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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第三部
224/281

七三〇日

すみません、遅れました。

もう1話更新します。




「ラーヴェル殿! フェン・ラーヴェル隊長殿!」


 ばたばたと背後から走り寄ってくる気配にフェンは気付いた。

 広く長い廊下の真ん中で立ち止まり背後を向くと、どうやら自分の部下の一人であるらしい男だった。


 フェンより年上でフェンより背が高い。

 そんな人間が敬称を使って自分を呼ぶ事に、何となく気疲れを感じる。こちらが敬語を使う事も咎められるのだから、やはりどうしても。


 遠くから近づいてくる男を待たなくてはならなくなったので、左手の大きく開いた窓から空を眺めてみた。

 早朝の空に広がっているのは曇天。最近空を見ている時は、いつも曇っている気がする。


「……なに?」

「いえ! 願わくは私もスノウ殿下にお目通りを願えればと!」


 名前が出てこない。顔にも見覚えがない。

 なぜかと思えば、そうだ。ついこの間近衛兵に新しく入ってきた男だからだ。


「別に構わないと、思う」


 その熱の入り方からすると、願わくばもっと上の役職に就きたいと願っているのだろう。

 隠そうともしないのはその熱意を誇りに思っているのか。


 フェンは小さく言うと、またゆっくりと歩き出した。


 オウズガルの城より更に二回りは大きな、要塞のような城。

 あまり方向感覚、と言うより運動神経を使う作業全般が苦手なフェンも最初は苦労したが、もう慣れてしまった。


「お会いできて光栄です! 私はラーヴェル殿の下で帝国への忠義を示したく――!」


 そう言って歩きながら男は自己紹介を始めた。

 直接会うのは初めてだったらしい。おべんちゃらをこれでもかと言うほどに男は並び立てる。

 それらはある程度は本音も混じっているようで、別に悪い気はしない。


 しかし、やはり年上の男にこんな気を遣わせる事に対する気疲れの方が大きく、聞いていたくはなかった。


「ここ、ですか……」


 男の声ににわかに緊張が混じった。


 広い廊下の隅。2年前までは応接室として使われていたらしい部屋の前。


「そう」


 フェンですら一瞬だけ躊躇して、水に顔をつける前のように僅かばかりの覚悟を決めた。


 ノックを二回。

 いつもの通り、寸暇もなく声が聞こえる。

 扉を開き一歩入って、同じようにいつも通りに、フェンも口を動かした。


「フェン・ラーヴェル。到着しました」


 隣で、息を呑む声がした。

 確認するまでもなく、ひっついてきた男の声だろう。半ば予想していた事でもあった。

 何しろ、フェンでさえ一瞬思考が飛んでしまうほど、彼女は美しく成長した。


 再び伸びた金の髪は、差し込む優しい朝日に燦めいて。

 朱い眼は静かに伏せられて、陰があって。


 その佇まいは、厳粛で、清廉で、神聖でさえあって。

 でも、遠い遠い距離は色をくすませて、その姿を灰色に。


「ああ、早かったな」


 声を、ぞわりと背筋を凍らせるほど、凍てつかせる。


「はい」

「"世界会議イデアル"の間、私が街の警護から外れるという予定だったが、その話は無くなった」

「はい」

「君は引き続き、近衛隊と共に領内で一般人の警護に当たれ。ジェミニもそう伝えろ」


 廊下で歩いている間に想像できた内容だった。だから、一週間ぶりの会話は淡々と進んで淡々と終わる。


 互いに一瞬の沈黙を用意して、自らの用がもう既に無いことを示して、本当にそれで終わりだった。


 ふと、横の新人の顔が目端に写った。

 あれだけ粗野な話し方も、野心に満ちた表情も全てが強張って、先程までとは違う意味合いで固まっている。


 目の前にいるのは"鬼の忌み子"。噂もいやと言うほど聞いただろう。

 フェンは慣れているからそういう方向での感慨は抱かないが、その絡まった針金のような表情から心情は理解できた。


「し、失礼します!」


 だから、それでも声を出せたのは実際大したものだ。


「……君は?」


 それでもやっぱり、その緋色の目に見つめられただけでびくりと体を震わせてしまったが。

 

