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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
221/281

ひだまりの国

エルゼン編ラストです。

 じーじーと、気が早い夏の虫が鳴いていた。

 それも分からないでもないのは、まだ春先だと言うのにやたら体にへばりつくこの暑さのせいか。


 じっとりとした暑さは、以前の"巣"と変わりはない。

 ただどこか気持ちのいい暑さだと感じるのは、未だそこら中に生えた新緑が涼しげに揺れているからだ。


「暑い……」


 少しだけ踏み固められてできた道の中を、ハルユキはふらふらと歩いていた。

 今はサヤから割り振られた午前の作業を終えた所。

 人の目がある場所だったので、当然頭からすっぽりとかぶった白い神様シーツに、神様マスクを被っている。

 つまり暑い。クソ暑い。


「ああ先生。丁度良かった」

「……何だよ」

「そんな顔すんなよ。仕事だ、木材頼めるか、ここにある寸法でそれぞれ五百ずつ」


 横道から現れた鷲のような顔で、木の枝のような体をしたルグルが出合い頭に言った。


「……まとめて一万作っといたから、そっち使ってくれ。俺は寝る」

「おいおい、しっかりしてくれよ」

「……お前な。俺が午前中何をしてたか知ってるか?」

「何だよ」

「運河をな、作ったんだ。午前中に……」

「うん……っ」


 ルグルはハルユキの言葉に声を詰まらせ顔を引き攣らせた。

 またハルユキの表情からその苛酷さを汲み取ったのか、複雑そうな顔を浮かべる。


「……運河って、午前中に出来るもんなんだな」

「出来るらしいな、どうも……」

「休憩行ってくれ」

「ああ……」


 川は溝を掘るだけではできない。

 山もまた土を積み上げるだけではできない。

 生態系に影響を及ぼさないように苦慮するならば、繊細さを失ってもならない。

 その作業を午前中だけで終わらせろと笑ったサヤの顔を絶対に忘れない、マジで、絶対許さんあの野郎。


「ああ、そうだ。先生、ハリアが探してたぜ」


 すれ違いざまにルグルが言った。

 ハルユキも気だるげに振り返って、ああ、と返事を返す。


「聞いてるよ。今探しに行くところだ。じゃあな」

「おう」

「無理しすぎて、これ以上ハゲんなよ、ルグル」

「おい、俺はハゲてねえぞ。本当だからな、誤解されるから本当に止めろ」

「ハゲてもいいんだ。ただ、ハゲられるんじゃあ、ないぞ?」

「真面目な顔で何言ってんだアンタ……」


 ルグルの呆れた顔をよそ目に、ハルユキはまた正面を向いた。しかし、また数歩歩いたころ、後ろからルグルの声が聞こえた。


「ああ、先生」


 その声にハルユキは元いた方向を振り返る。ここは"巣"があった場所の端。

 今ルグルがいる住人達が行き来する細々とした道、その背景には緑だけが地平線まで広がっている。


「いい酒が手に入った。後で飲むからな。あいつにも言っといてくれ」


 ルグルは少しだけ大きな声でそう言い残して、今度こそ草原に踏み入って進んで行った。

 今度は、その姿が見えなくなるまで確認してから、三度ハルユキは正面に向き直る。


(酒ね……)


 まだ喪は明けていない。

 まあそれも古い習慣だ。今の時代の死生観に詳しくもないので、もしかしたら死者を悼む時間は終わったのかもしれない。

 だからこそ、新しい街づくりだけに追われていた住人達も活気が戻り始めている。


 戦いと反撃と執念と死と希望と、そして一つの終着があったあの日から、七日が経った。



「暑い……」



 じーじーと虫が鳴く。

 湿った草の匂いを立ち上らせる草原から、ハルユキは唯一石の地面が残った"街"の街並みの方に足を向けた。





    ◆





「あなた、神様ってホントなの!」


 前のめりにそんな事を聞いてきたハリアにハルユキはとりあえず視線を逸らした。

 陽炎立ち上る石の道の真ん中で、ハルユキはがっしりとハリアの両手で両手を捕まえられている。


 まず考える。何て面倒くさいんだろうこの設定は。

 そもそもこの質問の為に自分は、この暑い中こいつを捜し歩いたのだろうか。いや、そんなに探してもいないけど。


「まあ、これからもそんな体でやってくみたいですね」


 神様マントを被っている手前、とりあえずそんな敬語で話してみる。


「体って」

「えーと、ハリア、……さん?」

「ハリアで良いわ。恐れ多いもの」


 にこりとハリアが笑って見せる。

 リィラの双子だけあってその顔の出来は端正で、右目にかけて顔の半分が眼帯で隠れていてもほとんどその魅力は失われていないようだ。


「じゃあハリア。お前面倒くさいな」

「どうしよう、この人途端に馴れ馴れしいわ……」


 言葉こそそんなだったが、ハリアはからからと笑って見せた。


「ハリア、お前も教会側になったんだろ」

「うん」

「じゃあ立場は一緒じゃねぇかよ」

「立てないけどね!」

「笑えねえ!」


 ハリアはやはり屈託もなく笑う。

 顔を眼帯で、そしてその体を古ぼけた車椅子に預けていても、全く自分を損なう事もないままに。


「でも、コドラクがほとんどやってくれるし教えてくれるから。だいじょぶ」

「その通り!」


 どすん、ごろごろごろ、と。

 そんな馬鹿丸出しの音を響かせながら、何やらが物陰から飛び出した。


 ハルユキは隠れていたのは分かっていたのでただ無表情でそれを目で追って、ハリアは溜息をついて頭を振った。


「ああ、ああ! ハリア様、今日も今日とて何とお美しい! 岩の殺風景に生えたそのお姿はまるで風景画の中に天使の子供が戯れに来たようだ! ああ、さしずめこれは──!」

