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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
214/281

真夜中の



 リィラは全てを吐き出した後、断頭を待つ囚人のように俯いた。


 時間の感覚は変わらず曖昧で、早くも自分の行動を後悔し始めて、嫌になる。


 沈黙の時間が長すぎて、呆れて帰ってしまったのかとさえリィラは思った。

 一人俯いて泣いているだけの自分を想像してしまって、またリィラの目に涙が滲む。



 そんな瞬間だった。



「へぐ──ッ!?」



 リィラの更に俯く体を押し上げるように、何かがリィラの体に激突した。

 咳き込もうが、その衝撃に眩暈がしようが、見間違えるはずもない。

 茶色の髪の、右巻きのつむじ。


「ジャック……?」


 名前を呼ぶと、ジャックはリィラの体に腕を回して更に強くリィラを締め付けた。


 鈍感ではない。

 それが何を意味してくれているのか分かって、小さく瞳が震えた。


 抱き返していいのか迷っている間に、また人影が近付いてくる。

 ジャックとは違い、ふらふらとした足取りでシータは歩いてくる。


「……っひ、ぁぐ、ぅううっ……」


 しっかり者で、頼りになって、気丈なシータが、ぐずぐずの表情で目の前に着いた。

 何か言って慰めようと思ったが、出来ない。

 気の利いた言葉も思いつかないし、そもそも、つられてリィラはそれ以上に泣きじゃくっていたからだ。


「──っ」


 言葉にならない嗚咽を零しながら、胸の中に依りかかってきたシータを抱きとめる。


 イースレイが、ディルムッドが、エフリムが、ジーアが、エイチルが、アイが、ケールクが、エルトリアが、エムリィが、エヌールが、ピリカが。

 近付いて、寄り添うように手を伸ばした。

 エースとビィトは苦笑しただけだったが、それでも近くに。



「あ……」



 でも、ただ一人。

 凍ったようにその場に立ったまま、しかし先程とは違う表情でこちらを見ている人がいた。



「クイーン……」



 ジッとこちらを見つめるクイーンは、強い視線をこちらに向けている。




    ◆




 一人、また一人とハルユキの傍を離れて子供達はリィラの元へ帰っていく。


 大団円、という訳ではないのだろう。何しろ大変なのはこれからだ。


 折り重なるように抱き合うその場所は、差し込む陽だまりのような暖かさを想像する。

 その分次第に冷えていく自分の場所も浮き彫りになったが、ハルユキは努めて冷静にその場を眺めていた。


 いつの間にかサヤが壁の向こうにいたが、彼女も何も言わない。

 半壊した壁のせいで、頭に付けたフリル付きのカチューシャだけが見えている。

 ただ、彼女の無言は少し得体が知れないのも確かで、何となくこちらから声をかけてみる事にした。


「……やっぱり怒ってる?」

「いえ。私の全ては主様の御随意に従うのみに」


 少し首を伸ばして顔を覗き込んでみれば、そこにあったのは柔らかい微笑。

 その視線は壊れた壁の向こうのリィラ達を見つめているようで、小さく息を吐く。


 そう言えば、こいつは意外にロマンチストだった。

 それをイジると、必然的に昔の俺のとある恥ずかしい言動に帰結する事になるので決して言わないが。


 いらぬ事を口走ってしまうのは悪い癖なのかもしれないと漠然と思う。

 サヤの事も、そして今の一連の暴走も。思い起こすと首の後ろの辺りが熱くなって思わずその辺りを爪で掻いた。


「んん……?」


 ふと、サヤが何気なく手に持ったこの時代らしからぬものに気付いた。

 黒い、少し古い型のビデオカメラ。回り込んでそれを確認すると、はっ、とわざとらしくサヤはそれを背中に隠した。


「サヤ、お前何撮った……?」

「いえ、何も」

「……いつからいた?」

「今来たところですとも」


 そう言いつつ、サヤはハンディカムに手を伸ばす。何秒もしない内に、先ほどの一部始終が小さな画面の中で再生される。

 さっきの少々臭い台詞の数々も。

 体を硬直させたハルユキの前で、サヤはしげしげとそれを眺めながら、カメラごとこちらを見た。


「ぷすーっ!」

