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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
217/281

悪人

遅れました





『物を大きくする能力』




 子ども達と別れて"街"に向かう道すがら。

 サヤと会ったのはそんな場所だった。


「つまり、敵の能力の正体が、でございます」

「はい?」


 そんな重大な事を聞いたのは、偶々行きで同じになったサヤと併走しながらだ。

 サヤの言葉に思わずリィラは困惑の表情を浮かべる。


「私はまだ魔法の法則に慣れていませんが、だからこそ俯瞰の視点で見て気付いた事が一つ」


 ぴん、とそう言ってサヤは顔の前で人差し指を立てた。シータみたいだ、とリィラは思った。


「魔法は出鱈目で、てきとう」


 決して適当ではなく。とサヤは繋げた。


「神話や伝承染みたこじつけと妄想の産物です。まるで誰かが一人で思うがまま作ったかのような」


 リィラは曖昧ながら頷いた。

 人によって感じ方は違うらしいが、リィラにとって魔法とは"常識"だ。自分だけに与えられたルールと言い換えても良い。


 出来ると思った事は出来るし、出来そうだと思った事は頑張れば出来る。


「まあ、それはともかく。話を戻します」

「はい」

「敵方の行った特殊な攻撃防御の手法は聞き伝えですが伺いました。それを主様と二人で考察した推論に過ぎないのですが」


 そこまで一息に言って、サヤは一度こちらの表情を伺った。

 こくり、とリィラは頷いて立ち止まる。


 丁度、分かれ道に差し掛かっていた。

 少し向こうに避難誘導の人間がいる。サヤは両手に抱えた人間を渡して戻らなければならず、これ以 上話を聞くのならリィラも少し立ち止まらなければならない。


「構いません。聞かせて下さい」

「……結構。では」


 曰く。


「噛み砕いて言うならば、彼の力は"質量"と"体積"の操作」


 もちろん、この二つが適うなら密度もある程度は変えられるはず。とサヤは言う。


「魔法が出鱈目だと言ったのは、あまりにその作用範囲が広義的だと感じた故です」


 あくまで、サヤとハルユキの推論通りの魔法なら、と前置きをしてサヤは続ける。


 曰く、自重の操作。

 軽くすればその分速さは上がり、接触の瞬間だけ重くすればその衝撃は何十倍にも膨れあがる。

 曰く、空から降る死体の雨。

 死体そのものを小さくしていれば、戻した瞬間降り注ぐ事になる。

 曰く、地面ごと押し潰されそうになる圧力。

 空気の重さを増しただけだ。


 曰く、直ぐにふさがる傷口。

 曰く、届かない攻撃。

 曰く、足の一振りで吹き飛んだ街の半分。


 例えば"傷が小さくなれば"。

 例えば"近づく度に距離が大きくなれば"。

 例えば"足で作った溝が大きくなっただけならば"。


「――――……」


 本来の"物を大きくする能力"を木の幹とするならば、それは分岐して広がった枝の先のような到達点。

 出鱈目と笑う事も、その力に慄く事も出来る。


「とにかく、話半分に記憶して下されば」


 そう言って、サヤは推論を締めくくった。







――リィラは天井を滑るように移動し、ラカンは壁や床そして時には舞い散る羽毛に乗ってそれを追う。   


 どうやら制空権もリィラにはないようだ。


 相手は万物の体積と質量を操る。 

 こちらは斥力と引力を操る力のみだ。能力的にも勝っているとは言い難い。


 そう見切るや否や、リィラは全身の魔力も筋力も気力も全てを弛緩させると、天井から足が離れた。

 ひゅるりと重力の中を流れるように頭からその体が地面に向かう。


 戦いが始まってからラカンの姿など一度も見えた事はない。

 速度の違いは圧倒的。しかし勘と気配を察知する術はこの十三年、死ぬほど森で学んでいる。無駄ではなかったのだ。


 ラカンが来る。目を瞑る。


 一歩、背後の壁を蹴った。

 一歩、床に降りた。

 一歩もう一度天井を蹴り付けて。


 ラカンがリィラの目の前に散る羽毛の一つに降り立つその刹那。



──ぱん、とその羽毛を魔法で弾き飛ばした。



 目を開ける。

 瞬間的に足場をなくして呆気に取られるラカンに剣を薙いだ。