「うるさい」


 器用に車椅子を運転して、片膝を付き天を仰いで何やら布教していた白髪長身の爺をハリアは吹き飛ばした。

 ごろんごろんとまた馬鹿丸出しの格好で転がった爺──コドラクは、転がって壁に激突して動かなくなる。


「有能なのよ、あれでも」

「まあ、そうかもしれんが」


 コドラク。

 今はない"月"において、ハリアの面倒を十三年間見続けた老人だ。

 ギドや、戦闘中に死を遂げ"巣"での最長老の爺などとも面識があるらしいが、元気に動き回るその姿からは年齢は推し量れない。


「もう、本当にしぶといんだから」

「応とも! ギド殿が残された二つ種のお二人が立派な成樹となるまでは! コドラク死なない!」


 その身には背の高い神父服を纏っていて、胸にはしっかりと例の女神像を象ったペンダントをぶら下げていて、敬虔な信徒である事が伺える。

 だからこそ、ハルユキは居心地が悪そうに頬を掻いた。


「なあ、コドラクさん。アンタ、本当にいいのか?」

「……それは、議会の話ですな」


 この国は二院制となる。

 一つはルグルを筆頭とする"民衆議会"。

 そしてもう一つの議会が"神聖会"。

 この二つの議会が擦りあわせながら政治を行っていくことになった。


 これはいいのだ。

 国と言う大きな組織が一枚岩になるのは難しいし、出来たとしても偉大な国主の一代限り。

 長く続けていくためには、悪くない。


 ただ"神聖会"側のトップをハルユキが担う事になったと。それはさすがにおかしいだろう。


「確かに私は神を敬愛していますし、ないがしろにする事は許しません」


 ハルユキの言葉に、コドラクは背筋を伸ばして真っ直ぐにこちらを見た。


「でもね、コドラクは人を支えてくれるから、神様が好きなのよ」

「その通り」


 自慢げにハリアが言葉をとったが、それすらも嬉しそうにコドラクは続けた。


「私の愛しい子羊達を支えてくれた事。深く感謝致します」


 綺麗な姿勢のまま、丁寧に腰を折ったコドラクにハルユキは面くらう。

 返す言葉も特に思い浮かばず、暑さに茹だった振りをして生返事を返した。


(……まあ、いいか)


 この町に留まる必要もない。特に何をして欲しいと言われた訳でもない。

 それなのに、こんな正体もよく分からない男に実質的なトップの座を与える。


 もちろん龍の足止めがどれだけ重要だったか聞かされた。

 自分の存在が、どれだけ戦士達の背中を押したかを聞かされた。

 あとちなみに、国の信仰の象徴を二分するわけにもいかないので、あの女神のまた別の姿という事になっていると聞かされた。

 そもそも面倒事はなしで利益だけを貰えると言うのなら嬉しい限りなのだ。


 それでも、やはりどうしてもその違和感に首をかしげてしまうが。

 

「違うの。神様、ルグルが言ってたでしょ?」


 じりじりと日差しが熱い空気の中、額の汗を気にもせずにハリアは笑って言った。

 そちらを振り向くと差し込んできた光を腕で遮って、ハルユキはハリアに向き直る。


「何か言ってたでしょ?」

「……ああ。その気になられたらアンタが国を取るのに組織は要らないだとか」

「だから、敢えて最初に最大限を与えておく、とか。そんな馬鹿な事。嘘だからね、それ」


 日差しが熱い。

 温められた岩の地面から発せられる熱気や、隙間にびっしりと生えた草から漏れる湿気。


「ただね、あいつ貴方にこの町に残って欲しいだけなのよ? あいつ友達いないから」


 ──それ等を、一瞬忘れてしまうほどハルユキはびっくりしてしまった。

 は、の形に固まった自分の口を、数秒経った後に慌てて閉じる。

 仮面の下だ。見えるはずなどないが、ハリアのよく分からない能力のせいでばれているのかもしれない。

 ひっひ、とハリアが笑う。


「あー、かわいい」

「いやぁ、ハリアさんには負けますよ」

「うわぁ……。でも嬉しい」

「貴様ァ!! 馬の骨の分際で今誰を口説いた、いいか言ってお──!!」

「うるさい」


 小回りよくハリアの車椅子が回転する。

 再びコドラクが視界から消えた所で、ハルユキはハリアとすれ違うように進んだ。


「もういいな。俺は行くぞ、昼飯食うんだ」

「あ、待って!」


 一言言い残して離れようとしたハルユキの背に、ハリアが声をかけた。


「探してたのはね、言いたい事があって!」


 早足で進んでしまったので、ハリアの姿は少しだけ遠くなっていて、ハリアはやはり少しだけ大きめに声を上げた。

 

「リィラがねー! やっと起きたみたいだから! 行ってあげてー!」


 ぶんぶんと、ハリアが手を振っている。

 それに片手を上げて肯定の意を示してから、ハルユキは歩を進めた。


(部屋には、いないだろうな……)


 とにかくまずは昼食だと思い直した頃不意に、す、と日が陰った。雲ではない。今日は嫌になるほどの快晴だ。


 顔を上げると同時に、葉擦れの音。

 塔のあった場所に生えている大樹の葉が、木陰を作っているのだ。


(でかすぎるだろ……)