「くたばれっ!」


 渾身の蹴りをサヤは涼しい顔で避けてみせる。しかしその隙にサヤの手からビデオカメラを奪う。


「ああっ、ご無体なっ」

「没収だ」

「まあ、予備はあるんですが」


 いつの間にか全く同じカメラがサヤの手に握られ、またもその小さな画面から先ほどの光景が流れ出す。


「ぷすーっ!」


 ぐしゃり、とハルユキは手に持った方のビデオを握り潰した。

 それを見て、全くどういう神経をしているのか、ふふ、と不敵にサヤは笑って妙なポーズをとる。


「私の百八あるメイ道具の一つで御座います。ちなみに出力装置として使っているだけなので、データは私の中にあります。悪しからず」

「極悪非道ですよねぇ!」


 ハルユキは小さく肩を落とす。

 なぜ躍起になってこんな訳の分からん物を奪還したのか、過去に戻って止めてやりたい。


「怒りました? 怒りましたか? ねぇ主様、怒りました?」


 やたら艶のある半笑いで、こちらの表情を伺おうとするサヤを振り払いながら背中を向けた。

 いつの間にか、そこは破った壁を隔てた部屋の外。冷たい風が横から吹いてくる。


「……」


 同時にリィラ達とも反対の方を向く事になる。


 一人一人リィラの元に帰って行って、あとは三人。

 そしてその中でエースとビィトもほぼ同時にリィラに歩み寄って行った。もう見届ける必要もない。


「……リィラ様が負けたら、どうするのですか?」

「それまでだ。ラカンは殺して、他の国に──ん?」


 と、そんな事を考えていたハルユキは、半ば反射的に振り返った。

 不穏、と言うより空気に混じった小さな緊張感を感じ取ったからだ。


 振り返ったハルユキの視線の先で、クイーンがリィラをじっと見つめたまま立ち尽くしていた。


 まっすぐと揺れる事のない眼差しに宿っているのはとても強い感情。


 微動だにせず、リィラと十六人の子供を見つめている。


 服の裾を握りこんで、じっと、一心に。 


「あ……」


 やがて、クイーンは一歩後ずさってリィラ達から顔をそむけた。

 早足で部屋を飛び出て、ハルユキの傍に来る。

 そして、リィラ達とは壁を隔てたその場所で、その小さな手がハルユキの服を掴んだ。


「……クイーン」


 小さく息を吐いて、ハルユキは自分と繋がっていたクイーンの手を解かせた。

 しゃがみ込んで視線を合わせ、宥めるように頭に手を置く。


「行ってやれ、あいつ弱っちいから」

「うん」


 その返事は淀みなく、あまりに迷いがなかった。

 予想していた声色とは違う声に、ハルユキは面を喰らう。


「でも、お前も一緒だ。ハルユキ」


 そして続く言葉に、思わず呆気にとられる。

 気付けばまた服の裾をクイーンの手が掴んでいて、サヤが背後でくすくすと可笑しそうに笑った。


「行ってらっしゃいませ」

「……お前も来るんだよこの野郎」


 そう言って頭を下げたサヤを憎々しげに睨んで、半ば無理やりにその腕を取った。

 既にクイーンはハルユキの腕を引っ張って迷いなくリィラの元に向かっている。


 サヤのキョトンとした顔も一瞬、呆れたような笑みに変わった。

 いい大人が五歳の子供と手を繋いで、輪の中に引っ張られる。


 クイーンは直ぐにもみくちゃに抱きつかれ、ハルユキはやはり蠱惑的に温かい陽だまり中で小さく息を吐いた。


「神様」

「……なんだよ」

「いえ、あの……」


 リィラは居心地が悪そうに目を逸らしながら言う。その頬は僅かに赤く腫れ上がっている。


「痛かったです」

「……悪かったよ」

「いえ、そうではなく、」


 少し思案する顔になって、しかし直ぐにそれをやめて、リィラは困ったように笑った顔をこちらに向けた。


「痛かったです、とても」

「……そうか」

「はい」


 しゃがんでこちらを見上げるリィラの目がやけに照れ臭かったので、ぐりぐりと頭を撫でつけた。

 うぐ、と妙な声を出してリィラの視線が下がる。


 小さくハルユキは息を吐いた。


 妙な方向に転がってしまったが、これはこれでいいのだろう。

 ハルユキは肩から力を抜いて──、






『さあ、皆さん。どんな夜をお過ごしかな』





──そんな一瞬の時を狙い澄ましたように、それは始まった。





   

