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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
219/281

終わりの暁



 白くてきれいな糸が波打っている。

 ハリアの目は、リィラを拒絶する事も拒絶される事もなくよく馴染んでいた。


 これが、ハリアが力を行使した際に見ている光景。


 感動しているのも束の間、ふと、糸が揺れた。

 上。瓦礫が落ちてくる。


 目の前の地面に叩きつけられる様子を右目が捉えた。


 しかし見上げれてみれば、天井の成れの果てから大きな瓦礫がちょうど分離していところ。


 そして先程の光景と寸分たがわぬ軌跡をたどって、それは落ちてきた。


 あらゆる糸が共振しあって、未来の光景をリィラに見せる。

 瓦礫が落ちてくる。しかし、リィラは避けなかった。


 瞬間、リィラの背後の地面に瓦礫が衝突した。

 撒き散らされた破片が放射状に飛び散り、──しかし、リィラの髪の先を掠っただけに終わる。


 壁も床も天井も瓦礫も、街も巣も月も塔も、地面も空も空気も水も、リィラも、ラカンにも、怨念にも執念にも。

 およそ魔力が存在する物には、何ものも区別する事なく絡み合っている。


 意識を広げれば、世界の果てまでも見渡せてしまえそうだ。

 余りに強い万能感は身を焼くようで、あらためてこの力を使いこなすハリアの才能を思い知る。



「目を、植え替えたのか……」



 ラカンがポツリと言った。

 際限なく吊り上ろうとする口を必死に手で押さえて、身を捩らせている。


「く、くひひ、ふふふふふひひひひ……!」


 気味が悪い。

 ラカンの"中"を覗き見て改めてそう思う。

 狂っているのではない。生まれついてこうなのだ。

 尊厳と命を重んじるのが人間だというのなら、きっとこの男は人間の形をしているだけで、別の生き物だと思うほどに。



「──そんなにッ! 俺を殺したいか、リィラァッ!!」



 ラカンが喚き散らす。

 怒っている訳ではない。その顔にはありありと喜悦の色が浮かんでいる。

 驚きはない。もう言う事もさほどない。この男に対して必要なのは刃だけだ。



「そうだよラカン。君は今日、僕が殺す」

「──そうかよぉッ!」



 瞬間ラカンの姿は消える。


 とん、とん、とんと壁に床に瓦礫にと次々に移動を繰り返し、リィラに迫った。

 今のラカンの自重は羽毛よりも軽い。軽やかな音とは裏腹に、もはやその速度は雷光のそれに近い。


 リィラと言えど、とてもそれを目で追う事は出来ない。

 翻弄され、弄ばれ、悠々と放たれる決死の拳で気づく間もなく叩き潰されるのみ。


「──"乖離斥わかつ"」


 しかし、目で追う必要すらないのなら、話は別だ。

 リィラの剣の速度は酷く鈍い。しかし示し合わせたように、その切っ先がラカンの鼻先に向いている。


 瞬間、その切っ先からリィラの魔力が放出させる。

 拒絶を現すかのような反発の力。空気を丸ごと吹き飛ばし、爆風を生み出した。


「ふは……っ!」


 接近時、"ラカンの体は軽い"。

 空気抵抗を小さくするのは難しくないが、意図的に風を起こされれば容易く吹き飛ばされる。