 近くに来てから見上げてみて、やはりそう思う。

 "月"だった土地の全てと、街の三分の一程を木陰で覆ってしまうほどにその樹は大きい。


 その木陰はしかし、足を踏み入れると思わず息を吐いてしまうほど心地よい。

 暑すぎない程に日差しを遮り、横から入ってくる風だけはそのままに。立っているのにそのまま眠ってしまいそうだ。


「……さ、飯飯」


 "月"はあの緑の魔方陣の中だったせいか、全てが背の低い草で覆われている。

 僅かに残った巨大な石の破片は、あの戦いによるものだろう。


 それを避けるように進みながら、ハルユキは最後にハリアの方をもう一度振り返った。


 ハリアも前に進んでいて、その姿は豆粒のように小さい。

 だから、ギドからとある老人へ、老人からハリアへ受け継がれた古い車椅子を愛おしげに撫でていた事だけ、見えた。


 向き直って、辺りを見渡す。

 懐に入れた弁当をどこで食べようか。出来れば風の通りの良い所がいい。


 弁当が暑さで悪くなっていなければなおよろしい。




     ◆



 狙い目は大きな樹の根元。

 そこに背を預けて、活気づく街を一望し、風と木陰で涼みながら箸を進める。

 中々風情があるじゃないかと、足取り軽くハルユキは大樹の元まで歩を進めたのだ。


「それなのに、お前らこの野郎……」


 おそらく神聖かくこれかしという場所が、子供の遊び場と化していた。

 知った顔が十といくつか。知らない顔をもそれなりに。

 木に登り、花を摘み、走り回って転げ回って、長閑だとか穏やかだとかそう言った言葉は遥か彼方。


 大樹は悪戯するように枝を揺らし、からかうように風は吹き、土は喜ぶようにはね回っている所を見ると、それが正しい形のような気もした。


「……まあ、いいか」


 幸い新しい遊び場に夢中なのか子供らはこっちに気付いていない。

 こそこそと、樹の裏側に回りハルユキは座り込んで、自らで作った弁当のふたを開けた。


 作成したアイスノンのお陰か、まるで腐ってはいない。

 別に弁当を食べていた習慣もなかったが、何となく懐かしい匂いが鼻をひくつかせた。


「って、でかっ!」

「……ち」


 その瞬間を狙われたのか、不覚にも敵の接近を許した。

 肩越しに振り向いてみれば、器用に脚で枝にぶら下がったエースが逆さの体勢からこちらを見ている。


「おい、いいかエース、まず声を落とせ。これはな、俺が朝五時に起きて作った弁当だ。お前らにも朝分けてやったはずだ。覚えてるな?」

「分かってるって、とりゃしないからさ」


 とん、とエースが魔法を使いながらハルユキの横に降り立った。

 その服と頬には少し新鮮な色の土がついている。


 その動きを逐一警戒しながら、ハルユキは膝の上に白飯が入った重箱と、おかずが入った重箱を並べていく。

 色とりどりのおかず達が顔をだし、ハルユキはまずご飯、卵焼きと箸を進めた。


「……畑仕事は?」

「終わったよ。今回はちゃんと育ちそうだ」

「ふぅん」


 言いながら、30個しかない唐揚げを一つ箸で持ち上げて口に運び、何となく空を見上げた。

 呼んだか、とでも言いたげに枝葉が大きく揺れる。


「大したもんだな」

「そだねー……」


 この樹は、エルゼンに大きな影響を与えた。

 心地よい風や日陰などではなくもっと奇怪な物が、強いて挙げれば二つ。


 一つは、エースが言った事にも関係するが、土壌の改善だ。

 この町の土地は微生物が少なく栄養素を分解できないため泥炭層に囲まれていたが、先日調べたところによると跡形もなく消え去っていた。

 分解する微生物の代わりを果たし、そしてそのお蔭で作物が育ち、動物が訪れ、次第に微生物が増え、あっという間に土地として自立したのだ。


「平和だねー……」


 頭にまだ包帯を巻き、戦争の跡も消えない街並みを眺めながら、エースは言った。


「……だな」


 つまり二つ目が、龍を寄せ付けない魔法防御だ。

 この大樹を形成したのはとある人物の大魔法。しかし使われた魔力は、術式が仕込まれていたのはこの国にもともと存在した宝剣の物だ。


 たまたま死んだ騎士の腰からくすねていたと言う、リィラの剣。

 それだけではなくラカンに壊されはしたが地面の中で未だ息づいていた他全ての剣をも全て取りこんで、その力を汲み取った。

 その龍を退かせる力が、オアシスの向こうまで届いているらしい。


「ふむ」


 楽園、とそんな言葉が頭に浮かんできて何となくそれを消した。

 それなりに辛く、それなりに楽しい日常が続くだけ。楽園など求めた者はいないのだ。


 ハルユキは一人納得して、唐揚げを頬張りつつ空を見上げた。

 すると木漏れ日の中、ひょこりとエースがハルユキの視界の中に顔を出す。


「ねぇ、やっぱり唐揚げ一つくれない?」

「……まあ、一個だけな」

「え、くれるの? やった」


 箸でつまんだ唐揚げを意外そうな顔をしたエースの手に平に置く。

 別に唐揚げごときで食い意地を張ったりしない。全く大人を馬鹿にするものじゃない。


「あー! エースだけずるいー!」

「私も!」

「俺もっ!」

「え……? あ……!」


 聞こえた声の不吉さに、背筋を凍らせる暇もなかった。

 上から前から左右から。大小さまざまな悪意が殺到する。


「あ、ああ、あああああ……」


 完全に、気を抜いていたのだ。

 それとエースにはあげたのだから、他にも少しぐらい分けてやる必要があるのかと顔を出してしまった仏心のせいだ。


 気付いた時は、17個の人影がほぼ全てを浚ってしまっていた。

 それも用いられたのは、炭水化物とタンパク質だけを掠め取ると言う、非道な手段。


「美味しい、やるじゃん神様」


 唐揚げを頬一杯に含んだオームが言う。


「え、と。ごめんなさいっ」


 悪事に心躍らせるように、楽しげなシータ。