   ◆






「ラカン……」


 誰より早くその声の主に気付いたリィラが。声が降ってきている夜空を睨んだ。

 しかしその姿はどこにもない。にもかかわらず、ラカンの声は続いて響く。


『さて、まずは場を盛り上げよう』


 ずん、と視界が揺れる。

 尋常な揺れではない。建物自体が縦に横に大きく揺さぶられ、何かが崩れるような音が遠くで連続する。



「──跳べ!」 



 そしてそれはハルユキ達が今いる建物も例外ではない。

 ただでさえ半壊していた壁ごと折れ曲がり、立っている床ごと大きく傾いでいく。


 ハルユキの声に反応して、サヤとリィラとエースとビィトがそれぞれ二人ずつ。

 残ったのをハルユキが全部ひっ抱えて外に跳んだ。


 その途端、さっきまで中にいた建物がみるみる傾いでいく。轟音を立てて地面に激突する建物を見て、ハルユキは瞠目する。


「神様!」

「なんだぁ、こりゃ……?」


 建物だけの揺れではない。この町ごと大きく揺れている。

 自然と建物から離れた場所に集まり、全員が何事かと辺りを見渡す。


「地震でしょうか……?」

「……いや、違う」


 最初に気付いたのはハルユキだった。

 その視線は"街"の方。やけに"街"だけが大きく揺れていると思い、直ぐに気が付いた。

 逆だ。揺れていない。"巣"だけが、大きく揺れているのだ。


 直感的に、反対側の崖を見て、ハルユキは愕然と目を見開いた。


「先生」


 そんな時だ。

 いつものように崩れかけた建物の陰からゆらりとルグルが姿を現した。


 そして直ぐにその違和感に気付く。いつも通りなのだ。だが、それはおかしい。

 なぜ、慌てていないのだ。


「不思議か?」


 きひ、と笑いながらルグルは肩を竦めた。


「……別に寝返ったわけじゃない。慌ててねェのはな、ただ、焼き付いてるからだ」


 とん、とん、とルグルはその鷲目の間を指で叩いた。


「覚えてる。夢に見る。俺の町が地獄に変わった瞬間を。……そんで、ふと違和感に気付いた」


 そして、ルグルは口元で笑ったまま崖を睨みつけた。"今まさに、間にいる人間を押し潰さんと迫ってきている"、その崖を。



『さて、各々現状は把握したか? まあ、そういう事だ』


 

