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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
226/281

神話

明日ぐらいにもう一話更新します。




セカイは神が創りし、ヒトは神が作りし、血は、草は、大地は、宙は、風は、命は。

その尽くは、神の手で、神の血で、神の肉で、神の宝で、神の子だ。


汚すことなかれ。穢すことなかれ。


その血の一滴は神の涙と思いしれ。


その血を流す事は許されない。流すこともまた許されない。

その命を捨てる事は許されない。奪うこともまた許されない。


心得よ。心得よ。心に魂にその体にすらも刻み込め。


君は、神に愛されているのだと。



だから、忘れてはならぬ。

神は、君が血に濡れることを望まない。神は、君の悪意を認めない。


神の子である君は、神の子である君を傷つける権利を持っていない。

血も、肉も、骨も、髪の一片でさえも。


忘れるな。

刹那の後も、永劫の時の中でさえもそれだけは胸の内に。


神は君を愛している。

血にさえ濡れていなければ、君を殺さないほどには、ささやかに。


だから、与えるな。

理由を、与えるな。

歪みを、与えるな。


君の血によって神は狂い、愛は消え、神の乾いた双眸がそちらを向く。


その時、神は君を殺すだろう。


忘れるな。

刹那の後も、永劫の時の中でも、努々忘れるな。


惨劇を。

神を。


神とは君の隣人であり友であり家族であり主であり世界であり、敵だという事を。







「──という一節が、この様な一見不条理でしかない国家間条約を成り立たせたと言われております」


 コドラクの言葉にふむ、と考え深げにサヤは顎に手を当てた。


「しかし、信仰の形は一つではないでしょう。それに言っては何ですがあなた方が崇める神はあまり著名ではないはずです」

「ああ」


 言い方が悪かった、とコドラクは苦笑した。

 エルゼンを出発して三日の後、エースとクイーンが見つかって二日が経っていた。


「この一節は私共の聖書だけではなく、ほぼ全ての信仰の書に記されているのです」


 ふむ、とまたしばらくの間考えを巡らせた後、サヤは口を開いた。

 その人間のような仕草は、彼女が細かな鉄の部品で出来ていることを感じさせない。


「問題は"どのような国にも伝わっているから"、そのような取り決めができたのか、それとも──」

「その逆か、ですな。しかし、そのまことはもはや突き止めることも叶いませぬ」


 木製の御者台に二人並んで腰かけて、代わる代わるに馬を繰って道なき道を進んでいく。

 ほとんど獣道と化した街道はすでに抜け、今は腰ほどの高さまでの黄金色の草原を進んでいた。


「なにしろ既に1500年以上前の話になりますので、当時を詳細に描いた書物などはほとんど残っておりません」


 そう言って、勿体なさそうに肩をすくめてコドラクが苦笑したころ、がさりと進行方向にある草の根が揺れた。

 ぴょこんと見慣れた灰色の頭と気怠そうな顔が飛び出してくる。


 おーい、と馬車を止めてくれと言わんばかりに手を振っている。

 きらりと、サヤの瞳が光った。


「はぁッ!」

「どわぁ!?」


 サヤの手綱に従って突進した馬が灰色の頭を踏み潰さんばかりに荒れ狂う。

 何しろこの馬ただの馬ではなく、特別な国事にのみ用いられるといわれる駿馬である。

 その姿も体長は四メートル、高さだけでも二メートル以上はある。


 しかし賢く、大人しい馬だ。

 獲物を踏み潰し損ねたとしると、鼻を鳴らして立ち止まった。


「手前サヤぁ!! お、おま──」

「危ないではありませんか」

「え……?」

「急に馬車道に飛び出してくるなんて何を考えてるんですか」

「い、いやだって、二十メートルはあったし」

「謝ってください」

「い、いや。しかしだな……」

「謝らないのですか」

「……だ、だって」

「謝らないのですね」

「悪かったよ! 気を付けるから!」

「心配なんです……」

「申し訳ありませんでしたぁ!」


 ぱしゃり、と半分自棄で頭を深々と下ろしたハルユキの頭上で、そんな軽快な音がした。