「ほんと。何かよく知らない料理ばっかだけど。まあ及第点」


 持ちきれない程に卵焼きを抱えてイースレイ。


「んん、んむぐ、む、うん」


 今まさに、手づかみで白飯を口に運ぶクイーンは獣のよう。


 野菜などを除いて、空になった弁当箱が地面に転がされるまでかかった時間は十秒もなかった。

 よろよろとハルユキは膝を付いて、その無残な中身を覗き込んで絶望する。


「い、いいの、かな?」

「おいおい、この人は神だぞ? このぐらいで怒る訳ねぇ、なあ?」


 ビィトが得意げにハルユキの顔を覗き込んで、──その瞬間、消えた。

 悲鳴一つ残さずにその姿が掻き消える。


「あ、あれ……」


 その体が、大樹のてっぺんに吊るされている事に気付いたジャックが、顔を青くした。


「か、神様……?」


 ゆらりと立ち上がったハルユキは笑っていた。

 にこやかに、怒りなど感じられない程穏やかで、神と言う名がよく似合う良い笑顔。


「お、怒ってないよね?」

「怒ってないとも。そんなお前唐揚げ如きで。怒る訳ない。……ただ実は俺な、根野菜の神様でした」

「え?」

「ほら、これ見ろ」


 ハルユキは見向きもされずに弁当に残された野菜たちを、子供達に見せる。

 子供達は恐る恐るそれを覗き込んで、意味が分からないと顔を上げていった順に、ハルユキの額に浮かんだ青筋を見つけた。


「だから、これは蔑ろにされた根野菜サラダの怒りであって、俺の個人的な感情では断じてない!」

「嘘つけ!!」

「ひゃはははッ!! ぶっ飛ばしてやるからなァ!! 覚悟しろ糞ガキ共がァッ!!」

「死ぬぅうううううう!!!」


 神聖でもなんでもなくなった、ただ大きい樹があるだけの子供達の遊び場に笑い声混じりの悲鳴が響いていた。






「──お疲れさま」

「ホントだよ……」     


 最初のから揚げ以外手を出していなかったエースが、また樹の根元で休憩していたハルユキの横に座り込んだ。


「リィラね。さっきまでここに居たんだけど、やる事あるって行っちゃった。多分──」

「ああ、いい。多分あそこだ」


 さっさとハルユキは立ち上がって、土と草を払った。


「んじゃ。行ってくる」

「はーい」


 ひらひらと暢気に手を振るエースから離れる。

 陽はまだ頂点を回ったばかり。

 全力で行けば十秒もかからないかもしれないが、何となく歩いて行こうと思ってポケットに手を突っ込んだ。


 そして、もう一度頭上高くまで続く大樹を眺めて"たいしたものだ"と呟いた。



──魔法を起動するための術式はリィラの剣に刻まれていたのだ。


 そして術者である老婆が、その剣に触れたのは一度きり。

 リィラに胸を刺し貫かれた、あの一度だけ。


 それはつまり、愛する子に刺し貫かれて、死が背後に迫っていて、長い生涯が終わろうとしているその瞬間にまだ、何を残してやろうかと考えていたという事で。


──だからやっぱり、たいしたものだ。



「神様」


 また、途中で呼び止められる。


「……何なんだよ」


 流石に面倒になりながらしながらハルユキは振り返る。

 その時、ハルユキの頭上に大きな木漏れ日が差し込み、エースの顔が逆光で隠れた。



「ありがとう」



 ただ、その周りにいつの間にか先程吊るしたはずの顔がたくさんあって、その表情から察するにエースのそれも知れていた。





   ◆ 





 何か、確信があった。

 とは言っても、ルグルの所から巡った事を考えると、結局街を一周した事にはなるが。


 がさがさと、街のそれとは違う背の高い草を掻き分けてハルユキは進んだ。


 掻き分ける度に鼻に集う懐かしい草の匂い。

 最初にここで目が覚めてからもう一か月も経つらしい。短かったような、なにやら一年近くかかったような気もする。


 街の景色は大幅に変わったが、ここの景色だけは変わっていない。

 変わらない地面を踏み締めて、変わらない草の根を掻き分けて、そして変わらずそこにあった湖の真ん中。


 そこに、彼か彼女か分からないそいつは前と同じように浮いていた。


「よう」


 声をかけても、その姿は動かなかった。

 死んでるんじゃないかとも思ったが、ややあってゆっくりとこちらを向いた。


「お久しぶりです」

「ん」


 ハルユキは言いながら草むらを抜け、草のない地面を越えてざぶざぶと水に入った。

 魚を獲るためだ。ぱしゃんぱしゃんと、手で捕まえては陸まで投げる。


「お前寝とけよ。傷開くぞ」

「暑いんですもん、今日。それに、いやにちやほやされて気持ち悪くて」

「ああ、まあな」

「あと、お墓参りしようかなと」

「誰の」

「ギドのが埋まっちゃったのでそれと、あとまあ、ラカンのも一応」

「ふーん……」


 ラカンと坊主共が犯した事は生半可な罰で許される罪ではなかった。

 死してもなお許さんと、その死体をいたぶり晒す事を求めた人間も少なからずいた。


 しかし、ルグルがそれを許さず坊主達は街から少し離れた所に埋められて、小さな墓も作られた。

 ちなみに、戦死した人間達が荘厳な慰霊碑と共に埋葬された事は言うまでもない。


──ただラカンの死体だけは晒す。

 戦いが始まる前からそうなる手筈だったらしい。


 しかし、驚くべきことが一つ。

 リィラが死んだように七日間眠ったのは、ラカンとギドの墓を作り直した後なのだ。


 ボロボロの体でラカンの首と体を背負って町を横切るリィラに口出しできる者はいなかった。


「荒らされないのか?」

「まあ、ここは龍が棲んでた時の名残がありますから。人は近づきませんし」

「反感買うぞ」

「僕が殺した人間をどうしようと、僕の勝手です」


 相変わらずの返答に、ハルユキは苦笑して五匹ほど地面に投げた魚を確認して水から上がる。


「あ、神様」