 しかし、いとも簡単に上体を反らしてラカンはそれを避ける。その口元には笑み。まだ底は遠い。


 ならばともう一本の剣が今度は上から切り下ろす。その剣の柄をラカンの足が蹴り上げた。

 上半身だけを重くして、振り子のように体が回転したのか。


 直撃はしていない。反発する力で押し上げられただけだ。しかし握り損ねた剣は空中に投げ出された。


 下は柔らかな布張りだ、墜落を気にする必要はない。

 つまり落下しながらの攻防はまだ続く。


「――――っ」


 くん、とラカンの体が空中で独楽のように回転し、リィラの顔面にもう片方の蹴りが迫る。

 速い。

 軽業のような仕草。足場のない状態での攻撃。しかし迫る蹴り足は直に山のような質量を手に入れるだろう。

 丈夫でもないこの体は、木っ端微塵に散るのが必定。

 従ってなるものか。反撥しろ。


 足場がないのはこちらも同じ。

 迫るのは山の質量だ。"使う力"は僅かでもまだ多い。


 イメージするのは空気に押される木の葉のような。


 ふわり、と僅かにリィラの体は泳いで、ラカンの爪先が通過するのを目前で見た。


「――――」


 本当に自分は非力だ。常々そう思う。

 あちらこちらにふらふらと引き寄せられては自ら離れての繰り返し。


 自分の性根を表したようなこの力だが、リィラはあまり嫌いではない。


 だから今度は引力。

 離れていく蹴り足に細い糸をくくりつけるようなイメージ。


 一瞬だけ引っかけて離す。


 ぐん、と細く軽いリィラの体は持ち上げられ、ふらりとその体はラカンの真上に。


 しかしラカンは稚児とじゃれ合ってでもいるつもりなのか、微笑を崩さない。

 その目を穿たんと、リィラは剣先を真上からラカンに向けた。



「──"斥駆かける"」



 神速で剣が駆けた。

 龍の体すら貫く一突きは、しかしラカンの鼻先寸前で届かない。

 しかし、もともと通るとは思っていない。


 ただ、更にリィラは剣を押しつけた。

 ラカンの背が地面につく瞬間とほぼ同時に。


 ラカンの顔が初めて驚愕に見開かれた。


 落下が終わり、落ちたのは布張りの真ん中。

 跳ね返り、ラカンの顔が自ら剣先に向かう。



「もう一度言う」



 刃が布張りを貫いた。

 ぱたり、と滴る血が布張りを汚す。


 裂いたのは、ラカンの頬の薄皮一枚だけ。

 否、ラカンの頬の薄皮一枚にどれだけの労力と年月が必要かは計り知れない。


 辿り着いた、とそう言いあらわすのが正しい。



「僕がお前を殺すよ、ラカン」



 ぬるり、とラカンの頬を血が伝い、それをラカンの指が受け止め、傷をなぞった。


  



  

    ◆






『こちら"殻"西部! 駄目だ崩される、応援──!』


 それを最後に、ぶつりと通信は切れた。

 車椅子に座った老人は、それを聞いて焦りが混じった舌打ちをする。


 "巣"が使えない事で街の門を破り手早く砦を作る。そう言う作戦で組み立てられた"牙"の策。

 迅速で、"街"の内通者と連携し考え得る限りでは最良の拠点が出来上がった。


 その手腕は称賛に値しこそすれ、非難される事ではない。


「保てぬか……」


 老人は苦しげに呻いて、手の中の魔石を見つめた。

 足りないのだ。

 最良であっても、届かない。だからルグルは最初から行き詰っていると老人にだけは話していたのだ。


 ラカンによって強化されているらしい僧兵共は、おおよそ百と七人だと言われているが実際の数は定かではない。

 その殺傷力は一人で龍を縊り殺す。

 改めて思う。なぜこんな輩が群れているのだ。


 しかし、敵の強大さに竦むことほど今意味のない事はない。


『こちら北部! こっちにも僧兵共が出た! 五、六……くそが八人も居やがる!』


 殺した数は逐一報告させているが、遊撃に当たっているルグルも合わせて十人程。

 それもこちらは優にその数百倍の犠牲をすでに出してる。

 少なくとも百はいる僧兵を殺すと考えると、気が遠くなりそうだ。


 こちらの武器は優に十万を超える軍勢。

 どこにこれだけ居たのかというほどの人間が、未だ後ろに控えていて、続々と"街"に人が流れている。


 だからこそ、ここを占拠されるわけにはいかないのだ。

 