「私は今日よりスノウ皇女殿下の近衛一兵となりました――」

「ああ、聞いている」


 淀みなく動いていた書類を整理していた手も止めて、"スノウ様"はそれを聞いていた。

 やがて、手を止めさせていたことに気付いた男が少し頬を赤くしてやや上擦っていた言葉を切り上げた。


「よろしく頼むよ。君の他に、もう一人街の人間から近衛兵に加わる事になっている」

「は、はい! 皇妃陛下から授かったこの剣で一頭でも多くの龍を――」

「勘違いするな。貴兄の仕事は剣を抜かない事だ。期待しているよ」

「は……?」

「さて、悪いが以上で話は終わりだ。持ち場に戻ってくれ」


 突如言い放たれた言葉に男はしばらく呆けていたが、次第に言葉の意味に気が付いて先程とは違う意味で顔を真っ赤に染めていった。

 それでも歯を食いしばって反論を飲み込んだのは野心からか常識からか。


「……失礼します」


 一礼して部屋の出口を目指しだした男に、フェンも"スノウ様"に一礼して追っていった。

 男が扉を開けて、出口で待っている。


「フェン・ラーヴェル」


 男を追い越して、先に部屋から出ようとした時、もう一度フェンの名前を呼ぶ声がした。


「君たちの仕事を、不運なその彼によく教えてやってくれ。領分は侵さぬよう、決してな」


 開かれた扉の向こうで小さく息をのむ声が聞こえた。

 これもまた有名な話。"鬼の忌み子"を形作る奇行の一つと噂されている。知っていても、それでもなお驚いてしまう気持ちも理解できなくはない。


「ユキネ」


 だから、やっぱりフェンには慣れた物で、いつものように言葉を返した。


「それは、命令?」


 そのあまりに分かりやすい意味はユキネにも分かっている。

 でもそれでも。

 ユキネは笑って、こちらと距離を置く。


「ああ。そうだ、命令」


 かたん、と羽ペンを置いた音がした。

 ゆっくりとその顔がこちらを向き、一切目を逸らしもせずに真っ直ぐとその緋色の目が見つめている。


「命令だよ、フェン・ラーヴェル」

「そう」


 それを聞いてから、フェンはユキネから目を離しゆっくりと部屋の外に出た。

 追って部屋から出てきた男が何かを押し殺した顔で、後ろ手に扉を閉める。


 男の体と扉の隙間からもう一度あちらを覗くと、ユキネの視線は机の上の書類に戻っていた。







「――なんだあのこむす、……あの人は!」


 十分に部屋から離れて、周りに誰も居ない廊下で男は声を荒げた。

 フェンとしてはまあ予想できた事だったので、なんとなくそちらに目線を向けてみる。


 それを待ち構えていたように、男はこちらを睨むように見つめた。


「"敵を殺すな"。本当に、そう言っているのですか。あの人は――」

「そう。彼女は命を奪う事を良しとしないから。例え、戦争でも」

「馬鹿な、イカレて――……!」


 真っ赤な顔でそこまで言いかけて、男ははっと口をつぐんだ。


「……失礼。取り乱しました」


 小さく咳払いをして表情を平静に戻そうとするが、険しく歪んだ眉間はそのまま。

 荒れ狂う心の内が透けて見えた。


 しかしこの後、宿舎に案内する。

 宿舎という名では少し足りないほど豪華な部屋だが、そこでその眉間の皺も取れるだろう。


 今回の事を同僚に話し、おそらく至る所に溜まっているだろう不満を共有すればいやでも。


「しかしそうだとするのならば、あの言葉は事実、上に立つ人間としての覚悟が欠如しているように思います」

