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ハイイロ ノ カナタ  作者: mild
第二部
213/281

もう少しだけ強くなれたなら



 そう。


 要は、怖かったのだ。

 復讐と奪還に全てを捧げる事も、悟った顔ですべてを忘れる事も。


 目的の前に立ちはだかるラカンに近づく事も。立ち止まって、肩に乗っている物を数えるのも。



 だから、ゆっくり、ゆっくり。遠回りを繰り返した。


 逃げてはいない事を確かめるように。

 少しずつ少しずつ器用に身を削って、時間を浪費する。


 歩くより遅く。這うより惨めに。

 必ずやってくる瞬間を、少しでも後回しにする為に。


 止まってしまいたかった。

 でも、身を削っていないと、今度は想い出が。追想が。罪悪感が。頭の中を削っていく。


 知っているからだ。

 ハリアが自分を待っている。

 言葉には出さなくとも、強がっていても彼女は待っている。


 鈍感ではいられない。


 ルグルの気持ちが解る。

 だからルグルもまた、こちらをどう見ているかも知っている。


 子供を引き取ったのは、体の良い寄り道だ。龍殺しの延長線上。

 罪悪感を薄めつつ、時間を浪費できて、善行の中に埋没できた。


 ただ。

 それは思っていたより暖かくて、心地よく。

 罪悪感と一緒に、大事な物が風化してこそげ落ちていくのを自覚させられる地獄だった。


 諦めてはいないぞ、力を蓄えているぞ、と。ラカンに龍の首を送り付け。

 子供達がいるからと、正論を翳した陰に逃げ込む。



 ぬるま湯の、大した地獄だ。




「────ぁ」



 ごと、ともたれ掛っていた瓦礫の一部が崩れて、その振動でリィラは覚醒した。

 遅れて全身に鋭さ鈍さ入り混じった痛みが走る。


 天井から落ちてきたのだ。

 死んでいないのが奇跡に近い。


 どん、と目の前の壁が、一瞬で全て消失した。

 "剥がされたのだ"。まるで引き戸を開けるような手軽さで。

 神か悪魔か。おそらくそのどちらかであろう存在に。


 がしゃん、とその人は相変わらず怖いほどの無表情で部屋に入って来た。


 木や石の破片を踏み砕きながら近付いてくる。

 彼は目の前で立ち止まった。


 その表情は逆光のせいか見えづらいが、こちらを見下ろしているのは分かる。


 ぐ、とゴツゴツした手にリィラは胸ぐらを掴んで引き上げられた。

 そして、そこで何故か拳が止まった。


「……殴らないんですか?」


 顔が近づいてその表情が見える。拳が振り上げられ、振り下ろされた。

 がつん、とリィラの左頬に鈍い衝撃が走った。


 硬くて重い衝撃に、リィラは泣きそうになる。


 しかし、だからこそリィラは暗い表情で笑った。つ、と皮肉気につりあがった口の端から血の滴が伝う。

 神様の眉根が更に不機嫌そうに寄っているのが見えた。



「──僕はね、鈍感じゃあ、ないんです」



 殴られた場所は、じんじんとむしろ少し暖かかい。自分が浮かべる表情の醜さに拍車がかかるのが、よく分かった。



「神様が本当はどんな人かも、分かっているんですよ、僕は」



 怯える事はない。手加減させている事も、神様のその怒りが何の為なのかも想像がつく。

 感謝こそすれ怖くなどある訳がない。

 口が汚くて、暴力的だが、この人がどんな人かは最初から知っているのだ。


 だから優しい神様と戦えたからと言って、内臓はらわたを食う悪魔と戦えるわけはない。



「ありがとうございます。だけど、ごめんなさい」



 自分は周りの空気と表情に敏感だ。臆病さは安心して出てこない。



「僕は、貴方の期待にも応えられない」


  

 そう言葉を紡いだ後、今までが嘘のような沈黙に満たされた。

 リィラは自然と自分の胸ぐらを掴んでいた神様の手に自分の手を添えた。



 瞬間、頭の奥の方で僅かな既視感を覚えた。



(……クイーン)