「何だよ」

「ちょっと、お腹減っちゃって」

「ん、一匹で良いか?」


 音もなく水の中で立ち上がってこちらを見ていたリィラに、目の前を泳いでいた魚を渡した。

 それを両手で受け取って、リィラは"はい"と頷いた。


「神様五匹も食べるんですか」

「昼飯食い損ねてな」




   ◆




──ぱちぱちと焼けた枝が爆ぜる。

 内臓を取って串を刺して、旬の魚なのか脂がぽたぽたと地面に落ちて、でも食べごろにはあともう少し。


「焼けましたね」

「馬鹿野郎、まだだ。まだ早い」

「面倒くさいなあ……」

「……よし、今だ。食ってよし」

「偉そうだなぁ……」


 ぶつくさ言いつつ、リィラは串を手に取り意外と慎ましやかにそれに齧り付いた。

 そして小さく目を瞠る。"やるじゃないですか"と送られてきた視線に、ハルユキは自慢げに鼻を鳴らした。


「ああ、そうだ。ルグルが酒飲むから来いってよ」

「まあ、時間があったら」

「あとハリアがこれ。おそろいの眼帯だと」

「ああ助かります。ハーちゃんの目は瞑っとかないとしんどくなっちゃうので」

「……まあ、あとこれ」

「……この握り潰された鳥の揚げ物は?」

「チビ共が食えってよ。根野菜サラダもあるぞ」

「なんか、碌なラインナップじゃないような気が……」

「気にすんな」


 その言葉を最後に、二人の間から会話が消えた。

 別に友人でも仲間でもない。沈黙は苦ではなかったし、静寂ではなかった。


 魚が跳ねる音。木々が擦れて木陰が動く音。虫のかすかな鳴き声。それ等に耳を傾けていると、不思議と退屈でもなかった。


「──神様。僕は、やっぱり臆病でしょうか」


 そんな事をリィラが唐突に言ったのは、ハルユキが三匹目の魚に手を付けた時だった。

 少し驚いてそちらを見ると、気まずそうに俯いて視線を逸らしている。

 どうやら、沈黙が苦ではなかったのはこちらだけだったようだ。中々かわいい奴である。


「そうだなぁ、お前はなぁ……」

「あ、あ。やっぱりいいです。忘れて下さい」


 沈黙にあせっているのが自分だけだとリィラも気付いたのか、慌ててそんな事を言い顔を上げる。

 しおらしく、嫋やかで、やっぱり女なのではないかと言うほどに、その姿には庇護欲がそそられた。


「そうだな、俺にとって──」


 だから、そんなリィラの頭をぐりぐりと撫でつけてもう一度顔を下に向かせてから、ハルユキは言った。


「俺にとってリィラ・リーカーは、もっとも勇敢な人間の一人だよ」

「あ……」


 撫でつけたのは一瞬だけ。顔を上げたリィラは呆けた顔でこちらを見た。


「お前は凄いな、リィラ」

「や、止めて、くださいよ。泣いちゃうじゃないですか」


 そう言いつつ、リィラの顔はとても泣きそうではない。ただ困ったように笑うだけだ。

 それはつまりリィラが唐突に質問してまで望んだ何かは得られなかったのだろう。 


 ハルユキがその顔を見てみると、大丈夫だと言わんばかりに、またリィラは微笑んだ。


「……僕が最初から臆病じゃなかったのか、変わったのかは分からないんです」


 泣かない代わりにぽつぽつと、リィラが話し出した。

 街をゆっくりと歩いてきたせいか、もう空は赤みがかって来ている。少しだけ冷えてきた空気が、リィラの口を少しだけ軽くしていた。


「ラカンもそうだったと思うんです。ただどうしても自分の中に抗えない物が、元々あって」

「誰だってそうだよ」

「そう、なんですよね。たまたま、あいつが狂って生まれてきただけで」


 それだけで。と、そこまで言った所でリィラは押し黙った。

 じっと炎の中を見つめる目からは、リィラの思考の中身を推し量る事が出来ない。




「──神様なら」




 そこでまた唐突にリィラが口を開いた。

 炎を見つめる事をやめ、ただ肩を小さく震わせながら足元を見つめて口を動かしていた。



「神様なら、あいつを──」



 何を言うかがハルユキには不思議と分かった。だから、リィラがそれを言う前に答えを言う。


「俺は神じゃない」


 跳ね上げるように顔を上げたリィラに、ハルユキは正面からその顔を見つめ返して言った。


「だから何でも、やってみないと分からないよ」

「……厳しいなぁ」


 ハルユキは苦笑するリィラを一瞥して、魚を骨ごと口に放り込むと串を炎の中に投げ捨てた。


「だからな、お前が正解だったかどうかなんてのも、わからないけど」


 また、視線が下がりだしたリィラの頭に手を伸ばして頭を撫でた。


「ちゃんと悩んでそれでも決断したお前は、やっぱりすごいよ」


 出来るだけ優しく、泣いている子供をあやす様に、またハルユキはリィラの頭を撫でた。

 それなのにリィラはむしろ込み上げてきたもので目を一杯にして、たまらず俯いた。


「だから、泣いちゃうって言ってるのに……」

「泣いていいよ。別に笑いも抱きしめもしないし」

「抱きしめてくださいよ」

「やだよ」

「意地悪」


 小さく笑ってリィラは──。


「──っ」


 少しずつ、泣き出した。

 少しずつ少しずつ絞り出すように、寝かせつけたものを一つ一つ起こしていくように。


 虫の声。風の音。水の跳ねる音。葉擦れの音。

 それ等と同じように、その泣き声も不快ではなくハルユキの鼓膜を揺らす。


「……神、様……っ」

「ん?」

「何にも、無くなっちゃいました、僕……っ」


 ハルユキは言葉の意味を探る。

 あまりに思う所があり過ぎてどれの事なのかと思ったが、おそらく想像した全部だと、何となく思った。


 例えば、腕と、目だとか。

 例えば、生きる全てだった仇敵への復讐だとか。

 例えば、唯一の友だとか。


「ギドが、全部持って行っちゃったから……」


 例えば、最後まで何を残すか考えていた老婆の事だとか。

 例えば、それを知らずに抱え込んでいた見当違いな妄想だとか。