 そして、先ほども聞こえた声が空から聞こえ地面をびりびりと震わせた。

 ルグルは一旦言葉を止め、殺伐とした表情をリィラと同じように夜空に向けた。



『俺はお前等に飽きた。だから全員殺す』



 しかし、と天からの──ラカンの声は楽しげに声を上ずらせた。舌なめずりをしている顔が頭に浮かぶようだ。



『俺を殺したい奴がいるだろう? 俺が憎い奴がいるだろう? 俺が怖い奴がいるだろう』



 その声は挑発を行っている訳ではない。

 意味がないのだ。

 "巣"が無くなる。それは家も溜めこんだものも、そして準備したものも無くなるという事。



『差別はしない。人も犬も羽虫も殺意も怨念も執念も、神も、悪魔も。揃って殺しに来い』



 声は空から降ってきているとしか言いようがない。

 誰もが夜空を見上げ、憎々しげに眉根を寄せて、歯を食いしばった。


 それを確認して、満足したかのような声で最後にラカンは言った。



『全部俺が、平らげてやる』



 声に乗って、狂気と威圧感が広がった。

 "巣"全体が震えあがったかのように静まり返る。



『まあ楽しめ。これはただ、お前等の人生が懸かっているだけの』



 その声があまりに当時のままで衰えず色褪せていないから、脳裏に"あの日"が蘇るのだ。



『ただのゲームだ』



 意思も、執念も上から抑えつけられる。

 そんな中、ルグルだけが静かに口の端を上げた。



「──よォ、震えてるか。お前ら」



 その声は手の中の魔石を伝って、"巣"中に伝播していった。

 突然の声に、返ってくる声はない。


 歯を食いしばっているのか、それとも合わない歯の根を隠しているのか。

 ルグルはそれをいつにないほど真剣な表情で"聞いて"、そしてひっひと笑った。



「各自渡していた書簡を開け。"牙の項"だ」



 その書簡には本当にこの事態に酷似した状況についての対応が記してあった。

 魔石の向こうから息をのむ気配がいくつも伝わってきて、ハルユキも驚きに目を瞠る。

 にぃ、とルグルは獰猛な笑みを顔に浮かべて、さらに魔石に向かって言葉を連ねた。



「見て分かったと思うが、今現在、全くもって悉く掌の上だ。ちったァ安心したか虫共」



 少しずつ沈黙が消えていく。

 その代わり、覚悟するように唾を飲み込む音や、にわかに殺意を漏れさせる気配が魔石を通して交わされている。


 唐突にその瞬間が来た。

 長く、苦しく、粘ついて死臭漂う13年間の終局が。

 ますます、ルグルの表情が興奮と昂揚により凄惨な笑みに変わっていき、魔石を握りつぶさんばかりに全身に力がみなぎっているのが分かる。


 ずん、と大きな建物が倒壊したのか、一際大きく"巣"が揺れる。



「つまり、夜分に済まんな虫共。戦争だ」



 静かにルグルの声が町中に伝播していく。

 町中で誰もが立ち上がり、恐怖と興奮に震え、剣を握り直し、泣きそうになる表情を硬く引き結んでいるだろう。



「今"あれ"が言ったな。手前等は虫だと。そうだ、無感動に目的を達成するのみに生きる、お前らは虫」



 そんな人間達には無情とも言える言葉をルグルは眉一つ動かさず伝えていく。

 それは予定調和で、暗示じみた儀式である。



「尊厳を許さん。敵の暴力に痛覚を用意するな」



 ルグルの声以外にこの町に音はないかのように、誰もがその言葉に耳を傾けている。揺れる地面も悲鳴も、今は耳に入ってこない。



「情を許可しない。友の背ごと敵の心臓を貫いて、奴等の死肉を漁れ」



 ずん、とまた一際大きく地面が揺れる。



「最後に」



 もう誰もその揺れに反応することはない。

 怒りが恨みが悲しみが。

 全てルグルの言葉に連れられて、一カ所に蠢いている。



「犬死には許さん。死ぬのならあのクソ坊主共の、足でも腕でも指でも目でも爪でも垢の一片でも毟り取った後に死ね。弱者と侮られたまま死ぬ事だけはするんじゃねェぞ」



 そこで、一旦ルグルは言葉を切った。

 ゆっくりと息を吐いて、そして最後の言葉を紡ぐ。



「もう一度言う。貴様等は今宵が明けるまで俺の命で人間を剥奪される」



 吐き出すように、漏れるように、あるいは叫ぶように、泣き呻くように。

 ありとあらゆる情念を一息に込めた言葉は、魔石を伝播し町中に伝わる。



「咆えろ。友を無くして啼け。敵を殺して喉を震わせろ。獣のように叫んで恐怖を吹き飛ばせ。──何よりさあ、鬨を上げるぞ」



 統率される。"頭"を共有し、"巣"の人間達は、虫の手足に。牙に、爪になり下がる。



「――行くぞ虫共。その命を刃に、復讐だ」



 鬨が上がる。

 この"巣"に沈殿した、泥が。血が。腐肉が。命が。全てこの時のための積み重ねられた礎で、恨みで、原動力である。

 鬨が上がる。

