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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
216/281

死線

後書きがあります



 かつんかつん、と踵を鳴らしてリィラは階段を上っていた。


 あっという間だった。

 さほど苦労もせずに"街"に入り、走り抜け、何の感慨もなしにこの"赦しの塔"に足を踏み入れた。


 簡単だった。

 血飛沫は浴びた。人も殺した。しかし、死を感じる事すらなかった。


 あまりに簡単で、今まで自分が繰り返してきた臆病が取り返せた気もしない。


 それはつまり戦っていないのだ、多分自分はまだ。

 彷徨っているだけだ、戦える場所まで。そしてその場所は皮肉にも、"赦しの塔"の頂上だ。

 ならば戦った先に、赦しがあると良いが。



「ギド……」



 彼女は。

 リィラの知りうる限りで最も強かった彼女は。

 リィラの知りうる限りで最も優しかったあの人は。

 きっと、リィラの事を恨んでなどいないだろう。それなのに許して貰いたいと、そう思うのは。


 やはり自分の罪悪感を消したいだけなのだろうか。



「……あ」



 かつん、と広い空間に出た。

 内周の階段が、外周の階段に変わったようだ。少しだけ広いテラス。奥には更に上へ続く階段が見えている。


 一歩目を踏み出して、ふと気付いた。

 ここを境界に空気の密度が増したような圧迫感がある。足も心なしか重くなった。


 ここからだ。と本能的にそう感じた。


 歩を進める度にぬかるんだ油の中を進んでいるような気分になった。

 足はうまく上がらなくなり、じっとりと汗が滲んだ。


 右手に見える街の風景を見やる。

 所々に火の手が上がり、遠くから何かが強くぶつかる音や、絶叫のような咆哮が聞こえる。


 大勢死んでいるはずだ。

 何かを求めて、敵を打ち倒すために。

 きっと、リィラが諸悪の根源を討ってくれるのを待っている人間も少なからずいるだろう。


 ずしり、と体が鈍る。


 ハリアの顔を思い出す。

 きっと、ずっと待っていてくれたのだろう。


 また、重くなる。


 ルグルの顔を思い出す。

 馬鹿みたいに信頼を押しつけてきた。


 鈍っていく。


 子ども達の顔を思い出す。

 悲しく歪んでいる表情が、脳内によみがえる。



 それ等を踏みしめて、噛みしめるようにリィラは階段を上っていく。



 数多の重りは鎖となって、リィラを締め付ける。

 ああ恐い。逃げ出したい。

 しかし、数多の鎖は重りとなって、リィラを逃げ出さないように繋ぎとめる。



「ギド……」



 少しだけ。

 もう一歩だけ。出来たのだから、更にもう一歩。


 ゆっくりと、ゆっくりと進んでいく。


 最期の階段。

 既にここは"巣"から遠く、"街"から天高く、見下ろす月の場所。

 もう戦場も白く霞んでいる。


 僅かな踊り場の先の最後の部屋。

 入り口を潜って、ゆっくりと部屋を見渡す。

 部屋の床の半分ほどが布張りの部屋。何の痕跡も汚れも見当たらない。しかし何か淀んだ空気が鼻につく。



 ふと、そこにラカンがいた。



「よう、リィラ」



 その存在感の無さに思いもよらず驚いた。

 にもかかわらず。ぽつり、と呟いた言葉は相変わらず大きく部屋に響く。


 僅かに見開いた目を戻した。

 目を凝らせば確かにある。自分が恐れる何かが、あの体の中で息を潜めている。


 人の皮一枚で保たれている割には、あまりに巨大で邪悪なそれが。



「ハーちゃんは?」

「上だ」



 ラカンはその布張りの一番奥。背もたれに寄りかかるように片膝を立てて座っていた。


「そうですか」

「緊張感ねぇな。何しに来たんだよ」

「……何しに?」


 ラカンのお前こそ緊張感無いなと言いたくなるような声に、しばしリィラは考えた。

 返す言葉が、無かったわけではない。


「……そりゃね、たくさんあります」


 旧来の友人のように、穏やかに言葉を交わす。

 しかし、その言葉の中に相手の真意に迫らない言葉はない。何気ない質問も、全てが重要でリィラにとっては全てだった。


「奪い返しに。諦めないために。譲らないために。許さないために」


 ラカンはそれを黙って聞いている。

 リィラも距離を詰める事はしない。棒立ちのまま、ただポツポツと独白を繰り返す。


「戦いに」

 