 もちろん、それを可能にするのはラカンの人外な動きを感知するという条件が付く。

 接近時にのみ自重が無くなるという弱点を突くのは、生半可では不可能だ。



「ッははァッ──! そうかっ!」



 だから、ラカンは高らかに笑ったのだろう。

 それすらも見えていて、リィラは眉一つ動かさない。

 その幼い顔とか弱い腕に繋がれているものの、リィラのの刃は既に兇刃。血と怨念が染み込んだ、破邪の剣。


 きりきりとラカンに殺意を向け、首をくれ首をくれと啼いている。



「努々、気を付けよう──!」



 ラカンはそう言い、より笑みを凄惨にしながら気を張っていった。

 集中力の底の底。空気の流れにもラカンの肌が痺れ、瞳孔が僅かに開いていく。あの兇刃の切っ先はもう、ラカンの首に届くのだ。



「行くよ」

「ああ」



 ラカンは初めて構えを取った。

 腰を下ろし、右腕を上段、左腕を下段に構えた前傾姿勢。



「来い」



 口にした瞬間、言葉とは裏腹に場は緊張して締め付けられるように動かなくなった。

 ラカンは構えたまま、リィラは棒立ちで脱力したまま。


──何が切っ掛けだったかは二人にしかわからない。


 ラカンがリィラの懐に飛び込んだ。


 一瞬、十メートルほどの距離を一息に踏破する。

 驚くべきは、その動きにまるで魔法を用いていない事。

 ただ愚直にまっすぐと、足を延ばして地面を蹴って、沈む体を利用して床を滑るように。


 踏み込んだ地面に罅が走る。


 そして突き上げられる拳を、リィラは既に知っている。

 魔法を使うからではない。魔力を持った物が動けばハリアの魔法は絡め取って感じ取る。


 だからラカンが近付くまでか動なかったのは、単純に他の選択肢の先に死しか待っていなかったからだ。


 リィラもまた魔法は用いない。

 拳が頬の横を通過するのを肌で感じながら、細剣の刃を走らせる。


 拳の余波がリィラの頬を切る。また、突き立てた細剣はラカンの首元の手前で静止した。



「っ──」

「──っ」



 互いにダメージはない。

 しかし頬に負った傷の分だけ、リィラの反応が遅れた。


 飛び退くリィラ。対して、飛び退く必要がないと判断したラカンの分。

 


「──"集諦・無間"」



 飛び退いた分の距離が"小さくなる。

 空中に飛びのいたはずが、目の前に供えられたかのようにリィラはラカンの目の前で一瞬宙に浮いた。


 轟、とその華奢な体に再び小山のような拳が打ち下ろされ。



「それは、もう知ってるよ」



 そしてラカンは気付く。リィラが剣を鞘に収めている事に。



「──"斥駆翔かける"」



 瞬間、鞘の口から神速の銀光が飛び出した。

 鞘の口と剣の唾で限界まで反発させあった力を解き放つ抜刀術。

 あまりの力に鋼鉄の鞘に罅が走り、そしてその一閃はラカンが広げ続けようとした距離を一瞬で駆け抜けた。


 しかし、ラカンはそれを手の平で受けた。

 音より速いその斬撃を、横から手の平で押して"いなして"みせる。



 リィラは"驚く"。

 届かないのか。これでもまだ。



 純粋にラカンは拳を付き出した。

 何の工夫も魔力もない愚直な拳。しかしそれは容易く骨の数本を砕くだろう。


 腕一本、目一つは当然、爪の先さえ失えば拮抗が崩れてしまう確信があった。

 