 この町に沈殿する全ての情念が今は猛りに変わり、ラカンが起こした地震を飲み込む激震を生み出していく。



――しかし。

 もう一度。

 それすらもさらに飲み込むほど、大きく地面が揺れた。エルゼンのどこかで、ラカンが笑う。



『遅れてすまんね、"二つ目"』



 嘲笑うように、ラカンの声が高らかに響く。

 奮い立たせた意気も何もかも無駄だと刷り込ませるように。



『特別ゲストだ』



──地面が、ことさらに大きく揺れた。





「何だ、あれ」



 誰かが呟いた。

 そして気付く。先程から偶に続いている大きな振動は、崖が迫ってくるための振動とはまるで別の物だと。


 次の瞬間に、それは現れた。



「──は?」



 崖の上。

 す、と瞬きをした瞬間にそれは生まれていた。

 そこから崖下まで優に届くであろう大きく太く厳つく、そして純白の腕。

 一つの家の敷地よりも大きそうな白い鱗。白い牙。白いたてがみ。闇を切り裂かんばかりの大きな白い羽。


 そして何より人を絶望に突き落とすは。

 百の世を見通した証である、その金の両眼。



「霊龍、だと……?」



 ぽつりと、ルグルがそう零し、ごとんとその手から魔石を取り落として自失する。


 ──ラカンは自分たちを逃がすつもりもないと、町中が悟った。

 死ぬか、勝つか。狭められた選択肢は、虫の心に恐怖を思い出させる。


 しかし何より、命を投げ打って戦ってようやくラカンに届くかどうかの状況で、背中を龍に挟撃されれば、命も、希望すらあり得ない。

 統率が解けて、恐怖が浮き彫りになって、次々と霊龍を仰ぐように顎を上げたまま、戦士達は膝を付いていく。



「──ふ、ざけんなァッ!!」



 ルグルが咆える。

 しかし、それを掻き消すように霊龍の喉が震えた。




〈――――――――――……〉




 その咆哮は轟と吹く嵐のように、されどまた凜と鳴る鈴のように。


 追随する龍は今の所見られない。

 白い龍も崖に隠れて足下は見えない。

 あまりに大きすぎて分かりづらいが、あれはまだ町にそれ程接近してもいないのだ。


 当然、彼らは敵である。

 それは状況的にほぼ明らかではあったが、もしかしたらという淡い希望も次の瞬間には打ち砕かれた。


 白い龍の、面長な顔の眼前。

 そこにぽっかりと白い球体が現れた。

 それは一瞬で霊龍の頭以上の大きさまで膨れあがり、表面がパチパチと爆ぜているのは内包したエネルギーの膨大さを思わせる。


 未だそれは放たれない。いつまでも膨張を続け、龍の眼前に止まったままだ。


 しかし白い太陽のようなそれに満たされた敵意と殺意が、町中に広がって──。



「くそったれが……」



──ルグルの膝さえ折って、地面に堕とした。








 そして、ハルユキが同時に笑った。

 ルグルの肩に手を置くと、足下に転がっていた魔石をルグルの手に投げ戻した。


「予想外か?」

「……ふざけてんのか」


 脱力したまま座り込んでいるルグルは、鋭い表情を向けてそう言った。

 視線を躱わすにルグルの横からハルユキは霊龍を眺めて、続けた。


「あれって、霊龍だよな」

「ああ……?」

「"一万年生きてる"って言う、あの」

「……知ってんのか?」

「ああ、今まで二度、同じような奴に会ったことがある」


 "一万年"。

 ハルユキにとっては最近嫌な印象が強い言葉だが、なるほど。どうにも因縁があるらしい。


「それで、あいつ等にちょっと用があるんだ」

「は……?」

「忘れていいぞ。"この町には、何も来なかった"」


 そう言うと、ぽかんとルグルは口を開けて呆けた。ハルユキはその表情を横目で見て、面倒そうに鼻を鳴らす。


「俺個人の用だ。止めろって言うなら俺がお前をはっ倒すぞルグル」


 まだ意味が分かっていないようだったが、すぐにその意味を理解して、汗と興奮に濡れた笑みを同時に浮かべる。


「……霊龍に、たぶん古龍もいるぞ」

「問題ない。あの霊龍は今まで見た二体に比べれば、格が落ちそうだ」


 ハルユキは静かに霊龍を見つめてそう呟いた。

 一柱目の壮麗の女性は星の化身。二柱目の伊達男は桜の化身。

 そして、まるで見ているだけで体の芯が冷えていきそうなあの巨龍は雪原の化身とでも言ったところか。


 思わぬ偶然からか以前では有り得ない幻想に心躍っているのか、独りでに口の端が上がる。


「あと、崖の進行もある程度食い止める。どうせ暇になるだろ」

「……あんたが町に来てくれてよかったと、初めて思ったよ」


 ハルユキの笑みに対抗するように、ルグルも引きつった笑みを浮かべた。

 そのまま魔石を取ると、その場で龍のことは無視するようにと指示を行き渡らせていく。

 広がったのは驚きでも安堵でもなく、当然戸惑いだけだ。

 つまり、一秒でも早くその根拠を作ってやらねばならない。