 全てが本当で、一つとして嘘はない。


「命を懸けに、未来を賭けに、期待に応えに、復讐を果たしに、強くなるために、許して貰うために」


 しかしどれも、的確ではない。

 遠すぎて、あるいは近すぎて、綺麗すぎて、違う。


 そうではない。

 もっと剣に悪意を、心に殺意を。しゃらんしゃらんと、鞘が鳴る。


 そうではないのだ。

 ここに来たのは、もっと端とした――。



「何より」



 そしてそれは、もう随分前から知っている。



「お前を殺しに来たよ、ラカン」



 にぃ、と赤い肉の裂け目のようにラカンの口元が捻り上がり。

 悪意の王が、人の皮の下から生まれ出る。




   ◆




 ただの拳の一振りで、霊龍の大きな体が吹き飛んでいく。

 あれほどの質量相手だと、普通に殴るだけでは頬に穴が空いてしまうだけだが、ナノマシンで瞬間的に打点を広げた。


 拳一つで人外と渡り合う術も、だいぶ慣れてきたと言っていいだろう。


「硬ぇな……」


 地面に着地して、ハルユキは自分の拳を眺めながら言った。


 かなりの力で殴ったはずだが、拳に何かを壊した感触はなかった。

 あちらも流石。しかしどちらかと言えば、またしても向上している自分の身体能力の方がおかしい。

 一撃で、龍の行軍が止まり、あれほどの無理をしたが身体に異常もない。


「殴っておいてなんだが、出来るなら少し話がしたい。戦いは避けよう」


 前方には敵意を剥き出しにし、今にも飛び出しそうな格好の古龍が山となっている。

 改めて見ると流石に多い。地平の果てまで鱗が覆っているようだ。



「──戦い、ですか?」



 ふとそんな声が聞こえた瞬間、視界一杯に白雪が舞った。



「────……」



 単純に綺麗だった。

 それは、年月と神秘と理性で編み込まれたような雪の結晶。

 いつの間にか横たわっていた霊龍の体が消えている。全てが雪の粒に成り代わり、視界を通り過ぎてやがて溶けて消える。



「この戦力差で、ずいぶんと自信がおありですね」



 残ったのはまだ幼さの残った少女が一人。

 しかし子供が紛れ込んだとは思わない。ダメージは当然のようにどこにもないが、その偉容と威圧は先程の龍の姿と比べても何の遜色もない。

 彼女こそが、万物の霊長なのだ。



「まずはこっちの提案に答えて欲しいな」

「其方の問いに不備があるので、こうしてお尋ねしている次第です」

「……そうだな。じゃあとりあえず言える事は」


 流麗な見た目の割に返ってくる言葉には棘があった。

 まあ、いきなり殴りつけたのが女だとは思わなかったが、街を吹き飛ばそうとしたのならお互い様だ。


「悪いがこの停戦の誘いは、こちらの譲歩だと思ってくれ」

「……まるで、貴方一人でこちらを全員相手どれると聞こえますが」


 少女の声にハルユキは肩を竦めて言った。


「戦って不利だと思うんなら、わざわざ煽ったりしない」

「――――……」


 ふ、と空気が冷えた。

 落ちるように気温が下がっていく。

 凝縮する空気が風を生み出して、冷気の源に流れ込みさらに空気は凍てついていく。


「――ならば、確かめてみましょうか、人間」

「うん」


 轟、と引き寄せられた空気が放出された。

 ハルユキの後方にバキバキと音を立てながら霜の柱が立ち並び、白く凍らされた呼気が背後に流れていく。


 同時に、ずん、と木の幹ほどもある前足を古龍達は踏み出す。

 ぎょろりと殺気立った紅い眼が全てこちらを射貫かんばかりに睨んでいる。殺意に濡れて喉を鳴らす度に、白い息が風に乗って運ばれていく。