 ハルユキが顔を上げると、デジカメ片手にうっとりと頬を染めるサヤがいた。


「ふふ、こうやって見ると馬に頭を下げてて、馬以下の家畜みたいで素敵です」

「やっぱりか手前この野郎!」

主様あるじさま。そんな所で馬に媚び売ってないで早く乗ってください」

「この野郎……! いつもいつもテキトーなボケばっかりかましやがって……!」

「失敬な、ツッコミも大丈夫ですとも。鈍器があれば」

「そのままのお前を愛してる」

「はい。私もです、主様」

「……何してるんですか、早く乗ってください」


 サヤとハルユキが言い争っていると、リィラが荷台のほうから顔を出してきてそう言った。

 差し出された手を握ってハルユキも荷台の中に乗り込む。


「全く、ただでさえ遅れているんですから。確りして下さい」

「はいはい。全部俺が悪いです」

「あ、リィラがやきもち焼いてる」

「エース、変なことを言わないでください。神様も。拗ねないで下さいよ」


 がやがやとまた騒がしくなりだした馬車内を横切って、ハルユキはロウの隣に座った。

 穏やかな喧騒の中、そこだけが穴が開いているように静かだった。


 何しろ、ひたすら穏やかに眠っているからだ。

 古龍を二、三体無力化して転がした事を伝えるつもりだったが、あまりによく眠っているのでとりあえず後でいいかとハルユキは思い直した。


 夕暮れ時。

 程よい旅疲れに任せて後頭部を壁に預けた時だった。


「村だ」

「村だっ!」


 我先にとばかりに、二人の声が重なった。座ったまま先を見つめるビィトと、身を乗り出しているクイーンだ。


「村だねぇ」


 当たり前のようにクイーンの上からエースも村を覗く。


「行くぞ、エース! ビィトも!」

「はいはい。仰せのままに」

「しょうがねぇな」


 サヤが馬車の速度を落としたと同時に、三人は馬車を飛び下りまだ遠くに見える村へと走って行った。

 慌てて、リィラもかしゃんと剣を揺らして立ち上がる。


「あ、神様」


 馬車を降りる寸前、リィラがこちらを振り返った。

 拗ねたように頬を膨らませて、何とも子供のようなその顔でリィラは口を開いた。


「……ホントに、ヤキモチとかじゃないですからね」

「何言ってんの、お前」

「いえ、別に……」


 ふい、とリィラは視線を逸らして、町のほうへと向き、そのまま走り去っていった。


「……なんだ、あいつ」

「愛されてるねぇ」

「はあ?」


 突如聞こえた声に振り向いてい見ると、ロウが眠たげに欠伸をしながら村へと走っていく子供らの背を目で追っていた。


「あれがか?」

「お前鈍いな。いいか、男ならな……」

「言っとくけど、あいつ男だからな」

「んんん……?」

「……建前上はな」

「……い、意味はよく分からんが、大変だなお前も」

「解ってくれるか……」


 二人は馬車に乗ってゆっくりと村に入ることを決めた。

 やれやれとハルユキは再び腰を据えると、一日の終わりの程よい疲れをため息に乗せて吐き出した。


「思ったよりも遠いな。着くのは三日後だってよ」

「メロディアか。あの”コンコルド”ってのを使えば、半日もかからないんだろ」

「……それ使うと、ばれちまうだろ」

「ばれる?」


 ハルユキはしばし迷った後、ポツリと言った。


「……あいつらに俺が生きてるとばれたら、やばい」

「は……?」

「まあ。今どこにいるかもわからないんだが」


 こいつにあの日がたった二年前と聞いた時は、それなりに気分が高揚した。

 しかし、すぐに思い出したのだ。最後の別れ際を。


「とりあえずはな。”神様”としていく訳だから、”これ”だ」


 懐から神のお面を出して、被って見せた。

 傍目からは目も口もないただ白いだけのお面だが、視界が遮られることはないし、呼吸しづらいと言うこともない。

 うちの兄の作った物は相変わらず常識外れだ。


「わざわざ手伝ってやるのか」

「仮にもエルゼンのトップになっちまったし。それに、別に大したことをする訳じゃない。ついでだよ」


 とりあえずは、”国食み"という脅威が去ったこと。

 これからは友好的な関係を築いていこう、と、まあつまりは挨拶回りになるわけだ。


 加えて、今メロディアでは世界会議イデアルとやらが行われていて、各国の要人達が集まっているのも都合が良い。