 唯一"巣"から"街"に登れる関所。

 ここを破壊されてしまえば、迫る崖に押し潰されて数えきれない人間が死ぬ。


 いくら"個の力"が強くとも、数にものを言わせて町中を包囲すれば少数ですべてをカバーする事は出来ないはず。

 そうなればこちらの勝ち目も濃くなってくるだろう。

 だから少なくとも、"巣"から"街"への移動に必要なおよそ5時間。

 建築に長けた魔法の持ち主が数十人がかりで新たに"巣"からの道を作っている事も加算しての5時間は、ここを奪われるわけにはいかない。


「……ルグル、今どこに居る」


 老人は静かに魔石に呟く。

 すると、すぐに声は返ってきた。


『こっちは丁度北だ。こっちは何とかする。西の方はそっちで頼む』

「分かった」


 言って、老人は魔石を置いた。


 東の人材を使う訳にはいかない。

 状況などまるで分っていない"街"の人間を誘導する役目もある。


 となれば、"巣"から上がってくる戦力に期待するしかないが──。



「手遅れか……」



 老人がいる場所は屋根もなく、木で作られたバリケードの内側の広場。

 バリケードは一定距離ごとに幾つも出来ていて、老人がいるのはその丁度中心。





 周りに居るのは戦えない女子供と、それに即席の治療を施される瀕死の戦士達だけ。

 それなのに、奴等はやって来た。



「──見ぃィィィいつけたぁッ!!」



 声と共にざわりと、広場に動揺が広がった。

 声の主は西へと続く道の向こう。

 子供のように無邪気なその声は、信じられない事に筋骨隆々の坊主から発せられていた。


 "獄卒"。

 その手に持った物に、女子供が思わず小さく悲鳴を上げる。

 "それ"は面白半分に坊主の手からバリケードの中に放られ、脂と血と肉を撒き散らし、更に狂乱に拍車をかけていく。



「──女子供は下がれっ!」


 一人の戦士の声に、女は子供を抱えて下がり瀕死の男達が起き上がって剣を取る。


 まだ姿は遠い。

 中央から数えて2つ目のバリケードが文字通り踏み潰される。


「止まれェェぃッ!」


 一つ目と二つ目のバリケードの間にも戦士達はごまんといる。

 その中の一人の大男が一歩前に出た。

 人二人分ほどの長さの槍を軽々と振り回し、びたりと坊主の鼻先に止めた。


「ここは通さ──!」


 ふ、と楽しげに坊主の指先が槍の先を弄び、手の平で撫でて、そして一番近い棒の部分をがしりと掴んだ。

 ほぼ同時に、剛腕で少しは名の知れた男の足がふわりと足を離れる。


 戦士達は息を呑んだ。

 二メートルはある大男が、槍先だけで持ち上げられていくその光景に。


 広場中が静まり返っていく。

 十三年前は虐殺だった。つまり戦うのは初めてなのだ。その力の差が果てしない事を改めて思い知らされる。


 そんな中、一番最初に我に返ったのは持ち上げられていた男、当の本人だ。

 いや、それは気付いたと言った方が正しい。

 こいつ等は一人で百を殺すのだ。自分一人で、こいつ等の片腕を封じられるなら行幸であると。


「構うな、行──」


 瞬間、宙に持ち上げられていた男の首が飛んだ。

 ぱくぱくと死んだ事に気付かずに数度口を動かした後、静かに目から光が消える。

 どこからか跳躍してきた二人目の坊主が、飛ばしたその首を面白半分に持ち上げて、バリケードの中に投げ入れた。