「どうせ帰れって言っても帰らないんだろ」



 ハルユキの声に反応して、また一層肌に痛いほど冷たい風が吹き抜けていった。

 金色の眼が有無を言わさずこちらを射貫いている。

 対してハルユキも好戦的に口元を上げ、人差し指で誘って、ケンカを売った。



「かかって来い」



 数多の年月の結晶が顕現する。


 それは華奢な背中から生えた、あまりにも巨大な翼の骨子。

 それは白魚のような指から続く、やはり巨大で透明な爪。


 地平の果てまで届きそうなその翼はごつごつと荒削りに枝分かれを繰り返し。

 対して、その綺麗で曇りない氷の爪は地面に届くか届かないかという程度。


 その爪が一振りされ、その評価は一変する。


 ぞわりとハルユキの背中に悪寒が走り、その場から半ば本能的に飛びのいた。



「な……ッ!」



 瞬間、地面が向こう50m近く叩き割れた。

 そう言えば氷は密度次第で鋼鉄より硬く強くなるだとか聞いた覚えがある。あの硬い体も、恐らくはそう言う事だ。



「すっげ……」



 ハルユキは思わずそんな事をつぶやく。


 対して少女も、ぼそり、と少女の口を動かした。

 こちらに聞かせるつもりはなかったのだろうが、ハルユキの耳はそれを確実に捉えていて。



 "ごめんなさい"と、そういう言葉に一瞬思考が白くなった。



「っち……!」



 気付けば、少女が目の前。

 眼前より決死の爪が、八方から枝分かれした数多の翼爪がこちらに殺到する。



「っし――」



 右も左も上も下も後ろも駄目。

 だったら前にと、一歩で突き進んだ。

 少女も当然そう来る事は分かっている。顔面の中心にめがけて情け容赦ない爪の一閃が迫る。


 しかし遅い。

 爪に触れたハルユキの頬の皮膚が切れて弾けるが、その代わりに、少女の体を上空に投げ飛ばした。


 当然体に連結していた翼爪の檻ごと上空に消える。


 しかし敵は少女だけではない。

 既に古龍が大勢ハルユキの周りを囲って、一部は街の方に駆けだしている。


 目の端で数えて、家ほどもある巨大な龍が十五体。

 丸で押し潰すのが目的かのように、ハルユキに一斉に激突した。


 しかし、次の一瞬で一体残して古龍は吹き飛ばされ地面を転がる。



「丈夫で良いなっ」



 残った一体はハルユキに盾に槌にされて、尻尾を掴まれたままぐったりしている。

 尻尾を地面に投げると同時、ハルユキは街に殺到する龍達の真上に跳んだ。



「そっちは困るんだよ」



 体からナノマシンが放出される。

 作るのは二つ。

 長さ二メートル直径二十センチほどの反し付きの杭を空一杯に。


 そして、もう一つ。



「――ッ飛びなさい!」



 少女の声が響く。

 古龍達はまるで少女の手脚の一つのようで、疑う前に翼を広げ風を掴もうとする。

 が、それではあまりにも遅い。


 作るのは天の蓋。一分の隙もない鋼鉄の囲いを半球状に。

 あっという間に荒野の真ん中に鋼鉄のドームが完成する。



「舐めるなァッ!」



 霊龍の一喝で、古龍達が一斉にその壁を破ろうと四方に奔走する。

 確かに分厚い鋼鉄の壁といえど、千年以上を生きた人外達の猛攻を堪えられるわけはない。



「――伏せてろ!」



 瞬間、飛び立とうと再び翼を広げた龍達の羽に夥しい量の杭の雨が降り注いだ。

 粉塵と獣じみた悲鳴がドーム中に反響する。



「くっ……!」