「戦いは、嫌いです……」

「ああ」

「……剣も、嫌いです」

「そうだな」

「何かを殺すのなんて、ホントは大嫌いなんですよ……?」

「だったら」


 抱き締めはしない。

 ハルユキはただ、目の前に座ってリィラの言葉を聞いていた。


「明日はまた、少しだけ強くならなきゃな。殺さなくてもいいように」

「はい……っ」



 絞り出すようにリィラは泣いた。零れそうになる嗚咽を涙声で誤魔化しながら、静かに一人で泣き続けた。





   ◆





「なあ、リィラ」

「はい?」


──リィラが泣き止んだ頃には空は暗くなり始めていた。

 独白がやんだと思ったら、突如走り出して湖に飛び込んだときはどうしようかと思ったが、あれはリィラ流の区切りの付け方だったのだろう。


 だから、落ち着いたと判断して、草の根を掻き分けて街へ戻りながらハルユキは言う。


「本気で、何もなくなったと思ってんのか?」

「……いえ、ありますよ、本当は」


 ふと草の行列が途切れて、街が見えた。

 遠目からもその天幕の街並みは光が漏れやすく、最初に来た時の十倍は明るく見えた。


 それを眩しそうにリィラは眺めていた。


「新しく出会ったものも、取り返したものも、残してくれたものも。まだ、いっぱい」

「ああ」


 目を細めて故郷を眺めるリィラが少しだけ最初と変わって見えて、自然とハルユキも微笑んだ。

 その顔を邪魔するのも悪くて、先に行ってるかと、ハルユキは一足先に街に戻る事にした。







「──あ、そうだ、神様。忘れてました」





 そして数歩も進まない内に、背後から呼び止める声。

 こうして出ばなを挫かれるのは今日だけでもう四度目だ。

 いや、個々に悪意がない事は分かっているのだが、ちょっといい加減にしてほしい。


「なあ、お前らもしかして──」


 口裏を合わせてるんじゃないだろうな、とハルユキは言おうとした。



「ん……」



 言おうとした、というのは、つまり言えなかったという事だ。

 リィラの唇が、振り向きざまのハルユキの唇に重なっていたから、言えなかったのは当然だった。



「……神様が良いなって思った理由、話してなかったでしょう?」



 顔を離して、リィラは満足げにそんな事を言った。


 それは確か初めてルグルに会ったその日の夜。夜中に歌っていたリィラと話した時、そんな事を言っていたような。

 そう言えばその日、ビィトからこいつのアホみたいな性癖も聞いた気がする。


 今だ呆気に取られて返事を出来ないハルユキに、悪戯っぽくリィラは笑って見せる。



「顔がね、すごく好みだったんです」



 もう一度、今度は頬にキスをされて、ようやくハルユキは自我を取り戻した。



「この──っ」



 真っ赤な顔で身を引くが、ずい、とリィラはそれよりほんの少し大きくこちらに近づいた。



「じゃ、帰りましょう、ハルユキさん」



 そして、リィラの手がハルユキの手を摑まえる。

 導くように二人は陽だまりの中に入っていった。




















──だから。


 だから二人は気付かない。

 その背後に、今離れた森に。

 これまでの脅威と変わらないか、それ以上の脅威が静かに森に降り立った事に。


 降り立った"それ"が、エルゼンを我がものにしようと目を付けた事に。









     ◆







「おー、ここが」

「はい。神聖会の議会所になります」


 ハルユキの声にコドラクが誠実に返事をした。

 いや、この男は基本的にはこうなのだ。近くにハリアかリィラがいない限り。混ぜるな危険。


「ハルユキさん。ここですか?」

「──ああ! リィラ殿ぉ!」

「コドラクうるさい」


 リィラと、その背後から現れたハリアに三度コドラクは吹き飛ばされる。

 ごろんごろんと大きな部屋を横切って床に転がったコドラクを見て、ハルユキは溜息を吐く。

 ちなみに、コドラクにではなく見慣れてしまった自分に溜息を吐いたのだ。


「凄いですね……」


 ここは"町内会"と対を成す"神聖会"の議会所。

 草の地面に合わせて増えてきた木造の住宅とは違い、まだ地面が石である"街"の一番"赦しの大樹"に近い場所に建てられた石の建物だ。


 元々街で用いられていた技法で作られているため、魔法の利便さと相まって僅か3日で出来上がってしまった。


「そうだな……」


 思わず呟いたリィラの感想にハルユキも同意した。

 神聖と謳うに相応しい、白を基調とした滑らかな石の壁、石の床。

 その全てが3日で出来たと言うのだから、本当に驚いてしまう。


 "赦しの大樹"のお陰で使える土地が広くなり、目一杯に広く作られた議会所は敷地から広く、部屋の数など幾つあるかもわからない。

 そして一番驚くのが、三階の高さほどに天井が高く、あの教会がすっぽりと入りそうなほど広いこの議場だ。

 いや、まあ引き合いに出すにはあの教会はそれほど大きくはなかったのだが。


 ともかく、問題はあれだ。

 あの、議を行うのであろう高級そうな長机の先にある階段。その先に置かれた、仰々しくて厳つい椅子だ。


「おい、あれに座れってのか……」

「ほら、いいからいいから」

「て言うか、何でお前らまで来てんだよ! チビ共まで!」


 リィラとハリアと、何人かの年少組のチビ共に押しやられてハルユキはその偉そうな椅子に座らされた。


「ほら、似合ってますよ」

「そりゃこの面とマント付けてりゃな」

「まあほら、座ってるだけで良いらしいから。我がまま言わないの」

「そっちが良いんなら、おれはいいんだがな……」


 ぶつくさ言って無理に反抗するのも場の空気を壊すようで、ハルユキは大人しくその豪華な背もたれに体重を預けた。


「それで、どう? ハーちゃん」