 三人目の坊主がどこからともなく現れて、呆気に取られていた戦士の首を十三人分へし折った。

 四人目は、戦士の顔面を潰してどかした。

 五人目は興味なさ気に逃げようとする女を見つめたまま、死んだ戦士の死体を道すがらに蹴り飛ばした。

 六人目は、その登場の時点で、あらかたの人間に膝を付かせた。

 七人目は。八人目は。九人目は。十人目は。十一人目は。


 そして最後に、二十三人目の坊主は、最後のバリケードを踏み潰した。


「そ、んな……」


 同じ背丈同じ格好同じような顔。

 それが手を血に染め、目に悪意を込めて歩いてくる。

 一人で何人もの戦士の決死を歯牙にもかけずに殺し尽くす化物の群れがやってくる。


「や、やばい。やばい、やばいぞ逃げろ!!」


 誰かがそう言った瞬間、こちらの劣勢は決まった。 


 同時に僧兵共が目元まで口の端を釣り上げ、バリケードの中に突っ込んだ。


 始まったのは戦闘ではない。もう戦闘にもなっていない。

 必死の形相で逃げ惑い、あるいは飛び掛かる人々を、追い、捕まえ、殺して、踏み潰していく。


 冗談の様に人々が吹き飛び、悲鳴が伝染して連続し、死が飛び散り、もの凄い勢いで人が坊主達がいる場所とは逆の方向に走っていく。


 老人はそれを愕然と見つめ、やがて口を引き結び腰を上げた。



「一旦北に移動しろ。ルグルと合流し、指示を仰げ」

「は」



 傍に控えていた側近が、静かに目を伏せて側近は走り去った。

 それを確認して、老人は杖を取り出し、地面に突く。



「離れろォッ!」



 振りかざした右手が、数十年ぶりに魔力を練っていく。

 その瞬間を待っていたかのように、滑らかに魔力は流れて巨大な炎の塊を作り出した。


 戦士達は一斉に離れる。

 対して、坊主達は突っ立ったまま、半笑いを浮かべてこちらを見据えている。


 当然のように、老人の魔法は坊主の腕の一振りで掻き消された。



「退けえ──!!」



 同時に側近が声を張り上げ、人の波が一斉に北へと流れ出した。

 坊主達は、それをゆっくりと見渡した後、一人残った老人に向き直る。


 ずん、とその逞しい足が老人に向かって踏み出された。

 それを見て、老人は怖がるでもなく喚くわけでも怒る訳でもなく、ただ少しだけ背中を丸めて疲れたように呟いた。


「……全く、何がしたいのだ貴様等は」


 周りの坊主達も、逃げている人間達を追わず老人に向かってくる。

 何がしたいと言ってはみたが、大体は分かっていた。


 ただ単に、多少名が知れていて、誰よりも長く生き残っていた老人の死体を振り回しながら追いでもすれば、より楽しいと。

 そんな事を思っているだけだろう。単純で明快で純粋でしかし決して共感はない。


 壊れているのだ。言葉は届かない。

 それでも、老人は頭の中で言葉を探していた。


 老人は対して頭が切れる訳でもない。

 力がある訳でも、魔法の才に長けていた訳でもない。

 ただ話したのだ。心空くまで、友となるまで誰とでも。一時期は、理解しあえない人間などいないと、そう悟った気になった事もあった。


 ざり、と目の前で存在をひけらかす様に足音を鳴らして、坊主が目の前に立った。

 丸めた老人の前に、それは高い壁の様に立ちはだかる。


 その顔を見上げて、改めて思う。

 理解が出来ない。話が通じる気もしない。


 あまりにも距離が遠い。

 