「俺が役に立つかはどうかは判らんが」

「充分だろ」


 やれやれと、ロウも重たげに腰を上げて徐々に大きくなり始めた村に目をやった。

 ハルユキもまた、木々の中に隠れるように存在するその村をぼんやりと眺める。



──そして、二人同時に目を見開いた。



「おい」

「……ああ」



 ハルユキの顔は驚きのまま、対してロウは悔しげに眉間にしわを寄せた。睨むように、”静かな村”を見据えている。



「血の、臭いだ」





   ◆




「……酷いですね」



 馬車を比較的安全な場所に止めて、村に一歩入ったサヤがそう言った。

 その言葉は村の状況を端的に表している。


 酷い。

 ハルユキにさえそう感じさせる光景だった。


 生きている人間はいなかった。

 いや、そもそもこの村がこの状態に陥ってから、既に数日が経過しているようだった。


 そこら中に転がされた死体には虫が集り、刺すような異臭が村の外まで立ち込めている。


 ハルユキはおもむろに木で出来た家の壁に触れると、壁に掛かってそのまま固まっていた黒い血の塊が崩れて落ちた。



 触れたその場所は扉だったようで、悲鳴のような音を上げてゆっくりと開いた。


 その先には机があって椅子があって、その先には台所があって、作りかけの料理が腐って、小蠅が湧いていて、何の音もしなかった。



「ロウ」

「ああ……」



 ふらりと、ロウが奥の部屋から出てきた。


「全員、死んでる」


 その手には、小さな服が握られていた。

 本当に、本当に小さな服。赤ん坊か、それともその誕生を見越して作ったものなのか。


「……同情も謝罪も、恨みを買うだろうな」


 ぽつりと、ロウは言った。

 感傷ではなく、本当にどうしたらいいの分からないと、その顔は何もかもを通り越して、ただ途方に暮れて苦笑している。


「いいから出とけ。事によっちゃ全部燃やすかもしれん」

「……ああ」


 ゆっくりと扉を閉めて、外に戻った。


 世界にありふれる惨劇の中で、少しだけ目の前の光景は違っている。

 それはあからさまに目に見えるものではない。

 ”鋭く大きな牙に引き千切られた亡骸”や、”踏み潰されたかのような家の屋根”、そして確かな知能によって”弄ばれた形跡”。


 何がこの質素でこじんまりとした村を襲ったのかは、言葉にせずとも明白だった。


「クイーン」

「生きてる人はいなかった。我にもどうしようもない」


 あてがった手袋を外しながら、クイーンは冷静に言った。

 しかし小さい体には堪えたのか、額には大粒の汗が浮かんでいる。ペットボトルに入ったスポーツ飲料を渡してやると、それを苦戦しながらもごくごくと飲んだ。


「お、おーい」


 エースが村の向こう側で手を振っている。

 一番近くにいたビィトが駆け寄って、その物珍しさに目を見開いた。


「龍だ……」


 ハルユキもまた、エースの背中からその開けた場所を覗き込んだ。

 あったのは、一匹の龍の死骸と、それに群がるように死んでいる人間たち。拙い武器や血で錆びた包丁なども転がっていた。


「戦ったんだね」

「ああ」


 凄惨な戦闘だったことが伺える。

 まともな死体など一つもなく、龍の死骸もまた鱗をはがれ腹を裂かれいる。


 その時、ざり、と遠慮がちに土を踏む音がした。



「……死んでるのか」



 振り返れば突っ立っているロウがいた。



「馬鹿が」



 もう一歩、ロウは足を前に踏み出してハルユキたちの前に進み出た。

 目を見開いたまま最期を迎えている龍の死骸の前で立ち止まり、ロウはゆっくりと足元にいる龍を見下ろした。



「……ここの人間は何も悪くない」



 ぽつりとロウが口を開いた。

 険しい目が無様に死体をさらす龍を強く見つめる。



「こいつらが勝手にやってきて、理不尽に殺し回って、挙句、勝手に死にやがった」



 そのどこか空虚な目が、ゆっくりと折り重なるようにして死んでいる人間達の死体に移った。

 次に、龍と人間の血が混じり合ってできた赤い水溜りに。

 そして、その端っこで忘れられたように死んでいる、小さな存在に視線を移す。



「本当に、どうしようもない……」



 羽も生えていない。牙も爪もなく、目も開いていない。