「……そう、だね」

「それに、旧知の友であるラーヴェル殿にさえあの――」


 フェンはふと、驚きの視線を男に向けた。

 下から見上げてくるその視線に気付いたのか、男はまた気まずそうに咳を払う。


「いえ、あの、先達の方々に予め話を聞く機会がありまして、そこで……」

「……そう」

「……皇女殿下の事は"理想を押し付ける子供"だと、そう言われておりました」


 フェンはまた驚く。

 その発言は下手をすれば首が飛ぶ。まあ下っ端の陰口一つを言及する事はおそらく無いだろうが、それでも不用意に言える言葉ではない。


「貴方たちは……」


 そして、男もそれは分かっているようだ。

 と言う事は、まあつまる所"不満の共有"をある程度の地位があるフェンとやろうと試みているのだろう。

 その顔を見て、荒げようとした言葉をフェンは飲み込んだ。


「……貴方達が」


 言おうとした言葉は責める言葉ではない。

 ただそれは、どうしても中途半端な言葉にとどまり、意味が良く伝わらない。


「? それは……」


 そして、男の顔が困惑の色を見せた時だ。



「フェンちゃーん」



 張り詰めた城の空気には似合わない陽気な声が廊下の奥から聞こえて、男の声を遮った。

 顔を向けてみれば、見慣れた茶髪を揺らして男が軽薄そうな格好で走り寄ってきた。


 後ろのポケットに手を突っ込んだ格式などどこにもない格好のその人物に、隣にいた男は表情を強張らせる。


「ジェミニ、おはよう」

「おはよ-」

「こ、これはジェミニ殿。お初お目に掛かります。私は――」

「ああ、新しく入った人やったっけ。聞いとるよー。あんまり気張りすぎて怪我せんようにね」


 そう言って笑うジェミニは2年前とまるで変わらない。いや、変わらないでいてくれているのか。


「フェンさん。おはようございます」

「シア。おはよう」


 近づいてきたジェミニの背後からぴょこんと蒼い髪の女が顔を出した。

 背が結構伸びていて、ほとんど依然と変わらないジェミニのとなりに立つと余計二年という月日を感じさせる。


「ええの新入り君。はよ行かな、新入りは飯取られるで」

「は、え? あ、ご忠告ありがとうございます!」

「食堂の場所は?」

「大丈夫です。では失礼します!」


 そう言って男は嬉しそうに敬礼して去っていった。

 それを見届けた後で、フェンはようやく肩から力を抜いた。


「大丈夫? ごめんね、わいも行こうと思ってたんやけど」

「……・大丈夫」

「フェンさん。朝食は?」

「いらない」

「そんな、駄目ですよ。少しですが用意してあるので、ご一緒しませんか?」


 シアは給仕の服を身につけている。

 つまりそういう事で、今は城のメイドとして働いている。

 その器用さと器量と人当たりの良さで、フェン達の中では一番うまく人間関係を作っているようだ。


「わいも! わいも行くで! むさ苦しい食堂が嫌なわけやないで! 女の子に囲まれていたいだけやで!」

「……うん。ありがとう」


 フェンはそう言って、シアとジェミニの手をそれぞれ握った。強く、少し震えるほどに。


「……フェンちゃん」

「ごめん」


 フェンの様子にシアはただ同じくらいの強さで手を握り返した。

 ジェミニもまた、もう片方の手でフェンの肩に優しく手を置く。