 あの時は、滑り落ちるように手は離れた。

 リィラは、無意識にその時と同調してしまったのだろう。ゆっくりと神様の手に触れて。



 ──そして、硬い石のように握りこまれている指に驚いた。


 いや、それどころかもう一つ。もう一つの手が拳を解き、両手がリィラの胸倉をつかみあげる。

 リィラの華奢な体など簡単に持ち上げられ、背後の壁にきつく押し付けられた。



「お前、」



 ぎりぎりと音を立てる両手の先に、変わらず冷たい怒りを宿した顔が、こちらを見た。



「──何を、訳のわからない事言ってんだ?」



 ぐん、と目の前の顔が遠ざかった。


 目の錯覚かと感じたのも一瞬、"それ"が何を示しているかに気付いた時にはもう遅い。


 ごぉん、と。

 比喩でもなんでもなく、そんな馬鹿げた音を立てて神様の頭がリィラの額を直撃した。



「っ────!?」



 視覚、聴覚、嗅覚。

 それに思考も全て吹き飛ばされて、頭の中が真っ白に染まった。

 頭突きされた。そう自覚した瞬間にも、ぐわんぐわんと頭の中で鐘が鳴っている。



「期待? そんな事聞いてねえよ。してもいない」

「だ、だったら──」



 割れそうになる頭を抑えながら、リィラは何とか返事をする。



「もう一度」

「は──?」



 意思疎通がうまくいっていない気がするのは、自分の頭がまだ麻痺しているからなのか。

 リィラがそんな考えをふらふらと持て余している間に、神様は口を開く。

 


「忘れたんなら、もう一度だけ聞いてやる」



 拳から伝わってくる体温は熱いほど。

 既に神様の無表情は崩れ始め、その表情から、口調の端から、そして灰のような瞳の奥からも埋もれていた熱が吹き上がっている。



「お前、男だって言っただろうが」

「は……」



 "お前ってさぁ、結局のところ女なの、男なの?"

 そう。

 確かそんな質問をされた。冗談かと一笑に付したが、そう言えば妙に神妙な表情だったのを覚えている。



「勝てとは言わない。負けるなとも、言わない。そんな事はどうでもいい……!」



 この人が自分に求めているものは、確かにそれではない。

 そんな物は副産物だ。手段であって、あくまで目的ではない。

 欲しい物でもなく。それならば、命を賭すことでもない。



「守りたいものもあって! 譲れない事もあって! 許せない事もあって! 何をいつまでも燻ってんだよ馬鹿野郎がッ!」



 圧倒されて口を噤んでしまったのは、目の前のその人が怒っていたからではない。

 "神様"と言われるに相応しくない激情は怒りではないように思えたからだ。

 だって。どう見ても怒っているのに、語調も荒く、鬼のような表情をしているのに。

 何故か、今にも泣きそうに見えたからだ。



「お前は、まだ間に合うだろうが……!」



 真実、言葉の合間に漏れたその表情こそ──。



「……譲れない事を譲ってんじゃねえよ」



 ああ、またこの人は自分の事情をリィラに重ねて嘆いている。

 身勝手だと思う。

 しかし同時に、どうしようもない程の寂寥感が目の前の顔にありありと浮かんでいて同情さえ覚えた。

 


「許せない事を許してんじゃねぇよ……」



 ああ、しかしそれはまるで勘違いだ。

 何を同情などしようというのか。

 この目を見ろ、顔を見ろ、声を聞け。そして何より、自分を顧みろ。


 自分のどこに同情などする資格がある。この人はやはり強いのだ。自分などより、遥かにずっと。



「諦められないなら、諦めようとなんてするなよ──」



 どうしようもない事に。

 それを自覚した途端、今度は劣等感がちくりと胸を刺し、吐き気がした。


 強い目がこちらを覗く。

 驚くように、怯えるように。リィラの体はびくりと反応した。



「答えろ。なあ──、」



 リィラ、と名前を呼ばれた。

 それはまるで逃がさないように喉元を掴まれたかのようで。



「──それでも手前、金玉ついてんのかァ!!」



 言われたくない言葉だったのかは、分からない。

 それともリィラの心に罅を入れたのか、それも分からない。


 ただこんな事までして、言いたかったのがそれなのかと。

 正論でくるのならば、いい訳ならばだれにも負けない自信はあったのに。


 こんな、何の理屈にもなってない馬鹿みたいで暑苦しい感情論が。


 ずっとずっと昔に眠らせた、強くて格好いい何かに憧れていた馬鹿な子供の琴線を揺らした。



「っ……」



 ただ、どうしようもない程の無力感と悔しさが底の方から突き上げて、身を震わせる。

 その途端、返すはずの言葉はどこかに消え去り、あれほど繰り返した表情の作り方も思い出せなくなる。



「うるさい……」



 す、と疲れてしまったかのように吊り上った口角が下りた。


 言い訳が一瞬だけ頭から無くなって。

 