 無感動に短剣が突き立てられ死んでいるのは、引きずり出されて生まれる前に最期を迎えた龍の胎児。


 くしゃり、とロウの表情が崩れた。



「それでも、そんなこいつらを、埋めてやりたいと思うのは、許されるか……?」



 ロウは絞り出すような声でそう言った。

 振り返って、膝をつき、ゆっくりと深く頭を下げた。


「頼む……」


 それを、ハルユキは鼻で笑った。


「何言ってんだ、お前」


 そして、返ってきたハルユキの言葉にロウは驚いて振り返った。


「このクソ暑い中、お前だけ働かねぇなんて許されるわけねぇだろ。なあ」

「ああ、本当に」

「甘えてるよねえ」


 手の中にシャベルを作り出して、それをロウに押し付ける。


「それが終わったら、あっちの人間たちもやるんだから。急げよ」


 手渡されたスコップを見て、やれやれと首を振って去っていくハルユキを見て、もう一度スコップを見て。

 ロウは呆れたように小さく笑った。





     ◆




「それにしても、慣れてるんだな。あいつ等」

「ええ、確かに」


 結局、村の死体を処理し終えた頃には日が完全に沈んでいた。

 村から少し離れた平地に建てた野営地のそば。

 そこに焚かれた火の傍で、ポツリとロウが言った。


 死者を送り出すように、静かに晩酌を行っているのは、ロウと、サヤと、コドラクの三人だ。

 

「何しろ、我らの国ではそういう毎日が横行し、蔓延っていましたので」


 あいつら、というのは野営地の川の近くで騒いでいるハルユキを除いた四人の事だろう。

 四人、特にまだ生まれて五年にも満たないクイーンがあれだけ手際よく死体の処理をしたのは、冷静に考えれば常軌を逸している。


「見ろ! ちょっと、ちょっと黄ばんでるぞ! 魔力だろこれ!」

「黄ばんでるって、言ってて悲しくなりませんか、ハルユキさん」


 というより、あんな村を見た後でこんなに騒げるこいつらは頭がおかしいんじゃないだろうか。

 はあ、とロウはため息をつく。


「しかし魔法ってのは良いよな」

「うるせえ! お前に何がわかるんだこの野郎!」

「俺に当たんじゃねぇ!」

「ねぇ、いいから組手しようよ師匠」


 横合いから面倒そうな顔でそう言葉を投げかけた金髪の青年──エースに、ロウは訝しげな顔を向けた。


「師匠? 師匠なんてやってるのか。お前」


 ロウの言葉に、当然のように酒をあおっていた長身の茶髪男が言葉を割り込ませる。


「碌に何かを教えられた覚えはないが、まあ。師匠だな」

「戦い方も、直接教わってるわけじゃないしね」

「エース、なにしてる。眠い……」

「ごめんね。今日はちょっと鍛錬するから。先に寝てていいよ、クイーン」

「……ん、わかった」


 龍との緊張状態のことがあるにしても、地道な鍛錬とは頭が下がる。


「リィラ、サヤ、もうねよう……」

「すみません。今日は僕も鍛錬を」

「え……」


 言って、服の裾をつかんでいたクイーンの手を優しく解くと、隻腕の剣士はカシャンと剣を鳴らして立ち上がった。


「サヤさん。お相手を願えますか?」

「不肖のこの身でよければ、喜んで」

「あんた達も師弟なのか?」

「はい。僕の剣は良くも悪くも我流が過ぎてて。サヤさんは教え方は丁寧だし、美人なので」

「私も魔法というものに触れることができる良い機会になっています」

「へえ」


 軽く一礼して去っていく紅二点の二人の背中を見て、ロウは目を細めた。

 あの二人。

 化物ハルユキの陰に隠れてしまっているが、常軌を逸するほどの実力者だ。

 片方は単純な人の体ではないようだが、それでもあの小さな体に集約され研磨された力を考えると、身が震える思いすらした。


「さて、ロウ殿」


 そんな時だ。

 その年季が入った声と、ロウとの間に何かを置いた気配に、ロウは振り返った。

 置かれたそれは、磁石式の将棋盤。少し顔を上げれば酸いも甘いも吸い続けた老兵の顔があった。


「一生の意義とは、いかに有意義な暇を過ごすかだと考えますが、如何か」

「いいね、流石は年の功だ。コドラクさん」

「この盤遊戯には心得があります。故に勝った方が師ということで」

「ほう。百世を生きる霊龍に挑むか」

「僭越ながら」

 