「うんやっぱり間違いないわ。変わってる」

「ん……?」

「いや、さっきハーちゃんにこの目の使い方を改めて聞いてたんですけどその時にですね」

「見つけたのよ。それで来たの」


 きょとんと表情を無くすハルユキに、一拍だけ間をおいてハリアが言った。


「あなたが、私の能力で感知できないって言ったわよね」

「ああ、魔力がないからって」

「そうなの。でもね、今は出来るの」

「は……?」


 まだ、意味が分からないハルユキに今度はリィラが言った。

 それは聞き間違えようもなく、また意味をはかり違う事もない程簡潔に。


「ハルユキさん、つまりね、今、あなたの中に魔力が生まれてます」

「え──」


 簡潔だった。

 簡潔ではあったが、それでも突然すぎて言葉の意味を噛み砕けないハルユキに、リィラはもう一度改めて言ってやろうと口を開けて。


──そして、ハルユキとほぼ同時にそれに気付いて、顔を跳ね上げた。



「笛の音……?」



 一瞬遅れて、ハリアも気付く。

 笛の音は警邏中のルグルの手下によるもので、今鳴ったのは──。



「笛が、短く三回──!」



 言うと同時、リィラが剣を抜く。



「──敵襲だ! お前ら下がれ!」



 そして子供達とハリアを下がらせた次の一瞬で、町の端の方から何かがほとんど一瞬でこちらに接近した。

──瞬間。

 三階ほどの高さがある天井が砕け散った。 


 分厚く作られた天井が容易く崩れ去り地面に落ちて、轟音と土煙を撒き散らす。


 そしてそれを作り出した"それ"は、土煙に紛れて飛び出した。

 背格好はハルユキと同程度。しかしその姿も顔も黒いボロボロの街頭に包まれて何の特徴も見いだせない。



「させるか──」



 しかし、相手は"国食み"を屠ったリィラの剣。

 まっすぐと"こちら"に向かって来ようとしていた"それ"がリィラの動きに一瞬驚いた気配があった。



「な──!」



 しかし、それ以上に驚いて声を上げたのはリィラの方だ。

 "それ"は振り下ろした剣を地面に押し付け、リィラの肩を踏み付けて体勢を崩させ、ハルユキに接近した。


 "それ"は拳を振り上げる。

 しかし、それは知らない。ハルユキに対して拳で挑む愚かさを。


 とん、と岩をも砕きそうな力が込められた拳をハルユキは手の平で受け止めた。

 ぐるん、とそのまま"それ"は回転させられ壁に思い切り投げつけられながら、驚愕に身を強張らせる。



(こいつ……)



 勢いを利用してとんでもない勢いで投げ飛ばしたはずだが、"それ"は見事に体を捻り、壁に足から着地して攻撃を殺していた。

 大した手練れだ。

 ハルユキでも滅多に見た事がない。おそらく先日手合わせした霊龍よりも二つは格が違う。

 それ程の力を内包しているのが、見て取れた。



「……お前が、国食みか」



 そして、"それ"はそんな事を言った。

 きょとんと呆気に取られたハルユキ達を、"その馬鹿"はきっと緊張に固まったと思ったのだろう。


 大仰な仕草で黒い外套を取ると、その下から出て来た"見知った顔"は大声を張り上げた。



「私は神の御使いだ。お前を誅し、この国を救いに来た──!」



 ハルユキはそいつが現れた事に、若干の驚きはあれど、まあ不思議には思わなかった。

 恐らく別の意味で凍り付くハルユキ以外の面々には悪いが、なんだか肩の力が抜けてしまった。


 その黒髪と、所々に交じった桜色の髪。

 よく見れば体の周りにちらついて見える"桜の花弁"。



「よお、ロウ。久しぶりだな」



 少し自分に酔った口調で言い放ったロウ──"桜龍"に、ハルユキは仮面を摂って素顔を見せた。

 驚いた顔がハルユキの顔に集まる。

 知り合いなのかと、驚く目線。

 なぜ名前を知っているのかと困惑するロウの視線。


 そしてロウの目だけが、見る見るうちに焦りに変わっていった。



「お邪魔しましたっ!」

「捕獲っ!」



 脱兎の如く逃げ出したロウを、ハルユキはロープ片手に追い回した。






    ◆




──所変わって、"町内会"議会内部。

 サヤとルグルが、机の上に山となった書類を掻き分けていた。


「いいのか、放っておいて」

「大丈夫でしょう。主様もいらっしゃる事ですし、もう事も終わっているようですし」


 言葉を交わしながらもその手と目は止まる事がない。

 ラカン達が支配していた時代に処理されずに押し込まれた国交の為の書状の山だ。


 どれ一つとして把握していないでは済まされないものばかり。

 また予断も愚断も許されないため、今現在この作業をこなせるのは、この二人を置いてコドラクぐらいしかいないだろう。


「ほとんどは、救援に向かえない旨を取り繕った言い訳集だな……」

「ええ。言葉巧みな物です」


 エルゼンから遠い国は定かではないが、隣国ならエルゼンの状態を知らないはずがないのだ。

 しかし"国食み"とか関われば自分の国の戦力が全滅してしまう恐れもある。


 なので、大義を守りつつ、傍観する姿勢を保つしかなったのだろう。


「武器になるか毒になるか分からんが、一つでも変化が欲しいんだ」

「心得ております」


 国を興していくとなれば、これからが大変だ。

 良い土地、良い環境はギドが残してくれたが、それでも13年前に白紙にされた国交状態を復活させるには心許ないのは当然だった。


 ハルユキもそうだが、そつなく仕事をこなすこのメイドにも類稀な価値を感じながらルグルは次の書類を手に取った。



「……これは」

「どうなされましたか?」



 ルグルの声に不吉な物を感じて、サヤも手を止めてルグルを見た。

 ルグルの顔は予想通りに苦渋に歪んでいて、その手には、他の書状とは一風変わった、青と白を基調にした貞淑でありながら豪奢な書状が握られていた。

 