 後ずさるリィラに対して、ゆっくりと一歩ラカンは踏み締めるように足を進めた。

 裸足の足に砕かれた小石に、知らずリィラは自分を投影しそうになる。


 ラカンが自慢げに口元を曲げ、その瞳の奥に新たな悪意をのぞかせる。


 それが作る光景を、リィラは未来さきに視た。



「狭苦しいな……」



 構えを解いて暢気にラカンは言う。


 隙だらけの格好に、しかしリィラは全力で後退した。


 そうしなければ回避しきれない。

 ラカンが悟ったのだ。リィラが見れる未来がほんの数秒先だという事に。

 だからこそ、次に来るのは大規模広域攻撃。



「──"苦諦・鬼嚇し"」



 牙を剥いたのはリィラの足元に転がっていた、せいぜい指の先ほどの破片が数個。

 瞬きをする間にそれは巨大化し、床を壁を天井を全て押し潰して地上に頭を出した。



 その一つ一つが"塔"より大きい。

 突如現れた岩山のような、地から突き出る剣山のような。


 巨大な間欠泉に打ち上げられるように、リィラは空中に投げ出された。


 場面は上空。

 周りには暁色の澄んだ空気しかなく、春先の冷たい夜気が肌を触って去っていく。


 東の空はもうすぐ太陽の頭が出て来るのか僅かに白んでいて、こんな時なのにその荘厳さに一瞬思考が真っ白に染まった。



「リィラ、一旦、戻りましょう……」



 全力で後退して拾い上げたハリアが、肩の上で呟いた。

 その顔色を見て、リィラは瞠目した。無理な魔法で命を削り、血は止まらない。疲弊は当然だった。


 リィラはラカンの姿を探す。

 すぐにその姿をリィラは捉えた。見逃す事など、この右目にはありえない。

 

 しかし、その姿は"驚く"ものだった。

 ハリアの目は未来を見る。

 しかし"いわば占い"。何気なく以前ハリアが言ったこの言葉が、もっともその能力を如実に言い表しているだろう。


 世界の全てを包める訳ではない。


 だから当然、外れる事もあって。

 だから当然、ラカンがリィラと同じように夜明けの暁色に見惚れているとは思わなかったのだ。


 塔を押し退けて出来た巨大な岩山の頂点で突っ立っているラカンから、リィラは引き剥がす様に視線を逸らした。



「大丈夫?」

「……うん、平気よ」



 ハリアもまた、ラカンから視線を逸らしてそう言った。

 反り立つ岩山と平行に落ちている中、軽くリィラは"反発"する。


 とん、とん、と様々な物をクッションにして勢いを殺しながらリィラは地面に向かっていく。


 様々な物と繋がるその目は、"何かと作用する"リィラの能力と相性がよく、また、誰がどこにいてもはぐれはしない。


 降り立ったのは、やはり僅かに白んできている戦場の真ん中。


 坊主達の攻撃を押し返し、家の残骸と戦士とで幾重にもバリケードを張り巡らせたその場所では傷付いた人間達が治療をしている。

 すこし顔を上げればもう僅かばかりの亀裂を残すだけの"巣"へ続く階段が見える。

 