 年寄り臭い冗談を飛ばしあいながら盤上に駒を並べる。

 その盤上に影が差したのは、ロウが初手78金を打ち、コドラクを唸らせた時だった。


「軟弱ものどもめ……」


 その本当に小さな影は盤の横に座って、恨めし気にそう言った。


「眠らないのか?」

「まだ、ねむく、ない……」


 クイーンは半眼でそう言うが、後ろで背の高い草が風で揺れるたびに肩を跳ねさせているところを見ると、真意は知れている。


「教えてやろうか、チビすけ」

「……じじ臭いから、や」

「この野郎……」


 見せていた駒をそのまま盤上に置く。88飛。


「遊び半分でついてくるからだよ」

「わたし……われにだけ、ししょーがいないせいだ」

「なんだそりゃ」


 ぱちん、ぱちん、と駒を指す音だけが続く。がさがさと草を分ける音が、静寂を破った。


「なんだ、早かったな」

「いつもよりは手こずったよ」


 やれやれとハルユキは腰を下ろすと、すかさず隣に座っていたクイーンがその服の裾を握った。


「クイーン、ほら。もう寝ろよ」

「……や」


 ハルユキが肩を揺すってそう言うが、クイーンは頑なに首を横に振った。


「その娘、本当に連れてきて良かったのか」

「良いんじゃないか。才能も夢もあるやつだ」


 その声は、舟を漕ぎ始めたクイーンには届いていない。


「そういうことじゃない。平和な旅にはならないぞ」

「お前があいつ等の居所知ってりゃ、その日の内に終わったんだ馬鹿野郎」

「その日の内って。本当なのかお前……」


 ロウから、今の戦争の話は全て聞いていた。

 "全て"だ。何が起こったのかも、誰が裏にいてこの事態を引き起こしたのかも。


 ロウはおそらく自分では戦うこともできない、と言っていた。

 なので追っていたと言うよりは、逃げていたのだという。よって憶測を踏まえての話となったが、一言で言えば簡単だ。


――龍の"長老"が殺されて"ゾディアック"がそれに成り代わった。


 オフィウクス、レオを中心とした少数組織。


 その名を口にするだけで思い浮かぶものがある。何だかんだと因縁は深い。


 ドンバの村でその名を聞き、桜の森でまた関わり、オウズガル・ビッグフットでは実際に戦うことになった。

 因縁もここに極まれりというわけだ。


「……油断していた。"あれ"が一物抱えていると判っていたならば、引き裂いてやったものを」

「今言ってもしょうがないだろ。落ち着けよ」


 静かに瞳孔を開かせるロウに、呆れた口調でハルユキは言った。


 ロウの目的は、”ゾディアック”の排除と龍と人間との緊張状態の緩和だ。

 戦いを仕掛けた側──つまり龍の身であるロウだけでそれは難しい。どうしても人間と一緒に架け橋になる必要があるのだ。


「とは言っても、それほど大した事は出来ないぞ」


 いくら二年前の顔見知りだとはいっても、すべてをなげうつほどの信頼があるわけではない。

 戦争を止める。

 それを可能にするにも、やはり各所への信用が必要不可欠。


 つまりほとんど新興国であるエルゼンでは、黒幕が別にいると言ったところで一笑に付されるのが落ち。

 ロウの存在を前面に押し出すのもいいが、タイミング的にも龍に取り込まれた傀儡の国だと思われる可能性があまりにも高い。


 実際には、あまり力になれることはないのだ。


「……信用してくれた事に感謝している。だからそこまでの事は望んでいないさ。メロディアまで送ってくれれば、それでいい」


 そう言ってロウは笑ったが、その笑みの中にある疲れは隠しきれていない。

 この二年間で蓄積されたのであろうそれを、ハルユキは見なかったことにした。


「俺はな、借りがあるからいいんだよ」

「借り?」

「二年前にうちの穀潰しが世話になっただろ。感謝するなら、こっちだ」


 ハルユキはそう言った後、遂にハルユキの膝の上で寝息を立て始めたクイーンの頭を軽く叩いた。