 降り注ぐ鉄の雨に一瞬霊龍の視界が遮られる。

 これでは駄目だと少女は察した。せっかくの数と地の利が潰される。


 何としてもまず、この鋼鉄の囲いを除去する必要がある。

 ならば、敵の素早さに合わせて人の身になっている必要はない。


 ──と。

 そんな事を考えているのだろうと、ハルユキは知っていた。


 鉄の雨と砂塵の幕のど真ん中を、全てを弾き飛ばしながらハルユキは霊龍に接近した。


 力任せの移動はしかし、霊龍の目ですら霞ませる。

 迫る掌に触れれば龍だろうが鬼だろうがたちまち屈服させてみせるだろう。



「っく……!」



 両手の爪でハルユキにに応対しながら、少女は後退して距離を取って再び場がこう着した。



「また乱暴になって悪いな」



 そう言ってハルユキは得意げに笑って──。



 ──少女は、それを見て一つ現状を悟った。



(強い……)



 顕現する暇はなかった。

 いや、読まれていたのだ。顕現しようとすれば、またこうして封じられる。

 "あれ"が望んでいるのはこちらの撤退、または場の膠着だ。だから、少女を牽制した後。また動きを止めている。



「こっちが勝手なのは百も承知だが、日を改めてくれないか」



 あくまでゆっくりとした口調で、"それ"は言った。

 望みが膠着と言うのならば、今は好都合。少女はゆっくりとこの奇妙な戦場を見渡した。

 

 翼付きの古龍の動きは驚く事にほとんど封じられている。

 地面の移動が得意な龍達も、いつの間にかほとんどが叩き伏せられている。


 "あれ"を相手に、背を向けて壁を破壊しようというのは悠長すぎるのだ。


 加えて少女は気付いた。

 同胞が羽を射抜かれながらも、地面に叩きつけられながらも一体も殺されていない事に。


 知ってか知らずかは分からないが、羽や鱗なら龍はいくらでも再生する。

 それを考えると、今現在損害はゼロに等しい。そしてそれは残念ながら、こちらの勝機と同じくだ。



「……そうですね、訂正を。貴方はこちらに譲ってくれているようです」



 少女の言葉に、近くにいた古龍の一体が心配そうな顔をこちらに向けた。

 大丈夫、と意味を込めて鬣を撫でて鋭い目線を化物に向ける。同胞を殺されて、悔しい思いは少女にも当然存在するのだ。



「しかしこちらも、ただで帰れば友の魂に唾をかける事になります」



 化物はそれを聞いても何も言わない。

 そこを曲げてくれと、頼みに来ているのだ。

 しかし理不尽な戦いをけしかけているのは龍側だ。それが、龍達の意志ではなかったにしても。



「ですので、こういうのはどうでしょう」



 仇は討ちたい。

 しかし、そのために新たに死ぬ子が出来るのなら元からこんな事はしたくなかった。


 黙り込んで泣き寝入りする方がマシ。だから、一人で戦い仇を討つ。それが理想だった。

 無論そんな言い分が通じるわけもなく、"上"は数を用いて殲滅するように言い渡された。


 しかし撤退してもおかしくないこの状況ならば、と、少女は内心でどこか矛盾した安堵を覚えた。



「私と貴方で、一対一。恨みなし」

「……ああ、ありがたい」



 驚くほどすんなりと意見は通った。


 再び安堵する。

 これならば、龍達は死なず、"上"へのいい訳も立ち。



──"そして何より、足手纏いがいない"。



 龍達は少女の手脚に等しい。

 少女がそう決めると、龍達はおとなしく抵抗をやめた。


 静寂が戻り、一旦少女は息を吐く。



(しかし、相手は……)