「……よかったら、あーんて食べさせてくれてもええんやでごめんなさいもう言いませんごめん! ごめんって!」


 静かに魔力を集中させたフェンから後ずさると、ジェミニはそのまま二人の手を引いた。

 それを少し逡巡して、ふんすとフェンは自ら手を離した。


「……ジェミニに近づくと、危ない。知り合いだと思われる」

「あれ? 一番付き合い長いはずなんやけどな? あれ?」


 シアの手だけを引っ張って早足でフェンは進んでいく。


「待って、待ってって」

「今、ジェミニと他人の振りをするのに忙しい」

「……本人以外に言って欲しいなあ」

「……なにか、あるの?」

「別に悪い事やないよ?」


 しかし身長の高さからか、ジェミニは平然とそれに付いてきた。

 ジェミニが空気を明るくしようと思って言っているのは分かっていたので、その場で止まってジェミニの言葉を待った。


「レイちゃんがね、帰ってくるんやって。なぜかノインちゃん達と一緒に」


 弾かれるように、フェンが顔を上げた。

 しかしそれも一瞬だけ。その顔に気まずそうに笑みを返したジェミニを見て、続く言葉は想像できてしまった。


「期待させてもなんやから言うけど、今回も見つからなかったって」

「……そう」


 短くフェンは言葉を返した。

 それは振り絞ってようやくこぼれ落ちたかのような言葉で、その表情もまた誰にも見せないようにあちらを向いて、また早足になってしまったので見えはしない。


 ボリボリと頭を掻いて、ジェミニは小さく舌打ちをして大窓から地平線の果てを眺めた。


「なにやってんのかね、あのアホウは」


 あれから二年が経った。

 フェンは少しだけ髪を伸ばし大人っぽくなったし、ユキネは雰囲気から大人びた。

 シアも背が伸び、ジェミニも確かに変わっている。

 余りにも色んな事があった二年は、様々な物を変えたのだ。果たして、それは彼にどう写るのだろうか。


「……っ」


 そして、ジェミニは気付いた。一瞬後に町中から鳴り響く警報よりもはやく。

 地平の果てを眺めてみれば、得体の知れない力が陽炎のように大気を曲げている。



『で、伝令! 敵襲――!』



 場内に響く上擦った声が事の異様さを暗に語っている。

 そして同時に、先程までフェンが居た部屋から既に人の気配が消えている事に、ジェミニは気付いて目を伏せた。





    ◆





「っっっんだ糞ババア! これで銀貨一枚だと、てめえ、この野郎!」

「おやまあ、こんな美女捕まえて野郎とは何ともしがたいセンスだぁね。だはは」

「よしテメエこっち来い! 役所まで一緒に行くぞ!」

「やれやれ、アンタも年貢の納め時かい。寂しくなるね」

「そりゃ手前だババアぁあ!!!」


 ふーふーと鼻息荒く女は激高するが、対する食堂の女主人はどこ吹く風。

 怒りは相変わらず収まらないが、女主人の表情に自惚れではなく確固たる自信を見つけて、ぬぅ、と女は内心唸る。


 駄目だ。そもそも銀貨一枚の為に役所に駆け込むほど大人は暇ではない。

 それを見込んだ手口だ。おぞましい。社会の腐敗は進んでいる。


「ち、もう二度と来ないからね……」

「今度来たら、半額にしてやるよ」

「……ホントだろね」

「ああ」

「なら、また来る」


 それならばと、女は店の引き戸を引いて街の大通りに足を踏み出す事にする。

 するとその瞬間、異様なほどの熱気が女の頬を押し返した。


「う……」