 もぞもぞとそれを嫌ってクイーンは身をよじらせる。


「──いえ、彼らはそう甘くはありませんよ」


 炎の向こうから声がした。声の主であるコドラクは、穏やかに微笑んでいる。


「一重に、貴方の友人ならばと、それだけなのです。理解してあげてください、ハルユキ殿」

「……だから、俺は何もしてないだろ」


 それでもお構いなしに微笑むコドラクに小さく舌打ちすると、ハルユキは視線を落とした。

 そして、でろりと膝の上に広がったクイーンのヨダレを見て、無言で脳天に拳骨をかました。


「――いだぁ!? な、何を……!」

「なにをじゃねえ! お前、見ろこ――」

「人のあたまをなぐっちゃだめなんだぞ! 謝りなさい!」

「な、なんかお前口調変……」

「いいから! 私に謝って!」

「……悪かったよもういいよ俺が悪いんでしょ、はいはいはいはい」

「はいは1回でしょ!」

「はーい……」


 寝起きだからかこれでもかと怒りまくるクイーンを肩に担いでハルユキは腰を上げた。


「一緒に寝てやるから、ほら、もう寝るぞ」

「お前なんてねがい下げだ、馬鹿もの! 離せ! 馬鹿! 禿げ!」


 クイーンに耳元で怒鳴られて額に青筋を浮かべながら、ハルユキは口を開いた。


「明日には着くんだろ? もう寝る……」

「ああ、おやすみ」


 大きなあくびを一つ。

 ハルユキはクイーンを抱えたまま毛布を床一杯に敷き詰めた馬車の幌の中に潜り込んだ。





   ◆




「……村じゃの」

「……? ああ、本当。よく見えたわね」

「夜目は利くのでな。一旦止めてくれ」


 その豪奢な作りの馬車はゆっくりと減速して停車した。


「どうする。避けるか」


 腰ほどの長さの草が生い茂る草原の真ん中で、立ち往生をしてまでそれはそんな事を言った。

 馬車を止めた御者がその顔を不思議そうに見上げる。


「村があるのならば、寄った方が。立て続けの野宿は姫様のお体に触ります」

「あら。寝る前の景色としてなら、私の部屋の天井よりも好きだけれど」

「し、しかし……」

「ふふ、冗談よ。でもね、ほら"夜目がないと見えない"のよ。"村が"。"この時間帯に"」

「あ……」

「夥しい量の血と死肉の臭いが充満しておるの。まだ新しいな、感じ取れぬ人の体が羨ましい」


 皮肉げに笑う黒髪の女の傍らにいる女の一人が、じっと闇夜の向こうを見つめていた。


「不思議ね。全員供養されているみたい」

「暇な者もおるんじゃの」


 夜のけんぞくと謳われるくせに眠気を受け入れ始めた女には見えていないものが、その女には見えている。

 煌めく黄昏色が、村の回りを踊っている。

 そして、その中には竜の物だったものさえ混じっているのだ。

 す、と女の視線が地面に落ちる。


「……轍がある」


 それも、まだ新しい。

 恐らく、あの供養を行った者達だろう。


「ふむ……」


 全く別の視点からだろうが傍らの黒髪もその異質さを感じ取ったらしく眠たげだった目が鋭くほそまる。


「ミスラ、村に行くわ」

「は。畏まりました」


 竜も人も一緒だと供養を行い。

 通りすがりの村を気遣い。

 そして、つい最近竜が襲撃した場所で、暢気にそんな事をできた何かがいる。


「速度をあげなさい。花を供えた後に呑気な誰かを追うわ」


 女は身軽な立場ではない。

 普段ならこんなことを嗅ぎ付けても動きはしない。

 しかし今夜は違う。

 何だろうか。焦りにもにた何かが背中をせっつくのだ。


「楽しくなりそう。ねぇ、レイ」

「儂はなぜか、不快な気分じゃがのぅ」


 馬車は速度をあげた。

 たなびくその女の髪は、燃えるような赤色をしている。


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