 本当にあれは一体何なのだと、少女は"それ"の顔を覗き込んだ。突然の事で必死に応戦していたが、明らかなほどに異分子だ。


 龍ではもちろんない。

 人間などと言ってはみたが、姿形だけだ。先日同盟もどきの話を持って来た坊主すらも霞んでしまう。


 化け物だ、とそう言ってしまう事が一番自然である。


 まるで別の世界。別の法則が支配する世界からやってきたような異物。

 自分も人間の英雄も異物ではあるが、あくまでこの世の法則の延長だ。


 自分から見ればあの"化け物"は、その在り方が、存在の骨子が狂っている。



「――――……」



 ぐちゃり、と頭を潰され、はらわたを引きずり出される姿が瞼の裏に映ってしまった。


 冷気は友で同胞だ。

 なので寒気などと感じるのは、随分久しぶり。


 死にたがりのアンや、悟りきった兄様方とは違う。

 少女は歳を増すごとに死が恐くなっていった。


 震える。

 戦う機会などなかったのだ。未知は既知が増える度に恐くなる。


 目の前の"これ"が殺すつもりはないと頭のどこかで理解はしているが、それでも。



「……ん」



 ふと、傍らの龍が今度は悔しげに喉を鳴らした。

 龍は聡い。自分ではこれから始まる戦いの役には立てない事を知っているのだ。


 ふ、と少女は頬を緩ませた。



「大丈夫」


 

 柔らかい鬣に指を通して、少女は立ち上がった。

 同時に腕を振る。

 致死の冷気が鉄蓋の中を巡り、あちこちに突き刺さっていた鋼鉄の杭が凍てついて形を失っていく。


 その力に、化物は目を剥いて辺りを警戒した。


 しかし、古龍達は動かない。

 少女の意志は言葉など介さずとも、一分の漏れもなく群れの隅々にまで浸透している。


 