「うるさい、んですよ」



 一気に我慢できなくなった。

 意地も未来も家族も家も。一つずつ無くなって、遂に一つも無くなって、それでも沸き立つ物を必死に抑えていたのに。


 目の前のこのお節介が、築き上げた言い訳も最低限の建前さえも、考えなしに壊そうとして来るから。


 ふと、その理不尽さが、沸きあげた感情を全て怒りに変えたのが分かった。



「──うるさいんだよ、アンタはァ!!」



 全身に掛けられる全ての力を込めた。

 魔力も筋力も気力も全て。


 気力などこの化け物にすれば微風以下。

 思い切り握りこんだ両手も、リィラのか弱い細腕ではハルユキの皮膚に食い込むだけで精一杯。

 ハルユキはと言えば、ただリィラの様子に少しだけ目を見開いただけ。



「どうしろって言うんだよぉっ!」 



 ラカンがなぜ自分にこだわるかは判らない。

 しかし、目的は常に同じだ。

 苦しみ抜いた十三年を、悩みぬいて、戦い抜いて得た何もかもを無残に引き裂きたいだけなのだ。


 きっと、その余波は街を破壊するだろう。

 ゆっくりと全てが終わった後に、皆の亡骸の真ん中でリィラは殺される。


 それを悪夢として見たのは一度や二度ではない。



「勝たなくていい? 勝たなきゃ死ぬんだぞ! 僕も、ハーちゃんも子供達も、皆ぁっ!」



 全てを救う光景を夢見た。

 しかし、救えなかった後の死の山に震えた数はその十倍。



「何が分かるんだよ……っ」



 怖い。ただそれだけ。

 失敗して、負けて。死ぬのも、失うのも、全部。



「──誰でも殺せて、誰でも助けられるような化物が、知った風な口を利くなッ!」



 嗚咽のように込み上げてくるそれは、言葉で感情で汚物だ。

 叩き付けるように言い放つ自分に嫌悪感を抱きながらも、止まらない。



「僕は、十三年も逃げてきた! 逃げて、逃げて、英雄にも勇者にも騎士にも正義の味方にも、神様にも──!」



 剣を抜いて、出鱈目に振りぬいた。


 折れていたはずの剣は、傷も曇りもない綺麗な銀色の刀身を晒した。しかしそんな些細な疑問は、激情に押し流され頭の片隅に消える。

 剣を避けたはずみで神様は手を離し、数歩分後ろに跳んだ。



「誰かの家族にすら、なれない弱虫なのに……!」



 頭突きのせいか、世界が歪んで立っていられない。

 ふらついた所で壁に背中が当たって、何とか顔を上げる。


 景色がぐちゃぐちゃだ。

 ──ああ違う。頭突きのせいじゃない。熱い物が頬を伝ってぱたぱたと床に落ちる。



「僕はァ──!」



 ごしごしと、それを擦り付けるように拭い取って、声を上げる。

 十三年前に一度失敗して、懲りずに先日二度目の失敗をした。三度目はもう馬鹿げてる。



「僕は、僕を信じない。期待なんて二度としない!」 



 吐いても、吐いても、口から洩れる汚物のような言葉は止まらない。

 まだ、まだ、まだ。

 沈殿した膿は、リィラの至る所に詰まっている。



「……僕が弱い事だけは、僕がよく知ってる!」



 体重を壁に預ける事で何とか立ち上がったまま、リィラは神様に切っ先を向けた。

 カタカタと切っ先は震えている。



「何かを救えるほど……。僕は、強くなんかなかったのに……!」



 ──怖い。


「怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖いんだ。死ぬのも、殺すのも、守れないのも、残されるのも、一人も、家族も、無力も、期待も全部!」