 思わず声が出るほどに人の密度が高い。

 ここは"世界の中心"だ。もともと馬鹿みたいに人はいたが、それでも大きすぎてあまりある街の面積のお陰でここまでごった返すことは無かった。

 しかし、今は別。龍の襲来によって、辺りの人間全てが城壁があるこの街に集められた。


 ごった返すのは当然。夏に入り始めのこの季節。蒸し暑くなるのもまた当然。


「お」


 そんな町中を顔を顰めて見回してみれば、何やら飲み物を売っている露店を見つけた。

 女主人に騙されはしたが、財布の未来は良好だ。

 広いレンガの道を横切って、それを購入する事にする。


 流石は世界の中心。

 露店であるにもかかわらず、当たり前のようにちょっとしたパラソルといくつかテーブルが用意されていて、既に何人かがくつろいでいる。


 整然と並んだ町並みにポツンと浮いたその場所は、アクセントが利いていて中々に良い雰囲気。

 頼んだ冷茶を注いでもらっている間に、女はカウンターに肘を付き何となく辺りを見渡した。


「それにしても、落ち着きがない……」

「なんだ、知らないのか。一週間後に"世界会議イデアル"だぜ」


 唐突に聞こえた声に振り向いてみると、太鼓腹を揺らした男店主が注文した冷茶を差し出してこちらを見ていた。

 そのニヒルな笑みが小憎たらしい。


「イデアル……?」

「は? 名前すら知らないとか嘘だろ?」

「い、いやいや知ってる。昔好きで暗くなるまで、ね、うん」

「……ああ、そう」

「あ、いや、思い出した。イデアルね」


 思い出した。

 と言うより、この世界の人間ならば大抵は知っているだろうし、この街の人間ならば間違いなく知っている。男はこの一年ほど就職活動に忙しかった為、しばらく何のことか思い出せなかった。


「……ほら、ちょっと最近転職手続きで忙しくて」

「転職? まあ、大変だね。気楽で良いぜ、こういう仕事も」

「考えとく」


 正式名称は確か"国家間相互扶助議会"。

 こっちはこの間の筆記に出てきたから間違いないだろう。


 いつもは各国が交流を深めつつ、様々な交渉の場として用いられるものだが、昨今はほとんどが龍の対策でその機会が使われているらしい。


「"四雄"はもちろん、"龍谷人"や"薬師"。今年は揃い踏みだ」

「ああ"戦猛"ヴァスデロス・ロイ・サウバチェスが一番乗りだ。凄かったぜ、二メートル越えてるような連中の中で更に頭三つ分飛び出すほどでけえんだ。何つっても威圧感つうか匂いっつうかな」

「匂い?」

「ああ。生臭い訳じゃないが、こういうのを血の臭いって言うんだって思ったよ」

「へえ、頼もしいね」


 なるほど、つまり歴戦の猛者が集まる今のこの街は世界中でもっとも安全な場所な訳だ。

 しかし敵にしてみれば、大きな好機でもある。物見遊山な連中は気付いていないようだが。


 今この瞬間も人が死に、国が滅んでいる。

 それを知っているにも関わらず、これほど平和呆けしてしまっているのは、今まで戦争がなかった時代を過ごしたからなのか、それとも――。


『――"鬼姫"に我ら人間の声を!!!』

「ん……?」


 やたらと話し好きな店主にお茶を飲み終えるまでは付き合おうと思っていると、突如そんな声が町中に反響した。


『我等は同じ人間、同士である! 同じ家族を持ち、また、同じ敵を持っている! なのに何故! それを裏切るようなことをするのか! どうか今一度己の行動を省みて欲しい!』