 突如降って来たリィラに人々は慄いて後ずさる。

 しかし、僅かながらにも事情を知る人間がそれを制し、僅かに道を広げてくれた。


 その顔を見て思う。もうない"巣"を見て思う。

 昨日と同じ物は、もうどこにもないのだ。


 ゆっくりと歩を進めて、向かったのはある男の元。

 そこは簡易な布張りで出来た陣営で、その中心に鎮座するその男は意外にも、リィラが背後に立つまでこちらの存在に気が付かなかった。


 頭に包帯を巻くのに忙しかったのか、それとも止血をしながら部下に指示を行き渡らせるのに夢中だったのか。



「"リリィ"……っ!!」



 だからルグルがリィラ達の存在に気付いたのは、その部下がこちらに気付いて声を荒げた時だ。

 弾かれるようにルグルがこちらに振り返った。


「お前、リィラ……」


 その目が面白いように色を変え、背後に背負ったハリアを、壊されたその足と目を、奪い取られた左腕を、血と砂利に塗れたその体を順番に見渡した。

 そして驚く事に、ルグルはぐしゃりと顔を歪ませる。

 何かを言おうとして、しかし直ぐにきつくルグルはきつく歯の根を噛んだ。


「ルグル」

「……ァあ」

「ハーちゃんを。出来ればクイーンに診て貰ってほしい」


 言って、再び気を失ってしまったハリアをルグルに預けた。

 それをルグルは両手で抱いたまま、誰かに預けようとしない。


「……アイツは」


 ルグルは言う。

 リィラは何も言わずに、塔の代わりに鎮座する巨大な岩山に視線を投げる。

 半ばその生存を予想していたように、ルグルは小さく目を細めてリィラの視線の先を凝視した。


「リィラッ──!!」


 そんな時、横合いからそんな声が聞こえてリィラはふらりとその先を見た。


「……みんな」


 偶然子供達がいた。

 いや、その脇にはルグルの部下のハゲがいる。恐らくクイーンを呼びに行って、その時に話したのだろう。


 しかしこちらに駆け出してきそうだった子供達は、リィラの有様を見て立ち止まった。

 口を手で押さえて、驚愕に目を見開く。


 そんな中、ノンストップでリィラに抱きつくのはいつもジャックだった。

 泥と血だらけのリィラに構わず頬を擦り付けるジャックを見てリィラは苦笑する。

 全くこの子は、情けないのか勇敢なのか分からない。


 少し遅れてビィトとエースも現れた。

 二人は少し驚いただけで、顔に真剣みを戻す。それだけでこの二人もこの戦争に参加した事が判った。


「みんな」


 ゆっくりと近づいてきた子供達の中に、リィラはジャックを体から離して混ぜた。

 そして自分は一歩退く。



「もう少しだけ、頑張ってくるね」



 また、皆が一様に驚いた。まだ戦うつもりなのかと、その目が訴えている。


 少し息を呑むその沈黙がリィラには堪えた。

 足が鈍ってしまいそうで、陽だまりのような温かさに眩んでしまいそうだったからだ。


 だからリィラは足を引いて、くるりと背を向けた。

 誰も何も言いはしない。

 子供達にも様々な理由があるだろう。

 かける言葉を見失っていたり、ただ何も言う気がなかったり、出てしまいそうになる言葉がリィラを困らせる事になりそうだったり。

 そう口に出す事が、リィラの死を予感させてしまいそうだったり。



「リィラ」



 だから、ルグルだけが声を掛けれたのは。

 ルグルと、そしてハリアだけが、リィラを理解しているからだ。


 振り返ったリィラに、ルグルは三本の剣を放った。

 がしゃがしゃと慌ててそれを受け止めてリィラは驚く。

 それは全く同じ造りの細剣。