「それは……?」

「"帝国"からの手紙だ」

「帝国?」

「ああ。内容は龍の襲撃に対する国家間の結託を強める目的で会談を求む。だと」

「日付は?」

「……1年以上前だ」


 言って、ルグルはその封筒を机の上に投げ出した。

 ぶつぶつと思考を回し始めたルグルを一瞥してから、サヤもその中身に視線を移す。


 書かれているのは、日付とルグルが言った旨。

 それと、帝国のシンボルであるのだろう、交差した大剣クレイモアと女神の横顔の印。

 そして、それを書いたのであろう、先方の名前だ。


「この人物は?」

「……ああ、聞いた事がある。メロディア帝国の皇女殿下でな」


 苦々しすぎて笑ってしまうとばかりに、ルグルは苦笑して肩を竦めた。


「鬼の忌み子って呼ばれてるらしい」

「スノウ・フィラルド・ボレアン・メリストエニス・ド・メロディア、ですか……」


 何やら深くかかわっていきそうな因縁を感じて、サヤは眉を顰めた。




    ◆


    


「本当に、また会う事になるとはな……」


 十五分後。

 よく抵抗したが、結局ロウはロープでがちがちに固められてハルユキの前に座らされた。


「それで、あわよくば軍を手に入れようとした訳ね」

「悪いかよ」

「良くはねぇよ」

「だよねー」


 カラカラと笑うロウに、ハルユキは一つ疑念を持つ。


「なあ、つい最近。"雪龍"って奴に会ったよ」


 そう言うと、笑って見せていた顔をロウはあからさまに強張らせた。

 そして反応してしまった事に気付きそれを慌てて直そうとするが、時すでに遅い事を悟って、今度は苦笑してみせた。


「……元気だったか、あいつ」

「ああ、まあ。怪我はしてなかったよ」

「そうか、ありがとうな」

「は……?」

「つまり、傷付けないでくれたんだろう? 心より感謝する」


 ハルユキは驚いて目を瞠り、そして直ぐにロウを探るようにその目を細めた。

 "会った"としか言っていないのだ。

 それなのにロウは戦った前提で話をしている。


 つまり、龍が人間に向けて戦いを仕掛ける事を確信している。

 それはつまり、龍が人を襲う理由を知っている可能性が高い事を示しているのではないか。


「まあ、とりあえず状況を話せ」

「……ああ」


 縛っていたロープを分解して拘束を解いた。

 少しだけからだの調子を確認してから、ロウは立ち上がって豪奢椅子に座るこちらを見上げた。


「二年前だ。俺達は変えられた」


 ロウの言葉に、その場にいたほとんどの人間が生唾を飲み込んだ。

 龍の突然の襲撃。その事に疑問を持たなかった人間はいないだろう。そして、その頂点と言うべき神話の龍が目の前にいるのだ。


 だから、ちょっとした単語に違和感を覚えたのはハルユキぐらいだった。


「二年前? 嫌に最近だな」

「……何を言ってる? いや、最近と言えば最近だが」

「だってお前、俺達が前にあったのが一万年以上前だから……」

「……はぁ?」


 疑問を顔に浮かべてそう言ったハルユキに、ロウもまた困惑する顔を返した。

 その顔にハルユキもまた困惑し、またその顔にロウも困惑を深める。



「──いや、そもそも初めて会ったのがまだ二年前だろうが。何言ってんだ、壊れたか?」



 そして、何気なく言ったロウのその言葉がハルユキの全身を総毛立たせた。




「──九十九ォ!!」




 びくりと、ロウを含めその場にいた全員が肩を跳ねさせた。

 しかし、そんな事に構ってはいられない。


(九十九! 手前さっさと起きろ、殺すぞ!)


 言葉を荒げる事はさすがに止めて、頭の中に必死で声を響かせる。

 そうすると、直に小さく舌打ちする音が頭の底の方で聞こえた。


〈何だよ、人が気持ちよく眠ってる時に──〉


 その緊張感のない声に、ハルユキは苛立ちを募らせて再び叫んでいた。


「手前、今があれから一万年後ってのは、そう言ったな、どういう事だ──!」

〈ああ、そういうアレね。あれね、嘘。ホントは二年前〉

「てめ──」

〈いやいや怒るなって。俺だって俗世のイベントに参加したくてさ〉

「……どういう事だ……っ!」


 激昂するハルユキに、九十九はくつくつといやらしい含み笑いをして見せる。


〈──今、何日だ? お前の誕生日は、何日前だ?〉

「あ……?」


 確か戦いが終わった日から10日が経った。

 だから誕生日はその2日前だから。12日前。つまり今は5月12日。その日付に、何か理由がないか探してみるが、全く心当たりがない。

 余裕がなくなっていたのか、再び怒鳴りつけようとしたハルユキを狙い澄ましたように、九十九が言った。


〈じゃあ、お前が目を覚ましたのは誕生日の何日前だ?〉

「なに……?」


 確か、あの時で丁度1か月ほど町に滞在していて、つまり目覚めたあの日は3月の終わりか4月の始め──。

 と、そこまで考えた所で流石に気付いた。気付いて、そして余計に感情が煮え滾る。


 そんな事を知ってか知らずか、九十九は満足げに口の端を釣り上げて、声高に叫ぶ。



〈──ハッピー・エイプリールフールだ! なあ、ビックリしたか兄弟!〉





次話の投稿は一か月後です。

その間にちょっと220話と221話を書き直すつもりです。

多分220話は全く違うものになると思いますが、辻褄は合わせるので読まなくても大丈夫です。


ともかくエルゼン編終了です。

ふざけたオチで本当に申し訳ない。次話からは一部のキャラ達と絡めていく予定です。


あと厚かましいですが、要望です。

拍手でも感想欄にでもよろしいので感想を聞きたいです。

酸いのも甘いのも好物なので、感想を書いてくださると嬉しいです。

お待ちしております。

では。






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