「どうか、出て行ってくれんかの……」



 そんな老人が言ったその言葉は、老人の今までの人生をすべて否定するような言葉だった。

 しかしそんな事は坊主には当然関係が無い。 

 何の感慨もない坊主の手が、何か言葉を返そうともせず老人に手を伸ばす。




──瞬間、坊主の体にアホ程太い鎖が巻き付いた。




「な──」


 驚いたその声は、その場のほぼ全員によるもの。

 どこから来た。来たとしても速過ぎる。


──真実としてそれは、分解した鎖が坊主の近くで結合し巻き付いた故の速さだった。

 しかしそんな答えに辿り着く事もなく坊主は蛇のようにうねる鎖に締め上げられる。


 鎖に雁字搦めにされたまま坊主は空中に持ち上げられる。

 そして、丁度上空に跳んでいた誰かが示し合わせたようにその顔面を鷲掴みにした。



 ぐん、と息もつかず今度は坊主の体が急降下する。

 落下地点は、坊主達が集まっているその中心。


 坊主の頭が地面に叩きつけられて、瞬間。"街"の硬い石の床を根こそぎ吹き飛ばすほどの爆発が起きた。



「ぬおォッ……!」



 離れていた老人さえ爆風に吹き飛ばされて地面を転がり、もうもうと大きく抉れた地面から炎と煙が巻き上がる。


 その高家に驚く老人の目の前に、とん、と誰かが着地した。

 見ればその煤けた顔は知った顔。

 遅れて老人の背後からもまた、人影が現れる。これも知った顔。こん、と二人は小さく拳を合わせた。


「貴様ら、教会の……!」

「あ?」


 ふい、とその内の比較的背の高い方が肩越しにこちらを見た。

 すぐにまた、興味なさ気に視線は戻される。


「誰だこいつ」

「民間の人でしょ? おじいちゃーん? ほらー、立てるー?」

「貴様、分かって言っているだろう……!」


 青筋を浮かべた老人に、けらけらともう一人は笑う。

 最初の一人はそれを見もせず面倒そうに鼻を鳴らした。


「おい、貴様らもういいから逃げろ……!」


 二人はこちらを見もしない。

 じっと、立ち上る爆炎の中を見据えたまま、二人の間でポツポツと言葉を交わすだけ。


「聞いているのか、ガキ共の悪戯には過ぎた相手なんだ……!」


 剽軽に笑っていた子供は確かエースと言ったか。

 エースは、す、と切れ長の目をこちらに向けた。その殺伐とした目の色に思わず老人は肩を跳ねさせる。


「つまり、心配してくれてるんだ」

「あ、ああ……」

「へえ、だってよ、ビィト」


 言いながらエースは再び炎の中に視線を戻し、もう一人のビィトと呼ばれる男もこちらを見ない。

 なぜなら、その炎の中で何かが動いたからだ。

 近くに糞の掃き溜めがあるような不快感に、老人も弾かれるように顔を上げ炎の中を見つめる。


「やはり駄目か……」


 ゆらりゆらりと、炎の中で何かが揺らぐ。

 その影の数は、二十二。獄炎の中で遊ぶ小鬼のようにすら思えた。


「じじい」


 闇夜の中、炎に照らされたビィトが口だけを動かして言った。

 その顔が諦めている訳でもなく、絶望している訳でもなく。

 幾人もの人間と会ってきた老人にも、まるでビィトの内心が読み取れなかった。



「俺達を嘗めるな」



 瞬間、爆炎が掻き消えて辺りが闇に包まれた。

 吹き飛ばされたか、掻き消されたか、それとも意思を持って逃げだしでもしたか。


 松明の明かりさえ消えた中、闇の中をずるずると二十二人の狂人が蠢くように動く。



 ぬ、と坊主の首が唐突に闇から浮かび上がり、そして地面に落ちた。