 一体いつ作らせたのか、それを思うとリィラは困惑した表情をルグルに向けざるを得なかった。


「ちゃんと帰って来いよ」


 それにくわえて、そんな事をルグルが言うものだから、リィラは思わず苦笑してしまう。


「大丈夫」


 苦笑したまま、リィラは再び背を向けた。

 そこでリィラの顔から笑みが抜け落ちた事は、誰にもわからない。


「ちゃんと、殺しますから」


 穏やかで、優しくすらある声色でそう言い残し、リィラはその場を離れた。




    ◆





 それは生物ではない。それはまた命ですらない。

 深く深くその地に鎮座して長い時間が経った。


 注がれたのは人間達の深い後悔と積年の想い。

 静かに静かにそれはその想いを地の底のそれの底に沈殿させていった。


 それは生物ではない。

 しかしだからと言って意思がないわけではなかった。


 生まれたのだ、いつの間にか。

 最初は疑問を感じたのだ。

 せっせと人の想いをかき集めている自分はなんなのかと。


 だから時折掬い上げた。

 自己を確立するのは他者であると、そんな老獪な言葉を知っていたからだ。


 関わって、関わって、しかしそれは誰にも認知される事はない。

 それの親はそれの事を誰にも話さないままにいなくなったから。



 それは、陽が好きだ。

 温かい陽だまりが好きだ。


 人も好きだ。

 誰かに触れる度、例えようもない温かい物が自分の中に生まれてぽかぽかするからだ。


 幸せに。幸せに。

 いつしかそれはそう考えるようになった。


 自分の中に沈殿した血を命を穢れた憎しみと想いを。

 全て吸収して、廻らせよう。


 いつか、陽だまりに飛び出すその日まで。


 意思に引き上げられて、それはいつか命を芽吹く。

 だからそれは待つ。



 地が満ちるその時と、血を刻まれた銀の鍵を。






    ◆






 面白半分で自分の指を握らせようとした親の指を引き千切ったのが、自我の目覚めだった。

 それから先の事は、語っても仕方がない。

 同じような事を、ずっと繰り返して来ただけだ。


 時が経つほどに規模が大きく、悲鳴と憎しみが増えただけ。

 それを乱暴に鷲掴みにして食い散らかしても美味しくて美味しくて満腹を感じた事はない。


 原動力だったからだ。食った端から腹が減る。

 飢えた獣のように、喰らい続けた。


 ただそれが、楽しくて楽しくて。楽しいだけだった人生に一片の後悔すらラカンにはない。


 ふと、ラカンはぼーっと朝日を眺めている自分に気付いた。

──はて何をしていたんだったか。


「ラカン」

「……ああ」


 背後から聞こえた声に、ラカンは覚醒した。

 走馬灯のように全てが脳内に蘇り、下腹部を突き上げるような強欲が沸き立って体を火照らせる。

 抗えない。口元が上がるのを抑える気すら起こせない。


「やるなぁ、ルグルだっけ」


 一時は圧倒していた僧兵達が、数の力で押し返されている。

 いや、友の死骸を踏み越えるその執念の力、と言った方が正しいだろう。

 いくら数が居ようと烏合の衆では、一人たりともあの獄卒を殺す事は出来ない。


「終わっちまうなぁ、リィラ」


 そこで初めてラカンは背後に立つリィラに振り返った。

 強く風が吹く岩山の頂上。風に髪をなびかせるその姿は、本当に儚げな少女のようだ。


 しかしその腕には剣を、その瞳には殺意が備えられていて、男だろうと女だろうとそこに居るのは戦士だ。

 

「俺なぁ、あの神様に言われたんだよ。去り際にぼそっとな」


 "お前は、俺の敵じゃない"