 女の顔に困惑の色が広がる。いまいち主張の内容が要領を得ないからだ。

 答えを求めて隣の店主の顔を見ると、ニヤニヤと何やら気色の悪い笑みを浮かべていた。


「まあ、俺は人が集まるから好都合なんだけどな」

「何を言ってる、あいつら?」

「地下に囲ってる龍を殺せってよ。噂止まりだろうに」

「……でも、ま、龍の死体を見たって奴がいないのは、おかしい話。龍の死骸が欲しいって輩は結構いるし。実際はそんなもんろくに役に立たないけど」


 そこまで言った所で、女は自分が口を滑らせたことに気が付いた。


『罪には罰があるだろう! 夜、安心して家族と眠れる家が欲しいだけなんだ! それを奪った奴等が許せないだけなんだ! それを愚かと笑うのか!』


 演説に耳を傾けている振りをしてちらりと横の店主の顔を盗み見ると、勘の良いことに驚いた顔をしている。


「詳しいな。なんだ、元の職業ってやばい系か」

「いやいや、これは個人的興味で調べただけ。元の職は警官」

「警官? 保安局かよ!」

「転職じみた異動食らったけどね。ま、しっぽ振る相手が変わっただけ」


 そう言って話を切り上げると、女は半分ほど残った冷茶を喉の奥に流し込んだ。

 店主は余計に踏み込みすぎたかと、表情に影を落とし謝ろうとするが、笑って手を振りをそれを制す。


『どうか我等に、平穏を返してくれ――!』


 少し目を離した隙に、一層演説も盛り上がり、多少なりとも共感した群衆が周りに集いだしていた。


「……確かに、俺達を殺そうとしてる龍がこの街の下にいるってんなら、怖いよな」


 それを見ながら店主がぽつりと零した言葉に、誰も返せる言葉は持っていないだろう。

 その危険を自ら抱え込んでいるのならば、どんな理由があろうとも糾弾は免れない。


「まあ、仮にそんな事をしてるのなら、じきに限界が来るよ」

「だな」


 二年でこの国に来襲した龍は古龍だけでも大小数えて三百は下らない。

 一匹で一つの街を落とせる高エネルギー生命体だ。

 そいつ等をもし生かして捕らえるというのならば、それだけでとんでもない量の資金がいるだろう。


「いや、もしかしたら――」


 "もう限界は来ているのかもしれない"。


 そう続けるはずだった女の言葉は遮られる。

──それは、町中の安寧を根こそぎ塗りつぶす、甲高い警戒音。



『て、敵襲──!!』



 その音、その声に一瞬町は音を忘れた。

 そして、音一つないその世界の中で、僅かな違和感だけが浮き彫りになる。


 それは、かすかに連続する重い音。

 それは、小刻みに、しかし確かに揺れる地面。

 そしてそれは、広い広い街の一番外の家の、高い壁の、広がった平原の、更に外から。



『龍の襲撃! その数"二百"以上! 住民は誘導に従って至急避難行動に――!』


 

 絶望的な数字が阿呆のように繰り返されるが、それが耳に入ってきた人間は少ない。

 龍の襲撃に慣れてしまっている民衆の為、パニックを避けるよりも危機感を持たせることを優先したのだろう。


 その効果は覿面で、町中から金切り声じみた悲鳴が上がった。



「やべぇ……! 何だよ二百って――!!」



 人の波が一斉に街の中心へ雪崩れ込んでいく。

 店の主人も、それに引き摺られるように売上金だけを抱えて駆けだした。


――そんな中、女だけが。



「……もう、限界か」



 この事態にも全く動じていないように見える城を一瞥して。

 目を、細めた。



    

     ◆


     