 先程ビィトが殺した坊主の首だ。

 それを蹴飛ばして、更にもう一つ首が浮かんだ。


 今度は息づいて悪意を隠そうともしないその顔に、ビィトとエースはひるまない。

 それを見て、もう少しだけ坊主の口元が上がった。


「辛かったろうな」


 この歳で恐怖を飲み込めるようになる生活とはどのような物だったのか。老人にもその心境は分からない。


「地獄を知っている。そういう点では、俺達と同類だ」


 地獄に落とされた側か、地獄を意図的に作り出した側か。

 決定的に違うものの、この世の底を知っているという点では同じ。


 更に更に、際限なく目じりを下げて口元を上げ坊主は狂喜を示した。



「小僧、そう言うお前等は、実に美味くてたまらないんだ」



 ぼん、と明かりが灯った。

 ビィトの魔法だ。炎の球が時々内側で爆ぜながら、そこらに浮き上がっていく。


 浮き上がっていくのは、その火に照らされた物もだ。

 砕かれた石床。散らばる破片、血肉と死体。そして、それらを啄む僧兵共。



 その悍ましい光景を、二人は鼻で笑った。



「地獄ね、天国なら知ってるけど」


 愉しげに笑って、エースは言った。

 何を言いたいのか分かって、ビィトも笑う。



「ストレッチか」

「あれ、確か名前は天国だったよ」

「血と痛みに満ちてるのは地獄だろうが」

「ま、確かに」


 エースは少しだけ笑みを小さくして、代わりに何かを思い出す様に目を細めた。


「……他は本当に、楽しかった覚えしかないからね、僕は」


 ビィトは首肯すらしないが、にわかに動意の色を示している。


 飢えに苦しみながら、黴の生えたパンを口にねじ込む事は。

 誰かから水を奪い取ってその日の渇きを癒す事は。

 知っている顔が、生気を失って道端に転がっている事は。

 八つ当たりに近い感情で街中で暴れる事は。

 誰かに目を付けられ、やたら強い男女にボコボコにされる事は。



「気付いてるかな?」



 無理やり教会に引きずり込まれる事は。

 何人かのやかましい子供と一緒に暮らす事になった事は。

 冷めた味の薄い飯を、騒ぎ立てながら啜る事は。

 毛布が足りず、身を寄せ合って眠った事は。



「あの場所が地獄だって言うんなら、アンタ等もタカが知れてるんだよ」



 地獄などでは決してないと、二人は言った。

 打ちのめされたように老人と坊主を固まらせる。


 老人の中には様々な感情が渦巻いた。



「小僧共……」



 このエルゼンの地を堕としてしまった事に申し訳なさは常にあった。


 自分はのうのうと平和な国で暮らし、そして余生も長くない所で悪意の侵入を許し、この地を地獄に変えられた。

 死ぬ訳にはいかなかった。

 自分たちが残した地獄を、何の罪もない子供に押し付けて死ぬ訳にはいかなかった。


 この地を愛していたからだ。 

 何もない清貧な国だったがそれでも愛していた。

 良い所を子供たちに伝えたかった。どうか自分の愛する故郷を嫌ってほしくなかった。


 だから、国を奪還しようと思い続けた。

 自分たちの国を好きでいてほしかった。


 だがどうだ。この二人を見ろ。

 まるで地獄などではなかったと。

 この国でなくてもいい。

 "巣"でも"街"でもなく、その中にある小さな家族だけであっても。

 捻くれた言い方ではあったが楽しかった、言ってくれた。


 無くしたくないと、一緒に生きていたいと。その為に命を懸けるほどに。

 

