子など幼い子供がやるものだと、たかをくくっていた。

 自分が今まで慣れ親しんだ道しか通っていなかったことに気づかなかったのだ。



「リィラぁ……、エース……ぅ」



 ここはいったいどこだ。

 見た事もない景色の中で、見た事もない人間に囲まれてクイーンは一人ぼっちだった。

 息を止めて泣き声を止めようとするが、嗚咽が次々に喉を突く。


 自分がいない事言気づいてくれなかったらどうしよう。

 もし二度と会うことが出来なかったらどうしよう。

 これからずっと、一人で生きていくことになってしまう。


(やだよぅ……)


 来なければ良かった。

 夜は誰も一緒にいてくれないし、師匠もいないし、エースもビィトもリィラも先にどこかへ行ってしまうし。とかいは怖いところだし。



「神ざまぁ……っ」



 祈った相手はもちろんあのチンピラの方ではない。

 しかし決死の思い出絞り出したその祈りも何も起こしてはくれず、くしゃりとまたクイーンは表情を崩した。


 そんな時だった。

 何か温かい感触がクイーンの膝の辺りを撫でた。



「ぅえ……?」



 見れば、黒猫が体を擦り付けていた。

 クイーンがしゃがむと、一歩引いて猫は不思議そうに首をかしげる。



「あ……」



 クイーンは慌ててポケットから朝の残りのパンを取り出した。

 少しだけちぎって猫に差し出すと、少し臭いを嗅いだ後猫はそれを食べ始めた。



「……へへ」



 ゆっくりとそのパンを食べさせているうちに、気持ちが落ち着いてきた。

 よし、と気持ちを固めると、クイーンは迷子になってしまった他の六人を探すべく立ち上がる。


 なー、と猫が寂しげに泣いたので、それを頭の上に乗せて。



 そうだ。まずは壁に行けばいいのだ。

 壁に行って、入口を探して、それからもと来た道を進めばいい。


 宿の近くまで行ければ、きっと何とかなるはずだ。





「──危ないッ!!」

「え……?」



 よし、と前を向いた時、目の前の景色が変わっていた。

 目の前にいるのは激昂した馬。なぜそんなにいきり立っているかはこの際問題ではない。


 大きな馬車を引いたその馬二頭は、その膝ほどの背丈しかないクイーンを弾き飛ばした。







「──っぁ、いッ……!」



 気絶したのはほんの一瞬。

 直撃したわけではない。しかし、掠っただけでクイーンの体は大きく弾き飛ばされていた。


 ぐわんぐわんと、ゆがむ景色が徐々に元に戻っていく。


 馬車が横転している。

 馬は呻きながら地面に横たわり、痛々しい呻き声をあげていた。


 怪我をしている人間は他にもいるようで、あちこちでくぐもった悲鳴が聞こえてくる。



「あ……」



 そして最後にクイーンは、道の真ん中でぐったりと動かない黒猫を見つけた。



「待ってろ……!」



 まだ息はある。

 駆け寄って、それだけを確認するとクイーンは魔力を集中させた。



(内臓が破けてる……!)



 しかし、問題はない。たとえ心臓がなくなっていても治して見せる。

 そう気合を入れてさらに魔力を集中した時だ。


 がっ、と誰かがクイーンの体を持ち上げた。



「君! 治療魔法が使えるのか!」

「え?」

「猫なんかいい! 私の妻を治療してくれ、血が止まらないっ!!」



 そう言うと、恰幅のいいその男は小さいクイーンの体を問答無用で持ち上げて運び出した。

 あっという間に横たわった黒猫の姿が遠ざかる。


 そして、こぽりとその小さな口から血が吹き零れた。



「──っ離……!」

「頼む……! お腹に子供がいるんだ……っ!」

「嫌だ! そんな、だって……!」



 男に連れられて。

 黒猫を置き去りにして。

 馬車に挟まれた女性を見て。


 ゆっくりと地面に血溜まりを広げていく黒猫を眺めて、くしゃりとまた顔をゆがませた。





──その時だ。




「──”静謐三色ピーストリオン”」



 ごう、と風が吹いた。

 突然目の前に何かが現れる。


 少し大きめのローブを引きずって、頭からフードを被った誰か。

 優しく暖かい風がそれを中心に瞬く間に編まれていき、それを水が追って、その中に光が宿っていく。



「──透明の祝福(イノセントグレイス)



 その祝詞は、一見して何も起こさなかった。

 風が吹いたわけでもなく、癒しの雨が降ったわけでも、特別光り輝いたわけでもない。


 ただ、その場でクイーンだけが理解していた。

 瞬く間に、妊婦の傷をいやし、黒猫の内臓を修復し、馬の脚の骨も繋げなおし、割れた道路の舗装も、本人も気づいてもなかった頭の傷を、数秒のうちに修復した事を。


「……無事?」


 ”その少女は”。フードをとって、その空色の綺麗な髪を覗かせた。

 呆気にとられる民衆をよそに、、その背丈より大きい杖の先で、横転したままの馬車を叩いた。


 叩かれた馬車が、飛び起きるように立ち上がったのが、皮きりだった。




虹色(パレット)だ──ッ!!」




 一斉に、あたり一帯を包み込むほどの歓声が沸き起こった。

 口笛が鳴り響き、やじ馬たちが思い思いに賛辞の言葉を投げかける。



 そんな中、クイーンはそんなものを見ていなかった。

 歓声を上げる民衆も、泣き叫んで喜ぶ男も、そして青い髪の少女の僅かに憂いを含んだ表情も、見つける余裕はなかった。


 ふらりと立ち上がると、クイーンはその少女のローブを引っ掴む。



「え……」



 少女が戸惑うのも無理はない。

 両手で思い切りつかんだその恰好は、掴むというよりも体全体で抱きついている。



「──師匠!」

「……え?」



 そして困惑する少女をよそに、クイーンは目を輝かせながら何かを決意した。



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