「う、うーん、こいつはやべぇ……」


 "塩の王"ミコト・サイザキはもう一度後方を確認して呟いた。


「もうちっと戦えるの連れてくればよかったなぁ……」

「死にたいんだろ、丁度いいだろうが」

「バカか、痛いのはやなんだよ」


 "定期馬車"。

 今は町と町を連絡する道にも頻繁に龍が襲撃をしてくる。

 よって、時間を決め十分な兵士を連絡する二つの町で用意し、移動したい人間たちが固まって移動するわけだ。


 戦力を持たずにきたので、ミコトとヒルは身分を隠している。

 馬車ですらない。ただフードを目深に被って馬に乗っているだけ。それも、並んでいるのは一番後ろだ。


「少し、間にあわねぇかなぁ」

「そのようだな」


 急ぎすぎているせいか、馬は大きく体を揺らし、その口端からだらだらと涎を垂れ流す。



 このペースでは街まで保たないが、二人が見ているのは城門ではない。

 "デッドラインはもっと手前"。

 ならば必要なのは、"背後から迫ってくる龍の大軍"を撃破する事ではなく、また町に入らないように足止めする事でもない。


 愚かな蛇どもを鬼に捧げるべく、死地へ誘ってやる事だ。しかし、それすらも龍を相手にしては難しい。


「……足が速いな。あの数あの図体で。やはり野盗相手とは比べることもできん」

「勝てる訳ねぇってんだよな」


 二人の言い分も当然、敵の姿は巨大で圧倒的だ。

 あまりに多すぎる足に踏まれて立ち込めた砂塵は、いくらかその威容を薄めてくれているのか。それとも見えないからこその恐怖を与えているのか。


 踏み鳴らされる足音は重なり、地響きに。

 迫ってくるその姿は、まるで大小様々な山が見渡す限りの地平に広がって押し寄せてくるよう。

 例えるならばそう、津波や土石流に追い立てられている時の心境に似ている。


「あー、死んだかなこれ、うへへ……」

「だから、俺一人でいいと言っただろうが」


 二人が拠点としている場所に未だ龍の襲撃があった事はない。

 よって、二人が龍と敵対し向かい合うのは初めての事。


 そしてだからこそ、二人の目に一切の恐怖が宿っていない事も、静かに静かに敵を観察している事も。

 また、馬車群を先に行かせて、二人だけ殿に残った事も正気の沙汰ではない。


「……数は、二百ちょっとか。冗談だろ」

「体の大きさからすると、全員2000年級以上。数からするとあれで"雑兵"だぞ。びっくりだな」


 迫る龍達は速すぎるせいか巨大すぎるせいか距離感が掴めない。

 馬を絶え間なく走らせながら、まるで変わらない距離感に焦りと恐怖が助長される。


「つーわけだ。予定通り測れヒル」

「ああ」


 言われて一歩進み出たヒルの"文字"が明らかになる。

 右の額に現れたのは"壁"の文字。

 ただ、決まった形で決まった大きさの"壁"を生み出す事がほとんどの能力だ。


 縦2メートル80センチ、横1メートル40センチの小さくも大きくもない壁。

 材質は石でも土でも鉄でもなく、堅さと重さは鉄と同程度。普通に砕け、普通に燃え、普通に溶け、普通に風化する、ねずみ色のただの壁。


 弱く、融通が利かないこの能力。


「――――さて」


 ただそれが、無制限の数を生成し。

 いかなる場所にも出現し。

 見えているのであれば地平の果てにでも発現できるのならば、途端に化ける。



 ヒルが肩越しに目をやっただけで、その魔法は発現した。



 龍の集団の先頭までは約350メートル。

 全身が筋骨で出来上がった古龍ならば、3秒足らずで駆け抜ける距離。


 そして、その龍達の前に出来上がった壁は、――1039054枚。


「こんなもんか」

「さて……」


 壁の上に壁が、壁の横から壁が整然と凛然とそびえ立ち――。


「……まあ、飛ぶわなぁ」


 戸惑いすら見せず、その壁の上を翼を広げた龍達が翔け上っていく。

 速く、その動きは恐ろしく統一されていてその様はまるで地上から壁が沸き上がってきたかのよう。


「では、選別する」

「あい、任せた」


 それは唯一の能であるヒルの物よりよっぽど整然としていて、巨大で、分厚い。

 そして一度動き出せばそれは空を跨ぐ巨大な化け物だ。