 "悪かろうが、良いところはある"と。

 程度の違いはあれど、確かに共感していたのだ。

 老人がしたことに意味があったわけではない。


 ただ追い求めた事がひょんに転がってきた、それだけの事。

 それだけの事が、老人の中の何かが報われた気にさせて、皺だらけの体に熱いものが込み上げた。





「──っひひひ」



 そして、あまりにも対極なその反応が、坊主と老人たちとの決定的な違いを現していた。


 坊主共は笑う。

 静かに目を細めるエースとビィトを傍目に笑う。

 愕然と目を見開いて地に伏す老人を傍らに笑う。



「哀れだな、お前たちは」



 げらげらと腹を抱えて身を捩り膝を叩いて一斉に笑い続ける。

 疑問と不快感を浮かべている二人に、坊主達は気付いて目の端に浮かべた涙を救った。

 そして、もったいぶるように口を開く。



 "嘗めてんのは、お前らなんだよ"と。



「俺達に勝って、お前らどうする気だよ」



 口々に二十二人の坊主共が言葉を連ねていく。



「お前等が倒さなければならないのは俺達じゃないだろう」

「お前等が倒したいのは俺達じゃないだろう」

「お前等が倒せなかったのは、俺達じゃないだろう」



 一言一言別々の人間が言葉を繋げていくのを見ると、まるで何か一つの意思に統率されているかのようにも思える。

 再び背中に這い上がる悪寒を感じながら、老人は強く坊主を睨む。

 それを受けて、じっと坊主は老人の目を覗き返した。


「なあ、お前等は何と戦ってると思ってる?」


 からからと関節だけが動く人形のようで、生欲に猛る獣のようで、残酷さだけを取り出した子供のようで。



「盗賊か?」

「仇か?」

「悪魔か?」

「化物か?」

「神か?」

「怪物か?」

「俺達か?」



 違う、と坊主達は口を揃えた。



「それが嘗めてるってんだ。そんなんじゃてんで足りねぇよ」



 言うと、坊主は"月"に建つ渦貝状の塔に目を向けた。



「リリィを、行かせたな」



 坊主は塔を見つめたまま言う。

 何の感情もない、敢えて言うなら泥の中に落としてしまったパンでも見るような。



「ならもう、元通りになるものは一つもない。お前等が取り返したいものも帰ってこない」

「なに……?」


 思わず聞き返したビィトに坊主は、逃げるべきだったのだと、言葉を返した。

 同情している訳ではなく、あれを相手にするなら逃げるしか選択肢はそもそもないと、そう言ったのだ。

 そうしなければ、犯されて壊されて潰されて壊されるだけだと。


「俺達は羽虫だ。一番汚く、一番腐っている物に集っているだけ」

「あれは」

「あの男は」

「あのハゲは」

「あの御方は」

「あの野郎は」

「あの人は」

「ラカンこそが──」


 にぃ、とまたも統率されたように坊主共は一斉に笑みを顔に作って、言った。


「────」


 びょう、と風が吹く。

 塔の方向から吹く生暖かいその風は肌を舐める様に通って行って、坊主達の言葉を誰の耳にも入らないように浚った。


「アイツが通った後は、全部壊れて残らない」




   ◆





『繋』。


 それがハリアに与えられた魔法のルールだ。

 イメージ的には見えないほど細い糸の群が波となって周りの情報をくみ取る。

 ギドが言うには本質はそうではなく、それは副産物の一つでしかないと、そう言われていたが。


「ん……」


 ゆっくりとハリアは目を開けた。


「──ぁッ」


 瞬間、全身を打ち据えられるような痛みが全身に広がった。

 ラカンに弄られた時の傷だ。死んでいない事が驚きで、ハリアの顔に皮肉気な笑みが浮かぶ。


 どうやら、立つ事は出来ないらしい。



 ここはどこだろうか。

 ハリアは辺りを見渡して、直ぐにこの場所がどこなのか察しがついた。

 気を失ったのは"赦しの塔"の頂上だったが、ここは真逆。塔の下にある、地下空洞。


 いや、むしろこの空間の上に塔が出来たのだ。

 言ってしまえば、月の大部分を占める台地の部分に他ならない。


 そして、この場所の意味もハリアは執政のコドラクに教えてもらって知っている。


「破邪の……」


 確か、この国が清貧を貴ぶ理由。

 部屋の内周には部屋の中心を向くように女神像が22体。


 そのそれぞれに破邪──、龍を退ける力がある武具が握られているのだとか。


 しかし、今はその武器はない。

 おそらく女神像の足元に散らばっている破片がそうなのだろう。

 そして女神像もまた、気紛れに思い思いの方法で砕かれている。


 余りに莫大な力の流れだが、ハリアの能力はそれも敏感に感じ取っていた。

 それを言った時に目を丸くしたギドも、あまり人前で使うなと言った理由も今なら理解できる。



「え……?」



 その時だ。

 龍を退けると言う莫大な力の影に隠れるように。


 そしてそれが失われた今、初めて表層化し始めたかのように薄らと何かが町中を覆い始めている。


(なに……?)