 相変わらずその威容を振りまく龍に、ハルユキは顔を向けた。




「龍は僕の領分だったんですが……」


 端とした声が背中から聞こえた。

 ハルユキは振り返らない。代わりに、深刻な顔と冷たいほどの目でルグルが振り向いた。


「おォ、ならようやく暇になったか、リィラ」

「……いえ、僕は今日も忙しいですよ、ルグル」


 その顔を見るまでもなく、やはり端とした言葉でリィラは返した。

 しかし何故かそれに驚いたようにルグルは目を見開いた後、楽しそうに笑みを浮かべた。


「忙しいので、貴方は貴方で勝手に頑張って下さい」


 ルグルが嫌いだ、と言っていたのは本当なのだろう。

 ルグルは楽しそうにカラカラと笑っているのに、リィラはぶすっとふて腐れている。


 しかしまあ、不思議と不仲に見えないのは、ハルユキが知らない時間の積み重ねがあるからなのだろう。


「サヤ、お前は避難誘導を頼む。討ち漏らした古龍の処理もだ」

「仰せのままに」


 難儀な任だが、サヤならば涼しい顔でこなすだろう。


「よし、行くぞ。龍は基本的には殺すな」

「心得ております」


 今回の大進行はおそらく仲間を殺されたことに起因しているはずだ。

 そんな復讐の円環の中に入り込みたくはない。


 最後にリィラの方に振り返る。

 子ども達に支えられながら立っていたが、支えながら立っているようにも見えた。


「リィラこれ食っとけ。エネルギーの塊だぞ。血糖値に気をつけろ」

「けっとー……、何ですか?」


 最後に、ポンとリィラに例のナノマシンパンを三つ程投げ渡して、ハルユキも跳躍すべく足に力を込めた。


「じゃあまあ、お前ら」


 むぐむぐと早速パンを頬張っていたリィラと、魔石に言葉を送りつづけるルグルと、サヤと、子供達がこちらを向いた。


「頑張れよ」


 それだけ言って、ハルユキは跳んだ。





   ◆






 常人には視界の端で捉えることすら出来ない速度に、サヤもきっちりついてくる。


 以前はサヤの方が身体能力では上だったが、いつの間にか逆転してしまったらしい。




──一跳びで何十メートルもある崖の上に到達する。

 サヤは既にいない。街の外周から生存者を捜しているはずだ。



「あああああああああああああああああ!!」

「龍が、龍がァ!!」



 ここもやはり阿鼻叫喚。

 崖上まで来れば分かるが、白い巨龍の周りには数えるのも面倒な数の古龍が追随している。


 その数は幾百も幾千にも到達していて、紅く血に飢えていることを示すような眼が、闇夜にぽっかりと浮かんでいる。

 白い龍の腹に届くような巨大な龍も人より少し大きいだけの龍も、一匹と漏れず村一つを優に叩き潰せる力を持っていることを、その存在感が語っていた。


 それが、"巣"の崖を覆うように迫っている。そして背後は"閉じかけの顎"だ。

 巣にぎりぎりまで近づきながら、結局ここに居続ける事になるだろう。


 都合がいい。そもそも、あれ以上近づけさせる気はない。



「……しかし、骨が折れそうだ」



 狂ったように叫びながら崖の淵に逃げていく人々とすれ違うように、ハルユキは歩みを進める。

 数十メートルも移動しないうちに、辺りには誰もいなくなった。


 あるのは侘びしい岩の景色と、眼前に迫る龍の大群だけ。


 残った一人の人間など、龍達の視界に入ってもいないだろう。



「どんぐらい居るんだ、あれ」



 無数の古龍に目を奪われるのも束の間。


 霊龍の眼前から魔力と冷気の塊が一瞬で拳大まで凝縮された。

 煌々とそれは輝き、内包したエネルギーを思わせる。


 着弾すれば、この程度の町など全ての温度を奪い去り、氷の像の群れでも出来上がるだろう。


「――っし」


 全力で地面を蹴った。

 地面は大きく捲れ、間にあった空気が爆ぜる。


 そして、ハルユキの体は一瞬で白い龍の眼前に。


 踏み抜いた距離は"巣"を二度往復してもまだ足らない。

 突然現れたその小さい存在に龍の大きな目が、驚愕に目一杯見開かれる。


 それはそうだろう。

 放った瞬間から、まだ光弾は十メートルと進んでいない。

 加えて、その存在が現れた場所は"時間をかけて練った光弾の目の前"だ。



 ハルユキは大きく口を開け──。

 そして、"パクリと"それを食べた。



 体の冷えも一瞬。溶鉱炉のような心臓と溶岩のような血液が一瞬で体を常温に引き戻す。


 限界まで見開かれているかと思えた霊龍の目が、更に驚きに剥き出され、完全に体が硬直する。



「……悪いな」



 そしてその一瞬でハルユキは拳を握り込み、その面長な顔面を殴りつけた。


 ふわり、とその巨体が宙に浮く。



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