 見上げるほどのヒルの壁の山を、軽々と乗り越えて空気を切り裂き進軍する――。



「――"魔壁・双"」



 ――それが、"遥か上空の空気中"から発現したもう一つの1039054枚に押し潰されたのはそのすぐ後。


 まるで大きな歯に上下から噛み合わせたかのように、膨大な数の壁はぶつかり合った。

 一瞬遅れて、放射状に広がったとてつもない轟音と爆風が辺り一帯を埋め尽くす。


 そして、一切の音が消えた。

 ただ厳然とそびえ立つ壁の群だけが、事の異常さを物語っている。


「止まれ、ヒル」


 静寂と、僅かな激震の余韻が残る中、興奮する馬をなだめながら二人は立ち止まった。

 "馬車群"との距離はかなり開いているが、少し速度が落ちているようだ。


 速度が落ちたのは、突如響いた轟音と振り返れば嫌でも目に入る、龍を押し潰した巨大な壁の群を見たからだろう。


 ミコトも静かに壁を見ながら目を細め、対してヒルが口を開いた。



「駄目だな」

「ああ」



――瞬間。


 二人の正面にあった壁の幾つかが弾けて、吹き飛ばされた。

 少なくとも鉄の高度と重さはあるその壁を容易く拉げさせ、ミコト達の遥か後方まで吹き飛ばす。


 そして、砂塵を体から引き剥がして突出してきたのは、他の龍より一回り大きな古龍。

 羽がなく足は長く太い。更に前頭部に円錐状の巨大な角が見える。その形態から見るに突撃力を特化した個体だと言う事が分かる。


 小山のようなその巨大さから鑑みるに、六千年級。


 それだけではない。

 少しだけ遅れて、龍の大群がほとんど勢いを殺すことなく壁を破壊して躍り出た。

 どう足掻いても小さい壁。鋼鉄のような鱗を持つ龍とは相性が悪い。


「やっぱり、駄目だなぁ。引くぞ」


 轟、と空気を穿ちながらその龍はミコト達に突進する。

 その姿は余りの速さに一筋の線となり、まるで小さな彗星のようだ。


 ボリボリと頭を掻きながら、ミコトは溜息をついた。


「そもそも手間も時間も特殊な技術も必要になる上に、個体差もある。…なにより安定した供給が望めねぇなぁ」


 龍のその速さはまさに彗星のそれ。

 自身の体を焼きながら、しかしだからこそ手に入れた速度はよほどの事がない限り捉えられる事はない。


 事実、ミコトとヒルにはその動きを捉える事など到底適わなかった。




「期待していたが、商品としちゃてんで駄目だ」




 ――二人は、ただ立っていただけだ。

 何もしていない。何も見てすらいない。


 ただ、その場所に。

 デッドラインの一歩内側に。

 鬼の力の届くその場所に立っていた事が、明暗を分けた。



 突進する龍の角が、ミコト達に肉薄した、その瞬間。



 人知れず、膨大な魔力が世界を歪ませる。



「――"破天"」



 そして、空が切り裂かれ、地平線が薙ぎ払われた。



 軍を為した龍が、二十万を越える大量の壁までもが、丸ごと空高く吹き飛ばされていく。


 ミコトとヒルに突進していた龍もまた、その一撃に巻き込まれていた。


 何をされたのかまるで理解できずに、地面に体を擦りながら宙を飛ぶ。


 ただ、襲ってきたのは、"衝撃"。

 分類するのならば、そうとしか言いようがない。

 認知が出来ない。二次元にいるものが、三次元から攻撃を受けたかのようにその攻撃は高次であり、防ぎ難く躱すなどなお不可能。

 許されたのは、ただ無防備にその一撃を受け吹き飛ばされる事だけ。


 鉄をも押し返す鱗が砕け、その衝撃は内蔵にまで深くダメージを与える。


 しかし龍は倒れない。

 歯を食いしばり、爪を地面に食い込ませ、傾ぐ体を持ち上げた。


 野生の矜持からか、理性故の責任感か、それとも"倒れ伏す事を許されていないのか"。

 ボタボタと涎に混じってこぼれ落ちる血の塊など見向きもせずに、龍は牙を剥き再び顔を上げ。

 

 一瞬だけ。

 そう一瞬だけ龍は全てを忘れた。


 この身を無理矢理突き動かす何かをはぎ取られ、世界は音を忘れ。



「すまない」



 目の前に佇んでいる、金髪靡く少女に目を奪われた。


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