 それは、"この塔の上に浮かぶあの男の忌まわしき力の塊"と同等かそれ以上の。


 しかし、そんな疑問も一瞬だけ。

 何故ならそれを感知できたのは、ハリアが目覚めて無意識に魔法を使い始めていた事が原因だったから。


 つまりそれ以外にも情報は入ってくる。


「あ、あ、ああああああああ……!」


 リィラが、戦っている。

 そしてまさに今、押されて、潰されて、傷つけられて、削られていく。


「だめ、止めて、逃げて……!」


 泣いている。

 苦しんでいる。


 歯を食いしばって、漏れそうになる弱音を噛み殺しながら、リィラは強く剣を握って離さない。


 思わず立ち上がろうとして、分かった。


「あ……」


 ラカンが、自分を殺さなかった理由が。

 "わざわざ膝から下だけを中途半端に壊してここに放り出した理由が"。


「本当に、下衆な男……!」


 言って、ハリアは震えながら笑った。


 悪徳。悪魔。悪鬼。

 そんな言葉では表せないほどあれは邪悪だ。人を喰う、人とは違う生き物なのだ。


 もちろん憎い。殺してやりたい。

 しかし十三年一緒に居た。馴れ合いがあったわけでも、情が移ったわけでもない。


 ただあの男が決して強い存在でない事は知っている。

 あくまで独特な意味で、一人では生きていけないのだ。誰かの人生があって、それを壊す事で生きている。


 立たなければならない。


 リィラは勝てない。

 だからその魔の手がリィラに届く前に。


 ああ、しかし。


 もうその手は楽しげに弾んで、リィラの目の前に。





   ◆





「へぇ、俺の能力解ってんのか」



 裂けた。

 ああ裂けた。


 その傷を慈しむように、ラカンの指は頬に出来たそれをもう一度なぞり直し、そして指が通過した後、その傷は小さくなって消えた。


「――ッ!」


 飛び退いたのは剣を眼前に突き立てていたリィラの方だ。

 何故ラカンの仕草を呆けて見ていたのか、隙だらけで寝転ぶ男になぜまだ自分は後退しようとしているのか。

 簡単だ。

 格段に死と悪意の臭いが増した。

 十三年森でこの臭いを嗅ぐ為に鍛えたリィラの鼻には、それはあまりに濃くまるで甘く痺れる毒のよう。


「痛感してる」


 裂けた布張りの上に大の字で転がったまま、ラカンは言う。

 そして見る間に、この部屋に入ってきてから別段に、一秒前より今の方が格段に。

 得体の知れぬ力が膨れていく。


――いや、これはむしろ、戻っている。


 どくりどくりと、激しく脈打つラカンの心臓の音が聞こえるようだ。

 つ、とリィラの額に汗が落ちる。


「"巣"の分か……」


 僅かな溝が拡大して出来ていた"巣"を解放して、その分の魔力が戻ってきている。

 まるで、その底に沈んでいた怨念をも巻き込んだように、天井知らずにその力が上がっていく。


 そして、今完全に"戻った"。

 あの死の広場が、一瞬リィラの脳裏に蘇る。



「お前が言った事をだ。痛感してる」



 とん、とラカンの指がリィラの額を小突いた。

 何の力もない、ただの指。



「な──っ」

「──感じる。ああくそったれ興奮するッ!」



 剣を振る。ラカンの、その姿は既にない。



「──"道諦・如意我法"」



 膝の裏から背骨から項から、後頭部を登ってつむじまで、ぞわりぞわりと総毛立っていく。


 嫌でも思い出すのは、十三年前の死の広場。

 自分はあれの前にいるのだと嫌になるほど改めて改めて改めて痛感する。



「歴史の臭いがするぞ。愛の臭いがするぞ。覚悟の臭いがするぞ。友情の臭いがするぞ。希望の臭いがするぞ」



 大好きなんだ、とラカンは言う。まるで人格者の発言だ。それを"ケーキ"として見ていなければだが。



「ああ、ああ、ああ、ああ――――……」



 ぼたり、とラカンの涎が落ちて初めてリィラはラカンの姿を捉えた。

 立ち止まったラカンはその場で地面に手をつく。

 頭を垂れる罪人か、はたまた血肉に飢えた獣か。



「お、俺が頭の中で何を考えるか知ってるか……?」



 ラカンの呂律が回っていない。

 ごくりと唾を飲み込んだのは二人同時。



「お前を殺したらどうしようか! ■して晒すか■■にするかハリアに■■■てみるか! なあ、リィラ! 駄目だよ止まらねぇよ!」



 言葉が纏まらないと、ラカンは頭を地面に擦り付ける。

 抑えきれないかのようにからからとラカンの感情が不安定になっていく。


 そして突然、その動きが止まり、ぐるりとこちらを向いた。





「──なあ、何でお前は殺したら死ぬんだよ」

「あ……」



 その声は、目の前から。

 一瞬、いつか一度だけ同じ思いをラカンに対して抱いた事があって、それで一瞬反応が遅れた。


 弾く。撥ねる。反く。

 しかしその瞬間右から壁が迫ってきた。──否、それは壁ではない。



「大丈夫、丁寧にやるから」



 それは手の平だ。


 質量と体積を増したラカンの右の掌。


 直撃はしない。リィラの能力はリィラの体を攻撃圏外に逃がそうとするが、しかし反対側からも同じ物が迫っていた。


 やはり直撃はしない。

 しかし拮抗する力はリィラの華奢な体には少し重い。



「愛してるから」



 相反する力に挟まれ、リィラの体が押し潰されて軋む。

 それでもリィラの体が天井近くに逃げようとした瞬間、巨大なラカンの手は立ち消えた。


 近くに物質がなければ、リィラの能力は十分に機能しない。

 いきなり押していた物が消えたようなものだ。がくん、とリィラの体は一瞬だけ制御を失った。


 そして気付けば。


 元の大きさに戻ったラカンの腕が、リィラの腕を掴んでいる。




「壊れよう」




 骨と肉と皮が軋んだのも一瞬。


 ぶちり、と。

 リィラの腕が、肩から引き千切られた。







「────っぎ、」



 淀みなく動くラカンの腕はリィラの腕をぞんざいに握り潰す。

 そして、既に生物でなくなったそれは容易くラカンの魔力に飲み込まれ、塵の一つとして消えていく。


──一瞬とはいえ悲鳴を上げないと言うのは、一つの抵抗だった。

 たたらを踏み、腕を庇いながらも、リィラは勇猛に顔を上げる。



 そしてラカンの手は、今度はリィラの左目を捕まえた。

 瞼を閉じようとするも間に合わない。ぐり、と太い指がリィラの眼窩に潜り込んで、捕まえられた。



「もう一つ」

「──ぁ」



 吐き気を催すような音と共にリィラの世界の半分が黒く"削られた"。


 そして、リィラの絶叫が響き渡る。





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