 リィラは何も言わない。

 ただ佇んで強い風を受けながら、無色透明の目をラカンに向けている。


「どういう意味だろうな」


 素直に受け取れば、敵にすらなれていないと言う意味だろう。

 以前一度、ラカン自身がルグルに言った事を覚えている。


 しかし、もしかたら。


「お前が俺の敵だと、そう言ったのかもなと、今──」

「違うよ」


 言いかけたラカンの言葉に被せるようにリィラは初めて口を開いた。

 そしてどこか冷徹な声でその細い喉を震わせる。


「お前は、僕の敵じゃない」


 冷たく言い放たれた言葉に、ラカンは少し胸を痛ませた。

 痛んだ理由は分からない。ただとりあえず、そうか、と短く言葉を返す。


 沈黙がやってくる。

 朝焼けと肌寒い風を惜しむように時は進まない。


 それを嫌ったのかゆっくりと口を開いたリィラを、名残惜しそうにラカンは見ていた。


「実はお前が殺した人を、僕はほとんど知らないんだ」

「ん?」


 ぽつりとリィラは話し出した。

 戦士のような佇まいはどこかへ引っ込み、ただ真摯にこちらを見つめている。


「僕は知り合いも友達も居ないから、正直」

「ああ、まあ、そうだろうね」


 簡素な言葉を返すが、ラカンの口ぶりから退屈さは感じられない。

 気軽さと悠長さと、それをゆるりと楽しむ穏やかさがあった。


「でも、僕にとってのギドみたいな人だって、多分いたんだ。うまく言えないけど」

「ああ、知ってる」


 ラカンは子供の馬鹿な質問に丁寧に答えるように、頷いた。


「知ってて、だから殺しちまうんだよ」


 しかし返ってきた言葉は、とても子供に説くようなものではない。

 リィラはその言葉を聞いて、何の反応も返さなかった。


「そう。まあ、聞いてよかった」

「そうか」

「うん」


 ただ、しゃらんと鞘を鳴らして差し込む朝日の中に鋼の刃を晒す。

 その端正な顔に蘇るのは戦士の相貌。ハリアの物と交じり合って妖艶さを増した魔力が空間ごと威圧する。


 ギドが守り、ルグルが託し、子供達が支え、神が背を押し、ハリアと繋がったその姿。

 神聖で、究極で、とても甘美に見えた。


「じゃあ、終わらせよう」

「ああ最後だ」


 びしり、とラカンの足元の岩に罅が走った。

 それはラカンがその膨大な魔力を一切の加減もなく顕現させたからだ。


 知らず自重が増え、空気の重さや密度、周りの小石や誇りにも影響した。


 景色が歪み、大きな石や岩さえも持ち上がってふらふら途中に浮いている。


 増大したリィラの魔力を苦もなく押し返してくるその力。

 まだ底じゃなかったのかと、リィラは思わず感嘆する。


 終わりが始まる。

 またも何のきっかけもなく、二人は違いに向かって跳んだ。





   ◆





「あ……」


 ふとハリアは目を覚まして、自分を包む温かい何かに気付いた。

 柔らかい太陽の光の中に浮かんでいるようで、とても心地良い。


「おいルグル、目を覚ましたぞ」

「何で手前はそんなに偉そうなんだよ」

「うるさい、我の勝手だ」


 変な一人称で自分を呼ぶなぁ、とハリアは次に思って、ルグルの名が会話の中に気付いたのはその後なのだから、ルグルも不憫なものである。

 見えているのはぼんやりと滲んだ簡素な布張りの屋根だけ。


 少しずつ焦点があっていく途中で、その顔がにゅっとハリアの目の前に現れた。


「よう」

「……あなたにしては、陽気な登場ね」

「手前、俺が遠慮してケンカ買わないと思ってんのか?」

「ううん」


 懐かしい顔にハリアは微笑んだ。


「久しぶり、ルグル」

「ああ、久しぶりだ」


 言いたい事がたくさんあった。言わなければならない事も、聞かなければならない事もお互いに。

 しかし、そんな事は無邪気な勢いに横からひっくり返された。


 布張りは屋根だけだ。

 勢いのまま走り込んできた影は、小さなものから大きなものまで合わせれば十以上。


 そのどれもこれもが滑り込むようにハリアの傍に座り込み、まじまじと顔を覗き込んできた。

 ちなみにルグルは後ろから突き飛ばされて、不細工な恰好で床に転がっている。


「うわぁっ、リィラだ!」

「違う、髪長いもん」

「ねぇっ、双子ってホント?」

「どけって!」

「うわあ、こりゃ凄いや、見てよビィト」

「すげえな。一卵性か?」


 顔と顔が衝突しそうな勢いで接近してくる子供達にハリアは思わずたじろいだ。

 その間にも子供達は興奮顔で矢継ぎ早に質問してくるものだから、頭の中はまとまらない。


「え、えっと、えっとね……」

「ちょっとみんな、神子様困ってるでしょ」


 ずい、とハリアと子供達の間に腕を付き出してきた少女がそれを止めた。

 責任感がありそうな顔つきで、しかし肩越しにちらちらとこちらを覗いている、その少女。


 ハリアはふと思い出した。

 たぶん、この子はシータだ。

 前と特徴はコドラクの持って来た書類で見ただけだが、何度も見返したのだ、多分合っている。


 いそいそと治療をしていくれているのはクイーン。