 もう一つとして、背負えやしないのに。

 ほら。もうずるずると壁に背中を擦らせながら、自分の体重も支えきれない。



「僕なんかが、あの人達を守れる訳ないじゃないかっ……!」



 手は細い。

 体は小さい。

 臆病で、意地も張れない。

 昔の自分が見たら、未来に絶望してしまうほどに。


 自分にはもう、何もないと。

 そう全て口から出してしまうと、余りの自分の空虚さに笑ってしまう。



「どうしたいかなんて、もう……。分からないんですよ……!」



 剣を地面に突き立てたのと、座り込んでしまったのはほぼ同時で、こぼれ出る言葉も止まった。


 リィラの荒い息以外すべての音が消えていた。



 いつから、食べていなかっただろう。

 そんな沈黙の中、暢気に何故か体がそんな事を思い出していた。


 丸一日寝ていたせいか、眠気も疲れもない。だけど、自然と俯いて視線が下がり、自分の体が作った影の中に収まった。

 見慣れた暗闇があった。


 ゆっくりと、意識ごとその中に埋没していく。






「──リィラ。お前が言ったんだ」



 しかし不躾に、その温い暗闇の中に割り込んできた声が邪魔をした。


 神様の爪先が、暗闇の先に浮かんでいた。

 先程より声が近い。すぐ目の前でしゃがみこんでいる事がなんとなく判った。ゆるゆると、顔を上げる。


 再び胸倉を掴まれ、神様の目の前にまで引き上げられる。


 すると、目の前にある顔から、怒気は消えていた。


「……?」


 仄かな熱だけを残した灰のような眼だった。

 触れば暖かく、しかし確かに火は消えて、暗く、肌寒い。どきり、と心臓が驚いたのを感じる。



「俺は、お前から見れば化物だろうし、お前が言っているようにお前の気持ちなんてわからないって」



 その通りだよ。と神様が言うと同時にどすん、と胸に鈍い衝撃が当たった。

 固く握りこまれた拳を胸に押し当てられたのだとすぐに分かった。



「……それが解ってるのに何で、さっきのを俺に言ってるんだよ、バカ野郎」



 そして、すぐにそれは離された。

 じわりと仄かに熱い体温だけを胸に残して、目の前の彼は立ち上がって、そして振り返った。



「え……?」



 がしゃり、と崩れた家の壁の隙間から出てきた姿を神様の肩越しに見つけた。



「お前を救うのも、お前が救うのも。俺じゃない」



 ゆっくりと、神様はリィラから離れた。



「言いたい事は、聴きたい奴に言うべきだ」



 そして、現れた闖入者との間に障害物は何もなくなった。

 一対一。



「……っ」



 いや、一人。また一人。

 走り込むようにリィラの視線の先に現れては、立ち止まって少しだけ驚いた後、こちらを見つめ返す。


 十七人。

 怖いくらいに真摯で、爛れてしまうほど温かいその生き物は、リィラの心臓を派手に跳ねさせた。



 最後に神様が自然とその後ろで壁に背を付けて、全部で十八対の目がこちらを見た。




   ◆

 



 唐突に訪れた沈黙は、耳鳴りのような痛みを伴った。

 頭の中がパニックになっていたと思う。



 視線を外す事も、言葉で緊張を濁す事も、想像すらできない。


 だから最初に働いたのは、見得だった。

 泥と埃だらけで殴られた顔を腫らして、膝を抱えているのが、ひどく恥ずかしい事に気付いたのだ。


 傷だらけの姿は今まで見せていたが、それは龍を相手にしてるという大義名分があったから気にはならない。


 毅然とした姿を見せておきたかった。

 しかし毅然とした言葉を放とうと顔を上げ、膝で立ち上がったのと同時。一番前にいたシータが先に口を開いた。



「……リィラ、大丈夫?」



 そのまま立ち上がって埃を払うつもりだったが、びくりと痙攣するように体が止まった。

 言葉の内容は頭に入ってこず、ただ、少しこちらに怯えたシータの表情から目を離せない。


 少しだけ遠慮するような、いや、怯えているような無理がある笑みがそこにあったからだ。



(ああ──)