 少女はそれを見届けて化物に向き直り──、



 ──ハルユキもまた、少女の顔を見つめた。



「……あんた」



 ハルユキは少女の振る舞いに思わず言葉をかけていた。す、と銀世界を映したような瞳がハルユキを覗き込む。


「霊龍って言っても色んな奴がいるんだな」

「……私共の同胞に会った事が?」


 その言葉に、少女の目が少しだけ和らいだ。

 種別が異なる生物と会話ができるのが少し楽しくてハルユキはすらすらと言葉を繋げた。



「ああ、星屑龍ってのと、あと何だったかな、ロウって奴に」



 ──瞬間。



「──え?」



 ざわり、と少女は総毛立った。

 辺りの龍も目の前の霊龍も、殺気も戦意も忘れて目一杯に瞠目し、その様子にハルユキも思わず戸惑う。


「な、何だ。どうし――」

「――どこでッ!」

「は……?」


 その言葉の勢いにハルユキはたじろぐ。

 更にハルユキが下がった一歩を追うように、少女は足を踏み出してハルユキに迫る。



「ロウに、どこで会ったのですか……!」



 むしろハルユキが会いに行きたいぐらいだったのだが、同じ霊龍でも居場所は知らないのだろうか。

 どちらにしろ、この少女が求める答えをもっていない事をハルユキは知っている。


「……一万年以上前だよ、会ったのは」

「あ……」


 そう言うと、見るからに少女は意気消沈した。

 落胆したまま沈黙した少女に、ハルユキは疑問を浮かべたまま口を開く。



「何なんだよ」

「……いえ、少しぬか喜びを。お忘れ下さい、無粋でした」



 龍の表情などわかりはしないが、周りの龍の誰もが期待してしまった自分に呆れて、その表情をしまい込んだように見える。

 しゃらん、と氷の爪同士が擦れる音は抜刀する音によく似ている。


 その音は恐ろしく深く響き、僅かながらも和やかだった空気を吹き飛ばして凍えさせた。


 ハルユキもまた、僅かに目を細めて敵意を漏らす。



「では改めまして、尋常に」

「……ああ、尋常に」



 なぜ、この龍達が人間と戦争など起こしているのか。そんな疑問を、ハルユキは一旦しまい込む。

 油断は禁断。

 何かの片手間に相手を出来る存在ではない。


 この嫋やかな少女は、確かに一つの頂点だ。



「――霊龍が五柱。"零華冬天・雪龍"。推して参ります」

「志貴野春雪だ。渾名はないが、よろしく」



 しゃらん、ともう一度鞘走りの音を走らせ少女は爪を伸ばし──。

 ──ハルユキはそれに応えられるように強く拳を握った。






   ◆








 ラカンが腰を上げると、ぎしりと床が鳴った。

 その途端、今までが嘘のように部屋の中を圧迫感と緊張感で満たされる。

 その空気はピリピリと肌に痛く、威圧感は体を押す熱風のようだ。



「ラカン」

「……ああ、悪い」



 緊張感はあった。

 しかしそれは、端から見ているには信じられないほど二人の間では機能しない。

 間には殺意があって悪意があって、それ以外での会合はありえなかった。その歪さは自然な形と矛盾しない。



「少し変わった?」

「そうか?」

「まるで――」



 ぼたり、と布に何かが落ちる。

 ラカンの涎だ。ああ、汚らしい。リィラは出てきた言葉を止めた。



「確かに、生まれ変わったような気分だ」



 ラカンが両手を体の横に持ち上げた。

 瞬間、膨大な魔力が淀みなく移動し、収束し、稼働する。


 束の間に、それぞれの掌の上に水の塊と炎の塊が現れた。小手調べだ、と妖しく捻れた眼が謳う。


 ラカンがそれをこちらに向け、射出する。



 ――そしてその瞬間、一呼吸で接近したリィラに叩き割られて霧散した。

 しかし、ラカンの姿も既にない。


 その姿はリィラの背後、派手な動きはない。

 古来の武術に習った最速――というよりは最適の歩方で、背中に肘鉄を差し向ける。


 その速さは雷霆の如く。そして神経の伝達より素早く移動した魔力が、富嶽の重さを上乗せする。



 ものすごい勢いでリィラの体が吹き飛んだ。

 しかし驚きに歪んだのはラカンの顔。


 当たっていない。

 打点をずらされ、"反発"しただけだ。力のほとんどは流された。

 その証拠に、水平に撃った攻撃にリィラが飛んだ方向は"ほとんど真上"。


 直接加わった魔力もほとんどは空気のとの反発に殺され、リィラはしゃがみ込むような手軽さで天井に腰を下ろした。


 そこでようやく、破れた布の間から散った羽毛がそこら中に舞い散って。



「――きひっ」



 ぎちり、とラカンの頬が歪むとその体が跳ね上がった。

 何の力もない。ラカンの体が、床に敷いた布の反発のみで跳ね上がる。

 

 あまりに不自然なその光景にリィラは眼を細めた。


 驚きだ。

 その光景にではない。



 "先ほど、サヤが推測したラカンの能力がどうやら見事正鵠を得ていた事に対する"。



 リィラは"天井に足の裏で吸着し"、ラカンは"舞った羽毛の上に着地した"。



 ラカンは天を頭に、リィラは地を頭に。

 そのままもう一合、死線に挑む。





ハルユキのところは大幅に書き直すかもしれませんが、内容は変わりません。


追記

本当は入社式の前にエルゼン編は終わらせるつもりだったのですが、色々予定が立て込んで終わらず、仕事が始まってしまいました。


そしてどうも当分スケジュールが過密だったため、毎日更新が難しくなるかもしれません。

本当に申し訳ありません。必ず一週間に一度は更新するようにするので、ご容赦くだされば幸いです。

明日は(飲みがなければ)更新できると思います。


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