 頭一つ皆より大きいから悠々とこちらを見下ろしているのがエースとビィト。

 イースレイも、アイも、エフリムも、エルトリアも、ディルムッドも、エイチルもいる。

 オームも、ケールクも、エムリィも、ピリカも、ジーアも、エヌールもだ。

 ジャックだけは、エースの後ろに隠れて顔の半分を覗かせているだけだったが、それも想像通り。


「うわあ……」


 絵本の中の登場人物に会えたようで、ハリアの顔に興奮混じりの笑みが広がった。


「いいの、ありがとう。それと私とリィラは二卵性。ほら瞳の色が違うでしょ」


 言って感心するように唸る子供達を見て、いけないとハリアは気を取り直す。


「ハリアと言います。リィラの妹なの。よろしくね」


 途端、一瞬の沈黙の後雪崩れ込むように一斉に子供達が思い思いの形で自己紹介をしだした。

 自分が自分がと喋る子供達を、ハリアは一人一人聞き取っていく。 


 そして最後、一人だけ遠くにいたジャックに目を向ける。

 びくりと肩を揺らしたジャック。

 その襟首を、背後からぬっとあらわれたやたら長い手が引っ掴んで持ち上げた。


「ルグルです。ここらのチンピラの元締めやってます、よろしくゥ……」

「ぎゃあああああああああああ、死ぬうううううううううううううう!!!」


 ばたばたと喚くジャックをぽいと投げ捨てて、ルグルはクイーンに顔を向けた。


「どうだ?」

「……血は止まったが、酷く悪質に破壊されてる。目と足はまだ判らん」


 和やかだった空気が、さっと温度を失った。

 ここは戦場で、自分が重傷を負っている事をハリアは思い出した。


「……ルグル。リィラは?」

「行ったよ」


 子供達を押し退けてルグルはハリアに近づくと、ゆっくりとハリアの体を抱き起こした。


「見えるか」

「ええ、ありがと」


 身を起こした瞬間、ハリアの体に激痛が走った。

 呼吸ができなくなるほど激しく、立ち眩みのように視界に黒い帳が下りる。


「おい、あまり動かすな!」


 クイーンが怒鳴った。

 ハリアの体を小さな体で抱き締めるように抱えて、ルグルとは逆に寝かせようとする。


「ルグル」


 ルグルが動く前に、ハリアがルグルの動きを制した。案の定、言葉と同時にルグルがピクリと反応する。

 一人で安穏としていてはいけないのだ、見なければならないのだ。体が痛くても目がなくても。

 ルグルはそれを分かってくれているだけ。


「クイーン、でいいかしら」

「……構わん。我もハリアと呼ぼう」


 その声に強い意志と誇りと才能と、様々な物を感じた。

 リィラがこの子を作る環境の小さくない一つだと思うと、少し誇らしくてハリアは微笑んだ。


「クイーン、私の事は良いから、他の人を治してあげて。もう、血は止まったから」

「……駄目だ。今治療しても完全に治るかは判らないんだぞ。時間が経ち過ぎてるのだ」

「それこそ、駄目」


 生死をかけて戦っている人がいる。生死の境をさまよっている人もいる。

 それにまだ、ハリアは戦っていたかった。


「他の人達に。だって死ぬ訳じゃないんだから」


 動かない足に眩暈と吐き気を感じながら、狭い視界に息苦しさを感じながらハリアは口を動かした。


「……それにね、この怪我はこのままが良いの。お願い」


 ハリアの言葉にクイーンは目を大きく見開いて、そしてやがて小さく頷き他の怪我人の元に走って行った。


「あ……」


 誰かが声を発した。

 指を指したのは、ハリアが向いている塔の方とは反対の方向。


 ハリアもつられてそちらを見る。

 一体何があったのかは知らないが、そこには黒鉄色の半球状の大きな何かがあって、今は丁度それが頂点から消えていくところだった。


 差し込む朝日に溶けるようにそれは消えていき、そしてその割れ目から次々と飛び去っていくドラゴンの群れが見えた。


「あっちは、終わったか」


 ルグルが呟いて少しそこから視線を落とした。

 そこにあるのは人一人がようやく入れるほどの小さな亀裂。あれほど巨大で深かった"巣"の名残だ。


 また視線を戻した。

 そうすると、龍の姿を見たからかテントの外にいた人達が皆一様の行動をとっていた。


「……信仰心なんて、もう死んでると思ってたが」


 手を組み合わせて、それを胸に抱き膝を付く。

 一人が、それを見てまた一人が。祈りを捧げ首を垂れる。


 自然とハリアも手を組み合わせていた。

 神に祈る訳ではない。ただ、望む未来を切に願う。


「ねえ、僕たちもやった方が良い?」


 傍らにいたピリカがふとハリアにそんな事を言った。

 ハリアは少し考えて、また微笑んだ。


「そうね、一緒にやりましょうか」

「でも、あんま意味ないよね」

「そんな事ないわ。だって、」


 神様が助けてくれるとは言わない。

 事実、ハリアが祈りを捧げていたのは、自然と助けを求めてしまったのは神ではない。


「忘れた頃にね、助けてくれるってそう言ってたのよ?」




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