 その事に戸惑って少しだけ見開いた目がゆっくりと元に戻った。

 少しだけ視野が広がって、分かり切っている事を理解する。


(そうだ、何を……)


 ビィトは少し離れた場所で、腕を組んで目を瞑っている。

 ジャックは未だ敵意を含めた目をこちらに向け、他の子供達も所在なさ気に、体を揺らしている。


 クイーンに至っては、エースの後ろで背中を合わせて隠れるように、そこにいた。

 かろうじて見えるエースの手に、その小さな手が強く握られている。


 何かを期待していた訳ではなかったが、どうしても喪失感が胸を刺した。



「……ありがとうございます、大丈夫ですよ」



 出てきた声は平静で、よく覚えていない言葉にも返答できた。

 頭の中に、自分の意思と切り離した反応の為の人格でも出来たかのように思える。

 その人格が、また小さく、誰にもわからない程度に口の端を持ち上げた。



「怖いって、何が怖いんだよ」



 ビィトが小さく目を開けて、呟いた。



「──ビィト!」



 シータが、鋭い声を出す。



「うるせぇ。黙れシータ」

「あなたはいつもそんなだから……!」



 それと重なるように、シータの鋭い声が飛ぶ。

 しかしビィトはその声に適当な言葉を返しただけ。変わらず、薄く切り裂いたような眼でこちらを見ている。


 その目に、ビィトに。何が怖いか言う事すら怖いと言ったら、呆れてしまうだろうか。

 いや、そうではない。

 もう見抜かれ始めている。

 エースにも、ビィトにも、シータにも、ジャックにも、クイーンにも。

 運動が得意なディルムッドも。

 頭が良いイースレイも。

 本が好きなエフリムも。

 お喋りが好きなジーアも。

 眠ってばかりのエイチルも。

 こっそり猫を飼っているアイも。

 根野菜が嫌いなケールクも。

 お裁縫を手伝ってくれるエルトリアも。

 泣き虫のエムリィも。

 スパゲティがうまく言えないエヌールも。

 無口で優しいオームも。

 寂しがりやなピリカも。


 もう、リィラを見る目は変わっている。



 小さく笑った。

 思ったよりもその笑い声は大きく響いて、部屋の中の静けさを強調する。



「僕は、まず、あなた達が怖いんです、ビィト。知っていましたか?」



 空気が凍り付いた。

 ビィト以外の子供達も全員、目を見開いてこちらを向く。



「貴方たちが笑うたびに、つられて笑ってしまう度に、怖かった」



 それは多分、"代わり"として見ている事がばれる事が。

 亡くしてしまった時の喪失感を思い出してしまう事が。

 自分ばかりが、とハリア達に対し罪悪感が増してしまいそうな事が。


 ぐるぐると渦を巻いて、自分を底の底の暗いどこかに引き摺りこんで、どうしようもなくて。



「この堅苦しい言葉遣いも、多分そう言う事の表れで」



 自分は今、どんな表情をしているんだろう。

 片方の自分は無様に言葉を垂れ流しながら、もう一人の冷静な"リリィ"はそんな事を考える。


 しかし結局はそんなもの自己防衛の妄想だ。子供達の神妙な顔を見ると、途端にその境界は曖昧になっていく。


 だから、皮肉気にリィラの顔は笑みを作る。

 見得なのか。それとも、これ以上壊すなと、まだ作り直せるとせめぎ合っているのかもしれない。



「貴方たちを、拾って育てたのは、自分勝手な罪悪感で!」



 またじわりと景色が歪むと、何もかもが曖昧に消えていく。

 景色はもちろん、喚き散らしているせいか耳も良く周りの音を拾えない。



「僕は、貴方たちが思っているほど優しくなくて。期待してるほど、強くもなくて!」



 聞こえているのか。

 喉が震えているだけで、声はほとんど出ていないのではないか。そんな事さえ不安になる。

 

 だから、自然と声は大きくなっていった。



「クイーンを、見捨てたのもそうです。あんな理由はただの正当化で。本当は特別を作る事が、怖かっただけ、で……!」



 どんな表情でこちらを見ているのだろう。

 怒っているのか、笑っているのか、ただ、意味も分からず困惑しているのか。それともやはり、嫌悪感を顔に浮かべているのか。

 見えない顔に叫び続ける事も怖かったが、見てしまえばもう、きっと言葉は出てこないような気もした。



「弱くて、弱くて、弱いから。独り善がりな妄想で怖がって、震えて、泣いて──」



 ただの独白を続けた。開き直りの、感情の吐露に過ぎない。

 それなのに、どうして気を付けなければ掠れて萎んでいく言葉を必死に繋げるのか。


 分からない。

 分からないが、じわりと体が熱くなって喉の震えすら制御できなくなっていく。

 まだひくひくと笑みを作ろうとしているのが、無理に強がっているようでひどく無様で。



「僕は弱いだけだ。体も、たぶん心も……!」



 英雄になるには、力が足りないから。

 勇者になるには、勇気が足らないから。

 騎士になるには、誇りが足らないから。

 正義の味方にはなるには、信念が足らないから。



「……だから、僕は誰にも勝てないし、なにも救えないんです」



 言い切ると、疲れたように笑みが消えた。

 いま、滲んだ視界の向こうであの子達はどんな表情をしているのか。ようやく、その疑問もどうでもよくなっていった。



 静かだった。

 誰も言葉を発さなかったし、耳鳴りがするほどの沈黙が続く。


 ひょっとしたら、実は最初から誰もいないんじゃないかと、そんな事さえ思った。

 そうすると緊張感がぷつりと途切れ、芋づる式に空腹と疲労も思い出した。その途端に力が抜けて、その場に倒れ込む。





 ──がしゃりと、それを床に突き立てていた剣が支えた。

 一度、手酷く折られても、何故か直っていたその剣が。ギドを貫いて、命を染み込ませたその剣が。


 "もう少しだけ頑張りな"と、そう言った気がした。


 







「……それ、でも、」



 瞬間、声が聞こえた。

 すぐにそれが自分の声だという事に気付いて、ぶわりと体が緊張する。

 自分が何を言おうとしているのか、分かったからだ。


 もう喉が痛い。

 自分は寝ているのかもしれない。何もかも、時間が経ち過ぎている。



「それでも──!」



 そんな懸念を無視して勝手に口は動き、言葉を繋げようとする。

 先程は壁を作っていた"リリィ"が、手のひらを返したかのようだ。いや、入れ替わったのか。そもそも違いなどないのか。


 がんがんと、内側から崩れていく。



「勝てないかもしれないし、守れないかもしれないし、多分正しくもないし……っ」



 喉が痛い。

 必要以上に声が出ているからだ。

 たぶん、間違っても言葉が途切れてしまわないために。



「自信もないし、僕より適任な人もいるかもしれないけど……!」



 嗚咽が混じりそうになって、それを無理やりに呑み込んだ。

 しもやけのように、顔が熱い。


 鼻水が垂れて、涙が顔をぐちゃぐちゃにして、とても不細工な顔をしているのが分かる。



「もう少しだけ、頑張るから……! きっと、一緒に戦うから……!」



 相手は圧倒的だ。絶対に負けないなんて事はありえない。

 出来る事もあまり多くはない。それは、きっと一生変わらないのだろう。



「そしたら──」



 だって、勇気は一握りしかないから。



「勇者にはなれないけど……」



 か弱い腕に力なんてないから。

 


「英雄にはなれないけど……!」



 誇りはどこにあるのかも。



「騎士にも──、」



 信念の使い道なんて、まるで分からないから。



「正義の味方にも、なれないけど」




 願ったそれを、そのまま言葉で紡ぐ。

 全身の感覚がぼんやりと痺れ、体を支えていた膝に力が入らず小さく体が震えた。



「──それでも!」



 ぼんやりと滲んだ視界は、光が明滅しているだけ。

 それはとても蠱惑的で、しかし怖いものに見えた。



「それでも、それでもあと、もう少しだけ。強く、なれたら──」



 臆病だから、手は伸ばせなかった。

 だから声を。

 ただ追い縋るように声は零れ、水滴が落ちるように静かに、喉と体と心が震えた。




「僕が、貴方達を守りたいと思っても、いいですか……?」




 そう言うと同時に、分離していた"リリィ"の境目が溶けて消えた。





次は31日です

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